第47話 彼女をその気にさせるコツ
そんなこんなで、カレンダーも3月となった。
大学生なら春休みという時期である。本作の主人公の草壁圭介も例に漏れず、お休みの真っ最中。にもかかわらず実家にも帰らずにここひまわりが丘で春を過ごすつもり満々なのは、やはり意中の人であるお隣の長瀬ゆかりも実家に帰ろうとせず、この町にいるからである。
そして、もう一人、実家から帰って来いという矢の催促を受けながらも知らん顔で、こちらに居続ける人物がいる。
ゆかりの実弟にして、草壁のルームメイトの長瀬亮作だ。
草壁がここにいるのは、ここに居たいからなのに対して、亮作がここに居続けているのは実家に帰るのがイヤだから、というもの。
未だに長瀬家の父と母は、亮作を実家の会社に迎え入れることを完全には諦めていないらしい。だからのこのこと帰れば、またもや跡取り話を蒸し返されるのは目に見えているということで、こちらに避難しているような状況である。
そんなとある休日の朝のことである。
草壁たちの部屋である307号室のダイニングテーブルでは、部屋の住人である長瀬亮作と、その姉の長瀬ゆかりの二人が頭をつき合わせて、なにやら話し込んでいるのだった。
「お姉ちゃん、春はどうするの?冬みたいに、叔母さんとこにいるから帰れないって訳にはいかないでしょ?」
同居人である草壁の姿も、そしてツルイチさんの姿も見えない二人きりの朝のテーブルでは、そんな姉弟が少し声も押さえ勝ちでヒソヒソ話でもするような様子。
「私は今回関係ないもん」
まるで勝ち誇ったような笑顔で答えるゆかり。
「なんで?帰らないでもいいの?催促かかってこなかった?」
「私はピアノ教室があるから、学生とは違うの!」
「どういうこと?」
「春はね、こういう習い事の教室にとっては大事な時期。わからない?学校が春休みにはいるから子供は暇になる。そうなると今まで以上にレッスンの依頼は増えるし」
「そんなの、春だろうが夏だろうが休みになればそんなもんじゃない?春が特別なわけじゃないでしょ?」
亮作が詰問するみたいな様子で姉に食って掛ってきた。一人で帰るのが嫌だから、一人でも道連れを多く引き連れて帰りたいという様子だ。
「それだけじゃないのよ。春は特別なの。この時期、年度が改まって小学校や幼稚園に通いだすのに合わせて習いごとへと通わせようなんて親が増える時期なのよ」
「ウソだよ」
「ホントよ!本屋でも英会話や資格検定の参考書の売り上げが伸びる時期なんだから。そういう大事なときに教室を預かる身としては、今は仕事を離れられないの」
「……」
余裕の笑顔の姉にそういわれて、亮作は不服そうなふくれっつらをして黙り込んだ。
そんな会話を姉弟がしている時、つい今しがたベッドから起きだしたボサボサ頭の草壁が、ダイニングに顔を出した。
「おはよう……って、あれ?ゆかりさんどうしたんですか?こんな時間に?」
厚手のドテラの下には未だに、ミッキーマウスのTシャツを着ているのを確認したゆかりは思わず小さく噴出しながらスッと立ち上がった。
「ちょっと亮作とお話……ついでだから、朝食つくりますから食べてきませんか?」
「あっ、ごちそうになります」
言われて草壁は思わず頭を下げたのだが、まるで自分ちにこっちを呼んでいるみたいな言い方をしているのが微妙に気になった。
そしてゆかりのほうはというと、そういうことにはお構いなしに冷蔵庫を開けると勝手に中を漁りだすのだった。
「お野菜はあるし、卵もあるけど……お魚はなしか……これはどっちかっていうと洋風の朝食になりそう。こっちの戸棚は確か缶詰置いてあったわよね?あ、あるあるトマト缶。白ワインもあった!」
そんなゆかりの様子を見ながら、草壁はテーブルを挟んで正面に座る亮作にそっと耳打ちするように囁いた。
「缶詰の場所とか、ちゃっかり確認してるけど、お前教えたの?違う?ところであの白ワインってたしかツルイチさんのだろ?あの人どうしたの?」
「食材のお金は、朝食作ってもらう手間賃がわりに僕らでお金だしとこう……ツルイチさん?競馬」
そんなことを亮作と草壁が話している間も、ゆかりは他人の家のキッチンで随分とスムーズにクルクルと立ち働いた。
慣れた手つきで片手の卵割を連続でこなしたと思ったら、菜箸で手早く攪拌。
一方で、野菜をざくざくと切って、グリルにポン。
お鍋で鶏肉とお野菜を軽く炒めて、白ワイン投入後に、トマト缶を入れてゆっくりと火にかけて……。
そんな一連の作業の間、ずっと鼻歌交じり。
草壁はそんな彼女の様子を見て、先日まで落ち込みがちだった様子が普段どおりにもだったのだろうか?と感じないではいられなかった。
事実、気分の上げ下げというのは毎日のようにありはするが、基本的にいつまでも落ち込んでいられないというのがそんな彼女のそのころの心境である。
簡単に朝食を作るのかと思ってみていたら、取り出した食材はかなりの量の様子。因みにほとんど草壁の買い置きをゆかりは勝手に使って調理している。
しかし、手際がいいせいと、動きがいいせいで見ていて飽きないし、なんとなく作っている人が楽しんでいるのが見ていても伝わってきて、不思議と退屈を感じないものだった。
やがて、お手軽というにはちょっと時間はかかったが、ゆかり特性の朝食は大きめの皿の上にのっかったワンプレートブレックファストとして一同の元に配膳された。
中身は比較的シンプル。スクランブルエッグにロースト野菜のサラダ、そしてミネストローネがついて、最後はトースト。
けど、弱火にかけたフライパンの上でそっと木べらを使って丁寧に鍋肌をなぞりながら作ったスクランブルエッグは煎り卵の失敗作みたいなボソボソじゃなくて、まるでクリームのようなしっとりした仕上がり。そのまま食べてもよし、トーストの上にディップしても最高に合う。
野菜も生をカットして適当に盛り付けてマヨネーズ回しかけてできあがり。というのが草壁が朝作った場合の定石形だが、わざわざローストするという一手間かけているのが、やっぱり違うなあと感じさせられる。
しかも、梅干とオリーブオイルで作ったお手製ドレッシングをさらっと作って掛けてあったりする。
どうでもいいことなんだけど、焼きあがったトーストをそのまま出すんじゃなくて、マーガリンを塗ってから1時のラインで二つにカットしてあるという、喫茶店みたいな一手間も、家庭でやられるとちょっと唸ってしまう小さな気配り。
なんかこういう朝食っていいもんだなあと、草壁は思うのだった。
それはともかく、そんなこんなで3人での朝食でのこと。
亮作が草壁に聞いてきた。
「草壁くんは春休み中、暇なんでしょ?」
「ん?なんだよ。それ」
「いや、だってバイトはもうしていないし、実家にも帰るつもりないみたいなこと言って昼間っからブラブラしてるし」
「お前だってパチンコしながらブラブラしてるじゃないか?」
「最近してないよ。釣りばっかり。ね、暇でしょ」
すると、そんな亮作の様子を見たゆかりが眉を顰めた。
「あんた、またそれ?亮作、一人で里帰りがイヤだから、また草壁さんを巻き込むつもりなんです」
「いい加減にしてくれよ……」
苦笑する草壁。
「お前、そんなに実家帰るのイヤなら、追試があるとかなんと言っとけば?」
「それ、余計に洒落にならないよ!こっちで遊んでばっかりだと思われちゃうだろ!」
事実そうじゃないか?と草壁は思ったが口には出さなかった。代わりに聞いた。
「そんなに家業継ぐのいやか?」
草壁にそう言われて、亮作はチラッと一瞬皮肉げなまなざしを投げた。ブルジョワの世界を知らない一般庶民は暢気でいいなとでも言いたそうに。
「父親見ているとね、やっぱり思うんだよ。トップって孤独で大変だなあって。そりゃさ、うちに帰ってきたら口ではあんまり仕事の話はしないし、残業ったって社長の場合、会議が長引くとかだけだからそんなに遅くなることが日常でもないし、書類の束抱えて帰ってきてうちでも仕事するなんてこともないけどさ。見てるとわかるんだよなあ、悩んでいるときっていうのは、いつも頭の中には仕事のことばっかりなんだろうなあって。しかも決断が会社の業績にモロに響くような重大なことも多いみたいで」
草壁が冷蔵庫に常備しておいた食パンと言ったら安物の6枚切りのものだ。それでも焼き加減がちょうどいいので、周囲はかりっと香ばしく、中はふんわりもっちり。そんなトーストにかじりつきながら亮作は少し遠い目をしていた。
「ああ、わかる。お父さん、そういう時って却って私たちによく話しかけてくるのよねえ。けど、なんか上の空だなって雰囲気がすごいわかる」
草壁の隣では、ゆかりがそう言ってほどよくローストされて香ばしいミニトマトをフォークで突き刺す。こういうプレートの場合、箸じゃなくフォークという選択を躊躇なくするところは、案外と洋風な食事に慣れているのかもしれない。
「おじいちゃんが急になくなった頃は、特につらそうだったもんね……一人で仕事の最終責任全部抱え込んじゃうことになってさ……おねえちゃん、知ってる?アノ頃、お父さん真夜中に一人で庭をウロウロしてることよくあったんだよ」
「えっ?ホント?私知らない。あっ、あなたの部屋からだったら庭が見えるんだ」
「そう。それでさ、夜中にベットの中で寝てるとなんか足音が聞こえるから、泥棒か?って思って起きたら、お父さんが庭をトボトボ歩いているんだ」
姉弟の話す他人の家庭の話であったが横で聞いている草壁にも、その様子はなんとなく頭に浮かべることができた。
というのも、去年の夏、長瀬家にお邪魔したときその大きな庭の様子を実際に目にしていたからだ。
話を聞くとまるで暗闇の中を一人で歩いているように思うかもしれないが、実はそうじゃない。あそこの庭には昼間の明るいうちは石で出来た一人がけの椅子か?と思うような形をしたガーデンライトがいくつも配置されていて、夜の間は芝生の庭をずっと照らし続けている。だから、真夜中と言っても庭は薄暮の頃のような明るさに包まれているのが常であった。
「そうなの?私の部屋からは庭、見えないから知らなかった……」
「じっと見てたらさ、最後は決まって、ウチのあの大きな樫の下に立って木をじっと見上げてるんだよ」
「ふーん……」
亮作の話に出てくる「樫」とは、もちろん草壁もあのとき目にした庭の真ん中に大きく葉を茂らせてたつ樫の大木のことだ。
「僕さ、まさかあそこで首でもくくるんじゃないかって、本気で心配したもん」
横で暢気に聞いている草壁も思わずギョッとなるような話だ。あの一クラス分の小学生が余裕でドッヂボールできそうな庭の真ん中に立っている、キノピオの親玉みたいなでっかい樫の木の下で真夜中、父親がジッと立っている姿は確かにゾッとしないだろう。
「そんなの目の当たりにしているとさ、跡継ごうなんて、とてもなれないね」
亮作が草壁に向かってしみじみとそういうのだが、それを聞いていたゆかりが不服そうに口を尖らせた。
「私がいるところで、よくそんなセリフ平気で言えるわね!」
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そんなわけでただいま春休み真っ最中な草壁なのだが、要はそれまでの毎日から通学というスケジュールだけがぽっかりとなくなっただけで、あとはこれという用事のないごく退屈な日々。
やることも、行くところもない場合、暇つぶしに喫茶アネモネに顔を出す頻度が以前よりあがった。
実はそういう事情は辻倉あやも似たり寄ったりで、彼女も早くからこの店のカウンターでエプロンを付けてウエイトレスの仕事に入ることが増えた。
そして、長瀬ゆかりも、ピアノ教室だけが仕事となった今、割と頻繁にウエイトレスに入ることとなった。
かくして、この暇な店には、マスターにウエイトレス二人。そして客一人。という恐ろしい状況が久しぶりにちょくちょく見られるようになった。
ちょうど3月に入ったばかりのことだ。
まだ外は雪が降ってもおかしくないような寒い日の続くなか、ラフに羽織った黒い皮ジャケットの下に白いスウェットを覗かせてやってきたのは、以前からあやを付回しているナンパ高校生田村隼人だ。
それまでにも何度となく店には姿を現してなんとかあやを口説こうと必死な様子なのは知っていたし、あやはあんまり田村のことを好きになれずに、断りの名目として草壁と付き合っているという、猿芝居を打ってその場しのぎを繰り返していたのがそのころのことである。
カウンターの草壁が、そばの壁にもたれて並んで立つあやとゆかりと一緒に雑談の花を咲かせていると、来客を告げる古風なドアベルの音が響いた。と、同時にあやの表情がサッと曇るのがわかった。
振り返ると、ヤツは性懲りもなく花束持参だ。
そのまま、やっぱりわき目振らずにまっすぐあやの元へ歩み寄って、またもや例のセリフ
「改めて、僕の気持ち。お願いだから受け取るだけ受け取ってくれないかな?」
と、少しはにかんだように笑う。
全部芝居だ。だから、はにかんだような表情のわりには動作はスムーズでぎこちなさがこれっぽっちも感じられない。
あやはあんまりしつこいものだから、少しムッとした顔になった。
「だから、わたしはお付き合いしている人がいるから……」
と口走ったその言葉にすかさず田村が、自分のすぐ隣で座ってホットコーヒーを飲んでいる草壁を指差した。
「それは、バレンタインにチョコももらうことのできないこの人のことですか?」
「うるさい!」
カップを手に思わず叫ぶ草壁。
どうも恵経由でその手の情報は田村のもとに入っているらしい。
すると、あやは草壁のもとへ歩み寄って、背後から彼の肩に両手を乗せて少し覆いかぶさるような格好になりながら言うのだった。
「あれから、ちゃんと渡したましたから、ねっ!」
そうしてわざとらしい笑顔を浮かべるのだが、
「くれました?」
キョトンとなった草壁が思わずお芝居に付き合うのを忘れてそう言ったとたん、草壁の首筋ちかくに置かれたあやの手がかなりの力を込めて、ギュッと抓ってきた。
「あっ!もらった!もらった!」
「ねーっ!あげたもんね!」
そんな芝居を打ちながら、いつの間にか草壁に後ろから抱きつかんばかりにあやが草壁に顔を近寄せて笑い合っていた。
芝居としてはそれでいいのかもしれない。
が、その様子をさっきからずっと黙ってみていたゆかりのほうは、なんとなく面白くなさそうな顔でいるのが草壁には気になった。
だから、あやと話をしながら、ゆかりのほうをチラチラと見てしまう。
(いくらお芝居と言っても、あの距離は近づきすぎじゃないの?)
と思って見ているゆかりと
(ほら、この状況じゃあ、あっちもあっちで、あんな顔してこっちをジッと見ているし……)
と、内心ちょっと冷や冷やな草壁。
そんなのだから、田村からも草壁はこう言われる始末だった。
「草壁さん、今、どっちが気になってるんです?」
田村からあやとゆかりの両方を指差してそう言われて草壁は黙り込むしかなかった
「……」
「とにかく、そのお花はいただけませんから」
結局、あやはそう言うと田村から逃げるようにしてさっさとカウンターの中に入ってしまった。草壁は自分の隣でずっと花束持って突っ立っている田村を見上げて聞いた。
「花束だって高いだろ?高校生の小遣いでよく買えるね?」
「昨日、卒業式だったからもう高校生じゃないですけど」
田村はそう言いながら、スッと草壁のすぐ隣の席に腰を下ろした。普段あんまり顔を合わす訳でもない二人だったが、以前一緒に遊園地に行ったメンバーでもあるせいか、割と気軽に草壁の隣に座を占めた。
「まさか、その花、卒業式でもらったヤツとか言わないよな?」
「ハハハハハ、そんな訳ないじゃないですか?」
「けど、これまで何度もここ来て置いて、花束は二度目って言うのは、一体今回なにか特別なたくらみでもあったのか?」
「ち、違いますよ、草壁さん嫌なこと言わないで下さい。僕は純粋に気持ちを伝えたかっただけです」
「化けの皮はがれてるのに、まだがんばるか?」
「それ、そちらのこと言ってません?」
「うるさい、うるさい。座ったのならさっさと何か頼めよ」
「あっ!逃げた……じゃあ、僕もホットコーヒーでいいですよ」
「この時期にのんびりしてるってことは、もう大学決まったの?」
「あっ、こっち、もう推薦でとっくに決まってるので」
「よかったね、一応、おめでとうって、拍手してあげる」
「どうも」
「で、大学どこに行くの?……あ、あそこなら家から通えるからいいよね?」
「っていうか一人暮らししたかったですよ」
「素行悪いから許してもらえないんだろ?」
「どういう意味ですか!」
すっかり友達みたいな感じで話している田村と草壁だった。
そんな二人の様子をカウンターの中のマスターが少し驚きの表情で眺めていた。
(あれっ、この二人ってそんなに親しかったっけ?)
事実、田村にしてみたら不思議と警戒心なしに話せるような相手だった。悪い言い方をすると「スキの多そうな人」だから、そ知らぬ顔で隣に座って、さりげなく誘導尋問してみたりする。
「デートって、お二人はどんなところ行くんですか?」
と、草壁とあやを交互に指差しながら、探りを入れると、
「えっ……」
と咄嗟のアドリブが聞かずにちょっと言葉に詰まる草壁。
「あっ、付き合ってないから、デートもなにもないか」
そして煽る田村。煽られた草壁とあやが顔を見合わせて、芝居を続ける。
「あそこ行ったよね?」
「行った行った」
そんなやりとりをそばで聞いているゆかりは、そっぽを向きながら思うのである。
(どうせ、バッティングセンターであやちゃんに張り倒されただけじゃない……)
あやのほうはゆかりの思っているとおりに
「バッティン……」
といいかけたとき、暢気な顔をした草壁が大きな声でこう言った。
「水族館!」
えっ!という感じで急にカウンター越しに向き合っているあやと草壁を交互に見てしまうゆかり。あやのほうは驚きで目を丸くしていて、草壁はそんなことお構いなしに田村に向かってなぜかドヤ顔している。
(水族館?私、そんなところ行ったって聞いていないけど。……あやちゃんが焦ったような顔しているっていうのは、ただの出鱈目のウソじゃないってこと?この二人、私の知らないところで結構二人っきりで出会ってるってこと?なんなの?これ?)
ゆかりの様子が急変したことには草壁はまったく気づくことなく、田村相手に続けるのであった。
「たしかあのときはクラゲの特別展示があって、それからペンギンのショーとかも見たし。で、帰りに牛丼……」
そこまで口走って、自分が言ってはいけないことを言っちゃったことに気が付いた。
そう、随分前のことだが、あやのおばあちゃんちのお手伝いに行った帰り、あやと二人でデートみたいなことをしたことがあったのだがそのことは、ゆかりには話していなかった。
今更、言い訳みたいなことをする必要もないだろうから、黙っておいたらいい。
そう思っていたから……。
(しまった!これ、まだゆかりさんに報告あげてなかった!!)
草壁の失態にあやも怒っていた。彼女だって、誤解されるようなことはしたくない、けどあのとき草壁が最終的には黙っておいてほしいというような態度だったから今までゆかりには話していなかったことを、この男がうっかりゆかりの前で喋っちゃったわけだ。
(なんで、今頃になって半年以上前のことを言い出すのよ!)
と思って、目の前で急に黙り込んで動きの止まった男をにらみつけた。
一方のゆかりは半ば放心状態である。
(なんだろう?水族館って……どういう経緯で二人で行ったの?)
そして、田村はというと、急に静かになった喫茶店の雰囲気に驚いてキョロキョロしていた。なぜかは全く分からないが、空気だけは急に重くなったことだけは感じることができた。
「急に空気が変わった感じするけど……僕、なにか悪いこと言いました?」
電池が切れたロボットのような草壁、ゆかり、あやの様子に焦った田村が、素知らぬ顔でそっぽを向いているマスターに向かって問いかけた。
「なんでかはよくわからないけど、ここではこういうこと、ちょいちょいあるよ」
嘆息混じりのマスターの言葉が、小さく喫茶店の中に響いていた。
結局、理由のよくわからない田村はこんな空気の中に長くいたら自分が悪者みたいにされかねないと警戒してさっさと帰っていった。
そして、あやとゆかりから冷たい目で睨まれながらカウンターでずっと固まっている草壁に向かってマスターがポツリとつぶやいた。
「草壁クン、何があったか知らないけど、ダンゴ虫じゃないんだから、死んだ振りしても逃げられないと思うよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そんなことがあった2、3日後のことである。辻倉あやが駅を出て駅前ロータリーを歩いていたとき、南側ロータリーに面して営業しているドーナツショップの窓際の席でなにやら熱心に話しこんでいる男二人連れの姿を目撃した。
どうも見たことのある人だと思ってジッと見てみたら驚いたことに、草壁と田村が随分と親しげに話をしていた。
「痛ってぇ……」
「さっきのすごいビンタだったな。お前、顔ちょっと腫れてるぞ」
「ついてないわ……これ二回目ですよ」
「前にもこんな目に会ってるんだ」
「今朝、あの子の友達に張り倒されて、それからさっきだから、今日二回目ですよ」
「おいっ!……ってことは、さっきの子の友達にも手だしてたの?」
「そりゃ、気がありそうに見えたら、行ってみるでしょ?」
「お前……」
「草壁さんだって、合コン行ったらいい人いないか探すでしょ?」
「俺さ、1年のときには入学早々に大怪我して入院しててさ、その遅れ取り戻すのに必死だったし、2年になってからは……なんていうか、あんまりそういうところに行く気になれなくて」
「入院してたら、看護婦とのチャンスじゃないですか」
「たくましいな……」
「それが普通じゃないですか?」
「俺が普通とは言わないが、お前は絶対普通じゃない」
ちょうどそんなことを二人で話している最中であった。
話の内容は分からないが、田村と草壁がいつの間にかあんなふうに親しげになっているとは知らなかったあやが、不思議に思って彼らのほうへ少し近寄って様子を見てみることにしてみた。
「看護婦というと、ちょっと年上でしょ?年下の可愛さみたいなのを、さりげなくアピールしながら、ヨロッしてくる子に手を出してみるんですよ」
「入院経験とかないってさっき言ってた割には、具体的にそういうことを言うのな」
「シチュエーションなんかあんまり関係ないでしょ?要は行動あるのみ……って、あっ!あやちゃん!」
田村の言葉に草壁がすぐ横手のガラスウインドウに目をやると、店のガラス一枚隔てたすぐそこ、手を伸ばせた届きそうなところであやが驚いた顔して立っていた。
話の順は前後するが、どうして草壁と田村がここで話し込んでいるかという経緯を簡単に説明しておく。
ちょうど、あやがやってくる15分か20分ぐらい前のことである。このドーナツショップのこの席には草壁が一人で座ってドーナツを食いながら本を読んでいた。軽い暇つぶしである。
一応、目はずっと活字を追うのに忙しかったわけだが、合間にドーナツに齧り付いたあと、砂糖のついた手をちょっとナプキンで拭こうかと思って目を上げた瞬間、ロータリーを足早に歩く女の子の姿を見つけた。
時間に追われるようにして急ぐ人の姿を駅前で見るのは別に珍しいことではない。列車の時刻を気にするようにして走る人の姿もよくある光景。
しかし、急いでいる人の歩き方というのは、当たり前の話だが、少しでも前に進もうと一生懸命なのに対し、その女子の歩き方は、地面を踏みしめる足に異常に力が入っているのだ。力の入り方としては、前の方向じゃなく下の方向へ、まるでなにかを踏み潰してしまおうとするみたいな歩き方。
ちょっと様子がヘン。
そして、顔がとてもムッとした顔をしていた。ああ、なんかあの人怒ってるっぽいなあと、なんとなく草壁が思いながらその子の様子を見ていると、後ろからその子を追いかけてくる男がいる。
よく見ると、そいつは田村だった。
アイツ、また女の子追いかけているのか?それにしてもなんだあの状況は?と草壁がドーナツをパクつきながら見ていると、ちょうど草壁の目の前あたりで女の子に田村が追いついた。
そして、田村が女子の肩に手をかけたとき、振り向きざまに女の手が田村の横っ面を張り倒した。
ウインドウ越しに声は聞こえなかったが、口の動きではどうも「サイテー!」と女のほうは叫んでいるようだった。
一方、女に張り倒されたあと頬を押さえながらそこに突っ立っている田村は、草壁がドーナツ食べながらこっちを見て大笑いしているのを見つけて、なんとなくふらふらとショップの中に入ってきたのだった。
そして、そんな田村と草壁がウインドウ越しにあやを手招きすると、彼女も事情はよく分からないながら、草壁たちの席にドーナツの乗ったお盆を抱えて合流してきた。
「あ、あやちゃん、こっちおいで!」
と手招きで自分の隣を指差す田村の声に思わずそのとおりに座りそうになるあや。まずい草壁さんの隣に座らないと付き合っている設定が壊れてしまうと思い、一旦田村の隣に置いたトレーをすっと草壁の隣へと移動させて、わざと涼しげな顔をして座った。
「今、こっちに座ろうと一瞬してなかった?」
「えっ?あ、まあ……それより、どうしたんですか?二人してこんなところで」
「ちょっと、偶然……なっ!」
「そ、偶然、ちょっと僕もドーナツ食べたいかなあ?なんて思ってたら草壁さんもここに居たから、ちょっと一緒にね」
「ああ、まっ、そういうところ。ところでアノ子とは何ヶ月付き合ったの?」
なぜか男子組の様子がおかしい。あやには黙っているなにかがありそうだとは思ったが、二人がなんか親しげに喋っているので、あやはとりあえずドーナツを齧りながら二人の話に聞き耳を立てていた。
すると、草壁が突然田村にむかってこんなことを聞いた。
「恋愛経験豊富そうだから、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんすか?」
20過ぎた大学生が、高校生に恋愛相談って、どういうつもりだろう?と思ってあやが隣で驚いていると、草壁がこう切り出した。
「女の子をデートに誘うコツってなに?」
見ると、大真面目な顔をしている。
ちょっと、一応恋人って言う設定のある女子が隣にいる場で他人にそんなこと聞く、普通?何を言い出すんだろう?
草壁の意図がよくわからないあや。ドーナツを持つ手がしばし止まった。
「コツですか?――」
聞かれた田村はちょっと腕を組んで考え出した。つまらない質問に大真面目に答えようとしている様子。
「――まあ、最初はあんまりギラついたところは見せないようにしたいですよね」
「ウンウン。なるほど。草食系のほうがいいってこと?」
「……い、イヤ……ちょっとその表現の仕方は微妙に違うような気がするけど。なんていうか、自分をあんまりアピールしすぎない」
「ダメなの?」
「男っていつも勘違いするんですよ。女子は男のかっこよさに惹かれるとか、そんなふうに」
「違うんだ?」
「そりゃ、黙っててもモテるようなルックスなら話は別ですけどね。男の『どう?俺すごいでしょ?』みたいなアピールは却ってマイナスになることのほうが多いもんですよ」
「なるほど。なるほど」
「女の子っていうのは、自分のことを見てほしい、聞いてほしいって思うものなんです。そこで俺が俺がってやってもウザがられるだけでしょ?」
「ふうん、そんなもんか……」
「会話しながら、その子が気を使っているオシャレのポイントとかを目ざとく見つけて、さり気なくそこを誉める。そんなポイントを一つでも稼げたら、一歩その子に近づいたって感じにもなるし」
「難しいよな?」
「まあ、そうですけど……ただ、結局はその子の性格とか考え方に合わせないと、迂闊にただ誉めればいいとか思ってても実はコンプレックスを突っついて逆効果だったりしますよね?」
「ありえるかもな……」
「だから、長瀬さんがどんな人かが、ポイントですよ」
「ああ!なるほどね、公式があるわけじゃないよなあ」
(ちょ、ちょっと、会話がおかしなことになってない?)
延々と自分を無視するように続いた男子組の会話をここまで聞いたあやは必死に草壁に目配せをしようとするのだが、草壁がこっちを振り向きもしない。
そして、田村から
「そこは、僕よりそっちのほうが分かっていると思うから、作戦は自分で立てないと!」
「そうだよなあ」
草壁はすっかり田村との話しに夢中で、隣で目を剥いているあやの様子には一向気づいていない。
「長瀬さんって、固そうですよね?」
「固いってなんてもんじゃないよ……鉄壁」
「草壁さんも結構苦労してるんですね……ところで、草壁さん、やっぱりお二人は付き合っては居ないんですよね?」
「ん?」
草壁の目の前では、田村がニヤニヤ笑いながら、隣同士に座るあやと草壁を交互に見て勝ち誇ったような顔をしていた。
「あ……いや、付き合ってるよ」
虚ろな目をした草壁が、とりあえず今頃になって隣に座るあやの肩を抱いてそう言ってはみたが、完全に泥縄式。 普段はとても温厚なあやも思わず「なにやってくれてんですか!」と言って草壁の頭を張り倒さずにはいられなかった。
第47話 おわり




