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瀬をはやみ  作者: 依々チコ
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 ジェントルマンこと由香里ちゃんのお父様は私の元までやってくると、ベッドに腰を掛けて私の頭を抱き寄せた。



「由香里、目が覚めてよかった。来るのが遅くなってすまなかったね」

「由香里ちゃん、お父様はお仕事で外国に行かれていたの。でも、随分予定を早く切り上げて戻られたのよ」

「いや…寂しい思いをさせて本当にすまなかったね。意識が戻ったと連絡を受けた時は、どれだけ嬉しかったか」



 どうやらこの父親は私が集中治療室で生死の境を彷徨っていたとき、一度は帰国して私が目を覚ますのをずっと待っていてくれたらしい。

 けれど、どうしても戻らないといけない案件があって、また一旦海外へと飛んだそうだ。

 娘の一大事に仕事を取るなんて、本当に心配してたのか? なんて思ったりもしたけど、この様子だと心配していたのは本当らしい。

 いまもずっと、私を引き寄せた腕の力が存在を確かめるように強く、それでいて優しく抱きすくめている。



「向こうについてすぐに由香里が目を覚ましたって聞いて、どれだけ嬉しかったか」



 そう言って、私の背中をトントンと優しく撫でたたく。



「おとう、さま」

「ん?」

「ごめんなさい」



 本当の由香里ちゃんじゃない私は、罪悪感もあってとにかく謝りたくなった。



「何を謝ることがあるんだ。無事でいてくれて本当に良かった。本当に嬉しいよ」



 ジェントル…由香里ちゃんのお父様は私の頭に口付けて髪を撫で「本当に良かった」と何度も何度も絞り出すように呟いた。

 愛おしいものの様に触れられて、私の目頭はぐっと熱くなる。

 あ、泣きそう…と思ったと同時に、両目から涙が溢れ落ちていた。

 慌ててゴシゴシと擦ると、その手をそっと握られた。



「心細かったね。泣いていいんだよ。おかえり、由香里」



 由香里ちゃんのお父様はまたトントン、と背中を擦ってくれる。

 私はなんでこんなに涙が出てくるのか、わけも分からず軽く動揺しつつも、由香里ちゃんの身体が泣きたがっているのかな、なんて思って素直に涙を流した。









────────





 私の退院が決まったのはそれからまた随分経ってからだった。

 本当はとっくに退院許可も出ていたのだけれど、心配したお母様が頑として譲らなかった。


 冬の寒さも本格的になってきたこともあり、やれ肺炎になってはいけないだの、やれインフルエンザが心配だのと、退院の日程が近付く度にそれを先延ばしにしてくれた。


 先生も困り顔で「そうですか」と微笑ってはくれていたけど、正直に言って病院にいようがいまいが、肺炎やインフルエンザには罹るときは罹る。

 ましてやインフルエンザなんか、患者の集まる病院でポロッともらってきてしまったりするものだ。


 まぁ、この病院の規模だと私たちが過ごす病室は一般外来の患者とは明確に区別されているんだろうけど。




「お母様、私、お家に帰りたい」



 退院許可の降りた決定打は私のこの発言だったと思う。

 だって、これを言ったのは昨日の事で、今日はこれから退院することになっているのだから。


 正直、自宅に帰ったりしたらまたボロが出るんじゃないかっていう不安もあるし、私の本来の身体のことだって気掛かりではある。

 だけど、この完全母子同室の環境はほとんど軟禁されているに等しくて、情報が全くと言っていい程に入ってこない。



 何かないかとテレビのチャンネルを回してニュースを見たりもしたけれど、数週間も前の地元ニュースは全然取り上げられていない。

 そもそも、子どもの私がニュース番組なんか見ているのはおかしいんじゃなかろうかと思うと、じっくり見ることができなかったというのもある。



 チラチラとお母様を横目に見遣りながら、飽きたようにチャンネルを変える。

お母様はそんな私の傍らで刺繍をしながら、時々は私を見つめて微笑んでいた。



 お父様が帰国してから、お母様の表情がまるで変わったことに気付いた。

 最初に見たときは眉間に皺を寄せて、ちょっとヒステリー臭のするマダム感満載だったのだけれど、今ではふわふわと微笑んでいる。



 意識のない娘が目覚めたと思えば次は記憶喪失なんていう状況に、お父様が傍にいなくて気持ちも張り詰めていたんだろうな。


 あれからお父様はまた数日して外国に向かわれたようで、また二人きりの時間を過ごしているのだけど、憑き物が落ちたように穏やかさがあった。






 看護師さんが検温に来たときにチラッとカルテをのぞく。

 自分の(本当は由香里ちゃんの)個人情報なんだから、見ちゃっても問題ないよね。



 のぞき込んだ画面には、私のデータや簡単な経過が書かれているようだ。



 まず、由香里ちゃんの本名は東条由香里。

 もうすぐ5歳を迎えるようだ。春生まれなのね。

 お父様は東条将一まさかず、お母様は早耶香さやかで、あと兄が二人いるらしい。

 兄弟もいて、長男は壱弥いちや10歳、次男は和臣かずおみ7歳。



 そして、家柄は新興の東条財閥という大物だった。



 お金持ちだろうなぁとは思っていたけど、想像してた規模が違った。

 成金とか思ったりした自分は、お金持ちの何たるかを本当に知らないんだなと反省しておいた。



 しかし、こうなってみていよいよ困った。由香里ちゃんの中身は一体どうなってしまったのか。

 まさかとは思うけど、いまごろ私の身体の中に…入れ替わってる〜?! なんて事になっていたりするんだろうか。



 だとしたら由々しき事態だ。

 25歳の身体に5歳児が…なんて、生きていけるはずがない。本来保護されて然るべき年齢だし、生活する上でのハウツーなんて知識も、絶対に備わってないと思う。

 お金持ちの教育方針なんて知らないから何とも言えないけど…



 悩みの種はどんどん増えていくのに、なにひとつ解決する気配がないなんて。焦燥感で胃が痛い。






「退院おめでとう、由香里ちゃん。風邪を引かないようにね」

「はい、四季先生。ありがとうございました」

「由香里ちゃん、お大事にね。会えなくなるのはとっても寂しいけど、私たちも嬉しいわ」

「ありがとうございます」



 主治医の四季先生と看護師さんたちにお見送りをされ、私は笑顔でお礼を言う。

 小さな花束も頂いた。



「皆さん、本当にお世話になりました」



 お母様はお辞儀をしてから運転手さんに荷物の積み込みを目配せした。

 人を目配せだけで動かすって、大物感が凄い。



「四季先生」



 私はお母様が帰り支度を見届けている隙に、四季先生に歩み寄って内緒話をするように片手を口元に添えた。

 四季先生は腰を落として私に耳を寄せてくれる。



「あのね、誰にも内緒にしてほしいことなんだけど」

「なんだい?」

「ほんとのほんとに、内緒よ?」

「いいよ。由香里ちゃんと先生だけの内緒にするよ」

「約束よ。その…私が溺れた日、病院に来たのは私だけだったの?」



 ずっと気掛かりだったことを四季先生に聞く。

 先生は聞かれた内容が少し意外だったのか、微妙な顔をしてから答えてくれた。



「あの日、由香里ちゃんと一緒に運ばれてきた人はいなかったけど。どうして?」

「ううん、別に」



 そうか…

 私の身体はここに運ばれてこなかったんだ…

 それってつまり…



「なにか思い出したのかな?」



 表情が固くなった私をみて、先生は顔をのぞき込んで頭を撫でてくれる。

 誰かいなかったか、なんて聞いたら、何か思い出したことでもあるんじゃないかって思ってしまうよね。

 でも、それは言えないし…



「私ね、天使に助けてもらったの。白い服を着た人たちだったのよ」



 笑顔で、少し大きな声で答えた。

 その言葉が耳に届いたらしい看護師さん達がにこにこ笑った。



「由香里ちゃん、白衣の天使に助けられたのね」

「最高の褒め言葉もらってしまったわね」

「四季先生も白衣を着てらっしゃるから、私たち皆のことを言ってくれているのかしらね」



 そういう風に解釈してくださると嬉しいです。

 実際、あなた達にも助けて頂いたようなものだから。


 四季先生はじっと私の顔を見てから、にこっと微笑むとわしわしと頭を撫でくりまわしてきた。



「元気でな。もう落っこちるじゃないぞ」







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