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第7話 ふたりであいましょ

 それから一週間もたったころだろうか?時は1年目の5月の下旬ぐらい。

 そろそろ、半袖のシャツが街に目立つ頃。


 草壁圭介は悩んでいた。

 気にはなる。藤阪公司という存在が。

 亮作からああいうふうに説明は受けていても、だ。


 肝心なのは周りがどうとか、そういうことではなく結局のところ、ゆかりさんの本心だろう?

 彼女はどう思っているのか?聞いてみたい。


 けど、どうやって聞き出す?だいたいからして、そんな話を自分に気軽にしてくれるのか?

 親しそうにはしてくれるが、ちょっと踏み込んだら、すぐに突き放すんだ、あの人は。


 なんか、以前にも似たようなことをお互いに悩んでいたような気がする。

 しかし、今回は以前より、事情が少々複雑だ。

 ゆかりが小さなボケをかまして、うやむやになるような軽い話じゃない。


 草壁にしてみれば、あの男の人とは、どういう関係なの?なんて話、お隣に住んでいるだけのお友達の分際でマトモに聞けるか?というわけである。




 同じ頃、長瀬ゆかりも悩んでいた。

「公ちゃんのこと、変な誤解してないかしら?草壁さん」

 彼のことはただの友達であるということをきちんと伝えておかないと。そう、私はただ誤解されてしまうのがイヤなだけなのだと。


 思惑はなんとなく重なっているようにも見える。じゃあ、さっさと二人で話をすればいい訳だが……。

 彼女にしてみると、ちゃんと事情を説明するってったって、なぜ、ただの友達に向けてそんなプレゼンの機会をわざわざ作る必要がある?というわけである。



 あれから顔を合わす機会は何度かあった。

 例えば、草壁たちの部屋での飲み会。けど、邪魔者(弟とツルイチ)がいる。


「あの二人だけ、排除する手段はないかしら?」

 お嬢様、少々穏やかならざることを考えたりして。


 それと、喫茶アネモネ。

 今では草壁もゆかりの両者ともに、割と常連だったりする。

 だから、そこで、顔を合わすことが度々あった。しかし、そこにも邪魔者マスターがいる。

「いなくてもいいのに……」

 いや、いるだろう?その店の店主なんだから。

「それと、あやちゃんもちょくちょくあそこに居るし……」

 親友まで邪魔者扱いだ。



「何かないのかな?二人で自然に出会って、ゆっくり話せるようなシチュエーション」

 と思うけど、そんな都合よくあるわけがない。

「草壁さん、もうちょっと要領よくさり気なく誘ってくれたら、お茶ぐらい付き合ってあげたっていいのに、変に不器用なところがあるから……ちょっとは公ちゃんの強引さ、見習ったら?……」




 そんな日曜日。


 遅めの昼食を自室で軽くすませたゆかりが、身支度を整えて今、まさにお出かけしようとしていた。


 本日は、車に乗って生徒の家まで出張レッスンに出かける予定が1本。

 そのあと、専門店に立ち寄って、譜面をいくつか買って帰る。

 そんな程度のスケジュールである。



 生徒の家での出張レッスン。それも日曜。という時には少し気を使った。

 これが平日なら、それほど問題はなかった。しかし休日というのは、その家の亭主が在宅している場合が多い。


 レッスンを終えると、向こうのお母さんが、お茶と茶菓子の一つでも出して、おもてなしをしてくれることはよくある話。

 平日なら、そうして、生徒といっしょにその親御さんと軽くお話するのも悪くはない。


 しかし、休日には、そこにもう一人入ってくることがある。つまりその家の旦那さんが混じることがある。

 それが嫌なのか?と言われると、別に嫌なわけではない。それだけなら。


 「先生はおモテになるでしょ?彼氏いるんでしょ?」

 「いえ、とんでもない……」(生徒の前で、軽々しく色恋のしないで欲しい……)

 「今日はお忙しいんですか?」

 「いえ、もう帰るだけですから」

 「それなら、どうです?お寿司でも取りますから、うちで一緒に食べてゆきませんか?」

 「そ、そんな……」

 「私は、こうやって休みの日しかうちにいませんから、うちの子がどれぐらい熱心にピアノをしているのかも良く知らないし、一度、先生とそんなことをゆっくりお聞かせ願えたいんですよ」

 「お、お子さんは大変熱心で、筋もよくて……」

 「な、お前のほうも、先生とうちの子の話をゆっくり話す機会があったほうがいいだろう?」


 そんな旦那の隣で、あらそうですね、みたいに笑っている奥さんなのだが、ゆかりには判る。顔が笑っていても、目のほうも笑っていても、殺気は確かに感じる。

 で、先生もお忙しいみたいだし、あんまりお引止めするのは迷惑ですよね?と、ゆかりが断りを入れるまでもなく、さっさと奥さんに追い立てられるようにしながら、その場を逃れると、その翌日、奥さんから冷ややかな声で、今までうちの子がお世話になりましたが、わけあってこれで、教室は辞めさせていただこうかと……。という電話が入る。


 そんなことが2度あった。



 だから、休日の出張レッスンには、なるべく地味でフォーマルな服装を心がけた。

 豊かな長い黒髪も、キュッと束ねて、リクルーターみたいな紺系のスーツ。

 いかにも「お仕事で来ていますので」という様子でスマートに訪れて、さり気なく、「次の生徒の予定が」みたいなワードを、会話に織り込ませて、忙しさをアピール。そして、レッスン後のお茶もそこそこにさっさと引き上げる……。


 彼女なりの工夫。

 それでも、立ち去り際に、メアドの書いた紙切れをスッとポケットに入れられるようなことが……

 やはり、2度ほどあった。



 で、スーツ姿も凛々しく、ゆかりが部屋を出ると、そこに草壁が立っていた。

「あっ、どうも、こんにちは」


 お互い軽く挨拶を交わした後、エレベータまで言葉も少なく歩いた。

「レッスンですか?」

「はい。草壁さんは?」

「ちょっと買い物に」


 3階のフロアから、1階のマンション出口まで、これほどの会話を交わすぐらい。

 そこから、ゆかりは、車に乗り込むために駐車場へ。

 草壁は電車に乗るために駅前方向へ。

 というように、そこでお別れである。


 そこまでの間、お互いが言葉少ないのは、別に話すことがなかったからではなく、何か話そうと逡巡しているからだったが……


「なんなんだろうね?今日のゆかりさんの様子、微妙に不機嫌?」

 女心のわからない童貞には、そのように見えていた。


 今日に限らず、ここのところ、妙に口が重いような気がするのは気のせいか?

 けど、自分としてはゆかりさんを怒らすようなことをした覚えはない。



 そんなことを考えながら駅についた草壁が、ぼんやりと乗り込んだ電車の中で呟いた。。

「いけね、大学方面行き乗っちゃった……今日はそっちに用ないのに……」



 その頃、まだ、ゆかりの車はまだマンションの駐車場にあった。

 愛車である青のラパンのハンドルにおでこを押し付けたゆかりのほうはがっかりしながら、こう呟いていた。


「あーあ!草壁さん送ってあげたらよかった……出来たのに……二人で話す機会が……」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 その日の夕刻。

 今日は無事にレッスンを終えたゆかり、愛車ラパンに乗り込むと、カーナビを操作しだした。


「次は、楽譜のお買い物っと……えっと、あの楽器店はどこだっけな?」

 ピッピッピッ、ポロン

 あんまり使う機会もないカーナビを久しぶりに操作すると。


”目的地をセットしました”

 ダッシュボードの外付けのカーナビはいつもどおりのご様子。じゃあ、さっそく出かけますか。


 高い庭木があったり、大きくせり出した立派な庇の家が目立つ上品な住宅街の道路を、ベンツやアウディなんかとゆっくりとすれ違ってゆきながら、曲がり角を2、3度曲がると、比較的大きな国道筋。

 交差点で信号待ちしている時に、何気なくふと隣を見ると、コンビニが目に入った。


「あっ、そうだ!お金下ろしとかないと。多分、もうギリギリ……」


 そう思って、ゆかりがすぐ右手に見えるコンビニに入るべく、ウインカーに手を掛けようとすると。


”この信号を左”

 カーナビのアナウンスが響いた。


「えっ?左?どうして?」

 カーナビが意外なナビゲーションをした。えっ?だって、そっちはちょっと方角違わなくない?と思っていたら、後ろから、プップッとクラクションの音。

 あっ、!信号青になっちゃった。

 慌てたゆかり、仕方ないからカーナビの言うとおり左折した。

 彼女は地元の人間じゃない。ひょっとしたら、近道というか、渋滞に巻き込まれることなくスムーズに移動できるルートでも指示してくれてるのかな?と思うのだった。


「あっ、あそこにもコンビニがあった」

”次の交差点を左”


「ひ、左?どこに行くつもり?」


 わけが判らないまま、左折する。と、通り沿いに銀行のATM。

「あったあった、ATM」

すると、ナビが

”次の信号を右に”


「ちょっと!本当に案内するつもりあるの?!」

 思わず、機械に突っ込んでしまった。

 地元の人間じゃなくたってわかる。絶対にそっちじゃないことぐらいは。

 カーナビが不自然な道案内を繰り返すので、ゆかりのほうはお金を下ろす余裕もないままである。

 そのうち、あんまり見たことないところに出てしまった。


 どこ?ここ?

 それほど、遠いところを走っているわけではない。目にする道路案内の看板の地名は見知っている地名ばかりだし。けど、長く住んでいるわけじゃないから、ちょっと普段の生活圏から離れると、もうどこがどこやら……。


 そのうち、カーナビが


”目的地に到着しました。目的地に到着しました”とやりだしたものだから、ゆかり、飽きれて叫んだ。


「ここのどこが目的地なのっ?!」



 もう、地図見て自力で行くわよ!この役立たず!

 そこで、とりあえず、路肩に車を止めた。

 止まった車のすぐ目の前にはバス停の立て看板。そこでぼんやりと突っ立っている一人の人影。

 アレッっと思ってよくみたら……

 草壁だった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 草壁さんだ……。なんか文庫本読みながら立ってるけど。バスでどっか出かけるのかな?それとも帰り?どっちなんだろう?帰るなら、送ってあげてもいいけど、どっか出かけるのなら、声かけても無駄だし……。

 どうしよう。私のこと、まだ気づいていないみたいだから、余計なことせずに、このまま帰っちゃおうかな。


 ゆかりが車の中でそんなことを考えていると、すぐに背後にはバスがウインカーを点滅させながバス停に近づきつつあった。


 どうしよう?放っておくべき?それとも……



 近くで”プップッ”という、クラクションの音が耳に入ってきたので、草壁が本から目をあげてそちらを見るとバスが近づこうとしていた。

 その前には、邪魔な軽自動車が一台。

 見覚えがある、ともそのときには思えなかった。

 やがて、その車が後ろのバスに押し出されるように草壁の目の前までやって来た。ギュッと乱暴な急ブレーキをかけて止まると、スッと下りたドアガラスの向こうで、ハンドルを握る女が、怖い顔で叫んだ。


「とりあえず、乗って!」


 背後で鳴り響くクラクションの連打の音に送られながら、バス会社から乗客一人ひっさらった軽自動車が、バス停をちょっと乱暴なアクセルワークとともに走り去っていった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「あんなところで、何してたんです?」

「……バス停に立っていた人間にそんなこと聞きますか?」


「……」

「そんなことより、送ってもらって得しました。ありがとうございます」

「楽譜買うから、遠回りしますけど」

「全然かまわないですよ。急ぐ予定もないですし」



 ようやく、二人っきりで話す機会は持てたわけである。

 ただ、それが唐突に訪れたせいで、「なぜ、こうなったか」という事情説明を省いて、いきなり本題に切り込むというわけにもいかなかった。


「変なところをグルグル回ってたんですね」

「もう、事故するんじゃないかってぐらい。大変でした。このナビのおかげで」

「けど……目的地セットしなおしたら、今は普通に戻ってるみたいですね」


 走り出した車中で、助手席の草壁がゆかりに代わってナビの入力をしなおして、現在は順調な様子。


「よかった!」

「そんなこと言ってたら、またおかしなナビをしだしたりして……」

「そのときは、このナビ、スクラップにします」

「こわ……」


 変なナビの話題で、軽く話も盛り上がり……。

 は、いいのだが。盛り上がったら盛り上がったで、「話は変るんですが……」みたいな感じで本題に突入もしずらい。お互いにとって、このバカナビの話ほどは軽いトピックではない。


「もうすぐのようですよ」

 助手席の草壁が呟いた。彼も感じていた。話したいわけだけど、切り出し様がわからない。

 そして、ナビが順調ということは、二人きりのドライブの時間は短いというわけである。

「ですね……」

 ゆかりもハンドルを握りながら呟いた。


 草壁はこのとき気づいていなかった。隣でゆかりが怖い顔でナビを睨みつけていたことに。


 ”今度はまともなのね、あなた……”



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 買い物は順調に終わったが、ナビのおかげでお金を下ろす余裕もなかったゆかり、お会計をすませたら、サイフにいくらも現金が残っていなかった。


「所持金308円」

 ゆかりが軽くなったサイフを振りながら笑った。

「それ、ゆかりさんとこの部屋番号だ!」

「笑い事じゃないんですけど」


 そんなことを話して車まで歩いていると、草壁がゆかりに、車のことをあれこれと興味深そうに聞き出した。

 乗り心地いいですか?よく走ります?へえ、いいなあ……


「草壁さん、車は?」

「親の仕送りで一人暮らししてる学生が、マイカーなんか簡単に持てると思います?」

「まあ……そうかも……車好きなんですか?」

「前に、休みの間、配達のバイトでずっと車運転してたんですけど、ハンドル握るのはどうも好きみたいです。車好きっていうより、ドライブ好き?かな?」


 それを聞いたゆかり、にっこり笑って、ラパンのキーを草壁の目の前でゆらして見せた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「じゃあ、家までナビをセットしますね」

「国道まで出たら、そんなに迷うルートじゃないでしょ?」

 助手席のゆかりがナビの画面に触れているのを見た草壁がハンドルを握りながら言った。


「いいじゃないですか。別にナビをつけたって!」

 そのとき、少し不満そうにゆかりが口をとがらせた。草壁にしてみれば、俺、何か悪いこと言った?と思うのである。




「このウサギちゃん(※ラパンはフランス語で「ウサギ」の意味)、私のお気に入りなんです」


 ペット自慢のようにして愛車のことをゆかりが語るが、乗ってみて、特別これと言った装飾もない車内だった。

 シートも標準仕様。メーカーオプションというのはないし。


「だって、遠出する予定なんかあんまりないから、とりあえず走ってくれればそれでいいし。考えてみたら、この子に乗って高速を走ったこともないぐらいだから……」


 そのかわり、ほのかな芳香がした。

 いいにおいですね、自然な感じで。と草壁が聞くと、ゆかりが嬉しそうに笑った。


「あっ、わかります?車の芳香剤ってあんまり好きじゃないから、かわりにポプリを自作して置いてるんです」

「いい趣味してますね」

「そうですか?ありがとうございます」


「……」

「……」


 交通量の多い夕刻の国道筋を、華奢なウサギが、トラやライオンと言ったような大型トラックとともに、時に軽やかに、時にノロノロと進んでいる。

 草壁の運転が穏やかだったので、最初からゆかりは安心して助手席のシートに身を任せていられた。

 加速も減速もなめらかで、無理な割り込みも追い越しもしない。

 いいなあ、こうやって横に座ってるのって……。


 言葉につまると、狭い空間では、沈黙がいつもより重く感じられた。

 草壁は、なるべく自然に藤阪のことを聞き出したいと思っていた。”そんなこと、草壁さんに関係ないことじゃないですか?”と一言でバッサリ切り捨てられたら、多分、もうそれっきりだと怖れていたから。

 しかし、車の流れは待ってはくれない。

 隣で黙っているゆかりの思惑なんてわからない。

 バッサリ切られても、どうせ、元々か……。

 いいや、聞いちゃえ!


 片道2車線の幹線道路と交差する信号は、この辺ではちょっとした渋滞ポイントである。

 流れの様子からしても、抜けるのに5分は掛かるような気がした。時間の余裕は少しならある。

 これが、ラストチャンス?じゃあ、今聞かなきゃ。

 目の前を遮る10トン車のブレーキランプで赤く染まったラパンの室内で、ゆかりに向かって、多少緊張しながら


「あの……」


 と頭を巡らせて問いかけた瞬間、草壁は絶句した。


 隣の彼女は、寝ていた。




”目的地に到着しました!”


 そのとき、あのカーナビが、いつもより少し甲高く大きな声を出した。

 その声を聞いたゆかり、驚いたように目を覚まして、こちらも大きな声で叫んだ

「あっ、いけない!私、寝てた!もう着いたって、本当?!!」

「いえ、まだ着いてません」


 互いに、顔を見合わせていた。ゆかりはハッとした顔で。草壁は呆然とした顔で。

 しばらく見つめあう二人。


”目的地に到着しました。目的地に到着しました。目的地に到着しました。目的地に到着しました”


 えっ!と思っていると、ナビはまるで壊れた目覚まし時計みたいに止めどもなく、同じフレーズを連呼する。


”目的地に到着しました。目的地にトウチャ……”



 うるさいっ!!

 ムッとした顔で、ゆかりがナビの電源を落とした。

 隣でハンドルを握る草壁にも、なんとなく感じられるほどの殺気を帯びながら。


 ゆっくりと渋滞の車列が動き出した。



 しばしの沈黙のあと、草壁が吹き出した。

「……アハッ」

 ゆかりも笑うしかない

「……フッ……」


「ハハハハッ」

「フフフッ」


 しばらく、二人はそうして肩を揺らしていた。

 渋滞ポイントをすり抜けた青いウサギも、真ん丸い目を光らせながら、ピョンピョンと国道を跳ねた。



「これですか。ゆかりさんを出鱈目に引張りまわしたバカナビ!」

「……けど、まさか、”目的地に到着しました”を連呼しだすとは思わなかった!これは、新しいパターン!」

「ちょっと間を置いて、さらにバカになった!……」


 車中でそんなふうに笑いあっているうちに、その軽い空気に乗せられるようにして、草壁が自然な様子でこう切り出した。


「晩飯、食べてゆきませんか?おごりますから」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 夜空に大きな黄色い看板を光らせている、某チェーンのファミレスにウサギを駐めたら、もうそこはひまわりが丘にほど近い場所である。




 夕食時の店内は、ほとんど満員状態。が、比較的客の年齢層が高めで、カップルやスーツ姿のサラリーマン風なんかが多くて、喧騒もそれほどひどくない。スムースジャズのBGMが店のそんな雰囲気に心地よくマッチして流れている。


 席につくと、メニューを片手にしたゆかりが、サラッと

「えっと、私は、サーロインローストビーフにサラダとライスのセット。食後には、オレンジジュース……」

 と早口に言ったあと、ニヤッと笑って向かいの男を見た。


 草壁が、目を剥いていた。

 その表情を見て、ゆかりがクスクスと笑った。

「冗談ですよ。私、あんまりお腹すいていなから、たらこパスタにしときます」

 お腹空いていない、というか、あんまり食べる気がしないのは事実。

 けど、草壁の表情を見て、ゆかりは感じ取っていた。

 多分、所持金3500円。

 私が2000円超えるもの頼んで、自分のほうはオムライスだけっ、ていかないだろうけど、お付き合いして似たようなもの頼んだら、予算オーバー。彼の目は今、そう言ってる……。わっかりやすい!草壁さんって!!!


「え、そうなんですか?遠慮しないでくださいよ。せっかくおごるって言ってるんだから」

「いいんです。本当にお腹すいていないところを、無理に誘われて、仕方ナシに来ただけなんで」


 そう言って、草壁の目の前で、ゆかりは愉快そうに笑っていた。

 なーにが、遠慮しないでください、よ……。ホッとしたような顔しちゃって。そっちの思惑なんか、ちゃんとお見通し!


「うわっ、ヤな言い方……」

 素直についてきてくれた割に、嫌味なことを言うんだな、嬉しそうな顔して。

 ……ほんと、この人は謎だよ。

 草壁のほうは、そう思って、ちょっとムクれていたりする。

 けど、憎まれ口たたいても、笑顔は……カワイイ。




 

 たらこパスタを口に運びながらゆかりが驚いた。

「と、友達以上、婚約者未満?あの子、本当にそんなこと言ったんですか?!」

 草壁もオムライスをパクリ。

「ええ、実家のご両親は、まんざらでもないみたいだとか」


 亮作が思っていた以上に口が軽いことに驚きあきれたゆかり。

「まったく、あの子ったら……」

 そういいながら、何気なく、顔を横に向けた。


 二人の席のすぐ脇には店内を仕切る木目調のパーティションボードが立っているのだが、この仕切り、それほど高くない。

 顔を横に向けると、仕切り板のすぐ向こうで、スーツ姿の男4人が

「向こうの営業が、この値段でするからと言うからさ」

「本当かよ」

「で、今日、アッチ行ってどうなってんだっていったら」

「3日前に辞めたってさ!どうするんだ、それっ!」

 具体的な中身はさっぱり分からないが、仕事上のトラブルなのか、それともそれにまつわる笑い話なのかよくわからないような様子で、結構陽気に話し込んでいるその顔がよく見えた。


 で、そのサラリーマンの顔が大きかったから、ではないと思うが、よく見ると、そのリーマン4人組の向こうに、一人いるのに今ごろになって気がついた。


 一人で目の前に開いた参考書をチラチラと見ながら、ノートをとりつつ、机の上のグラタンを一口パクリ。そして、再び、ペンをとってノートにカキカキ……。

 あやが、ファミレスで食事しながらレポートを書いていた。



 その姿がゆかりの目に入った。目の前で、ゆかりの異変に気づいた草壁も次の瞬間、事態を飲み込んだ。




 で、どうなったかというと……


「あの……なんで、こんな格好で話さないといけないんですか?」

「見つからないほうがいいでしょ?」

「そうですね……んっ?……そうですか?」


 あやの姿を目にしたゆかりは、腕を組むようにしながら、両方の上腕をベタっと机の上に乗せると、首を低く下ろした。

 草壁が、腕の上にアゴでも乗せて、寝るのか?と思っていると、パーティションより低い位置で、ピタッと頭を止めた。そして、草壁に向かって右手をヒラヒラ上下に振る。

 頭が高い、頭が高い、そちらもお控えなさいな。と言いたい様子。


 言われた、というか指図されたので、草壁も従った。


 これで、パーティションボードの向こうにいるあやには、見つからない。


「まだお話の途中じゃないですか?」

「そうですけど、僕たち、見つかっちゃいけないことしてましたっけ?」

 ただの友達と、高級レストランデート行く人が、ただの友達とファミレスで晩飯食べてたら何か不都合でしょうか?……まあ、話が途中だって言う理屈はなんとなく納得しますが。



いつの間にか、隣の席のサラリーマン4人組の口数が少なくなったことに草壁もゆかりも気づいていない。

あやの場所からは見えなくても、すぐ隣からは二人の様子が見えた。

 ……なんだ、この変なカップル。机の上で匍匐前進の真似事でもしてるのか?



「藤阪さんとは幼馴染で仲いいんでしょ?今でも月に一度ぐらい会って、デートしてるって……」

「デートなんかじゃありません。ただ会ってるだけ」

「普通、そういうのはデートって言いません?だいたい、向こうはゆかりさんのこと好きだって言ってて、その気持ち知ってて二人で出かけるということは……」


 そう、草壁に突っ込まれたゆかりが、拗ねた顔をしながら、組んだ上腕の上にアゴを乗せた。

「だって、簡単には断れないもの……」

 なんで、簡単に断れないのか?草壁にはよくわからなかった。


「ひょっとして、それとは別に花婿候補がいたりして?」

「いませんよ」

「けど、親御さんとしては早いこと次期社長の目星をつけて、仕事を教えたいと思ってたり……」


 草壁は、だんだんこの雰囲気に狎れてきたせいか、どんどんと突っ込みが入る。

 ゆかりはゆかりで、言葉に詰まるわけではないが、なんとなく面白くなさそうにその言葉に応える。


「そうだけど、私だって、まだ年も年だから、しばらくはね。ゆっくりしてろってことみたい……」

「へえ」

「けど、分かるんですよねえ。口ではそう言っても、様子はあきらかに、私を待っているっていうのは。何しろ弟があんな調子で、跡継ぐのを完全に拒否しているから……」


 上腕の上に頤を乗せたゆかりは、まだ半分も残っているパスタをそっと、脇へおしやった。

 そして、悩ましそうな顔のまま言葉を続けた。


「さっきの車あるでしょ?ウサギちゃん。このまえだって、ウチのお母さんから『あなた、車はいいけど、もっと頑丈な車に変えたらどうなの?』って電話してきて。事故したときが心配だって、で、そのときにね『もう、今はあなただけが頼りなんだから、あなたにもしものことがあったらと思うとお母さん心配なの』……なんて」

 そういって、不満そうな顔で草壁を見つめた。

 そんな表情もかわいい。聞いていると、お菓子食べたいけど、親が買ってくれない、という話をしているみたいにしている。


「そうやって『そろそろ、どうなの?』ってさり気なく探りいれてるんですよねえ……私、婿養子とること嫌だなんて、一言も言ってないのに……」


 婿養子……。次期社長……か……。



「あーあ!こんな話してると、すっかりグチっぽくなっちゃうな……」


 不自然な姿勢を長くつづけたいか、それとも気の乗らない話を続けているせいか、少し疲れてきたように感じたゆかりが、今度は机の上で、右手をすっと伸ばして、二の腕をマクラ代わりにして、頭をその上にゴロン。


「僕でよかったら、聞かせてもらいますよ」


 そう言いながら、草壁も同じように、右腕を伸ばして、二の腕の上に頭をゴロン。


 机に上に、勾玉が向かいあって二つならんでるみたい。



 なんだ……このバカカップル……。


 隣の席のサラリーマン、いや、まわりの客……と店員たちの冷ややかな視線にまったく気づいていない様子で、机の上に寝ている二人の会話が続いた。


「なに、生意気なこと言ってるんです、別に草壁さんに話したところで、ちっとも気は晴れませんから」

「そうですか……頼りない、年下で悪かったですね」

「気を落とさないの」

「ところで、花婿さんの募集要項なんかあるんですか?」

「別に、そんなものありません。うちの家業のことを理解してくれて、ちゃんとうちの両親のお眼鏡に叶えば……」

「ゆかりさんのお眼鏡にも、でしょ?」


 ゆかりが、フッとため息交じりの笑いながら

「……まあ……」

 と、ちょっと言葉を濁した。



「ふわぁぁ……ちょっと眠くなってきちゃった」

 すぐ目の前で、小さなかわいいあくびをしているゆかりを見ている草壁には、実はもう一つ聞きたいことがあった。



 ”去年の春、入院してましたけど、あれはなんだったんですか?”



 しかし、彼はその疑問を口に出すことができなかった。

 なぜか知らないが、今のこの和やかな雰囲気の中ではそれは切り出すべき話題ではないような気がした。



「あ、あやちゃんどうしたんだろう」

 草壁がそんなことをぼんやりと一人で考えていると、ゆかりが顔をあげてあやの座席のほうを探った。

 草壁もつられるようにして、顔をあげてそちらを確認すると、座席は空っぽ。ウエイトレスが机を拭いている、ということは。


「帰っちゃったみたいですね」




「まだ居ますけど」


 !!!


 カバン片手にニヤニヤしながら、辻倉あやが二人の席のすぐ脇に立っていた。


「仲いいんじゃないですかぁ!ふたりでそろってお食事したりなんかして、デートの帰りですか?」

 いいとこ、見ちゃった!みたいな調子で冷やかしてくる。

 やっぱり、私の見立てたとおりですね。隠しちゃって、かわいい!


 こういうとき、女のほうが強い。というか、図太い。ゆかりは顔色ひとつかえずに、かすかに笑いながら

「違うの!これは、今日ね、ピアノ教室の大掃除をして!そのお手伝いを草壁さんにしてもらったものだからその御礼がわりに、晩御飯をご馳走しただけ」



 ”ゴンッ!!!”


 ゆかりの言葉が終わると、低く鈍い衝撃音がした。


 あきれた草壁、思わず、オデコを机に打ち付けて突っ伏してしまった。

 事実の欠片がひとつもないウソをよく平気な顔でつけるもんだ……。


 へえ、そうなんですか?そう、それだけなの、ピアノやソファー動かす力仕事もあったから、一人じゃ無理で。大変だったんですね。うん、おかげで片付いちゃった。


「今日はどうもご苦労さまでした、草壁さん!」

 笑顔のゆかりが、目の前でオデコを机につけたまま微動だにしない草壁に声をかけた。

 その瞬間、草壁がピクリと動いた。

 テーブルの下では、ゆかりのヒールが草壁の向こう脛を蹴飛ばしていた。


 ワザとらしいリアクションしないで!

 という意味の抗議。

 草壁、頭と足に激痛を感じながら、それでもその姿のまま動かない。


 この人、いつまでそのリアクション続けるつもり?もう一発蹴られたいの?


 そう思ってると、草壁の手がテーブル下から、スッとゆかりにだけ見えるように、伸びてきた。



 その手には千円札が二枚。



 このお金がないと、お会計で自分が支払いできない。つまりウソがばれる。

 ゆかり、あやに気づかれないようにすばやくそのお金を受け取った。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「よかった、ゆかりさんに送ってもらえるなんて、ちょっと得しちゃった」

 無事会計をすませたあと、ハンドルを握るゆかりのとなりに座ったあやが、こんなことを言い出した。

「ねえ、もう帰っちゃうんですか?せっかくだから、お茶でも飲んでゆきません?」


「まあ、私は時間があるから、いいけど……」

「僕も、別にいいですよ」

 後部座席におちついた、草壁もそう答えた。

 お茶ぐらいなら、まだ、サイフの余裕はあるか……。


「ほら、この前できたばかりのチーズケーキのおいしいカフェ、行って見ません」

「甘いものは別腹?」

「そいうこと」

「草壁さん、どうします?チーズケーキ食べてきませんか?」


 ゆかりが笑顔で後部座席を振り返ってそう言った。

 草壁は驚いた。

 チ、チーズケーキ……。ちょっと予算オーバーでしょ?あんた308円とさっきのつり銭しか手持ちなしで、チーズケーキとお茶なんて、大丈夫か?

「じゃ、さっそく、そのお店までのルート入力しちゃいましょうね、草壁さんに異存はないということらしいので」

 草壁が言葉に詰まっている間に、あやは助手席でナビを操作しだした。そう、昼からずっと変な挙動を繰り返した、あのバカナビを……。

 何度もゆかりと揃ってお出かけしているあやにして見たら、勝手知ったる、他人のナビ。


”あっ!!!”

 その様子を見て、草壁とゆかりが同時に声をあげそうになったが、余計なことも言えないので、両人ともすぐに口をつぐんだ。




 かくして、ゆかりの青いラパンは、3人を乗せて町を走る。


「この前の合コンどうだったの?」

「別に……大しておもしろくもないし、ああいう場所苦手です」

「いい男いなかったの?」

「しばらくは合コンもパス」


 前列の席で、話に花を咲かせている女子2人の様子を草壁は黙ってみていた。


 お金、どうするんだろう?



 すると、信号待ちで止まった時のことである。

 ハンドルから離れたゆかりの右手が、シートの脇を通り抜けて、後部座席の草壁の目の前に差し出された。助手席のあやには、見えないようにして。


 ん?と思って、目の前に差し出されたゆかりの手を見る草壁。


 すると、たなごころを上に向けて、人差し指と親指で輪っかをつくって見せた。

 OKサイン……じゃなくて、「現金」の意味である。

 で、手のひらをパッと開く

 ジャンケン、パー……じゃなく、「くれ!」の意味である。


 黙ってみていたら、ゆかりの右手が、「金」「くれ」「カネ、クレ!」「カネ、クレ」「カネクレ」……延々と繰り返す。


 おいっ!このお嬢様、貧乏学生から、たかろうってのか?


 驚愕の草壁。


 最初は無視していたが、お嬢様、信号待ちのたびに「カネクレ」を繰り返した。


 

「今日は、僕、チーズケーキ食べません。コーヒーだけで充分ですから」

 後部座席の草壁ムッとしながらそう言うと、最後の千円札をその手に押し付けた。


「あら、残念」

 ゆかりはそうやって軽く笑うだけだった。

 笑うなよ。





 それから約10分後、青いラパンの車中で、3人が呆然と西洋のお城みたいな建物を見上げていた。

 車中に流れる”目的地に到着しました”バカナビの連呼……。

 話に夢中で、うっかりナビの言うがままにハンドルを切りつづけたその結果、たどり着いたそこは……。


「いわゆる、これラブホですよね?」あやが言うと。

「みたいね……」ゆかりが隣でうなづく。


 安物のシンデレラ城みたいなその建物のど真ん中に掛かっている看板をみながら、草壁が呟いた。


「……”ホテル PILLOW TALK”……」





第7話 おわり


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