第7話 エミールとのダンス
偶然出くわしたエミールに驚いたルネだったが、相手が王子だということを思い出して慌てて立ち上がった。
「えーと、エミール殿下。ごきげんよう」
「お前、貴族だったのか……」
そういえば自己紹介も何もしていなかったなと思い出していると、今度は女性が3人ほどバタバタと走ってきた。
「見つけましたわ! エミール様!」
「今度こそわたくしと踊って下さいませ、エミール様!」
「いいえ! わたくしと踊って下さい!」
女性たちはエミールを取り囲むと、小鳥のように言い争う。それに辟易した顔をしたエミールは、なぜかパッとルネの手を取った。
「も、申し訳ないが! 俺はこの方と踊るので!」
「え!?」
ルネは唐突なことに思わず声を上げる。だがそんなことはお構いなしに、エミールはルネの手を引っ張ると、会場へと歩きだす。
女性たちは「そんなぁ……」と肩を落としてそれを見送った。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「お願いだ! 付き合ってくれ!」
「はあ?」
「あの女性たちから逃げるにはこれしかないんだ!」
必死な様子のエミールがなんだか面白くて、ルネはクスッと笑うと頷いた。
「分かりました。お付き合いしましょう」
「助かる!」
ちょうど音楽が変わりワルツになると、エミールは流れるような動作でルネの腰に手を回す。ダンスが始まると、間近になったエミールの顔をルネはじっと見つめた。
(あら、近くで見ると、結構カッコイイわね……)
前に見た時はあまりちゃんと顔を見なかったからか、綺麗に髪を整え、王子様らしい格好をしていると、今さら緊張してくる。
「お前、名前は?」
「あ、言ってなかったでしたっけ。私、ルネ・エフラーと言います」
「エフラー? エフラーって、つい最近結婚した伯爵も同じ名前だった気がしたが……」
「そのエフラーです」
「え!? じゃあ、お前、伯爵夫人か!?」
エミールは驚いた顔でルネを見つめる。ルネは苦笑して頷いた。
「ええ。こんなですけど、伯爵夫人です」
「伯爵夫人なのに神殿で仕事をしているのか?」
「まぁ、色々ありまして」
説明するのが面倒ではぐらかすと、エミールは首を傾げたが、それ以上聞いてくることはなかった。
少しの間沈黙が落ちて、二人は無言でダンスを続ける。
「この前は、すまなかった」
「謝ることなんてありましたっけ?」
「俺は随分失礼なことを言っただろ?」
「そうでしたっけ?」
エミールが何を言ったかいまいち思い出せず首を傾げると、エミールは苦笑した。
「女性の書記官には無理だと言ったんだ」
「ああ、そんなことですか」
「そんなことって……。気にしていないのか?」
意外だという顔で聞いてきて、今度はルネが苦笑する。
「あんなこと、仕事をしていたら日常茶飯事ですよ。女だって見くびられるのは慣れています」
「そうなのか……」
「実力を見てもらってちゃんと評価してもらえれば、それで私は十分です。報酬も貰えましたしね」
そう言うと、エミールは楽しそうに笑った。
「なかなか良い性格のようだな」
「そうでしょうか」
「ああ」
エミールが頷くと、ルネは自然に笑みがこぼれた。自分が伯爵夫人だと分かれば、働いているのはおかしいと言われてしまうかと思った。けれどエミールはそれを知っても、別に否定することもなく受け入れてくれた。
それがなんだかとても嬉しい。
「そういえば、あの女性たちとは踊ってあげないのですか?」
確かエミールの年齢は18歳のはずだ。追い掛けてきた女性たちも似たような年齢に見えたので、もしかしたら婚約者候補かと思ったのだが、エミールは苦い顔をして首を振った。
「今日は兄上に顔を出すだけでいいと言われたから来ただけで、踊るつもりなんてさらさらないよ」
「可愛い子ばっかりだったのに」
「勘弁してくれ。俺は今のところ女性とあれこれなんて考えてないんだ。騎士として戦うことで手一杯だ」
「ああ、殿下は確か騎士隊長をされているんでしたっけ」
「会議でも話していただろ? 魔物の動きがこの頃活発で、城下町にも迫る勢いなんだ。こんな舞踏会なんて開いている場合じゃない」
「そうなんですね……」
確かに神殿で開かれた会議は、毎回深刻なムードだった。違う町から来る商人たちの間でも、早く対処してくれなければ物流にもその内影響が出ると話題に上がっていた。
「魔物と戦うなんて、大変なお仕事ですね」
「まぁな……。あ、曲が終わるな」
結局一曲丸々踊っていたことに少し驚きながら、ルネはエミールの手を離した。
「ありがとう、本当に助かった」
「お役に立てて良かったです」
「嫌々来た舞踏会だったが、思いがけず楽しい時間になった」
エミールが笑ってそう言うので、笑みを返したルネだったが、周囲の視線が自分に集まっていることに気付いた。
「あ、では私はこれで……」
女性たちの鋭い視線を痛いほど感じて、そそくさとその場を後にしようとするルネを、エミールが呼び止める。
「ルネ! まだ神殿で働いているか?」
「え、ええ!」
名前を呼ばれてドキッとしたルネがぎこちなく頷くと、エミールは笑って頷いた。
その笑顔に余計にドキドキしてしまい、早歩きで人混みに入ると、ぐいっと腕を引っ張られた。
「おい」
「あ、ラウル様……」
「なぜ、エミール殿下と踊っていたんだ!?」
「え!? あ、あれは……」
険しい表情のラウルに説明しようとすると、今度はアストリットが割り込むように顔を近付けた。
「ちょっと! なんでエミール殿下と知り合いなの!?」
「知り合いというか、なんというか……」
「みんなエミール殿下と踊ろうと必死になっているのに! なんであなたが踊るのよ!!」
顔を真っ赤にして言ってくるアストリットに、ルネはキョトンとした後、ふっと笑みを見せた。
「人徳ですかね」
「はあ!? なによそれ!!」
ルネが肩を竦ませてそう言った途端、アストリットは人目も憚らず声を上げた。
その顔を見てルネは楽しげに笑うと、舞踏会の会場を後にしたのだった。