原爆投下は虐殺。
連載の方に載せるべきか悩みました。
私が初めて、原爆の恐ろしさを知ったのは小学校の頃です。
長崎の原爆資料館を巡り、語り部のお婆ちゃんの話を聴いて涙し、恐怖に震えました。
『黒い雨』
内容は悲惨その物です。
原爆投下後に降った灰と放射能まみれの雨。
黒い雨。
内容は敢えて書きません。
気になる方は、探して読んでみて下さい。
胸が痛くなりますよ。
私が近代史に興味を持った原点です。
日本人は大日本帝国は、それほど迄に『悪』だったのか?
当時は、まともな資料を読む機会もなく。
又、基礎知識も不足していたので、挫折しました。
その転機は、インターネットの普及により、正確な情報や新しい論文や説を読む機会が増えた事です。
原爆投下に関しても、様々な論が飛び交っています。
しかし、どんな言葉や理屈を捏ねても。
虐殺は虐殺です。
日本が降伏しないから『民間人』を虐殺した。
アメリカ兵五十万人の為に『民間人』数万人を一瞬で殺し、原爆症で死ぬまで苦しめた。
これの何処が真っ当な理由ですか?
当時の日本は既に虫の息でした。
海上は封鎖され、制空権も無い。
民間人は、毎日飛行機による機銃で殺されている。
ドイツ、イタリアは先に降伏している。
既に、太平洋戦争は終結間近だったのです。
日本が妥協しなかったのは、天皇の処遇だけで、後は全面降伏を受け入れる用意があった事を伺えます。
何処に原爆投下をする意味がありますか?
天皇とは日本人にとっては、心の拠り所でした。
正確には天皇家ですね。
キリスト教でいうならローマ教皇ですね。
ぶっちゃけるとキリスト教より歴史も古いです。
世界最長の現存する王朝は、伊達ではありませんよ。
昭和天皇が決断したら、原爆投下の有無関係なく、本土決戦は起きていたでしょう。
そして、昭和天皇はそんな愚かではありません。
太平洋戦争でも戦後を見越していた散文が多数あります。
終戦の折り。自決も命乞いもせず、自身の命と引き換えに、臣民の安寧を願う方ですよ。
王として責任を取る為に、最期まで天皇であり続けた方です。
東京湾や近海で、爆発させるだけで、充分降伏はあり得ました。
都市部に落とす理由が、全くありません。
しかも型の違う原爆を落とす。
まるで、実証実験を兼ねた虐殺ではありませんか。
ソ連を牽制する為と言う方もいます。
なら何故、大陸より離れた九州や中部に落とした?
全く理屈に合いません。
そもそも、民間人を巻き込む戦闘行為は、唾棄すべき最低な行いです。
空襲も然り、日本もその最低な行いをしています。
それでも戦略的な意味を考え見ると、ギリギリ理解はできます。
しかし、原爆投下は、その戦略的に意味があるのか甚だ疑問です。
そして、その無意味な虐殺を承認したのは。
フランクリン・ルーズベルト。
ハリー・S・トルーマン。
この二人です。
アメリカは、民主主義国家であり軍部はその下にあります。
軍部が勝手に作戦を立案し実行はあり得ません。
この二人が大統領の名の元に、マンハッタン計画を立案し、実行を指示したのです。
どんなに詭弁を労しても、虐殺は虐殺です。
本来なら、死人に鞭打つ趣味はありませんが……
『鬼畜』
私はこの言葉を彼等に贈ります。
そして日本人が忘れてはならない名前です。
最後に。
今の世界情勢は、核開発が活発になっています。
原水爆は、細菌兵器や毒ガスと同じ、唾棄すべき兵器です。
しかし、現実は核武装へと進んでいます。
大切なのは『核の悲劇をどう防ぐか?』ではしょうか。
核の悲劇に嘆くのでなく、悲劇に学び省みる。
それが、最大の弔慰だと私は思ってます。
原水爆で亡くなられた全ての人に弔慰を込めて。
なお、他の短編と重複している部分がありますが、見逃して下さい。
知っている人は知っているニュートロンジャマー………作ってくれないかな?