久野⓶ 不足の事態の発生
「こっちは大丈夫。いつでも動けるよ」
美桜からの連絡に対し、久野は腰に掛けていたトランシーバーを左手で取ると何事も無かったかのように平静を装って応答する。
事実それは嘘ではない。
多少の心の乱れはあったが、それはもう既に落ち着かせてある。
まず、気持ちの面では一切の問題は無かった。
『よし。トリスタン達は?』
『大丈夫デスよ!』
『久野さん。そこから球場の観客席はちゃんと見える?』
「美桜さんが用意してくれた双眼鏡のお陰でバッチリ。問題なく観客席に向けてコイツを撃ち込めるよ」
別に誰かにアピールをする訳では無いが、背負ってきたボストンバッグから双眼鏡を取り出し、同じくそこから取り出したRPG-7の本体と複数の弾頭を指差しながら返答をする。
久野の声の様子から美桜は問題は無いと判断し、そのまま次はルーランへと確認をしていく。
特に喋る事の無い久野は黙って通信に耳を傾ける。
『ルーラン、扉の解錠に不備はない?』
『どうなる事かと思ったけど、まだギリギリ電力が通っていたから問題ないよ。いつでも開けられる!』
『流石ね。ならそっちは頼むわよ』
『任された!』
『よし。全員ここまでは予定通りね。……今回の作戦では私達が如何に効率良く先制攻撃を仕掛けられるかが作戦成功の鍵を握っている。私達は7人に対し、敵は数百体規模の改造人間ばかり。まともにやっては勝ち目は無いし、非戦闘員の救出も同時に行わなければならない。極めて困難な作戦になるとは思う』
美桜のその言葉に、久野の体に若干の緊張が走る。
この作戦の1番槍は久野であり、久野の攻撃が失敗した時点で作戦の完遂が難しくなる事から絶対に失敗は出来ないと改めて自分に言い聞かせる。
『でも、久野さんの戦闘能力に、トリスタン達の優秀な頭脳、そして場数を踏んで幾度も死地を乗り越えて来た私達3人の経験があればきっと何もかも上手く行くと信じている』
『私とミャオミャオが居ればきっと何でも万事上手く行くのデス!』
何か見落としは無いか、何か不備は無いか。
そんな事を考えてしまったが、最悪自分が単騎で突撃して手あたり次第に倒していけば良いと考え直し、変に緊張をする事を止めた。
だから自分を落ち着かせる為、そして美桜を安心させる為にこう言い放つ。
「雑魚はどれだけ居ても雑魚。捌き方を間違えなければ大した脅威じゃない」
これも嘘では無かった。
Type-GFにしてもType-Mにしても今の久野の敵では無かったから。
唯一恐れるべきはジェイクのみであり、その他はどれだけ居ようと道端の雑草をむしり取るのと同じ程度の脅威しか感じられないので余裕を持ってそう応える事が出来た。
『私達はたった7人で数百体もの敵で構成された強大な組織に挑もうとしている。でも、敵の殆どが意思なき改造人間であるのに対し、私達は全員が強固な意思を持つ人間である。この差は大きく、どれだけ抗っても埋める事の出来ない絶対的な優位性アドバンテージだと私は考えている。
だから如何なる不足の事態が発生したとしても、自分の信じる正しいと思う道を選んで欲しい。ここまでは順調に事を進める事が出来たけど、これからはそうはいかないと思う。きっとどこかで何かしらの綻びが出る事は覚悟しておいて欲しい。でも、それは恐れる事じゃない。強固な意思ある人間ならば難なく乗り越えられる壁だと私は信じているから!』
本来であれば久野はたった1人だけでも球場に攻め込み、自分の力のある限り暴れて復讐をするつもりだった。
だが、幸いにも久野は6人の協力者を得る事が出来た。
ダメ元で協力者を探していたら、以前自分が戦って手酷い傷を負わされた挙句、深い慈悲によって心を救われた鈴達一党と出会えたからだ。
この人達がもし協力してくれるのなら、これ程心強いものは無い。
そんな事を考えていたから本当に鈴達の協力を得られた時は心が踊ったし、嬉しくもあった。
表情と態度には出す事が無かったので鈴達は久野に対して冷たいイメージしか抱いていないが、本当はその真逆だった。
全てが終わったらちゃんと自分の気持ちを伝えよう。
そう、固い決意を結び両手に力を込める。
『さぁ行くわよ!私達の勝利条件は捕らわれた研究者達の救出及びケリー・ハイルの無力化!敗北条件は誰か1人でも命を落とす事!」
球場への突撃のタイミングは事前に伝えた通り久野さんが観客席へRPG-7を数発撃ち込んだ後、私から指示を出すわ。それまで全員待機!』
『了解デース!』
「私はいつでもいけるよ」
久野はRPG-7を構え、準備に抜かりがない事を確認し、返答をする。
『久野さん、始めましょう』
「了解」
さぁ始めよう。
心の中でそう呟き、RPG-7に備えられたスコープを覗いて狙いを定める。
そして引き金を引き、開戦の合図となる一発の凶弾を撃ち込む。
バシュッ!と乾いた破裂音を鳴らすと、弾頭はもの凄い勢いで一直線に観客席へと向かって行く。
本来、通常のRPG-7であれば自身の振動や空気抵抗によって弾道は酷くブレてしまい、狙う距離が遠くなれば遠くなる程狙い通りの場所に到達させる事は難しくなる。
だが、今回はキングスが用意した使い捨てのリング状の推進器が弾頭に取り付けられている。
この推進器は弾頭の軌道がブレた瞬間に圧縮された空気を噴射する事で元の軌道に戻るように制御を行うプログラムが搭載されている。
なのでコレのお陰で久野は狙いを定めるだけで確実に弾を撃ち込める事が可能になっていた。
「まず1回目」
一発目の弾頭は問題なく大和ドームの観客席へと命中し、大きな爆発音が響いて黒い爆煙が上がったのが目視でも確認出来た。
敵の被害はどんなものかと双眼鏡を覗いてみると、かなりの数のTypeシリーズで吹き飛んだ事が分かった。
観客席の周りにはほんの数十秒前まで活動していたTypeシリーズのモノであろう肉片が大量に飛び散っており、運良く被害を免れた者達はパニックになって慌てふためいていた。
「指揮を施される前に次!」
Typeシリーズはケリー・ハイルの命令が無ければロクに活動出来ないとの認識でいた久野は続けて次弾を装填し、未だパニックになっているTypeシリーズを目掛けて発射する。
「……え!?」
だが、次の瞬間久野の想定を大きく外れる出来事が発生する。
狙いを定めて発射した筈の弾頭が、観客席に届く前に爆発したのだ。
何か障害物に当たった訳では無く、飛距離が足りなくて落下した訳でも無い。
間違いなく空中で弾頭が爆散したのだ、
「不良品……?いや、考えるのは後。次!」
原因は全く不明であったが、ここで悩んでも答えは出ないと判断した久野は3発目の弾頭を装填し、発射する。
「嘘……」
だが、3発目の弾頭も同じく観客席に届く前に空中で爆発し、敵に被害を与える事が出来なかった。
「私には見えない何かがあそこを守っている……?でも、だとしたら何故1発目は問題なく届いたの……?」
本来ならあり得ない出来事に久野は混乱し、攻撃の手が止まる。
『久野さん?何かあったの?応答して!』
攻撃の間隔が予定からズレてしまったのを美桜が察知し、即座に久野へ連絡を入れる。
美桜の声で我に返った久野は考える事を一度止め、今発生した問題を美桜に伝える。
「美桜さんごめん!1発目は着弾したのだけど、2.3発目は観客席に届く前に空中で爆発して敵に被害を与える事が出来なかった!何か障害物があった訳でも無いし、弾頭に不備があった訳じゃないと思う!原因が分からないの!」
『そ……ら……こ……』
「美桜さん?美桜さん!?」
たった今まで通じていた筈の無線が、何故か突然ノイズが入り混じって聞き取れなくなってしまう。
次から次へと発生する想定外の事態にパニックになりつつ、更にパニックになりかねない出来事を久野は目撃してしまう。
「アレは……ヤバい!」
視界に違和感を感じ、その違和感の方を見ると照明塔の上部に誰かが立っているのが見えたのだ。
距離が離れている為顔までは分からないが、それでもその佇まいと特徴的なシルエットからその人物がジェイク=グレイドである事は容易に判別出来た。
ジェイクが何故照明塔の上部に居るのか。
それは考えるまでも無く明白だった。
その真下に待機している鈴達3人を殺す為だ。
いくら鈴達が戦闘慣れしているとは言え、真上から音も無く奇襲をされたら無事では済まない。
それが分かっているのなら自分はどうするべきなのかを考え、最早ノイズだらけで使い物にならないトランシーバーを床に捨てて鈴達に向かって大声で叫ぶ。
「美桜さん!上!照明塔にジェイクが居る!逃げて!」
900m近い距離から叫んだ所で普通は声など届く訳が無い。
だが、今は早朝で辺りが静まりかえっていて聴覚に優れた死還人である鈴と錬治が美桜の側に居る。
元々トランシーバーが無い場合を想定して、何らかの不足の事態が発生した時はこうやって大声でソレを伝える手筈だったので何もやらないよりはマシと思い久野は叫んだ。
コレの唯一の欠点はこちらからは向こうの声が聞こえないという点であり、こちらの声が向こうに本当に届いたのかが確認出来ない事にある。
けれどもそんな事は久野にとっては些細な問題だった。
一応は声をかけた。万が一声が届いて無くても大丈夫。今から私が行くから。
そう考えていたから。
「間に合ってよね……!」
久野はホテルに持って来ていた全ての武器と道具を捨てて、14階もの高さがあるホテルのベランダから飛び降り、落下中に身体が地面に対して仰向けになるように姿勢を整え、背中の5本の触手を均等に傘の骨組みのように広げる。
「3…2…1…ここ!」
タイミングを見計らって地面に激突の瞬間に触手を突き立てる事で激突の衝撃を触手に吸収させ、一切のダメージを負う事なく最短距離でホテルから出る事が出来た。
その結果に久野は上機嫌で、それと同じくらいに驚きを隠せないでいた。
「多少のダメージは覚悟の上だったけどまさか無傷で済むなんて……この新しい触手って凄い。ここまで硬くて柔らかいなんてどうやれば……いや、美桜さんの技術に感心するのは後!」
いくらかの独り言を呟き、気持ちを整えると久野は全ての触手を使い、今出せる全力の速度で美桜達の元へと向かって駆け始めた。