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第5話 節度ある男女交際

 そんなことがあって、頃は1年目の5月も上旬。


 前回のお話のあと、長瀬ゆかりは悩んでいた。

 あのピアノ教室でのことは、ちょっとした事故みたいなもので、お互い忘れて元通りの友達同士ということにしましょう。

 というふうにキチンと話をつけておかなければ、と考えていた。


 ところが、草壁は学生で、こっちはピアノを教えていたりして、生活のサイクルがかなり違う。

 案外と、顔を合わさないものだった。


 が、実際のところ微妙に草壁を避けている自分にも気づいていた。

 ああいうことの後で、どんな顔して話しをしていいのかもわからない。かと言ってこのまま顔を合わさないでいれば、まるで自分が怒っているみたいじゃないか?

 自分としては、「お友達」というスタンスから一歩も進むつもりはないけど、かと言って変な気まずさを引きずったまま、「他人」になってしまうのも……イヤ。



 事情は草壁のほうも似たり寄ったりだったりする。

 ただ、彼のほうは、自分が「やらかした」と思っていた。


 いつものように商店街を通るわけだが、ゆかりのピアノ教室が開いている時なんかに、チラッと中を覗くと、彼女は、いつもソッポを向く。

 目を合わせたくないらしい。


 マズイ。

 怒らせたようだ。




「あーあ、これじゃ、私怒ってるみたいに思われてるのかな?」


 寝室で、部屋着にしているパーカーを脱ぎ捨てながら、思わず独りごとを口に出してしまうゆかり。

 下着姿のまま、クローゼットを開けて今日は何を来てゆこうかと考えながら、ふと思う

 けど、じゃあ、彼に会ってなんて言ったらいいの?――と。


 本日は、スカートではなくパンツスタイルにしてみようかな?この小さな水玉のシャツに合わせて、と。


 コーディネートが決まれば、あとは髪を整えて。

「あんまり悩む必要ないわよ」

 鏡台の前に座って、鏡の中の自分にそんなことを話しかけながら、髪を梳き通す。

 そういえば、最近、ここに座る時間が以前より長くなったことを、自分自身でも意識しだした。

 何故か?――だって、子供とは言っても教室の生徒にスッピンでレッスンするわけにもいかないでしょ?

 ウソ?――ただの当たり前の身だしなみじゃない。大げさに考える必要ないのよ。

 誰を意識しているの?――別に……

 誰を意識しているの?――ただのお友達だもん、彼とは

 ――それでいいのよ。


「だから、ああいうアクシデントが尾を引かないように、きちんと言うべきことは言っておかないと」


 悩む必要なんてないんだ。

 こっちが動揺してるなんて思われたら、向こうは付け上がってくるかもしれない。

 私は、あなたのあんな行動なんて、なんとも思ってないですから。

 だから、これまでと同様、いいお友達でいましょうね。

 というような内容のことを、年上のお姉さん的な威厳と余裕を見せつつ、彼にはっきり示したらそれでいい訳だ。


「簡単なことよ」

 リップを軽く引き終わると、鏡の中の自分にそう言い聞かせて、立ち上がるゆかり。


 そろそろ教室の時間。

 バックを肩に掛けて、片手に譜面を持つと、ドアを開けて玄関に出た。



 出たところに、彼が立っていた。



 ゆかりは玄関を出たところに彼が立っていたと思ったのだが、別に待ち伏せしていたわけではない。草壁は草壁の都合で、お出かけしようとしてただけである。

 当然のことだが、そうして、部屋を出たところで、まるで追いかけるようにして、お隣のゆかりが飛び出してきたことに、彼も驚いた。


「あっ!……」

「……」


”不意打ちっ!”

 心の中で、思わずそう叫ぶゆかりだが、別に不意打ちではない。


 最初に口を開いたのは草壁だった。なにしろ、目の前で、怖い顔してゆかりが仁王立ちしていたわけだから。

「あの、このあいだは……」

 ”すみませんでした”と続けるつもりだった。


 が、この場合、動揺が大きかったのは実は、草壁よりもゆかりのほうだったかもしれない。草壁が怒っていると見えた表情も、実は、混乱の表情だった。

 ――何か言わなきゃ、何か言わなきゃ……

 頭が真っ白になりながら、ただそれだけを思う。しかし、台本の上がっていないお芝居。自分がこれほどアドリブに弱いとは思わなかった。


 草壁をじっと睨みつけながら、ゆかりが口を開いた

「今度からは……」

「はい?」

 草壁、ゆかりに睨みつけられながら、彼女の言葉を待った


「ちゃんと節度を持ってください!!」

「……」


 せ、節度?


 言い終わると、ゆかり、クルッと踵を返して、出てきたばかりの部屋の中に引き返してしまった。


 玄関ドアの前では、呆然とした草壁がそのままポツンと取り残された格好。

「何?その中学校の生徒指導みたいな言葉は……」



 そして、なぜか、自室に戻ってしまったゆかりはというと、持っていた荷物も放り出して、そのまま一人テーブルの前で頭を抱えていた。


”やらかした!”

 そう感じていた。


 言いたかったことが、あの言葉で全部、微妙にずれた。受け取り様では、彼の気持ちは受け入れているみたいじゃないか?もう少し紳士的にしてくれたら、オーケー?イヤイヤ違うから。それに言葉遣いのセンスも最悪!夏休みの生活指導みたい!……節度って!――暑いからと言って冷たいものばかり摂ってはお腹をこわしますよってか?……自分に突っ込んでも仕方ないけど。それも、厳しい生活指導の先生の言葉というより、野暮なクラス委員長だ。威厳も余裕もあったものじゃない。


 ゆかり、自分が恥ずかしくて、机に突っ伏して、自分の腕の中に顔をうずめて、ジタバタ。

 さっき念入りにしたお化粧もすっかり乱れちゃう……。うわぁ……どうしよう、もう、ダメだ。私。



「あの人、どっか出かけるつもりじゃなかったのか?部屋に引っ込んじゃったけど……なんなんだったんだ?アレ」

 そうして、草壁が一人首をかしげながら、エレベーターに消えて行ったその約30分後、ゆかりも、草壁がいないことを確かめながら、こっそりと部屋を後にした。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 そんなことがあったその晩のこと。

 草壁のもとに、実家の母親から電話がかかった。


「あんたも知ってるでしょ?古道具屋の茂夫おじさん」

「……うん」

「前のお店が、再開発事業のために立ち退きになったって知ってたっけ?」

「知らない。けど、あの叔父さんのことはどうでもいい」

「どうでもいいなんて言わないでよ。一応親戚じゃないの!それでね、新しいところで、お店開いたんだって」

「そんなのどうでもいいから」

「そうじゃないのよ!別に、あんたとそんな世間話したくて電話したんじゃないの!」

「じゃあ、何?」

「それがさ、あんたの近くらしいのよ」

「ええっ!」

「嫌そうな声ださないで!」

 来なくていいよ、あんなの。

「なんでも、ひまわりが丘の商店街で、お隣がピアノ教室だって言ってたんだけど。あんた場所わかる?」


 ……マジか?


 だから祝い酒でも買って挨拶に行っといてくれ、だとさ。



 親戚中から、変わり者で通っているあの叔父さん。顔を合わせると言っても、せいぜい年に一度あるかないかってところだけど、幼心に良く覚えていることがある。

 それは「お年玉」と称して、大真面目に飴玉を1つだけ、渡してくれたときのことだ。以来、あの叔父からは何一つ世話になった覚えはない。


 そんなわけで、草壁も祝い酒を置いて「おめでとうございます」とペコリを頭を下げたらさっさと帰るつもりだった。


「こんにちはー!圭介です!」


 確かに、古道具屋なんて、だいたいがカビくさくて、ホコリじみているようなものかもしれないが、草壁が顔を出してみると、もうなんかその場所で100年も前からずっと商売しているみたいになっていた。


 通りに面した、ショーウインドウには、値打ちがあるんだかよくわからないシミだらけの書や水墨画があれば、その前には中古ゲーム機と、そのハードとは無関係のソフトが並べてあったり。それから、ただ古そうだけの縁の欠けた茶碗が数点、しかも柄や大きさのバラバラなのが、中古の電子レンジの上に並べてあったり。

 外観で一番「らしい」のが、人の背丈ほどある、信楽焼きのタヌキ。これが店先に置いてあるぐらい。まあ、遠目からみたら、老舗の蕎麦屋みたいに見えないこともない。


 中に入っても、店内はメチャメチャ。ヒョットコやオカメのお面が飾ってある隣に、アフリカの伝統工芸品っぽい、ヒヒみたいな顔したお面が飾ってあるかと思うと、自転車、三輪車、それも20年も前に放送が終了したアニメのキャラのものが置いてあったり、江戸時代の頃の古銭も並んでいるが、それも 、ありきたりな天保銭、たいした価値などありはしない。

 店内の空いているスペースに、これでもかと、ガラクタを並べてるわけだが、草壁が見る限りでも、はっきり言って、全部、ゴミ。


 ついでに言っておくと、ここの「古道具屋」なる商売だが、世間一般の古道具屋がどうかは知らないが、ここで扱っているものは、すべて中途半端なものばかりである。


 「骨董商」なのか?と言われると、答えはノー。

 なぜなら、この店主、その方面に目が利かない。


 ならば「リサイクルショップ」なのか?と言われても、やはり多分答えはノー。

 そもそも、リサイクル、なんて考え方がない。それほど手間かけて手入れや修理をそもそもしない。

 とりあえず、使えるなら、売る。……いや、使えなくても、客がうっかり買ってしまうようなら、そ知らぬ顔で売る。


 この「宇宙堂」を一言で言うなら、ホームセンターの超劣化版。

 と言ったところだろうか?

 ナマモノでなければ、衣料から日用雑貨、家電や雑貨、なんでも来いである。



「おお!圭介か!よく来たな!」


 無精ヒゲにボサボサの髪。こけた頬に目だけはギョロリとさせた痩せっぽっちの貧相な男が店の奥から現れた。これがその茂夫叔父さんである。


「……叔父さん……その格好……」


 くすんだねずみ色のスラックスとか、薄汚れたカッターシャツとか、そんなことはこの際おいとく。


 なんでその上から、ビクトリーホールなんて聞いたことないようなパチンコ屋の真っ赤なハッピを2枚も重ね着してるんだ?


「これか?うちも一応、新規開店だからな。晴れの日ということで……」

 つまり、礼服って訳か?

 どんなセンスだよ。なに当たり前みたいに言ってるんだ。

「まあ、それに、ちょっと羽織っとかないと肌寒いしな」

 ええっ!コートがわりかよ?それで一枚だと寒いから重ねてるの?

 まともな服、持ってないのか?


 それから草壁が持参した祝い酒をロクな感謝の言葉もなく、ひったくるようにして奪い取った茂夫が、そのあと、片手持ちのホウキとチリトリ、そして前垂れを持ってきた。


 この変人の普段の様子に、あっけにとられている草壁に向かって。……「これ着けて」「これとこれ持って」とそれらを押し付けた。


 あっと言う間に「宇宙堂」の丁稚、草壁圭介の誕生。


「なんですか?これ」

 言われたら、とりあえず着けてみる。というのはコイツの悪いクセかもしれないが、事の成り行きに呆然としながら、自分の前垂れを指差す草壁。


「その『大吟醸アライグマ』ってのが、これがまたウマイ酒でな」


「……この前垂れの柄のことなんか聞いてません。……けど、ここに書いてあるのは、アライグマじゃなくて、タヌキみたいに見えますけど。ほらそこに立っている信楽焼きにそっくり……」


 草壁、とりあえず言われたままにつけた前垂と店先に飾ってある大きな信楽焼きのタヌキを見比べながら呟いた。

 前垂れの表には、草壁の言うとおり、信楽焼きのタヌキが妙な顔でニヤリとしながら、横向きに突っ立ている、その隣に「銘酒 大吟醸 アライグマ」の文字の意匠。あんまり、うまそうな酒という気がしない。


「そうなんだよ、その昔、この蔵元の社長が『ぜひ世界に通用するようないい酒を作りたい』と真剣に思ったわけだな」

「ほお、そうですか……」

 コイツも、一体なんの話しに引き込まれているのかわけが判らないが、叔父が妙に真剣に話をしだすものだから、つい、うっかり真面目に相槌を打っている。


「そのために、選び抜いた米を、さらにこれでもか!というように、磨きに磨きぬいて、立派な酒をつくるんだと……」

 そこまで聞いて、草壁もこの日本酒の名前の由来に気がついた。ポンと手を叩く。

「なるほど!それで『アライグマ』!」

「そうだ」

「あのアライグマみたいにゴシゴシと米を磨き上げると……」

 思わず、両手をこすり合わせる草壁。


「そうそう!しかし、このとき発注した絵師がアライグマをロクに知らなかったらしい」

「そんなことってあるんですか?」

「まだ日本で『あらいぐまラスカル』が放映される前のことだ」

「エリマキトカゲだって、「どうぶつ奇想天外!」がなければ、きっとみんな知らなかったでしょうからねえ……」

「お前、一体いくつだよ……それで、アライグマの小さな写真を元に書いたら」

「タヌキになったと」

「蔵元では、これはアライグマだと言い張ってるがね」

「へえ」

「それから、大分経って、この蔵元の社長が、孫といっしょに「あらいぐまラスカル」を見てて、『やっぱりうちのはただのタヌキだった!』って叫んだらしいが、もう、この名前と絵でもって、地元じゃ名の知れた銘酒になっちゃってたから、どうしうもなかったという話だ」

「ふーん……それだったら、黙ってこっそり、お尻にシマシマのシッポをつけるだけでいいんじゃないですか?、それで、だいたいアライグマでしょ?」

「なるほど!お前、いいこと言うな!」

「いやあ、それほどでも」



 ……

 ……って、そういうことじゃなくて!


「いや!僕はなんでこんな前垂れつけなきゃいけないかって聞いてるんです!!」

 草壁の話、随分前のところまで戻ります。「なんですか?これ」ってところまで。


「仕方ないだろ、うちの店には制服なんてないんだから」

「制服の制定を望んでいるんじゃありません!」

「このハッピのほうがいいのか?」

「違います!だから、それ脱がなくていいですから!」


「じゃあ、何が不満だ?」

「心底不思議そうな顔しないでください。わかるでしょ。なんで僕が、ここの店員みたいなことしなきゃならいんですか!」

「正式に雇えと?」

「余計いやです。っていうか、僕の話、マトモに聞く気ないでしょ?」

「おまえねえ、叔父と甥っていったら、家族も同様だろ?」

「年に1度も顔あわさない親戚を、親子関係みたいに言わないでください」


「独り身の俺にとっては、甥と言えば、ほとんど実の子……」

「20年間で、飴玉一つしかくれない人がよく言えますね」

「よく覚えてたな」

「帰りますよ。」


 ここで、ようやく、草壁が前垂れに手をかけた。

 それで、叔父のほうも、少しまともになった。


「うちも、まだ開店したばっかりで、人手が必要なんだよ。奥の整理している間、ちょっと店の前掃除して、

店番の一つも頼みたいんだ。お礼はするから」

「初めっから、そういえば良いじゃないですか……」

 そう言って、一度解きかけた前垂れの紐を結びなおす草壁。結局、店員やるのか。



 それから、宇宙堂の丁稚となった草壁、イソイソと店の前の掃除なんかをやりだした。

 やってみて、変なことに気がついた。


 こっちにやってきてまだ、ひと月ほどだとというのに、この商店街の中で妙に自分の顔を覚えられている。

 いつぞやのタコヤキ屋「タコ菊」の主人が通りがかりに、「何やってんの?」と不思議そうな顔で声をかけてきて、世間話をしていると向かいの喫茶店のマスターも、「どうしたの草壁くん?」と、驚いた顔で店から出てきたりして。


 で、その後、噂を聞いて駆けつけたあの商店街の組合長から

「じゃあ君、この店の人だったの?」

 と、たまげられた。

 ……待て、このジイサン、まるで自分のこと知ってるみたいに言うが、ほとんど初対面だぞ。

「えっと、どこかでお会いしましたっけ?それに僕は、ちょっと手伝ってるだけで店の人じゃありません」

「んっ、いや、いや、……そういえば、初対面だったね……そう、そうかい」

 ナンなんだ?


 それから、表の気配を察して、店の奥から顔を出した茂夫の様子を見て、組合長がなんとも言えない顔になって急に言葉に詰まり、その後二言三言お互いに口を聞くうちに、すっかり仏頂面になって世間並みの挨拶もそこそこに、黙りこくって帰っていった。


「大人しいお爺さんだな、ここの組合長さん」

「……叔父さん、わざとボケてるでしょ?初対面で、向こうから何も言ってないのに『自分は今まで町内会費や組合費みたいなものは一度も払ったことがない』なんて言いだすからでしょ」

「まずかったか?」


 しかし、草壁にとって一番マズイのは、この叔父が自分のことをはっきりと「甥」だと言ってしまったことだった。

 こんなのと親戚だと思われるのか……。



 トボトボと立ち去る商店街組合長の仏壇屋の背中を、宇宙堂の店の前に叔父と並んで見送っていると、今度は背後から声がかかった。


「草壁さんじゃないですか?何してるんですか?」


 振り返ると、ゆかりとあやが並んで立っていた。


 不思議そうな顔で目を丸くしながら、前垂れ姿の草壁とその隣の変人を見ているあや。

 隣では、気まずそうな顔で、微妙に草壁から目を逸らして立っているゆかり。

 あっ、ゆかりさん、なんか変に意識してる?声掛けづらいなあ……と、草壁もちょっと決まりが悪いように思っていると、突然、叔父が声を張り上げた。


「なんだ、なんだぁ!この別嬪さんのお二人は!おい、おい、圭介、お前の知り合いか?一体、いつの間にこんな美女二人と仲良くなってたんだぁ!これはこれは、申し送れました、私、この古道具屋の主をしておりまして、ここにいる圭介とは叔父と甥の関係で、もう実の親子みたいにしてましてね……」


 草壁もそんな叔父の隣で、二人から目を逸らして立ちすくむしかなかった。


 固まる草壁の隣で、自分がいかに昔からこの甥によくしてやっているかという、草壁にはこれっぽちも覚えのない作り話を一頻り話した茂夫おじさん。その後、「ちょっと待ってて」と言い残して、そそくさと店の中に引き返していった。


「お、おもしろい叔父さんですね」

 あやが、引きつった笑いを浮かべて草壁に言った。それぐらいの言葉しかこの場合言えなかった。

 そして、他人に気を使ってもらわないといけないような親戚の存在を知られた草壁のほうも、開き直るしかなかった

「ええ、冗談がとても好きな叔父です」


 ところで、二人おそろいということは何かあるんでしょうか?

「私達が二人そろってたら、何かなきゃいけないんですか?」

 いえ、そうじゃないですが……

「実はあるんですが」

 どっちだよ。

「今晩、ゆかりさんの部屋で夕食会でもやろうなんてなってるんですよねえ」

 さっきから喋ってるのはあやのほうばっかり。ゆかりは未だに、若干、表情が固い。


「草壁さん、ゆかりさんの弟さんどうしてるか知りません?あと、いっしょの部屋の鶴山さん?」

「実は、携帯切ってるみたいで、連絡とれないんです」

 と、ようやくこのあたりで、ゆかりのほうも体勢を立て直した様子で口を開いた。

「ああ、アノ二人!それなら朝から揃って……」

 草壁が何気なく口を開いて、ハッとなった。揃って、出かけたということは……

「またパチンコですか?」

 亮作の姉であるゆかりが心配そうにしている。

 ……それとも、日曜だから、競馬のどっちか二択で、間違いない。


「あの子、ちゃんと毎日大学行ってるんですか?」

 お姉ちゃん、パチプロと同居している弟の様子が気になる様子である。

「あっ、はい。ちゃんと行ってます」

 と、草壁はかるーく答えたが、そんなこと細かく知るわけない。

「家でも、勉強してます?」

「ああ見えて、普段は真面目ですよ」

 亮作がどれほど勉強熱心かなんてことも知るわけない。むしろこいつら、最近、暇があったら、酒盛りしていることのほうが多いぐらいだ。とりあえず、適当にフォローしてあげただけ。

「パチンコとか競馬なんて、亮作君の場合、土日ぐらいみたいです」

「け、競馬も……」

 マズイ、一言多かった。

「そ、それも、ほんとちょっとの金額を遊び程度使うぐらいだから、心配いりませんよ」

「本当に遊び程度なんでしょうか?」

「はい。『競馬場で一日遊んで、千円ぐらいで済むんだったら安いものだよ』。なんて言ってましたから」

 これも大嘘。こいつだって、茂夫のことをウソツキ呼ばわりできない。

 先日、ついに食費まで苦しくなってきたといいながら、仕送りまでの数日間、半額セールのスーパーの弁当や、ただのたまごかけご飯をかっ込んでいる亮作を草壁は目撃していた。

 米が気にいらないと言って、百貨店の名店極上ステーキ弁当を買ってきたその数日後のことである。


「だから、心配いりませんよ」

「だったら、いいんですけど……」

 草壁が、ゆかりの弟の普段の行状をこうやって、まったく無責任に無根拠に弁護するとゆかりもとりあえず納得した。


 実は、お互い、ただ二人で気楽に話をしたかっただけで、この際亮作のことなんかどうでもよかったりして。

 そして、二人の空気も、なんとなく、いつの間にかなごんでいたりして。



 というわけで、亮作もツルイチも今晩は外で食べて帰る、ということを草壁の口から聞いた二人。

 じゃあ、今日の食事会、草壁とゆかりのあやの3人でいいか、っていうようなことを宇宙堂の前で話していると、茂夫叔父が、駄菓子の飴玉を2つ持って戻ってきた。


 そして、それを受け取ったあやとゆかりの両名が、なんだか、さっきの仏壇屋の組合長と同じように、言葉少なく、足早に立ち去ってゆっく背中を、草壁と見送りながら茂夫が言った。


「大人しいお嬢さんたちだな。人見知りするタイプか?」

「真面目に言ってるんですか?叔父さんが、食事会、何時にどこでするんだ?とか、親睦を深めたいとか、自分は別に和食でも中華でもなんでもかまわないとか、物騒なキーワードを口にするから、二人とも怖くなって、さっさと逃げたんです。」

「ところで、食事会、いつ、どこでするんだ?」

「絶対、教えません」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 その夕方に行われた、草壁とゆかりとあやの3人の食事会。場所はゆかりの部屋にて、である。


 これまで、あの歓迎会のときみたいな飲み会を草壁たちの部屋で開いたことが4,5回あって、そのたびにゆかりは、草壁たちの部屋に顔を出した。


 飲み会に誘えば「お酒飲んでばっかりじゃダメでしょ」とか言いながら必ず顔を出した。

 で、毎回、一番飲んだ。


 しかし、草壁が、お隣にすんでいるゆかりの部屋に入ったのはこれが初めてである。



 そういえば、彼女、一応、「お嬢様」なのだった……。

 誤解ないように言っておくと、ここは高級億ションじゃない。草壁たちと同じマンションの部屋である。メチャメチャ豪華ってわけじゃない。


 しかし、招かれて玄関はいると、玄関の照明に、フットライトの柔らかい照明が出迎えてくれたりして、ちょっとだけ、シックでリッチ。

 別にそんなもん、買ってこなくても、天井の照明で充分じゃん。と、考えるのは庶民なんだろうか?


 勧められたスリッパが柔らかいなあと思ったら、サテン地だと。


 5月の陽光に靡く草原を思わせるような、フッカフカの絨毯に出迎えられて、ダイニングに顔を出すと、キッチンのコンロの前では、レードル片手にお鍋をかき回しているあやの姿があった。


「あっ、ようこそ、草壁さん、いいところでしょ?、ここ」

「あやちゃん、うち来ると、いっつもそれ言うけど、ここに、すごいブランド品とか特注品なんて、別にないのよ」

「そうかもしれないけど……。確かに、最初にここに入ると、ちょっと驚きます」

 おそらく、草壁のそういう感想のほうが、自然。


 ダイニングのど真ん中に、デンと置いていあるテーブルセットを見ても、「ちょっと違う」って思った。椅子の背もたれが長くて、なんか、「人間工学に基づいた、座り心地のいい曲線を実現しております」みたいに、微妙に湾曲してて、あっ、クッションのところ、これ、ひょっとして革張り?

 それに、足が太い。


「失礼なこと、言わないでください」

「違いますよ、ゆかりさんじゃなくて、このテーブルのです」


 そのテーブルにテーブルクロスがかかっているのは、それはそれでいい。

「このテーブルクロス、真ん中に帯みたいなのが別に掛かっていて、かっこいいですね?」

「テーブルランナーって言うんですけど、知りません?」

 ほら、そんなものあるのが当たり前みたいなことを言う。


「だって、下のクロスとセットで買ったから、それほどお高くついたわけじゃないですよ」

 そうかも知れないけど、普通の女子大生の一人暮らし、みたいな環境で出てくる発想じゃないと思う。



 後のことだが、草壁が同部屋の亮作に「なんで、ここと隣の部屋の調度のレベルにあんなに差があるんだ?ここの家具、どれもさほど高級に見えない」と聞いたところ、亮作の話では「お姉ちゃんは、親にねだるのが上手だから」ということだった。

「うちの親、普段は、そんなに贅沢はさせてくれないから」

「あっ、そう……」

 けど、普通じゃないけどな。お前だって。

「家具なんてさ、とりあえず、大学卒業までの一人暮らしだろうから、自分は別に凝りたいとかも思わないし、面倒だよ、あれこれ、考えるのだって」

「そうかもな……」

「お姉ちゃんは、せっかく始める一人暮らしだから、部屋のコーディネイトしたりするのが楽しかったみたいで、お店行ったり、カタログ取り寄せたりして、熱心に家具選んでたよ」

「へえ」

「でさ、うちの親にカタログ見せて、『この可愛いテーブルセットが欲しいけど、注文していいでしょ』って言ったら、お姉ちゃんの『可愛い』って言葉に、なんとなく騙されて、いいよってなったんだけど……」

 どうも、あのダイニングのテーブルセットのことのようだ

「そしたら、請求書見て、うちの親が驚いて『お前は学生の一人暮らしの分際で、70万円のテーブルセット買ったのか!』って、怒られてたよ」

 やっぱり、そんな代物だったか……。けど、買ってもらえるんだ。



 そんなわけで、3人での食事会。

「二人とも、料理上手なんですね」

 アンチョビのブルスケッタをパクつきながら草壁、なんとなく、感心していた。

「あやちゃん、高校のとき、お料理クラブにいたんだよね」

「って言っても、週一ぐらいに、お料理つくったり、月に何回か顧問を頼んでいた、料理の先生のところに行って習ってただけですけど」


 3人で傾けるワイングラスに入ってるスパークリングワインは、残念ながら近所のスーパーで買った安物だけど、そのかわり、食材はそれなりにはりきって揃えた様子。

 パエリアに上に、エビや、イカといっしょに乗っかっているムール貝やサフラン、それからグリル野菜とルッコラのサラダに掛かっているソースに使ったブルーチーズは専門食材店を車でハシゴして揃えたんだって。


「でも、このローストしたラム肉にかけた、イチジクのソース。ちょっと甘ったるかったですか?私、前に食べたときは、もっとおいしかったんだけどなあ……」

 そういって、草壁の目の前でゆかりがちょっと残念そうな顔をした。

 あっ、お嬢様、やっぱり、こういうのが出てくるような高級フランス料理屋さんの常連だったりするんですか?

「親が会社の社長だって知ると、みんなそんなこと言うんですけど、うち、普通ですよ」

「でも、実家はすごい大きいんですよね?」

 あやにそう言われて、ゆかりがサラッと答えた

「うーん、敷地が600坪ぐらいって言ってたから、割と大きいかな」

 ろ、600坪!

「たしか、、仙台でしょ?実家。亮作の話だと、山の中とかでもないって言ってたし、それ、すごいですね……」

 草壁も思わず、目を丸くした。

「うーん、まあ……そうかも」

 さすがに、この雰囲気で「大したことない」みたいな謙遜もかえって嫌味っぽいと思ったゆかり、素直にうなづくしかなかった。


 話は変るが、草壁がやってきてから、二人がまだ料理の調理をしている姿を、ダイニングに置いてあるやっぱり高級そうなソファーに座ってみているとゆかりのほうも、かなり料理慣れている様子。


 料理のレシピも半分以上は、どちらかというとゆかりの発案だったりするそうで。


 因みに、得意料理は?と聞いたところあやは

「私は、ポテトサラダかな?お父さんがおいしいし、おいしいっていうから、ドンブリに山盛りに作ってあげたら一度に食べちゃった」

 へえ……。で、ゆかりさんは?

「私、卵焼き!」

 なんか普通。

「うちにお客さん呼んでパーティーみたいなことをするとき、いつもお手伝いに来てくれる料理研究家の先生に教えてもらって、勉強したんです」

 ……彼女の話はいっつも微妙に普通じゃない……。



「へっ?バドミントン?」

 と、再び話が戻って、食事会の席……まっ、3人でちょっと張り込んだ手作りの晩飯食べてるだけなんだけど、その席上で、高校時代の部活の話になった。

 で、ゆかりとあやの二人ともが、偶然にもバドミントンをしていたらしい。

「けど、あやさん、お料理部じゃ?」

「掛け持ち。料理部のほうは、たまに顔をだしてて、メインがバド。毎日、そんなことしてたら、太るじゃないですか……それにしても、お茶おいしいですね。草壁さんわざわざ淹れてくれてありがとうございます」

「いえ、料理ご馳走になったんで、最後の緑茶ぐらい僕が淹れさせてもらいますよ……」

「だから、食後、3人でかるーく運動がてらに、やろうかって、あやちゃんと話してたんですよ……わたし、お茶のおかわりしていいですか?お茶淹れるの上手ですよね」

「あっ、どうぞ、いいですね。僕、初心者ですけど、混ざっていいんですか?」

「もちろん!じゃあ、最後に3人でジャンケンしましょ」



 ジャンケン?といぶかしげな草壁。

 やってみたら、ゆかりが一人勝ち抜け。

「負けたお二人、あと片付けお願いね」


 まあ、片付けぐらいやらせてもらいますよ。おいしい夕食もご馳走になったし。それに自分一人に押し付けられたわけじゃなくて、あやと二人だから、それなりにはかどるし。

「ダメですよ!テフロンの鍋を金ダワシでゴシゴシやっちゃ……」

「あっ、ごめん」

「キャッ!丁寧に洗ってください!泡、私に飛んだじゃないですかっ!」

「ごめん、あっ、まだほっぺに泡ついてるから」

「えっ本当ですか?」

 ってね、そこで、草壁がタオルであやのほっぺに飛んじゃった泡をそっと拭い取ったりしてあげながら、なーんとなく、背後が気になったりした。

 そうすると、モダンアメリカの抽象画家っぽい、なんかメトロポリタン美術館所蔵みたいな、大きな絵の下にあるソファーに座っているゆかりが、冷たい目でその様子を凝視しているのだった。

(なんなんだ、あの冷ややか目つき)

 と草壁、別に悪いことをしたわけじゃないんだけど、というかゆかりにそんな感情を抱かなきゃいけない義理はどこにもないわけだけど、なんか、いけないものを見られたっていうが気がしたりした。

 で、ゆかりは草壁と目があうと、ササッと目を逸らして、知らぬ顔。



 そして、未だに表情に険を残しながら、声のほうも若干、冷ややかな響きを含ませながら、ゆかりが言った。

「草壁さん、片付け終わったら、背負子、持ってきてくださいね」


 いきなりのゆかりの言葉に、金ダワシを掴みながら、草壁がキョトンと振り返り聞いた。

「しょ、背負子?あの二宮金次郎がマキを背負うためにしょってる……?」

「草壁さん、一体、いくつなんですか」

 僕、そんなもん持ってません

「ほら、引越しの日、ツルイチさんが背負ってたでしょ?」

 そうでしたね、オッサン、一杯の荷物を背負子に結わえ付けてやってきましたね。よく見てましたね。

 けどね、いくら同居人、ルームメイトっていっても、はっきり言って、他人。他人のものを勝手に持ってくるのは……

「こっちも準備しますから」

 僕の言うこと聞く気なし?口答えは許しません。ってか?


 そのうち、さ、さ、もう片付けのほうはあやちゃん一人でいいでしょ?部屋に戻って、背負子持ってきてくださいって、草壁を強引に送り出しちゃったゆかり。

 ところで、なんで、バドミントンするのに、そんなものが必要?




 ここで、ちょっと話が飛ぶ。少し、草壁たちの住むこの町についてのことに触れてみる。

 このあたりは駅の反対側と違って、平坦な町並みの続く住宅街である。

 その平坦な町並みに、オデキのように小さな丘がこんもりと盛り上がっている場所がある。

 詳しい位置関係はこの際、それほど気にしなくていい。一応言っておくと、草壁たちの住んでいるマンションとひまわりが丘の商店街とこの小さな丘が、綺麗な三角形を作っているようになっている、ぐらいに思ってもらえれば充分である。


 マンションを出て、そのオデキまで、おおよそ徒歩5分といったところだろうか?


 で、この「丘」なのだが……


「『お城公園』って言って、江戸時代のころには、お殿様のお城があった場所なんですよ」

 ゆかりや草壁とは違って、あやは地元の人間なので、この場所は良く知っている様子。

「そうなんだ……」

「今は石垣があるだけで、城跡がただの広場になってるんですけど」

「へえ……」

 あやと並んで歩きながら、ゆかりが相槌を打った。

「いい場所なんですよ。これと言ってなにもないですけど、綺麗な広場で」

「そうなの」


 ついでに、ちょっと補足しておくと、この「お城公園」なる場所、城跡を公園として整備したというだけあって、「二の丸広場」とそこからさらにちょっと登ったところにある「本丸広場」の二つのエリアに分かれていたりする。

 プッチンプリンをお皿に出して、カラメル部分のど真ん中あたりにスプーンを入れて、一口食べてみてください。カラメルの残っているところが本丸跡で、一口食べて、えぐれたところが二の丸跡。


「いつ行っても、人が少ないんです」

「いいところなのに?」

 ゆかりが不思議そうにあやに聞いた。

「はい、それというのが……」



「ふ、二人とも!……い、一体、どこまで……こんなもの、背負わせて、こんな、階段、登らせる……つもりなんです!」

 二人のすぐ下では、草壁が肩で息をしながらヨロヨロと階段を登ってついてきていた。

 お城公園と呼ばれるその丘のふもとから頂上までは、割と急で狭い階段が蛇腹に山肌を這うように続いていた。

「ここに登る階段が割りと長くて、急だから、地元の人は、お年寄りもそうだけど、子供も、しんどいからって登ってこないんですよねぇ……こんなふうに」

 草壁を指差す、あや。


「こ、こんなふうにじゃないですよ!これ、一体、何キロあるんですかっ!?」


 今、草壁がバテバテになりながらゆかりに聞いた「これ」なるもの。先ほどの背負子にしっかり結わえ付けられて、草壁が背負ってるものなのだが。


「その、バドミントン用の移動式支柱ですか?たしか35キロ……」

 それは、バドミントンのネットを張る移動用の支柱のだが、簡単に言えば、ずっしりとした鋼鉄製のキャスター付き台の上に1メートル50センチほどの鋼鉄の柱のついたものである。

 それが二本。それを草壁が背負わされているのが現状。

 草壁の現状を、ガンキャノン……って言ってわかるか?


「なんで、ゆかりさん、こんなの持ってるんですか?」

「『バドミントンの友』で当たったの」

「なんです、それ」

「バドの専門誌。あやちゃん知らない?それの懸賞で当たったの」

「こんなの欲しかったんですか?」

「違う違う、狙いは3等の高級ラケットセットだったんだけど……」

「で、これ、何等ですか?」

「これ?これは2等……ちなみに、もし1等だったら、重量55キロのもっと高級な移動式支柱だったから……」


「よかったですね、草壁さん、一等じゃなくって」


「よかないです!それより、喋ってないでさっさと引張ってくださいよ!」


 引張る?そう、草壁は一人で35キロからある鋼鉄の棒を背負わされているわけではなかった。

 あやとゆかりの二人もちょうどゆかりの部屋にあった縄跳び用の縄をそれぞれ手にして、その端を草壁の背負子に結びつけて、引っ張ってくれていたのだ。

 二人とも、オニではない。


 ただし、異様な光景ではある。

 ガンキャノンをひっぱる可愛い女子二人。

 ここは人の気配もないからまだいいが、ここに至るまでは注目を確かに浴びた。

 しかし、草壁は疲労のほうが大きくて、そのうち人の視線とか、子供の嘲笑とかどうでもよくなった。

 そして、女子二人は……

 なんか、こうやってるのが楽しかったみたいで、やっぱり人目はどうでもよかったようだった。


「や、やっと着いた……」

「ここが、二の丸公園?」

「そうです、で、こっからさらに登って、てっぺんにあるのが本丸の公園です。上のほうが見晴らしいいですよ。」

「どうします?草壁さん?」

「……あんたら、オニか?」




 少し早めの時間にはじまった今日の食事会は、実は食後のこんなイベントのためだったりして。


 移動式の支柱?ゆかりさん、そんなもの持ってるんですか?うん、これなら屋外でもネットを張って、それなりに本格的なバドミントンが楽しめるでしょ?けど、私達だけじゃ、ちょっとキツイですね?私のお隣に誰だったか忘れちゃった?あやちゃん。――その罠に一人だけかかったのが草壁だった。




 お城公園の二の丸広場、そこは、野球やサッカーをするにはちょっと手狭だけど、ドッジボールならば結構な大人数でもできそうな砂地の周りを、なんかよくわからない木が囲んでいるだけで、ほんとうに何にもない、ブランコも砂場も滑り台もない、素っ気無い広場だった。


 見渡すと、あやの言うとおり、まるで自分たち3人の貸切にでもなっているみたいに、だーれも、ここには居なかった。


 そして、広場のど真ん中に立っていても、視界を遮るものが少ないので、ひまわりが丘近郊の低い町並みが、薄暮の空の下に、うっすらセピア色がかって広がる様子が、とてもよく見えた。

 その背後には、もう一段高いところに、本丸広場があるのだが、そちらはもっと見晴らしがいいのかな?とか思っている草壁に、なぜか、まだなんとなく、冷たい様子のするゆかりが、小さな紙切れを渡して、こう言い放った。


「はい、じゃあ、公園についたので、この説明書どおりに支柱を組み立てて、ネット張ってください」

「ええっ!!なに、その罰ゲームみたいな扱いは?」

「そんなバカみたいに重いもの、草壁さんでも居ない限り、引っ張り出すことがないんですから」

「はぁっ?『ないんですから』?」

「そうですよ」

 僕が居たから、こんなものを使う?俺の存在のせいでこうなった、みたいなことを言い出すの?

「メチャクチャな理屈でしょ!」

「……タダメシ……食い逃げするつもりですか?」

 じろっと、ゆかりが草壁をにらみつけた。

 じゃあ、聞きますがね。うちで飲み会するとき、さんざんっぱら飲んだ挙句、『ごちそうさま』って、帰ってちゃうのは、どこの誰ですかね?




 やがて、あやとゆかりの二人が打つバドミントンのシャトルは、カコーン、カコーンと、和風庭園のししおどしのような乾いた軽い音を、速いテンポで、広い夕空に響かせた。


 美女二人、久しぶりにするバドミントンがとても、楽しい様子。フットワークも軽い。さすが、経験者ですね。けど……


「僕は、あんまり楽しくないんですが……」

 支柱のそばでずっと立ちっぱなしの、得点ボードが、口をとがらせた。


 すると、動きを止めたゆかりが、得点ボートに向かって、ニッコリ笑った。

「しょうがない。ま、ここまで重いもの運んでくれて、組み立ても一人でしてくれたんだし……」

 で、自分の持っているラケットを得点ボードに差した

「はい、じゃあどうぞ」

 やっと自分も遊べる、と、ラケット片手に、つま先で引いたコートの中に歩みだそうとする得点ボードに、ゆかりが、言った。

「違うでしょ?どこ行くつもりなんですか?」

「えっ?」

 得点ボードが驚くと、お嬢さん、冷たくこう言い放った。

「新入部員は、素振りからでしょ?」

 ……なんで、夕食の後片付けのあたりから、彼女は微妙に不機嫌なんだ?




 けど、今日は、楽しかったなあ。

 と、草壁はその夜、しみじみと思うのだった。

 楽しかったなあ、あの素振り――。


 ”はいはい、まず、持ち方が違うでしょ?羽根突きをするんじゃないんですからね”

とか、言いながら、スッと彼女が背後に回ってきて。きっと、ピアノ教室のチビッコを教える時もあんなふうに話しかけてるんだろうなあ。

 ”握りは、グリップにこう手をかけて……”

 ゆかりさんの手、柔らかかったなあ。

 ”ショットを打つときは、こうして、腕をのばして”

 後ろにピッタリくっついて、そんなふうに、手をとっていっしょになって、伸び上がるもんだから……。

 フニュッって、やーらかいのが、背中にぶつかったりして……

 あの人、確実にFカップはあるよなあ

 ……

 ……

 ……

 冷静になって、今振り返ると、ああいうときのゆかりさんって、妙に優しいというか、なんというか友達っていう雰囲気より、もうちょっと濃密な雰囲気漂わせることがあるような気がするんだなあ。

 ただし、実際には僕ら二人はなんでもないわけで……。

 素振りしてても、そんな僕らを見ながら、あやさんが「二人とも、ひょっとして付き合ってるんじゃないんですかあ?なんか、あやしい」とか、ニヤニヤ笑いながらからかったら


 ”それは、ないわ”って、急に冷静な声で否定するし。

 確かに、耳元でその言葉が響いたとき、氷のような冷たさを感じたのは、気のせいだろうか?


 謎だわ、あの人は


 ところで、あの人の言う「節度」って、ああいうことでいいのか?




 ――その晩、草壁は妙に眠れない、けど、不思議と楽しい気持ちで、そんなことを一人考えていた。




第5話 おわり

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