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第42話 心ほぐして

 気が付けば、お正月が遥か後方に霞んでしまうような1月の下旬近く。そして、恵方巻きのご予約承り中のポスターが、コンビニにスーパーに一斉に飾られるような季節。一年中なんかセールやっているものだ。



 随分前の話のようだが、長瀬ゆかりがなぜ旅館双葉荘で、掃除ばかりやらされる毎日を送らなきゃいけないことになったかというと、元々は彼女の母親である登善子からの指令だったのを覚えてらっしゃるだろうか?


 ここまで触れることはなかったが、登善子だって娘を妹のところに預けておいて預けっぱなしの無関心だったわけではない。

 時々、妹である葉月レイコの元へ電話をかけて、娘の様子を伺っていはいた。


 聞けば、自分が思っていたより、過酷な環境にいるような気もしないではなかったが、あのレイコがそれでいいと思っているならということで、特別、姉である登善子のほうから妹へ娘のことについて口は出さなかった。


 

「お世話掛けるわね。ゆかりの様子、どう?」


 実は最初の頃は2、3日おきにそんなふうにして電話してくるので、レイコのほうから「お姉さん気を揉みすぎ。そんなにしょっちゅう話さなきゃいけないことないわよ」と笑われたりしていた。

 今夜も、双葉荘のオンボロ寮の一室で、ゆかりが翌日の早起きに備えて、すっかり寝息を立てて布団に包まっているような時間に、登善子からレイコの元へと電話を入れていた。


「元気にやってるわよ。ほんといい子ね。ゆかりちゃん」

 最近では、ゆかりを厳しく叱ることは少なかったが、かと言って本人を目の前にしてあまり誉めることもしないレイコだった。

 しかし、こうして姉と親しく話している様子はお世辞ではなくて、本音である。

 

 娘を誉められてうれしくないことはないが、あんまりしんみりと妹が言うので、登善子のほうが照れるぐらいに。

「大げさに言って!むしろ、あなたのところに花嫁修業に出させてはみたものの、あなたには私の躾がなってないって思われるんじゃないかと、心配で」


「あら、うらやましいぐらいよ。あんないい子に育つなんて。思えば、ゆかりちゃんっていっつも亮作君といっしょになって男の子みたいにして遊んでたけど、気が付いたら、いい女の子に変わってて、私が驚いたわ。」


「言いすぎよ。けど、あの子には好きなことをやらせるつもりだったから、何も仕込んでなくて……不器用な子でしょ?」


 すると受話器の向こうでレイコが大笑いする声が聞こえてきた。

 

「ウソばっかり!本当は、姉さんの自慢の娘でしょ?何を教えても覚えが早いし、器用だし、それに――」


 ここで、レイコは一度言葉を止めた。考えているからではなくて、常日頃思っているあることをきちんと姉に伝えておきたいと思ってのこと。もし姉さんがそれに気づいていないなら、もっとちゃんと自分の子供こと見ておいてあげてね。


「――素直で、心もちのしなやかな、いい娘ね」



 妹との話を終えて、受話器を置いた後、登善子が思わずこうつぶやかずにはいられなかった。


「そんなにいい子だったかしら?」

 と



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 前回のお話から、一週間以上たったそんなある日のことである。

 アノ一件以来、草壁とゆかりは顔を合わすことがなかった。というのも、草壁は右手の怪我が直るまで双葉荘のバイトはお休み。

 そして、ゆかりもひまわりが丘に帰ったって、用事を済ませたら双葉荘に戻ってくるということで、しばらく二人が口を聞く機会もないのだった。



 そして、そんなある日の双葉荘の寮の一室の昼下がり。

 旅館業もお昼というのは、客がいないので随分と静かで暇なときも多い。

 もちろん掃除はするが、なにも旅館の清掃要員がゆかり一人ではない。となると、繁忙期も過ぎたそんな時期の午後はゆっくりとくつろげるのだった。



 で、そんなとき、ゆかりは何をして過ごすか?

 以前、寝て過ごしていると書いた。が、何も暇だからと言って寝てばかりでもない。


 ところで、この部屋、本当になにもない部屋なのである。いつぞやの鍋パーティの時のちゃぶ台と座布団があるぐらい。

 未だに冷蔵庫もテレビもラジオもない。休みになればひまわりが丘に帰ってしまうから、長時間いることはあんまりないので、そんなにあれこれ買い揃えても仕方ないのだ。

 それでも暇な時間というのは出てくる。

 


 やることがないので、暇つぶしに読書でもと思って、せっかくだから、ちょっと長いものでも読んでみようか?なんて買い揃えていくうちに、押入れに入れてある本の数がどんどん増えていった。



 まず、トーマスマンの「ブッテンブローク家の人びと」それから、トルストイの「戦争と平和」。その次が、吉川英治の「宮本武蔵」に行ったあと、「南総里見八犬伝」へ。そしてついには、「プルタルコスの英雄伝」……。

 そのうちマルセルプルーストが飛び出しそうな勢い。

 実はチョイスに統一のないただの濫読だが、それは本の調達先である古本屋の本棚と相談してのこと。



 お隣も上も下も、ご近所さんだっていないような、図書館なんかより遥かに静かな環境なので、他に気をとられることもないままに読みふけることができた。



 その日もそんなふうにちゃぶ台の上に広げた文庫本の上に視線を滑らせながら、頬杖をついているゆかりの元へたずねてきた人物がいた。


「こんにちわー」

 

 声の主がそう言っていきなりドアを開けると、ゆかりも驚いたそぶりもなく、

「あっ、いらっしゃい!」

 と声を掛けてすぐに迎え入れたのは、あらかじめ訪問の約束があったからである。


 

 たずねてきたのは、ゆかりの親友、辻倉あやである。

 本日はいつものバック以外に、麻地のトートバックも下げてきた。大学の教科書でも入れているのだろうか?と思うかもしれないが、実は違う。

 というのも、本日の訪問はただゆかりの元へ遊びに来ただけじゃないのだった。



「味のほうは、あんまり自信ないけど……」

 と言って、そのトートバックから取り出したのが、お弁当箱二つ。


「あ、ありがとう!もうここの仕出しのお弁当にもいい加減飽きちゃってたところだったから、すごいうれしい!」


 というわけで、今日はあやの手作りお弁当を差し入れ。それでもって、二人でお昼を食べましょうということであった。



 黒いボディーをしたお弁当箱は、フタのところにポップなハート柄を散らしてある二段式のスリムタイプ。そしてもう一つが、リラックマの平型お弁当箱。

 容器は違うが、中身は同じである。

 今日の朝早くから、あやが作った手作りお弁当。


 ちなみに、本日はあやのご両親も彼女の手作りお弁当をお昼に食べるという。



 じゃあ、さっそく、お昼にしましょうか。ゆかりが台所からお茶っ葉を入れた急須を持ってくると、片隅の灯油ストーブの上で湯気を立てている、ブリキのヤカンのお湯をそれに注ぎいれて、飲み物の準備も完了。


「じゃあ、いただきます」

 と二人で揃って手を合わせたあと、二段式のお弁当をゆかりが広げると

「うわーっ!おいしそうっ!」

 思わず頬が緩んだ。どっちかというとクスんだ色どりをしているいつもの仕出し弁当と比べたらこちらのカラフルなこと。


「あやちゃん、これ作るの結構時間かかったでしょ?」

「それほど手の込んだものはないから、本当は早く作れるはずなんだけど、慣れないからちょっと手間取っちゃった」

 誉められたあやがちょっと照れくさそうにはにかんだ。


 

 というわけで、本日のあやちゃん手作りのお弁当の中身はというと。

 まず、サヤインゲンとスティックチーズの肉巻き野菜。あと、ボイルした小エビには甘辛い黄金色の餡を絡めて、ちょっとすりゴマ振って。

 カツオと昆布のだしで煮っ転がしたカボチャとフキは、和風のホッとする淡味。ホタテの貝柱にベーコンを巻いて軽く焦げ目がつくまでソテーして。ハムは細かい切れ込みを入れてロールすると花みたいな飾りとしても。赤の彩りがわりのプチトマトもローストしてあるのがちょっと一手間。隙間はサニーレタスと錦糸卵で埋めてみたり。

 そして2段目には、塩昆布とオカカとたくあんのみじん切りと大葉の千切りの混ぜご飯。


 そして忘れちゃいけないのは、お弁当箱の隅っこのピンクの紙カップの中にある、ぽってりとした白い塊である。


「あっ!ポテトサラダ!。あやちゃんの作ってくれるこのポテサラ私、すごい好きなのよねー」

「ゆかりさんが、好きだって誉めてくれたから、がんばって作っちゃいました」


 ゆかりがすぐ食べちゃうのがもったいない様子で、お箸でちょっとずつつまんで食べている姿は、まるで酒飲みがイカの塩辛でもつまみにしているみたいだが、よっぽどゆかりのお気に入りなのだろう。

 実はあやも自分で作っておいて、大好きな味だったりする、お手製のポテトサラダだ。



 どうでもいいかもしれないが、作り方はこんな風。

 マヨネーズは出来れば市販のものは使いたくない。雑味が少々気になるので。

 そこで、お手製のマヨがないのなら、生クリームをベースにしっとり感をだして、風味付けととろみの調整に牛乳も少々。

 そしてゆで卵を黄身白身ともに、バランスを調整しながら入れる。このバランス調整は大事なポイント。やりすぎるとポテトサラダではなく、卵サラダみたいになるし、少ないとせっかく加えた卵の食感と風味が無駄になる。余った場合、どうするか?簡単なこと、手元の食塩を振って食べちゃえばオーケー。

 塩加減は、いっしょに加えるチーズと相談して。パルメザンとリコッタを入れてからきちんと味見しましょう。

 コショウは、黒コショウ。ジャガイモの中で色も風味もしっかり主張してもらうぐらいにたっぷりと。

 あと生タマネギを入れるのだけど、あくまでこれは風味付け。薄くスライスしたものに塩をしたあと、しっかり、ギュウギュウに絞って加える。タマネギの味ではなくてツンとした風味だけをアクセントにします。だからここではペーパータオルはNG。ちゃんと布巾を使わなければ絞れない。

 旨みには、しっかりと炒めたベーコン。ハムでもいいけど、やっぱりベーコン。なければ、脂身の多いミンチ肉でも可。

 彩りと甘味として、小さくカットしたニンジンとセロリをソテーしたものを加え、酸味には、煮詰めたワインビネガーを加えて、香り付けに最後オリーブオイルをヒトたらし、で、あやちゃん特製ポテトサラダが完成。



「けど……」

 見た目も味も文句のないお弁当だったが、食べながらゆかりがふと、不満そうな顔をした。

「なんですか?」

「このお弁当、錦糸卵は入れてあっても卵焼きはないのね?千切りにする手間とか考えたら卵焼きつくるほうが簡単じゃない?」


 ゆかりの指摘を受けたあやが笑った。

「それは、ゆかりさんに敬意を表しまして」

「どういうこと?」

「わたしもいろいろとやってみたけど、卵焼きに関してはゆかりさんみたいに、ふっくらして食感もしっかりしているっていうあんな上手に作れないから」


「そう?あんなのは慣れだと思うけど」

「職人じゃないから、そんなに毎日卵焼きばっかり焼けませんよ」

「そんなに難しかったかなあ?」


「卵焼きのコツってあるんですか?」

「うーん。なんだろう。けど、オムレツとは違うのよ。たとえて言うと、タンポポオムレツっていうのあるでしょ?」

「はい、黄身がトロトロ半熟のやつ」

「あれが、焼き方で言うと、レアだとして、普通のオムレツはミディアム。そして、卵焼きはウェルダムに仕上げるってことかな?焦がしちゃだめだけど、焼き色は薄くならオーケーでしょ?オムレツよりも、固くていいの。

そんなイメージ」



 図書館よりも静かな、オンボロ寮の一室でそんなことを話しながら二人がポソポソとお弁当を食べていた。音を立てるものが、室内の二人と脇においてある灯油ストーブぐらいしかこの部屋にはなかった。


「ところであやちゃん、いつまで皿洗いの応援に入るの?」

「あっ、それですけど、昨日には草壁さん、手のテーピングもすっかり取れたらしくて、もう明日から職場復帰するって言ってましたよ」


「あ……そうなんだ」


「……」

「……」


 ここで、それまで弾んでいた二人の会話がピタッとやんだ。

 あやは、時々上目遣いで目の前のゆかりの様子を確認するが、ゆかりはまったくそ知らぬ顔でずっとお弁当箱を覗き込んで箸を動かすばかり。


 そして、しばらく沈黙が続いたあと、あやのほうから、おずおずと口を開いた。


「あの……」

「ん?何?」


「怒ってます?」



「なんで私が怒ってなきゃいけないの!」


「だって、この前のときのこと、ちょっと根に持っていそうだし」

 つまり、あやが草壁にお弁当を食べさせてあげるなどという、とても親しげな行動をしたことをだ。


「根に持つってどういう意味よ!」

「今まででも、そういうことがちょいちょい」

「ありません!」


 しかし、とあやは思うのだ。

 目の前でふくれっつらしてポテトサラダをつまんでいる、この人、幸い自分には嫉妬の矛先を向けてはこないが、多分アチラさんには、きつくあたりそうだな、と。

 

(草壁さんもメンドクサイ人、好きになっちゃったもんだなあ……)



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 やがて手の怪我も一応回復した草壁が双葉荘のバイトに戻ることになった。

 未だに、あの一件以来、口を聞いていない二人だった。ということは草壁にしてみるとゆかりが怒っているかどうかの確認は取れていないということだ。

 が、これまでの経験で一応わかる。

 多分、怒ってる、と。

 まあ、こっちのちょっとしたオフザケに過ぎないというのは向こうも知っているだろうから、台風みたいなことはないだろうが、ちょっとした低気圧の通過は覚悟しといたほうがいいかもしれない、と。



 約一週間ぶりの職場復帰。

 また、あいつら3人組のお守りか。と思っていた草壁だった。

 実は、そこで、ちょっとうれしいことがあった。

 一応、迷惑を掛けた女将と若女将への挨拶のために双葉荘の事務所に赴いたところ、ようやく自分の後釜らしいバイトが補充されたという話を聞かされた。


 近いうちに仕事に入るから、しっかり教えてあげてね。

 と、若女将から頼まれて、ついに自分もここのバイトから逃れられると、ちょっとホッとした草壁だった。

「残念ね。本当にやめちゃうの?」

 女将のレイコが名残惜しそうな顔でそう言ってくれたのが、なによりのねぎらいの言葉だ。

「春休みや夏休みの時期になったらまたおいでなさいな」

 などと言われて、思わず「よろしくお願いします」と頭を下げそうになるが、ここで情にほだされたら、本格的に泥沼に足を取られそうな気がした草壁。すかさず。


「いやあ、休暇には実家に帰っちゃうので、なんとも……それに来年はもう就活の準備とかもあってのんびりしてられないと思います」


 さりげなくお断りをすることも忘れなかった。


「あら、そうなの……就職、なんだったらウチに来ること本気で考えてもらってもいいのよ」


 隣で若女将の芳江が驚くようなことを、レイコが言った。お義母さん、お世辞じゃなくて本当にうちの社員にスカウトするつもり?

 悪い子じゃないと思うが、草壁のことをそれほど買っていたわけじゃない芳江にしてみたら驚きである。

 来て貰うんなら別にかまわないけど、この普通の感じの大学生をお義母さん、なんでそんなに気に入っちゃったんだろう、って思ったら、草壁のほうが及び腰。そりゃそうかもね、ご実家からは遠いこんなところに骨を埋める気にはなれないでしょうね。



 何はともあれ、職場復帰と言ってもあと1週間ほどで、草壁はこの双葉荘からはさようならというわけだった。




 そうして、挨拶も済ませた草壁、すこし早いがそろそろ着替えて仕事の準備にとりかかるか。と思って旅館の廊下を歩いていると、そこには、最近ではすっかり見慣れた青のツナギにキャップ姿のゆかりが、手すりを雑巾で拭いているところに出くわした。


 草壁にしてみたら、「あっ!」って思うわけだろう。

 ゆかりの姿を確認するなり、しばらく動きが止まった。一方、こっちには目もくれずにもくもくと拭き掃除にいそしんでいるゆかりは、気づいていないのか、わざと無視しているのかはちょっと分からない雰囲気。


 微妙に気まずい思いはあったが、逃げ出すわけにもいかない。

 何気ない様子を装いながら、ゆっくり近づき、「どうも!忙しそうですね!」と勤めて笑顔で明るくゆかりに話しかけた。すると、向こうは顔を上げもせずにそっけなく。


「それがわかるんだったら、むやみに話しかけないでくださいね」


 と冷たい一言。

 台風じゃないが、熱帯低気圧ぐらいにはなってるじゃないか!この人もそうとうヘソを曲げるとしつこい。


「あの……怒ってます?」

「なんなのよ!みんなして、怒ってる、怒ってるって!」


 『みんな』の意味が草壁には分からなかったが、それなりに怒っていることは確かな様子だ。


 いったんねじれた心の糸はちゃんとほぐしてあげないと、余計にこんがらがる危険もある。

 ここはきちんと弁解しておくに限る。


「あやさんをバッティングセンターに誘ったのだって、そっちが挑発的なこと言うからで」

「そんなこと怒ってません!」

 と言って、立ち上がったゆかりが雑巾片手のままそっぽを向く。分かりやすい『怒ってます』のジェスチャーだ。


「お弁当食べさせてもらったのは、向こうが手の怪我の責任を感じて……」


 草壁の弁解をゆかりは最後まで言わせなかった。

 ジロッと彼の顔を睨みつけて


「絶対、ウソでしょ?あなたが何も言わないのにあの子が自分からするわけないもの!」


 急に声のトーンが上がるゆかり。草壁もその勢いにちょっと気を呑まれてしまい、言葉が出ない。すると、畳み掛けるように、一気にゆかりがまくし立てた。


「どうせ、『あれは、僕もうかつだったんだから、気にしなくていいよ』とかなんとか言いながらいい人ぶって、そのあとあやちゃんの前で『イテテテテ』って大げさに痛がって見せて、向こうに心理的なプレッシャーをさんざんかけたあと、わざとらしく目の前でフォークを転がして見せて、それを拾わせてから――」


 ゆかりが草壁の目の前で大きく口を開いて見せた。お嬢様、ちょっとはしたないマネです。お口の奥が見えちゃいます。

 目は相変わらず笑っていないので、定期歯科検診みたいなったゆかりが大きく口を開きながら

 


「――『あーん!』ってやったんでしょ!!」


「ずっと見てたんですか?」

 驚く草壁。事実はまさに今ゆかりが目の前で言ったとおりだ。



「見てなくても想像つきます!……わたし、忙しいんで」


 再び、手すりの拭き掃除へと黙々と戻るゆかり。

 これは、まだ機嫌が直るのにちょっと時間が掛かりそうだと草壁も観念せざるを得なかった。




 そして、その翌日のこと。

 早めの出勤となった草壁が若女将に請われ、久しぶりに旅館の歓迎看板を書いているところへゆかりが通りがかった。


「何やってるんですか?」

 とゆかりのほうから尋ねてきた。とは言っても話しかけているのは草壁じゃなくて、隣で草壁の筆使いを感心しながら覗き込んでいる若女将へなのだが。

 本格的にヘソを曲げてるなら、草壁の近くには寄ってこないだろうから、まあ、すこしは気もほぐれたのだろうか?


「彼、書道6段で師範の資格持ちらしいのよ。字、上手でしょ?」

「すごい……知らなかった」

 草壁のすぐ背後までやってきたゆかりが感嘆している。そういえばそんなこと、ゆかりに話したことはなかったと思っていると、若女将が言わなくていいのに余計なことを言う。


「あなたも彼に字を習ってみたら?」


 ここで、ちょっと話の接ぎ穂でも見つけて、簡単な雑談でも交わしてちょっとずつ向こうの気をほぐそうって思ったら、空気ぶち壊しの若女将の言葉。知らないとは言え、余計なこと言うなと草壁が思っていると、


「別に、いいです」


 そう言いながら、ゆかりはさっさと立ち去って行った。

 まだ、完全には直っていないな、これは。




 そうして看板も書き終えた草壁。

 まだ客の到着にも、仕事にもちょっと早い時間。なんとなく、旅館内をブラブラと徘徊してたどり着いたのが、一階大浴場前のフロアだった。


 エレベーターから降りて、すぐ右手に曲がったところにある、臙脂色のフカフカカーペットを敷いたそこ。そのまま歩いてゆくと、ちょっと折れ曲がって男女の大浴場の入り口へと続いている。その手前に広がる、中庭に面した大きなガラス張りのフロアは、湯上りのお客さんのためにドリンクの自販機やソファーが置いてあって、椅子の数だけで言うとおおよそ20人ぐらいの人がくつろげるようになっていた。


 ガラスの向こうは、竹矢来に囲まれた和風庭園が季節ごとの花を植えて、湯上がり客の目を楽しませるようにしつらえてあるのが見える。



 そんな大浴場前フロアには、この旅館にもお定まりのものが置いてある。

 マッサージチェアだ。



 フットレストが、左右の足を別に置けるようになっていて、マッサージ中は両足を左右からモミモミしてくれる。アームレストに手を置くと、上からカバーが自動で降りてきて上腕をすっぽり覆ってモミモミ。

 座ってみると、マッサージチェアっていうより、宇宙船のコックピットみたいな気分になれる、とてもイカツイ見た目。



 こういうものに頼らなきゃいけないような凝り性でもない草壁だったが、一度座り心地を確かめてみたいという好奇心はあった。

 もうこの旅館ともさよならなのだし、その前に気になっていたあの高級マシンのすわり心地を確かめちゃおう。


 と思って、まだ入浴客もいないガランとした大浴場フロアへと赴いた。



 フロアの壁際にはそんなマッサージチェアが、サイドテーブルと一組になって3台並んでいた。客はそのサイドテーブルの上に冷たいドリンクでも置いてそれを飲みながら、風呂上りのマッサージを楽しめるというわけだ。


 そして、そんなフロアに草壁が一歩足を踏み入れたとたん、彼の動きがピタッと止まった。


 誰もいないと思っていたフロアに一人、先客がいたのだ。


 そう、今そんなマッサージチェアに深々を身を横たえて、目を瞑りながらうっとりと揉み玉の感触を楽しんで疲れを癒している人が一人。

 ゆかりだった。


 本人が目を瞑っている上に、チェアの発するモーター音に来訪者の気配が消されてしまっているのだろう。近寄ってきた草壁がしばらく、自分の様子を興味深そうに覗き込んでいることにまったく気づいていない。

 いや、ひょっとしたら、あまりの気持ちよさに眠っているのかもしれない。


 チェアの揉み玉が彼女の肩に圧を加えながら揉み解すたびに、彼女の肩とすこし豊か過ぎる彼女の胸のふくらみがゆったりと波打っていた。



 そこで、何を思ったか草壁が何気なく、サイドテーブルに乗っかっていたチェアのリモコンを手に取ってみた。


(フーン。いろんなボタンがあるんだな……で、今が肩のマッサージというわけか……)


 瞳を閉じチェアのマッサージに身を委ねたまま、まるで寝ているみたいなゆかりをジッと観察する。これはかなり気持ちよさそうだ。


(他のところはどんな具合なんだろ)


 というわけで、横に立っている草壁がリモコンの「背中」ボタンをポチリ。


「ヒッ!!」


 急にチェアの動作が変わったせいで、驚くゆかり。

 見ていると急に身をよじりだした。


「そこ、くすぐったい!……って、何やってるんですか?草壁さん」

「ゆかりさんこそ、こんなところで何やってるんですか?」

「い、いい……か……ら、リモコン……止めて!アハハ……くすぐったいから!」


「あっ、そうですか。背中は弱いんですね」

 そうですか、背中はちょっとくすぐったいんですか。じゃあ、「肩」に戻してと。


「肩は気持ちいいですか?」

「もう!何してるんですか?へんなことしないでください」

 と言って怒るが、やっぱり肩もみが気持ちいいらしく、ゆかりはチェアから立ち上がろうとはせずに、肩をゆらしながら座ったままだ。



 そんなに気持ちいいのか……。ところで、こっちの「腰」ってところを押すとどうなるだろう?ってことでポチッ。


 すると、お嬢様急に目を大きく見開いたと思ったら急に首をもたげて、肩を大きくゆらして

「ヒャアッ!」

 って変な声を上げた。そして


「やめて!やめて!」

 やがて、大きく上半身をくねりだす。かなりくすぐったいみたいだ。


「面白い反応!」

 見ていた草壁が感心していた。

「面白がっていないで、と、止めて!!」


 あんまりいじめちゃ悪い。再び「肩」へとモード変更。


「私で遊ばないで!」

 と言いながらも、やっぱり椅子から離れないゆかり。


「見てたら気持ちよさそうだったから、揉み心地が知りたかったんです」

「自分で座ったらいいでしょ?リモコン返してください!」


 と言って草壁のほうへ手を伸ばすゆかりだが、草壁、あえてそれを無視。

 そして、今度は強さを「中」から「強」へ変更。そして、再び「背中」ボタンをプッシュ。


「もっかい『背中』」

「イャァン!!くすぐったいですって!」

「……からの、『腰』」

 すると、今度は「アヒャアヒャア!」というさっきよりさらに変な声を上げだすゆかり。やっぱり大きく身をよじる姿は、腹筋運動をするアスリートみたいにも見える。

「ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!」


「おおっ!やっぱり面白い!」



”ふざけるのはやめて!リモコン返して!”

”ハイハイ……と言っておいて、背中!”

”イヤアン!”

”今度は、腰、と思わせておいて肩”

”もう!いい加減にして!”

”すみません。……といいつついきなり腰!”

”アヒャアヒャッアヒャ!”

”これぐらいで、許してあげようかなあ、なんていいつつ「背中」”

”イヤアン。くすぐったい”

”いったん休憩で「肩」”

”これは気持ちいい”

”油断させて、再び「腰」”

”アヒァーン!”




 最終的には通りがかった、女将レイコに「いい加減にしなさいよ!あなたたち!子供じゃないんだから!」と怒られるまで、遊んでたそうである。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 つまらないことで機嫌なんて直っちゃうものかもしれない。

 いや、元々今回のことは、嫉妬というより、単なるコミュニケーション不足の重なりが生み出した、二人の心の歯車の噛み合わせの問題、と言ったほうがいいかもしれない。



 ちょうどその日の皿洗いのシフトが、あの3人組のうち岩城と福田が休みという日で、仕事は草壁、ゆかり、そして渡辺の3人ですることとなっていた。



 皿洗いのお仕事では特に語ることもない。

 もうオフシーズンと言ってもいいような1月の下旬では、客の数も少ない。本当のところは草壁とゆかりの二人で余裕でこなせるかもしれないような、結構静かな洗い場だった。


 つまみ食いの常習犯、渡辺も監視役が二人もいると思ったように残飯アサリもできないようで、いつものごとく大量の汗をかきながらもおとなしく仕事をこなした。


 そんな中、草壁とゆかりが並んで皿を洗っているところにやってきた渡辺から、珍しく

「二人ともちゃんと仕事してくださいよ」

 と逆に説教をくらったのは、暇だから二人とも気が緩んでいたわけじゃないと思われる。



 なんとなく雑談を交わしながら、のんびりてを動かしているうちに渡辺よりトロくなっていたらしい。

 言われて、二人ともちょっと、顔を赤らめていた。




 そんな調子で仕事も一応無事に済んだ。

 仕事終わりのひとっ風呂っていうのもこれであと数回で終わりかと思うと名残惜しくて、いつも以上にのんびりと浸かった草壁が、あのマッサージチェアのあるフロアに出て、壁際に数台並ぶドリンクの自販機の前へと向かった。



 見ると、某有名ソフトドリンクメーカーのロゴの入った缶ジュースを売っているものやら、紙パック入りの乳製品がラインナップのメインになっている自販機もあれば、瓶入り飲料が弾薬庫みたいにして透明ケースの向こうでずらっと並んでいる自販機もあったりして、何を飲もうか迷ってしまう。



 ここの豊富なドリンク類を前にしばらく草壁が考え込んでいると、


「草壁さんもお風呂はいってたんですか?」



 振り返ると、ゆかりが立っていた。

 ゆるく羽織ったグレーのスウェットジャケットのはだけたジッパーの下に見える、インナーの生成りのシャツのせいでスポーティというより、かなりガーリーな印象の着こなし。

 デニム地にも見える光沢のあるつるんとしたマキシスカートは今までに何度かみたことがあるような気がした。


 すっかり化粧っ気もおちた風呂上りの肌は、むしろ上気のせいか明るい色のファンデーションを乗せているみたいにツヤっと光っていた。多分リップグロスすらしていないと思うわれるが、さくらんぼ色の唇は赤ちゃんのそれみたい。


 簡単に乾かしただけの黒髪からにおい立つリンスの匂いがかすかにした。



 そういえば、こんなに近く、こんなに穏やかな彼女を見るのは久しぶりかもしれない。

 風呂上りとは違う、熱気を体の奥から感じながら、しばらく草壁はすぐ目の前で微笑む彼女をじっと見つめていた。




 そこで、二人はそれぞれドリンクを購入した。

 草壁はコーヒー牛乳を。スマホほどの大きさをした250mlの紙パック入りのやつである。

 そしてゆかりは飲むヨーグルトを。こちらは、それより一回り背の小さな200ml入りのやはり紙パック。



 なんとなく、二人でゆっくりドリンクでも飲みながら雑談でもしようか?という雰囲気になったが、風呂上りの客のくつろぐ大浴場前ロビーというのは、大体が観光でやってきたような客ばかり。彼らは少々くつろぎすぎている。マッサージチェアに揺られながら「アーッ」なんて低い声唸っているのだとか、浴衣の前をはだけさせて、酔っ払いながらウロウロしているオヤジがたむろしているのだった。



 フロント前のロビーは、やはりバイトの身では大きな顔で談笑するわけにも今はいかない。


 二人にとって、ゆっくりできる場所、というと、自然ともう人気のない厨房ということになった。



 それぞれ自販機で買った紙パックを持って洗い場に戻ってくると、思ったとおり人は誰もいない。

 調理担当の料理人も、バイトももうすっかりいなくなると、ホテルの片隅のこのちょっとした宴会場なみの広さのあるスペースは、とても静かに変わる。


 

 さっそく、必要最小限の照明だけつけると、二人はいつも弁当を食べるステンレステーブルについた。

 片手で軽々持ち上がる、背もたれのない丸椅子をちょっと動かす音さえも、耳障りになりそうなぐらいの静謐に包まれた室内だ。

 

 なんとなく、急に話題を作るのもわざとらしい気分をお互いに感じながら

「草壁さん、もうすぐここのお仕事終わるんでしょ?」

「はい、ゆかりさんはいつまでいるんですか?」

「わからないです。予定とか聞いてないから」

「そうなんですか……」


 と当たり障りのない話を続ける二人。

 

 一応、せっかく買ってきたドリンクだ。両人が揃って、紙パックが背負っているストローを袋から取り出したときである。

 厨房が静かなせいで余計に分かっちゃうのだろうが、二人ともお腹がなった。


”あっ、今わたし、お腹鳴っちゃった!””ぼ、僕も、そう”

 

 今日は楽勝で終わったが、仕事終わりに小腹が空くのはよくあること。

 このまま、またいつ鳴るか分からないお腹を抱えながらじゃ落ち着いて話もできない。

 というわけで、二人はホテルの売店へなにか買いに出かけることにしたのだった。


 


 そして、ロビー近くの売店で、草壁はアンパン、ゆかりがメロンパンを買った。

 

 それはいいのだが、実はこのとき、二人の留守を狙うかのようにしてある人物が厨房にさ迷いこんでいた。

 もう残飯はないのだが、食い物の匂いがしそうな場所というのをなぜか敏感に感じ取る、例のアイツ。



 売店でパンを一つずつ買うだけのことなので、用事なんかはすぐ終わる。

 厨房に侵入した渡辺がテーブルの上にまだ手付かずのまま放置されている、コーヒー牛乳と飲むヨーグルトを発見し、それに何のためらいもなく手を伸ばしているとき、すでに二人は買い物を済ませてこちらに戻ろうとしていた。


(この様子じゃあ、多分、すぐにこの飲み物の持ち主は帰ってくるに違いない)

 そう判断した渡辺。さっさとミッションを終えねばならないということで、とにかくあんまり考えずに、テーブルの上に置いてあったコーヒー牛乳に手を伸ばす。


 ストローはさきほど、二人とも容器から取り外したばかり。

 机の上には長いのと短いの、二本のストローが転がっている。

 どっちがどっちとかあんまり考えずに、渡辺は短いほうのストローへ手を伸ばして、急いでまだ口の開いていない飲み口の穴にぶっさした。

 しかし、背の高いコーヒー牛乳に短いストローを入れたせいで、ストローは全部容器の中に落ちてしまう。

「わっ!もうメンドクサイ!このまま飲んじゃえ!」


 渡辺は小さく開いたストロー穴に吸い付いて、そのままチューチュー言いながらやがてコーヒー牛乳を飲み干した。


 そして残る飲むヨーグルトに手を伸ばそうとしたとき、出入り口扉に人の気配を感じたので、それには手をつけずに大慌てで、勝手口から逃げ出したのだった。




 ちょうど、二人がパンを買って厨房に戻ったとき、以上のような出来事が起きていた。

 だから、旅館廊下側の出入り口扉を開けたとき、奥の勝手口が「バタン!」と音を立てたのを聞いて、草壁とゆかりも驚いた。

 まさか、自分たちがいない間にここに誰かいるとは思わなかったから。



 一瞬、二人が驚いた顔を見合わせて突っ立っていたが、最初にゆかりがその部屋での異変に気が付いた。


「あっ!コーヒー牛乳がない!」


 言われた草壁がステンレステーブルに近づいて辺りを見渡すと、すっかり中身のなくなってペチャンコにへしゃげたコーヒー牛乳の紙パックをゴミ箱の中に発見した。


「飲まれてる……」


 あの短い間にここに侵入して、他人の飲み物を勝手に飲むような人間といえば、アイツしかいない。


「渡辺クン。まだ帰ってなかったのね」

「さっき勝手口のドアの音がしたけど、あいつ僕らの気配を感じて逃げたんだ!」



 もうなくなっちゃったものは仕方ない。

 今更また買いなおしにでかけるのもメンドクサイ。喉渇いたら、従業員用に冷やしてあるお茶でも飲んどくか。と思った草壁は、そのままゆかりとともにステンレステーブルに座って、アンパンの袋を開いた。



「ついに草壁さんも被害者になっちゃいましたね。もう一分戻ってくるのが遅かったら多分、私のヨーグルトもなくなってたと思います」


 草壁の目の前に座ったゆかりは、かろうじて難を逃れた、自分の飲むヨーグルトの容器に手をのばす。


 テーブルの上には一本だけストローがあるので、それを手に持つゆかり。

 それは渡辺がヨーグルトのストローを持っていったせいで、本来コーヒー牛乳用の長いストローである。

 

 水色をした四角い紙箱の上隅にある丸穴の薄いビニールの膜に、それをゆっくりと力を入れながら押し込んでゆく。

 ストローは飲み口が締め上げる、滑らかな抵抗を受けながらもスッと奥に飲み込まれるように中に入ってゆくと、白いヨーグルトを湧出を半透明な筒の表面に見せていた。



 唇をストローの先にちょっとつけると、一口、ゆかりはそれを飲んだ。



 草壁はしばらくそんな様子をジッと目の前で見つめた後に、ぽつりとゆかりの手に持っている飲むヨーグルトを指差した。


「そのストロー、僕のコーヒー牛乳のやつですよね?長いですし」


 言われるまであんまりそんなことを気に掛けなかったゆかりだったが、確かにそういわれればそうかもしれない。このタイプの容器のドリンクを何度か飲んだことがあるが、いつもは一杯までストローを挿入すると、飲み口にキスするみたいに飲まなければいけないのに、今は奥まで挿したストローが3,4センチも頭を出している。


「確かにそうかも……けど、それがどうかしました?」


 ゆかりにしてみたら今更そんな指摘されてもコーヒー牛乳はないし、もともと自分のドリンクについていたストローもないのだから、こうするしかない訳だ。

 すると、草壁がものすごい強引なことを言い出した。


「ということは、そのヨーグルト、半分僕のものじゃないですか?」

「なんで、そうなるんですか!」


 いきなりそんなこと言われたらゆかりでなくても驚くだろう。しかし、目の前の草壁は大真面目らしい。眉一つ動かさず平然としている。


「そのストローないと、飲めないでしょ?」

「そんな理屈をいいますか?」

 合ってるようで、無茶苦茶な気がする。

 すると、草壁は急に拗ねた顔に変わった。


「前に、ゆかりさんがプリン食べられたときは、プリンアラモードおごってあげたのに、僕が被害にあってるのを見て、ヨーグルトの半分もくれないなんて……」


 ゆかりは思った。なるほど、”タダより高いものはない”ってこういうことを言うんだ、と。




 結局、二人はひとつのドリンクをシェアすることとなった。

 

 ゆかりがメロンパンを小さくちぎって、口に入れると、チュッと小さくヨーグルトを飲んで、草壁の目の前に紙パックをトンと置く。彼のほうもアンパンをちぎって食べながら、遠慮がちにヨーグルトを吸い上げて、ゆかりの目の前にトン。


 久しぶりだから、なにかおしゃべりでもしましょう。

 というつもりで二人になったはずが、今まで以上に押し黙ったまま、夜食を食べることになった二人。


 お互い、あんまりヨーグルトのほうは見ずに、またそれ以上ドリンクの話をすることもなく黙々とパンを食べ続けた。


 

 

 やがて、持ち上げた容器の重さから判断して、あと数口も飲めばヨーグルトもなくなろうとしていた。砂時計の残りの砂もあとちょっとといったところ。

 そのことに気づいたゆかりは、手にヨーグルトを持ったまま、ポツリとつぶやいた。


「私、きっと子供っぽいんですよ」

 草壁は黙って彼女のほうを見ているだけだ。


「こんな面倒くさいヤツのことなんか見切りつけてちゃんと彼女みつけたらどうです?」

 ゆかりがそう言って草壁を見た。冗談でも返してくれるかと思ったが、草壁は怒ったような顔でゆかりを見ているだけだった。

「わたしは、ずっとこんなのですから、さっさと諦めてください」


 草壁にまったく笑顔ないのを十分承知で、あえて冗談めかした軽い調子でそう言ったあと、微笑むゆかり。

 私たちは、ずっと『お友達』ですから、そのつもりでよろしくお願いします。と、でも言いたげに。

 言い終わると、ゆかりは最後の一口残ったヨーグルトを、ズズッとすこし乱暴な音を立てて飲み干したあと、食べ終わったメロンパンの包装とともにゴミ箱に捨てた。


「それにしても、渡辺君、困った人。他人のものを勝手に!!」


 ずっと押し黙ったままの草壁の様子をわざと無視しながら、ゆかりがすこしわざとらしく大きな声を出して、場の空気を変えようとしていた。


「放っておいていいんですか?捕まえて、弁償させたほうが?」


 相変わらず草壁はゆかりを何か言いた気にみているばかりだったが、ゆかりにそう聞かれると、こちらも食べ終わったアンパンの包装をゴミ箱に捨てると。

「そうですね――」


 とゆっくりと立ち上がりながらおもむろに口を開いた。

 そして、


「いつか必ず、捕まえて見せます」

 と背中で答えて、ゆかりを厨房に残したまま帰っていった。

 だから、そのときゆかりがどんな顔をして自分の言葉を聞いていたかを知らない。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 どうでもいいことだが、後日草壁はあのマッサージチェアの揉み心地というのをいやというほど体験させられた。

それも、あのときゆかりが座っていたやつの隣にある、見た目同じように見えてそれより一段値の張る、最高級機の方で。

 この最高級マッサージチェアのどこが違うかというと、マッサージモードの中に「全身揉み倒し」の「鬼」モードというのがあって、それを受けると――。


 一本釣りされたマグロみたいに、チェアの上で何度も元気よく飛び跳ねながら、悶えることができるという貴重な経験を体験できるのだった。


 もちろん、そのとき草壁の隣に立ってニヤニヤしながらリモコンを握っていたのが、ゆかりだったことは言うまでもない。



 そして、またもやレイコから「いい加減にしなさい!」と怒られたことを最後に付け加えておく。




第42話 おわり

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