第2話 離婚の条件は
「ラウル様……、その方は?」
なんだか嫌な予感がしたが、とりあえず質問しなければどうにもならないと勇気を出して質問すると、女性はクスッとわざとらしく笑った。
「私はラウルの遠縁の、アストリット・アデールよ」
「あ、親戚の方!」
安堵したルネが思わず大きな声でそう言ってしまうと、アストリットは馬鹿にしたようにクスクスと笑う。
妙な雰囲気に戸惑いながらも近付こうとするルネに、ラウルはそこで止まれという風に手を差し出した。
「あの……、ラウル様?」
「結婚式はどうだった?」
「それは、もう、とても素敵で……、ウェディングドレスも美しくて……」
「男爵は喜んでいたか?」
「は、はい!」
夫婦の会話というにはあまりにも硬いやり取りに、ルネは緊張を崩せず顔を強張らせる。
「貧乏男爵の売れ残りを拾ってやったのだ。それは喜んだだろうな」
「え……?」
聞き間違いかと思って声を漏らすと、アストリットはもう我慢できないという風に声を上げて笑いだした。
「お馬鹿さんね! まさかあなた、ラウルがあなたのことを好きになったから、妻にしたと思っているの!?」
「な……、何を言って……」
「お前はここでやることがある」
「やること?」
何を言っているのかまったく意味が分からないルネは、困惑した顔をラウルに向ける。
結婚式の時、あんなにも優しく笑った顔は、今はもうどこにもない。
「そうだ。お前のやることはただ一つ。――借金返済だ」
「は!?」
耳を疑う言葉に、間抜けな声が思わず漏れる。
「お前は実家の借金を、働いて全額返したそうだな」
「え、ええ……」
「その労働力を私は買った」
「何を言っているの?」
「我が伯爵家には、1千万リールの借金がある」
「い、1千万リールですって!?」
あまりの高額に冗談かと思ったが、ラウルは真剣な表情のままだ。
「お前にはこの借金のために働いてもらう」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 買ったとか借金とか、どういうことですか!?」
「だから、あなたは借金を返すための労働力として、この家に貰われたのよ」
アストリットの言葉に、ルネは言葉を失った。
貴族の結婚には色々な事情が絡むことなど当たり前のことだ。自分の結婚も、家同士で上手く条件が合ったから成立したのだと思っていた。だがそれが、こんな想像だにしない条件だとは思いもしなかった。
「……そんなくだらない理由で、結婚相手を選んだんですか!?」
「くだらないとはなんだ!」
「伯爵家ならこの辺の家具とか、その剥製とか売れば、いくらだってお金に換えられるじゃありませんか!!」
ルネは部屋を見渡して叫ぶ。本気で借金を返したいというなら、いくらだってやりようはある。実家など売れる物はすべて売った。それでも足りないからルネが働いていたのだ。
「売るなんてとんでもない!!」
突然背後で大声がしたと思ったら、扉を開けてラウルの母カミラが入ったきた。目を吊り上げてルネに詰め寄る。
「屋敷の物を売るなんて絶対だめよ! そんなことをしたら我が家がお金に困ってるって、すぐに知られてしまうでしょう!?」
「そ、そんなこと言ってる場合ですか?」
「我が家に借金があるなんて知られたら、わたくしは恥ずかしくて社交界に顔が出せなくなってしまうわ!」
(なによそれ……!?)
義理の母になった人の言い分があまりにもどうしようもなくて、ルネは反論を言う気にもなれなかった。
カミラはそのままよろけるようにソファに座ると、またルネに顔を向ける。
「あなたは22歳にもなって結婚もせず仕事をしていた。そんな娘を、伯爵夫人にさせてあげたのよ。心から感謝して尽くさないでどうするの?」
「そうよ。売れ残りの男爵令嬢が伯爵夫人になれるなんて、こんな夢みたいな話ないわ。あなただって心から喜んだでしょ?」
呆れるようなことを言われ、ルネは二人を睨み付ける。
「私が働きに出れば借金があるってバレるんじゃありませんか?」
「それは大丈夫だ。お前が好きで働いているということにする。自由な妻を許す寛大な夫ということにしておけば、家の恥になることもあるまい」
「……それで、私がせっせと外で働いて、あなたはその女性と楽しく過ごしているということですか?」
親戚だと一瞬は納得したが、ラウルの体にべったりと張り付くように座る様子は、どう考えてもただの親戚ではないだろう。
ルネがきつい眼差しをラウルに向けると、ラウルはふっと鼻で笑う。
「アストリットは、借金をどうにかしなければ結婚しないと言ってな。お前には妻としてできるだけ早く借金を返済してもらう」
「はあ? じゃあ、借金を返済し終わったら、私は……」
「もちろん、離婚してもらう」
あまりにも酷い計画に、怒りで頭が痛くなってくる。
「ルネ。あなたはもう伯爵家の者なのよ。家長である夫の命令に背くことは許されないわ」
「そうよ。素直に従って、私たちのために働きなさい」
「……絶対に嫌だと言ったら、どうなるんですか?」
こんな馬鹿な命令に素直に従うなんてそれこそ馬鹿らしいとルネが訊ねると、ラウルは別段焦りもせず答えた。
「本当に拒否していいのか?」
「どういう意味です?」
「お前の父親を、今の職場に紹介したのは私だ」
「え……?」
「やっと要職に就けて、さぞかし喜んでいただろう?」
ラウルの言葉にルネは唇を噛み締める。
確かに半年前、父親は突然国の要職に就いた。これで未来は安泰だと家族で喜んだのは本当だ。それがまさかラウルの推薦で成り得たものだとは、思いもよらなかった。
「お前が私の命令に従わないのなら、推薦はなかったことにする。それでもいいなら」
「待って!」
ルネは思わず声を上げた。
父親のためになら絶対に従わないだろう。でも家には大好きな弟がいる。今、父が職を失えば、まだ12歳の弟がこれから苦労するのは目に見えている。
(そんなの絶対嫌よ……)
ルネは項垂れると、両手で顔を覆う。
自分の今まで歩んできた人生が頭に巡って、今にも叫びだしたいのを歯を食いしばって耐えた。
(私は借金のために働く人生なの……!?)
伯爵家に嫁いで、楽な人生を歩みたかったわけではない。働くことも、本当は続けたいほど大好きだ。
それでも、誰かに命じられて、ただ借金のために馬車馬のように働くのは絶対に嫌だ。
「いいでしょう……」
ルネは両手をゆっくりと下ろすと、3人を睨み据える。
「その1千万リール、私が返済して差し上げましょう!」
ルネがそう言い切ると、アストリットとカミラが意地悪く笑った。
「ただし! 条件があります!」
「条件?」
「1年以内に私が1千万リールを返済できたら、すぐに離婚して下さい!!」
「なに!?」
ラウルは驚きに声を上げ、アストリットはさらに目を輝かせてこちらを向いた。
「意味が分からん。それではただお前が損をするだけではないか」
「ラウル、良い条件じゃない! 1年で借金がなくなったら、私が18歳になるまでに結婚できるわ!」
「アストリットは黙っていろ。1年で離婚となれば、お前の評判が悪くなるだけだぞ」
「分かっています。ですから、もう一つ条件があります」
「もう一つ?」
ルネはそう言うと、少しだけ考えてから続きを口にした。
「伯爵が所有する3区にある土地と家屋の権利を、私に譲って下さい」
「3区の土地?」
ラウルは首を傾げるが、カミラは思い出したのか代わりに口を開いた。
「確かに3区には伯爵家が所有する土地があるわ。でもあそこに立つ家は随分前から使っていないから、ぼろぼろの廃屋よ」
「ぼろぼろでも結構です。それを頂けるのであれば、お受けします」
「離婚と家が条件か……」
ラウルは顎に手を添えて考えると、少しして顔を上げた。
「分かった。だがこちらも、もう一つ条件を付け加える」
「……なんですか?」
「絶対に借金のことを口外しないことだ。もし伯爵家に借金があると一人でも気付かれたなら、……お前の命はないものと思え」
低い声で脅しをかけられて、ルネはゴクリと唾を飲み込む。
「分かりました。その条件を飲みましょう」
ルネはラウルを真っ直ぐに見つめると、はっきりとそう告げたのだった。