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第49話 お地蔵さんが…… ②

 その翌日、草壁はとくにこれという宛てもなく商店街を歩いていた。

 この日はゆかりとのお出かけ、と思っていたところが急になにもなくなり、手持無沙汰。部屋に居ては帰ってきた亮作がゆかりとお出かけするのを見送らなきゃならない。それもなんか悔しいので、ぶらりと外に出た。


 ゆかりと草壁はただのお友達。亮作はゆかりの弟。本来の約束がある弟を差し置いて二人でお出かけとはなるわけもなく。ゆかりもそこまで踏み込んではくれるはずもない。「弟が帰ってくるっていうから、コンサートのお出かけはキャンセルということで」彼女からのそっけない連絡をもらって、予定はパー。



 ここひまわりが丘商店街は、ひまわりが丘の駅前にある。駅前ロータリから国道一本はさんで駅正面と向かい合って開いている入口を潜ると、右にそして左にと2度鍵の手に曲がって続く形になっている。「卍」の字の左下から右上に抜けるみたいな形をした商店街だ。そして、曲がり角にあたる所では商店街アーケードの向こうに抜ける路地にもつながっている。


 駅前入口から入って最初の曲がり角のところ、真っすぐに抜けるとアーケードも途切れてしまうというその路地のところで一人の老人が、一心に手を合わせてなにかを拝んでいた。


 最初の曲がり角の突き当り、真っすぐ抜ける路地に白いブロック塀を伸ばして立っている建物がある。アーケード側に下りている少し錆の浮くシャッターに浮かぶ文字から元はレンタルビデオ屋だったらしいことがわかるその建物のことは今は置いておく。実は結構いろんな店が入っていた。前身がレンタルビデオと言えば、ものすごい昔から借り手がついていないのかもしれない。


 その建物の脇のブロック塀の一部が路地とは反対側にすこし窪んでいて、そこに小さいながらもそこそこに立派な祠が立っていた。


 老人はその祠に向かって手を合していたのだが、

「やあ、草壁クン!」

 少し離れたアーケードの下をぼんやり歩く草壁を見つけると、大きな声を張り上げた。

「おはようございます。熱心ですね、組合長さん」

 

 そう、この商店街組合の組合長。つまりこの商店街の仏壇屋である。


 考えてみれば少しおかしな話だ。この草壁という男、別にここの商店街のお店の人間ではない。たまにこの商店街で古道具屋をやっている叔父の店の店番はしている。が、こことのつながりはそれぐらいのもの。あとはここにある喫茶店「アネモネ」の常連というだけ。もちろん、駅への行き来にしょっちゅうここを通るがそんなことこのあたりの人なら誰でもそうだ。

それが、なんかここの関係者みたいにあちこちで顔を覚えられているのだから。



 とは言え、別にここでこの組合長である老人と挨拶を交わしたところでそれ以上なにがどうということもなかった。

 

 問題はそこではなく、先ほど老人が大きな声で草壁の名前を呼んだことだ。それが、この閑散とした商店街に響いていたのだが……



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ちょうどその時。

 長瀬ゆかりの元に、弟の亮作から連絡が入った。


「お、おねえちゃん……」

「その声。あんたどうしたの?」


 亮作の声がとんでもないガラガラ声となってしまっていた。

「風邪ひいた……帰る予定キャンセル」

「本当にぃ!!」

「今おねえちゃん嬉しそうな声出してなかった?」

「だ、出してない……そんなことより、体大事にしてゆっくり休んどきなさいね」

「そう……する。けど、今、お姉ちゃん、ちょっと笑ってない?」

「わ、笑ってるわけないでしょ!」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 商店街組合長の爺さんが放った大声「草壁クン!」。

 商店街アーケードを先ほどの空き店舗を見て一度折れ曲がると、喫茶アネモネや、ゆかりのピアノ教室、そして草壁の叔父の経営する古道具屋なんかがあるわけだが、その古道具屋のすぐとなりで居を構えるのが今木恵の両親が営む「今木整骨院」の店舗兼自宅となっている。

 アーケードに面する二階の部屋が恵の部屋となるのだが、彼女がそこでゴロゴロしていると「草壁クン」が聞こえてきた。


 先輩だ!


 窓を開けてヒョイと右手下方を見下ろすと確かにそこにいるのは……(お兄ちゃんいる!)


 

 そして組合長と短い挨拶を交わした草壁もそこから立ち去って駅のほうへと向かおうとした瞬間。

「先輩!」

 と聞き覚えのある声。誰かは顔を見なくてもわかる。


 どっか行くんですか?先輩。いや、別にブラブラと……。暇なんですか?。うん、ちょっと友達と約束があったんだけど急にキャンセルになっちゃってさ――。


 もちろん草壁は注意深く「ゆかりとの約束」なんてことは言わない。言っていいことなんか何一つなさそうだし。ただ、そうなるとこの恵がそれで「そうなんですね?じゃあ私はこれで」なんて感じでさっきの組合長みたいに簡単に放してくれる訳はない。だからこそ、草壁の名前を聞いて家から飛び出してきたわけなのだろうから。


「先輩、予定つぶれて暇してるんなら、映画でも行きませんか?」

「……」


 困ったことに草壁には断る理由がない。暇を持て余してると言った手前、引き下がりようがない。無理やりひねり出すとして「金がない」かもしれないが、さすがにそれはカッコ悪い。まっいいか……映画ぐらい……。実際ヒマだし。そう思った草壁は

「恵ちゃんも時間大丈夫なの?」

「私も全然ヒマしてますから!」


 ということで、映画館デートと相なることに。とはいえ、草壁も心の中ではひそかに反省するのである。ゆかりの態度も問題だけど、こうして恵にあっさりと隙を見せてはいいように付け込まれている現状、これでいいのかと。

 良いわけない、のである。それが証拠に、恵とのデートが決まったその瞬間に草壁のスマホに着信が入った。


 そして発信者の名前を確認した草壁は話出す前に、うっかりその人の名前を呟いてしまった。

「ゆかりさん……」

 

 その名前を聞いて、隣の恵がおとなしくしているわけがない。


 草壁が話し出そうとするタイミングを見計らって、わざと通話相手にも聞こえるほどの声を張り上げた。


「先輩!早く行かないと映画はじまっちゃいますよ!」


 ゆかりからしても、その声ははっきり聞き覚えがある。そして草壁の周りで彼を「先輩」と呼ぶ親しげな存在は?といえば、答えはただ一つ。つまり今草壁は恵と一緒にいて今から映画でも見に行くということになっているに違いないと。

「ごめんなさい、掛ける相手間違えました」


 地蔵が眉ひとつ動かさずにそう言い終えると、相手の返答も聞かずに通話を打ち切った。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「もういいわ!コンサート一人で行くから!」


 むくれたゆかり。さっさと着替えを済ますと一人マンションを後にした。

 春風の中に小さく藤の花を散らしたような模様の浮かぶラベンダー色の春物ドレス。ネック周りと腕回りがシースルーの薄いレース地だったりすると、桜の花の舞い散るのにまだ間もあるこの時期じゃ少し肌寒いかもしれないと思い、同系色のショールを羽織ってのお出かけ。


 別にドレスコードがあるわけじゃないけど、あんまりラフな恰好も考えもの。学校の先輩つながりでチケットをもらったりしたものだから、どこでどんな顔見知りと鉢合わせするかわからない。

 元々プロのピアニストくずれなわけで、そこはちょっと気を使った。


 コンサートチケットには「マイカーでのご来場はご遠慮ください」。タクシーという選択肢もあったが、意外とこのお嬢様、タクシーをあまり使わなかった。理由は経済的なことではなく単に「慣れ」そういう機会があまりないだけなのだが、というわけで彼女はひまわりが丘の駅から電車に乗り込んで会場へ向かった。

 


 客席キャパが千をちょっと超えるぐらいの中規模ホールが今回の会場。エントランスを潜ると、3階フロアの上にまで届く天井の下、正面玄関側は一面のガラス張り。とても「抜け」のいい内観のロビーに出迎えられる。

 そういう視界の広い景色というのはここ最近のトレンドかもしれない。そして喫茶アネモネに欠けているのはそんな解放感かもしれない。ただし、それは時代というものの影響あるだろう、アネモネのような店ができたころというのは重厚感が一種の高級感を演出するその時代のトレンドだったかもしれないのだから。

 別に、ここで最新のコンサートホールと昭和に出来た町の小さな喫茶店を比べてもなんの意味もないけど。


 なんてことを考えながら、長瀬ゆかりが一人ホールのロビーを歩いていると若い女の声で


「あ、長瀬!」

 と声がかかった。声のほうを見ると立っていたのは音大時代の友人だ。去年、ゆかりの自殺未遂騒動のあと久々に女子会で顔を合した数人のうちの一人。

 薄い空色したのっぺりとしたドレス姿のその彼女のことはあんまりふれないでおく。実際ここのお話でそれほど大事な役割はない。が、その隣に立つ男のほうはちょっと触れておく必要があるだろう。


 彼、名前を波多純一という、そして声を掛けた女性の実兄でもある。

 波多はこの時少し驚いていた。

(電車で見た人だ……)

 ただゆかりが乗り込んでいた電車の同じ車両にいただけなのだが、戸袋付近のバーに軽く肩を寄せて立つその彼女の姿を密かに見惚れていた乗客の一人でもあった。


 綺麗な人だなと思った。思いながらぼんやりしてたらゆかりの姿が消えていた。そして自分が一駅余計に乗り過ごしたことに気づいて大慌てで引き返してきて今に至る。

 そしたら彼女が自分の妹の顔見知りだと言うじゃないか!若干の運命のイタズラみたいなものを思わずにいられない展開。



 面立ちは中性的とかフェミニンという感じとは少し違う。頤まわりの少しがっちりしたシルエットや、黙っていると力強く閉じているように見えるやや大き目の口唇、細めだが、しっかりとした眼差しの目つきとか、社交的で行動的な印象を受ける好青年と言っていい。

 実際、IT企業に就職の後まだ26という若さで独立してフリーで働いているのだ。人脈づくりなんかに及び腰の、奥手なタイプではないようだ。


 そんな彼でもゆかりを一目見たとき、少し及び腰となった。妹とのつながりを利用したとしても、いきなり馴れ馴れしく話しかけるのも躊躇していた。なんとなくあるのだ、オーラというか、雰囲気というかそういうのが。

 そうして妹とゆかりの立ち話をぼんやり眺めていると。

「波多君も来てたんだね」

 と、仕事上でのクライアントの一人から声をかけられた。もちろん、オンナに気を取られて仕事の上での大事なお客を邪険にするようなヘマはしない。そつない笑顔とトークで軽く挨拶を済ませてから、ゆかりのほうへ振り返ると……彼女は演奏の行われるホールの中へと消えていた。


「さっきの女の人、お前の友達?」

「そう」

「綺麗な人だよな……」

 純一の呟きに妹が少し怪訝な顔を見せた。綺麗なのである。友人だから、そんなこと知っている。しかし、この兄貴の言葉には一種の底意が込められているのを感じずにはいられなかった。兄貴がどうも色気づいている様子。

「でも、手ごわいと思うよ」

 玉砕した男の話は何度か聞かされていたわけでもある妹だった。



 パンフレットを入手した後、純一もチラッとゆかりの姿を探してみたが、簡単には見つからない。しゃあない。追いかけたところで何ができるわけでもない――そう思っていた。


 開演時間近づく満員御礼の客席は、もう着座済みの後頭部だらけで埋まって見えた。自分たちの席を求めてやってきた純一はそのとなりに座るゆかりの姿を再び発見した。



「なに、そこだったのゆかり」

「偶然だね」


 兄貴を後ろに従えてゆかりのほうへ近寄る妹。ゆかりの右が空いているのは一緒に来る連れのドタキャンで空いているからだが、そんなことは知る由もない。満員というアナウンスがあった以上誰かが来るに違いない。ゆかりが一人で来たというなら誰か見ず知らずの客だろう。そして波多兄妹の座席はゆかりの左手に2つ並んでいる席となる。

 妹はごく当たり前のようにゆかりの隣に座ろうとした。


 そしたら信じられないことに、普段は結構優しい兄貴が、自分を両手で突き飛ばすのだ。

「何すんの?」

 そりゃあ、一歩間違えば座席一つどころか、もうひとつ向こうで大人しく座っているハゲオヤジの頭を自分の両手で突き飛ばしかねなかったわけだから妹が怒るのは当然だ。

 しかし、兄のほうは悪びれた様子もなく。

「俺がこっち座る」

 と言ってゆかりの隣に腰を落とした。



 やがて打楽器の放つ鞭のような鋭い響きとともに、快活なラヴェルのピアノ協奏曲が始まった。



 演奏の最中、純一は妹にそっと耳打ちした

「おい、飯代おごるから、彼女を食事に誘え!」

 突き飛ばしたと思ったら、女を口説く道具に使われて妹はやや不機嫌である。

「自分で誘えばいいじゃない!」

「今日初対面の人間が誘ったところで簡単に来てくれるかどうかわからないだろ!なっ!頼むから……」


 状況からして、あんまり高級店をたかるわけには行かないだろうな……。お近づきの顔つなぎなわけだし。3つ星レストランみたいなところじゃあ、初対面からギラギラしすぎだろうけど。

 ま、とりあえずメニューの高いところから順番に頼んでやれ。突き飛ばした意趣返しだ。


 ということで純一の妹はその依頼を受けた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ちょうど、草壁と恵も映画を出て、夕食軽く食べていこうか?ということで手ごろなファミレスでもないかと探していた頃のこと。



 波多純一とその妹と長瀬ゆかりの3人もとある洋風居酒屋に居た。



 3人ぐらいで二口三口ぐらいつまめる量の一皿が1000円前後で出てくる店なら、値段的にも雰囲気的にも通いやすそうなお店だろう。いかにも喫茶店みたいな喫茶店とかバーみたいなバーじゃなくて、ちょっとしたスイーツが評判みたいな、町の小さなカフェみたいな外観で居酒屋という、微妙な雰囲気のズレがちょっと洒落た感じ。


 お店のことを知らないと前を素通りしてしまいそうな小さな間口構え。

 4席のカウンターの向こうに二人掛け、三人掛け、四人掛け……といずれも、大きさも形も違う木目の鮮やかなテーブル席が、並んでいるというより散らばっていた。

 アルコールランタンの灯りのような琥珀色した照明の下で、生成りの白シャツを輝かせてフライパンを振るまだ若そうなシェフと、お揃いの恰好でデニムの前垂れを腰締めにしてテキパキと料理をサーブする奥さんらしき人で切り盛りしている店。


 ところどころに飾ってあるアンティークなランプや、マントルピースにちょっとした時代演出を感じるが、喫茶アネモネのような垢抜けない感じとはちがってこちらは、シック。

 純粋にお茶を楽しむようなカフェの雰囲気も漂わせる落ち着いた店内。

 雰囲気というのは大事に違いない。黙っていても、大声で騒ぐ客やお子様なんかは絶対に寄せ付けない雰囲気。そう、波多純一が長瀬ゆかりに感じたような雰囲気はどんなものにも大事なのかもしれない。



「すごい!こんなお店ちゃんと知ってるんですね?これおいしい」

 熟成肉が売りらしいこの店のローストビーフを箸でつまんでゆかりが言った。

「ううん。全然知らない、今日初めて――ね、甘味がこんなに出るんですね。おいしいお店でよかった」

 

 相槌を打つ純一だが、おいしいのは分かるがそれ以上味のことを言わなかった。

 聞かれれば料理の説明を詳しくしてくれる店のマダム。だが彼女はあまり口数多く料理の説明はしなかったせいでもある。なんとなく、この3人組の正体を掴みかねていた。男は二人いる片一方の女子をほったらかしで、もう一人にばかり話しかける。しかも妙に熱のこもった目つきで。無視されている様子の女、普通は不機嫌になるだろうが、別にどうでも良さそうに次から次へと料理を頼んでは、こちらも男は基本無視で、もう一人の女性に一言二言話しかける。口説かれているっぽい綺麗な女子はというと、これも男が好きでも嫌いでもないような曖昧な調子で平然としていた。

 そういう客の場合、あんまり出しゃばらずに、そっとしておくのが良しと踏んでのことだった。

 ややこしい事情でもあって店の中で痴話げんかでもされた日には、せっかくのお店の雰囲気が台無しだし。

 

「そうなんですか?」

「だって今はいろんな情報、すぐにゲットできるじゃないですか?」

「けど、その店が良いか悪いかなんて、口コミだけじゃよくわからない。なんてことないんですか?」

「僕、フリーのウェブデザイナーやってるんですよ」

「それが、どうしましたか?」

「そこのお店のウェブページをみたら、おいしいお店かどうかなんか一発でわかります」

「今、作った嘘でしょ?」

「バレました?」



 ま、ほっといても勝手にやるってるみたい。



 純一たちが入店したころにはカウンターにカップルが割と静かにワイングラスを傾けているだけだったが、そのうちテーブル席も2つ埋まる。が、常連ばかりみたいな客たちは、みんな大人しい。気が付いて見たら発泡酒とかビールもあるにも関わらず、全員ワインを手にしている。


「今ピアノの先生してるんですか」

「小さな子供相手にのんびりやってます」

「ところで、こんな質問していいですか?」

 純一の眼が探るようにゆかりを伺った。わざと相手の方へ顔を突き出してさあ、今から大事なことを聞かせてもらいたいのですがと言いたげに。撒き餌とでも言おうか?こちらの様子をまんざらでもなさそうにしているなら、手ごたえはありかもしれない。

「なんです?」

 隙は見せないゆかり。二コリともしない。確率50パーセントも見込めそうもないと、純一は思った。

「お付き合いしている人いるんですか?」

 静かに首を振るゆかり。


 するとそこで妹がスモークサーモンを切り分けている手を止めて会話に入ってきた。

「ゆくゆくは決まった人と結婚するんでしょ?」

 ああ、そうか前の女子会のとき自分が微妙な言い方したからフィアンセがもういるみたいに思っている訳か……。ゆかりは軽く笑って否定した

「決まってるのは婿養子をとることだけ。この人っていう許婚はいないのよ」

「そうなんだ……」


 なるほどと。お嬢様だということを耳にしていたが、金持ちの家というのはとかく金以外にも背負い込むものが多いらしい。純一にしてみれば今日出会った女性と結婚まで考える必要もない。まだお付き合いできるかどうかもまったくの未知数。

「ということは今はフリーなんですね?」

 ただ、そこははっきりさせて置きたかった。


 するとゆかりは軽く笑いながら

「ですけど、そう遠くないうちにお婿さんとるから……」

 『とるから』なんだとは話を続けなかった。が、その言葉尻を即座に純一は引き取った。

「あなたみたいな綺麗な人が、そんなこと言って恋愛のひとつもしないなんて勿体無いですよ」

 目は口ほどにものを言う。若輩ながらフリーランスで培った交渉術。威圧感のない説得力。あえて表情すくなく言葉のトーンも落とし気味で、手持ちのカードを相手に預けるつもりで、おだやかに見つめる。

 

 少し無表情にも見えるところが、なんか地蔵っぽい表情でもあった。

 

 そんな顔で、ゆかりをジッと見つめてみた。

 もう一体の地蔵にとくに変化はなかった。



 ただ一人、熟成鴨ロース肉の皿に黙って手を伸ばす純一の妹だけが、白け切った顔を浮かべていた。


(実の妹がいる前で、よく女を口説く気になれるよね?このひと……)



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 店を出た3人はそろって駅まで歩いた。この兄貴の色ボケぶりに呆れながらも、妹のほうは気を使って純一とゆかりが肩を並べて歩く数歩後を黙って追った。つまりはこの3人組は二人組と、その後ろを赤の他人が一人歩いているだけのようになっていた。


 手ごたえは弱いと思いながらも純一は自分の連絡先の書いてある名刺をゆかりに手渡したりして、時に二人の両肩は触れそうに近づきつつあったそのとき。


 駅の表通りのファミレスの前でも、食事を済ませた草壁と恵の二人の姿。

 隠れ家的なさきほどの洋風居酒屋を出た純一たちも、裏路地から表通りへと出てきた。


”演奏会での失敗談”なんていう実にくだらないゆかりのエピソードを聞きながら、にこやかに語り合う純一とゆかりの二人はまるっきりデート最中の恋人同士に見えた。両者ともクラッシックコンサートに行くつもりのそれなりの服装だったりするわけで、それが余計に二人のカップル感を演出している。

 

 このまったく見知らぬ、しかしながら結構なイケメンと笑いあって肩寄せあって歩いてくるゆかりの姿を見た衝撃で、草壁の思考は飛んだ。


”ゆ、ゆかりさんこんな男と一緒に楽しげに歩いている。まさか、これ俺の知らない本命彼氏?”



 一方のゆかりも、草壁が恵が一緒にいるのを見て優しく声かけるわけもなく、敢えて彼とは目を合さずにさっさと純一と並んで通り過ぎた。


 やや遅れて、純一の妹が呆けたような顔で突っ立っている草壁の横を通り過ぎる。彼女をさきほどの関係者だとは、誰も気づかない。



(何、今のピアノ。結構いい男と二人で歩いてたけど……お兄ちゃん、さては知らないな)


 と動かない草壁の隣でお付き合いで突っ立っている恵も、歩み去るゆかりと純一を目で追いながら思うのである。なぜなら


(今度は、お兄ちゃんが地蔵になってる……)



 そして、ゆかりたちの姿が人込みに消えていったころ、やっと恵は無表情に突っ立っている草壁に声をかけた。

「先輩、私たちも行きましょうよ」


 すっかり地蔵顔の草壁が、力なく「うん」と返事をして、一歩足を踏み出したそのとき、彼はそばに転がっていた缶コーヒーに足を取られて片足上げに地面に転がり落ちた。


 思わず恵が呟いた

「あっ、お地蔵さんがこぉろんだ」



第49話 おわり

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