黒き翼、白き獣 第三幕続き
ダイニングルームにある10人位は座れる大きなテーブルの真ん中には、大きな花瓶に生けられた花が置いてある。どこにでもある野の花だったり、近所の家で育てている花だったりと、種類にはこだわりがないが、常に絶やさない辺りに、ゼロスさんの性格がにじみ出ていると、僕は思う。
「レン、これをテーブルに運んで下さい」
「はい、ゼロスさん」
かごに盛られた焼きたてパンとジャムとバターの入ったかごを渡される。パンはゼロスさんのお手製で、毎朝焼かれている。テーブルにはまだ湯気が出ているスクランブルエッグにソーセージ、ミルクの入ったピッチャーに、ミントの葉が浮かんだ水。果物が乗った皿と、ここがスラムのような街の、ど真ん中とは思えない立派な食事内容だが、ゼロスさん曰く(庶民の食事)なのだそうだ。
「あー、腹減ったー」
「クウガ様、席に着いてください」
「はーい」
「ハイは伸ばさない!」
「はい・・・。」
全員食卓に着いたらいつものお祈りだ。
「創世の神ファーレンの恵み、美味しい食事を感謝します」
「感謝します」
「いただきます!!!」
焼きたてパンはふかふかで、溶けたバターとの相性も抜群だ。スクランブルエッグはふわとろ、ソーセージは香草入りで、皮がパリパリで美味しい。毎朝届くミルクは新鮮で、仄かな甘みを感じる。今日の果物は太陽をたっぷり浴びた林檎で、甘い蜜りんごだった。
普通、主と従者は同じ食卓には着かないが、この家で初めて食事をした際、幼いクウガが”独りでごはん食べるなんて絶対イヤだ。みんな揃って食べられないなら、ごはんなんていらない!!”と言い放った為、その日からずっと、みんなで同じ時間に食事をしている。今日のお昼は違うが・・・。
「クウガ様。今日もお迎えは8時で予定通りだそうです」
「あー、めんどくさい」
「年一回の定期健診は軍人の義務ですよ」
「神殿への”アイサツ”もな!」
翼人の軍人は怪我で退役しても、治れば復帰させられる。ましてや戦闘能力の高いカラー”黒のクウガ”の復帰を望む声は、十年たった今も止むことはない。
「金も銀もキライなんだよ」
「それはあちらも同じでしょうね」
「僕もキライです」
「全く、この”お子様”方は・・・」
ゼロスさんは頭を抱えている。食事中に肘をテーブルに乗せてはいけないといつもは注意する側なのに。しばらくは、みんな無言だった。
「ごちそうさまでした」
僕が先に食事を終え、続けてクウガも食事を終えた。
「ごちそうさまでした」
「はい。ごちそうさまでした」
すでに食べ終わっていたゼロスさんも続けて挨拶する。食器を下げようと席を立つと、ゼロスさんが言った。
「レン、ここは良いから、クウガ様の支度のお手伝いをお願いします」
柱時計はお迎えの時間まで30分を切っていた。
「はい。クウガ様、お急ぎください」
「はーい」
「ハイは伸ばさない」
「はい・・・」
「ほら、落ち込んでる時間なんてないですよ、行きましょう!早く!!」
「はい(よ)」
これ以上小言を言われないよう、クウガは口だけ”よ”の形を刻んだまま、二人でクウガの部屋へ向かう。
クローゼットから神殿参拝用の礼服を取り出す。白く薄い生地で作られたそれはスカートに背中で十字にした布を前を隠す作りで、いかにも神殿っぽい感じがするが、白い服に黒く大きな羽根はよく映える。
「座って下さい、ご主人様」
「ああ」
真っ黒な羽根に柔らかいブラシを充て丁寧にとかしてゆく、やがて右羽根の下、風切り羽根の辺りで、慎重になる。クウガが飛べなくなった原因、父のナイフが刺さった跡。
すでに外からは羽根に覆われて傷跡も見えないが、あれ以来翼が上手に動かせず、クウガはもう、空へ舞い上がれない。
「レン」
「はい、ご主人様」
鏡越しに端正な顔が見つめている。子供の頃の面影を僅かに残した白い顔。意志の強さの宿る漆黒の瞳は、今は優しそうに細められている。美しく成長した顔を彩る黒い髪は首の下で一つに括られているが、背の半ばまである。片翼等ではなく、見た目では判らない怪我で飛べない翼人達は、髪を伸ばす事で、飛べないと一目で解るようにしているらしい。
「お前のせいじゃない」
「はい、ご主人様」
「と言っても、お前は自分を責め続けている」
「いいえ!」
被りを振ってとっさに否定したが、嘘は見抜かれている。空を飛べない翼人の苦痛は、僕には計り知れない。自分が二度と走れなくなったら・・・と想像するだけで恐ろしいのに。
「何度でも言う。俺は、怪我をして良かったと思っている。飛べなくなれば、戦いに参加しなくていい。キライだった”狩り”から逃げられて、俺は今でもお前の親父に感謝している」
「でもっ!」
最初から言っていた。血がキライだと。争いもイヤなんだと。でも、ナイフの傷は相当痛かっただろうと思う。
「初陣でお前に会えた。そして、もう誰も殺さなくても良い。キライな両親とは離れて暮らせるし、ゼロスが世話を焼いてくれるから、俺は何も困っていないし」
「クウガ・・・」
「レン、俺はお前と居られて幸せだ。幸せなんだ。それだけは覚えていてくれ」
「はい、ご主人様」
振り向いたクウガ様に、抱きしめられた。子供の頃と同じ匂い、優しい温もり、暖かい手。
「レン・・・」
「クウガ様・・・」
「はい!私も毎日楽しいですよ、クウガ様」
突然、ドアの方から声が掛かった。もちろんゼロスさんだ。
「全く、仲良しなのは良い事ですが、急ぐのを忘れてはいけませんよ!」
「ハイ・・・」
なんとなく、恥ずかしくなって、二人ともそっと抱擁を解いた。
「レン、チョーカーを付けてらっしゃい」
「はい!」
クウガ様の正装を素早く整え、その後の健康診断時用のラフな私服も支度したゼロスさんは僕にも外出準備を促した。神殿からの迎えなら確実にうるさいので、自室に戻っていつものお洒落なチョーカーではなく、ごつい鍵つきの首輪に鎖を持って出る。
「レン、無理に首輪にしなくとも!」
「いえ、大丈夫です」
ゼロスさんが心配そうに見ているが、隷属の証とされる首輪を付ける事に僕はそれほど抵抗はない。この鎖の先に繋がっているのは、ご主人様であるクウガと、父親代わりのゼロスさんだから。
「さあ、行きましょう」
「ええ」
「ハイよ」
「ハイに”よ”をつけない!」
「はい・・・」
僕が出発を促すと、ゼロスさんとご主人様の声が返る。なんとか間に合いそうだ。いつものやり取りを聞きながら屋敷の裏手、この島の一番高い高い場所にある船着き場へ、三人で歩いて向かった。