第一話 始まり始まり
最初はただの同情だったんだと思う。
ついでにいうと偶然だった。
でもまぁ、二十を一つ程越えてしまった成人男性としては、これは流石に止めねえとヤバいだろうとかおもったりするわけで理知的に止めに入ったわけなんです。
………………ごめんなさい。
少し嘘。
理知的の理とか知とかいう要素は微塵も含まず、体と体で語り合いました。(体のところを拳と置き換えた方がわかりやすいやも…………)
ほんの少し前の俺だったら見てみぬふりをしていたのだろうし、さらに前なら俺も加わってたかもしれない。
…………流石にそれはないか。いくらなんでも其処まで腐ってはいなかったはずだし。
ま、運がなかったわなと相手には心の中で告げておく。
いや、だってウンザリだったんだわ。
その日は俺の人生の岐路というか分岐点というか、いわゆる一代決心をした記念すべき日で、くだらないしがらみとか、くだらない縁とか、全てなくして心機一転のための最後の別れを告げにいった所だったんだから。
そこでああいう場面はないじゃんと思ってしまうのは仕方ないことでしょ。
もぅ、マジ何なんだよこんちくしょー。
せっかく俺の立場としては最初で最後の『らしい』ことをしようとしたのに………。
ま、今更といえば今更だし?
お別れ前に腐り具合を実感できたお陰で晴れ晴れと踏ん切りをつけることもできてせいせいしたという感じだ。
その点は礼を言っといても罰は当たらんかな。
や、これ以上会う機会はないと思うけどさ。
探されても困るし…………。
ってなわけで、後始末というか何というか。
未だかつて遭遇したことはないが雨降りの道端で段ボールに子犬やら子猫やらが滞在して、その今だけの無垢な眼差しで助けを求めて熱視線を照射し、動物アレルギーにも関わらず(俺が)、まだ純真で汚れていなかった心の底辺の部分を刺激され(俺が)、苦笑しながら手に持つ傘を差し出し「ウチに来るか?」みたいなその場の雰囲気に呑まれないと絶対に無理な羞恥心を省みない行動をとる時の心情の下、その日俺はある決断と共に人生の転機を迎えた。
今の俺はその頃の俺に言ってやりたい。
多分お前はそれまでの人生で最も最良の選択をしたんだぜ。
って…………………。
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「……ちゃ……あ…だよ…。
は………ない…と………うよ?」
声がした。
それは天使の歌声と間違っても仕方のない程涼やかな声音で、俺を眠りの深層へと誘うように耳に囁きかけてくる。
「……ん…………と、ほん…………こくしちゃう…?」
や、分かってるんだよ?
社会人として俺がどうしなくちゃいけないかとかさ。
「う゛ぅー」
だが、三日連続の徹夜明けの体には睡魔に抗う術は殆どないわけで……………。
でも、あの無茶振りの納期を守ったのを考えると『名誉の負傷?』みたいな無意味な達成感を味わいながら
「うーん、後一日……………」
などと、努力に見合った分の睡眠時間を求めるのは当然の権利でもあると思うのだ。
しかし、世の中そう思い通りにいくことは少ない。
「もうっ!!」
俺の寝起きの悪さに痺れをきらしたのか声の主は実力行使に出た。
まず、窓を開ける。
時期は12月。世間様では冬と分類される季節だ。例え厚手の毛布をかぶっていても朝の冷たい空気は布団の隙間から容赦のない刺激を与えてくる。俺は寒さに耐えきれず突き出していた片足と頭を引っ込めて蓑虫のごとく防御体制をとった。
だが、敵もさるもの、くるまっている毛布の端と端を掴み勢い良くひっぺがす。
自然、俺は冬の猛威に晒されることになった。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
情け容赦のない寒気を味方につけたコンビプレーだ。
このまま放置されたら確実に風邪を引くことになるだろう。
「カナちゃん、早く起きてよ。
起こしてって言ったのカナちゃんじゃない。
このままじゃ私まで遅刻しちゃう」
声の主は俺を揺すりながら不満を連ねる。
あぁー、そういや起こしてって頼んだっけ?
しょうがねーなー
と、
観念して重たい瞼を持ち上げる。
視線の先には見慣れた制服を着た少女が立っていた。髪は肩より少し長く、眦の強さがそのまま意志の強さを表している。
「おはよう、一沙。
もう朝なんか?
全然寝た気がしないんだけど…………」
目を擦りながらボンヤリと周囲を確認する。
窓の外は冬ならではのカラっとした快晴で、冬の太陽がこの三日間で狂ってしまった俺の体内時計を無理矢理直そうとするかのように照っている。そのクセ気温は低い。布団がなければ起きるという選択肢しか浮かばないほどだ。
冬には子供を起こすのに布団を剥ぎ取るだけでいいなんて、世のお母さん方にとってさぞ手間が省けることだろう。
「そんなの自分が悪いんじゃない。
大体バイトで寝不足ですなんて先生として失格だよ?
反省しなさい」
俺が教師とちょっとしたバイトを兼任している事を一沙は快く思っていない。
バイトが入ると必ずといっていいほど生活リズムが狂うのが許せないらしい。
シュウさんが持ってくる仕事は期限ギリギリか余裕があっても厄介な物が多いので自然とそうなってしまうのだ。
「ホントにもうー。
今度弥勒寺さんにあったら絶対文句言ってやるからね」
「んー」
俺は寝ぼけ眼で気のない返事を返す。
体を気遣ってくれるのは嬉しいのだが、俺としては教師業なんかより全然儲かるバイトの方が遥かに優先順位が高い。
そうでなくともシュウさんには返しても返しきれない恩がある。頼みにされた時くらいは出来る限りのことはやりたいのだ。
「ほら、早く布団かたして。
ご飯食べよ?
ホントに遅刻しちゃうよ」
一沙はそう言って台所に引っ込む。
俺は欠伸をかみ殺しながら布団を畳んで部屋の隅に寄せ、窓の淵近くに立て掛けてあるサザ○さんに出てきそうなちゃぶ台を部屋の中央に置いた。
そこに一沙が朝飯を盆に乗せて運んでくる。
メニューは白米に焼き魚に味噌汁に昨日の晩の残りの野菜炒め。
パン一枚で済ます人も多いみたいだが、やっぱり日本人の朝は銀シャリだろう、というのが俺の持論。
……………というか、ただ単に俺はパンが嫌いなのだ。
だって、パサパサして喉に詰まりそうなんだもんアレ。
「んじゃ、いただきます」
「はい、召し上がれ」
二人で机につき今日の糧を平らげ始める。
「むぐむぐ。
そういやさ、期末の出来はどうだった?
特に物理」
ご飯を口に含みながら気のない会話を開始する。
冬休みが目前に迫り、昨日でテストは全科目終了。昨日の最終科目は俺が担当している物理なもので、教師としてはやはり気になるところがあるのだ。
「んー、中間よりはいいと思う。
カナちゃんが勉強みてくれたお陰かな。ありがとね」
「まぁ、一沙は元々できるから。
教える立場としては楽な事この上ないわな…………」
むしろ、俺のバイトに突き合わされて夜食とか作ってくれてたし。
これでは流石に申し訳ないと思ったのでこっそりテスト内容を横流ししようとしたら、逆に「先生がそんなことしちゃダメじゃないっ!!」と一時間ほどかけて教師とは何か?という題目で説教されたのだ。
始まりはこんな感じだった。
「カナちゃん知ってる?人という字は重なりあって出来ているんだよ…」
ノリで教師となった俺としては少々苦痛な一時間だった。
「でも、結構難しかったよ。
高二であのレベルはちょっとやりすぎしゃないかな。
みんな白波先生は鬼かって嘆いてたよ?」
「むぅ」
そんなに難しかったかな?と首を捻る。
一沙がいる学年だったので張り切りすぎた感はあったが、俺としては教科書に乗ってる基本ばかりを出したつもりでいたのでちょっと悪い事をした気分だ。
まぁ、テスト制作の時に急遽舞い込んできたバイトに四苦八苦しながら問題を作ったので内容は殆ど覚えていないんだけど………………。
まぁ、教師側から見た難易度と生徒側から見た難易度が違うのは仕方がないかもしれない。
俺も高一まで同じ様な目に会っていたからよく分かる。だいたい、問題の日本語を理解するのに一時間ぐらい費やしてたし俺。
諸事情である程度勉強に時間を費やしていた気になっていた俺は、次もこんな問題を出したら絶対その教師を闇討ちしたると誓った程だ。
ま、幸か不幸か結局その機会を得ることはなかった。
だって、テスト受けなかったし。
「はあ、一沙が難しいっていうほどだからなぁ。今回は赤点続出かぁ〜。
ってことは、補習者が増えるなあ。
あぁ、めんどくさっ!!」
数が少なきゃ補習をしたってことにしといて休日出勤をなくせる。そうすれば、その分愛しの一沙と楽しい冬休みが送れるのに………。
「そんなこと言っちゃダメでしょ。
テストのことはともかくカナちゃんの教え方は分かりやすいってみんな言ってくれてるんだよ?
期待には答えなきゃ」
「…………誰も補習に期待を抱いたりしないと思うんだけど」
「分かんないよ。
この冬で巻き返しを狙ってる子だっているかもしれないでしょ?」
「むむぅ」
一沙の言葉を否定しきれない俺。実際こいつの身近にそういう人間が一人いるのも事実なのだ。
俺は溜め息をついて、不承不承に手をフラフラと振る。
「わーかりましたっ。
私、白波哉枝は冬休みの補習に全身全霊を費やし、迷える子羊共に導きの手を差し伸べることを誓いまっす」
「ふむ、その言葉に嘘偽りはないかね?」
「サーイエッサー」
「試験期間の忙しい時期にも関わらず健気に奉仕活動を行った私への恩赦も忘れるなよ?」
「………サーイエッサー」
どさくさに変な約束を取り付けられ微妙な顔をする俺を見ながら、ふむふむ、と一沙は頷き、満面の笑みを見せる。
「よろしい。
……ふむ、時間もそろそろ危ないな。
では、速やかに食事を片づけて職場に向かいたまえ。
………残りは消化期間だからってだらけちゃ駄目だよ、カナちゃん」
「あのね……、お前は俺を何だと思っているわけよ。
だいたい、生徒(お前ら)にとってはただの消化期間かもしんないけど教師(俺ら)はこれから採点で忙しくなるんだから。
だらけてる暇はないの」
ま、物理はマーク形式のテストだったので機械に通せば良いだけだから大した手間はかかんないんだけどね。
だが、そろそろいい時間というのは一沙の言うとおりなので、俺は一旦そこで会話を打ち切り、ちゃっちゃと残りの食事を平らげて出勤の準備を終えた。
玄関で靴をはきながら、食器を片付けている一沙に声をかける。
「んじゃ、先行くからな〜。
お前も遅刻すんなよ〜?」
「あ、カナちゃん、待って待って。忘れ物だよ」
「んぁ?」
靴をはき終えた俺に、一沙は一枚のデータディスクを手渡す。俺のここ三日間の集大成となる物だ。
「危ね、そうだった、そうだった。これ忘れちゃ何のために頑張ってたかわかんなくなっちゃうもんな。
サンキュー、一沙」
「どういたしまして。
もう忘れ物はない?カナちゃん」
「ん、ないない」
俺は渡された物を鞄に入れてから、長年の酷使でガタガタになっているドアノブに手をかける。そしてドアの右斜め下をドンドンと二回程蹴りノブを回した。
いい加減これも換え時だ。冬休みに入ったらぜってぇとりかえてやんよと心に誓う。
そこで「あ、そうだ、そうだ」と思い至り、一沙の方に振り返る。
「お前ね、いい加減俺のことはお兄ちゃんと呼びなさい。
知らない人が聞いたら誤解するかもしれないでしょうが………………」
こういうの初めてなんであんまり自信ないです。
参考のため感想とかあればよろしくお願いします。