セイレナの腕とアシエル
まだタルハとフェネシェアには追いついていない。ほぼ同時に寮を出たはずなのに、想像以上に距離が離れていたみたいだ。
周りには他にも生徒たちがいた。みんな同じ方向に急いでいる。
ここにいる全員は変異種が出たと知っているからか、ふざけるような雰囲気はない。下手をすれば怪我、最悪の場合は命を落としかねないと全員が理解している。そのため逃げる集団の中には、悪性の焦りが生まれつつあった。
そんな集団の中に、一際目立つ一人がいた。なぜ目立っているのか理由は単純で、逆走をしているのだ。今、変異種がいる寮に向かおうなんて異分子以外の何者でもない。邪魔にしかなっていなかった。
丁度その逆走と出くわしてしまった人からの文句が聞こえる。それでも逆走をやめるつもりはないようで、しばらくすると人混みから抜けてきた。
「あいつ、なにやってんの?」
私の口が勝手に動いた。この独り言は仕方がない。舌打ちは止めたので及第点だ。
逆走犯はアシエルだった。目的地は、間違いなく私たちがいた寮だ。脇目も振らずまっすぐ走っている。
知らない人が寮に向かっているなら『そういう人なんだろう』で納得する。しかし私はアシエルを知っている。知人の自害にも見える行為を放置するのは気分が悪い。特に、イーシリアを思うと声をかけずにはいられなかった。
アシエルの身に何かあったらイーシリアはとても悲しむだろう。イーシリアとの約束を破った上にアシエルの命が乗ると考えると、止めなければいけないと使命感が湧いてくる。それに私はまだアシエルを見返していない。
タルハとフェネシェアに追いついていないのは小さな幸運だったのかもしれない。他の誰かに気を使う必要がなくて、アシエルに声をかけやすかった。
後ろからでは無視されるかもしれない。アシエルはそういうやつだ。そう思い、正面に回り込んだ。
逆走について、すぐに文句をぶつけるつもりだった。しかし声は喉で止まる。その表情はあまりにも威圧的で、鬼気迫るものがあった。その迫力に押されてしまった。
それを理由に逆走を許す訳にはいかない。一度顎に力を入れてから、怒鳴りつけるようにした。
「どこに何をしに行くつもり?」
寮にいる変異種に会いに行こうとしていると想像できる。それでも私はあえて問いかけた。もしかしたら違うかもしれない。変異種が出たと知らないだけかもしれない。もしそうだとしたら、この辺りの騒ぎに疑問を抱きそうなものだけど。
アシエルは変異種を知っているのだろう。変異種が生まれる原因になる濃縮点を探していたのは、他でもないアシエルだ。調査してからすぐに変異種が発生したから、もしかしたら責任を感じているのかもしれない。
だとしても、駄目だ。この先へは行かせない。もし死なれたら、私も今までの仕返しができなくなってしまう。イーシリアも悲しむ。
アシエルは無言だった。それは私の声が届かなかったからではない。アシエルが私に目を向けたのは知っている。短い間だったけれど目が合った。声は届いているはずだ。
それなのに無視をされた。正直な所、気分はよくなかったけれど、そんな小さなことをいちいち気にする余裕はなかった。
アシエルは私の横を通り過ぎた。言葉はなし。足を緩めもしない。そういうつもりなら、私にも考えがある。
すぐ後ろに手を伸ばせば届く。私はアシエルの腕を掴んだ。
「無視はすんな」
さすがに腕を掴まれれば無視はできないか。アシエルは振り向いた。険しい表情はそのままだ。平時にこの顔で睨まれたなら、私は萎縮していたかもしれない。
「離してくれ」
そこに会話はなく。お互いに自分勝手を押し付けるだけだった。アシエルはどんなつもりか知らないけれど、私はそのつもりだった。
「先生に任せておけばいいの。あんたよりもずっと信頼できるから」
「関係ない。邪魔をするな」
ぐいと手を引かれる。しかし振りほどかれる強引さはない。それで私は少し安心をした。話をする気はあるみたいだ。
「邪魔って? あんたが何をしたいのか知らないから、それがわからないと何が邪魔になっているのかわからないんだけど」
ついさっき『先生に任せればいい』と言ったのに、私は何を言っているのだろう。失敗したと確信して、それが表情に出た気がする。アシエルはそんな私に気づかなかった。それだけ急いでいる?
「離せって言っただろう」
「掴まれているのが嫌なの? じゃあ掴んだままにしようかな。私、アシエルがあまり好きじゃないし。嫌がるならやる価値ある」
アシエルは再び私の手を払おうと、腕を引く。私はそれでも離さない。袖が揺れて、私の手首が顕になった。
「ふざけ――ちょっと待て。その腕……」
突然アシエルから熱が抜けた。あまりにも激しい変化で、私は虚を突かれた気分だった。今、アシエルが腕を引いたなら、私の手は簡単に振り払われていたかもしれない。
アシエルの変貌は極端すぎた。今までの記憶を失ったかのような変わりよう。演技だったら名役者で、演技じゃなければ予想していない強烈なものに出会って意識がそれたのだ。アシエルは後者だった。そう判断できたのはアシエルが私の手首を握ったからだ。
「えっ、ちょっと何?」
「黙ってろ」
突然、手首を握られて、騒ぐなと言うのか。無茶を言う。
痛みが走った。無数の針が所狭しと腕に刺さるような痛みだった。痛みは浅かったけれど、間違いなく痛みがあった。
「イーシリアさんとの約束を反故にしたな。まあ約束はいい。とにかくこの腕だ」
アシエルが私の腕を強引に翻す。それに引っ張られて、私の体は傾いた。「何するの」と文句を言ってやりたい。しかしその気がすぐに失せた。アシエルが示した場所、私の腕の裏側には、血の滲んだひび割れが広がっていた。それを目にした瞬間、今まで何を考えていたのか思い出せなくなるくらい、頭の中が真っ白になった。
パキと小さな音がする。私の腕に血が沈んだひび割れが広がる音だった。
「なんとかなるか? 治せる人の話は聞いた覚えがあるが」
自分の身に起きた変化についていけなかった。縋れる相手は目の前にいるアシエルだけ。嫌な奴だ、と考える余裕は全くなかった。
私はアシエルの肩を掴む。さっき腕を掴んでいたけれど、それとは全く違う意味合いだ。
「これなに?」
「魔素で変異しかけている。症状が軽いだけで、今朝から暴れているやつと同じだよ。体の大きさや魔力の適正で人間は変異しにくいが、対象外ではないということだ」
「治せるの?」
「基本的には治らない。しかし治せる人はいるらしい。俺もはっきりとは知らない。昔イーシリアさんからそんな話を聞いたんだ。本当にいるかは確認していないし、存在していたとしても近辺にいるかどうかも不明だ。あまり期待はしないことだな」
アシエルが嘘つきであったなら、私は些か気が楽だった。しかしそうではないらしい。感覚的なものだけど、アシエルは真実を口にしている。
変異種を見たばかりの今に、腕が変異していると聞いて、気持ちが落ち着くはずがなかった。腕だけでもあんな異常な姿はごめんだ。姿が変わるだけで済むならばまだ楽なのかもしれない。変異種は凶暴性を身につける。腕の変化が精神に影響しないとも限らない。
アシエルによると、この腕は治せないわけではない。しかし簡単にはいかないようだ。私も変異種が元の姿に戻るなんて話は聞いたことがない。
「どうして約束を破った」
言っているのは、魔法書の魔法を使わないというイーシリアとの約束だろう。アシエルに責められても言い返せない。自身でも約束破りは気が咎めた。だからと消極的になるつもりはないけれど。
「フェネシェアが危なかったから、仕方なく」
こんな、鱗がびっしりとへばり付いているような腕になるとわかっていたら、魔法を撃っていただろうか。自分の気持ち悪い腕を見ていると、後悔の念が湧いてくる。しかし、もし魔法を撃たなかったらフェネシェアが命を落としたかもしれない。それを思うと、この程度の後悔で済んでよかったのかもしれない。
アシエルは頷く。まるで私の心情を肯定してくれたかのように感じた。
「約束を守って死人を出すよりはいいか。後でイーシリアさんに相談してみよう。俺から伝えておく。必要以上に責めるなとも言っておく」
つい昨日までのキツイ当たりはどこにいったのやら。私に対するアシエルは人が変わったようだ。別人に変わったと言われたら信じる。
「私、アシエルに何かした?」
そんな疑問が湧くのが自然だ。
「何もされてない。今後も何もしなくていいぞ。面倒事を増やされても嬉しくない」
昨日までに少しだけ戻ったようで、無碍に扱うような言葉だったのに、私の口角が上がった。
アシエルは私から目を外す。何を考えているのかと思えば、アシエルは寮に向かってあるき出した。
「おっと危ない」
私は離していた手で、アシエルの腕を再び掴んだ。
「離せ」
「イーシリアさんに、この腕のこと、話を通してくれるんでしょ。その前に危険なことされると困るんだけど」
アシエルの言葉をつまらせる、とてもよい理由だった。
「どうしても行くなら、私もついていく。これでも変異種に傷をつけた実績があるからね。こんな腕になっちゃったなら、魔法を二発、三発と撃っても同じでしょう。アシエルが変異種と会って何をしたいのか知らないけど、牽制くらいならできるよ。どう? 一人で行くよりはいいと思わない?」
私はあの変異種とまた会って、何をしたいのだろうか。会う理由はないけれど、会いたくない理由ならある。それなのにどうして付いていこうと思ったのか。自分でも馬鹿みたいに感じた。
アシエルは数回の瞬きの間に熟考する。
「守ってやらないぞ。最悪の場合は命の危険がある」
「わかってるって。一度会って逃げてきたんだよ。あの変異種に関しては、アシエルよりもよく知っているね」
アシエルが既に矛を交えていなければの話だけれど。
反応を見る限り、まだアシエルはあの変異種を知らないようだ。アシエルはじっと目をつむり、きっと私の提案を飲むかどうかを考えている。
私がじっと待っていると、アシエルは瞼を上げた。私の瞳を睨むような強い目で見つめてくる。
「変異種を殺す。そのために力を借りたい。数発くらいなら、魔法を撃っても大きな問題にはならんだろうさ」
思っていたよりもずっと素直な答えで拍子抜けだ。でもわかりやすくてとてもいい。
「なんだ。アシエルも話がわかるときがあるんだね。ただの嫌なやつだと思ってた」
「その認識でいい。あまり好意的に思われても嬉しくない」
アシエルは余計な言葉を混ぜないと安心できない生物なのかもしれない。そうしなければ落ち着けないならそれでいい。私が理解を示してやろう。過去、私を馬鹿にしてくれたことを許すつもりは全くないけど。
「一つだけ言っておく。これは冗談や雑談の類ではない」
アシエルの真剣な眼差しは継続している。
「うん。聞かせて」
「おまえは魔法を使うな」
数発なら問題ないと言ったばかりなのに、早速訂正とは驚いた。でもこれはいい。アシエルは私の腕を心配してくれたのだから、魔法は控えるように言ってくれるのは嬉しい。
それよりも、私には気がかりなことがあるから、そっちから対応していこうと思う。
「前に『おまえ』と呼ぶなって言わなかったっけ? 『そいつ』だったっけ」
私には名前があるから、そっちで呼ぶように言ったはずだ。確か、初めての実習後、アシエルと廊下で会ったときだった。
「言っ……てたか? どうでもいいだろ」
「よくない」
重要だ。名前で呼ばれていないと見下されている気がするのだ。私にはアシエルが折れるまで争う覚悟はできている。目をそらせないよう、じっと睨みつけてやった。
「……わかったよ」
その言葉を引き出すのは容易かった。
「それで、名前なんだっけ?」
ああ、やっぱりアシエルなのだ。私をイライラさせる術に長けている。名前を覚えられていないのは、私なんか眼中になかったと言いたいのだろうか。そんなに魔法使いとして差があると認識されていたとは……。やっぱりアシエルは好きになれない。
「セイレナ・マイオム・パスイ!」
二度と忘れられないように、ゆっくりと時間をかけて、アシエルにぶつけるように強く言い放った。
「セイレナな。また忘れたら教えてくれ」
「忘れんな」
「そんなくだらない事よりも、とにかく魔法は可能な限り控えろ」
「くだらないって……はぁ。腕をこれ以上悪化させたくないし、なるべく少なくなるようにするよ」
なんかもうどうでも良くなってくる。しかしこれから変異種と対するなら、真剣にならなければいけない。先生が倒してくれていたら素晴らしいんだけど、寮はどんな状況なのだろうか。
寮の方から激しく物が壊れる音がする。まだ変異種は健在のようだ。
「効率化が済んでいないおまえ――睨むな悪かった。セイ……レナ? の魔法は無駄に溢れる魔力が多すぎて魔素を生みやすい。魔素は変異をより悪化させて凶暴性を強くする」
「そもそも魔素ってそんな簡単に生まれるものじゃないでしょう。でも私の腕はこうなっちゃったし、変異種は変異を進めたけど」
「変異種は魔素を放出する。魔素は魔素を生みやすい状態をつくる。だから変異種が相手の魔法は気をつけないといけないんだ。魔法の効果に対して、多すぎる魔力を使うと、相手を強くするだけになりかねない」
「よくわからないけど、使わなければいいのね」
窮地があったら、そのときは躊躇わずに魔法を使わせてもらおう。それ以外は、基本的に観戦になってしまうのだろうか。寂しい気がするけれど、変に魔法を使うと変異種を強くするそうなので仕方がない。
「そういうことだ。後は、変異種は外に出して処理する。魔素は日光で浄化されるから変異種は太陽に弱い。晴れていてよかったな。なるべく太陽の下にいるようにしろ。これだけ忘れなければ邪魔にはならない」
「はいはい。邪魔はしませんよ」
アシエルは薄ら笑みを浮かべながら頷く。柔らかい表情で、仏頂面よりはずっといい。もう堪えきれないのか、顔を寮へ向けると急ぎ足になった。
アシエルが寮に向かっても、私はもう腕を掴んだりしない。代わりに言葉で引き止めた。
「責任でも感じているの?」
「なんの話だ」
アシエルは変異種に対して必死過ぎるように見えるのだ。理由は一つ思い当たる。
「一昨日、濃縮点があるかどうか調査してたでしょう。なんて報告したの? 濃縮点は変異種を発生させて危険だから、あるなら見つけないといけない。問題なしと報告したのに出たなら、必死になるのもわかる気がする」
アシエルは完全に足を止めて体ごと振り返る。寮に背中を向けて、口をモゴモゴと動かしていた。きっとどの言葉から始めるか迷っているのだ。迷いがまとまったのか、アシエルはすぐに語りだす。
「この学校は基本的にあらゆる場所に陽が入るようになっている。そのおかげで濃縮点はなかなか見つからなかった。しかし一点だけ危険性がある場所があった。掃除用具が入った箱の影だ。そう報告している。だからその点に関しては責任感はない。変異種を思うのは個人的な感情だ。因縁がある。因縁があるのは別の変異種なのに同一視してしまうんだ」
アシエルに悲壮感が漂う。とても茶化せない姿だった。
因縁については深く訊かないでおこう。踏み込んではいけない線な気がするのだ。気に入らない相手でも、その線は守らなければ人として間違っている。
辛い話はするものじゃない。私は話の中心をずらそうと、アシエルから寮へ、視線を動かした。
「私としても、あんなのに学校をうろつかれたら、たまったものじゃない。行ってなんとかしてやろうか。先生がなんとかしてるかもしれないけど」
寮まで戻ったら事が終わっていた。そんな未来があったら素晴らしい。変異種が振りまく、危険に踏み込まなくて済むなら、それが一番いいのだから。
そんな未来に憧れているのは私だけだった。アシエルはまた別のようだ。アシエルはずっと現実的だった。
「先生って、どの先生だ?」
「知らない。私は今日初めて会ったから。名前を訊ける雰囲気でもなかったし」
「そうか」
残念そうにするアシエルは印象的だった。先生全員の名前と顔を覚えておけばよかっただろうか。今はまだ、ようやく学生生活が日常になり始めた頃だ。上級生の担当教師どころか、私たち一年の担当教師すら把握しきれていない。覚えようとしてこなかったからだ。
アシエルは先生たち全員の見分けがつくのだろうか。特徴だけ伝えれば判別できるだろうか。もし判別できるなら、私は怠慢だったのかもしれない。
「金髪の女の先生だったよ。どうしてどの先生か気にするの?」
「変異種の出処だ。俺が濃縮点の報告をしたのは教員にだった。もしかしたら、教師の誰かが俺の報告を利用して、変異種を発生させたのかもしれない」
「意図的にってこと? なんで」
「さあな。死人を出したかったとか、変異種から生徒を守った英雄になりたかったとか、理由はいくつか考えられる。真実は発生させた本人に訊かない限りはわからない。そもそも発生させたという俺の話がまず憶測だ」
憶測と言うけれど、私も納得できる話だった。調査の直後に変異種が発生したのは、濃縮点が浄化される前でなければ変異種を生み出せないからか。アシエルの報告から一日だけ空いた理由は、全く間を空けない本当の報告直後だったら情報を持つ人が限られて犯人の特定が容易になってしまうから。
今朝が変異種を発生させる最後のチャンスだったなら、今日の昼頃かそれ以降に濃縮点を浄化する予定が入っているのかもしれない。濃縮点の調査をしたアシエルなら、いつ頃浄化する予定だったか尋ねられる。もしくはもう尋ねた後か。今日、浄化をする予定になっていたなら、その予定を知っていた人が変異種を発生させた可能性がある。
これも全部、根拠もなにもない推測だ。しかし違和感なく受け入れられた。自分で出した推測だから矛盾点が見えていないだけかもしれないけど。
「金髪の女性教師となると、二人いたな。……両方ともしっくりこない」
「じゃあ外れているのかもね」
所詮は想像ってわけだ。
「誰の悪意もなく、このタイミングで自然発生したなら、それが一番いい。変異種を排除すれば終わりだ」
「そっか。犯人がいたら、そっちも対応しないといけないね」
もし変異種を意図的に生み出した犯人がいたとして、変異種の排除が犯人の目的を阻害するなら、今後の私たちは邪魔者として認識される可能性がある。犯人が邪魔者を排斥しようとするなら、私たちは対象になるだろう。まず間違いなく抵抗する。
犯人が邪魔者を放置するとしても、また変異種を作り出そうとするなら、やっぱり対処しないといけない。
「できればやりたくはないな」
「じゃあやらなくてもいいんじゃないの。アシエルも学生なんだから、そこまで求められてないでしょ。ここまでは自主的にやっているだけで」
まず間違いなく義務ではない。濃縮点の再調査と、報告の義務が今後生まれるかもしれないけれど、今目の前にある変異種と、それに付随する問題は無視しても誰も文句は言わない。アシエルはここの生徒でもあるのだから。
でも、義務とか責任とか、そんな理由でアシエルが動いているという、その考え自体ががズレているくらい私でも理解できる。
アシエルが口にした因縁とは、きっと変異種を利用する存在にも向けられていたのだろう。これも想像だけど。
「気に入らないんだよ。変異種を作る考えが」
私は頷いて肯定する。アシエルへの同調、それとついでに自分の腕が変異し始めていることを好意的に考えられないから。
「誰でもいい気はしないよ。変異種にされる動物は、つらい思いをするし」
鱗のようにヒビが入った自分の腕を眺めた。上から柄の入った布を被せたような、非現実感がある異様な見た目だった。もしこれが全身で起こり、更にそれ以上酷い変異に見舞われたなら、私はきっと耐えられない。
寮でまだ暴れているであろう変異種は、変異種としてこの世に誕生したわけじゃない。最後まで残っていた毛深い足を見る限り、元はもっと別の生き物だったはずだ。それが誰かの勝手によって捻じ曲げられたなら、それはとっても酷い行為だと思う。
私の腕は自爆みたいなものだ。自ら招いた結果だけど、現実逃避に走るくらいは辛い。もしこれを他人にやられていたらと思うと、きっと私はなんとしても仕返しをしようと企んだに違いない。
きっとこれ以上、話を続けていても楽しくならない。
「足を止めさせちゃったね。もう十分だから行こう。怖気づいたなら避難してもいいけど」
アシエルは鼻で笑う。
「怖いが、そういうことじゃないからな。行くぞ」
不思議と私は怖くなかった。ついさっき、変異種に対して過去に類を見ない緊張感を抱いたのに、すっかり平常心に戻っている。忘れるには短すぎる時間しか経っていないはずだけど、私はもう変異種の恐ろしさを忘れてしまったのだろうか。
変に緊張しすぎるよりはいい。落ち着いていれば、周りがよく見える。それで助かる命があるかもしれない。おわずに済む怪我があるかもしれない。
目標は無傷だ。約束を破ってしまったイーシリアのためにも、アシエルがやられないように手助けする。もちろん、私も怪我一つするつもりはない。イーシリアに約束を守れなかったことを謝るためにも勝たなければ。
タルハとフェネシェアにも迷惑をかけているかもしれない。私がいなくなって心配させているのではなかろうか。そこまで仲良くなった覚えはないけれど。