●atone-16:急転×ファイアーレッド
「アンちゃん、起きてっ」
ぐいと身体を揺らされる感覚と、耳元で結構鋭い口調で放たれたエッコの声に、こっちの世界に戻って来た感触がした。
「……」
何となくの身体のけだるさを感じながら周りを見ると、400人がとこいる生徒たちは皆、すでに立ち上がっていたのだけれど。慌ててエッコの腕に掴まりながら私もよろよろと立ち上がる。でも立ってもまた立錐の余地なしって感じでぎゅう詰め。というか私よくこの状況で寝てたな……
ぼんやりした頭ながらも、周囲を見回して今どうなっているのかを察しようとしてみる。みんな無言だ。でも何というかそわそわとした感じ。私たちも入って来た、後方側の本棟に渡り廊下で通じている出入り口からも、向かって右側、外に面している方の出入り口からも、生徒らは次々と一列になって退場を始めている。粛々と。
「ん……解散ってこと?」
とりあえずそんな感じかな、と思って顔を向けたら、予想以上に強張ったおさげ髪の青白い顔と向き合った。え?
「……なんか、もっと安全な場所に避難するって」
声までも強張っているかの親友の様子に、不穏混じりのただなら無さを感じたものの、それでも事態は一向につかめて来ない。まあ私がのんきに眠りについていたからというのはあるのだけれど。
何で? と聞く私に、よくは分からないんだけど、地区内に「猛獣」? だかが入り込んだみたいで、それで……と、エッコの説明もあまり要領を得ない。「猛獣」? 野生のが山から降りてきて、みたいなこと? いやそれだけで……まあでも凶暴な奴ならそうかもだけど……
ふと、自分の「夢」の中で戦ったりしていた「白銀の獣」だとか「黒い鱗の怪物」だとかが想起されるけど。いや、あんなのは今このご時世……ねえ?
あまり現実感の無いまま、ひょっとしてこれもまた「夢」だったりしない? とか思った私は、ちょっとベタ過ぎて恥ずかしくもあったので、咳をする振りをして下を向いた瞬間、自分のほっぺたを密かにつねってみたりするのだけれど。うん、ちゃんと痛ぁい……
「慌てなくてもいいから、落ち着いて、でも急いで」
おっと、ツクマ先生が出入り口のとこで交通整理をなさってるわぁ……ひとりひとりの名前を手に持ったボードで確認しながら外へと送り出してる。よし、よし、と言いながらチェックした生徒の背に手を当てて外へと促しとる……ん? ……でもよく観察しているとふたりにひとりだな背中に触れているのは……とか瞬時に観察を終えた私はさりげなくエッコに先を譲ったりするのだけれど、相方も即座に理解を終えていたようで、笑顔ながら思わぬ力強さで前に押された。ぬう。
ノータッチのまま外へと送り出された私は、そのままでいいからと言われたので学校指定の上履きのまま、グラウンド脇の小路を前の人に着いて結構な早足で歩いていくのだけれど。裏門から出ろってことかな……何でわざわざ……? と、
「!!」
何気なく右手方向、校門側、駅のある側へと目をやった私の網膜に飛び込んで来たのは、空一面を覆う、「黒い霧」であったわけで。なにあれ。雨雲、とかじゃあない。なんか違う。まるで空へと突き立つ「柱」のように、不自然な形の立ち昇り方をしてる……そう言えばお昼前のあの「音」「煙」……あれもしかしたら……
「……!!」
とか考えていたら、まさにその「轟音」が、今度は思わずびくっと身をすくめてしまうほどの大きさで響き渡ったのだけれど。やっぱり。この異常……あの「黒い霧」が原因?
「走ってッ!! 学外に出たら左へ!! 公民館まで避難してッ!!」
前方で声を張り上げている若手教師の中で男子に最も人気のある綺麗系女史、メリアディノス先生の顔が、いつものクールな感じからはかけ離れた切迫感を有しているのを見て、ようやく私にもことのヤバさというものがお腹あたりからこみ上げてくるものの。
「!!」
右手方向、校門の方、激しい金属音がした。既にその頑強さを誇るゼリド鋼で鋳造されたという3mはある門は完全に閉められていたものの、その鉄条網さえ噛ませられた強固なバリケードの上に乗り出すようにして。
黒い「煙」を口から吐き出す、白銀の毛並みを持つ、
「……!!」
あの夢で見た「獣」が、その巨大な顔を覗かせていたのであった……
夢だよね。これ……ああー私また午後の授業で眠りこけたんだもうどうしようもないなこの睡眠欲……
とか、無理やりにも意識をそっち方面に向けていなければ、周りの人たちと同じように、悲鳴を上げそうだったから。私の右腕にしがみついて来ていたエッコから伝わってくる身体の震えも、尋常では無かったから。
鋭そうな爪を持った強靭そうな前肢が、門に掛かったのを立ち尽くしたまま見ていた。動けなかった。その凍ったような時間空間の中を。
「……!!」
のそりと身体を伸ばした「獣」は、いかにも軽やかに跳躍すると、次の瞬間、校門を飛び越えてグラウンドに降り立っていた。私たちの為す列の、20mもない距離のところに。
3mはありそうな体高……その琥珀色に見える奥行きを感じさせない不気味なふたつの瞳と、思わず見上げた私の視線がぶつかったような気がした。息を呑む暇も無かった。次の瞬間、その「獣」は。
真っ黒な牙を並べたその巨大な口をゆがめると、愉悦を孕んだかのように思えるほどの耳障りな吠え声を上げながら。
「!!」
私の方へと向かって、土煙を上げながら迫ってきたのであったから。うん、これもう夢だよね……こんなことが私の日常で起こるはず無いもの……
硬直している……私の顔面から脊髄まで。
1秒の時間もかけず、眼前まで距離を詰めてきていた「獣」が。まるで平手打ちをするかのように、その左前肢を水平に薙ぎ払う動作が。緩慢が如くに見える……でも何も出来ない……何も出来ないまま、ただその艶を帯びた太く長い爪が、自分のごく近距離で風圧を孕んだまま迫るのを、ただただ見つめることしか出来なかった。
「……!!」
次の瞬間、なぎ倒された私は、硬い地面に背中を打ち付けて、ぐうッとなるけど、それ以外の痛みは感じていなかったわけで。
「エッコ!!」
その代わりに、私に覆いかぶさるようにして、私の胸元に顔をうずめている親友の。
「エッコッ!? エッコぉっ!!」
橙色のつなぎの背中部分が大きく裂け、そこから、どす黒い染みが一面広がってきていて。
「いやあああああッ!! エッコ!! エッコぉ!!」
自分の喉からそんな悲鳴が迸るのを、へたり込んだ姿勢のまま、別視点から見ているかのような、そんな浮世離れした感じで、俯瞰する私……でも、一向に、目が覚めてくれない。何でよ……ッ!!
震える右手を、その背中に、思わず押さえるようにして当てた私だったけど、生温かく、粘性を持った液体の感触に根源的な恐怖を感じて今度は声にならない悲鳴が勝手に口から出た。
「たす……け……て」
その後に漏れ出てきたのは、うってかわっての掠れ声だけだった。でも周りの人たちは口々に言葉になってない悲鳴やら怒号やら絶叫やらを吐き出しているだけで。促された裏門の方へ一斉に駆け出していく人もいれば、出て来たホール内へと押し合いながら戻っていく人もいれば。
自らの爪についたものをその真っ黒な牙が並ぶ口で舐めとる仕草をしていた「白銀」の獣の、再び視線が絡み合った、琥珀色の眼が、獲物を補足したと確信の色を帯びて歪んだのを、やけに緩慢となった時間の中で再確認させられるだけで。
何も出来ないまま座り込むしかなかった。完全に腰の抜けてしまった私を、容易い獲物と見て取ったか、
「……!!」
「獣」は、幾分いたぶってやろうというような、禍々しい喜悦を含ませながら、ゆっくりとまたその左前肢を高々と振り上げたのだった……
ああ。
ここまで来ても冷めないこれは夢じゃあない現実だ「獣」だとか血の臭いだとかまったくもって現実感は毛ほども湧いてこないものの、それは紛れもない現実なんだ。
いまわの際に思う事、それは親友のことであり、両親のことであり。
霧散していくような思考の中、私は最後に情けなくも泣きながら叫んでいた。
「たす、た、すけてぇぇぇぇぇぇぇぇッ、ママぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
……刹那、だった。
アイサイ、のようなひび割れた拡声音が、確かに聴こえた。と同時に、片脚を振り上げていた「獣」の頭が、こちらに向けて土下座をするかのように地面に叩きつけられているのが、遅れて届いた衝撃音と共に見えた。
「……!!」
地面に伏した「獣」の。その上空を巨大な「人」のようなシルエットが。
「!!」
身体を丸めてぐるりと前回転すると、グラウンドにその鉄靴の踵らへんを打ち付けながら着地するのを、今度こそ「夢」のような感覚で脳が捉えながら、ただただ開いた両目と口と毛穴とを実感している。
全身に甲冑のような金属のプレートを身に着けたような姿。「夢」で見たあの巨大人型「鋼鉄兵機」――
<……アーヌ、だいじょうぶっ!?>
――「ジェネシス」は、まるで人の仕草で屈みこむと、その兜を装備したかのようないかつい表情の無い面に穿たれた横一本線の黒い空隙をこちらに向けてくるのであった。
でも私は知っている。その向こうに、私が思わず助けを呼んだその人がいることを。
「ママぁっ、エッコが……エッコが……」
いつもは、……「アーヌ」ってちょっと発音しにくいから、「アンちゃん」「アンヌちゃん」って呼ぶねぇ、とか言ってそれがもうみんなにも浸透しちゃってて、じゃあ何でそんな名前つけたの、って言ったら、「おうちのしきたり」だからしょうがないのよねー、とか笑っていなされた。
私のことを「アーヌ」って呼ぶのは。ママが私を「アーヌ」って呼ぶのは。本気で叱ってくれる時と。……本気で心配してくれている時だから。
<『自警』の彼らに任せて。あなたも逃げる。いいね?>
ママの言葉が終るか終わらないかの間に、身体にかかっていた重さが無くなると、ヘルメットとプロテクターを身に着けた物々しい装備の男の人がエッコを抱きかかえてくれていて、私も裏門から避難するよう促される。
見ると、しゃがみ込んだ姿勢の鋼鉄兵機の後方では、先ほどのされたかに思われた白銀の「獣」が、怒りを吹き上がらせたように牙を剥きつつ、体勢を起こしていた。
「ママうしろっ」
私の言葉に、またアイサイ、と「了解」みたいな聞き慣れない返事をすると、ジェネシスはゆらりとその10mはありそうな鈍い金属光沢を放つ体躯をそちらに向けていく。
<……『王都立インダストリア工業高校』に現着。目標一体『カジシマジルハ』>
いつものぽんやりしたママの声じゃなかった。きびきびとして、落ち着いた拡声音が、ざわめきを増した周囲に響き渡った。そして何故かその鋼鉄兵機はケレン味のある動作で脚を必要以上と思われるほどに開くと、左腕を挙手するかのように、右拳は腰の辺りに付けて、びしりとポーズらしきものを決めるのだけれど。
<……アルゼ=ロナ・ストラードⅡ騎、搭乗機『ジェネシス:弐式』>
そのままぐいと身体を沈めると、
<……推して参る>
その右腰辺りに装備されていた、大ぶりのナイフのようなものを抜き放って、構えたわけで。
今に至るまででもう大脳の演算能力が追い付かなくなっていた私は、その場でまだ座り込んだままでいるしかない。




