奴隷迎合【6-2】
最大の案件は解決していないが、ブリジットの後送は幾ばくかの復調をもたらした。味方も敵の不意打ちから持ち直した様で、後方から四門の車載機銃が敵の攻勢を削っている。貨物船へ飛びゆく無数の曳光弾が、濃藍の空を引き裂く。制圧射撃は助かるが、敵戦力の実情が不明な現実に変わりはない。差し当たっては、迅速な上甲板の制圧が先立つ目標となる。
「水分を補給しろ。しばらくは休めない」
「あのどんぱちの真っ只中に行くってのか?」
小隊長の正気を疑うダニエルが、目を白黒させた。とうにスイッチを切り替えていたジェロームは落ち着き払い、無言でレスピレーターを装面する。
「現実逃避するのは勝手だが、冷静に考えろ。敵の反応から、連隊の奇襲が事前に察知されていたのは確実だ。だのに損害を顧みず、あの空軍中将は俺らに特攻を仰せだ」
「……臭うよな?」
ジェロームのレスピレーターのレンズが、ぎらりと輝く。三十年も女々しい性質を続けていると、否応なく女の勘というのが身に付く。そこに加えて、ジェロームが野生由来の蟲の報せでお墨付きをくれた。一度は冷め切った肉体に、アドレナリンの第二波が火を灯した。
「エコー・ワンより全部署へ告ぐ。ブリーフィングの内容は忘れろ。動ける者は、片っ端から貨物船に殴り込め」
PTTスイッチから手を離し、携帯電話で親父を呼び出す。
「おい親父、作戦指揮のトップにくそ将校が置かれた理由は後で問い詰めるとして、一つだけ教えてくれ」
顔こそ見えないが、電話口で苦悶する息遣いが悟られた。
「……この状況は想定内か?」
重い沈黙の後に、クラプトン少佐は言葉をひねり出した。
〈全く以て想定外だ。貨物船に戦闘員がいたとしても、十人にも満たないというのがお上の弁だった。対空ミサイルまで積んでいるとは、誰も思い至らなかったんだ〉
「それだけ聞ければ十分だよ、ありがとう」
十中八九、この作戦の不手際を理由に、親父は何らかの責任をなすり付けられる。その理不尽が分かり切っているからこそ、今の親父に不要な謝罪の暇を与えてはならない。携帯電話を仕舞い、士気の落ちている舎弟の脇を掴む。
「立てよ兄弟。一番槍の使命を果たすぞ」
気落ちするダニーのヘルメットに、映像記録用のカメラを取り付ける。託された任務がある以上、こいつはもう逃げられない。
「シエラ・ワン、船上の様子は?」
〈甲板からの攻撃は収まってきた。だが、ブリッジ(艦橋)付近で動きがある……。やつら、港に降りて後方部隊を攻撃するつもりだ。俺だけじゃ手に負えない、狙撃に応援を寄越してくれ〉
シエラ・ツーのマシューが戦闘不能に陥った今や、偵察の重荷全てがショーンに課せられていた。
「了解。ゴルフ・チームは狙撃手を一人手配、接近する敵の排除に当たれ」
〈アルファよりエコー・ワンへ。本作戦において、貴殿に小隊レベル以上の権限は付与されていない。各部署への増援は、こちらで編成が終わり次第――〉
「え、何ですって?すみません、通信状況が!」
見え透いた演技で、全体無線の周波数を切り替える。ジェロームが窮地に似つかわしからぬ、にやけた面を向ける。
「士官失格だねえ」
「お前の兄ちゃんだからな」
話の通じないお上が作戦を牛耳るのはしょっちゅうだが、さりとて戦況を目視しているのは現場の兵士である。大概の文句には付き合ってやるものの、刻一刻と変わる戦場では、無益な議論に割く一秒が惜しい。兵士は観覧席の将軍より、現場の指揮官の選択を重んじる。使えない堅物と不毛に殴り合う必要はない。その為に、我々は緊急の周波数を設定していた。後で大目玉を喰らうのは必至だが、体裁に構っていられる状況ではない。
十数秒もすると、盟約に従って連隊の兵士が新しい通信チャンネルに入ってくる。
〈ゴルフより全部署へ。狙撃要員を二名配置した。座標の開示が出来ない為、同士討ちに留意せよ〉
〈ゴルフ、支援に感謝する〉
お上を通信から締め出す判断が功を奏し、ショーンは生き長らえた。この程度の小細工が通じる道理はないが、我々の通信担当もやり手だ。手練手管で時間稼ぎを行い、ブレナンを我々から遠ざけてくれるだろう。各部署の態勢が整う頃合いを見計らい、潜入班へ連絡を飛ばす。
「オクトパス、被害状況を報告しろ。オクトパス?」
応答はなかった。現実的に考えて、捕虜に取られたとは考え難い。怨敵の見えざる手に、御し難い怒りがこみ上げる。
SAMの脅威から、観測ヘリによる低空偵察は失われた。戦闘の主導権は変わらず、正体不明の敵勢力が有している。この不利を打破するには、第一に船上へ吶喊して上部構造を制圧、ブリッジの無力化が不可欠だ。頭数の減少による戦力の弱化は、少数部隊による機動で補う他にない。
「こちらエコー・ワン。船尾のタラップより、上甲板へ突入する。掩護してくれ」
各部署からの応答を確認すると、ジェロームが背中にたすき掛けした殺戮兵器を構えた。
「尖兵は任せな」
その手に握る〈ベネリ〉を前に、反論は無意味であった。
先頭からジェローム、俺、腹を据えざるを得なかったダニーと並ぶ縦列
を作り、〈ダイソン〉の小型掃除機に似た機材を取り上げる。
「ちくしょう、さっさと帰るぞ……俺は帰るんだからな」
半ばやけくそのダニーをなだめ、ジェロームの肩越しにダイソンもどき――〈ダネル〉のMGL-140グレネードランチャー(擲弾筒)を構えた。目標までの距離を小型の測距儀で設定し、船尾のタラップへ六発の擲弾を投射する。直径四十ミリの円筒が緩やかな放物線を描き、船上のコンテナにぶつかって弾ける。射出した弾頭は、殺傷目的の榴弾ではない。暴徒鎮圧に使用される、CS(催涙)ガス弾だ。上甲板から粘膜を苛む霧が立ちこめ、アラビア語の罵声が上がった。
「エコー・ワンより全部署へ。船上に催涙ガスを展開した。これより突入する」
〈エコー・ワン、了解。ゴルフ・ツーが船首側を担当する。船尾を攻略せよ〉
聞き慣れた女性――シェスカ・エヴァンズが、我々の通信網に戻ってきた。どうにかして作戦本部を抜け出し、余っている衛生通信機を調達したのだろう。
俺の合図を待たずして、切り込み役のジェロームが駆け出す。ダニエルと俺がそれに続き、貨物船との五十メーターを詰める。錆び付いたタラップの階段に到達すると、船首側でもCSガス弾の炸裂が立て続けに起きた。ゴルフ・ツーの、ブリッジ攻略に先立っての制圧射撃だ。タラップの段を幾つも飛ばして跳ね上がり、エコー・ワンは白煙の充満する敵陣へ踏み込んだ。
上甲板に上がるや、袖口や裾から侵入するCSガスが皮膚を焼く。銃に装着したライトを頼りに、濡れた船上を音なく移動する。まず取り掛かるのは、狙撃手の死角に潜む敵の排除だ。前方のコンテナの陰から、化学物質に咳き込む男がふらりと現れる。片手には自動小銃。そいつは海中へ逃れようと、船縁の手摺りにを手探りしていた。男の手が手摺りに触れたところに、ジェロームのベネリが火を噴く。至近距離でショットガンの挨拶を浴びた頭から、毛糸の帽子が海へと落ちる。追撃を掛けて、生死を確かめるまでもない。文字通り、男は頭部の上半分をもぎ取られていた。うちの四男坊の精確な射撃に、痛みを覚える暇もなかっただろう。くそ野郎が、一人死んだ。
たった一発を皮切りに、敵の優勢に綻びが生じた。ガスに巻かれて嘔吐する敵を、ジェロームが片っ端から処理する。甲高い発砲音とオレンジの煌めきがほとばしり、ならず者の側頭部がべこりと抉れる。オイルで濡れた甲板が、別の赤い粘りを帯びる。頭蓋の骨片が足下に散らばり、あらゆる構造物にピンクの脳がへばり付いていた。六発目の散弾が発射される。ショットガンの弾切れでジェロームが最後尾に移動し、俺が交代で先頭に立つ。ガスが薄まった船上を照らす光芒の先、赤黒い染みの付着したコンテナの陰に、何かが転がっている。銃口を向けて近付くと、不快に目許が引きつった。舟艇小隊から選別された、オクトパスの二人だ。ドライスーツに包まれた骸は冷え切っており、土気色の唇を伝う血が固まっている。脇に放られたMP7に、発砲の形跡は見られなかった。
「こちらエコー・ワン。船尾でオクトパスを発見した。二人とも死んでる」
作戦本部は淡々と、潜入班の死亡を復唱した。背後のダニエルにか感情の揺らぎが窺えた。だが、作戦行動に差し障りのあるレベルではない。どの道、これ以上の欠員を許容する余地はない。後で遺体を回収する為、目印に黄色のサイリュウムを残して、戦友の脇を抜けた。
船首側のブリッジからも、ショットガンの怒号が響く。ひと度崩れた形勢は、容易くは戻らない。それに、連隊は敵に情けを手向けない。ショットガンへ再装填するジェロームを背後に、船内と甲板を隔てる水密扉のハンドルに手を掛けた。分厚い丸窓の奥の廊下では、薄暗い裸電球が転々と灯る。廊下の左右には、船員の個室が規則的に設けられている。ジェロームの装填完了が告げられ、俺は水密扉のハンドルを捻った。
「エコー・ワン、貨物船内部へ進入した」
事後報告を簡潔に済ませ、個室を一つずつ調べていく。人員が三人に限られている為に、作業速度は芳しくはなかった。装備も限られている故、個室一つひとつにフラッシュバンを使ってもいられない。安全を確保した部屋には、目印として緑のサイリュウムを床に残す。六つの個室全てに敵はいなかったが、これが幸と映るほど、楽観出来る状況ではない。
個室の並ぶ廊下の奥に下り階段があり、ショットガンを構えるジェロームを再び先頭に、ライトを消してそろりと船の深部へ進む。上方では尚も銃声が轟くが、下層は不気味なまでに静まり返っている。不衛生な臭いの籠もった階段先はほの暗く、老朽化した壁から青緑の塗料が剥げていた。
配線が剥き出しの通路を抜き足に、入り組んだ船室を確保する。船員の気配は窺えず、トイレやキッチンまで調べるも、敵の姿はなかった。我々三人が訝しみ始めた頃に、ゴルフ・ツーがブリッジ、船の上部構造を制圧した報告が為された。彼らが接触・射殺した敵は十二人で、エコー・ワンが射殺した数と合わせると、二十弱となる。貨物船の規模からして、乗員がそれで全部だとしても納得はいく。反して、それ以上としても何ら不思議はない。事実、ジェロームは先天的な導きから、更なる敵の存在を確信している。ここまで用意周到に我々に泡を食わせ、あまつさえヘリまで墜とした連中が、これで終わりとは考え難い。それに、上層部欲する積荷の目録も見付かっていない。
全体へ状況を中継しつつ、下へ下へと潜ってゆく。ゴミや衣服が散乱する船内は、正しく迷路に等しかった。本来あってしかるべき見取図が事前に用意されていれば、要らぬ苦労だ。労して船倉へ繋がる水密扉を我々は発見し、ゴルフ・ツーがその反対側の扉へ到達するのを待つ。CSガスや汗を吸った肌着が、不快な感触を生んでいる。股間の汗の蒸散に苦心していると、ヘッドセットのスピーカーをショーンが震わせた。
〈ヒルバート、その……〉
秘匿性を破って名指ししてきた弟は、煮え切らない口振りであった。
〈……いや、やっぱり気にしないでくれ〉
わざわざ呼び出しておきながら無理難題仰せだがあるが、今はそれどころではない。ショーンの通信からきっかり十秒後、ゴルフ・ツーが船倉への突入準備を完了した報せが寄越される。通信越しに、隊員の怒りが頂点を迎えるのが察せられた。
船倉と通路を隔てる水密扉に窓はなく、内部の構造は窺えない。鉄扉を挟んだ向こうで敵が待ち伏せを仕掛ける確率は、ほぼ一二〇パーセント。俺がテロリスト側でも、ここで頭数を削る判断を下す。水密扉のハンドルに手を掛け、ドアの軋むロックを解除する。あと少し腕に力を入れれば、鉄扉がヒンジに従って外開きになる。
「エコー・ワンよりゴルフ・ツーへ。合図で扉を開ける。フラッシュバンを惜しむな。三……二……」
レスピレーターの内側を、粘ついた呼気が満たした。
「一……開け!」
叫びつつ、左脚を軸に鋼鉄の扉をドア枠から引き剥がす。全力で引っ張った扉の先に、雑多な船荷を積んだ船倉が視界を満たす。左右の壁を金網足場が走り、船倉を横切って渡された一本が、壁の二本を結んでいる。俯瞰するとHの形を描く足場は腰丈の手摺りがあるだけで、足を踏み外せば、五メーター下の床に叩き付けられる。対角線を結んだ先に、俺と同じく水密扉を引くゴルフ・ツーが確認出来た。
ドア枠に隙間が生じるや、ダニエルが手にしたフラッシュバンを放り込み、ジェロームが船倉へ躍り込む。間髪入れずにダニエルも武器を構え直し、大音響に乗じてドア枠をくぐった。二人に続いて船倉へ押し入り、踏面の狭い階段を駆け下りる彼らの掩護に銃口を巡らせる。ゴルフ・ツーが開いた扉の真下で、フラッシュバンに網膜と鼓膜を殴られた敵が身悶えている。照準器に敵の胸部を捉え、引き鉄を引き絞る。が、突然足下から火の手が上がり、狙いを外した銃弾は標的の額に風穴を空けた。発火の原因は、突入時のフラッシュバンにあった。マグネシウムの燃焼が床の油に引火して、俺の足下でボヤが生じていた。まだ階段の途中にいたダニーが尻を焼かれ、素っ頓狂な悲鳴を発する。難燃性の被服でなければ、大火傷を負っていた。
上方から敵の位置を報せる為、俺は足場から降りずにジェロームとダニーの支援に当たった。炸薬と炎で白黒の煙が渦巻き、有毒の気体が船倉を満たす。戦闘狂と化したジェロームが狼狽するテロリストを冷徹に屠り、ライトを明滅させながらブリッジ方面へ突き進む。フラッシュバンが空間を打ち震わせ、巨大な密室を混沌の支配下に置いた。爆風で照明が割れ、揺らめく炎が隊員の黒い影を内壁に投影する。叫び喘いでいるのは、犯罪者だけだ。これが、スペシャル・エア・サービスにちょっかいを掛けた愚者の末路である。
フラッシュバンの直接被害を免れた敵がコンテナの陰から自動小銃を突き出すも、特殊部隊が放つ小銃弾に、続々と顎を撃ち砕かれる。軽量な五・五六ミリ弾とはいえ、たかが数十メーターで狙点がずれては困る。俺が射出した二発の弾丸は、狂いなく敵の顎関節とこめかみを撃ち抜いた。小口径高速弾に倒れた敵へジェロームとダニエルが止めを刺し、高低差で地の利を得た我々は、行く先に塞がる敵を着実に仕留めていった。
閉所での強襲が実現し、足場からの情景は狐狩りの如く映った。狩猟との相違があるとすれば、娯楽性が復讐の憤怒にすげ替えられている点だ。我々の仲間は、敵の処刑を粛々と遂行している。表面上は、職務に徹している様にも取れる。されど、ベテランの隊員は知っている。同胞の死後、彼らの胸の内で行き場を失った憤懣は、仲間との傷の舐め合いでしか昇華しない。我々が恐れるのは、凶弾による自らの死ではない。身内の犠牲が心苦しいからこそ激情の手綱を握り締め、彼らの敵を排除するのだ。
サプレッサー着きの銃身から音速を超える弾頭が飛翔し、不安定なジャイロ運動を帯びた飛翔体が敵を殺傷する。皮下組織は勿論、砕けた肋骨さえもが対象の筋細胞・臓器を抉る。断片化によって著しく破砕した弾頭は、その一つひとつがガラス片の様に体組織を切り刻む。心臓や肺が損傷すれば、酸素を含む血液が脳まで到達しなくなる。諸説あるが、人間は体内の三十パーセントの血液を失うと、俗に言うショック死の危機に陥る。大量失血は即時に恒常性へ深刻に影響し、見当識障害で夢現の境も知れぬまま脳死する。吸血鬼殺しの手法は、現代の人間にも通用するのだ。
兵力が底をついたのか、船体中央に近付くにつれて、敵の攻撃が目に見えて衰えてきた。残党は戦術的な機動を捨てて一つに固まり、我々を寄せ付けまいと闇雲に連射を放つ。弾幕を張るにしても、効果範囲を見誤っている。遂に船体中央でゴルフ・ツーの面々と合流する頃には、敵は僅かに四人が残るばかりであった。残敵は一様に浅黒い肌の中東、或いは中央アジアの生まれで、その内の一人は絶えず嗚咽を漏らし、大便失禁を催していた。他に残敵がいないか見渡し、俺も船倉へ下りる。
「エコー・ワンより全部署へ。一旦、攻撃を控えろ。この騒ぎのあらましを知る為に、捕虜を取りたい」
一秒と要さず、シェスカは拿捕の権限を考える間もなく寄越してくれた。捕虜に取るなら、情報を持っていそうなやつを選びたい。遮蔽物越しに、各々の人相を窺うと、グレーの作業帽を被った男が最も有望であった。AK-74を極端に短縮した『クリンコフ』を持ち、落ちくぼんだ皺だらけの目許には他の三人にない、確固たる抵抗の意志が残っている。訓練された立ち回りと頻繁な指示を見る限り、そいつが現時点で最も指導者に近い立場だ。
こちらの視線に気付いた暫定指導者が、クリンコフで掃射を仕掛けてきた。遮蔽にしたコンテナを小口径弾が叩き、弾片がそこかしこに散る。PTTスイッチを握り込み、敵の拿捕に備えて呼吸を整えた。
「総員、敵は残り四人だ。一人だけ、作業帽でクリンコフを装備したやつがいる。そいつは殺すな」
〈了解。フラッシュバンの残りは?〉
ゴルフ・ツーの指揮を務める、舟艇小隊の隊長が尋ねた。
「俺が一個持っているだけだ」
〈こっちはゼロ。タイミングは任せる〉
舟艇小隊からのゴーサインが出た。胸のポーチに収めた最後のフラッシュバンを握り、安全ピンを抜き捨てる。全身の筋肉を集中させ、予定された動作をイメージする。自分の中で全てが整う感触を掴み、無線のスイッチを押し込む。
「投擲する」
紙屑を放る要領で、目くらましが手から離れる。空中で安全レバーが弾け飛び、本体が敵の潜むコンテナの裏へ落下する。一弾指の間の後に、暴力的な白光がテロリストを呑み込む。ゴルフ・ツーから二人の舟艇隊員が敵へ接近し、数発の弾丸を差し向ける。ダニエルが遮蔽から大きく身を乗り出し、壁に張り付いた敵へ速射を食らわせる。着弾の度に首を揺さ振った男は、血の帯を壁に引いてくずおれた。
「ボス、今だ!」
ダニエルの合図で床を蹴り、標的との距離を一気に詰める。数メーターを駆けた勢いをそのまま拳に乗せ、耳孔から血を流す男の顎を殴打する。男が反射的に引き鉄を絞る前に、銃を持つ腕を捻り上げて射線を反らす。クリンコフがすぐ目の前で火を噴き、戦闘服越しに発射ガスが髪を焼いた。残弾を撃ち尽くしたタイミングで股間を蹴り上げると、テロリストは激痛に身を折った。下がった頭に膝で回し蹴りを打ち込み、怯んだ隙に腰の捻りでクリンコフをもぎ取る。複数箇所への連撃に喘ぐ男への追撃に、バットに見立てた床尾を振り抜く。木製の床尾が男の左肩をいい角度で直撃すると、肉の奥から骨の砕ける音が漏れた。うつぶせに倒れた両腕をねじり上げ、樹脂製の手錠を二重に掛ける。一本は手首、もう一本は肘の辺りをぎりぎりまで締め上げる。折れた肩を無理くり引っ張ったせいで、男は落涙ながらに英語で罵倒してきた。F爆弾の連呼ではなく、まっとうな教育を受けた人間と思しき言い回しであった。――大当たりだ。
船倉の制圧が本部へ通達されると、上層にいた仲間が押し寄せて安全確保を行い、死体全てに宵越しの鉛弾を喰らわせた。多様な姿で横たわる死体の数を計上すると、船倉だけで実に十三の骸が作られていた。甲板とブリッジの人数を合わせると、親父の得ていた情報とは食い違いも甚だしい。
死体の中に重要人物はおらず、アジア系、中東系、アフリカ系と人種が混在していた。船倉の敵が装備していた火器は何れもAKファミリーで、破片手榴弾がポケットから出てきた者もいた。遮蔽物が充実していながら使ってこなかった点を考えるに、積み荷の誘爆を恐れたのやも知れない。ともすれば、大量破壊兵器の存在も真実味を増す。フラッシュバンで誘爆が起きなかったのは、不幸中の幸いであった。
フラッシュバンで生じた火を消火し、連隊の面々はレスピレーターを脱ぎ去った。ペットボトルの水を息継ぎなしに飲み干すと、人心地がついた。戦闘が終わり、アドレナリン分解後の抗い難い疲労が肩にのしかかる。船室を走査して殺し忘れがないか再確認し、ゴルフ・ツーと我々エコー・ワンは積み荷の調査に取り掛かった。こういう時こそ、ジェローム君は役に立つ。末弟が「これ!」と、玩具店に来た子供みたいに、数あるコンテナから一つを指差す。それを合図に、我々はボルトカッターやハリガンツール(消防用の多目的破壊器具)を振りかざす。扉の隙間にハリガンツールの刃が食い込み、ボルトカッターで南京錠が破壊され、缶詰よろしくコンテナがこじ開けられる。開扉と共に、埃と古い木材の臭いが漂う。中身を照らすと、親しみ深い深緑色の鉄の箱と、長い直方体の木箱が多数積まれていた。傍らで、ジェロームが鼻高々に胸を張る。はいはい凄いよ、わんこちゃん。木箱の中身を検分すると、予想通りにRPG-7(ソ連製対戦車擲弾発射機)の弾頭と、その発射筒が詰め込まれていた。成る程、誘爆が怖い訳だ。一同が次のコンテナへとガサ入れに取りかかったタイミングで、作戦本部が無線を寄越した。
〈全隊、至急帰投せよ。繰り返す。D戦闘中隊は即刻、作戦本部へ帰投せよ〉
何者かに言わされた感のあるシェスカの伝令が切れると、仲間同士で顔を見合わせる光景が広がった。「どういう訳だ」「積み荷の調査はどうなる」「うちの兵站部門が引き継ぐのかも」「どうでもいい。早く仲間を弔おう」様々な疑念と憶測が飛び交い、皆が当惑を示していた。ダニエルは唇を噛んで得心のいかぬ面持ちであったし、実は兄弟でずば抜けて高いIQを誇るジェロームが、悩み過ぎて締まりある美男子の顔になっている。よくない流れだ。どうにか表面上は平静を装い、手を打ち鳴らして仲間に傾注させる。
「お局様がそう仰るんだ、四の五の言わずに戻れい」
各自、思うところはあるだろう。しかし小隊長が帰ると言うのだから、思案を巡らせるのは別の部署に任せればいい。そうやって関心の方向を反らしてやる事で部隊は作業を中止し、敵の死体と危険物を捨て置いて足早にデッキ側の階段を上がった。連行される捕虜が何か言いたげだったが、口を粘着テープで封じているので、うんこをひり出す声にしか聞こえなかった。
仲間の背中を見送り、自分も本部へと歩もうとした折であった。最後まで付き従って残ったダニーが、消え入りそうな声で呼び止めてきた。
「ヒルバートさんは、その……今回の件について、何も聞いてないんですよね……」
根が真面目なダニエル・パーソンズ伍長は、お気楽突撃馬鹿が納得する命令を、考えるだけ無駄というを道理を鵜呑みに出来なかった。そういう感情にほだされやすい部分が可愛いやつだが、若い内から懊悩しがちなのは心配である。
「……敵が二十人以上いるとか、SAMを装備していると知っていたら、端っから歩兵大隊をぶつけろと、お上に掛け合っていたさ。この作戦は、最初から潜入調査なんか予定しちゃいなかった。うちの親父もあずかり知らない、連隊の外で誰かが手ぐすねを引いている……。奥底では、誰もがそう思っている筈だ。不安なのは、お前だけじゃない」
舎弟の肩をぽんと叩き、今度こそ帰路へ就く。数秒遅れて、ダニエルが後を着いてきた。
腕時計の針が、午前二時を回っていた。足下を銃のライトで照らして埠頭へ降りると、異様な光景を目の当たりにした。先に船を降りていたSASとは別に、我々と同じ砂漠戦闘服の集団が、貨物船へ大挙して向かってくる。その数、およそ五十人。それだけの人員が、今の今まで火力支援もせず、実働部隊に存在さえ知らされていなかった。誰も戦闘ベストを装備しておらず、手には英軍制式ライフルのSA80を携えている。我々同じ陸軍らしき団体は、船体中央のタラップから続々と貨物船へ乗り込む。我々と、入れ違いの形で。その被服に、部隊章は確認出来なかった。
「ヒルバートさん、やっぱりこれ変ですよ。だって……」
愛弟子の言葉を黙殺し、平静を装って歩き続ける。貨物船から三百メーター離れたところで、怯えを露わにするダニーへ耳打ちした。
「今回の作戦に関する話は、クラプトンの血筋にだけ言え。絶対に他のやつらとの会話に出しちゃ駄目だ。いいな?」
珍しく鬼気迫る上司を前に、ダニーはこくこくと首肯する。余計に不安を煽った罪滅ぼしに、そっと肩を抱いてやった。
「もしかすると、かなりやばい動きがあるのかもな」
舎弟は無言で頷き、何もなかった様に元の歩調で着いてきた。大事な子分を惑わせる不穏分子の存在に、ふつふつと怒りが再燃し始めていた。
大分先を歩く仲間の背中を追う最中、数時間中に得た情報と文字列が、頭の中を駆け巡っていた。ダンマーム港。貨物船。穀物。ブレナン空軍中将。パーシーとデイヴ。武器の密輸。大量破壊兵器……。にわかに視界から白と黒以外の色が抜け落ち、軽い目眩を覚えた。これを見逃してくれなかったダニエルが肩を貸し、不甲斐ない上司を立ち直らせた。
「身内だけで十人は死んだんだ。あんたも早く休まないと……」
情けない返事に喉を震わせようとし、それに示し合わせたかの如く、携帯電話が振動した。空いている手で確認すると、ショーンの名前が液晶に浮かぶ。厭な予感がした。通話ボタンを押し込むと、ショーンは先と同じ声音であった。
「どうした、今から本部へ戻るんだが」
〈ああ、その、何だ。さっき言いかけた事なんだが……〉
船倉に突入する直前のやつだ。
「悪いけど、帰ってからにしてくれ。頭がもうぐちゃぐちゃなんだ」
〈俺はまだ狙撃地点にいる。それに、ブリジットに関する用事だ〉
恋人の名で、心臓の活動が急速に促進された。
「……無事なのか?まさか、流れ弾でも受けたんじゃ?」
思わず声が裏返った。電話を握る手に脂汗が滲み、背筋が総毛立つ。
〈いや、彼女は元気だ。怪我もない。だから落ち着いて、今から言う場所に来てくれ〉
ブリジットが五体満足と聞いて、安堵に胃の空気が鼻腔を抜けた。それだけでお花畑になっていた俺を余所に、ショーンが語を継ぐ。
〈そこから右手に、ガントリークレーンが見えるな?北に百五十メーター進め〉
「こっちが見えているのか?迎えに来てくれりゃあいいのに。夜中に狙撃手を見付けるのは骨が折れるぞ」
〈出来ればダニーも一緒に来い。余り時間は取りたくない。ライトは点けるな〉
俺の不平に応じる素振りもなく、電話は切られた。公共機関の受付みたいだ。ダニエルに目で意見を求めたが、怪訝に肩をすくめるのみであった。
月明かりの下、殆どダニエルに寄り掛かって指定された地点に到達すると、狙撃銃を抱えるショーンが物陰から顔を覗かせた。付近のコンテナのに、狙撃で使った折り畳みの梯子が立て掛けられている。立派に狙撃兵の職務を全うした弟は、混迷に淀んだ面持ちであった。
「それで、本部じゃ話せない話ってのは?」
ショーンは逡巡すると、着いてくる様に手振りで促した。その背をダニエルを歩行器代わりに追い、今日だけで幾つ見たやも知れぬ、赤褐色のコンテナへと案内される。両開きの扉の下に、ねじくれた南京錠が転がっていた。
ショーンは一言もなく、コンテナの扉を静かに開いた。光源のない内部に、かすかな人の気配が感じられた。ショーンの手の中で緑色のサイリュウムが音を立てて折れ曲がり、鉄の箱の中身がぼんやりと明かされる。――ブリジット。表情がいやに固く、左頬に泥こそ付着しているが、愛した少女は至って健康に見えた。
「ただいま……怪我はないか?辛かったろう、早く基地へ帰ろう」
ダニエルの補助を離れて、彼女の許へと歩み寄る。一歩、二歩……。彼女をこんな目に遭わせた責任は、少なからず自分にある。まずは謝り、それから強く抱き締めてやろう。戦線後方でどうしていたか、気の済むまで聞いてやろう。
三歩目に右足を蹴り出すと、爪先に柔らかい感触があった。ブリジットの傍らには、コーヒー豆の麻袋が積まれている。同じものだろうと当たりを付けて、足許を確かめた。――こんな未来は、想像し得た筈だった。どうしたって俺は、こうも脳天気でいられたのか。
足下の異物を認識して、瞬間的に感情が抜け落ちた。死体だ。光を失った黒い瞳が曇る、中東の民の遺骸が二つ。双方が、AK47を握ったままの姿で転がっていた。
親父に拾われるまで、俺はテロリストの操り人形として生きてきた。それが今更になって、糸の切れた人形なんて直喩を実体験している。膝から崩れてコンテナの内壁に身を預け、尻餅をついて座り込む。脳からの信号が、神経細胞を伝わらない。全身に力が入らず、瞬きも、眼球さえもが動かせなかった。
「ヒルバート様……」
これは悪い冗談だ。幾ら何だって惨過ぎるじゃないか。目を覆いたくなる現実が、彼女との幸福に彩られた記憶を塗り潰してゆく。
頬に付いた、黒い汚れ。あれが泥の跡なんかなものか。自作した爆弾が、初めて人を殺した時の嫌悪が去来する。自責、後悔、驕り……身を以てしても、贖い切れる過ちではない。
自分が凶弾を喰らうのに、どうという事はない。だけど、彼女は軍人ですらない。二十歳を迎えて間もない、ただの女の子だ。偶然に俺と出逢い、物好きに俺を愛し受け入れてくれる、少し変わり種なだけの、大事な恋人だ。それを俺は――
「……これが、私の選んだ道です」
――俺はブリジットに、人殺しをさせてしまった。