プロローグという名の愚痴
気分転換。
客観的に幼少期からの人生を考えてみると、決して恵まれていたようには思えなかった。
産まれつき顔にあった痣により虐められ、決して優れているとは断言できない容姿を弄られ、今で言う躾を逸脱していた暴力による躾をうけて、よく小学生、中学生と多感な時期に自殺しなかったものだと自分を褒めてやりたい気持ちになる。
体罰に緩く、良く言えば寛容な時代であり、普段は厳しいが、母や父の時折みせる優しさによるものだろうなとは、なんとなく思った。
転校したてで友達もいないから興味のない野球チームに入り小学校三年生から、中学校二生までを無駄にし、告白は毎回撃沈、ラブレター、メール内容は晒される。そんな残酷な時代。
その幼少期から家を出るまでの二六年と家を出てから六年の歳月を繰り返したいかと言われると全力で拒否をしたいところだ。
理不尽な酒飲み親父による暴力、母親からの産まなければよかった。産む気は無かったなどの言葉の暴力を進んで受けたいものなど居ないだろうし、職場の上司のパワハラ、モラハラも二度と受けたくないとはっきりと言えるし、一人で処理しきれずに仕事を流してくる同僚、口煩いだけの主婦パートとは、一生顔を合わせたくないと声を大にして言える。
だからこそ、主張したい。今の俺の状況を最悪という言葉以外で表せられる人間がいるなら俺の前に出てきてほしい。そして、代わってくれ。
それが、武藤浩康、元三十代、現状六歳の切なる願いだ。