第3話 働きましょう
話がまとまると、ルネはこれ以上この3人と同じ空気を吸っていたくないと踵を返した。
「ちょっと待ちなさい」
「なんですか?」
「あなたの部屋は、さきほど着替えに使った部屋じゃないからね」
カミラの言葉に、ルネは振り返りはしたが返事をすることなく歩きだす。勢いよくドアを開けると、メイドが待っていて「こちらへ」と促した。
メイドは早歩きでどんどん進み、今いる母屋から渡り廊下で違う建物に入ると3階まで上がった。そこが使用人たちの場所だというのは明らかで、ルネは眉根を寄せた。
「奥様のお部屋はこちらでございます」
メイドはそう言うと、一礼して去っていく。ルネは小さく溜め息を吐きながらドアを開けると、中にいたコレットがパッとこちらに顔を向けた。
「お嬢様!!」
「コレット……」
「これはどういうことですか!? 突然この部屋に連れて来られて……。お嬢様の荷物も全部こちらにあるんですが……」
「そう……」
心配した顔で走り寄るコレットにルネは苦笑いで返すと、さきほどのやり取りを話して聞かせた。
「なんですか……、その話……」
話を聞き終わったコレットは、信じられないという顔で呟く。
ベッドに二人並んで座っていたルネは、立ち上がると狭い部屋に視線を流す。簡易ベッドが2つ、小さなテーブルが1つ。部屋に置かれている家具といえばそれだけだ。
「まさか借金返済の労働力として結婚相手に選ばれたなんて、笑っちゃうわよね」
「伯爵には他に恋人がいて、お嬢様は働くだけって……、そんな……、酷いです……」
コレットは今にも泣きそうな顔で、弱く首を振る。
「そうね。こんな馬鹿な話はないわよね」
「……お嬢様、ご実家に帰りましょう! 旦那様に相談して、」
「家には帰らないわ」
「お嬢様!」
ルネは立ち上がると、すぐ横にある窓を開ける。気持ちの良い風が入り込んできて、ルネは一度大きく深呼吸した。
「私は帰らない。お父様に言ったところできっとどうにもならないと思う。それよりこれはチャンスよ」
「チャンス?」
「理由はどうあれ、また私は働けることになった。そして1年以内に1千万リールを返済できれば、3区に自分の家が持てる」
「お嬢様……」
ルネの言葉にコレットの目から悲しみが消えていく。
「離婚できれば、実家にも縛られず自由に生きていける」
それは長年のルネの夢だ。町で働くようになって、初めて平民にはたくさんの働く女性がいることを知った。家族のために働く女性もいれば、独立して店をやっているすごい人もたくさんいた。
そういう人たちと仕事をする内に、ルネもまたそのように生きていきたいと思うようになった。家に縛られず、ただ自分のために働き、稼ぎたい。
貴族の令嬢が決してできない生き方を、ルネはずっと望んでいた。
「……ですが、1年で1千万リールというのは無茶な話です。お嬢様の今までの仕事の賃金で考えても、全額すべて返済に充てたとして、最低でも5年以上は掛かってしまいます」
「うん。無謀な話だっていうのは分かってる。でも私のことを人とも思っていないような人たちと、ずっと一緒になんていたくない。1年がむしゃらに頑張ってお金を稼いで、ここを出て行くわ」
はっきりとそう宣言すると、コレットは立ち上がった。
「お嬢様の気持ちは分かりました。そういうことならば、私も腹を括ります」
「コレット……」
「やりましょう! あんな人たちに負けるなんて、私も絶対に嫌ですから!」
本当は自分よりもずっと勝気な性格のコレットが、その気になってくれたのならこれほど心強いものはない。
「まずは敵を知ることですね。明日までお待ち頂けますか?」
「どうするの?」
「私にお任せ下さい」
そう言ったコレットは、不敵に笑って見せたのだった。
――翌朝、ルネが起きると、すでに隣のベッドはもぬけの殻だった。
起き上がって自分で朝の支度をしていると、そこにコレットが戻ってきた。
「おはようございます、お嬢様。もう起きていらっしゃったんですね」
「おはよう、コレット。どこへ行っていたの?」
「これを、取って参りました」
手にしていたのは何かの帳面で、にこりと笑いルネに手渡す。
「これ……、帳簿ね」
「はい。ちょっと、拝借して参りました」
「どうやって……とは、聞かないわね。あなたのことだから、抜け目なくやったんでしょう」
帳簿を開いてペラペラと捲ると、ここ1年ほどの出入金が書かれている。
「ざっと確認しましたが、借金はここ1年で作られたようですね」
「ここ1年? ということはラウル様が伯爵になった頃からか……」
「随分と高額な商品を色々と買っておられたようで、家にある現金が急激に減っています。元々それほど現金がなかったようで、収支のバランスが狂ったようですね」
「なるほど……」
まだラウルのことをよく知っている訳ではないが、昨日の一件だけでラウルがどんな人間かはうっすらと理解した。
突然伯爵になって気持ちが大きくなったのか、それとも他に理由があるのか。ともかく借金の額を考えても、後先考えない性格なのは分かった。
「伯爵家の持つ資産関係で、土地や美術品などいくつか売れば1千万リールの返済はすぐにもできるとは思いますが、それらは手を付けてはいけないということですので……」
「うん。とにかく私の賃金でどうにかするしかない」
「……まぁ、これから借金は増えていくでしょうが、1千万リールのみを返せばよいとの条件ならば、どうにかやりようはあるかもしれませんね」
コレットは真剣な表情でこれからの算段を考えてくれる。その顔を見つめ、ルネは微笑む。
「ありがとう、コレット」
そう言うと、コレットは何も言わず嬉しそうに微笑み返した。
「あ、そうだ、お嬢様。昨日は突然の話だったのに、よく3区の家のことを知っておられましたね。調べておいたのですか?」
「ううん。あの土地って私の職場の近くなのよ。ぼろぼろの廃屋で、近所の人たちが取り壊してほしいって常々言っていてね。ギルドの方でも買い取って、商店にしたいとかそんな話がよく出ていたの」
「なるほど」
「離婚だけじゃ割に合わないもの。でも、咄嗟に出たとはいえ、良い条件だと思う」
「確かに。あの土地を頂けるのなら、やりがいも出ますね」
コレットの言葉にルネは大きく頷くと、帳簿を閉じてコレットに返した。
「さて。方針が決まったならやることは一つね」
「はい、お嬢様」
「さぁ、働くわよ!」
ルネは自分を鼓舞するように声を上げ、コレットに笑ってみせた。
◇◇◇
伯爵家のことを探ることはコレットに任せ出掛けたルネは、真っ直ぐに元の職場に向かった。
頼りべきところで思い浮かぶのはここしかないと、商人ギルドのドアを開ける。
「おはようございます、議長!」
「おはよう……、え!? ルネ!?」
書類を見ていた上司のマシューが、ルネの顔を見て声を上げる。
ルネは颯爽とマシューの前まで行くと、ガバッと頭を下げた。
「議長! お願いです! ここで働かせて下さい!!」
「え!? ど、どういうことだ!? 君は結婚したんじゃないのか?」
「また働かせて下さい、お願いします!!」
ルネが必死に頼むと、マシューはその顔を見て何かを感じ取ってくれたようだった。
「まぁ、詳しい事情は後で聞くとして、君が戻ってくれるなら、こちらとしてはありがたい話だ」
「議長!」
「またよろしく頼むよ、ルネ」
「はい!!」
マシューの見慣れた笑みを見つめ、ルネは大きな声で返事をしたのだった。