僕の行動原理です。
「…………」
(そろそろ、か)
「?」
僕達が葉崎から日本壊滅の真実を聞いてショック受け、誰も喋らなくなっていると、ふと葉崎がぽそっと妙な事を呟いた。それは普通の聴覚では絶対に聞き取る事の出来ないであろう小さな呟き。
恐らく葉崎自身、無意識に口から出てしまったそれは死還人と為った事で聴覚が強化されている僕の耳にはしっかりと聴こえていた。
多分、錬治や水先達にも聴こえてはいるのだろうが、さっきの葉崎の話のインパクトが強過ぎて気付いてはいなさそうだ。
美桜や久野達は僕達程聴覚は強化されていないだろうからそもそも聴こえてはいない筈。
そうなると、僕だけが葉崎の呟きに気付いてしまった事になる。《そろそろ、か》なんて如何にも何かを企んでいるような呟きに首を突っ込むと面倒な事になりそうな気が凄いする。でも、放っておいてもやっぱり面倒な事になりそうな気がする。
さて、どうしたものか。
「まぁそれぞれ思う所はあるだろうが、俺から話せるのはそんな所だ。……それじゃ俺からの最後の質問だ。聞きたい事があるのは藤堂鈴とか言ったそこのお前だ」
「ん?僕?」
何故か葉崎は僕に聞きたい事があるらしい。
僕に答えられる事なんて何も無いと思うけど。
「あぁそうだ。お前、見た感じゾンビになってから1度も人を食べたり人の血液を摂取してないな?」
「良く分かったな。僕は誰も食べたりしていないし、血も飲んでいない」
見た目で分かるのか?
そんな話は美桜からは聞いてないけど。
「……やっぱりそうか。そうなるとこれは……」
葉崎は僕が今まで1度も人を食べてない事を知ると、何やら真剣な表情で考え込み始める。
そしてしばらく考えた後、僕にあるお願いをしてきた。
「……決して悪いようにはしない。お前の血液をこの注射器一本分貰えないか?」
「えぇ……」
それは僕の血液が欲しいというもの。
一体何に使うつもりなのかは知らないが、少し引き気味になってどう返答していいか困っていると、美桜が助け舟を出してくれた。
「鈴の血液をどうするつもり?何か良からぬ事を企んでいるんじゃないでしょうね?」
「まさか。人類の未来の為……なんて言えればカッコイイのかも知れないが、実際はもっと単純だ」
「と言うと?」
「ゾンビになってから1度も他人の血肉を身体に取り入れていないという事は、彼らを彼らたらしめているウィルスが一切の変異を起こさず、根源のウィルスをそのままに保っているという事になる」
「えぇそうね」
「それはつまり、藤堂の血液があればこの日本で爆発的に増えたゾンビの大元となるウィルスの解析が出来る事になり、つまりはワクチンを作る事が出来るようになる可能性があるって事だ」
なるほど。ワクチンを作る為に僕の血が欲しいのか。
「一度ゾンビになってしまった者は元には戻せないかも知れないが、噛まれたり傷つけられたりしてもワクチンを予め接種しておけばゾンビにならなくても済むような耐性を得られるかも知れない。そうすればこの日本の惨状をどうにかする事が出来るかも知れない。そうだろう?」
トリスタンは僕のような者の事をI型感染者と呼び、他者を襲って人を食べる死還人がほぼ全てを占めている為に、今では純粋なI型感染者は殆どおらず、僕のような者はとても貴重だと言っていた。
そして僕のI型のウィルスは他のウィルスや遺伝子を僕と同じものに変異させる効力があるとも。
そんな僕の血があれば確かにワクチンを作る事は出来るのかも知れない。
「それは最早世界から失われたゾンビを生み出す根源のウィルスだ。それさえあれば日本を救う一手になると、俺は信じている。……だからどうせ注射器一本分だ。微々たる量の採取ならお前の活動にも影響は一切出ない筈だ。どうだ?頼まれてくれないか?」
……ふむ。
実の所今後の日本がどうなろうと僕の知った事ではない。
僕の行動原理はただ1つ。何もせずとも日々を平穏に暮らしていくというニート街道を実現するという事。
その過程で色々と動いたり働かざるを得ないのはしょうがないけれど、その夢を実現するには日本にはこのまま壊滅状態を維持して貰わなければならない。
もし仮に、日本が僕の血がきっかけで救われる事になり、かつての日常が戻ろうものなら僕達のような死還人は危険な存在として真っ先に淘汰され、運良く逃げのびても行き場を無くす事になるだろう。
街を外れ、誰にも知られる事のない山奥や下水道の奥でひっそりと生活を始める。
そんなのはごめんだ。
僕は日本を救う勇者になりたい訳でも、日本を滅亡させる魔王になりたい訳でもない。ただその辺にいる村人Aに準じていたい。
だから僕の答えは……
「断る。僕は今の日本が気に入っているんだ。僕の血のせいで日本が元に戻るのだけは防がなくちゃいけない」
何より葉崎のさっきの言葉からはどうにも重みを感じない。
まるで僕の血を得る為に用意した咄嗟の屁理屈のように軽く感じた。
《かも知れない》《可能性がある》
なんて言葉が多く出てくれば大して何も考えていないような発言だと受け取ってしまうのは当然だと思う。
なんとなくの直感でしかないけれど、葉崎に僕の血を渡す訳にはいかない。
日本の未来云々は置いておいて、僕は僕の直感を信じて葉崎の申し出を断る事にした。