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奴隷迎合 - The Servant above Slaves  作者: 紙谷米英
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奴隷迎合【5】

【5】


 


 まだ疲労の残る身を、喧噪が覚醒させる。焦点も定まらない眼で腕時計を見れば、眠りに落ちてから三時間も経っていない。陽はまだ、水平線に重なっている。数台のフォークリフトが、荷物の運搬に右往左往している。他のベッドでも、騒ぎに仲間が起き出していた。ブーツを履いて、早々に身支度を整えていたヴェストに駆け寄る。


「何があった」


 兄貴は神妙にかぶりを振った。


「分からん。警戒の命令がない辺り、基地が襲撃を受けている訳ではないらしいが」


 誰かを情報収集へ遣ろうと思考を巡らせたその時、D中隊付准尉のティモシー・ベックが、シャッターの下りていない玄関口に現れた。この顔面の青白い男が用件を持ってくる時は、決まって俺の白髪が増える。


「すぐに中隊を集めて会議室へ向かえ。緊急ブリーフィング(要旨説明)だ」


「航空小隊もか?休養中だぞ」


「中隊全員だ。急げ」


 俺が呼集を掛けるまでもなく、各自が兵舎から建造物群へと勢い駆け出した。二四時間は傷んだ身体を労る予定が、完全に狂ってしまった。二段ベッドの上段で、ブリジットが不安げに眉を下げている。


「心配しなさんな。どうせ大事にはなるまいよ」


 そうは言ってみせたものの、どうも支援部隊のざわめきが常軌を逸している。女性の勘は侮れないもので、ブリジットに誤魔化しは利いていなかった。話術の拙い我が身を呪い、心細げに見送る彼女へ背を向け、兵舎を後にした。


 無味乾燥な廊下が戦闘服の砂色に埋め尽くされ、男の激流が横に折れて一室へなだれ込む。SASに用意された最寄りの会議室には、歪んだパイプ椅子が敷き詰められていた。奥の壁にくたびれたスクリーンが垂れ、床の中央に〈ソニー〉のプロジェクターが鎮座している。各々が勝手に席を選んで座り、ダニエルが俺の左に腰を下ろす。急な召集に、皆ざわついていた。 四方の隊員と情報を交換するも、収穫はなかった。「何か聞いたか?」「いいや。お前は?」不毛なやり取りが、部屋中で為されていた。ざわめきを縫ってクラプトン少佐――親父が仕事の面構えで入室し、スクリーン脇の演壇に上がった。少佐に続いて濃紺のベレーを被る将校と、背広の中年男性が入室する。ベレーの色からして、気取った雰囲気の将校はRAF所属だろう。背広の男は、首に掛かるIDを見ずとも知れる。所属は分かる。外務省の諜報機関――SIS(旧MI6)だ。イギリス国外の有事に際して、軍人でもないくせに連隊を手駒としてこき使う、鼻持ちならない集団である。大概が血色悪く幸薄い顔の人間で構成されていて、特筆される身体的特徴がない。たまに我々の現場へ着いてきては厄介を持ち込む、駄目なキャリアの典型がうようよいる。


 RAF将校と背広が二言三言交わすと、部屋の照明が落とされた。プロジェクターが起動し、スクリーンに〈ウィンドウズ〉のデスクトップ画面が青く輝く。少佐は演壇から静まった会議室を軽く見渡すと、鼻息を漏らして口火を切った。


「D戦闘中隊諸君、貴重な休養を妨げてしまって申し訳ない。だが、君ら以外に動かせる部隊が残っていないのだ」


 『リチャード・クラプトン』からは決して出てこない言葉に、噴き出すのを懸命にこらえる。右後ろから、鼻水が噴射する音が聴こえた。おおよそ、ジェロームだろう。初期設定のマウスポインターがスクリーンを走り、あるPDFファイル上をダブルクリックした。数秒の読み込みを経て、黒い海と貨物船を俯瞰した衛星写真が映る。


「今回集まって貰った理由はこいつ……現在ペルシャ湾を航行している、イラン国籍の貨物船だ。この船舶はサウジアラビアのダンマーム港へ進路を取っており、数時間中に到着する予定だ」


 件の貨物船はかなりの大型で、原油タンカーにも見える。大量に積んでいるコンテナには、錆が浮いていた。


 一仕事を終えた少佐が会釈をすると、スクリーン脇に座していた眼鏡の背広が立ち上がった。


「外務省のモリーだ、憶えなくても結構。この貨物船だが、名目上は薬や穀物を運んでいる。だが、詳細な目録を持つ者は現状皆無であり、担当業者とも連絡が取れていない。積荷が仮に良からぬものだとして、それがアラビア半島の何者かに渡るのは好ましくない。諸君らには、ダンマーム港にて停泊する当該船舶を偵察、平行して船荷の調査を実行して貰う。万一船員に発見され、彼らが攻撃意志を有していた場合には、反撃を許可する。


 悪天候から貨物船の運航自体が遅れている為に、時刻は追って連絡をする。私からは以上だ」


 訊いてもいない偽の自己紹介を脳内ミキサーで裁断しつつ、抑揚のない台詞から必要な情報の選別に掛かった。要はこうだ。俺らはサウジの港に飛んでいって、それから正体の知れないお船をガサ入れする。敵がいたら殺す。業務内容は、可及的単純に構成すべきだ。


 背広眼鏡が元の椅子に戻ると、RAF将校が憮然と立ち上がり、その口に蓄えた豊かな髭をさする。制服は糊が効いており、航空機乗りを生業にしている空気は窺えない。紛う事なきデスク組だ。深い色味のブロンドの下で、冷たい瞳が妖しく光っている。身分こそお偉方だが、まるでハイエナだ。身の丈一八〇センチの死肉食らいが、静かに口を開く。


「本作戦で諸君らの航空支援にあたる、ブレナン中将だ。我々はピューマ・ヘリコプター二機、それとリーパー無人偵察機を供与する。


 作戦手順の説明に移る。第一段階では、停泊中の貨物船へ夜間の内に少数のSAS隊員が海上から接近、船室と船倉の捜査を行う。可能であれば、不審なコンテナをこじ開けてもいい。潜入中、大規模な戦闘が発生する事態に陥ったら、増援を乗せたピューマと車輌が貨物船へ急行、船舶を奪取する。


 穏便に調査が済めば、その結果を作戦本部が査定する。積荷に危険性が認められた場合は、作戦を第二段階に移行させる。翌朝に貨物船から積荷が運び出される前に、強襲を仕掛けて船倉を制圧するのが目的だ。この際も、船員の攻撃を受けた場合に限り、反撃を許可する


 第一段階においては、我々のピューマは非常事態以外には地面から離れない。そうなる事を祈る」


 暗に「仕事を増やすな」と、連隊に釘を刺してきやがった。職業軍人らしからぬ言動に、今朝のチヌークの機付長が想起される。彼には組織・階級の隔壁を越えて、兵士としての敬意を示せた。あのハイエナは、部下の犠牲で行き永らえているに過ぎない。冷徹な双眸からは、現場の兵士を使い捨てる魂胆しか見えてこない。


 ブレナン中将が腰を下ろすと、演台のクラプトン少佐はスクリーンに港の衛星写真を投影した。


「君達は、大きく三つの部隊に分けられる。第一に、船舶付近を監視する偵察部隊。第二に、海上から貨物船に潜入する部隊。これには二人が割り当てられる。残りはヘリと車輌による待機部隊に配置される。車輌部隊にあてがわれた者の待機場所は、現時点で二つ。ここと、ここだ」


 少佐が赤色のレーザーポインターで、二つの建物をなぞる。


「待機部隊は何れかの部署から要請があれば、現地へ急行する。以上が本件の次第だ。第二段階に関しては、その時に再びブリーフィングを行う。詳細についての質疑は受け付けない。何しろ、こちらも言及した情報が全てで、それ以外は何も判明していない。敵対意思の有無、武装の程度さえも不明だ。事前情報で満足な支援は提供出来ないが、状況の開始後は総出で君達を支援するつもりだ。その点は保証する。


 以上でブリーフィングを終了する。今から一時間後に、諸君を乗せたC-130が発つ。それまでに、小隊間での連携を確認を済ませて欲しい。各自、準備に取り掛かってくれ」


 厳かに締めると、少佐とキャリア組はそそくさと会議室を退出した。直後に隊員全員がざわめきつつ、会議室のドアに殺到して、各々の装備の点検に走った。若い連中は戦意に満ち溢れていたが、俺の背中にぴったりと付いた舎弟が、不信を募らせていた。


「良い予感がしないんですが」


「大丈夫だ、分かってる」


 肩にのし掛かる、恐らくはダニエルのそれより重い懸念に苛まれつつ、兵舎へと早足に戻る。首筋を、焦燥が痺れとなって噛み付く。まともな事前情報が不足する軍事作戦に、吉兆を見出せる道理があるものか。


 連隊の戦闘員と兵站係でごった返す兵舎へ戻り、自分のベッド下から荷物を引っ張り出す。苦楽を共にしたC8カービンと、鋭利に研いだ〈クリス・リーヴ〉のナイフ。乾かし終えた戦闘ベストに、〈ブラックホーク〉のグローブと、ゴムの臭いがきついSF12レスピレーター(ガスマスクの英軍での呼称)を、樹脂製のカラビナでぶら下げる。土嚢みたいに重いセラミックの抗弾プレートをベストの前後に挿入し、胸のポーチに弾倉をこれでもかと詰める。通信機が正常に機能するかを確かめると、ショーンの携帯通信機がバッテリー切れに瀕していたので、すぐに交換した。狙撃手という性質上、彼は状況報告にしょっちゅう電波を飛ばさなければならない。ただの歩兵でよかった。さもなければ、ストレスで今頃はバーコードだ。


 紀元前より幾度も世代を経て改修が為された、鋼鉄とナイロンの武装を纏う。昔の戦士は幅広の両刃剣とべこべこのバックラーを構え、大人数で団子になって敵陣へ切り込んだ。現代における彼らの末裔は、個人で五ミリの鋼板を穿つ突破力を有している。


 黒煙を上げる頭脳に装備のチェックリストを生成させ、項目毎に設けたチェックボックスを赤ペンで引っ掻く。武器弾薬、よし。装備品、よし。長時間待機になった際の本、よし。〈トワイニング〉の紅茶葉、なし。チョコレートと飴ちゃん、よし。睡眠薬、よし。処方されている抗不安剤、こいつは持てるだけ。うん、よし。


 荷物を詰め込んだたベルゲンを担ぎ、滑走路へと向かうマイクロバスへ歩みを進める。雑多な装備を要するショーンの脇を通る時に、凄く物騒な玩具が視界に入った。英陸軍制式狙撃銃――L118A1。以前に地方議員のマーティン・アボット邸への襲撃で、俺が使用した狙撃銃の化け物バリアントだ。マーティン邸で警備員の心臓を抉ったのは、NATOでお馴染みの七・六二×五一ミリ弾であった。足許のこいつは違う。七・六二ミリよりもでかく・重く・極めて破壊力の高い、完全に生物を破壊する目的で開発された、ラプア・マグナム弾を撃ち出すプロ仕様だ。こいつで撃たれるテロリストは、即死するだけまだ幸運だ。すぐ傍で人間が風船みたいに破裂する光景を目の当たりにして、発狂しないやつがいるとは到底思えない。


 ポータブルDVDプレイヤーとポルノ映画のディスクをベルゲンに押し込む愚弟のベッドを過ぎると、早々に支度を終えていたヴェストの背中が見えた。基本的な荷物は俺と変わらないが、小脇にヴァイオリンが入るくらいのケースを抱えている。彼は衛生担当として負傷者の応急処置にあたるので、大仰な救急キットを担いで走らなければならない。そうなると大きい銃は扱い辛いので、C8よりずっと小振りな〈ヘッケラー&コッホ〉のMP7A2を現場で使用する。


 兵舎を出ると、頭の隅へ追いやっていた疑念が襲い来る。これまでも全貌の見えない作戦はあったが、今回のそれは別次元だ。船荷を穏便に調査するのが目的なら、現地警察や多国籍軍を動かして堂々とやればいい。わざわざ特殊部隊を動員して、こっそりやる必要性など思い付かないのだ。しかも、休養中の第一六航空小隊まで使って。


 英軍兵士が運転を受け持つマイクロバスは、既に座席が埋まっていた。仕方なく中央の通路でポールを掴んでいると、発進直前で一人の兵站係が滑り込んでくる。その腕に、真新しいベルゲンが抱えられていた。


「滑走路手前のヘリパッド(ヘリポート)で降ろしてくれ。届け物なんだ」


 兵站係の要請に運転手は頷き、今度こそバスのドアが閉められる。一体、誰の荷物だろうか。


 滑走路に近付くにつれて、同乗する隊員の昂ぶりが窺えた。反して、彼らを率いる我が身には焦燥ばかりが募る。お上の話が不透明なのは、作戦の前提に限らない。連隊が動く作戦に際しては、事前の情報は事細かに用意されるのが常だ。作戦を行う理由・攻撃目標の見取図・使用する火器の指定・予想される敵兵力と所属・現地の民間人の有無・気温と湿度……。こちらに寄越されたのは、「他国が所有する貨物船へ潜入し、大量の船荷から危険物を発見しろ」との命令だけだ。その危険物が具体的にどういった危険性を孕んでいて、それがNBC兵器(核・生物・化学兵器の総称)なのか、横流しされたミサイルなのか、或いは極秘裏に製造された新兵器かも知らされていない。我々に霞を掴んでこいと言うのか?てんでお門違いだ、一休を呼べ。連隊に、お偉方のとんち大会に付き合うだけの余裕はない。時間も、おつむも。


 全容が見えない任務への不安と格闘する内に、バスが鋼鉄の巨獣が待つ滑走路に到着してしまった。前方のヘリパッドで、ピューマの風防が妖しく輝く。二機のピューマは実働部隊に先立ち、リチャード・クラプトン中隊長を筆頭とした司令部・電子装備を作戦地まで運ぶ。少し離れた別のヘリパッドでは、英陸軍のリンクス観測ヘリコプターが大人しく駐機している。更に彼方には、C-130ハーキュリーズ輸送機の影が確認された。ヘリパッドを通り抜ける途中、例の兵站係が降車する。彼がピューマへ駆け出すとバスは再発進し、三六〇〇メーターある滑走路の脇を走り出した。


 輸送機に横付けする形でバスが停車し、十数名の兵士が滑走路へ放たれた。ほぼ同時、先に通り過ぎたヘリパッドから、三機のヘリが轟音と砂嵐を伴って離陸する。息をのむ間に、黒い影が夕暮れの中へ消えてゆく。――なあ、親父。この作戦には、裏があるんじゃないか。C-130の風防越しに空軍の方々へ会釈しつつ、機付長にベルゲンを渡して適切な位置に積んで貰う。座席の取り払われた機内に、各々がハンモックや寝袋を展開し始めた。何もする事がない待機時間は、さっさと寝てしまうに限る。陽光の遮られたキャビン内で、腕時計の文字盤が微弱な光を放つ。離陸まで、まだ時間がある。〈シュアファイア〉の耳栓をはめ、睡眠薬を飲み込む。ついでに向精神薬――セロトニン再吸収阻害剤も服用して、寝袋に潜り込んだ。さっさとこの不安から逃れなければ。



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