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07 旧世界

「しかし帰り道がなくなったな。まあ、他にも出口はあるだろうけど」

 ジインの言葉で、ソラはふとあることに気がついた。

 ここは地下水路の奥の奥だ。窓も電気も明りになるものなどは何もない。外界の光の届かない真っ暗闇だというのに、ソラには今、ジインの表情がはっきりと見えている。

 確かにソラはずば抜けて夜目が利くが、それはわずかでも光があればの話。

 唯一の光源であるはずの手元のLEDは、ジインの魔法が途切れてからすっかり光を失ったままだ。

 さらさらと水音のする崖を、ソラはそっとのぞき込んだ。歩いてきた水路は消えてなくなり、まったく別の場所になってしまっている。崩落の規模の大きさを思い知り、よく助かったものだとソラは改めて胸を撫で下ろした。

 そのさらに下へと目を凝らして、ソラは目を疑った。

「ジイン……ちょっと」

「ん?」

「ちょっとこっち来て」

「“こっち”って、どっちだ?」

「こっちだよ」

「あのなあ、簡単に言うけどおれはおまえみたいに見えないんだからな。LEDはどこだ?」

「オレが持ってる。いいから、ちょっと来て」

 目をすがめて地面をさぐるジインの手を引いて、ソラは崖を見下ろす場所まで連れて行った。

「……おまえの顔がうっすら見える」

 崖の際に立ったジインが、不思議そうに首を傾げる。

「表情までは見えないけど。どこかに明りがあるのか?」

「崖、のぞいてみて」

「崖?」

 怪訝な顔で崖をのぞき込んだジインが、はっと息を呑んだ。

「見える?」

 崩落で出来た深い深い穴の底。

 その彼方で光る、小さな白い――。

「ねぇ……あれってさ……もしかして、もしかしなくても……」

「――空だ」

 地下に空。それは、遥か大陸の下に広がっているはずの。

「どうして空が……地盤に穴が開いたのか? あの程度の崩落で?」

 呆然と言いながら、ジインが身を乗り出す。その体が転がり落ちないように支えながら、ソラも遥か彼方で輝く白い光に見入った。

 まっすぐな光は深い暗闇の底から二人がいる場所まで到達し、辺り一帯をほんのわずかに照らしている。

「下層が崩れ落ちたってことか? 地盤がゆるくなってるとは聞いてたけど、まさかここまで崩落が進んでるなんて……」

「大陸の厚みってどのくらいだっけ」

「一番薄いところでも10kmはあるはずだ……このぶんじゃここら一帯、ある日突然ごっそり落ちるかもな。あとで残や他の連中に知らせておこう」

「悪い大人だけ落ちちゃえばいいのに」

「ほんとだよな。埋蔵金のウワサでも流すか? 欲の皮の張った奴らが大勢押し掛けたところを見計らって軽い爆発でも起こせば、うまいこと落ちるんじゃないか」

「いいねそれ。最高」

 胸がすく計画に、にやりと笑い合う。

「でもさ……本当に浮かんでるんだね」

 世界が大地を失う以前。大陸はどこまでも広く、海は大きく一続きで、空には果てがなかったという。

 けれど今、世界は狭まった。

 遥か上空には『神ノ庭』、遥か下空には『空ノ底』と呼ばれる前人未到の領域が腰を据え、その間に浮かぶ六つの陸島以外に存在するのはただただ青い空ばかりだ。

 水平方向にひたすら進めば、突き当たるのは暗く冷たい宇宙空間。

 空に囲まれた陸島を出て他の国に渡るには飛空船に乗るしかない。飛空船に乗るには乗船券と『身分証』(パス)が必要で、それらを手にするには相応の額の金が必要だった。

「そういえば、お金はどのぐらい貯まったの?」

 二人の夢はこの街を出て世界中を旅することだ。画像でしか見たことのない海や森、砂漠や古代遺跡を、この目で直接見てまわる。

 そしていつかは自分たちの飛空船を買って、未発見の島を探しに行く。

 今はまだひとつ上の陸島へ渡る資金すら貯まっていないが、とにかくこの国から、この街から早く脱出したかった。

 だってここには、何もないから。

 『彩色飴街』を境にした大陸の東側は、強者が弱者を当たり前のように蹂躙する無法地帯だ。そのしぼり滓を集めたような『貧困街』に夢や希望があるはずもなく、さらにその最下層に位置する『ノラ』は、“『ノラ』に成り下がるくらいなら、さっさとこの世とおさらばしたほうが幸せ”と揶揄されるほど劣悪な境遇に置かれている。

 街中のどこを探しても『ノラ』を雇ってくれるような稼ぎ口などは存在せず、憐れみの施しなんてものもない。

 『ノラ』が生きるためには盗みか身売りに手を染めるしか術がなく、それがまた人々に疎まれ蔑まれる理由となる悪循環だった。

 そう、この街は“何もない”どころか、生きる権利さえ“奪う”のだ。

「まだ目標の二割ってとこかなぁ。安い密航船の乗船権なら子ども二人分ぎりぎり買えるけど、金だけ盗られてそのまま売り飛ばされる危険性大。あくまでも目標は正規の乗船券と絶対バレない高品質な偽造『身分証』だ。その二つが揃っても、向こうでまともな仕事がすぐに見つかるとは限らないし、当面の生活費も確保しなくちゃ。そういうのを全部ひっくるめると、やっぱ百万はいるんだよなあ」

「ひゃ、百万っ!?」

 思わず声が裏返る。百万なんて、稼ぐのにいったい何年かかるのだろう。

 ソラの眼差しが遠くなるのを見て、ジインが慌てて指を二本立てた。

「でも二割はいったんだぞ? 二十万! すごいだろ。あと何年かすれば今よりマシな稼ぎ方が見つかるだろうし、もしかしたら『ノラ』でも雇ってくれるところが見つかるかも知れない。まあしばらくは貧乏生活が続くけど、二人でがんばれば十年はかからないと思う」

「そ、そっか」

「それにもし花が見つかれば、かなり足しになるだろうし」

「そうだよね、よーし! さっさとこの街を出るために、絶対花を見つけてやるぞ!」

 LEDに光を点すと、二人は改めて辺りを見回した。

 黒く煤けたコンクリートの壁と地面。何本ものケーブルがくねくねと這いつくばり、数字や記号が印字されたプレートがいたるところに張りついている。足元で鈍く光る二本のレールは、緩やかにカーブを描きつつ闇の向こうへと続いている。

「これが“チカテツ”か」

 人類が最も栄えたという、旧文明の遺物だ。

「地下に電車を走らせるって発想がすごいよな」

「なんでわざわざそんなことしたんだろう?」

「さあな。場所の節約じゃないのか」

「ふぅん……あっ!」

 ソラの声が闇に反響する。

「いま、少しだけど花の匂いがした!」

 ジインの瞳がぴかりと光る。

「どっちからだ?」

「うーん……わからないけど、空気の流れはこっちから来てるみたい」

 ジインが腕時計の方位磁石を確かめる。

「劇場通りの方角も同じだな。進んでみよう」

 水路よりずっと歩きやすい“チカテツ”を、二人分の足音を響かせながら歩いていく。生き物のようにも見える不気味なケーブルの群れを横目にレールに沿ってしばらく進むと、暗闇の先にぼんやりと光るものが見えてきた。

「……駅だ!」

 すべてが白っぽく見えるのは、うっすらと積もった灰のせい。まだ生きている灯りがあるらしく、かすかな光を灰が反射して辺り一帯を淡い翡翠色に霞ませている。

 まるで空間全体が巨大な大理石の彫刻のよう。いつか夢で見たような、幻想的な世界だ。

 長いプラットホームには、二人の足跡がくっきりと残った。

「何だか雪みたいだね……あ、そうだ!」

 つま先を器用に使って、ソラが地面に大きな字を描く。

 “ ソラ ガ キタゾ ! ”

「ほらみて、“チカテツに来たぞ記念”」

「キタゾって何だよ」

 笑いながら、その下にジインが文字を並べる。

 “ ジイン モ キタゾ ! ”

 長い駅の構内を抜け、動かないエスカレーターを上る。片足だけでかろうじてぶら下がっている電光標示板の下を避けて通路を進むと、思いがけず巨大な空間が目の前に広がった。

「うっわあ、広い!」

 驚くほどに高い天井。そこへ向かって伸びる太い柱の列。壊れたベンチはくしゃりと潰れ、売店らしき小さな建物からはゴミが溢れ出している。壁に柱に連なるひび割れたアクリル広告板が、まるで古びた絵画のよう。

「すっごいところだね……」

 きょろきょろと辺りを見回しながら、ソラは感嘆のため息を吐いた。

 足の下にこんな世界が広がっていたなんて、まるで知らなかった。

「見ろよ、旧文明の物がごろごろ転がってる……これは靴かな。この計算機みたいのは何だろう。携帯ゲーム機か何かかな? あ、ペットボトルの形は今とあまり変わらないな」

 無造作に散らかった旧文明のゴミを興味深げにを見回していたジインが、はっと足を止めた。

「……足跡だ」

「えっ!?」

 驚いて目を凝らす。うっすらと灰の積もった床の上を、一人分の足跡が二人の行手を遮るように点々と横切っている。

「オレより小さい足跡……もしかして、子ども?」

「まだそんなに古くないみたいだ」

 視線で靴跡の元をたどりながら、ジインが言う。

「おれたちが来た方角とは違う方向から来てる……どこか外に繋がってるところがあるんだな。元をたどれば、帰り道が見つかるかも。もうドブ川へは戻れないからな」

「それよりも花だよ! もしかしたら、もう先を越されてるかも」

「後を追ってみるか?」

 正体不明の足跡をたどって歩き出す。足跡の主は、歩いては止まり、止まってはまた歩き、あちらこちらへふらふらと歩き回っている。

「何かこう……行き先のはっきりしない足跡だね」

「何かを探してるように見えなくもないけど、ただ単に目的もなく彷徨ってるだけって気もするな」

 ふと、ソラの感覚に何かが引っかかった。空気が動く気配と、低いかすかな機械音。

 そして、探し求めていた匂いが鼻先をかすめた。

「花の匂いだ!」

「どっちだ?」

「こっち!」

 どんどん強くなる匂いに自然と歩調が速まる。

 床の灰が薄れて途中で判別の難しくなった足跡もどうやら同じ方向に伸びているらしいのが気がかりだ。

 もしかしたら本当に先を越されているかもしれない。

 突然肩を掴まれて、ソラはがくんと仰けぞりそうになった。

「うわっ、何っ?」

「しっ」

 人差し指をたてたジインが声を低くする。

「……光だ」

 天井の低くなった通路の奥。大きく崩れた壁から、白い光が漏れていた。そっと近づき、光の元を探る。光は壁に開いた穴から漏れていた。子どもがやっと通れるくらいの穴を、向こう側から鉄板か何かが塞いでいる。

 両手で押すと、鉄板は容易く動いた。

 鉄板の隙間から、収束された風が勢いよく吹き出す。

 そして、

「あっ……!」

 淡い薄紅色の花びらが数枚、風とともに飛び出して、二人の足元へと舞い落ちた。

 顔を見合わせた二人の口元にどちらからともなく笑みが浮かぶ。

 ふと、花の匂いに混じる何かがソラの第六感をかすめた。

「……?」

 なんだろう。なんだかいやな予感がする。

「いくぞ」

「う、うん」

 人の気配がないことを確かめて、ジインは鉄板を押した。ばふ、と花びらを巻き上げて、鉄板が倒れる。




 光が、溢れた。




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