お料理編-その3
斎藤亮二、九歳、男、つい先日クラスの女の子とデート経験済、は、喉が渇いて目を覚ました。
「あー……空になっちゃた」
買い物に出かける前に、兄がスポーツドリンクを置いて行ってくれていたが、もう飲み干してしまっていた。兄を呼ぼうかと思ったが、トイレも行きたい。自分で行くか、と亮二はがんばって起き上がり、壁に手をついてフラフラする体を支えながら、ゆっくりと階段を降りた。
情けないなあ、と亮二は思った。ちょっと無理をするとすぐに熱が出る。今回は学校であったドッジボール大会が原因だろう。久々に学校行事に参加できたのが嬉しくて、つい張り切ってしまった。同じクラスの子は誰一人、それこそ女の子だって熱なんか出していないのに、本当に情けない。
風邪ひとつひかない丈夫な体の兄に、元気を分けてもらいたい。心の底から亮二はそう思った。
「あれ?」
そんなことを考えながらなんとか一階へ降りたところで、台所から聞こえてくる声に気付いた。一人は兄の声だが、もう一人は聞き慣れない女の人の声である。
誰だろう、と思ってそっと台所をのぞいてみると、兄が、ボブカットにクリクリした目の可愛らしい女の人と一緒に、料理をしているのが見えた。
「あーもー、だから猫の手しなさい、て言ったでしょ! はいすぐ洗って!」
「いや、大したことないし……」
「だーめ! ケガした手で作った肉じゃがを、弟くんに食べさせる気?」
兄が情けない顔で手を洗っている間に、女の人はカバンから絆創膏を取り出し、洗い終えた兄の手をハンカチで拭いて手際よく絆創膏を貼っていた。
「これでよし」
「悪いな、宮城」
「どういたしまして」
あの人が宮城さんかー、と亮二はうなずいた。大好きな兄が、時々話してくれる高校の同級生。なんでも古武道の達人で、ケンカが強い兄でもかなわないぐらいの強さだという。
そういう風には見えないけどなあ。
年上の人に失礼かもしれないが、なんだかすごく可愛らしい人だと亮二は思った。あんな可愛い人と放課後に自宅の台所で並んで料理をするなんて……やるじゃん兄ちゃん、である。
「んー、こんなもんかな?」
亮二が見ていると、宮城さんが小皿を取り出し、鍋の中身をお玉ですくって味をみた。
そしてその皿を、そのまま兄に差し出す。
「ほれ斎藤くん、ちょっと味見て」
「おう」
「どんな?」
「おお、うめえな! ばっちりだぜ、宮城」
兄の返事に、嬉しそうに笑う宮城さん。うわー、それ間接キスだよね、なんて小学生男子としては大事件の光景だったが、二人とも平気な顔だ。あの程度、高校生ともなると大したことではないのだろうか。
「……そうでもないか」
よく見ると、兄が残った食材を片付けている横で、宮城さんが小皿と兄を交互に眺めながら頬を赤くしていた。なんていうか、「うわ、うわ、間接キスしちゃったよぉ」なんて言っているような、そんな気がする。
「うん、邪魔しちゃダメだよね」
しょうがない水で我慢しよう、と亮二は静かに台所を離れ、洗面所で水を飲んでから部屋に戻った。
──そして一眠りし、宮城さんが作った肉じゃがの美味しさに感動した亮二は、お礼が言いたいと兄に頼むのだが。
兄がいまだに宮城さんと連絡先を交換していないと知り、これはだめだ、と呆れるのであった。