9 Unfortunateと百鬼夜行、そして真犯人
「あ? 誰だお前」
「……」
確か八月の中頃の筈だ。ここ一、二年強化された変異者特別措置法、メントクの執行対象になって忌々しい焼きごての跡と共にシャバに放り出された俺はこのクソ暑い外をぶらついていた。この焼き印のせいでまともな店じゃ入れさせてくれねえ。ヤクザ同然の扱いだ。
寂れた路地裏をほっつき歩いて辿り着いた袋小路で引き返そうとした矢先、後ろにはこの連日の熱帯夜にいるとは思えぬ全身真っ黒なロングフードを被った男が一人、何をするのでもなくそこに突っ立っていた。
見た瞬間に本能がヤバいと感じ取ってはいるのに体が言うことを聞かねえ!
「城後 宙離だな? 三十二歳、昨年五月メントクの執行対象になり約一年の特別措置及び懲役を終えて一昨日出所。変異者としての特性は隠密行動か。上出来だな」
「おいコラ! てめえ誰かって聞いてんだよ!! 人の事いけしゃあしゃあと喋ってくれてんじゃねえよ!! 一体誰だっつてんだろ!!」
「─Unfortunate、不運を齎す者とでも分かるか。お前のようなゴロツキにはこれで十分だ」
─不運を齎す者と聞けば俺みたいな奴でも知っている。いや、恐らく変異者─特に犯罪人のそれでは知名度が段違いだ。何しろMandelbrotの創設時のメンバーにして初代ナンバー2。側近中の側近としてその悪名を世界規模に広めた張本人、そして核ミサイルを使用してきた国に対してはその能力を用いて一国を自滅に追いやった。
能力がある程度明らかになっている変異者の中では強さ、凶悪性ともに桁違いの男。
なんでそんな大物がこんな場所に現れてんだよ!?
「は…はっ、そんな大物サマがこんな奴に何のようなんですかね?」
「一つ、依頼をしに来た」
「依頼?」
「そうだ」
そう言って渡されたのは何か薬品が入った注射器三本と、拳銃がしまってあったアタッシュケースだった。薬品の方は若干青色っぽい感じの液体で拳銃の方は六発装填されていた。
「これは?」
「注射器に入っているのは変異者の特性を向上させる代物だ。とりあえず今ここで一発打ってみろ」
そうは言うもののどうやったってその話を馬鹿正直に信じる気にはなれない。大方違法ドラッグとかその類なのであろうが、嫌とは言わせない雰囲気というかオーラを放っていた。
前も後ろも塞がれやけになってその注射器を腕に刺す。最初は普通に痛かったが、次第に薄れ打ち込んだ箇所から血管が浮かび上がり全身に広がると言葉にできない幸福感に包まれた。
言葉でわざわざ表現せずとも、自らが、変異者としての自分がより格上の存在になったような感覚を覚えた。
「こいつは……すげえ!!」
「効き目は実感したようだな。本題に入ろう。この女を殺害して欲しい」
「産巣か……! いいね…」
とにかく誰でも良いからこの能力を試したいという衝動を抑えきれなかった。
しかし、相手は世界屈指のヒーロー。そんな生半可なものでは太刀打ち出来ないというやる気を削がれるが冷静で妥当な判断を奴から下された。
それからはほんの二週間ほどで今までとは別物の力を身に付け当日、見事に産巣相手に挨拶代わりの鉛弾をぶっ放して、自前で用意したサバイバルナイフで散々に切り刻んでやった。
あの時の言葉に出来ない高揚感や達成感もそうだが無慈悲に裂傷を増やしていくと、あの産巣が絶望に歪んでいく顔と言ったら最早これ以上に嗜虐心をくすぐるものは今までに見たことが無かった。
この際と思い、熱を帯びて膨らんだそれを慰めさせようと思ったところで邪魔が入った。
結局三本とも注射し能力だけでなく身体機能も向上した俺はその腰の抜けた男がこちらを見ていることにすぐ気づいた。口封じにこいつも殺そうと思ったところでそいつは確かにこう言っていた。
──オマエ、キエテシマエ。
「!!!」
不思議と脳内に反響していたあの言葉を何度も噛み締めていた俺は、滝のように流れた汗を拭う。
あの後無我夢中になってその場から逃げ出し、気づけば朝になっていた。
そしてあれが現実だったのか幻だったのか考えるよりも先にある感情が湧き上がっていた。
……あの訳わかんねー奴は、絶対に殺してやる。
その後で産巣が意識不明になりながらも一命を取り留めていたという情報を不運を齎す者から得ると、追加で注射と銃を発注した。報酬から差し引かれると聞いたがそれでもあの二人を確実に殺さなければという強迫観念が突き動かしていた。
そしてさらに能力の訓練と注射を重ね、退院日だという9月30日に計画を実行に移すことにした。場所は入院先である病院。日付の変わる未明頃に侵入し、産巣を殺害しついでに病院内にいる奴らも殺してしまおうという算段だ。
狙いのあの男は殺せないがそれでも産巣だけを殺害して帰るのはどうにも区切りが悪い。他の入院患者をついでに殺して慣れておくのも悪くないと考えた。
そしてこれが終われば得た報酬であの男に関する情報を買い、徹底的にそして残虐に殺してやろう。
ああ、楽しみで楽しみで楽しみで!!
これ程に人を殺すという行為が快楽を味わえるものであると何故もっと早く気が付かなかったのだろうか!!
「と、見事に薬の副作用でサイコキラーになったわけですねーあの小悪党はー」
「当然だな。短期間で元々伸びしろのない三流が一流に一矢報いるには悪魔の契約しかあるまい。あの薬品は命を削るドーピングだからな」
哀れな快楽殺人を望む愚者に堕ちた男が投与したあの薬品は、疑似的な能力の覚醒を促す代物だがその代償は麻薬と何ら変わりない。それをあえて言わずに渡したのは依頼主の意向だ。
だが実際にそれでも一矢報いることには一度成功し、懲りずにまたやろうとはしているものの成功の可能性はそれなりにあるだろう。城後が保有する能力はそれだけの有用性はある。
「しかしー? あの突然現れた子は何なんでしょうかー? 『Parallel』とヒーローさん達は付けたようですがー。どうしますかー?」
一言一句に気が抜けるような独特な間を入れる女性は悩ましげなような素振りを見せる。
どこか男を誘惑するような動きにもUnfortunateは全く態度を変えずに続ける。
「あれは、今はいい。下手に手を出すな。それより百鬼夜行。現幹部がこんな場所を出歩くな。役目を果たせ」
「ちゃんとー、果たしてますよー。こう見えてもー、仕事はいつも絶えないのでー」
Mandelbrotの現在の幹部の一人であり世界でも珍しい動物型と異能型の混種である彼女、百鬼夜行はUnfortunateの生真面目な発言にもおどけたような態度を見せ受け流す。
元より仕事に関しては厳格だが、仕事をこなしている人物に対しては意外にも寛容であることを幼少期より教育係と生徒という関係で接してきた彼女は十二分に理解していた。
「それよりー、パラレルくんに情報を渡しましたねー? あの小悪党が病院を襲う情報をー。──何を考えてるんですか」
最後だけ声色を張りつめた素に近いものにして詰問する。それは自らを現在の地位まで至る過程で最も恩を感じている人物に対する警告。これ以上組織と衝突することがあれば命も保証できないという。
「まあ、元々は産巣の首でも献上しようと思ってたんだがあれと接触して気が変わった。あの男には将来の台風の目の試金石になってもらうことにした。既にポテンシャルでは百鬼夜行、お前を超えているだろうからな」
「……そう言うのであれば。でもー、私があの子に負けているっていうのは心外ですねー。…手出そうかなー?」
「止めておけ。あれは絶対的強者、その卵だ。下手に刺激して覚醒されるとボスみたいに手に負えなくなる」
「なーるほどー。そういうことですかー。では、このことは不問、ということでー」
「パラレルのことも、な。分かってるな?」
「ええ。それが条件でしたよね。分かっていますよ」
百鬼夜行は自らの周囲に九つの狐火を浮かべると霧に紛れるようにして姿を消し、Unfortunateも静かにその場を去った。
─いよいよ、舞台に役者は揃った。