あの子を支援する者
「どこで僕達が日本に来る事を知ったのか、彼は僕達が日本に到着したのとほぼ同じタイミングにたった1人で現れた。そして、僕達に向かってこう言ったんだ」
『話は聞いているよ。Asklēpios Inc.の人達だろう?僕はケリー・ハイル。君達の力になるよう言われて迎えに来た者だよ』
「【話は聞いている/君達の力になるよう言われて】彼の背後に誰かが付いているのは分かったけど、僕達にはそんな人物に心当たりはなかった。何せ米国は日本に僕達を送り届け、迎えに来る協力はしてくれると確約してくれたけど、現地での活動については自分達で何とかするようにと事前に僕達に伝えていたからだ。
だから、まさか日本に着いてから協力者が現れるなんて思ってもなかったし、ましてやそれが騒動の根源である神農製薬の人だとは想像もしてなかった」
「現れたその子が偽物だとは疑わなかったの?」
「勿論素性の分からない人が突然話しかけたら警戒はするさ。でも、僕達Asklēpios Inc.と神農製薬は独自に開発した医薬品のシェアを世界で争う言わばライバルのような関係だ。だから、そこに勤めている名のある社員の顔は把握していたし、異例の若さで様々な功績をあげてメディアにも顔が上がった事もある彼の事を見紛う事は無かった。彼の存在は僕達も気になっていたし、上層部も彼をうちにスカウトしようと画策していたからね」
そう言えば、一時期あの子も妙な事を言っている期間があったわね。
『日本とアメリカ、どっちに居ればより面白くなるのかなぁ』って。
あの時は何の事かさっぱり分からなかったけど、アスクレピオス社に移籍を打診されていたのだとしたら納得はいく。
でも、組織の規模や扱う機材の質は多分神農製薬より向こうの方が良かった筈だけど、あの子は向こうへ移籍する事はなく神農製薬に居続ける事を選んだ。
若くして確立出来た権力を手放すのが惜しかったのか、あの子が求めるだけの金銭を向こうが用意出来なかったか。
どんな理由があって神農製薬に残ったのかは分からないけど、ロクな理由じゃない事は何となく分かる。
「神農製薬が世界を恐慌に陥れた元凶とは言え、社内でも有名人だった彼が直接出向いてくれて協力を申し出てくれるのなら、僕達にそれを拒否する理由はなかった。あてもなく研究に明け暮れるよりは内情を知っている人に付いていた方が良いのは明らかだからね」
「あの子はあなた達に出会った時、他に何か言ってなかったかしら?」
「さぁ、どうだろうね。言っていたかも知れないけど、かなり前の事だから忘れてしまったよ。忘れてしまったって事は大して重要な事を言ってなかったって事はだろうし」
嘘を吐いている訳ではなさそうね。
「それもそうね。じゃああなた達はそのままあの子に連れられて大和ドームって名前の球場に向かったの?」
「そうだね。僕達が降り立った空港から大和ドームまではそれなりに距離があったけど、幸いな事にゾンビ達に遭遇する事なく全員無事のまま歩いてそこまで移動する事が出来た」
「距離にしてどれくらい?」
「どうだろう。10〜20kmくらいじゃないかな?それがどうかした?」
彼らがどんなルートを通ったかは知らないけど、五感が敏感な死還人を相手にそんな距離を一度も悟られずに移動するなんて事が可能なのかしら?
私達も同じような距離を歩いてここまで来たけど、私達は全員普通の人間じゃない。
鈴と錬治は死還人で私は半死還人。
久野さんは生体改造が施されて普通の人間とは言えなくなっているから死還人達に襲撃対象として見られていない。
だから、私達は安全にここまで来れたし途中何度か普通の死還人に出会う事はあったけど襲われる事はなかった。
でも、彼らは違う。全員が普通の人間だし120人という大所帯で移動しているのだから当然足音や話し声もそれなりに発生する。
そういった生きた人間の痕跡に敏感な死還人なら数km離れた場所からでも察知して襲いにきそうなものだけど。
何故彼らが襲われなかったのかは分からないわね。
唯一普通とは違うのは、あの子が側に居たという事かしら?それが何か関係しているとは言い切れないけど……
「別に大した事じゃないわ。死還人の五感は生前よりも酷く敏感になっているからよく襲われずにその距離を無事に踏破出来たなって思っただけよ」
「そうだね。その通りだ。あの時の僕達は神に護られていたに違いない。ゾンビの研究を進めていく上で色々分かった事は多いけど、奴らはとにかく五感が鋭い。僅かなの音と光を頼りに襲って来る。ほんの少しでもタイミングが違えば僕達はゾンビに襲われて全滅していたのかも知れない。まさに奇跡だったよ」
神に護られたのか、悪魔が気まぐれで助けたのかはまだ分からないのだけどね。
「そうして無事に彼の案内してくれた大和ドームに到着すると、すぐに中へ入ってゾンビも一緒に入って来ないよう元々備えてあったシャッターを閉め、加えて机やブロック等を使って厳重にバリケードを築いた」
「そこに到着した時にはあなた達以外の人は居なかったの?」
「あぁ。どうやら彼は1人で研究をしていたみたいでね。ドームの管理から防衛を1人で担っていた。あの小さな体のどこにそんなバイタリティがあるのか不思議だよ」
「子供だからって馬鹿には出来ないわ。伊達にあの年齢で神農製薬の幹部にまで上り詰めている訳じゃないのよ。並々ならぬ努力と生まれ持った才能。そして、狂気とも言える探究心があってこそあそこまで上り詰めたのだから」
「そうかも知れないね。僕が彼の年齢の頃は家で友達とパーティーを開いて遊んでたって言うのにね」
「それが普通よ。あの子が異質なだけ」
「だといいんだけどね。……話を続けようか。その後球場に入った僕達は驚くべきものを目にする事になる」
「何を見たの?」
「球場のグラウンド部分の半分近くを使用して多数のゾンビが頑丈な鎖に拘束されていたんだ。そしてそのどれもに電極や薬品を流し込むチューブが繋がれていて、一切暴れる事もなく大人しくその場に佇んでいた」
「あなた達が到着した頃には既にあの子は死還人を使って実験を行なっていたという事?」
「そうなるね。使ってた機材もどれもこれもが見た事のあるやつばかり。何せ僕達の研究室でも使ってた最新式のものだったからね」
「その機材を揃えようと思って、個人が簡単に用意出来るものなの?」
「無理だ。絶対に無理。あれだけのモノを個人で用意するのなんて、幼児にフェラーリを用意しろと言うようなもんさ」
「でも、実際にあの子はそれらの機材を使っていたのでしょう?」
「あぁそうさ。でも、幼児には無理でもそれを養う親なら可能かも知れない」
「あの子にパトロンが付いていると?」
「そう。それも、僕達の親でもあるAsklēpios Inc.である可能性が高い」
触手之巨人と戦っている最中にふと頭をよぎった事がある。
確かにあの子の頭脳なら人や死還人を改造してあんな化け物を生み出す事ぐらいは容易い事なのだと思う。
だけど、それならその研究と実験を行う設備はどうやって賄っているのかと。
日本がこんな惨状になってしまってからは全国的にインフラの整備が行き届かず、電気やガスはほぼ使えなくなってしまった。
稼働が停止していて燃料が尽きていなかった発電機や未使用のバッテリーを使えばその限りではない筈だけど、それでもあれだけの化け物を生み出すにはそれなりの設備が必要だという事はすぐに思い至った。
だけど、当然家庭用のモノでは賄いきれないし、かと言って病院や役所に設置されているようなモノは外部に持ち出しが困難なモノが多い。
1つ用意するのだけでもかなりの手間がかかる。
ただの電気でさえそれ程までに困難を極めるのだ。
人体を改造するに至るまでの設備を……それも大量に用意するにはどう足掻いても個人では無理な話。
だからほぼ間違いなくあの子を支援する誰かが居るのは予想出来た。
それが、アスクレピオス社だとは思っていなかったけど彼の話を聞いた限りではあり得ない話ではない。
「その話には何か確証でもあるのかしら?」
「最初にその考えに思い至った時、まさかとは思ったけどそんな事を直接彼に聞く訳にはいかないし、かと言って何か他に証明出来るようなモノもない。だからしばらく彼の行動を観察して、裏に誰が居るのかを突き止めようとしたんだ」
「何か分かったの?」
「あぁ。彼は日中ふとした時に居なくなるのだけど、その間何をしているのかはさっぱり分からなかった。だけど遂に彼がその間に何をしていたのかを知る事が出来た」
「何だったの?」
「大和ドームには屋内にあるブルペンと、天井が吹き抜けで空が見えるブルペンの2種類があるんだけど、彼は吹き抜けのブルペンで空から降りて来たドローンに何か報告書と薬品のようなモノを渡していたんだ」
「ドローン?ドローンって、あの空飛ぶラジコンみたいなやつ?」
「そう。しかもそのドローンには僕達Asklēpios Inc.の社名ロゴが機体に刻印されていた。それを見てほぼ確信したよ。彼の裏に付いているのは僕達Asklēpios Inc.だって」
「でも変な話ね。もしあの子のパトロンがあなた達アスクレピオス社だとしたら、何故あなた達にその事を知らせていないの?あなた達が日本に到着したのと同じタイミングで現れたのだとしたら、あの子にはあなた達が来る事を知らされていた事になる。何故あの子の援助をしているとあなた達に知らせなかったのかしら?」
「それについては僕達もまだ分からない。全くの謎なんだ」
「……こう言っちゃアレだけど、あの子の研究の礎の為にあなた達が生け贄にされたって事はない?」
「それは有り得ない。確かに上層部は日本に行く希望者を募ったけど、誰かに行くよう命令した訳じゃない。120人全員が自ら志願して日本に来た人なんだ。もし、仮に使い捨てのコマとして日本に送り込むなら予め選別した人物に行けと命令しそうなものじゃないかい?」
ルーランの言っている事は一理ある。
あの子の実験の為に死んでも良いような社員を送り込むのだとしたら、社内でもどうなっても良いような適当な人を送る筈。
でも、全員が志願者だとしたらその中に何人かはどうなっても良くない人が紛れ込んでしまう可能性が高い。
120人も居れば尚更の事。
「まぁ、そうよね。仮に私がその立場ならどうでも良いような適当な人間をリストラ感覚で送り込むわ」
「そうだろう?だから何故僕達にその事を知らせていないのかがよく分からないんだ」
ただもし、そうではなかったとしたら?
偶然にも、120人の志願者全員がアスクレピオス社にとってどうでも良いような人間だったら?
もしくは、日本に行く事を志願した時点で使い捨てにされると確定したのだとしたら?
……思惑がどうであれ、あまり良くない事である可能性が高いわね。
「とりあえずその話は置いておきましょう。これまでの話の流れではまだ何故あなた達があの子の元を離れたのかが語られていない。次はそれについて話してもらいましょうか?」
「あぁ。そのつもりだよ」