忘却薬「アムネシア」の悲劇・上
明依はぼんやりとしたまま天井を見上げた。
その天井は見慣れているようで、なんだか見慣れない気がする。
それからすぐ、ここは満月屋の自分の座敷の中だと理解した。
どうして自分の座敷の中で眠っているんだろう。
いやいや、自分の座敷なんだから、そこで眠っているのは何もおかしいことじゃない。
側にいる誰かが何かを言っている。しかし今の明依は、音を言葉として脳内で処理できるまで覚醒しきっていなかった。
起きないと。そう思った明依は、自分の身体の状況を考慮するより前に身体を起こした。
畳か布団についたと思い込んでいる明依の手は自分の帯を踏んで、衣擦れの音を響かせながらあっさりと解ける。
肩を滑る着物をとっさに肩口で抑えた明依は、自分が今見ているものが布団なのか畳なのかもよくわからないくらいにぼんやりしたままうつむいている。
頭が痛い、気がする。完全に目覚めていない体は、痛みを何となくの感覚としてだけ伝えていた。
座敷の中。はだけた着物。頭痛。
そうか、客を取った後か。
そう結論付けて、明依は全く覚醒しきっていない頭で隣にいる人間を見た。
先ほどからずっと、側で何かを言っている。
声の響きや動きからきっと若い子だろうという、ぼんやりとした印象。
廓遊びは始めてだろうか。誰かに連れられて吉原の裏側に遊びに来たとか。
だったら、リードしてあげないと――
「緊張してるの?」
まだぼんやりしていることをなるべく感じさせないように、自分が発する音に注意を払うのは、プロ意識。
「かわいい」
明依はそう言うと、顔もよく認識できない〝客〟の頬に手を当てた。
緊張を解いてあげないと。座敷はいつでも、遊女の独壇場でなければいけないから。
「起きたな。様子はおかしいけど、ほぼいつも通りだろ」
座敷の入り口に立つ梅雨がぼそりと呟く。
しかし、座敷の中は完全に客と自分の二人きりの世界だと思い込んでいる明依は、梅雨の呟きには気づかない。
入口に立つ梅雨と起きた明依の真ん中あたりには、終夜と星乃が二人並んで立っている。
明依は自分が口説き落とそうとしている〝客〟が、まさか自分が倒れて心配している雪だとはこれっぽっちも思わずに、ぼんやりしたままでいる。
「かなり深く眠るから、いきなり覚醒して寝ぼけているのかも」
そういった星乃の言葉は明依どころか、隣にいる終夜にすら届いていないようだ。終夜はぽかんと口を開けて、明らかにいつもと違う明依の様子を見ていた。
「明依のアレなんだけどさ」
終夜は明依から目をそらさずに指をさす。星乃は冷静な様子で明依から終夜へと視線を移した。
「俺にだけああなるようにできない?」
終夜の言葉を聞き終えて、星乃はまた冷静に明依に視線を戻す。
「できるよ」
「して」
「いいよ」
「いい訳ないだろ」
終夜と星乃のやり取りに終止符を打ったのは梅雨の一声だった。
「お前もテキトーに返事をするな、星乃」
「だって面白そうだったから」
梅雨の言葉に星乃は表情を変えずに明依を見ている。
梅雨は変人の相手はめんどくさいとばかりにため息を吐き捨て、終夜と星乃の隣を通り過ぎて明依の元へと移動した。
「おい、しっかりしろ。変な薬飲まされるぞ」
梅雨はそう言って明依の額をそこそこ強めに叩いた。
「痛っ」
明依は物理的な痛みに額を抑えて、それから俯いた。
「もう、梅雨ちゃん! 明依お姉ちゃんに乱暴なことしないで!」
「梅雨ちゃんって言うな!」
すぐそばで聞こえる二人分の声が鼓膜を大きく揺らして、同時に脳みそまで揺さぶられているような錯覚に陥っていた。
二日酔いで、寝ぼけていたのか。
それにしては、いつも以上に身体が重い。
「頭痛あ……」
なんだ、雪だったのか。客じゃなくてよかった、という気持ちは形にならないまま。明依は頭を抱えながら首の位置を移動させて痛みを逃すよう努めた。
よく考えれば、二日酔いになるほど飲む機会なんて、もう滅多にない。
遊女は何年も前に引退しているんだから。
じゃあ一体、どうしてこんなところで寝ているんだろう。
まだ、よく思い出せない。思い出せないが、脳みその機能の低下は本当に恐ろしい。
辛そうに眉を潜める明依の様子を、終夜と星乃は少し離れたところから見ていた。
「何事もなさそうだね」
「見た目はね」
終夜の声に星乃はさらりとした言葉で返事をする。終夜は明依から星乃に視線を移した。
「……どういう意味?」
星乃は少し時間を空けてから、明依を見たまま口を開く。
「星乃ちゃんもいたんだ」
しかし星乃が終夜の問いに答えるより前に、明依の声が響いた。
星乃はまるで何事もなかったかのように、ほんの少し表情を柔らかくする。
「明依が心配だったから」
星乃の羞恥心のないシンプルな言葉にキュンとした明依は、思わず「星乃ちゃん……」と呟いた。
「……なに喜んでるんだ。気持ち悪い」
まるで恋をした女子中学生のような反応をする明依に、梅雨はげんなりした表情を浮かべる。
「いや、だってさあー。私って幸せ者だよなーって思ってさあー。心配してくれる友達がいてさあー」
「ところで明依。私が渡した薬、もう飲んだ?」
「えっ、薬?……ああ、うん。飲んだよ。……それがどうしたの?」
「私が誰だかわかる?」
「……星乃ちゃんでしょ?」
星乃は何も答えない。
もしかして〝地獄大夫〟という通り名とか、遊女時代の名前の源氏名〝乙星〟とか。
本名以外が正解だったのだろうか。
「この人は?」
正解かどうかも教えてもらえないまま、星乃は梅雨を指差した。
「梅雨ちゃん」
「だーから! 梅雨ちゃんって、」
「じゃあ、私は?」
遊びだと思ったのか、雪は笑顔で自分を指差した。
「雪」
明依がそう言うと、雪は嬉しそうに笑って明依を抱きしめた。
ああかわいいかわいい。幸せが過ぎる。と思いながら明依は雪を抱きしめ返して、愛犬を可愛がる飼い主レベルで雪へのよしよしを堪能していた。
「じゃあ、この人は?」
明依が雪と戯れている中、星乃は自分の隣にいる終夜を指さした。
明依はぴたりと動きを止めた。
星乃の隣には道端ではちょっとやそっとじゃお目にかかれないイケメンが立っていた。
客か? もしかするとこのイケメンと座敷入りしていて気を失ったとか。それで雪が心配して。いやいや、遊女はとっくに引退しているんだからそんなはずはない。満月屋の関係者か? いや、楼主とかの運営側ということはないだろう。どう考えても陰間上流階級の顔だ。いやでも、実際に宵は陰間上流階級でも問題なくやっていける顔で楼主をやっていた訳で。
「ええっと……」
つまり、〝誰だ。このイケメン〟を失礼なく、過不足なく伝える方法を明依の頭は模索していた。
終夜の目が、徐々に見開かれていく。
星乃は先ほどよりも少しけわしい顔つきで明依を見た。
「……明依。この人、今の裏の頭領なんだけど」
それを先に言ってくれよ。と思った明依は星乃の言葉を聞き終えてすぐ、勢いよく着物を整えながら立ち上がった。
「お初にお目にかかります、裏の頭領さま。こんな格好で申し訳ありません」
そう言いながら、明依は終夜の元へ歩いて右手を差し出した。
「……薬の名前は?」
終夜は明依の手を取らず、どこに話しかけているのかもわからない様子でぼそりと呟いた。
「〝アムネシア〟」
「……最悪なんだけど」
終夜はそう言うと、ゆっくりと息を吐いた。
不穏な空気を感じ取った梅雨は、ほんの少し眉間に皺を寄せて終夜を見る。
「なんだ? その〝アムネシア〟って」
「〝記憶喪失〟って意味の医学用語だよ」
「記憶喪失……?」
梅雨はそう言うと信じられないという表情で明依を見る。
しかし明依には、誰が何の話をしているのか全く理解できずにいた。
いったい誰が記憶喪失というのだろう。よく分からないが、裏の頭領さまは差し出しているこの右手には興味がないということなのだろう。
そう思った明依がそろそろ痛くなってきた腕を引っ込めようとした頃、終夜は明依に左手を差し出した。
明依は差し出された左手をじっと見つめた。
ねえ、どうして? 右手を出しているのにどうしてわざわざ左手を差し出すの? もしかして物凄く性格が悪いタイプのイケメンなの? そう思いながら観察していると、すぐに左手の薬指に輝く指輪があることに気付いた。
ああ、既婚者かあ、クソ~……というくだらない気持ちになる。
そして、冷静に自分には関係ないと納得して、それからいやでも裏の頭領の奥さんって普通に気になる。と、いろんなことが頭の中を回って、心の内側も騒がしい。
明依は仕方なく、痛くなりつつある右手を引っ込めて左手を出した。
「えっ……?」
明依は自分の左手薬指に飾られていた彼と全く同じ指輪を見て、思わず呟いた。
しかし誰も、この驚きに共感してくれる人はいない。
「……どういうことですか?」
きっと、何かがおかしい。
そう思いながら、明依は他の誰でもなく、目の前にいる終夜に視線を移した。
しかし当の終夜は呆然とした様子で立っているだけ。
寝ている間につけられた? いろいろと大人の事情が起きたあと、寝ている間に。いやだから、もう遊女はとっくに引退していて。
そもそも、だ。こんなイケメンに選んでもらえるほどの器量が自分にあるとは到底思えない。どんな理由があるのかは知らないが〝気に入ってもらっている〟という事実さえ非現実的だ。
つまり結論は一つしかなくて。
「もしかして――」
明依は、終夜の目をしっかりと見た。
「――結婚詐欺ですか?」
「……結婚詐欺」
明依の放った一言で、ド直球ド真ん中を貫かれた終夜はぼそりと呟き、目をとじて無になり、息を吸いながら天井を仰いだ。
終夜の様子を疑り深く観察することに精一杯の明依は、驚いている雪も、結婚詐欺と終夜を結び付けて笑いを堪えている梅雨も目に入らない。
「でも、あなた多分、結婚詐欺には向いてないと思います」
「……一応聞くけどなんで?」
終夜は戦意喪失しているのか、気を抜いた気だるげな様子で言う。
えっ、ダルそうなところもイケメン。と思いながらも正気を保ち、明依はすっと息を吸った。
「顔が良すぎるんです! 〝こんなイケメンが私のこと好きになるわけないかー〟って絶っ対に警戒されるから、結婚詐欺はやめた方がいいと思います」
「ああいうのは多分、普通の顔の人だから成り立つと思うんですよね」と持論を展開し出す明依をよそに、終夜は何か言いたげに口を開いたが、すぐに閉ざして息を深く吐き捨てた。
星乃は一連の終夜の様子をじっくりと観察し終えてから口を開いた。
「〝明依にこんな直接的に顔を褒められたのは初めてかも。でも複雑〟って気持ち」
星乃は得意の人間分析を呟く。改めて終夜を見た明依は、彼のあまりの落胆っぷりに気付いて焦り、大して考えもせずに口を開く。
「あの、申し訳ないです……本当に。打ちのめしてしまって、というか、一方的に言葉の暴力をふるってしまって……。私はあまり気にしていないというか……っていうか、裏の頭領さまなんですよね。よく分からないけど……こういうこともありますよね!」
意味の分からないところに無理矢理着地させようとする明依の努力を、誰一人拾ってくれることはなかった。
「明依。落ち着いて聞いてほしいんだけど」
現状が何一つ理解できずにさらに焦り出した明依を制止するような星乃の呼びかけに、明依は救いの手が来たと思わず笑顔になって「うん。わかった」と言いながらしっかりと頷いた。
「明依ね、記憶喪失なの」
打ち払ったように静かになる。
頭の中も、それから座敷の中も。
星乃の放った言葉から導き出だされる結論を待っているみたいに。
「……記憶喪失? 私が?」
やっとのことで呟く明依に、星乃は大きく一度頷いた。
「私は体調が悪いって言う明依に薬を出したの」
「それは覚えてるけど……」
「その時、間違えて私が研究中だった薬を持って行った」
「……何の薬?」
「思い出を忘れる薬」
真剣な顔つきの星乃が嘘をついているようには見えなくて。
しかし、あまりにも実感がなさ過ぎて。
「私とした話の内容を思い出せないでしょう」
そう言われて、考えてみる。
しかし答えは見つからない。よく考えれば思い出せるような気がして。だけど手が届かない。
まるで話したい内容は見つかっているのに、言葉が見つからない様な。そんな感覚。
「終夜に関わることだけ、綺麗に全部忘れてる」
明依は呆然としたまま、自分の中に本来あるはずと言われた思い出、終夜を見た。
吉原に来たこと。
満月屋で過ごしたこと。
何の齟齬もなく、自分の中に記憶がある。
でもその記憶の中に、彼はいない。
そう断言できるはずなのに、冷静に事の顛末を見守る梅雨も、真剣な表情の星乃も、驚いている雪も、感情を意図的に消したように立っている終夜という彼も、誰一人嘘をついている様子には見えなくて。
他人が知っていて自分だけが知らない部分が自分にあることが、不気味だった。
「……裏の頭領と私が、どうしてお知り合いに?」
努めて冷静に、終夜という男に明依は問いかける。
しかし、彼は答えない。
終夜が瞬きをしたあと、しっかりと目が合った。
何の感情も読み取れない、読み取らせるつもりもない顔。
明依は息を吐くと同時に、顔の表情を少し引き締める。それから差しさわりのない笑顔を作りながら、視線を終夜から自分の左薬指に移した。
「人違いじゃないですか? そっくりさんとか……」
右手で指輪を外そうとした。はずなのに、気付けばその右手は、終夜によってしっかりと握られていた。
急に手を握られた驚きは、手を握られたという事実の後でゆっくりとやってくる。
ドクドクと心臓がうるさい。
もしこの人が刃物か何かを持っていたら、きっと今頃気づかずに死んでいるのだろうと、直感でそう思った。
明依はゆっくりと終夜の顔を見る。
俯いて手元を見る彼の無表情は、とても悲しそうで。
しかしその表情は、彼が下を向いたことで前髪に隠れて見えなくなった。
「……今すぐにどうにかして」
「どうにかしないと」
星乃は終夜の言葉を聞いていたのか、聞いていなかったのか。呟きながらさっさと踵を返す。
「おい! こっちはどうすればいいんだ!」
「無理のない範囲で、思い出しそうなところを回ってみて」
星乃から梅雨への返事は、彼女が廊下の向こうに消えた後にかすかに聞こえた。
握られている右手への力が緩んでいることを確認して、明依はゆっくりと終夜から手をはなす。終夜は脱力したように腕を下ろした。
「明依お姉ちゃん、本当に終夜のこと忘れちゃったの……?」
まるで自分が傷ついたみたいに、雪は言う。
思い出せない。
どうして自分が彼を忘れることで雪がこんなに悲しそうな顔をするのか、全然思い出せない。
夢でも見ているのだろうか。
違う世界にでも迷い込んでしまったのだろうか。
そう考えるのは間違いなく、現実逃避。
よほど大きなことがあったのだろうか。〝終夜〟と〝明依〟の間には。
明依はもう一度、終夜を見た。しかし雪に腕を握られて、視線は定まることなく雪に移る。
「あのね! 明依お姉ちゃん、雪に会いに満月屋に来てくれたんだよ! その後に薬を飲んで倒れちゃってね……」
雪は必死になって、自分が知っている限りのことを明依に伝えようとしていた。
雪の様子を見た梅雨は、未だにぼんやりと立ちすくむ終夜のもとへ歩いた。
「大丈夫か」
「ねえ、梅雨。聞いてくれる?」
明依と雪をぼんやりと見ながら、終夜はぼそりと呟く。
「……頭、おかしくなりそうなんだ」
珍しく弱音を吐く終夜を、梅雨は作り物の無表情で見ていた。
「誰も悪くないってわかってるんだよ」
梅雨の優しさに甘えようと思ったのか、終夜は一方的に口を開く。
「明依も薬を勘違いして飲んだだけだし、星乃もわざとじゃない。だから、タイミングが悪かっただけってこともわかってる。……でも、忘れられてるっていう事実が普通に無理。もし明依に記憶が戻らなかったら……」
「……終夜」
声を震わせる終夜に、梅雨はさすがに憐れんだ表情を見せた。
「もし明依に記憶が戻らなかったら……明依を殺して俺も死なないといけない」
梅雨は憐れんだ表情を一瞬で引っ込めて、冷静に終夜を見た。
「なんでそうなった?」
「俺が死んだら吉原は混乱して、せっかく作ってきたルートが崩れる。もしそんなことになったらどれだけの人数が路頭に迷うと思う?」
「……お前。黎明が絡むとバカになるのか?」
吉原の権限の全て終夜ひとりにある状況をよく知る梅雨は、ドン引きしたような表情で終夜を見るが、当の彼は真っ直ぐな目をしている。
「こんなところにいても何もならないよ。星乃の言う通り、引っ掛かりができれば何か思い出すかもしれない。とりあえず、街を見て回ろう」
「ちょっと待て! なんか俺も一緒にいくみたいに、」
「ねえ、明依」
梅雨の言葉を遮って、終夜は笑顔で明依の名前を呼ぶ。
「……はい」
しかし明依から帰ってきた返事は、警戒を先ほどよりもいっそう強めた声色の一言だった。
終夜は笑顔のまま一瞬静止して、それから何事もなかったかのように口を開いた。
「吉原の街を見て回ろう。何か思い出すかもしれないし」
えっ、まじ? アンタと? 二人で? という感情が隠しきれていない明依を見た終夜は、綺麗な笑顔をつくっている。
明依は雪を見る。決心をしたような顔をして目を輝かせる雪からは〝明依お姉ちゃん、頑張ってね〟という視線を感じ、ちらりと見た梅雨はめんどくさいという顔をしている。
「わかりました。……終夜、さま」
「……終夜でいいよ」
「裏の頭領さまを呼び捨てはちょっと……」
「いいから」
「じゃあ……終夜、さん」
「終夜さん……?」
終夜がぼそりと呟いた声は冷たい。
もしかして地雷を踏んだかと思ったが、もう振り切ってしまっている明依は〝でも忘れているならどうしようもないし。っていうかこれくらいでキレるなよ、短気かよ〟と開き直りさえしていた。
雪はそんな二人を交互に見て、それから焦った様子で口を開いた。
「うん! いいんじゃないかな、ねっ、終夜。なんか、距離はあるように見えるけど、無理はいけないし」
「……無理」
雪の言葉に終夜は俯いてぼそりと呟く。終夜の様子を見た雪はさらに焦った様子を見せた。
「フォローになってないどころか大打撃だな」
雪の頑張りが報われないところが愛らしくいじめたくなったのか。梅雨が茶化して告げると、雪はもっと焦った様子を見せた。
「そういう意味じゃなくて!!」
「じゃあどういう意味なんだよ」
「もう、終夜をいじめないで、梅雨ちゃん!」
「梅雨ちゃんって言うな!! お前、最近黎明に似てきたんじゃないのか!」
二人の騒ぎに苦笑いを浮かべた明依がふと終夜を見ると、彼は貼り付けたような綺麗な笑顔を浮かべていた。
「うん、いいよ。〝終夜さん〟で。明依が呼びやすいなら」
怖いくらい綺麗な笑顔に、明依はこくりと頷いた。
「……はい」
さらに不審がる明依と終夜の間に走る沈黙。
彼の貼り付けた笑顔に、〝早く動けよ〟〝行くって言ってるだろ〟という言葉を感じ取った明依は、雪に「行ってくるね」と告げてから警戒した様子で終夜の隣を通り過ぎる。
その間も、終夜は終始笑顔を貼り付けていた。
梅雨は明依が通り過ぎるのを待ってから終夜を見た。
「……お前ら二人で行けばいいだろ!」
「明依が不安そうだし」
「知るか。何で俺まで! 雪を連れて行けばいいだろ」
「なんだかんだ言って心配してくれてるんでしょ。人助けだと思ってよ」
終夜が軽い口調でそう言うと、梅雨は言葉に詰まってから不機嫌そうに終夜を睨んで、それから歩き出した。
「……昼までだぞ。昼過ぎたら俺は帰るからな」
梅雨はそう言うと明依に続いて座敷を出て歩いた。