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あの生き物が滅んですぐ

 先生の元に着いたのは、私が先だった。

 先生はまだ息をしている。荒い息をしていたから、よくわかった。状況はあまりよくない。しかし最悪は免れていた。その事実に安堵する。

 結局、誰も死なずに済んだのだ。寮がずいぶんと形を変えた以外には被害はない。私の知る限りはそうだ。

 先生は自分で止血をしていた。なくなった腕には若干赤みがある無色の結晶がへばり付いている。結晶の内側に、ところどころ血の赤い線が伸びているところを見るに、結晶の赤みも血液が由来なのかもしれない。

 先生は立つのも難しい状態だろう。止血をしたとしても、出血は尋常じゃない。体力も底をつきそうなはずだ。放っておいたらどんどん衰弱してしまう。

 それなりの設備がある救護室まで移動させる。変異種がいなくなったため、そこまで難しくないはずだ。怪我人の行く手を遮る者はいないはず。

 私もアシエルも疲れがある。私の肩はまだ痛む。けど、「アシエル、手伝って」

 言わなくても手伝ってくれただろう。

 私が先生を起こそうとして、しかし筋力不足で苦戦していると、アシエルが先生の肩を抱いて一気に持ち上げてくれた。

 救護室までの距離は近い。しかし疲れた状態で先生を引きながらだと遠く感じた。

 ジハグラドの横を抜ける。そのとき、先生は全てを理解したように微笑んだ。ジハグラドと目が合ったのだろう。

 ジハグラドは自分が教員よりも戦闘に優れていると口にしていた。簡単に変異種を滅ぼした姿を見ていたので疑っていたわけではないけれど、真実だったようだ。

「ふたりとも、ありがとう」

 きっと強い痛みを我慢しているであろう先生は、先ずその言葉を言った。無理をしている。血の気が引いた顔を見ると、心配以外はなんも湧いてこない。

 それなのにアシエルは平然と尋ねる。

「一つ訊いてもいいですか?」

 先生は声を出すだけでも体力の心配をするところにいる。それなのにアシエルは質問に答えさせようとしていた。ありえないと思う。

「アシエル、今は先生を休ませるのが重要でしょうが」

 私にも怒鳴るような気力はない。世間話をするような声で言った。これでアシエルの気が変わればいいのだけど、どうせ無理だろう。たった一言で思いとどまるようなら、そもそも質問をしようとはしていない。

 うるさく言えばどこかで面倒に思って、アシエルは質問を後回しにするかもしれない。

 もう一度アシエルに文句をぶつけようとしたとき、先生が私に笑いかけた。辛さを隠した、元気な表情。大丈夫と言っている気がした。

 怪我人や病人の大丈夫ほど不信感を掻き立てられるものはない。それなのに、私は黙ってしまった。

「何が訊きたいんだ?」

 とてもか細い声だった。肩を抱えるような距離でようやく聞こえるくらいの大きさ。

「なぜ変異種が現れたのか知っていますか?」

 先生は首を横に降って否定しつつ答えた。

「つい先日、濃縮点の調査が行われたのは知っているか?」

「はい。俺が調査しました」

「君がハユルノ君か。変異種と相対したのは、責任感があったからか」

「そんなに立派な人間じゃありません。もっと個人的な感情からです」

「被害が広がらなかったのは、その個人的な感情のおかげだ。私にもっと力があればよかったのだが。心から感謝するよ。おかげで私はまだ生きている」

 先生は空を見上げた。嬉しそうに口角を上げながら。少しして顔を下ろした頃には、上がっていた口角は戻っていた。

「変異種が現れた理由だったね」

 アシエルは頷く。

「恐らく、何者かが意図的に発生させた。ハユルノ君の調査結果を用いてね。危険域になっていた場所の濃度が下がっていたから、ほぼ間違いないと見ていい」

「そうですか」

「君は悪くないよ。むしろ調査結果を用いて変異種を作れたなら、しっかりと調査できていた証明になる。しっかりと役目を全うしてくれたね」

「ありがとうございます。しかし、喜んではいられません。二匹目、三匹目の変異種が現れる可能性は?」

「ありえる。しかし可能性は低い。変異種が生まれると、その場所の魔素が薄くなる。動物に結合した分だけ、その場からなくなるわけだからね」

「確かにそうなりますか。つまり、他に変異種を生み出そうとしたら、別に魔素濃度が高い場所が必要になる」

 正解だと先生は一瞬だけ微笑んだ。

「君の調査結果を使って変異種を作ったなら、逆に言えば君の調査がなければ変異種は作れなかったということだ。複数の変異種を野に放つ方法を持ち合わせている可能性は低い」

 アシエルは納得しているようだった。しかし私はそうもいかない。

 今、行われているのは、先生とアシエルとの会話だ。私は完全に蚊帳の外にいる。しかし割り込んではいけないという決まりはない。

「実は簡単に変異種を生み出す方法を持っているとは考えられない?」

 今まで部外者だった私が首を突っ込んでくるとは予想していなかったのか、アシエルは驚いたように目を開いていた。

 先生は特別な反応はせずに、普通に私に答えてくれた。

「もしそんな方法があるなら、濃縮点の浄化が終わって安心したところに放つだろうね。少しでも警戒が薄い瞬間を狙ったほうが自分勝手を通しやすくなる。どうして変異種を作るなんてことをしたのか、その理由を知るまでは断言できないけどね」

 確かにそのとおりかもしれない。変異種を簡単につくれるなら、学校側のガードが下がる瞬間まで待てるはずだ。行事で忙しい時期でもいい。より変異種は暴れられる。

 いろいろと考えたのだけど、アシエルの質問で思考が吹き飛んだ。

「その変異種を作った人って、誰かわかりますか?」

 それがわかれば一瞬だ。考える必要がなくなる。変異種を学校で生み出した人なら、どうして変異種を生み出したのか、理由を知っているはずだ。

 私としても興味をそそる質問だった。しかし先生は知らないと首を横にふる。

「ハユルノ君ではなさそうだね。そうなると、あの調査結果を知っているのは教員くらいだ。教員の誰か……考えたくはないけれど」

 残念ながらそう考えるのが自然だった。

「しばらくは教員を信用してはいけないよ。殺戮が目的だったなら、変異種が動きを止めた今、本人が動き出すかもしれない」

 もしそうなったら災難だ。教師になれるくらい魔法を知る相手に、私達では万全の状態でも勝てるかは怪しい。疲れがある今は、まず相手にならないだろう。出会わないよう祈るのみ。

 もう訊きたいことを終えたのか、それとも別の訊きたいことを探しているのだろうか。アシエルは短い間だけど黙っていた。次、口を開いたのは、緊張が解けて息を吐いた後だった。

「無理をさせてすみませんでした」

「無理はしていないよ。痛みを感じられる余裕があるんだから、会話くらいなんともないさ。それに私からすれば君たちは恩人だ。力になりたいんだ。もし勉強でわからないことがあれば、いつでも来てくれ。無理やりでも時間を空けよう」

 余裕があるなんて、血の気が足りない顔で言うセリフではないけれど、説得力があった。

 私は疲れた。アシエルも疲れているはずだ。それでも先生よりはずっと元気。先生を安心させる意味でも笑みを作った。

 その瞬間に、私の腕に痛みが走る。それは針が指すような痛みだった。

 痛みは変異した腕からだった。さっきよりも痛みが強くなっている。鱗のようにひび割れた腕は、変異を進めているに違いない。

 袖をめくって確認したいところだ。しかし先生にはこの腕を見せたくない。先生には自分のことを第一に考えてほしいのだ。腕を変異種に取り込まれるなんて、私よりも酷いのだから。

 アシエルがこちらを見る。口は開かないけれど、何を考えているのかはよく伝わってきた。辛い顔でもしてしまっただろうか。

 大丈夫だよ。と、手を振ってみる。痛みがある腕を使った。

 実際、大したことはないのだ。まだ笑える余裕がある。痛みがあるだけで違和感もない。寝起きを思い出させる若干の重さがあるくらいだ。

 さっきまで戦っていた変異種を思い出した。あの変異種は、全身が白色に変異していた。あれが変異する前、ちゃんとした動物だった頃、私と同じような痛みを感じていたのだろうか。

 考えたくないけれど、考えてしまった。

 全身をこの痛みが襲う。どんどん痛みが強くなり、自分の体が知らない何かに変わっていく。その過程はどれだけ苦しかったのだろうか。

 もし、変異種を生み出した存在がいるなら、私はその人を許さない。私の変異は自業自得な部分も多少あるけれど、あの変異種は別だったはずだ。この痛みを知っていたなら、非道にもほどがある。痛みがあると考えずにやったなら、人でなしだ。

 そういう意味でも、変異種を生み出した何者かは、いないでほしい。たまたま濃縮点に動物が飛び込んで変異種となった、そんな事故のようなものだったら、悲しい出来事だったで済むから。


 先生を救護室に送り届けた。ついでに私の肩も止血、治療してもらった。幸いにも日常生活に支障が出る傷ではなかった。あとは時間が解決してくれる。

 救護室を出てすぐ、アシエルは私に詰め寄ってきた。

「どこまで悪化している?」

 袖をめくろうとした。しかしうまくいかない。代わりとばかりに強い痛みが現れた。針で刺すような痛みとは違う。

「っ、なにこれ」

 誰かに訊かなくても自分がよくわかっている。腕に袖が張り付いているのだ。それを剥がそうとしたから痛みが出た。

 痛みが出たからと諦めたくはない。腕の状態を知りたい。変異した部分の端を少しでも見れればと、袖を持ち上げた。

 ゆっくりと動かしても痛みが伴う。腕と服の間に、飴のようにネバネバした何かが挟まっているようだ。うまく袖がめくれなかった。

 痛みを我慢してなんとか袖を剥がし、ようやく腕を目にする。

 真っ赤な腕に視線が触れる。視線は腕に張り付いて、私に焦りが生まれた。まともとは程遠い、グロテスクな見た目だ。

 鱗のような亀裂は健在だった。より大きく深くなっている。皮がめくれかかっている部分があって、落ち葉で覆われているようだった。見た目がとても気持ちが悪い。自分の腕だとは思えなかった。

 腕は血のようなもので覆われている。しかし真っ赤という色で表現するのは間違っているかもしれない。黒っぽさも混じっている。濃い血液のようだ。血の塊のような黒い砂が、所々に散りばめられている。

 飴のような粘り気は、血液の塊が原因だった。亀裂の線の所々に、濃い血液が溜まっている。袖にくっついて剥がれた血もあるようだ。一部だけが乾いていた。

「いい。隠しておけ」

 アシエルに言われずともそうする。見ていても辛くなる一方だ。

「これ、治るの?」

「保証はできないけどな。可能性は期待できるはずだ」

 治ると言われても、私は信じられない。元の姿が想像できないほど異常になってしまった腕。切り落とすしかないと言われたら、きっと私は納得する。

 そんな腕をいつまでも見たくない。私は腕を袖に隠してから抱きかかえるようにした。

 腕の変異が悪化する覚悟をしていたつもりだったけど、全然できていなかったみたいだ。張り裂けそうなくらいに辛い。

「すぐに出よう」

「うん」

 アシエルは一度、救護室に戻った。先生に校外に出ると伝えるためだ。

 救護室には助けた先生の他にも、教員が数人いた。看護担当の数人だ。無言での外出は褒められないので一言伝える。

 少し大声が聞こえてくる。もめているようだった。

 本来は、外出にはそれ用の手続きが必要になる。手続きを無視しようとしているのだから、いろいろと言われているのかもしれない。

 しばらくすると、アシエルが出てきた。引き留めようとする先生の手を払いながら。

「待ちなさい!」

 アシエルは先生を無視して、私の二の腕を掴む。

「せめて理由を話しなさい」

「行くぞ」

 たったそれだけ。私には意見をする時間すら与えずに、アシエルはぐいぐい引っ張っていく。先生は怒っているのか、声が大きい。アシエルは何らかの罰を負いそうだ。

 私も共犯になってしまうのだろうか。アシエルの行為は、私の腕を思ってのことだから、望むところではあるけれど。もっと別のやり方があったのではと思ってしまう。

 でも、そうしてでも私を優先してくれた。今まで散々、馬鹿にしてくれたけど、それらを水に流しても有り余る。

「ありがとう」

 恥ずかしいから、誰にも聞こえないように唇だけで言った。

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