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05 ヒトならざるものたち

「魔法でさ、真っ暗でも目が見えるようにしたりはできないの?」

 ソラの問いに、ジインは少し考えてから首を振った。

「できないな。“魔法”って言っても、呪文を唱えてカエルを変身させたりするような、おとぎ話に出てくるやつとは違うんだ。基本的には手で押したり引いたりするのと同じことしかできない」

「じゃあ、炎とか灯りをつけるのは?」

「うーん……なんていうか、こう……見えない力をがーっと動かして、摩擦でどうにかする……みたいな? うまく説明できないな。おれにもよくわからないよ」

「ふぅん……でもさ、便利だよね、魔法」

 オレも欲しいなと呟きながら、ソラは魔法使いの杖のようにLEDライトをぶんぶんと振った。青白い光の軌跡が、闇の中に残像を残す。

「そんなに便利でもないぞ? けっこう疲れるし、気が散るとうまくいかないし……おれはおまえのほうがずっと羨ましいよ」

「えっ?」

 思いがけない言葉に、声が裏返る。

「ど、どうして?」

「ケガしてもすぐに治るし、疲れないし、逃げるのめちゃくちゃ速いし、夜目も耳もついでに鼻も利くだろ。あっ、あと風邪もひかないよな」

 いいなぁ、と本気で羨ましそうなその声音に、顔が熱くなる。

 ジインが、オレのことを羨ましいだなんて。

「で、でもさっ! どうしてオレだけこんな体なんだろうね?」

 気恥ずかしさを隠すために、ソラはわざと大げさな声を出した。

 ジインのような力を持つ人間も確かに珍しいが、まったくいないわけではない。『貧困街』で魔法使いを見ることはまずないが、この国には魔法使いばかり集めた軍の部隊がある。国内外から集められた魔法使いは新市街第二区にある魔法院で特別な訓練を受けて魔法士となり、治安維持や竜の駆逐活動を行っている。実際にソラも、東部と西部を隔てる『彩色飴街』(キャンディータウン)の近くまで行った時などは、魔法士と呼ばれる職業の人間をごくたまに見かけることがあった。

 けれど、ソラと同じような能力を持った人間の話はついぞ聞いたことがない。

「やっぱ、トツゼンヘンイってやつかなぁ。……あ、もうすぐ右に曲がれる道があるけど、まだまっすぐでいいんだよね?」

「ああ……」

 どこか上の空な返事に、ソラはおや? と首を傾げた。肩ごしに振り返ると、黙り込んだジインの瞳が思案に沈んでいる。

 また何か考え事だろうか。そういえば最近のジインは、ぼんやりと考えに耽ることが多い気がする。

 きっと自分では到底考えつかないようなことに思いを馳せているのだろう。あまり明るくはないその表情を見るたびに、なんだか一人で置いてけぼりにされているような気がした。

「ジイン、ぼぉっとしてるとまたつまずく――」

 少しとげとげしく言う途中、視界の端で何かがきらりと光った。

 地下道の壁に開いた、横穴の奥。

 LEDの光を、二つの巨大な瞳孔が反射した。

「っ!!」

 どくんと心臓が跳ね上がる。考えるより先に体が動いていた。

「え? う、わあっ!!」

 振り向きざまにジインを担ぎ上げると、ソラはもと来た道を駆け出した。

「ソ、ソラっ!?」

 ジインが狼狽した声を上げるが、説明している暇はない。

 逃げなくちゃ、逃げなくちゃ、逃げなくちゃ――……!

 恐ろしい速さで暗闇の中を駆け抜ける。ジインが背中でくぐもったうめき声を上げた。途中で明りが消えたが、拳ほどに見えてきた出口の光を目指してソラは走り続けた。

 早く、早く外へ――……。

 光の中へ飛び込んだ瞬間、ずるりと足が滑った。

 靴の底に貼り付いた悪魔のようなヘドロが、ふんばる体を前へ押し進める。

 ぐつぐつと煮だつドブ川が、目の前。

 死ぬ――……!

「――っ!!」

 靴の底が通路の縁を捕らえた。上半身がドブ川へ飛び出しかけるも、持ち前のバランス感覚と腹筋でなんとか持ちこたえる。

 そのまま数秒硬直して、ソラはゆっくりと息を吐いた。

「……――あ、危なかった……」

 はっとして横穴を振り返る。アレが追ってくる気配はない。

 安堵した途端、全身からどっと汗が吹き出した。急に息が苦しくなって、続けざまに咳き込む。肺が軋んで、鉄くささがじわりと胸に広がった。

 背中でごふっと変な咳がした。

「あ」

 ぐったりと二つに折れたジインの体を、慌てて地面へ降ろす。口を押さえてその場にしゃがみ込んだジインが、何かを吐いた。

「ジイン!」

 顔を真っ赤にして咳き込む背中をおろおろしながらさする。障害物を飛び越えて走るソラの肩がみぞおちに入ったらしい。

「ご、ごめん。ごめんね、大丈夫?」

 ひとしきり咳き込んだジインが、ぎろりとこちらを見上げた。涙で潤みながらも鋭い眼光を宿した双眸に、思わず後じさる。

「暗闇の中で、」

 みぞおちを押さえ、手の甲で口を拭いながら、ジインがゆっくりと立ち上がる。ぎらぎらとたぎる、その双眸。

「訳もわからず担がれて爆走されるのがどんだけ怖いか、おまえわかるか?」

 伸びてきた手が、ぎゅううっと頬をつねり上げる。

「ほ、ほへん」

「しかも変な担ぎ方しやがって、あばらが折れるだろうが!」

「ほへん……」

「ほんとに、本気で、死ぬかと思った……」

 低く呻きながら、ジインが再びうずくまる。ソラはしょんぼりと肩を落とした。

「ごめんなさい……」

「くそっ、口ン中が気持ち悪りぃ……近くに飲み水が出るとこあったっけ」

「あっオレ何か探してくるよ!」

 名誉挽回とばかりに踵を返しかけるも、ジインの腕に引き留められる。

「いいよもう! それより、何があった? なんでいきなり戻ってきたりしたんだ」

「そ、そうだ」

 言われて大変なことを思い出す。

 闇の中で見た、一対の大きな目玉。

 あれは、間違いなく……。

「リュウが……」

「え?」

「竜がいた」

「はぁあ? 竜ぅ!?」

「さっきの横道、曲がったすぐ先に」

 ジインが眉をひそめる。

「なんでこんなところに……何かの見間違いじゃないのか?」

「ちがうよ! 本当に竜だった、ちゃんと見たもん! こんなにでっかい目玉が、すぐ近くでぬるって光って」

 暗闇の中で見たものを細かに思い返す。大きな爪に鉄色の体。てらてらと光る目玉は白く濁って……。

「……あれ?」

 首を捻る。

 生気のない、開きっぱなしの眼。

 そういえば気配も息づかいもまるで感じなかった。

 あれは、もしかして――。




 暗闇に浮かび上がる、鉄色の巨体。

 大きな翼に、鋭い爪。体を覆うウロコは光を反射して、一枚一枚が鈍く輝いている。青白い光に照らされたその姿はよくできた彫像のようで、まるで鉱物か何かでできているようだ。

 じっと息を殺していたソラが、ほうっと安堵の息を吐いた。

「やっぱり、死んでるみたい」

 空を駆け、炎を吹き、人々を脅かす化け物は、地下水路の片隅でひっそりと冷たくなっていた。

「いつ死んだんだろう。まだ臭わないな。竜って腐らないのか?」

「竜が死んでるとこなんか、初めて見たよ。ね、ウロコ売れるかな」

「止めとけよ、死骸に触るのなんて。なんで死んだのかわからないんだ。変な病気かもしれないだろ」

「竜も病気になるの?」

「知らないけど、竜を殺せるのは魔法士の魔法だけだ。機関銃でも爆弾でも死なないのにこんなとこで死んでるなんて、何だか気味が悪いだろ」

「……あっ! もしかしたらさ、“人間だった時”に病気にかかったんじゃないかな!?」

 自分の冴えたひらめきに、ソラはぱちんと手を打った。

 『核』と呼ばれる部分を魔法で壊さない限り何度でも蘇るという竜が、病気にかかるというのも考えにくい。それなら、“人間に化けていた時”に病気になったのではないだろうか。そして竜になってから病気が悪化し、命を落としてしまった。

 何の根拠もないが何となく理論的な思いつきに、ソラは大発見をした気分になった。

「ね、きっとそうだよ! そういえば先週、二番街で竜が出たけど魔法士団が来る前にどこかへ逃げたって。もしかして、こいつがそうかな?」

 一歩近づいて顔をよせる。後足首に、ズボンの破れた裾らしき残骸が見えた。

「ほら見て、まだ服が残ってる! やっぱりこいつも人間に化けてたんだよ」

「……あんまり近づくなよ」

 ジインが後ろから服を引っぱるのもかまわずに、ソラは立ち上がったりしゃがんだり体を左右に振ったりしながら、初めて間近に見る生き物を興味津々に観察した。

「へえぇ、すごいなぁ。竜ってさ、人間のお腹の中の赤ちゃんに取り憑いて、知らない間に入れかわっちゃうんでしょ?」

 そして何喰わぬ顔で生まれて育ち、ある日突然本性を現す。人を襲い、街を焼き、破壊の限りを尽くす化け物。それが竜だ。

「ね。竜が化けた人間と本物の人間を見分けることってできないの?」

「……ちゃんとした病院で調べれば、すぐにわかる」

「そうじゃなくて、見た目でさ。市場ですれ違った人が実は竜だった、なんてこともあるかもしれないだろ?」

「……外見は普通の人間と変わりないし、本人も自覚がないらしいから。でも生まれた時の検診で、大体は見つかって……処分される」

「検診って、どんな検診?」

「さあな。細胞の検査とかじゃないのか」

「まともな病院もないのに、『貧困街』で細胞の検査なんてできるの?」

「『彩色飴街』近くの病院ならできるんじゃないのか。精度はどうだか知らないけどな。ほら、もう行くぞ!」

「えー、もうちょっと調べてみようよ。竜をこんなに近くで見る機会なんてもうないよ、きっと」

「いいから!」

 怖い顔で睨まれて、ソラは唇をとがらせた。

「なんだよ、つまんないの……あっ! まさかジイン、竜が怖いとか?」

 ジインの眼差しが不自然にそれる。押し黙ったまま歩き出したその背中に、ソラはにやりと笑いかけた。

「なんだ、ジインは竜が怖いんだ? へえぇ、知らなかったなぁ。ジインにも怖いものがあるなんて」

 にやにやと笑いながら顔をのぞき込み、どきりとした。

 常に力強い光を絶やさない夜色の瞳。いつだって凛と前を向き、『ノラ』の群に囲まれても少しも動じないまなざしが、今、怯えるように揺れている。

 こんな瞳は、今まで一度も見たことがない。

「ど、どうしたの? どこか具合でも……あっ! まだお腹が苦しいとか?」

「……違うよ」

 顔を背け、脇をすり抜けようとするジインの両腕を掴むと、ソラはその顔をまっすぐに見上げた。

「じゃあどうしてそんな顔してるんだよ! まさかほんとに竜が怖いわけじゃないだろ?」

「違う、けど」

「“けど”、何? いったいどうし……わっ!?」

 突然抱きすくめられ、ソラは驚いて目を瞬いた。

「な、何? どうしたの?」

 頭一つ背の高いジインに抱きしめられ、踵が浮いた状態になる。肩ごしに低い天井を見上げながら、ソラはおずおずと腕を回した。

「一体どうしたんだよ?」

 答える代わりに、背中の腕に力がこもる。抱き寄せる力とは裏腹に、LEDの光は弱々しく明滅を繰り返していた。

 頼りなく揺れる青白い光は、まるでジインの心を表すようで。

「――……」

「え?」

 ジインがなにか呟いた。それは、ソラにも聞き取れないほどかすかな声で。

「なに? 聞こえないよ、なんて言ったの?」

「……何でもないよ」

 衣擦れの音がして、温もりが離れる。深く息を吐いて、ジインが苦笑いした。

「ごめん。ほんとに何でもないから」

「何でもないわけないだろ。一体どうしたんだよ?」

 咎めるように睨むと、ジインは唇の片端を上げた。

「別に。ちょっと怖い話を思い出しただけだよ。……聞きたいか?」

「え」

 ソラの顔が強張るのを見て、今度はジインがにやりと笑う。

「さ、早く進もう。あー、腹減ったなあ」

 強引にその場を濁して再び歩き出した背中を、ソラは悔しげに睨んだ。

 怖い話を思い出した、だって?

「……うそつき」

 こうやって、肝心なところでジインはいつも線を引く。

 どうして隠すのだろう。

 どうして話してくれないのだろう。

 どうしてもっと、頼ってくれないのだろう。

 “子ども”だから? “弟”だから?

 いくら背丈が近づいても、一向に縮まらないその“距離”。

 こんな時は。

 ジインが、もう少し頼りなければよかったのにと。

 少しだけ、思う。




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