迷い犬編-その4
トイレから戻ってくると、宮城はいつもの宮城に戻っており、斎藤はやはりそうだったかと大いに反省した。
「すまんな、宮城」
「え、なにが?」
「いや、配慮が足りなかった。午後はちゃんと、トイレ休憩を設けよう」
「……それはどうも」
なぜかゴミでも見るような目で見返されたことに斎藤は首を傾げたが、おそらく「トイレ」とはっきり言ってしまったのが原因だろうと結論づけた。
デリカシーとは、本当に難しいものである。
宮城はしばらく不機嫌だったが、どうでもいいことを話しているうちに機嫌も直ったようである。
北へ行っても犬はおらず、ここまできたらとことん行こうとさらに西へと向かい、二人は仲良くお互いをからかいながら迷い犬探しを続けた。
「いなかったな」
「いなかったねー」
迷い犬を探しつつ町内を一周し終えたのは午後五時。結局それらしい犬は見つからず、体力に自信がある二人もさすがにくたびれてしまった。
「やっぱり手がかりなしで探すのはムボーだったね」
「そうだな」
「では解散しますか」
「おう。おつかれ」
にこやかに手を振り踵を返した宮城。そんな宮城に、斎藤は当然のようについていく。
「え、なに?」
「いや、もう夕方だしな。送っていくぞ」
「えーと……大丈夫だよ? まだ明るいし。方向逆でしょ?」
「すぐ近くだろ? 気にするな」
遠慮する宮城に、遠慮しない斎藤。宮城は斎藤からそっと目をそらし、何やらゴニョゴニョつぶやいていたが、最後に「……それじゃよろしくお願いします」と答えて黙り込んだ。
夕暮れの町を、二人はてくてく歩いていく。犬を探しているときはくだらないことを話し続けていたというのに、宮城は人が変わったように無口だった。
なんとなく、居心地が悪い。
この居心地の悪さはなんだろうか、と斎藤が悩み、ううむ、と唸ったそのとき。
「ワンッ!」
ものすごく見慣れた犬が、二人に向かって吠えてきた。
「きゃっ!」
「うおっ!」
考え事をしていたため、二人は驚いて声を上げた。
「こらコマチ、吠えちゃダメよ。すいません、驚かせてしまって」
驚いている二人を「ヘッヘッヘッ」とにやけた笑みで見上げる犬。そんな犬に代わって、飼い主であろう品の良い初老の女性が謝ってくれた。
「あ、いえ、その……」
「大丈夫……ッスから」
「本当にごめんなさいね。うふふ、デート、邪魔してごめんね」
上品で楽しげな笑顔と、何か勘違いしているらしい言葉を残し、夕日の中へ去っていく犬と飼い主。それを見送り、姿が見えなくなったところで二人は手にしたチラシを広げた。
広げたチラシに、二人して視線を落とす。
『飼い犬を探しています──柴犬、メス、四歳。名前はコマチです』
そんな文章に続いて、凛々しいいでたちの柴犬の写真。その写真は先ほど吠えられた犬にそっくり。
いや、あの犬そのもの。
見慣れているはずである。
なにせ今日一日、二人はずっとこの写真を見ていたのだから。
「おい宮城……」
「斎藤くん……」
二人はチラシから視線を上げ、お互いを見つめる。
見つめ合うこと、およそ十秒。
「ふっ……ふふふっ……」
「くっ……くくくっ……」
同時にこみ上げてきた笑いを必死でこらえ、しかしこらえきれずに吹き出し、お腹を抱えて笑い出す。
「お、おい、宮城。このチラシ、いつのだ?」
「し、知らない……拾っただけだし」
「それ、ゴミが飛ばされてきただけじゃ……ぎゃはははっ!」
「そうかも! あはははっ、今日一日、必死で無駄なことしてたね!」
なんというか、怒る気にもなれず、謝る気にもなれず。
ただただおかしくて、二人はいつまでもお腹を抱えて笑っていた。