迷い犬編-その5
「……てな感じだったんだ」
その夜、斎藤和一は今日一日あったことを子細漏らさず弟に話して聞かせた。
なぜそんなことをしたのかというと、宮城早苗のアドバイスである。
「ところで斎藤くん、弟君にデートのなんたるかは語れそう?」
家まで送り、「また明日」と言って別れた直後に呼び止められ、斎藤は宮城にそんなことを聞かれた。
「あっ、やべ!」
斎藤は思わず声を上げた。犬探しに夢中で、弟の頼みをすっかり忘れていた。まずい、どうしよう、弟をがっかりさせてしまうと、斎藤は慌てふためき、挙動不審となり、助けを請う目で宮城を振り返った。
「ど、どうしよう? さっぱりわからねえ!」
「……コノヤロウ」
「え?」
「な・ん・で・も・な・い!」
なぜか宮城はまた不機嫌になった。宮城のご機嫌スイッチがどの辺にあるのか、斎藤にはさっぱりわからない。
「……はぁ……もういい」
「いや、そんな、見捨てないでくれよ!」
斎藤にとって弟の頼みは「絶対に断れない戦い」であり、常に勝たねばならぬものである。このまま虚しく帰るわけにはいかず、助けてくれるというのであれば土下座だってする覚悟だ。
「あーもー、わかったわかった。じゃ、今日一日私と何をしたのか、一切合切を事細かに話してあげなさい」
「え? なんで?」
「知らん! 弟君に聞け!」
アドバイスしておいて「知らん」はないだろうと思ったが、宮城はひどくご立腹の様子で、そのまま家に入ってしまった。
まさか呼び鈴を押して呼び出すわけにはいかない。呼び出したとして、これ以上怒らせて実力行使に出られたらまず勝てない。腕っ節にはそこそこ自信がある斎藤だが、宮城の強さは達人レベル、次元が違うのだ。
そんなわけで斎藤はすごすごと家路に着いた。そして他にいい考えも浮かばなかったので、宮城の言う通り、今日一日のできごとすべてを弟に話したのである。
「そっかー。ありがとうお兄ちゃん! すっごい参考になったよ!」
宮城のアドバイスに対し彼は半信半疑であったが、話を終えると弟はすごく喜んでくれた。
大満足である。これで兄の面目は保てたというものだ。
「そうか。これでいいデートできそうか?」
「うん。ありがとう! お兄ちゃんにお礼しなくちゃね!」
「何言ってるんだ。カワイイ弟の頼みだ、お礼なんていらねえよ」
「でも僕、いつもお兄ちゃんにしてもらってばかりで……」
「気にするな。俺はお兄ちゃんだからな!」
しかしあまりにも弟が恐縮するので、ならば教えてくれと、斎藤は宮城の別れ際の言葉を伝えた。
「……てな感じでな。なあ、なんで宮城が怒ったか、亮二にわかるか?」
「えーと……お兄ちゃん、それマジで聞いてる? 本当にわからない?」
「おう、マジでわからん」
斎藤が胸を張って答えると、弟は「たははは」とわかりやすく嘆き、頭を抱えた。
「ごめん、お兄ちゃん。それはお兄ちゃんが自分で気づかないといけない、そんな気がするんだけど」
「……俺、何かやらかした?」
「あー……うん、盛大に。きっと致命傷」
「げっ、なんだよ、教えてくれよ! あいつめちゃくちゃ強いんだよ、ボコられたらどうしよう!?」
「うーんと、それはないと思うけど」
どう頼んでも弟は教えてくれず、ただ「できればすぐに連絡して、今日は楽しかった、て伝えたほうがいいよ」とアドバイスされた。
その際、弟のことは一切話さない方がよいらしい。
「わけわからんが……」
体は弱いが頭のいい弟のアドバイスだ。きっと適切に違いない。身の安全のためにもすぐに宮城に連絡しようと、斎藤は急いで部屋に戻りスマホを手に取った。
「……あ」
しかし、そこで重大なことに気づく。
「俺、あいつと連絡先、交換してねえ」
やべえ、どうしよう。
後悔したが後の祭り──斎藤が宮城の気持ちに気づくのは、もう少し先のことのようである。