始まり
上京したのは首都ソルクレリカにあるアファレサ魔法学校へ通うためだった。そのための準備を済ませて、つつがなく今日までを送ったわけだ。
入学式という催しがあった。私にはよくわからないけれど、どうやら学生になるための儀式らしい。作法については詳しくないから周りを真似して、黙って座っていた。それで問題はなかったようで無事式が終わる。すると次は、忙しなく教室への移動だ。
同年代の波に乗り、通路を進んでその先へ。私が手を上に伸ばし飛び跳ねても届きそうにないくらい巨大な両開き戸が開くと、人の波がそちらに吸い込まれた。
今日は授業がないらしい。私が専攻した防衛魔法術の先生による説明を受ける。同じ教室で聞いている周りの同年代も、防衛魔法術の専攻なのだろう。
ちらちら見たところ、きれいな顔立ちが多かった。やっぱり位が高い家の子息が集まっているのだろうか。
と思えば、作法がない姿勢もいた。服の着方も知らないようなのはよく目立つ。どれも着たばかりの制服だからシワが少なければ汚れもない。だからこそ、小さな染みがよく目立つのだ。入学から半日も経たずに汚すなんて、どうすればできるのか訊いてみたいくらいだ。
よそ見はほどほどにして、先生の説明を耳に入れた。今後の予定や授業の流れ、必要になる物など、聞き漏らしてはいない。
私としては、先生の話が延々と続いてもよかったのだけれど、説明は昼前には終わっていた。今日は授業がないので、残った半日は自由だった。
お昼ご飯を済ませてから、寮で明日の用意をしようかと企んでいた。その予定を実行へ移す前に、一人の生徒が教壇に立ち、「自己紹介をしよう」とのたまった。反対の声は上がらない。強制はせず、希望者だけ挨拶をする流れだったため、参加がしやすかったのだと思う。「強制は軋轢を生むから」だそうだ。
今後を円滑に進めるためにも、仲間意識は役に立つ。だから私も挨拶をしようと決めた。それが間違いだったのかもしれない。
「セイレナ・マイオム・パスイよ。魔法でわからないことがあったら訊いて。私の家は魔導の家系。その点、私は先んじているのです」
私は張った胸に手を当てて、きっと笑顔でそう言った。故郷にいた頃は気が付けなかったけれど、どうやら私は人前に出るのが嫌いではないらしい。教室中に自分の声が響いて気分がよかった。
しかしそれもここまでだ。一瞬で真顔に戻ったのはよく覚えている。
「では、第二級の炎弾が、三級の炎弾よりも魔力の変換率が落ちる理由を訊いてもいいですか?」
私はその質問に答えられなかった。
この感覚は、できればもう味わいたくない。鏡がどこにもないのに、自分の顔色が瞬く間に変わるのがわかった。赤い花が真っ青に見えるくらい、私の顔は赤くなっていたのだろう。最前列の子がそう教えてくれた。
「ちなみに、今の答えは、魔法の等級はエネルギー量での区分で、他は無視されるからです。より研究された魔法は効果的でありながら低負荷なので、変換率の逆転が起こる可能性がある」
この答えを言ったのは、質問をした当人だった。自慢げに喋るボサボサ頭の顔は、しばらく忘れられそうにない。やつが私をドジっ子の区分に貶めたのだ。『指名手配』と頭の上に飾ってやりたい。
おかげで私は知ったかぶりの称号を得た。幸いにもまだ教室の外には漏れていないみたいだが、時間の問題かもしれない。悠長に構えてはいられないはずだ。
名誉を取り戻さなくては。そのためには授業でもなんでも、私が優秀だと同級生に見せつける。たまたま知らない質問をされただけだと理解してもらうのだ。
ここまでが入学初日の話。
私は翌日に向けて準備を進める。ようやくこのときがやってきたのだ。明日からようやく実技の授業が組み込まれる。知ったかぶりの汚名を返上する好機なのだ。
寮の一人部屋で明日へ向けて用意を進めていた。「くっくっく」と口から漏れても気にせずに進めて、忘れ物はないと確信してからカバンを閉じた。
もう一ヶ月近く経っている。私の汚名は、他人からしたら親しみやすさにもなったらしい。しかし役にたっているとしても汚名はゴメンだ。私は一目置かれたいのだ。そのために……。
私はぬいぐるみに手を伸ばした。四本足で、頭に角が二本生えた形をしている。
きっとこのぬいぐるみには元になった動物がいる。私はその動物を知らなかった。だからかわいいと感じられるのかもしれない。丸い両目には悪意はなく、常にどこかを見つめている。
ベッドに転がるそれを引き寄せると、抱きしめた。ぬいぐるみにしては硬質な感覚があるが無視をして、自分の鼻でぬいぐるみの角を揺らす。何度か繰り返し揺らしながら、私はベッドへと倒れ込んだ。そうしてから、ぬいぐるみにある硬質な感覚へと意識を向けた。
このぬいぐるみには袋がある。背中が縦に裂けていて、そこに物を詰められるのだ。
私はぬいぐるみの背中の奥まで手を入れて、硬質の正体を掴み取りだした。
ぬいぐるみに隠していたのは一冊の本。片手で持てるくらい小さな、しかし厚みがある。表紙もページも古びていて、ところどころに傷や汚れがある。新品どころか使い古しの本だった。
これは魔法書だ。正確には魔法書の写しだけど、十分に効力を発揮してくれる。私の師とも言える本なのだ。触れていると安心できる。表紙をなでて、糸ぼこりを払った。
ベッドを転がり照明に背を向けて、ゆっくりと表紙をめくる。ぬいぐるみを抱きまくらのようにして、本に目を通した。
黄ばんだページが続いていた。いくらめくっても、黒は汚れ以外には存在しない。だから初めて見たときは、お絵かき帳だと思ったものだ。実際はそんな可愛らしいものではなかった。一つ間違えれば大惨事を引き起こす、危ない代物だった。
魔法書は魔法を刻み込んだもの。もし読んでしまえば魔法が発動する。魔法の習熟度に見合わない強力な魔法を使えてしまうため、所持すら制限される代物だ。場合によってはこの部屋を吹き飛ばす結果になるだろう。
今では扱い方を知っている。だからペラペラめくるくらいなら問題がなくなった。昔はこれだけでも危なかった。故郷では何度か魔法書を暴走させて、塀に穴を空けたり、庭をえぐったりしたものだ。
この本に恐怖していた時期もあった。しかしそれは昔の話だ。破壊力がある魔法を気軽に出せる危険物でも、私にとっては魔法の師みたいなもの。この魔法書が、私の魔法の原点なのだ。
「なんとかなるよね」
言葉は返ってこない。しかし問えば安心できた。
明日の授業が勝負の場だ。本当に魔法を扱えるのだと、あのボサボサ頭に思い知らせたい。腕に力が入り、ぬいぐるみの顔が歪んだ。
私を馬鹿にしていたようだけど、逆に見返してやる。魔法書から得た魔法は、生半可な威力ではない。目の前で使ってやれば、きっと驚いてくれるはずだ。
明日を思い想像に出てきたあのボサボサ頭は、目を見開いていい顔をしていた。それが少し楽しくて、クスクスとどこにも届かない程度の声が漏れた。
さて、このくらいにしておこう。私は魔法書をぬいぐるみに戻すと、翌日を迎えるために眠りにつこうと決めた。
魔力の灯りを指さして、空を撫でてやると部屋が闇に落ちる。そのままベッドに身を預けた。明日を思えば眠れなくなると思っていた。しかし、窓から注ぐ星空が子守唄を歌ってくれたのか、私のまぶたはすぐ落ちた。