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第8話 王子たち

 伯爵家に嫁いで2ヶ月が経った。もちろん借金返済のめどは立っていないが、それでもルネは日々目の前にある仕事を坦々とこなしていた。


「ルネ、準備はできているか?」

「はい、大丈夫です」

「今日は久しぶりに国王が来られるからな、気合を入れてくれよ」

「はい」


 神殿で一緒に働いている書記官の男性に笑顔で頷くと、机の上に置いている黒鉛のペンを確認する。

 そうこうしている内に会議室の外が騒がしくなった。


「国王陛下がお越しになりました!」


 文官の声と同時にドアが開き、国王が入ってくる。ルネは慌てて立ち上がり頭を下げると、複数の足音が会議室に入ってくる。


「挨拶はいい。すぐ始めるぞ」

「は、はい!」


 国王の低い声に慌てて議長が返事をする。すぐに会議が始まると、頭を上げてイスに座り直そうとしたルネは、国王の後ろにエミールの姿を見つけた。

 着座したエミールは真剣な顔で国王と何かを話している。ルネは少しだけ口の端を上げたが、すぐに気を引き締め直した。


(いけない……、ちゃんと集中しなきゃ……)


 会議室の空気はピンと張り詰めていて、皆国王が話し出すのを静かに待っている。


「魔物に関して緊急で話し合う議題がある。今日は王太子も交えて、忌憚のない意見を聞くつもりだ。始めてくれ」

「では、会議を始めたいと思います」


 国王はそう言うと、議長が立ち上がり魔物の出没場所を読み上げていく。ルネは真剣な表情でそれらを書き記していった。

 会議は午前中いっぱい続き、ルネの集中力が切れてきた頃、やっと会議は終了した。


(ふう……、やっと終わった……)


 耳も手も少し疲れてしまい、ルネはしばらくそのままで書いたノートを確認していると、そこにエミールが近付いてきた。


「えーと、エフラー伯爵夫人」


 妙な呼ばれ方に首を傾げたルネに、エミールは少しだけぎこちない笑みを浮かべて髪を掻く。


「ルネで結構ですよ、殿下」

「あー、そうか……。この前、名前を呼んでしまって、結婚している女性に失礼かと思ったんだけど……」

「ここでは皆、私のこと、名前で呼ぶので大丈夫ですよ」

「そうか……」


 前に会った時も今回も自分の発言を謝ってきたエミールに、ルネは微笑む。

 見た目はそんなことを気にしそうな雰囲気はないが、エミールは思ったよりも自分の発言や人のことを考えるタイプなのかもしれない。


「今日もルネが父上の発言を書き留めていたのか?」

「ええ、そうです。ご覧になりますか?」


 そう言ってノートを差し出すと、エミールはまじまじとルネの書いた速記文字を見つめた。


「本当に不思議な文字だな」

「そうですか?」

「今見ても、いたずら書きにしか見えない」

「まぁ、初めて見た人は皆同じことを言いますね」


 感心するエミールに、ルネはうふふと笑う。こうして直接評価して貰えるのが、ルネにとっては一番嬉しい。


「エミール、お前が言っていた書記官というのは、その女性か?」


 エミールの背後から近付いてきた男性の顔を見て、ルネは慌てて頭を下げた。


「王太子殿下!」

「ええ、兄上。この者がエフラー伯爵夫人です」

「楽にせよ」

「は、はい……」


 声を掛けれらてルネは顔を上げると、背の高いヴィクトル王太子の顔を思わずまじまじと見てしまう。

 エミールよりも少し薄い金髪に氷色の瞳で、並んでいるとやはりどこか似たような印象がある。だがエミールとは違い、白い肌に細い手足は、剣を持って戦うようなタイプではないことが窺える。


「優秀な書記官だそうだな」

「そんなことは……」


 エミールがヴィクトルに自分のことをそんな風に話していたと思うと照れくさくなってしまう。


「これがその速記術とやらか。……そなた、どれほど早口でも聞き取れるのか?」

「は、はい……。そうですね。大抵は……」

「複数人が同時に話しているのを聞き取れるか?」


 確かめるような質問に、ルネは少し不思議に思いながらも頷く。


「たぶん……、はい」


 ルネの返事にヴィクトルは眉間に皺を寄せる。これは何なのだろうと、ちらりとエミールを見るが、エミールは表情を変えずヴィクトルを見つめているだけだ。


「……伯爵夫人ならば、そうだな……、考えてみても良いかもしれんな……」

「兄上、では」

「エミール、帰るぞ」

「は、はい」


 ヴィクトルはそれ以上ルネに声を掛けることもなく踵を返すと、颯爽と会議室を出て行く。

 その後ろ姿を見送っていると、エミールがノートを差し出した。


「えーと、今のは?」

「ああ、気にしないでくれ。それよりちょっと聞きたいんだけど、臨時で仕事が入ったとして、やる気はあるか?」

「あります!」


 エミールの質問に、ルネは間髪入れずに答えていた。その反応にエミールは驚いた表情を見せたが、すぐにふっと顔を緩めて笑う。


「本当に仕事が好きなんだな」

「ま、まぁ……、そうですね」


 実際は借金返済のためだったが、ルネは否定せずに頷く。確かに仕事は好きだし、嘘を吐いていることにはならないだろう。


「次の会議も俺は出席するから、また来週会おう」

「は、はい」


 エミールはそれで話を切り上げると、会議室を出て行った。

 ルネは自分のノートを胸に抱き締めるように持ったまま、少しだけ夢見心地でその場に立ち尽くした。



◇◇◇



「ただいま、コレット」

「あ、お嬢様!」


 自室のドアを開けると、コレットがビクリと肩を揺らして振り返った。

 おかしな反応にどうしたのかと思ったが、その原因はすぐに分かった。


「なにこれ……」

「お嬢様……」


 ルネはゆっくりと部屋を見渡し呟く。部屋の中は嵐が通り過ぎたのではないかというほど、荒れ果てていた。

 床の上にはゴミのようなものが散乱し、カーテンやベッドカバーがビリビリに破けている。その上には枕の羽毛が飛び散り、雪のように積もっている。

 それになぜかクローゼットの扉が開けられて、中のドレスまで破けているようだった。


「すみません、お嬢様。わたくしが部屋を出ている間にやられてしまったようで……」

「こんな……」

「あーら、大変! 物盗りでも入ったのかしら?」


 呆然としていると、突然楽しげな声が背後で聞こえた。ゆっくりと振り返ると、こんなところにいるはずのないアストリットが部屋の中を覗き込んでいる。


「アストリット……」

「あらあら、この部屋には現金なんてないと思うけど、泥棒も入る部屋を間違えたかしら」


 扇で口許を隠していても、楽しそうな顔は隠しようがない。その顔を憎々しげに見つめたルネは、大きな溜め息を吐いた。


「あなたがやったんでしょ、アストリット」

「まぁ! 私を疑うなんて酷いわ! こんな使用人部屋までわざわざ来る訳ないじゃない!」

「今、来てるじゃない」


 言うことなすこと腹が立って矛盾を指摘するが、アストリットは涼しい顔をしたまま顎を反らすと、鼻歌を歌いながら去って行った。

 静かになった部屋でルネは盛大な溜め息を吐き、ドアを閉める。コレットの方を見ると、破れたカーテンを外していた。


「くだらないいじめですわね」

「そうね。さっさと掃除しちゃいましょ」

「私がやりますので、お嬢様は休んでいて下さい。お仕事でお疲れでしょう?」

「いいよ。二人でやった方が早く終わるし」


 遠慮するコレットにルネは笑みを向ける。コレットは疲れた顔で頷くと、後は黙々と掃除をした。

 夜10時を過ぎて、やっとどうにか部屋を片付けたルネは、クローゼットの中に隠していた帳簿の写しを取り出した。


「コレット、ここ最近の入出金は記録している?」

「はい。漏らさず写しています」


 コレットの返事に小さく頷いたルネは、ページをパラパラとめくる。


「何か気になることでも?」

「うん……。安眠のためにちょっとね……」

「安眠?」

「よし。コレット、私、ちょっと行ってくるね」


 ルネはそう言うと、帳簿を元に戻し部屋を出た。踏み鳴らすように歩き階下に向かうと、居間にずかずかと入る。

 案の定、またラウルとアストリットが身を寄せ合ってソファに座っており、その前にルネは立ちはだかった。


「ごきげんよう、お二人とも」

「居間に入ってくるなと言っているだろうが」


 眉間に皺を寄せて睨み付けてくるラウルを無視して、ルネはテーブルの上に置かれたお菓子の皿を持ち上げる。


「ちょっと! それは私たちが食べるのよ!!」

「ドレスのサイズは元に戻ったの?」

「だから!! 私は元々太ってなんていないわよ!!」

「あらそ。それならいいけど。これは私たちが食べるから持っていくわね」


 ルネの言葉に、ラウルの顔がより一層険しくなる。


「私にそんな口を利いていいと思っているのか?」

「申し訳ありませんね。でも、こちらは夕食も抜いて掃除をさせられていたので、お腹が減って眠れないんですよ」

「なに?」


 ルネの言っている意味が分からなかったのだろう。ラウルは怪訝そうな顔をしたが、アストリットは目を吊り上げて口を開いた。


「そんなこと知らないわよ! お腹が減ってるなら、使用人たちのキッチンにでも行って、残飯でも盗み食いしていればいいでしょ!?」

「アストリット。私たちの部屋を荒らす暇があるなら、あなたも少しは借金返済の手立てを考えたら?」

「なんで私が……!?」


 少しだけ動揺したアストリットに、ルネは冷えた眼差しを向ける。


「そのネックレス、1ヶ月前に買ったようだけど、随分高い金額だったようね。ラウルからのプレゼント? いいわねぇ、愛されていて」


 ルネの言葉に、ハッとしたアストリットの顔が急激に青ざめる。ラウルはアストリットの顔を見て眉を顰めた。


「う、嘘よ……、ラウル……。ルネがまた嘘を吐いているのよ……?」

「……分かっているよ、アストリット。ルネ、おかしな言いがかりをつけるのはやめろ」

「それは申し訳ありません。でも、ラウル様もたまには帳簿のチェックをした方がよろしいと思いますよ」


 ルネはにこりと笑ってそう言うと、お菓子を持って居間を出た。


(はぁ……、馬鹿馬鹿しい……)


 アストリットのネックレスや浪費のことは、帳簿や書類を見ればすぐに分かることだ。それをラウルがまったく知らないということは、伯爵家の金回りに関してはまったく確認していないのだろう。

 執事に一任しているのだろうが、1千万リールもの借金がある中で、アストリットを野放しにしているのはどうかしていると思う。


(まぁ、私には関係ないけどね)


 このまま泣き寝入りもどうかと思い文句を言いに行ったのだが、思いがけず美味しいお菓子が手に入ったとルネは笑みを作り、早足で部屋に戻った。

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