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選り抜き迷い道

 イーシリアから受け取った地図は実に見やすくて、入り組んだ道が続くのに迷わずに目的地まで案内してくれた。

 腰までもない小さな板が扉横に立てかけられている。そこに『選り抜き迷い道』とかすれた字で書かれていた。

 掃除を怠っているのか、窓が曇っていて内側が見えない。足元にはゴミが散乱している。たまたま風に飛ばされたゴミかと疑ってみると、ゴミは石畳に貼り付いていた。

 狭い路地の途中にあるせいで、店先にはどの時間帯も太陽はないはずだ。見上げた先に雲は見えても、太陽はどこにもなかった。

 本当にここで合っているのだろうか。あまりにも寂れすぎている。陰気で人が好んで入るとは思えない。

 しかし何度地図を見ても、やはりここなのだ。

 そのとき、私の鼻を何かが刺激した。考えなくてもすぐに答えが出てくる。これは、肉が焼ける匂いだ。匂いだけでも美味しい。

 匂いは正面の扉からするようだ。見た目通り、扉は劣化して穴が空いているのか、匂いが漏れてくる。

 私は『選り抜き迷い道』という食堂に向かっているはずだった。この匂いは、食堂である証明として、とても説得力がある。

 違ったら違ったでまた地図を見返せばいい。どうしてもたどり着けないなら、イーシリアのお店に戻ろう。

 そう考えながら、錆により悲鳴をあげるヒンジを強引に動かした。

「綺麗」

 思わぬ光景に口が開いたままになった。扉の内側は、外とは打って変わって上品という言葉がぴったりと当てはまる。別世界に繋がっていたくらいの差異が、外と内とであった。

 天井から下がるガラス細工の明かり。壁に飾られたどこかの丘の絵。目に入る備品には傷も汚れもついていない。木製の机と椅子は面が整っていて、光沢まである。どれも新品のようだ。肉の匂いの中でも微かに木材が香ばしい。

 でもやっぱりボロ屋なのは間違いないようだ。足を動かすと床板が軋む。決して私が重いわけじゃない。

 席数は少ない。四人席が五つあるだけ。お店自体がそこまで広くなかった。

 その席の一番奥、男が一人で座っていた。他にお客はいない。肉の匂いは彼の注文ということだろうか。

 店員の姿はなかった。無人のカウンターしかない。

 食堂と聞いていたけれど、喫茶店のようだった。食事よりも飲み物が出てきそうな静かな雰囲気がある。

 このお店には悪いけど、私は喉に何かを通そうと思って来たわけじゃない。店員がいなくても全く困らない。一つだけ、ここが本当に私の目的地なのか確かめられない問題はある。それはあの奥に座る男と話をしてもわかること。

 床を軋ませながら、私は奥へと進んでいく。

 最奥の机の正面まできても、男は顔を上げなかった。それどころか、微動だにしていない。寝ているのだろうかと顔を覗き込みたくなるほどだ。

 彼は目を開けて瞬きをしていた。静かな場所だから、微かに鼻息も聞こえる。

 もっとちゃんと、どんな人と会うのかイーシリアに訊いておけばよかった。せめて名前くらいは。唯一、教えてもらえた特徴の赤髪は一致している。

 何もしないままでは、腕の変異は治らない。赤髪という特徴は一致しているし、ほとんど間違いはないと思う。だから、声をかけよう。しかし、どんな話題から会話を始めればいいのか全く出てこなかった。

 無言で紹介状を机に滑らせた。話題がないなら、話をしなければいい。

 男は眼球だけを動かして、私の顔を睨むようにした。あまり気分のいいものではないけれど、それよりも私は自分の腕に興味がある。

 男は紹介状をつまみ上げ、繊細な細工にでも触れるかのように丁寧に封を切る。

 紹介状の内容が気になる。その思いを抑え込んで、男が読み終わるまで待った。

「随分と落ち着いているんだな。腕はどうでもいいのか?」

 静かな店内だから聞こえた。

「騒ぐ元気がないんですよ。朝からいろいろあって、もう何日か徹夜している気分です」

「そうか。余程のことがあったのだな」

「あったんです。……名前を伺っても?」

 男はようやく顔を上げる。陰気な人だと第一印象ではそう思った。しかし間違いだったかもしれない。その両目は暗いと言うには明るすぎた。

「座ったらどうだ? 立っているのが好きなら、無理にとは言わない」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 イーシリアに警戒するように言われたのに、心を許しすぎていないだろうか。でも椅子に座るくらいなら大丈夫だろう。

 さっきまでは私が影になって、男の顔には暗がりがあった。私という影がなくなったことで、男の顔にも光が当たる。

 第一印象は陰気な人。次に感じたのは明るい顔をしている。そして今は、怪しい人だ。私に向けられた笑顔は、計算されて作られたような、感情が見えないながらも好印象を抱いてしまう顔だった。

 私が陰気だと悪印象を持ったから、それを修正するために好印象を与えられる顔にした。そう考えれば納得できる。他人の心を読めるはずがないし考えすぎだろうか。

「私はメヘル。それが名前だが、まあ好きに呼んでくれていい。外見的特徴でも、あだ名を好きに作ってくれても構わない」

「ではメヘルさんと」

「わかった」

 私も名乗るべきだろうか。自分から相手に名前を尋ねておいて、自分は教えないなんて失礼、したくない。しかしイーシリアの言う通りどこか不気味な人だ。名乗っていいものだろうか。できれば、失礼になっても、私のことは教えずに腕を治してもらいたい。

 名乗るのはやめておこうと決めた。でも訊かれたら、正直に答えよう。

「腕を戻してほしいとあるが」

 メヘルは紹介状を私に向けて、その文を指で示す。魔素により変質した腕を正常に戻してほしいと書かれていた。

「はい」

「わかった。見せてみろ。変異を中和させよう」

 あまりにも普通に言うものだから、私は少し驚いた。メヘルにとっては、人の変異も珍しいものではないのかもしれない。

「本当に治せるんですか?」

「正常な腕に戻せる。君に合わせて治療すると表現しようか」

 私は些かの不安を抱えたまま、腕を机に乗せる。まだ痛みがある。しかし学校にいた頃よりは随分とよくなった。今は笑い話ができそうなくらいは楽だ。

 しかしそれは腕が袖の内側にある今だけ。見せるために袖をめくると、刺すような痛みが強くなり、私の顔は歪んだ。

「では、治そうか」

 説明もなにもなしに、メヘルは私の腕に手をかざした。魔法を使うかのように。

「待ってください」

 ついそう口走る。運動なんかしていないのに、呼吸が若干辛かった。何をされるのか、本当に治るのだろうか。

「治さないのか?」

「治したいですよ。でも――」

「不安か」

「そんなところです」

 そのとき、初めてメヘルがちゃんと笑ったような気がした。ほんの一瞬だけ、見間違えたか思い込みと言われればそれまでなくらい、微かで儚い一瞬。

 私は、今はもうない過去の一瞬に見とれていた。

「その腕は異常だからな。魔素による変異なんてそう経験するものじゃない。他人ができない経験ができたんだ。幸運だとは考えられないか。しかも、偶然にも私への伝があった。よかったじゃないか。しかし、きっとこれは仕組まれたことだが」

「仕組まれた?」

「その話はやめよう。とにかく、認めてやることだ。未来と過去の自分を」

「どういう意味ですか?」

「その腕は、いびつではない。ちゃんとした腕だということだ」

 理解ではきなかったが、それ以上の説明はなかった。

 メヘルは会話のついでに、私の腕に手をかざす。魔法を使いそうな仕草で、何かを始めた。

 私はメヘルばかりを見ていたから、気がつくまでに時間がかかった。ふと目線を下にすると、私の腕が綺麗な色をした人間の腕へと変わっていくところだった。

 神秘的な変化だった。変異していた腕は、一部が腕に溶けていき、一部は剥がれて自壊しながら天井まで昇っていく。剥がれたものは徐々に小さく、最後には光の粒になって消えた。

 最後だけど、初めて変異した腕が好きになれた。あまりにも美しかったから。

「これは魔法ですか?」

「変異の中和は魔法ではない。先天的な能力だ」

 腕が治っていく光景は、じっと見ていられた。本当に綺麗だったのだ。もっと長い時間、見ていても飽きない。

 空気に色を付ける魔法を習った。あの魔法か似た魔法でこの光景を再現できないだろうか。いつでもどこでも幻想的になりそうだ。

 残ったのは感動と、私の腕だった。ちゃんとした私の腕。長さも太さもいつもどおり。痛みももうない。変異はなくなり、望んでいた腕になっていた。

「違和感はないかな?」

 手を握って開いてを繰り返す。その動作は自然なものだった。手首を曲げても、肘を曲げても異常はない。

 右と左で同じ動作をして、差異を確かめてみようとしても、両方共に同じような感覚で動いて、差異なんてものは見つけられなかった。

「違和感なんてないですよ。こんなに綺麗に治るものなんですね」

「少しは変異を残せばよかったか?」

「いえいえ、完治が最高です。ありがとうございました」

 限界まで頭を下げたくなるくらい、私はありがたいと感じている。椅子に座ったまま礼をする。机に伏す直前まで。

 あまり旋毛を見せつけるのもどうかと思う。私は眼前にある机に染みを見つける前に、頭を上げた。

 これでもう逼迫した悩みはなくなった。両手を上げて学校へ戻れる。アシエルにも安心してもらえるだろう。なんだかんだで気負わせてしまったみたいだし。

 足音がした。そちらの方を見てみると、腰近くまでの髪を伸ばしたエプロン姿の女性がいた。とても手入れが行き届いて輝いている髪に目が行きがちだけど、手に持つ皿を見逃してはいけない。

 そういえばここは食堂だったっけ。皿からは、ずっと匂いを振りまいていた肉がある。

 皿は私の前を通り過ぎ、メヘルの前に置かれた。

 女性は終始無言、メヘルも無言で皿を手元に引き寄せていた。

 さらりと靡く長い髪。ここが食堂だと考えると衛生面が気になる。そんな理由から私は女性を見上げていた。まさか目が合うとは思っていなかった。

 女性は瞬きも最小限で、呼吸も感じさせないくらい止まっていた。口のみを動かして、細い声で言った。

「注文は?」

 とても整った顔立ちだったもので、私は異性愛者なのにドキッとしてしまった。

 気恥ずかしさを誤魔化すためにもメニューを探す。机にはない。どこか壁にボードがあって、そこに書かれて――いない。メニューらしいメニューが見つからなかった。

「食欲があるなら、好きに注文するといい」

 見ていられなくなったのか、メヘルは皿に口をつける前にそう言う。

「好きにですか?」

「作れないものは無理だと断らせてもらいます」

 メニューがないのはそういう理由か。客の要求のみでやっているのだろう。好きな料理を伝えると、それを作って持ってきてくれると。

 それならば簡単だ。自分が食べたいものを言うだけなのだから。しかし私は好物を口に出せなかった。

「えっと、恥ずかしながら、あまりお金は持っていなくてですね」

「では、余り物を何か持ってきましょう」

「払えませんし。お腹が空いているというわけでも……」

 女性はくるりとその場で回ると、滑るように奥へと消えた。私の制止は全くの無意味だったようだ。払えないとはっきり言葉にしたし、無料でいいなら頂くとしよう。もう一度確認をするくらいは必要かな。

 少しすると、奥から物音が聞こえ始める。棚が開け閉めされる音、皿が置かれる音。静かだった店内が少しだけ賑やかになった。

 メヘルが食べている肉料理を見て思い出したことを口の中で反芻させる。気が進まないけれど、言わないわけにもいかないからだ。

 忘れてはいけないのに忘れていたこと。メヘルも頭になければ、なかったこと、にできたのかもしれないけど、それは私自身が許したくなかった。

「今まで完全に頭から抜けていたんですけど、腕を治してくれたじゃないですか。この治療費は、いくらですか?」

 今の私は無一文である。寮に戻ればいくらかあるけれど、変異種騒動で寮には近寄れないかもしれない。近寄れたとしても、足りるかは怪しいものだ。

 私の所持金は小遣い程度。お菓子代くらいしか持っていない。学校ではそれだけで十分なのだ。

 私がドキドキしている中、落ち着いたゆっくりとした動作で、メヘルは手を休める。

「対価は不要だ。どうしても払いたいのなら、払いたい額だけ置いてくれればいい」

「えっ?」

 無料は考えていなかった。

「私は借り貸しといった考え方はしない。君が私に対してなにか思うことがあるなら好きにするといい。恩を感じたなら恩返しをしてもいいし、しなくてもいい。逆に実は変異した腕を気に入っていて、治してほしくなかったと後々仕返しをしにきてもいい。その場合は反撃をする可能性があるが、仕返しそれ自体は否定しない」

 イーシリアは、利用するくらいの気持ちでいいと口にしていた。こういう意味だったのだろうか。

 メヘルは口元を歪めてからため息をした。

「しかしあまり投げ出すのも良くないか。そうだな、君は私に腕を治してもらった。私は君に腕を治させてくれた。お互い様で済ませていいのではないか?」

「治させてくれた? 治したかったんですか?」

「人のために何かをするのは、気分的に悪くないからな」

 イーシリアは必要以上に注意をしてくれた。メヘルには気を許すな。

 どんな悪人かと身構えた。しかしそこまでの悪人には見えない。人のためにするのは悪くないなんて言う悪人がいるだろうか。

 でも、イーシリアの言葉に嘘はなかったと思う。

 もしかしたらイーシリアはメヘルを勘違いしているとか? 私はすぐに自分で否定した。メヘルに紹介してくれたのはイーシリア。メヘルとは今日会ったばかりの私よりもずっと付き合いがあるはずだ。

 人の気配で私の思考は打ち切られる。

 後ろに振り向くと、すれ違うように机に皿と水が注がれたグラスが置かれた。

 女性はやっぱり無言で、用事が済むとさっさと裏へと戻った。無料なのかを聞きそびれた。

 余り物ということだったけど、皿の上は予想していたよりもずっと豪華だった。肉もあるし野菜もあるし果物もある。穀物も端で山を作っていた。メヘルが食べている料理よりもずっと高価に見える。

「これで余り物なんですね」

 何も帰ってこない。私の独り言になってしまった。

 悲しいとか寂しいとか、そんな感情は現れない。なんとなく察していた。メヘルはとても社交的には見えないし、実際そうなのだろう。一人でいるイメージがよく似合う。

 私は皿と余り物の隙間に差し込まれていた匙を拾う。野菜類は匙で食べきるのは難しいけれど、無一文の身分で贅沢は言えない。

 それは美味しくも不味くもない。普通の味だった。どこがどう美味しいのか、どこがどう不味いのかを考え始めると、数日は悩めそうなくらい特徴がない。悲しいくらいに普通だ。

 でも体が拒否感を示すほど酷いものじゃない。食事としては成り立っている。

 そういえば、朝食も途中だったと思い出しながら、お腹を満たした。

 終始無言で食事をした。食事中は静かにすると決めているわけではない。会話をするとしたら対面にいるメヘルになってしまうので、黙っていた。どんな話をすればいいのか、まるでわからない。食事という行為に甘えて、咀嚼音だけで静かにしていた。

 皿が空になってから、ようやく何と言うか決まる。

「今日はありがとうございました」

 長居しても座っているだけで他にできることもないので、御暇させてもらおう。匙を置いて腰を上げようとしたところで、私は止まった。

「……変異種でも出たのか?」

「よくわかりますね」

 ゆっくりと食事をするメヘルは視線を下に落としたままだった。

 私は椅子に戻る。私に答えられることがあるならば、協力したいところだ。腕を治してもらって、何も渡さずに帰るのは、後悔の種にもなりかねない。

 イーシリアからは利用するだけ利用するように言われたけれど、やっぱりそれはあまり私としてはいいとは思わない。

「君の腕には、複数の魔素が混じり合っていた。ほぼ間違いなく、変異種が原因にいるケースだった」

 変異を治せると、どんな魔素に侵されているのかまでわかるのか。

 複数の魔素とは、変異種が発していた魔素と、私の魔法によって発生した魔素、他にも混じっていたのかもしれない。

「発展した街中に変異種が出るとは、珍しいこともあるものだな。――陰謀であるならば、珍しいと表現するのは違うか」

 メヘルは『陰謀』を確定情報のように口にした。ずいと私は体を乗り出す。

「陰謀? あの変異種がですか」

「もしくは偶然。しかし偶然は考えにくい。本来私はアファレサにいるはずじゃなかった。必要になるからと、具体的な用件もなしで呼ばれ、ここにいる。一体どういった用件かと思って待ってみれば、君が来た。私でなければ対応できない魔素の中和という案件だ」

「呼ばれた? イーシリアさんにですか?」

「誰だろうな。誰に呼ばれたのかだけは知っておきたかった。君は知らないのだろう?」

「知りませんよ。そもそも、変異種も私の腕も、今朝になって急に起きたことですからね。私が変異種に対抗しようとか思わなければ、腕は正常なままだったと思いますよ」

「私を呼び寄せた何者かは変異種が出ると知っていた。最悪の場合の対応策として私を待機させたのか。変異する人間が出て、その人間が私に繋がる伝を持っていると確信していたのか。もしくは全て偶然か。考えれば考えるほど、偶然とは思えなくなるな」

 もし変異種が出ると知っていた人がいるなら、その人は犯人か協力者だろう。自ら表に出てくるとは思えない。

「なんであれ、仕事は終わった。実に平和なものだ」

「平和ですか」

 寮の方はどうなっているのだろう。大騒ぎをしているのではないだろうか。今の学校の騒々しさを想像すると、ここの静けさが貴重に思えてくる。

「他には、君みたいな人はいないのだろう? ならもう平和じゃないか」

「変異したのは私の腕だけです」

「あまり無茶はしないことだ。魔法を使うのだろう? ちゃんと学んで、雑な魔法は使わないようにするといい。どうしてもその魔法を使いたいなら魔素が出ないよう効率化を図れ。次も私がいるとは限らない」

「私がどんな魔法を使うかまでわかるんですか? 腕の変異だけで?」

「わかるのは得意な魔法区分くらいだ。しかし自らの魔素に侵される時点で、やり方を間違えている。どんな魔法でも、ほとんどの場合で効率化できるものだ。効率化は魔法を全体的に縮小させてしまうが、魔素を出すよりはずっといい」

「そうします」

「しかし、君の腕の変異はいい失敗だったな。私が治せることを考慮していたなら、失敗どころか大成功だ。いい過程になる」

 私は天井に手を伸ばす。変異種に放った魔法の感覚は焼き付いている。魔法を放った感覚と、効果的だった実感。

 殺害に興奮するような特殊な趣味はないけれど、対象を壊すのみに特化した魔法は気に入っている。イーシリアには魔法書の魔法は使うなと言われたけど、今後も使っていければいいと思っていた。また、変異種が出たときのためにも。

 だから効率化という考え方はとても受け入れやすい。あの魔法が自傷行為にならないなら、もっと変異種とも戦いやすかった。ジハグラドに助けられなくても、勝てたかもしれない。

 幸いにも私はアファレサ魔法学校の生徒だ。魔法を突き詰めるための環境が整った場所にいる。

 当面のやりたいことが決まってしまった。授業に対して興味が持てなくなりそうだ。

 早く進めるためにも、早く学校へ戻るとしよう。学校からは実質無断での外出だし、アシエルを待たせているかもしれない。早く戻るに越したことはない。

「では、そろそろ行きます」

「気は抜くなよ」

「わかってますって。変異種を出した何者か? は私を敵と見做しているかもしれませんからね」

 もし襲われたら、私に為す術はない。魔力は変異種を相手に使い果たして、まだ戻っていないし、万全の状態でも相手が上手だと思う。なんだかんだで、魔法に関して私はまだまだ未熟だ。

 今私ができることといえば、徒党を組むくらいだ。この後、イーシリアのお店に戻って、アシエルと合流。示し合わせていないけど、きっとアシエルは待っている。

 帰りは人が多い大通りで、学校に入ればもう孤立はできない。

「そうだ。自己紹介まだでしたよね」

 イーシリアはあまり関わるなと言っていた。しかし名前くらいはお互いに知っていてもいい。

「必要ない。もう会うこともないだろう?」

「必要ないって……」

 アシエルの顔が頭に浮かんだ。

「なんですか、その訊き方。もう会わないと思いますとか言いたくないですよ。それとも、私のことなんてどうでもいいんですか。そりゃあ親しい関係ではありませんけど、名前はお互いの関係性以前ですよ。私の名前をなかなか覚えてくれない奴もいますけど、そんなに私ってどうでもよく見えますか? 興味がないから覚える気にならないなら、そう言ってくれてもいいですよ。はっきりと言われたら引き下がるので。もう会わないとも限りませんし。もしかしたらどこかですれ違うかもしれませんし」

 メヘルがしばらく黙っていたのは、私の言葉が続くと思っていたからだろうか。

「君みたいな人とは久しぶりに会った。昔を思い出せたよ。あの頃と比べたら、様変わりしてしまったな。懐かしい」

 私が言い過ぎに後悔している間に、メヘルは窓から外を見る。雲が浮かぶ空を見上げていた。

「わかった。聞こう。聞かせてくれ」

「セイレナ・マイオム・パスイといいます」

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