お料理編-その1
とある平日の夕方。
斎藤和一、十七歳、男、女性との交際歴なし、は、駅前のスーパーで特売品のニンジンを手に、険しい顔を浮かべていた。
「おりょっ、斎藤くん」
そんな彼に声をかけてきたのは、斎藤のクラスメイト宮城早苗、十七際、女、彼氏なし。ボブカットにクリクリとした目の、なかなかに可愛らしい女子高生だ。
「あぁん? なんだ、宮城か」
「ニンジンにガンつけて、なにしてるの?」
「どっちがいいか選んでただけだろうが」
「いやいや、斎藤くんの眼光は、ホントに怖いんだってば」
やたらと背が高いくせにひょろひょろとした体型の彼は、風貌がまるで骸骨。私服はなぜか黒ばかりで、天然パーマで赤みがかった髪が乗っかれば誰もがビビるヤンキー少年だ。
そんな彼が、険しい顔をしていれば誰も近寄りたくないというもの。事実、たいして広くもないスーパーだというのに、彼を中心に半径十メートルには誰もいなかった。
「きっと眼光だけで、ニンジンを茹で上げることができると思うんだよね」
「ほっとけ」
斎藤は「よしこっち」と右手に持ったニンジンをかごに入れると、次なる食材を求めて歩き出した。
そんな斎藤に、宮城が当たり前のようについてくる。
「ねえ。斎藤くんって、今日は体調不良で早退したんじゃなかったっけ?」
「あぁん? 俺じゃねえよ、弟だよ」
斎藤には溺愛する弟がいた。これが兄とは正反対の、穏やかで儚げな「美少年」としか言いようのない子だ。現在九歳の、小学二年生。喘息で一年休学したことがあるゆえか、弟に対する兄の気遣いは少々度が過ぎており、普通の人ならドン引くレベルだ。
「昼前に『熱が出た』て、小学校から電話かかってきてな。迎えに行ったんだよ」
「第一報が斎藤くんに来るの? 保護者じゃなく?」
「亮二の保護者といえば、俺しかいないだろう!」
聞けばもともとは母親に第一報が入るよう届け出ていたそうだが、斎藤が自ら小学校に乗り込んで、連絡先を変えさせたらしい。
「それは怖かっただろうねえ、小学校の先生」
のどかな春の夕方、帰宅する児童を見送り、ホッとしたひと時を迎えた職員室に乗り込んでくる真っ黒な骸骨。
その光景を思い浮かべ、宮城はあきれ度百パーセントの声で告げたのだが、斎藤はドヤ顔で胸を張る。
「亮二のためなら、俺は世界とだって戦うぜ!」
「斎藤くんの人生は、弟くんのためにあるんだねえ」
「ま、今のところはな」
「変わる予定あるんだ」
「まあな。俺だって好きな女ができたら、亮二より恋人を選ぶぜ」
「ふうん。それはいいことを聞いた」
「ま、そうなっちゃ困るから、当分彼女なんて作る気ないけどな!」
「……あげといて落とすか、コノヤロウ」
何やら小声でモゴモゴとつぶやく宮城。そんな宮城に気づく様子もなく、斎藤はジャガイモを手に取った。
「お、ジャガイモも安いな。ラッキー」
「ふうん」
宮城は斎藤の買い物かごを覗き込み、なるほど、とうなずいた。
「今夜は肉じゃがですか」
「よくわかるな」
「そりゃまあ、その材料だしね」
ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、いんげん、そして豚のこま切れ。まごうことなき、典型的な肉じゃがの材料である。
「亮二がなあ、熱出すとなぜか肉じゃがを食べたがるんだよ」
「おかゆとかじゃないんだ」
「あいつ、おかゆとか雑炊とか嫌いなんだよなあ。俺は好きだけどな」
「ほう、なるほど」
宮城は何やら小さくガッツポーズしている。よくわからない行動だ。
「今日は親父もお袋も仕事で帰らないんでな。ま、シェフ・斎藤の出番というわけよ」
「ふうん、いいお兄ちゃんだねえ」
「だろ? 惚れるなよ?」
なぜか絶句し、怒ったような顔で真っ赤になる宮城。ううむ、軽い冗談のつもりだったが、不快にさせてしまったか、と斎藤は心の中で反省した。
肉じゃがの材料を一通りカゴに入れると、斎藤はまっすぐにレジに向かった。
「あー……ところでお前、買い物は?」
斎藤がレジに並ぶと、宮城もまた一緒に並んだ。しかし宮城は手ぶらである。ここはスーパー、何か買い物があってきたと思うのだが、よいのだろうか? とは当然の疑問だ。
「えっ? うん、まあ、私は……そう、あれを買いに来ただけ」
宮城が指差したのはレジの向こうにある大判焼きのお店だ。この近辺で一番美味しいと評判のお店であり、斎藤もたまに買うことがあった。
「……じゃ、さっさと並んで買ってきたらどうだ?」
「うるさいな、私がどう行動しようと勝手でしょ」
斎藤の質問に、宮城はまたもや不機嫌になる。
はて、こいつはどうして怒っているのか?
相変わらず、何がスイッチかわからんやつだ、と斎藤は頭をかく。しかしこれ以上怒らせて実力行使に出られたらまず勝てない。
触らぬ神に祟りなし。
斎藤はそれ以上追求することをやめ、宮城とともにレジ待ちをすることにした。