視線の持ち主
半死還人になってからしばらく経つけど、日を重ねる毎に感覚が鋭くなってきている気がする。周囲の音、視認距離、その他諸々。こんな世界だから周囲の状況をすぐに探知出来るのは便利なのだけど…女の身としては少し気分の悪いものがあるわね。こうやってストーキングを続けられると。
「錬治」
「えぇ。気づいていますよ。さっきからずっと俺達についてきている連中が居ます。数はおおよそ十数人程度でしょうか。物音をたてないよう必要最小限の動きで物音を抑えているようですが、俺からすれば丸分かりです。どうします?このまま飛ばして振りきりますか?」
避難所を後にしてから数十分。あそこを出てからすぐにこいつらの気配を感じとることが出来た。私達が速く歩けばこいつらも速く動き、立ち止まれば同じように立ち止まる。何かアクションを起こすわけでも無く、ただただ私達に着いてきているだけ。目的は何なのかしら?私達を殺そうと思うのならその機会はいくらでもあった筈。完全に無防備な状態で、視界が開けている道のど真ん中を歩いているのだから。もう少し様子を見てみようかしら。
「いや、とりあえずこのまま様子を見ることにするわ。相手が何者なのかは分からないけど、私達が相手の存在に気づいている素振りを見せないように」
「分かりました。でも、何者何でしょうね」
「さぁ?人間か死還人かも分からないんじゃね。…そう言えば以前にもこんなことがあったわね」
「そうでしたっけ?」
「錬治はその時まだ会っては居ないわ。あなたが潜んでいたビルに入る時に周囲から凄い視線を感じたのよ。あの時も何かしてくるわけでも無く、私達が外に出た時には既に気配は消えていたから気にも止めてなかったけど、何か人の動向を監視するように命じられた部隊でも居るのかしら?」
「部隊、ですか?」
「そ。と言っても軍隊じゃなくて生き残りの人間が徒党を組んで結成したグループの方ね。まだまともに機能しているグループを確認したわけじゃないけど、この世界じゃ個人で行動するより団体で行動した方が遥かに生存率が上がる。だからあなた達もあのビルに立て籠っていたのでしょう?」
「その通りです。」
「だからそんな人達が個人レベルで行動している私達を有用性があればそのグループに取り込むか、無ければ食料とかを奪って殺すかどうかの判断でもしているのでしょう。どちらにしてもそいつらにとって不利益は無いのだから」
「なるほど…言われてみれば確かにそうですね。でもそれなら何故わざわざ危険を侵すような真似を?様子見をしなくてもさっさとこの場から立ち去れば良いのでは?」
「相手が人間ならそうするわよ。でも、もしかしたら死還人かもしれない。もし死還人なら何故そんなことをわざわざするのか聞いてみる必要がある。私の知る限りあなた達二人を除いて死還人は基本的に知能が下がり、生前の行いを繰り返すだけの『生きた屍』なのだから。相手が人間か死還人か。それを確かめてからでも立ち去るのは遅くないわ」
「研究者魂ですね。…まぁどっちにしても俺は美桜さんに従うだけですので。何かあれば守って見せますよ!」
「ふふ。その時はお願いね」
こういう時は誰かが側に居てくれるのは本当に安心するわね。鈴を始め、仲間を増やして行動するのはやっぱり間違いでは無かったみたい。でも…今はいい。けど、この先は?私が復讐を果たした後の彼らはどうなる?私が復讐を果たした時、それは私の死を意味する。世界を目茶苦茶にした連中を殺しておいて、私だけ生き長らえるつもりは毛頭ない。そうなった時、彼らはどうなるのかしら…
『だ、誰か!誰か居ないか!助けっ!助けてっくれ!!!』
『いやぁぁぁぁぁ!!!来ないで来ないで来ないでぇぇぇ!!!』
『クソッタレがぁぁぁぁぁぁ!!!!!』
「美桜さん。生存者のようです。距離はかなり近いです。どうしますか?」
「あ、え、」
考え事をしていて気づかなかったわ。…………足音が三人分。もう少し離れた所に複数の足音。こっちは恐らく死還人ね。生存者の方は声からして男二人に女が一人、かしら?距離も確かに近い。目の前にあるビルの陰からもうじき現れる筈なのだけど、生き残りたいならこっちに来ては駄目ね。
だって…
「お、おい!あんた生きている人間だな!頼む!助けっ…!?」
「お願いお願い死にたくなっ……い……!?」
「少し力を貸してくれるだれぺで……?」
「ガァァァァァァァァァ!!!!!」
ここに居るのは人間じゃない。半死還人と死還人。錬治は確かに私が喋れるように手術を施したけど、だからと言って死還人の本能である人食を抑えられたわけでは無い。当然それは根強く残っている。久野の時は人外の域に達していたからその本能は反応しなかったみたいだけれど、やっぱり生身の普通の人間を前にするとこうなるのね。……あーあー折角助けを求めにやってきたのに酷い有り様ね。
男女平等。きっちり三人共喉笛を切り裂かれて絶命。その後四肢を引きちぎられて咀嚼される。これも慣れなのかしら?以前はあんなに嫌悪感を催していたのに今じゃ何でもないわ。……嫌な慣れね。
「ふぅ…初めて人を襲って喰べてしまいましたが、存外悪くないものですね。生前であれば忌避すべき行為なのでしょうが、死還人となった今、むしろ人を喰べることに意味を見出だせそうですよ。心なしか体の調子も良くなった感じがしますし」
死還人が何故生きている人間を襲い、喰べるのかはまだ分かっていない。私なりにこれまで遭遇した死還人や鈴と錬治を観察して手術をした時にサンプルを採取したりはしているけど、これと言った新しい発見は何一つとしてない。死還人の体にはあのウィルスが繁殖し、それのみが体内で活動している。分かるのはそれだけ。仮説のみで語るのなら、死還人が体内で繁殖と活動を行うには生きた人間の細胞か何かを取り込む必要がある、ということが挙げられるのかしら?根拠も何も無いからなんとも言えないのだけれどね。
「でも、これで一つ分かったことがあります。俺は生きている人間を助けることは出来ません。自分でも最初はあの三人を助けようと思ったのですが、姿が見えた瞬間ふっと三人を喰らいたいという欲求が俺を満たして他のことを考えることが出来なくなりました。なので美桜さん。誰か助けたい人が居るのならその時は俺を連れて行かないで下さいね。きっと、喰べてしまいますから」
言われてみればそういう弊害もあるのね。鈴は何故だか知らないけどその本能を自分で抑えられていたから何とも思わず適当に行動してきたけど、助けたいと思った人を錬治に襲われて殺されるのは困るわね。
「了解。その時は錬治を離してから行動することにするわ。これから行こうとしている所にももしかした生存者が居るのかも知れないし。そうだったら外の警護よろしくね」
「分かりました」
「あ、その前に一ついいかしら?」
「分かりました」
錬治と軽くテレパシーが出来ている気がする。私まだ何も言っていないのに。まぁ、説明する手間が省けるのは助かるからいいのだけど。
私の意図を察した錬治は鈴をその場に降ろすとすぐに臨戦態勢に入る。私達を監視していた気配に殺気が込められたのだ。このまま気づいていないフリをしようと思っていたのだけど、殺意を向けられたんじゃ反応しないわけにはいかないでしょう。
「さて、と。コソコソ隠れて私達を監視するのは止めたのかしら?殺気、だだ漏れよ?今まであなた達が見てきた者達がどうだったのかは知らないけれど、そう簡単に私達を殺れるとは思わないことね」
「だから、さっさと隠れて姿を現せ。何人でも相手になってやる。人間か死還人かは知らないが、この人に手を出すことは俺が許さん!」
パチ、パチ、パチ。
私達が姿の見えない敵に語りかけ終わると、ふいにどこからかゆっくりと柏手を打つ音が辺りに鳴り響いた。その音の音源を辿って探してみると、一人の男が建物の陰から現れた。
「へぇ~…やっぱり分かるものなんだね。とりあえず、初めまして、かな?あぁそんなに敵意を向けないで。僕は別に君達に害を加えたいわけじゃないからさ。皆。もういいよ」
男がそう言うと、私達に向けられていた殺気は消え、微かな視線のみが残った。……この男、何者?
「僕の名前は水先海人。君達と同じ、死還人だよ」
「は…?」
「なっ!?」




