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01 はじまりのひとひら

 それは空から降ってきた。

 青空にぽつんと浮かんだ白い点。ひらひらと小刻みに震えながら、ゆっくりとこちらにむかって落ちてくる。

 虫かな、とソラは思った。チョウチョとかガとか、軽い羽と命をもった儚い生き物。しかし、だんだんとはっきり見えてきたそれは、どうやら虫ではないようだ。

 空に浮かぶ島影のほとんどが、今日は遠い。毎日せわしなく上空を飛び交う飛空船も、今はひとつも見当たらない。指先ほどの大きさのそれは、雲ひとつなく晴れ渡った空が背景でなければ、その存在に気づかなかったかもしれない。

 少しの風にも翻弄されるそれから目を離さないよう腕を伸ばすと、それは静かに手のひらにおさまった。

 紙のように薄っぺらで、とても軽い。

 しっとりとやわらかく、なんだか人の肌みたいだ。

 真っ白かと思ったが、よく見るとほんのり薄紅色をしている。

 やさしい色。やわらかい色。赤ん坊の肌みたいな色。

 この街ではあまり見かけない色だ。

 しあわせな気持ちに色があったら、きっとこんな色だろうと、ソラは思った。





挿絵(By みてみん)





 01 はじまりのひとひら


 たった今歩いてきた道を、ソラは飛ぶような速さで引き返した。

 両の手のひらをぴったりくっつけているので、走りにくいことこの上ない。腕が左右に揺れてしまい、なんだかなよなよした、変な走り方になってしまう。思いきり両手を振って走りたかったが、柔らかなひらひらを握りつぶしてしまうかもしれないので我慢した。

 ゴミなのかヒトなのか区別がつかない物体の横を駆け抜け、ひしゃげた金網を飛びこえる。ぐんぐんと後ろに流れていく灰色の街並は、今日も変わらず無愛想だ。

 いきおいよく角を曲がって、崩れかけたコンクリートの建物に駆け込むと、わずかに緑みがかった薄暗い空気がソラを包んだ。

 五階までを見上げる大きな吹き抜け。そこを満たす空気はコンクリートの粒子が混ざっているかのようにひんやりと冷たい。ガラスの抜け落ちた窓から差し込む光の帯に、きらきらと細かなほこりが舞っている。

 ここが今日の待ち合わせ場所だ。

「ジイン!」

 ジインはもう来ているだろうか。手際のいいジインのことだから、運が良ければもう一つ二つの“仕事”を終えて、ここで勘定をしているはずだ。今朝、住処の前でわかれた相手が先に到着していることを願いつつ、ソラはその名を無遠慮に呼び散らした。

「ジイン、ジイン、ジイン! ジインってばーっ!」

「うるさいな、なんだよ!」

 二階の通路から不機嫌な声とともに黒髪の少年が顔を出す。おさえきれない興奮に瞳を輝かせながら、ソラは両手をつき上げた。

「これ見て!」

「ああ? なんだよいったい……竜のウロコでも拾ったのか?」

 手にしていた財布を一階へ投げ捨てると、ジインはくるりと体を一回転させて二階の高さから身軽に飛びおりた。重力を感じさせない着地音を聞いて、“力”を使ったなとソラは思った。

「おまえ、頼んだ買い物はどうしたんだよ?」

「そんなことより、ほら、これ!」

 ジインの白い指先が、汗ばんだ手のひらからそれをつまみ上げる。その双眸が、すうっとわずかに細められた。

「……花びら?」

「だよね!? やっぱりそうだ」

「どこで見つけた?」

「劇場前の通り」

 注意深く花びらを観察していたジインの眉が途端につり上がる。

「おまえ、あそこには近づくなって言ったろ!」

「大丈夫だよ。だれもいなかった。ちゃんと確認したもん!」

 昔は劇場だったという大きな廃墟には最近怪しげな連中が出入りしていた。

 大人は危険だ。大人はすぐ怒るし、暴力をふるう。悪いことを考えつくのはたいてい大人で、犠牲になるのはたいてい子どもだ。よれよれの浮浪者ならともかく、この街で上等な服を着ている大人などは裏で悪いことをしているに決まっている。

 面倒ごとに巻き込まれたくなければ大人には近づかないほうがいいというのが、この街の『ノラ』……家や親をもたない子どもたちの常識だ。

 形よい眉をひそめて、ジインが声を落とした。

「おまえも見ただろ? あいつら銃を持ってる。その辺のマヌケなチンピラとは違うんだ。誰もいないからってひとりであそこを通るな。だいたいおまえは……」

「わかったよ、わかった! それよりさ、どうする?」

 ジインの小言をさえぎり、ソラはじれったそうに足を踏み鳴らした。

 花は新市街の贅沢品だ。旧市街でも羽振りの良い花街あたりなら高値で取引されているらしいが、ここ『貧困街』(スラム)で本物の花を見ることはまずない。きれいなだけで腹の足しにならないものに金を払える人間はここにはいないし、コンクリートで固められたこの街に自生する植物といえば蔦や苔やしなびた雑草ぐらいで、それらは路地の隅で慎ましくたくましく生きていたりするけれど、花らしい花をつけることはごくごく稀だった。

 この花びらがどこから飛んできたのかはわからない。けれどもしこの街のどこかで、こんなにきれいな色の花が人知れず咲いているとしたら――……。

「高く売れるかな?」

 ソラの言葉に、ジインがにやりと笑う。手のひらに花びらを戻すと、その手でソラの金髪をくしゃくしゃと撫でまわした。

 “よくやった”の合図だ。

 誇らしさでソラの頬が朱に染まる。

 ジインのつま先が床の財布を器用に蹴り上げた。中身を抜き取った財布は、空中で何の前触れもなく燃え上がる。薄っぺらい安物の財布は、床に落ちる寸前にわずかな灰を散らして消滅した。

 コートのポケットに手をつっこみ、踊るようにくるりと身をひるがえすと、ジインは夜色の瞳にいたずらな光を宿して言った。

「行くぞ……宝探しだ」




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