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出発

 頭上には無限に広がる青空、目下には無尽に連なる砂の大洋、それがこの世界のすべてだ。

 王都を出発してまだ数時間ほどだが、来し方を振り返ってもすでに都市を囲む壁は地平線のかなたに消えてしまった。私たち一行は今や完全に、茫漠たる砂の海を漂う孤独な冒険家だ。

 砂丘は、砂嵐によって刻一刻とその景観を変えていくため、私たちの道標になるのは羅針盤と規則正しく運動する天体のみである。


 生まれてから今までをずっとオアシス都市国家アノマリアの中で過ごし、都市を砂嵐から守る防壁越しにしか砂漠を見たことのない私にとっては、見渡す限り砂で囲まれた景色はとても新鮮に感じられる。

 一度もアノマリアを出たことがないというのは、別に不思議な話ではない。むしろ、住民のほとんどがこの都市から出ることなく生涯を終えるのである。その理由は、アノマリアが砂漠に囲まれて孤立した国家であり、ほかのオアシス都市がアノマリアから極めて遠いところにあるためだ。

 最も近いところにあるオアシス都市・オルトスでさえ7日もかかる。水と食料の十分な備えなくしては、目的地にたどり着くことさえできないのだ。

 そして砂漠へ出るものが少ないもう一つの理由が、砂漠の極めて過酷な環境である。

 昼は痛いほど強い日光が照り付け、すぐに体の水分が奪われる。

 夜はやや寒さを感じるくらいに気温が落ち、昼に比べてかなり快適になるのだが、実はより危険なのは夜の方だ。得体のしれない砂漠の生物が活発化するからである。砂山に化けて近くを通った獲物を丸のみにする肉食獣、神経毒をもち、大型哺乳類に卵を産み付けて幼虫の宿とする羽虫、果てには幻を見せて人を狂わせる妖精など、砂漠は極めて危険な生物が闊歩する魔の領域となる。

 今回の目的地であるユリプテルは、アノマリアから15日はかかる。ユリプテルは学問や文化が発達し、高度な文明を誇る都市国家で、その先進性を学び、アノマリアに知識と富をもたらすというのが我々の使命である。


 旅の危険を大幅に軽減してくれるのが、私たちの旅の友、駱駝だ。

 剛毛で覆われたドームになっている駱駝のこぶの中は、照り付ける太陽光と地表からの反射熱を遮蔽してくれて、比較的ひんやりとしている。砂漠の地表は、太陽が真上に来ている今熱した鉄鍋のように熱く、少し歩き回れば足をやけどしてしまうだろう。しかし駱駝は、8本の足を互い違いに上げ下げする独特な歩行方法と、断熱性の高い足裏の表皮構造によって、日中の砂漠でも歩き続けることが可能だ。駱駝は砂漠の長距離移動手段としては唯一といっていい、優秀な船だ。


「ヤコブさん、駱駝達の調子はどうですか?」


 私は、自分が乗る駱駝とともに貢納品を乗せた駱駝を二頭引いている初老の男に呼び掛けた。男の駱駝につながれた縄を引く腕は、日に焼けて真っ黒になっている。


「ええ、ルネ様。出発前に水も草もしこたま食らわせましたからね、絶好調ですよ。」


 ヤコブはアノマリア王都に名だたる駱駝使いだ。長年ラクダを育ててきた経験により、鳴き声や歩くペースなどのわずかな手掛かりから、駱駝の状態を正確に感知することができるそうだ。そして、我々一行の中では唯一、砂漠を旅したことのある男でもある。ワタリと呼ばれる、複数のオアシス都市を巡って交易を行うものたちの一員として、駱駝を引き連れて砂漠を何度も旅したと聞いている。


「幸先が良いな。駱駝は旅の生命線だ。彼の体調を管理することは極めて重要な仕事だが、お前にしか務まらん。頼んだぞ、ヤコブ。」


「わかりやした。」


 ヤコブに威厳のある声でそう告げながら、乗っている駱駝のこぶをぽんと叩いたのは、王都最強の将軍にして一行の隊長を務める人だ。王位争いにおいて、わずかな手兵で現王の弟君の千を超えるクーデタ部隊に勝利した将軍バースの名は、王都中にとどろいている。


「バース隊長、恐れながら申し上げますが、その駱駝、性別はメスらしいです。彼女と呼ぶのが正しいかと。」


 そう生真面目な口調で発言した女性はライカだ。バース隊の指揮官として将軍を補佐し、クーデタの際には素晴らしい戦果をあげ、この旅の副隊長に抜擢された。


「なに、こんなに恐ろしげな見た目をしているのにか?」


「隊長、そもそも生物の性別を安直な外見的特徴で判別しようとするのが誤りなんですよ。生物の見た目は、性差よりもよほど種差において相違が顕著ですから。これから砂漠で遭遇するかもしれない生物なんて、メスでも柔和さのかけらもない強暴そうな種ばかりですよ。戦場以上に気を引き締められた方がよろしいかと思います。」


 まくしたてるように歯に衣着せぬ言い方をする、やせ気味で背の高い男は、博物学者のジャビスだ。彼は砂漠の気候や生態系の優れた研究により、王都でも極めて高名な学者だ。


「気を引き締めるべきなのはあなたよ。次に隊長に不遜な物言いをしたら、砂漠に放り出しますからね?」


「どうやらもっと近くに柔和さのかけらもない雌の例があったようですっ、…痛、いってーっ!」


 ジャビスに並走していたライカは、剣の柄でジャビスを小突いた。確かに小突いた程度の動作ではあったのだが、想像以上に大きい衝撃音がするのを聞いて、私は少し鳥肌が立った。


「ライカ、ジャビスが骨折する前に、その辺にしてやってくれ。彼の砂漠の生態系の知識は厳しい環境で生き抜くのになくてはならないのだからな。」


 そう言われると、ライカは、申し訳ありません、と不服そうな顔で剣を下げた。


「ルネ、こんなやりとりメモしなくていいぞ」


 私がこっそりと手帳に書き付けているのを見て、バース隊長は困り顔で言った。


「いえ、後に見返したとき、日常のやりとりがない硬派な旅行記では面白くありませんから。」


「そうね、隊長の有難い言葉をしっかり記しておくといいわ」


 私は、個性が強い同行者たちに対し、この先大変そうだぞ、と思いながらも、少し興奮していた。彼らとは出発前に数回顔合わせをしたにすぎない間柄だし、身を置いてきた世界も違う。けれど、これから長らく、私たちは運命を共にするのだ。


 申し遅れた。私はこの旅行記の執筆を担当する、ルネ・アッピアだ。王都では国家行政局に勤めていた。一行の旅を記録し、無事ユリプテルに到着した暁には政治システムや文化を学び取ることが任務だ。

 武官二人、文官二人、駱駝使い一人、そして七頭の駱駝による旅が始まった。

 この無限に続いているように思える砂の地平の先に、何が我々一行を待つのであろうか。



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