第6話 いや、だから、説明したじゃん!
その日の夕方、ルクシアは馬と一緒に町の北門にいた。
メラルの町は城塞都市で、町を城壁がぐるりと囲んでいる。町の出入り口は北側と南側の二か所だけ。そのうち、国境に当たる南側に騎士団の施設を配置していた。南側から野獣が来ることが多いからだ。
町の人は基本的に北門を利用し、商人など国境沿いを移動してくる人が南門を利用する。
「中隊長、来ましたよ」
城門の上から見張り役の騎士が声をかけた。
誰が来たか。
シンディ曰く「嫌な奴」。第五師団大隊長のひとり、バルド・ハーゲンである。
大きな馬車を先頭に馬に乗った騎士たちが続いている。大荷物なのか荷馬車も引き連れてきた。
(貴族としての視察のおつもりなのかしら?)
ルクシアは内心、呆れてしまった。
今回の目的は合同演習。
馬に騎乗してくるならわかるが、わざわざ馬車で来る意味がわからない。しかも、豪華絢爛な装飾が施された馬車だ。騎士団の仕事で使うようなものではない。相変わらず、ズレた感覚の持ち主である。
降りてくる様子もなく、馬車の窓が開いた。鼻の下に伸ばした髭を撫でるバルドが顔を出す。
「出迎えご苦労、オルディアーノ中隊長」
「とんでもございません。長旅お連れ様でございます」
バルドは見下すような目でルクシアをみやるが、当のルクシアは軽く頭を下げて視線を合わせない。ふんと鼻を鳴らし、続ける。
「宿はあるのだろうな」
「もちろんでございます。皆様で貸切にしておりますので、ごゆるりとお休みください」
「このような田舎町の宿などたかが知れているが、仕方あるまい」
ルクシアが丁寧に答えると、バルドはどこか不満げに返す。後ろの騎士たちからも嘲りの笑いが起きた。
――だったら来るな。面倒くさい。
ルクシアは言いかけて何とか喉の奥に引っ込めた。危ない危ない。
素早く馬にまたがり、大隊長の部隊を先導する。馬の蹄の音が町のざわめきに溶けた。
町の中心を通る大通りを闊歩する騎士団を町の人は珍しそうに見ていた。オルディアーノ中隊はこんな仰々しい行列を作ったりしない。
ルクシアですら乗らない豪華な馬車に子供たちは興味津々だ。近づきそうになる我が子を親は慌てて止める。
「中隊長、馬に乗れたんだね」
ひとりの少年が母に小さく耳打ちした。移動はほとんどシリウスに乗っているため、町の人たちはルクシアが馬にまたがっているところを見たことがない。
確かにシリウスのほうが乗り慣れてはいるが、どちらも乗りこなせる。むしろ、馬は好きだ。
母は息子をたしなめるように「しー」とジェスチャーを返した。
ルクシアが案内したのは町で一番大きな宿。演習に参加するのは三十人程度のようだが、このくらいしないと満足しないのがハーゲン大隊の貴族子息たちだ。
どうせ文句は言われるのは目に見えていても、形の上では気を遣った素振りを見せなければならない。何とも面倒だ。
彼らを宿に押し込め、明日の標的の説明をして、ルクシアは宿舎へ帰る。馬を厩舎に戻し、ひと撫でして食堂へ足を向けた。
「あ、中隊長! お疲れ様です」
「大丈夫でした? あいつら、大人しく宿に入りました?」
食堂で夕食を摂っていた隊員たちがルクシアに声をかける。
ルクシアは黙ったまま、座っているエミリアを後ろから抱きしめた。エミリアは嫌がる素振りを見せることなく、ポンポンとルクシアの腕を優しく叩いた。
「頑張りましたね、中隊長。偉いですよ」
ルクシアは「う~」と唸りながらエミリアの頭に頬を乗せる。だいぶ、精神をすり減らしたらしい。自分の従魔をはじめ、兄のモフモフな従魔たちに囲まれて育った彼女は疲れると癒しを求めてくっつく癖がある。
部下たちに対しても、女性限定でこうやってくっつく。
普段は可愛がられる側のエミリアもこういう時は可愛がる側に回る。稀にこんなことをするから、年上の女性でも上官を可愛いと思ってしまうのであった。
「中隊長、セクハラで訴えられますよ」
そんな上官をベリッと引きはがす者が現れた。ジェラルドである。
「私は構いませんよ~」
「中隊長の教育に悪い」
エミリアは笑って返すが、ジェラルドはぴしゃりと言い切った。さすが中隊のオカン。
すると、メイドのエルマーナがルクシアの分の食事を持ってきた。
「お嬢様、まず食べましょう。いつ難癖付けて呼び出されるかわかりませんよ」
ルクシアはハァと息を吐きだして席に着いた。エルマーナの言う通り、いつ呼び出しがあるかわかったものではない。夕飯のシチューを黙々と口に運ぶ。
厨房で働いている人たちもちょっと心配そうにルクシアの様子をうかがっていた。明日からの演習を中隊の皆が憂鬱そうにしていたのは厨房の中から見ている。
これを終えたら、平穏な日々に戻る。
これを終えたら、休み取るんだ。
これを終えたら、これを終えたら……。
そんな空気がどうしても出てしまう。
「演習が終わったらまた美味しい肉料理を出してあげましょう」
厨房の中で心が一つになった。
「これが終わったらケイトのお店のパンケーキをお腹いっぱい食べますわ」
ルクシアが何かを決心したように声を絞り出した。中身はささやかな願望だが、彼女には重大な決意である。
この時だけは、誰も「体重は大丈夫ですか?」とは言えなかった。ささやかな望みこそ、頑張れる原動力になる。
憧れのふわふわパンケーキ。アイスも乗せてもらおう。はちみつもたっぷりかけて、生クリームも欲しい。
ささやかだった願いがどんどん膨れ上がっていく。
しかし、パンパンと手を打ち鳴らす音にかき消された。
「今日はちゃんと寝るんだぞ。今月の正念場だ」
皆に喝を入れたのはもちろんオカン……ジェラルドだった。
隊員たちは互いを励まし合いながら自室へ戻っていく。食事が残っている者はそのまま食べ続けた。
ジェラルドはルクシアの前の席に腰かける。
「何事もなく終わればいいんですが。さすがに野外訓練と言い出したのは初めてですからね」
「もうピクニックだと思っていきましょう」
ジェラルドの言葉に、ルクシアは遠い目をして答えた。
もし、ケガ人が出ても弱い奴が悪いんだ、ということにしよう。ここは変異種の多発地域。弱肉強食の地。
向こうも知っているはずだ。そう、そのはずだ。
「明日のお天気も晴れだといいのですけれど」
ルクシアは藍色に染まりかけている外を見ながら呟いた。
河原に行くのだから晴れているほうが良い。増水の心配はないし、足を滑らせることもない。
泥が跳ねたくらいで文句を言うお坊ちゃんたちだ。世話が大変になる。
明日が晴れることを願って、ルクシアはパンを頬張った。
翌朝、予定の時刻にオルディアーノ中隊は準備を整えていた。最低限の見張りを残し、全員が揃っている。
しかし、ハーゲン大隊の姿がなかった。迎えに行ったルクシアもまだ来ない。
「あいつらどんだけ準備に時間かかってんだよ」
ギャリックが苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てる。ガリガリと金髪をかいた。彼にしては珍しくキッチリ起きたのだ。いつもの朝は半分眠っている。
「お貴族様は支度に時間がかかるんだろ」
「いや、貴族でもちゃんと時間は守りますよ」
マクシムが投げやりに答えるが、アランが思わずツッコミを入れた。貴族が皆、時間を守らないと思われるのは心外だ。
ギャリックの馬の上にはシンディが乗っている。今回は彼についているよう言われたのだ。貴族嫌いのギャリックはあまり大隊の人間に近づかないだろうと思ってのことだった。
シンディも不満げに「ギィギィ」と唸る。
ジェラルドは何となく空を見上げた。日差しがない曇り空だ。今のところ、雨は降りそうにない。
だが、西の空に目をやると黒い雲が漂っている。天気が崩れるかもしれないな、と彼の表情が険しくなった。
ようやく、彼らがやってきたのは予定時間を大幅に遅れた頃だった。
「それでは行こうか、諸君」
馬に乗ったバルドは何事もなかったかのように促した。詫びの一言もない。
一緒にいるルクシアの顔を見て、中隊の面々は口を閉ざした。既に怒っている。表情は笑みを浮かべているが、絶対に怒っている。
――ぶん殴りたい。
ルクシアの顔にはそう書いてあった。彼女が耐えているのに騒ぐわけにもいかないと中隊はグッと堪える。
――さっさと終わらせよう。
オルディアーノ中隊はサッと目配せし合った。無言のまま、馬に跨る。
それを確認して、ルクシアが最初に馬を動かした。すぐ後ろにジェラルドが続く。いつもよりも大所帯の移動が始まった。
草地を抜け、林を抜け、また草地に戻る。しばらく進むと川のせせらぎが聞こえてきた。
目的地のクアオ川だ。
広くもなく浅い川のため、水を求めて多くの野獣がやってくる。
出発が遅くなったこともあり、目的のジュエルタートルがすでに水を飲みにやってきていた。今日は一匹だけのようだ。
「ここが目的地ですわ。そしてあれが今回の標的、ジュエルタートルです」
ルクシアがジュエルタートルを指さした。ジュエルタートルは様々な色の宝石を甲羅から生やしている。曇り空の下でもわかる鮮やかさだ。
それを見たハーゲン大隊から歓声が上がる。見慣れているオルディアーノ中隊は何に喜んでいるのかわからない。指示が出る前から武器を構えてだして勇み足もいいところだ。
自身の隊の士気が高いと思っているのか、バルドは口元に弧を描いた。
「よし、お前たち行け!」
何とも雑な号令をかける。ハーゲン大隊は雄たけびを上げながら馬を走らせた。
――いや、ちょっと待て。
オルディアーノ中隊は硬直した。ただ突っ込んだだけで倒せる相手ではない。昨日、ルクシアから説明されたことを聞いていなかったのか。
「おやおや、そちらの部隊は随分とのんびりだな」
バルドは小バカにしたように嘲る。
ため息をつきたいのを我慢してルクシアは部下たちに目配せした。一同は頷いて馬を降りた。シンディはぴょいとギャリックの背中に張り付いた。ルクシアも馬から降りて、河原を見回す。
ハーゲン大隊が早速ジュエルタートルの固い宝石に攻撃を弾かれている。武器でダメなら魔法で、とそれぞれの得意な魔法を放っているが、それも効かない。効くはずもない。
ジュエルタートルの防御力はこの一帯では随一なのだ。
と、ルクシアが説明したはずなのだが頭に入っていなかったらしい。倒し方も覚えてはいないだろう。
仕方ないと顔をしかめつつ、ルクシアが指示を出す。
「ジェラルド、こちらは大丈夫です。皆様の援護を」
「……わかりました」
ジェラルドは一瞬だけ不安そうな顔をして頷いた。彼が合図をすると、オルディアーノ中隊は動き出した。各々の武器を手に川の方へ向かう。足取りは心なしか重い。
「ん? ノワールウルフがいないようだが?」
バルドはわざとらしく聞いてきた。
「砦の護衛につけております」
ルクシアは簡潔に答える。シリウスを砦の居残り組と残してきたのは本当だ。
バルドは不服そうな表情を浮かべたが、それ以上追及してくることはなかった。
オルディアーノ中隊が加勢すると、ハーゲン大隊は手柄を横取りされるまいと躍起になった。露骨に攻撃の邪魔までしてくる者までいる。遠目でもわかるそれにルクシアの口元が歪んだ。
攻撃を妨害されたマクシムはじろりと睨みつけた。睨まれた青年は小さな悲鳴を上げて数歩下がる。実戦経験の差は視線にすら表れていた。
苛立ちが限界を超えそうなギャリックがジェラルドに耳打ちした。
「邪魔くさいからまとめてぶっ飛ばしていいか?」
「あとが面倒だからやめろ」
副官の答えにギャリックは口をへの字に曲げる。その背中でシンディも「ギュィ」と不満の声を上げた。
誰を攻撃しているのかわからない状況が数分間、続いた。
ルクシアがバズーカ砲を一発お見舞いしてやろうかと考え始めたその時、背後から大きな気配を感じた。背筋を寒気が走る。ルクシアは弾かれたように振り返った。条件反射で剣の柄に手をかける。
突然、ルクシアが動いたためバルドは慌てた。
「な、何事だ!?」
バルドは馬上から怒鳴り声を上げる。しかし、ルクシアは答えなかった。気配を探るほうが先決だ。
彼女の視線の先にあるのは森の入り口。その中から背筋をざわつかせる何かを感じる。
雨がぽつぽつ落ちてきた。ジェラルドが心配していた通り、天気が崩れ始める。
メキメキと枝葉が折れる音が森から聞こえてきた。同時に重い足音も。聞きなれないその音に、ルクシアは眉をひそめる。
野獣の気配をようやく感じたらしきバルドは悲鳴を上げて手綱を振り回す。どこに行きたいのかわからない手綱さばきに馬が混乱するような声を上げた。
低い唸り声を上げて姿を現したのは熊の野獣、ハニーベアだった。息は荒く、まだ距離のあるルクシアのところにまで息遣いが聞こえてくる。
通常個体は全身真っ黒な硬い毛に覆われており、成体の雄でも一メートルちょっとの比較的小柄な熊だ。ただ可愛い名前と小さい身体に反して気性が激しい一面もある。
現れた個体は通常のサイズの三倍は大きい。さらに頭から背中を鮮やかな赤い毛並みが覆っている。見たことがないハニーベアだった。
変異種だ。
ルクシアは直感的にそう判断した。
だが、様子がおかしい。今まで見てきたどんなに強そうな変異種でも、こんな禍々しい気配を感じたことはない。
小雨が降り始めた河原に、熊の咆哮が轟いた。
つづく
説明したのに後から聞いてないとか言われるのよくある話すぎてツライ




