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09 天の国へ

 弾切れの音が、狂ったように何度も響く。

「う……うわあああ!!」

 悲鳴と足音が階段を駆け上がって遠ざかり、部屋には低く唸るファンの音だけが残った。静寂のなかで動いているのは、舞い散る花びらだけだ。

 自重でゆっくりと閉じ始めていた鉄の扉が、ばん、と重い金属音を立てて完全に閉じる。その音で、浅い呼吸をくり返していたジインがようやく我に返った。

「ソラ……!」

 体の下からジインが這い出る。呼ぶ声に応えようと唇を開くが、声が出ない。

 体が、熱い。

「ソラ……ソラ、しっかりしろ……!」

 服をたくし上げるジインの必死の形相を、ソラはどこか他人事のようにぼんやりと眺めていた。

 熱い。熱い。体のどこかに火がついて、燃えている。

 押しよせる熱の波で、今にも意識がさらわれそうだ。

 ――気を失ってはいけない。

 直感的にそう思い、ソラは必死で考えをめぐらせた。

 銃声は三発。

 一発目は、二の腕をかすっただけ。

 二発目は、太ももを貫通。

 三発目は、脇腹に――……。

「あ……弾がまだ中に……?」

 ジインが息を呑む。

 数秒ためらう気配を見せてから、ジインは血の溢れ出る傷口に手のひらを押し当てた。

「待ってろ……今、とってやるからな……」

 何度か深呼吸を繰り返して、ジインは固く目を閉じた。

 魔法を使うのだろうか。

 そう思った次の瞬間、体の中で何かがうごめく気配にソラは悲鳴を上げた。

 覆いかぶさるようにして、ジインがソラの体を抑え込む。

「動くな! うまく弾に繋げられない……頼むから動かないでくれ!」

 怖い。熱い。怖い。

 腕を伸ばし、苦し紛れにジインの上着を引き掴む。額になにか温かいものが触れた。薄く目を開けると、すぐ目の前にまぶたをふせたジインの顔があった。

「もう少し……もう少しだから」

 触れ合う額から伝わる、その緊張。

 上着をきつく掴み、頬にかかる吐息を数えて、ソラはどうにか気を紛らわした。

 永遠のような時間の果てに、ゆっくりとジインが離れる。震える手のひらには、血まみれの鉛玉がひとつ転がっていた。

 手早く脱いだシャツを傷に押し当て、ジインがきつく締め上げる。

「うぐぅ……っ!!」

 突き抜ける痛みにソラは思わず声を漏らした。

「大丈夫……もう大丈夫だから……」

 大丈夫、とうわ言のようにジインが繰り返す。その手がひどく震えていることに気づく余裕は、今のソラにはなかった。

 頭上を過る足音に、ジインがはっと顔を上げる。

 やつらが、戻ってきた?

「逃げなくちゃ……痛っ!」

 立ち上がろうとしたジインが、べしゃりとその場に座り込んだ。

 右の足首、弾がかすめて破れた靴から血が流れ出している。

「クソ……ッ!」

 ソラを抱きかかえると、ジインは体を引きずるようにして必死で穴へと這った。

 たった数歩の距離が、ひどく遠い。

「――……い、」

 ジイン、もういい。

 オレを置いて、早く逃げて。

 必死でそう叫んでいるのに、唇からは虚しい吐息が漏れるだけだ。

「ダ、メだ……」

 ジインの膝ががくりと折れる。

 荒々しい靴音が階段を駆け下りてくる。

 ジインはソラを隠すように花びらをかき集めると、そこへ覆い被さって固く目を閉じた。

「ソラ……せめておまえだけは……!」

 全身が総毛立つ。

 やめて。

 “おまえだけは”なんて、そんなこと。

 オレはいいから、早く逃げて。

 お願いだ、ジイン。

 ああ、だれか。

 誰か、ジインを助けて――……。




 ――……。




 めり、と空気が割れた。

 ばりばりと落雷のような音が響き渡り、ずんと地面が揺れる。

 風で巻き上がった花びらが、頬に背にぶつかった。

「………?」

 がん、と扉を叩く音に、ジインの肩がびくりと震える。

 戻ってきた男たちが、何かを怒鳴り散らしながら激しく扉を叩いている。

 けれど扉が開く気配はない。

 恐る恐る振り返ったジインが、あっと声を上げた。

「木が……!」

 倒れた黒い老木が、その太い枝で扉を塞いでいた。

 衝撃で歪んだ鉄製の扉は、押しても引いても開きそうにない。

「どうして……」

 扉と老木を呆然と眺めていたジインが、はっと我に返る。

 自分の足首をきつく縛り上げると、ソラを背負い足を引きずりながら横穴へと向かった。

 穴をくぐろうとしたところで、ふと動きを止める。わずかにためらった後、ジインはソラをその場に寝かせ、老木の元へ急いで引き返した。

 倒れた老木から手頃な枝を二本手折り、横たわる九呼へ近づく。その体を仰向けにして、両の手を胸の上に重ねてやった。

「勝手に体を使って、ごめんな……」

 変わり果てたその姿に、深く頭を足れる。ジインが触れると、九呼は静かにまぶたを閉じた。

 重ねられた両手の上に、ジインがそっと花の枝を置く。

「花はちゃんと姉貴に届けるから」

 扉の外で銃声がし始める。ジインは急いでソラの元へ戻った。

「行こう」

 今度こそ穴をくぐり抜けようとしたその時、




 ――……。




「まって……」

 声を絞り出す。

 脇腹を押さえ、歯を食いしばりながら、絶え絶えにソラは言った。

「つ、れて、いって」

「え……?」

「一緒に……連れていって……って」

「九呼のことか?」

 小さく首を振る。

「じゃあ、誰のこと……」

 さわ、と桜が揺れる。

 さわ、さわ、さわ。

 動かなくなった九呼の上に、薄紅が優しく降り積もる。

「連れていって……その子と、一緒に……てんの、くにへ」

「天の、国……?」

 震える指で、ソラは老木を示した。

 さわ、さわ、さわ。

 強い風に吹かれたように揺れる花びらが、言葉にならない想いを奏でる。




 ――……。




「その、木が……もう独りは、嫌だ、って」

 だから、連れて行って。

 九呼と一緒に、天の国へ。

「じゃあ、ずっとおまえを呼んでいたのは……」

 じっと老木を見つめると、ジインはもう一度ソラを横たえた。倒れた老木へ歩みより、黒い幹にそっと触れる。

「……おれたちを助けてくれたのか?」

 さわ、さわ、さわ。

「そうか……ありがとう。本当に助かった。……そうだよな。独りは、辛い」

 ジインの瞳の夜色が、すうっと深くなる。

 一瞬の間を置いて、黒い幹から緋色の炎が上がった。

「これで行けるよ。九呼と一緒に、天の国へ」

 ストーブやたき火の炎とはどこか様子の異なる清廉な炎が、倒れた老木を包み込んでいく。

 緋色に透き通る炎の向こうで端から白くなっていく老木を、ソラは横たわったままぼんやりと眺めた。

 熱風で吹き上がった花びらが、狂ったように頬を叩く。

 白い壁と煙とが炎を反射して、部屋全体が温かな橙色に染まった。

 そのうちに、九呼も“悪魔の草”も炎に呑まれてしまうだろう。

 ジインが作り出す強靭な炎は、すべてを等しく包み込んで白い灰へと変えてゆく。

「二人なら、寂しくないよな」

 橙に輝く部屋の中、息が詰まるほどの花吹雪の向こうに、鮮やかな炎を従えたジインが佇んでいる。

 霞のかかった横顔が、まるで光を放つよう。

 夢のように美しい光景だ。

 もしかしたら自分は、もう眠っているのかも知れない。

 それならもう、目を閉じても大丈夫だろう。

 奇妙な幸福感を味わいながら、ソラは意識を手放した。




 ――ずっと ずっと まっていたの。




「すっ……すっげぇェー!! 花だ、花、花! こんなにいっぱい! うわ、どうしようオレ。超金持ちじゃん! これ全部売ったらいくらになるだろう? ええと、ええと……どうでもいいかそんなこと。とにかくすごい大金になるぞ! ストーブ買って、パンを買って、卵もスープも、ああ、温かい服も靴も買える! そうだ、赤ん坊のミルクだって買えるんだ……これで朱世も安心して赤ん坊が生める! ……ああ、でも……本当に、キレイだなぁ……」




 ずっと まっていたの。

 だれかが ここへ きてくれるのを。

 わたしを みて きれいだと ほほえんでくれるのを。

 ひとりでよくがんばったね えらかったねと なでてくれるのを。

 ずっと ずっと まっていたの。

 そして やっと あえたの。




 会えた のに。




「なんだ、このガキ」

「どっかから入り込んでてよォ」

「殺ったのか?」

「あァ。最近腕がなまってっから、久々にいい腕慣らしになったぜェ」




 もう ひとりには もどれない。

 もどりたく ない。

 ひとりは こわい。 ひとりは かなしい。

 だから だれか。

 ここへ きて。

 どうか わたしを つれていって。

 この子と いっしょに てんのくにへ。

 だれか。

 どうか。

 ここへ きて。




 わたしを おわらせてください。




 劇場の地下から燃え広がった炎は三日三晩空を焦がし、周辺の廃墟をいくつか呑み込んでようやく鎮火した。




 灰色の建物に切り取られた細長い空が、やけに青く鮮やかな午後。

 『貧困街』の片隅の路地で、朱世は重そうな腹を抱えて服を洗っていた。

「朱世」

 褐色の横顔が振り返る。大きな澄んだ瞳がソラを捉えた。

 何事かと集まってくる少年たちをジインが視線で制する。

 残の鋭い視線を横目に感じながら、ソラは瓶に生けた花の小枝を差し出した。

 漆黒の瞳がきょとんと丸くなる。

「……私に?」

 ためらいがちに受け取った花とソラとを交互に見て、朱世が首を傾げる。言葉をためらうソラの代わりに、片足を引きずるジインが口を開いた。

「九呼からだ」

 朱世が目を見張る。細い喉がこくんと動いた。

「九呼……九呼は?」

「死んだ」

 希望に輝きかけた朱世の顔が、そのまま凍りついた。

 残は動かない。他の誰も動かない。

「クスリ屋の奴らだ。おれたちが見つけた時には、もう……」

 朱世がそっと枝を抱いた。涙を流すこともなく、乾いた瞳はただじっと何もない地面を見据えている。

 残の唇がかすかに震える。

 ちくしょう。

 声にならない呟きは行き場もなく風に流され、消えた。

 頭上に広がる青空は、無遠慮なほど明るく鮮やかで。

 いくら手を伸ばしても届かないものが、そこにはあるようだった。




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