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真夏の夜の恋火

作者: 早之丞


「嫌われた…嫌われた…もう会いたくないって…」


 夏真っ盛りとは言えすっかり日が落ちた暗い森。遊歩道にしゃがみ込んで、少年はブツブツ呟いていた。

 綺麗な少年だった。ふんわりとした黒髪に、細い身体を包んだ式服。涙で赤い頬を濡らして、長い睫毛は琥珀色の瞳を覆っている。小学校高学年くらいだろうか、二次性徴前特有の可憐さがあり、とにかく中性的であった。

 周りの大人たちは気遣わし気に様子をうかがってオロオロしているが、少年にとってはどうでも良さそうだった。


「もう半日もここに座り込んで…いい加減、家に帰らないとなりませんよ」

「萠様。使用人は主人に嫌われたらお終いなんですよ。さぁ帰りましょう」

「嫌だ! 嫌だ! 僕の家はお嬢様のいるお屋敷だけなんだ!」


 ただひたすら悲しそうに涙をこぼして不幸を嘆いている少年。


「さん、おじょう、さま……」


 名残惜しそうに少年は振り返った。

 そして、その光景を見た時、最初は何が起きているか少年には分からなかった。


「あれ…お屋敷、が…」


 すっかり赤くなった目は、大きく見開かれた。

呆然と立ち尽くす少年の視線の先には山の影、川の向こう岸、崖の上の荘厳な洋館。その窓明りにしては強い光。人影が蠢いているのが対岸からも分かった。遠くから聞こえて来る小さな悲鳴が、少年の鼓膜を揺らす。

夜空に向かって一筋の白煙が立ち上っていた。


「火が…」


 薄い唇からぽつりと言葉が漏れると、波紋が広がるように周囲が騒ぎ始めた。火事だと。町に出て消防車を呼ぼうと。

けれど少年の脳裏に浮かぶのは、涙をこぼして叫ぶ、愛しい少女の顔。


「燦お嬢様…!」


 少年はぱっと顔上げて、火事場に向かって走り出した。自然と口元に笑みが浮かんだ。これはきっと運命だ。彼女は今、怯えているだろう。身を案じて駆けつけたと言えば、喜んでくれるかもしれない。許してくれるかもしれない。


「はぁっ! はぁ!」


 パキパキと暖炉で聞くような軽やかな音がする。

 木や布が焼けた匂いが森の中に立ち込めていく。

 距離が縮まる毎に、大火の気配が強くなる。

 必死に森を駆け抜けて屋敷の敷地内である芝庭に辿り着くと、美しい白亜の西洋館が出迎えた。その北側にある正面玄関から、黒い煙が吐き出されていた。

 特にひどく燃えているのは南側の厨房だった。そこから一番離れた東側のサンルームから芝庭に出る階段が避難ルートになっている。

 慌ただしく家財を持って逃げる使用人と、我先にと離れの撞球室へ逃げ込む尊い血筋の方々。つい先ほどまで、華やかなディナーパーティーがあったからだろうか、混乱の様がすさまじい。


「燦お嬢様! お嬢様、どこにいらっしゃいますか!?」

「おや、天川様のご子息では? 帰られたのではないのですか?」

「なぜ戻ってきたのです。こんな大変な時に」

「燦お嬢様! 燦お嬢様!」


 ーー誰も僕の声には答えない。もはや上下関係は意味もなく、皆等しく自分本位だった。誰もこの小さな存在を気にかけるほど余裕がないのだ。

 少年は心配そうに話しかける大人たちの存在を丸無視してそう思った。消火活動と財産の確保で忙しくしている避難所を睨む。


「いない……まさか、あの部屋に」


 探している姿が見つからないと分かるや否や、少年はサンルームへ飛び込んだ。


「くぅっ」


 紳士の靴が脇腹を、婦人のつけ爪が頬をかすめて、少年は顔を歪める。

 それでも、退けと押す波とは真逆の方向へ、体を滑り込ませた。

 婦人客室を抜けて一階の玄関ホールに辿り着くと、そこから先は火の波が押し寄せていた。深紅の絨毯がちらちら燃えて、いつもより赤く見えると少年は思ったが、火に対する恐怖はなかった。


「火の回りが早い…お嬢様、今お迎えに参ります!」


 少年はただひとりの愛しい少女を思い出した。迷いない瞳を強く光らせて、ハンカチで口を覆う。階段を駆け上がろうとした瞬間、少年は背後から羽交い締めにされた。


「なっ…!」

「何で戻ってきたんだ馬鹿者! 死ぬ気か!」


 大柄な使用人の青年だった。少年を軽々と担ぎあげ、走って撞球室へ連れ去る。


「お嬢様ッ! あぁもう! 離せ! 醜男! 僕に触るなッ!!」

「まったくアンタらは、この夏ちょこまかと大人の邪魔ばかりしよって!」


 少年はジタバタと手足を動かして抵抗する。


「そんなお嬢様がッ! 燦お嬢様がまだあの中に…! あなたはお嬢様を見殺しにするんですか!?」


 燃える火のような、憎しみこもった表情で、青年を睨む少年。


「そうだとしても子どもに行かせる訳にはいかない! いい加減、子供の主従ごっこはやめんか!!」

「この…っ」


 毅然に正論を言い放った青年に、青筋を立てる少年。

 躊躇なくその脇腹に足をめり込ませた。ドスッといい音がなる。


「があ!?」

「人の恋路(騎士道)を邪魔する奴は馬に蹴られて地獄へ落ちろ」


 バランスを崩し倒れた青年の背中を踏みつけて、少年は撞球室の中へ走り去る。痛そうにしながらもそれを満足そうに眺める青年。


「へ…なんだかんだ聞き分けはいいってか」


 ホッとするのも束の間、ガシャンガシャン。バシャーン。キャーッと破壊音と悲鳴が響いた。


「何事だ!?」

「急に男の子が水をかぶって地下道の方に…」


 青年が撞球室に入ると、床には割れた硝子瓶と水溜まりと奥の扉に続く道を開けた淑女たちが怯えている。


「地下道ーッ!?!?」


 青年の叫びは虚しく石壁の地下道に響く。


「内側から鍵はかけてと。誰にも邪魔はさせるものか…」


 光の一切ない道の中を怯える様子もなく駆け抜けていく少年。

 階段を上って扉を開けると、先ほどいたホールや食堂よりも一番奥の西側の廊下に出た。廊下に敷かれた絨毯はくるぶしの高さまで燃えていたし、壁紙にも燃え広がって一刻の猶予も争う状態だった。ハンカチで口元を押さえて二階へ上がると、案の定ひどく煙が充満していた。


「ゴホゴホッ」


 壁に手を当てて床に這いずりながら前へ進む。煙が眼球を刺激して、涙が止まらない。目が開けられなかった。


「お嬢様、燦お嬢様」


 倒れた家具を乗り越えて、東へ進む。婦人室の上は客間になっていて、そのドレッサールームは少女のお気に入りの隠れ場だった。

 気が落ち込んではいつもそこに逃げ込んで、好きなだけ眠って英気を養うのが習慣で、寝過ごしそうな少女を起こしに行くのは、少年の勤めだった。大人たちは知らない少年と少女の二人だけの秘密だ。

 ドレッサールームの扉を開けた時の、健やかな寝顔を思い出して少年は微笑む。


「どうかご無事で…ッ!?」


 ボキバキバキッ。床底が抜け落ち、少年は空中に投げ出される。


                ❇︎


 聞き覚えのある声が聞こえた気がして、少女ビクッは肩を揺らした。

 薄暗いドレッサールームの中、隅に縮こまって少女はいた。太ももまで伸びた豊かな髪を編み込んで、二つのレースリボンから先は豪華な縦ロール。フリルとスワロフスキーがふんだんに使われた可愛らしい膝丈のドレス姿だったが、床に体を貼り付けている。

 煙を吸わないように、酸素を確保しているのだ。けれどそれも限界で、意識が飛びそうだった。焦点の定まらない瞳で、扉の隙間に向ける。


「ゲンチョウ…? ソウマトウかしら…アイツの声が聞こえる…」


 自嘲気味に少女は微笑んだ。大人ばかりでつまらないサマーパーティーで出会った子犬のような可愛い少年の顔を思い浮かべる。


「いまごろ、山を降りて街にいるのかな……。ふ、ダメね。こんなんじゃ、一方的にゼツエンしたくせに、いまさら別れがオしいなんて」


 今思えば些細な事だったと少女は反芻する。

 自分に対してあそこまで情熱的な殿方は初めてだった。自分の要求にどれだけ耐えられるか試してみようと、従者にしてやった。少年は忠実で有能で、何より少女を第一に想っていた。初恋で一目惚れかつ両思いなのは運命だと思って舞い上がった。

 けれど…少年はたった一度、抵抗してみせた。許せなかった。普段以上に激しく叩きのめして罵倒した。この辺りは怒りで我を忘れて本人はあまり覚えていない。

 でも本当に帰るとは思っていなくて、ヘソを曲げて引きこもった始末がこれだった。


「ミシュウガクジのお子ちゃまが恋人とケンカ別れしたあげく、火事でコンジョウの別れなんて…バカバカしいにもほどがあるわ」


 子供らしからぬすました顔で独り言ちる少女。しかし思い出すのは少年と過ごした楽しい思い出ばかり。


「ふん。一夏の恋にチるのも、中々いいじゃない」


 強がりもギリギリのラインで、じわりと涙を浮かべた。


「萠……助けて……」


 バンッ。その時、ドレッサールームの扉が開かれた。


「お嬢様!!」


 火に焼けてボロボロの姿になった少年だった。服や肌が焼けていてとても痛そうだったが、少女を見つけられてとても嬉しそうだった。


「萠! あんた…」

「お迎えに参りました、燦お嬢様! さぁ、手を…」

「ホンモノのバカなの!? す、好きでもないニンゲンを助けにくるなんて…」

「僕はいつでもお嬢様を愛しています。さぁ避難を」

「で、でも…私からのプロポーズはキョヒったじゃない!! あんたにフられらたなら死んだ方がマシなのよ! イッサンカチュウドクシって血色がいいまま死ねるらしいし!?」

 

 先ほどの憂は吹っ飛んで、涙目で叫び訴える少女。


「あぁ、もう! お嬢様のバカ!」

「ひゃ!?」


 しびれを切らした少年は少女を抱きかかえる。


「急に大胆な…て、ななな何する気ィーーー!?!?」

「てやあーーーーッ!!!!」


 少年はそのまま助走をつけてガラス窓へ突っ込んだ。バリーンと舞い散るガラス。木の枠も粉々に吹き飛ばす。芝庭にいた人々は呆気にとられて見ていた。背後のバックドラフトを物ともせず優雅に落ちていく少女と少年は、さながら映画の一場面のようだった。


「お嬢様、実は僕、女なんです」

「は!?」


 真剣にそして悲しげに言葉を放つ少年もとい少女。言われた方は彼、彼女の言葉を受け止められず顔を歪めたままサンルームに落下し、屋根を突き抜けて、幸い下にあったソファーに叩きつけられる。


「……」


 少女の顔が、少女の胸のふくらみに押し付けられている。


「そういえば、イッショにおフロに入ったコトはなかったわね…」

「……はい」


 恥ずかしそうに顔を赤らめて答える少女。


「誤解を与えていた事を謝罪させていただきます。…女同士では結婚できないのがこの国の法律ですから……お断りを……」

「でも、萠は私の事が好きなんでしょう。火の海に飛び込めるくらいに」

「それは勿論です! ですが…」

「ふん。やっぱり萠は大バカねっ! 私だって振られたら死ぬくらい好きよ。それに」


 ドレスの両端を摘んで、スカートの中を見せる少女。


「私は男よ。さぁ問題ないわね? おとなしくエンゲージしなさい!」

「え…?」


 自信満々に言い放つ少女もとい少年の言葉を受け止めきれず、絶句する少女。


                 ❇︎


 我に返った大人たちが、サンルームに駆け込む。使用人の青年が声を張り上げた。


「おおい! 大丈夫か!?」

「ごめんなさい! 僕、男嫌いで!! ホント生理的に無理で」

「なんですってー!? 私が一目惚れした時からダくカクゴをするまでどれだけクモンしたと思ってるのよー!」

「えー!? 僕がそっち側!? 嫌です! わんこ攻め女王様受けじゃなきゃ嫌です〜!!」

「このクソアマー! 従者はドMネコと相場は決まっているでしょー!?」


 一方は泣き、一方は怒り、ぎゃあぎゃあと年齢に見合わない口喧嘩を繰り広げる性別不明の少年少女。


「……この浮かれ者共がー!!」


 バシャーン! バケツの冷水が二人を襲った。


 駆けつけた消防士によって火事は鎮火。問題の二人は大人たちにこってりしぼられた後、なんやかんやあって無事に婚約した。

 出火原因は未だに謎であるが、二人が喧嘩すると必ずボヤ騒ぎが起きるので、周囲は気が気でないとか。


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