妹に冷たいと噂の公爵子息は、案外優しい。
「マドガーレ様にクライアン様は冷たいらしいわ」
「まぁ、どうして冷たいのかしら」
「『聖女』様のように優しい彼女に冷たい真似をするなんて」
私――伯爵令嬢であるランシール・ジュデン。
それなりに学園で人と交流しながら、のんびり過ごしている。
交友関係はそれなりにだろうか……。そろそろ誰かと恋仲になって、婚約者でも作ってほしいと家族から期待されている。
そんな私がよく噂に聞くのは、マドヒー公爵家の兄妹である。
マドヒー公爵家の兄妹は有名である。
兄であるクライアン・マドヒーは、『氷の子息』などと言われている。
妹であるマドガーレ・マドヒーは、『聖女』と呼ばれている。
その評価は、対極の位置にある。
マドガーレ様は、婚約者である王太子殿下とその側近たちによく囲まれている。クライアン様は王太子殿下と昔から親しいのだが、最近ではマドガーレ様に冷たいと言う理由で彼らの中で浮いているらしい。
王太子殿下たちから距離を置かれているクライアン様は、この学園でも浮いている。
公爵家子息で、跡取りだというのに婚約者もいないのは『聖女』と名高いマドガーレ様と不仲であるからである。令嬢たちともマドガーレ様は仲が良い。
ただ私としてみれば、正直言って家族の関係の事を周りが口出ししていたり、それでどうのこうのいうのはなんだかなと思っている。周りはマドガーレ様と仲よくしないからという理由で色々言い過ぎだと思う。
マドガーレ様も、前に「私はお兄様に嫌われているの」なんて言いながら、周りの殿方に弱音を吐いているの見かけたことあるし。でもマドガーレ様は婚約者の居る側近の方とも親しくしていて、ちょっと私はもやもやする。
ただ周りにはマドガーレ様が『聖女』のように優しくて、特別な存在だから仕方がないと思われているようだ。
なんだろう、こういう限られた世界だからこそマドガーレ様は『聖女』様のようだと言われてこういう風にお姫様みたいに過ごせるんだろうなぁと思う。丁度、この国の王女が学園にいないからというのもあるのだろう。
私は一つ上のクライアン様のことをチラ見したことはあるけれど、そういう風に理由もなしに冷たくはしないと思う。それに公爵家が何も言っていないのならばこの二人の兄妹には色んな関係があるのだろうし。
そもそも……冷たくしているといってもただお茶会に誘われて参加しなかったりとか程度だって話だから、マドガーレ様と周りが大げさに言っているだけの気がする。
そんなことを思いながら私はよくクライアン様たちを観察していた。
とはいえただ観察していただけである。
公爵子息であるクライアン様は、伯爵家の中でも下位に近い私にとっては中々雲の上の存在である。
だったのだけど……私は、彼と、クライアン様と関わるようになった。
それは図書室に来ていたことである。私は本を読むことが好きなので、図書室には時々顔を出している。図書室は貴族令嬢子息ばかりが通う学園だというのもあって、広々としている。蔵書数も多い。ただあまり図書室に顔を出している生徒はそこまでいない。
そんな中で棚の上の方にある本を取ろうとして、上手く取れなくて困ってしまう。台でも持ってくるかと考えていたら、他の手がその本を取ってくれた。
「これか?」
「あ、ありがとうございます」
振り向いてお礼を言って驚いてしまった。
そこにいたのは、クライアン・マドヒー様だったから。
綺麗な赤い髪。そして赤い瞳。美しい人だった。こんなに間近で話すのは初めてで少しドキドキしてしまう。
クライアン様は、そのまま去っていった。
冷たい人なんて言われているけれどこうやって本を取ってくれるだけでも優しい人だなぁと思ってしまう。
図書室の椅子に腰かけて本を読む様子は様になっている。
……なんだろう、ちょっとぐらい話しかけてもいいかな。そういう気持ちになったけれど勇気は出なくてただ見ているだけになった。
やっぱりかっこいい。
いつ見ても綺麗でびっくりする。
また話しかける機会があったりするだろうか。冷たい人と言われるようには見えなかったから。興味を持ってしまったのだ。
そして次に話す機会は、案外すぐにやってきた。
ある日のことである。
「クライアン!! お前、またマドガーレに酷い扱いをしたのだろう! たった一人の妹だろう!」
「……そんなことしてません」
「しかしマドガーレが泣いているのだぞ」
「……王妃になる者がその位で泣いてはいけません。それに私は学業に専念するためお誘いを断っただけですよ」
「マドガーレが悲しんでいるんだぞ」
しばらく王太子殿下たちはクライアン様に絡んでいたかと思えば去っていった。ちなみにその後ろの方に控えているマドガーレ様は「いいの。私が至らないだけなの!」などと言って煽っていた。
本人煽っているつもりはないかもしれないが、明らかに傷ついてます的な態度は余計にクライアン様への対応をひどくしている。
しばらくしたらクライアン様の周りから王太子殿下たちは去っていった。
それにしても図書室で騒ぐなんて事するべきではないと思うのだけど、王太子殿下たちだからこそ許されているのだろうか。
『聖女』と呼ばれているマドガーレ様がそれだけ特別だからだろうか。
彼らが去った後に、私はクライアン様にちかづいた。
その表情が何処か疲れた様子だったからである。
「――大丈夫ですか、クライアン様」
「君は……ジュデン嬢か」
「私のお名前をご存じでしたのね。……こんなこと言ってもいいかわかりませんが、いつも、大変ですね」
「……ああ。ありがとう」
「クライアン様、私、クライアン様に関心があるのですが、少しお話してもよろしいでしょうか」
「構わないが、あまり私と話さない方がいいのではないか」
「どうしてですか?」
「……私は評判が悪いだろう」
そんなことを言って私の事を慮ってくれるクライアン様は優しい人だと思った。
「大丈夫ですよ。此処に誰もいませんし、私は気になって話しかけておりますから。クライアン様は図書室にはよく来るんですか?」
「そうだな。本を読むのが好きだから」
「ふふ、そうですか。私はですねー」
そういいながら会話を交わせば、クライアン様は案外話しやすい人だった。
皆、マドガーレ様に酷い扱いをしていると言って、クライアン様と距離を置いているけれど、話してみると優しいし、話しやすいし、お友達になれて嬉しい気持ちになった。
いや、本音を言うとすっかり私はクライアン様かっこいいなーとはなっていたのだが……クライアン様のような素敵な人だと、この閉じられた学園ではともかく卒業後は引く手数多だろうと思えたのである。
「クライアン様は優しいですね」
「そんなことを言うのは君ぐらいだ」
「皆、分かってないだけですよ」
それ以降時々、図書室でこそこそとクライアン様と話すようになった。
それにしてもクライアン様、私が図書室にいますねって言ったら来てくれるんだよ。何だかんだ私と話したいって思ってくれているってこと?? と少し嬉しい気持ちになった。
「昔、マーレともこうして一緒に本を読んだものだ」
「マーレって、マドガーレ様ですか?」
「ああ」
その笑みがあまりにも優しくて、やっぱりクライアン様は妹君のことを大切には思っているのだと思う。
なら、どうしてそう言われているのか……そう思いながらクライアン様を見る。
此処でクライアン様と話すようになって三か月ほど経過している。
だからだろうか、クライアン様が私に言う。
「……マーレは我儘だったし、私はそう言う我儘なところが煩わしく思っていた。けれど『お兄様、お兄様』と話しかけてくれることは嬉しかった。何だかんだ、私は疎ましく思いながらもマーレを大切に思っていたんだ」
「なら、今の状況はお辛いのではないですか?」
「……いや、マーレとマドガーレは違うから」
何だか訳が分からないことを言われてしまった。
妹であるマーレ。それはマドガーレ様のはずだ。それなのに、違うなどという。
「頭がおかしいと言われるかもしれないが……、私や両親にとって今のマドガーレは、私たちのマーレではないんだ」
「それは、どういう……?」
「……いつの頃か、急にマーレが別人になった。我儘がなくなって、まるで大人みたいに振る舞いだした。ただそれだけなら私たちはマーレが大人になったんだなと思っただろう。だけどマドガーレは、中身がマーレじゃない。無意識にしている癖などは結局のところ、性格が変わっていったとしても変わらないだろう。今のマドガーレ・マドヒーは私たちのマーレじゃないんだ」
「……えぇえ? そんな恐ろしいことあるんですか?」
「君は嘘だと思わないのか?」
不思議そうな顔で見られる。
その赤目が不思議そうに私を見ている。
「え、だって私、わざわざクライアン様がそういう嘘をいうとは思わないですから」
「……そうか。ありがとう」
「というか、マドガーレ様って確か八歳かそこらで色々改革していたんですよね」
「ああ。マドガーレだな。マーレは……そういう突拍子もないことはしなかった。貴族らしい貴族の令嬢で、おしゃれが大好きだった。我儘を言って、俺たちを困らせたりはしていたけれど……それでも私の妹だった。それに気の強かったマーレは、簡単に異性に泣きついたりはしなかっただろう。今のマドガーレが今のまま許されているのは、あくまで王太子殿下たちが認めてくれているから、学生だから許されているだけだ。卒業後、今のマドガーレが王妃になるのは、正直心配が多い」
「ああ……そうですよね。そもそも貴族としてどんな場でも仮面をかぶる事は必要ですからね。王妃になる存在がこうして泣き言ばかり言っていたら大変そうだなとは思います」
「ジュデン嬢は、変わっているな」
「だって学生のうちだから、目の前で見たことばかり信じきってしまっているのは仕方ないですよ。王太子殿下たちがあの調子だから便乗しているだけというのもありそうですけど」
「……ジュデン嬢は、どうして私と話そうと思ったんだ?」
「んー、前々からクライアン様のことは知ってましたからね。見ていて悪い人ではないだろうなって思ってましたし。それなりに親に連れられて他国に行ったりもしてますからね」
「そうか。ジュデン嬢の家は貿易をよくしているんだったな」
「まぁ、小規模ですけどね。貿易の要と言われている侯爵家とかには敵わないですよ。でも昔から興味はあったからお父様たちに連れていってもらっていたんですよ」
他の学生たちと私が違うというのならば、私の両親が私を商売の場に連れて行ったりしていて、外の世界を知っていたからと言えるのかもしれない。
そうやって世間を知っていれば何となくマドガーレ様に違和感を感じたりはするとは思う。
それにしてもマドガーレ様が王妃様か。周りの側近の方々とも今の調子なのだろうか。……そのころには結婚しているだろうけど、それでもそのままだったらちょっと「え?」 ってなるかも。
側近の方々の婚約者の方の心が広すぎると思うの。私だったら自分の婚約者が別の相手を好いていたらそれはそれで嫌な気持ちになる。
「――私はクライアン様と話して、やっぱりクライアン様は素敵な方だと思いました。クライアン様は妹に冷たいなんて言われているけど、優しいって知ってますよ。だからクライアン様が『氷の子息』なんて呼ばれるのは嫌だなぁと思います」
それは私の心からの言葉だった。
だから私はその日から、友人たちや家族、知り合いにさりげなくクライアン様の良さを広める活動を始めた。
だって優しい方が妹との関係のせいで、そんな風に言われてしまうのは嫌だと思ったから。
私がそうやって、クライアン様のことを話していたからだろうか。マドガーレ様に話しかけられてしまった。
「貴方、お兄様と仲よくしているのでしょう? お兄様はどうして貴方とは仲よくして、私とは仲よくしてくださらないのかしら?」
正直な感想を言うと、自分で考えればいいのにと思った。
マドガーレ様の後ろには、王太子殿下たちがいて、マドガーレ様を傷つける発言でもしてしまったら今度は私が睨まれてしまうかもしれない。
「それはクライアン様に聞いたほうがよろしいかと思いますわ。私はクライアン様と恐れ多くもお話させていただいておりますが、クライアン様のお心を全て知っているわけではございませんから」
「お兄様は……私を避けているもの! 私はお兄様と仲よくしたいのに……。どうして貴方だけお兄様に優しくされているの? 私は妹なのに……」
当たり障りのない言葉をかけたつもりが、悲しそうな顔をされてしまった。
悲しそうな顔をマドガーレ様がすると、私を気に食わないとでもいう風に見つめられて、何だか嫌な気持ちになってしまう。
それから私がクライアン様と仲良くなっていることが広まってしまった。
マドガーレ様が色々言った結果広まったらしい。両親たちにはクライアン様と親しくしていることで少し色々言われた。クライアン様と仲よくしている事で、結婚相手を探すのは難しくなったりするのではないかと言われた。
……クライアン様は公爵家の子息だし、『氷の子息』だと言われていても、幾らでも引く手数多の優良物件である。
だからこそ、私はクライアン様とそういう仲になるとは思っていない。
きっと学園を卒業したら、クライアン様と関わることもないのだろうなと思うと少し寂しい気持ちになった。
クライアン様と関わるようになってしばらくが経って、クライアン様は学園を卒業する頃になった。
相変わらず『氷の子息』だと言われて、距離を置かれて、私もマドガーレ様たちに色々言われたりもしていた。だけどまぁ、特に大きな問題も起きずに時間は過ぎて行った。
「クライアン様もそろそろ卒業ですね」
「ああ」
「クライアン様が学園を卒業すると少し寂しいですわ」
「……ああ」
クライアン様は、卒業間近でも私と会話を交わしてくれた。
こうして卒業間近の時間帯でも、私と関わってくれることが嬉しいなぁとそんな風に思っていた。そう思って思わず微笑むと、クライアン様から不思議なことを言われた。
「ジュデン嬢は……婚約者はいないんだよな?」
「いませんわ。私もそろそろ見つけなきゃとは思っているんですけどね」
「……ジュデン嬢、その」
「何ですか?」
「私と婚約しないか?」
「え?」
「突然こんなことを言ってすまない。ただ私は……ジュデン嬢とこれからも話したいなと思ったんだ。このまま卒業して、会話を交わせなくなるのは嫌だと思ったから」
なんだかそんなことを言われて、同じことを考えてくれているのだなと嬉しくなった。
「私は嬉しいですけど、公爵家当主にクライアン様はなるでしょう。どんな相手でも選べそうなのに」
「ああ。いいんだ。……私はジュデン嬢がいい」
何て言われて、私はドキリとしてしまった。
美しい顔のクライアン様にそんなことを言われて、胸が高鳴らないはずはない。
私がその言葉に頷けば、クライアン様は嬉しそうに笑ってくれた。
やっぱりクライアン様は、優しい。
『氷の子息』なんて言われていても、思いやりがあって、素敵な人だと思う。その素敵な部分をもっと広めていこうと、それを私は決意するのであった。
卒業後、クライアン様に嫁ぐことになったので、そのための準備を進めている。マドガーレ様には何だか信じられないものを見る目で見られてしまった。何か探るような事は言われたけれど、それだけだったので特に気にせず残りの一年を過ごすことになった。
最後の一年で、学園がバタバタしてしまった。
なんと、二年生に転入してきた貴族の令嬢をマドガーレ様が気にかけているのだ。何だかその転入してきた令嬢が王侯貴族の子息たちと仲良くなったりして、それでバタバタしていた。
マドガーレ様は、なんというか、よくわからない行動をしていて……、よく分からなかった。
その令嬢は、マドガーレ様に話しかけられて戸惑っていたし、何故だかマドガーレ様の周りにいる男性とその令嬢を付き合わせようとしていて良く分からなかった。
……クライアン様にも会わせたらしい。その令嬢が大変戸惑っていたらしい。
「……マドガーレ様、よく分からないことをしていますね」
「それは思う。私にも紹介をしてきたが、とても戸惑っていた。マドガーレは何をしているのだろうな。そもそも婚約者のいる私に紹介するものではない」
「それはそうですね。マドガーレ様って、私が義姉になるのを認めてないですよね」
「……もう父上たちにも話を通しているし、マドガーレが何を言おうがこのまま結婚する気だが」
「ふふ、嬉しいですわ。クライアン様。それにしてもどうする気なんでしょうね。あの方と周りの子息の人を付き合わせようとして。というか、皆マドガーレ様のことが好きなのでしょうに」
クライアン様に休日に会った時にそんな会話を交わした。
マドガーレ様は王太子殿下の婚約者であるが、明らかに周りにいる子息たちはマドガーレ様を好きでいるように見えた。
そんな相手から別の令嬢をお勧めされる彼らは、嫌な気持ちになったりしないのだろうか? と思ってしまう。
「まぁ、マドガーレが何か取り返しのつかないことをする前に、私も両親も働きかけはするつもりだが」
「やっぱりクライアン様は優しいですわね」
「優しくはないだろう」
「いえ、優しいですよ。だってマドガーレ様の中身は、クライアン様の妹ではないのでしょう。そういう人を何だかんだ気にかけて、マドガーレ様が何かをした場合フォローしようとしている。それだけでも優しいですわ」
本当にどうしようもないほど、優しい。
冷たいなんて冗談じゃない。優しいからこそ、マドガーレ様を何だかんだ気にかけている。
クライアン様とマドガーレ様の関係は、普通の兄妹とは違うだろうけれども――それでも兄妹なのには変わりないのだろう。
私たちが卒業する頃に、マドガーレ様が件の令嬢相手に迷惑をかけて、それをクライアン様はフォローしていた。そんな気がない彼女に無理やり婚約を結ばせようとしていたのだ。慌ててクライアン様に連絡した。
そしてクライアン様はその時に、マドガーレ様と話したようだった。クライアン様たちがマドガーレ様が、本物のマドガーレ様ではないと知っていることを話したらしい。それ以降、マドガーレ様は前のようにクライアン様に「お兄様は、冷たい」なんていうことはなくなったみたいだ。
そして私は、相変わらず冷たいとか、氷のようだとか所々で言われるクライアン様の隣で生きていくことになる。
「ランシール、寒くないか」
「ええ。大丈夫ですわ」
クライアン様は口数が少ない。そこまで言葉を紡がない。それでもやっぱりクライアン様は優しいと思う。
私はそんなクライアン様の傍に居られることが幸せで、思わず笑みをこぼしてしまうのだった。
――妹に冷たいと噂の公爵子息は、案外優しい。
(案外優しい公爵子息の隣に私はいる)
何となく書いてみようと見切り発車で書いたものです。
マドガーレは憑依者です。それ以前の記憶はないです。
クライアンは自分の妹と中身が違うと知っているから、適度な関係を保っているけれど、憑依したマドガーレを気にかけてないわけではないです。
マドガーレは此処が乙女ゲームの世界だと思っていて暴走気味でしたが、クライアンと話して少し落ち着いてます。だけど周りがマドガーレに甘い人間が多いので、これからも苦労すると思います。
感想などもらえたら嬉しいです。




