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第40話 ねがいごと

 さて、物語のほうもいよいよ年が明けて……ということになるのだが、その前に、草壁圭介の身の回りに起こったちょっとしたことについてから、お話を始めてみたい。



 温泉旅館「双葉荘」での草壁のバイトであるが、もともとは期間限定という約束だった。

 それも、繁忙期の終わる冬休みの終了とともに、草壁のお役もご免。彼にしてみればそれだけ稼げば、とりあえずの目標である自転車、それもちょっと値の張る「ロードレーサー」の購入のめども立つ。それに、正月が開けたらいくら暢気な彼としても、期末の試験へむけて勉強もしとかないといけない。

 というわけで、本来ならあと1週間ほどで、あの能無し3人組のお守りも終わりと思ってた矢先のこと。



「ええっ!期間延長?」


 旅館事務所に呼び出された草壁が若女将から拝み倒された。

「そう、1月いっぱいまでお願いできない?」


「僕だって学校が忙しくなってくるんですけど」

「今あなたに抜けられると厳しいのよ」



 呼び出されて顔を出してみると、若女将の芳江と、女将のレイコの二人がいつも以上に愛想よく「お菓子食べる?」「お茶はなにがいい?コーヒーか紅茶がいいなら淹れるわよ」なんていいながら、事務所のソファーへと草壁を誘った。

 その時点でイヤな予感がしていたが、草壁がソファーに腰を下ろすなり、すかさず若女将が彼のとなりにぺったりと張り付き、そして女将のほうは、テーブルを挟んで彼のどまん前に座をしめた。

 金持ってそうな客を見つけたボッタクリバーのホステスみたいなフォーメーションだ。


「お礼もはずむから」

 普段はおしとやかににこやかな女将のレイコが、ちょっと悪い顔で笑っている。あんまりこの人が、エサで人を釣ろうというところを見せないからちょっと意外な一面を見た気分もする。


 

 なんにしても、草壁を1月一杯までは引きとめてやろうと、追い込みを掛けている。

 雰囲気としては、ナニワ金融道みたいになっている。いやだなあ、そういう雰囲気。



「はずむって言いますけど、そりゃもらえるのはうれしいですよ……」

 なかなか態度をはっきりしない草壁に若女将が急に説教じみたことを言い出した。


「だいたい、あなたも悪いわよ」

「どうしてですか?」

「今まで、ちゃんと後進を育ててないからこうなるのよ!」

「後進ったって、あの3人組みが簡単にどうにかなると思ってるんですか!」


 ちゃんと後進候補を補充してくれないそっちの責任じゃないか。


 若女将と草壁がそんなことを言い合っていると、目の前のレイコがまたもや、ニヤニヤしながら

「じゃあ、あの子たちが一人前になるまで、ってことでどう?」

 という無茶苦茶な話をしだした。そんなもん一月一杯どころの話じゃなくなるじゃないか!


「それ待ってたら、僕、ここを辞めれなくなりますよ!」

「そうすれば?うちで正社員というのは?」

 暢気にそう言って笑っている女将は本心なのか冗談で言っているのかちょっと分からなかった。どちらにしても怖い人だ。いっつも調子の軽い若女将と違って、こういう人は時々冗談と本気の区別がつかない。

「僕にもいろいろと将来設計というのはありましてね」

 一応、4年制のそこそこの大学出るんだから、それなりの企業に……というか、なんというか……。

 将来か……。


 女将レイコとのそんなやり取りをしながら、草壁も話のついでに飛び出した「自分の将来」について、ちょっと思いを馳せて茫洋とした気持ちになっているところで、


「とにかく、あと一ヶ月だけ。お願い!!」

 と文字通り拝まれて、しぶしぶ首を縦に振った草壁だった。


 かくして、双葉荘の皿洗いのバイトはあと一月続くこととなった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 そんなわけで、気が付いたら年が改まってしまった。


 ここひまわりが丘で親元を離れて暮らす、草壁、ゆかり、亮作の3人は申し合わせたかのように、実家へ帰ろうとせず、大晦日の夜はツルイチを交えていつものメンバーで宴会をして年を越した。


 


 そして年が明けたお正月、元旦。

 草壁もゆかりも双葉荘へは夕方からの出勤、そして、ちょうどあやもそんな予定ということもあって、3人で揃って初詣にでかけることにした。


 どこに出かけるか?

 

 そのとき、あやが「松木神社」に行きたいと言い出した。

 覚えておいでだろうか?病院で草壁の目の前からゆかりが黙って消えたあと、彼女が巫女のバイトをしていた神社である。そしてそこでの再会から、お話はスタートしたわけだが……。


「……あれ?なんであやさんがあの神社の名前を知ってるんです?」

 草壁が驚いた。

「私が、去年の春まで働いていたことをあやちゃんに話したら、一度行って見たいって言うから」

 

 ちょうど、大晦日の飲み会で顔を合わしたときにゆかりからそんな経緯を聞かされた草壁。まあ、それなら僕もついて言っていいですか?ということで、3人での初詣となったわけだった。



 その松木神社までは電車にゆられて数駅。駅からは徒歩で15分ほども歩くだろうか?

 駅を出ると、よく晴れた元旦の午後の静謐の中で、町自体もひっそりとしていた。前夜夜更かしした人たちは、まだお休みしているのかもしれない。

 

 草壁にとっては、去年の春まで1年ほど住んだ町に久しぶりに足を踏み込んだということになる。

 不思議と懐かしい気がしてくるものである。馴染んだというほど長く暮らしたわけではなかったが。


 

 明治神宮やお伊勢さんみたいな超メジャーどころではないから、駅に降りた直後にはあんまり人気も感じなかったが、そこからちょっと歩くと、車道脇に整備された遊歩道の舗装が、綺麗な石畳に変わってくる。道幅も通行人のためにゆったりと拡張されたところまで来ると、街路樹の植え込みの合間合間に、縁日の屋台がちらほらと並んでいるのが見えてくる。と、同時に初詣客の人の流れも賑わいを見せてくる。



 そして神社近くまで来ると、車道の真ん中をバリケードと交通課の警官が塞ぎ、歩行者天国へと変わった。

 その辺まで来ると、小高い丘の上に立つ社殿の茅葺の切り妻屋根が、生い茂る楠の林の中にチラッと見えてくる。


「私、ゆかりさんと二人で来るつもりでいたのに、待ち合わせのひまわりが丘の駅に行ったら草壁さんもいっしょに立ってたからちょっとびっくりしました」

 神社への参道を歩きながら、あやがそう言ってちょっと驚いていた。ちなみに、本日は草壁はもちろんのこと、女子二人組みも普通の洋服姿。

 初詣を済ませたら旅館でのバイトがあるからである。


「まあ、僕も、この辺久しぶりだから、ちょっと来てみようかな?って」


「草壁さんも、ゆかりさんが巫女のバイトしてたの知ってたんですか?」

「うん……まあ……」


 

 以前にも書いたが、小高い丘の上に立つ社殿までは、ふもとからまっすぐに石畳の階段がまっすぐに伸びている。体力のある草壁たち一行でも、頂上の本殿まで行こうと思うとちょっとくたびれそうになる。参道は杖を付きながらも元気よく急勾配を登ってゆくお年寄りから、元気一杯駆け足で一気に上りきる競争をする子供たち老若男女の群れで、列車到着直後の駅の階段みたいな賑わいを見せていた。3人もそんな人波に紛れてゆっくりと上って行った。



 そんなことを話しているうちに、3人もやがて本殿のある丘の上にまでやってきた。

 

 見ると、人の賑わい以外は春に訪れたときと変わらない。

 すぐ右手にたつ、二人でおみくじを結びつけた樹木もそのままだ。

 そして、その前にはあのときおばあちゃんたち御一行が座っていたベンチ。今日も石畳の急勾配をやっと上りきったおばあちゃんが、よっこらせっと3人腰掛けている。


 そちらとは反対側には、手水場と売店のある社務所の建物。縁起物の破魔矢や絵馬、そしてもちろんおみくじを求める人で、まるっきり縁日の屋台みたいな賑わいである。

 

 石段を登ってからまっすぐ進んだ3人が、人ごみの中でちょっと肩をすくめながら本殿への参拝も済ませると、売店のほうへと皆を誘おうとするあや。



「せっかくだから、おみくじ買ってきませんか?」



 まあ、神社に来たらおみくじのひとつも引いてみたくなるのは人情。

 わざわざ電車に乗って初詣に来て置いて、かしわ手たたいて、ハイ、オシマイ、というんじゃ淋しいだろうし。

 しかし、普段だったらこういうことに割りとノリよく、ほいほい従う草壁が、そこで急に真面目腐った顔で


「僕はいいです。もうおみくじは買わないので」


 と妙は言い回しできっぱりと断ったのであやが、不審げにきょとんとなった。


「どうしたんですか?おみくじでなにかあったんですか?」

「去年、ここでいいクジを引いたから、もうおみくじはしないことに決めてるんです」

 

 すると、その言葉を聞いたゆかりが急に笑い出した。

「あの、フトキチっておみくじですか?」


 そういって、二人だけが何かしっているみたいにクスクス笑いあっている。あやが余計に不思議に思って一体なんのことか聞いて、そこで初めて草壁とゆかりが春にここで出会っていたということと、そこで変なクジを引いたということを知らされて驚いた。



「えっ、それじゃ、二人って隣同士になる前から知り合いだったんですか?私、知らなかった。どうして黙ってたんですか?」


 確かに、隠すようなことじゃないはずと思えるだろう。それを二人が揃って黙っていたなんて。

 あやに突っ込まれると、ゆかりは涼しい顔でこう言ってのけた。


「ここで顔を合わしただけのことを、知り合いになったとは普通言わないでしょ?」

「わかるようで、わからない説明ですね、それ」



 そう言って、不思議そうにゆかりを見るあやだった。

 もちろん、あやは知らないのである。ここでの出会いは実は再会であって、最初に出会ったのはゆかりが自殺に失敗したあと運ばれたあの病院であることを。

 もちろん、ゆかりが不倫の恋に破れて、ショックで自殺をしようとしたことも、いまだ彼女は知らない。

 いくら親友とは言っても簡単に話せる話ではないのだろう。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 そうこうするうちに正月も明けてしまったある日。



 草壁は、ゆかりのクルマである青のラパンのハンドルを握り、ルームメイトであるゆかりの弟の長瀬亮作とともにドライブに出かけた。


 ドライブ、などというと大げさだろう。ちゃんと目的がある。

 とある人のお見舞い、であった。


 実は、彼らのもう一人のルームメイトである普段はパチプロ、そして今は短期の約束でこちらも双葉荘の厨房の手伝いに入っているツルイチさんが入院しているので、そのお見舞いに出かけたのだった。

 病気、と言っても、それほどたいしたものではない。病名は「痔」。

 長くカタギの仕事から遠ざかっていた人が、まともな仕事をしたせいか知らないが、年末ぐらいから急にお尻の調子が悪くなった様子で、仕事にも支障をきたすというわけで、年明け早々に手術をしたのだ。

 手術自体は軽いもので、2日間ほど経過の観察のための入院をして、支障なければすぐに退院という軽いものだったが、それでも入院は入院。

 普段、あれこれとお世話になっている。か、どうかは分からないが、一応同居人のよしみということでちょっとお見舞いに行ってみようということになって、こうして二人揃ってお出かけとなったのだ。



「おい、お前の言う交差点ってアレか?」

「もうひとつ先かもよ?」

「どっちだよ?!」

「あっ、やっぱりここだった!」

「っておまえ、交差点入ってから急に言うなよ!あぶないだろ」

「仕方ないから、Uターンする?」

「だめだよ、ここUターン禁止だから、右曲がってコンビニの駐車場に一旦はいるわ」

「草壁クン、しっかり運転してくれないと……」

「おまえのナビのせいだろ!」



 ハンドルを握る草壁のとなりでは、亮作が地図とにらめっこしていた。土地勘は乏しいふたりだ。そこへまったく行ったことないような場所に行かなければならいが、実は「あの」カーナビが現在故障中で使えないのだった。そこで、ナビ役を助手席の亮作が務めながらのドライブ。

 ところが、このおぼっちゃんが割とのんびりとしていて地図を読むのが苦手らしい。


 右だ左だといちいち指示を出すタイミングが悪いので、草壁のハンドルさばきもつねに乱れた。

 舗装も綺麗なまっすぐな車道の上で、このクルマだけがまるっきり初心者というよりも、教習所コースを走っているみたいに、グラグラしながら危なっかしい軌道を描いて走っていた。



 なにしろツルイチさんの入院している病院というのが、大きな総合病院じゃなくて、住宅街の中にある規模の小さな専門病院ということで、地図を見ても、なかなか入り組んだところに建っているようなのだ。




 そんなドライブの最中のことである。

 草壁はゆかりについてのとあることが気になっていたので、彼女の実弟である亮作にこんな質問をしてみた。


「なあ、ゆかりさんって、去年、神社で巫女のバイトしてただろ?」

「うん」

「そのころってやっぱり暗かった?」


 そう、あのころのゆかりの普段というのは彼は知らない。

 もちろんそのころは、まだ自殺に失敗したショックというのから完全に立ち直れてはいなかったかもしれないだろうから、いくらか今よりは暗かったかもしれない。

 が、草壁が急にそんなことを亮作に聞いたのも実はあるきっかけがあった。


 

 というのは、先日の初詣でのことである。

 あの松木神社の境内で引いたおみくじの話をしながら、草壁たち3人が神社売店ちかくで立ち話をしていると「あっ!長瀬さん。元気にしてた?」って、当時のバイト仲間の巫女さんからゆかりが声を掛けられた。

 相手は仕事中ということもあって、長話もしていられないようだったが、そんな知り合いと久々に出会って挨拶を交わしながら、ゆかりがおしゃべりをしていたときのこと。

「最初、長瀬さんって気が付かなかった。雰囲気かわったね。アノ頃はもっと無口で静かな雰囲気だったもん」

 などとゆかりが言われていたからである。

 言われたほうは、笑ってごまかしていたが、チラッと耳に入ったそんな知り合いの証言が草壁にはちょっと意外だった。

 あの直後、ひまわりが丘で一緒に暮らすようになってから、彼女にそんな雰囲気をあまり感じることはなかったからである。



 そして、そんな質問を草壁から受けた亮作はしばらく考え込みながら


「会うと、暗いというか、考え込んでいるみたいな様子は時々あったかなあ……」

 

 弟からもそう見えていたということか……。

 ところで、その当時の事情っていうのが、草壁もあんまり知らないことなので、ことのついでにいろいろと亮作に聞いてみようと思った。


「ふーん。ところで、引越しのこととかピアノ教室の話っていうのも急に決まったの?」


 道路地図とにらめっこしながら、亮作はそのあたりの事情をポツポツと語りだした。



「ピアノ教室の話は引っ越すちょっと前だったかな?なんかお姉ちゃんの知り合いの人がひまわりが丘の近くで、子供相手に教えてたんだけどさ、その人の旦那の急な転勤で、教室閉めなきゃいけないってことになってさ」


「へえ、今の商店街にある教室で?」

「違う。たしか自宅でやってたらしいよ。僕は直接は知らないけど。それならってことで、なぜか知らないけどお姉ちゃんがその生徒の面倒を見ることになってから、お姉ちゃんが場所を探して見つけたのがあの教室」


「なぜか知らないって言うけど、ゆかりさんもピアノやってたんなら、別におかしな話じゃないだろ?」

「それはそうだけど、さっきも言ったように、アノ頃、お姉ちゃんあんまり元気がないっていうか、無気力な感じがしてたから、わざわざ必要もないのにそんな仕事するか?って、ちょっと意外な気がしたんだよ」

「そうなんだ」

「それにさ、本当のところ、うちの両親はいつまでもこっちにいないで、もういる必要ないんだから、実家に帰ってこいって何度も言ってたらしいんだよ。ところが、本人はなぜか、前住んでたあの松木町から離れたがらなくってね。」

「なんで?」


 亮作の話を聞いて、草壁も今頃になって改めて考えさせられた。

 なぜ、彼女は用もないのに、いや、自殺に失敗したような苦い記憶が染み付いているような、けっして居心地のいいとは思えないような土地にずっと巫女のバイトなんかしながら居続けたのだろうか?と。


「さあ?――」

 さっきから、ちょっと頼りないナビゲーション役をしていた亮作だが、草壁とそんなことを話し込んでいる間、わりと冷静に右、左と行き先の指示を出していた。じきに地図を読むのにも慣れたのかもしれない。

「――けど、お姉ちゃんがピアノの教室を開いたってことになったらうちの両親もさ、あきれちゃったというか、なんというか……」

「どういうこと?」

「だって、それなりに責任あるじゃない?何人も新しい生徒を抱えることになったんだから。それで、ウチの親も簡単には実家に戻って来いって言えなくなっちゃんだよ」

「なるほどね」

「今でも、お姉ちゃん、実家あんまり帰りたがらないけど、僕もその話聞いたときには、そこまで帰りたくないか?ってちょっとびっくりしちゃったよ」


「じゃあ、引越しっていうのも、ピアノ教室をやるからってことでひまわりが丘にやってきたってこと?」


 亮作の話を聞いていたら、草壁でなくてもそのように思うものだろう。

 しかし、ここでも亮作から意外な事情を聞かされることとなった。


「それが、そうじゃないんだな!」


 事情を知っている亮作自身にとっても、いまだ不思議なのか、彼は草壁の質問に急に大きく声を上げた。

「そうじゃないって?」


 

 実は、ゆかりが今住んでいる、おとなりの308号室というのは、長いこと居住者がいなかったらしい。そして、マンションの前にはつねに「入居者様募集」張り紙がでっかく張り出してあった。調べたら、本当に管理会社のほうでは長く募集をかけていた物件だった。


「だから、ちょうど都合よかったわけだよ。お姉ちゃんだって、仕事場に近いし、うちの親にしてみたら、実家に帰ってこないなら、せめて僕のとなりにでも移ってくれたらって感じでさ。だから、なんどか、引越しすれば?って聞いてみたけど、なぜか、それも嫌がるんだよ。『わたしはここに居たいから』って言って」

「そうはっきり言ったんだ?」

「うん」


 

 なるほど、と草壁も思った。と、同時にたしかに亮作の考え込みたくなるような気持ちはわかる。

 あの当時のゆかりの気持ちなんて、弟でも簡単にはわからないことだろう。ましてや、当時はまったくの他人といっていい草壁にとってはなおさらだった。


 そして、クルマのほうは一応、亮作のナビにまかせたまま進んだ。

 ハンドルを握る草壁にしてみたら、この際、疑問はみんな聞いておきたかったので、中途半端なところで目的地につかれないか、のほうが心配である。



 あっ、こっからしばらくはずっとまっすぐ行ったらいいみたいだから。と亮作が言ったとかと思ったら彼もそこまで話したあと、しばらく黙り込んだ。

 何事か、頭の中を整理でもしている様子で、しばらく、ジッとしたあと、ぽつりとつぶやいた。


「思うんだけどさ――」

 真面目腐った顔で、続けた。

「――おねえちゃん、気持ちの整理をつけていたのかもしれないなあって」

「どういうこと?」

「自殺を図ったあと、すぐに大学もやめちゃってピアノのプロになることもあきらめたって言ってたけど、まだ本当は未練があったのかもしれない。

 前に住んでた部屋にはね、アノ頃、まだピアノを置いてあってさ。当人が触ってたかどうかは知らないけど、時々練習ぐらいはしてたのかもしれないよ。それが、こっちに来たら、部屋にはピアノ置いてないでしょ?もうあれ、処分しちゃったんだよね。引っ越すときに。

 考えてみたら、ピアノ教室のセンセイなんて引き受けたのも、あきらめをつけるためかもしれない。

 だってさプロを目指す大事に時期に子供あいてに教えてたら、腕は落ちちゃうだろうし。

 そうやって、向こうの町でしばらく自分の気持ちを整理して新しい生活を始めようってなったんじゃないかな?」


「その気持ちの整理がついて、やっとひまわりが丘にやってきたと……」


「そうなんじゃないかなって、思うだけだけどね。

 だからさ、お姉ちゃん、急にそっちに引っ越そうと思うって言ったとき、急にサバサバした顔してたんだよね。

 あっ、ようやく、吹っ切れたんだって、ちょっとその顔みて安心したもん」




 その後、亮作のナビを盲信したままに草壁が運転したせいで、絶対にありえないような海沿いに出たあと、大慌てになった。

 最終的に、ナビと運転役を変わることで一応目的地である、ツルイチさんの入院先の肛門病院にたどり着くことはできたが、予定所要時間30分のところが2時間半もかかる、随分な遠回りとなってしまった。


「草壁クン、しっかり運転してよ!どこに出ちゃってるのさ?」

 海の見える海岸通に出たときに、ナビ役の亮作が暢気なことを言ったものだから、思わず草壁もこう叫ばずにはいられなかった。

「うるさいよ!お前が読み違えたんだろ!」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 そんなお正月の日常のとあるひとコマ、をもうひとつ。


 

 それは3が日も過ぎた頃のことである。

 あの、おしゃべり好きの詮索好き、そしてやることなすこといい加減な、変わり者の叔母、長瀬フミコが突然ひまわりが丘の草壁たちの住む部屋に遊びにやってきた。

 ちょうど、ツルイチさんが入院しているころのことである。

 どういうつもりかはよく分からないが、とりあえず、ゆかり、草壁、亮作が揃える都合のいい日を教えろというので、ゆかりの一時帰宅の頃に、草壁たちの部屋でフミコを迎えることとなった。



 お腹すかせておきなさい。と言われたのでなにかご馳走でもしてくれるのだろうか?とは思った。

 が、そうして、やってきたフミコが3段がさねの重箱を抱えてやってきたのには驚いた。

 おせち、らしい。


 もうとっくに正月は過ぎているというのに?

 そう思って事情を聞いたら、とんでもないことを言い出した。



「そうなのよ。わたし、すっかり忘れてたんだけど、実家のお姉さんからお金預かっていたのよ!」

 草壁たちの部屋のダイニングのテーブルの上に、怪しげな重箱をドサッと乱暴に置いたフミコの言葉を聞いて、ゆかりと亮作が驚いた。

「うちのお母さんから、お金を?」


「そうなのよ。5万円ほどね」

 ブルジョアさんと言っても、結構なお金である。

「なんのお金?」

「いや、ほら、あなたたちお正月にも実家に帰らずにいるっていうから、『これでお節でも買って、アノ子たちに食べさせてあげて』なんて言って」

「ちょっと、待ってよ、おばさん、お節ってもうお正月過ぎてるけど!」

 亮作があきれた声をあげるのも無理はない。おそらく金額から言ってどこかの有名百貨店の結構なお節セットが変えそうな値段だ。しかし、もうこんな時期にお節を売っているような店はどこにもあるわけない。


 しかも、なぜそれを今頃になって言い出したかというと――。


「ほら、わたし、正月3が日はハワイに遊びに行ってたから、すっかりお節のこと忘れちゃってたのよ」

「……」

 自分の大失態をこともなげに、笑い飛ばしているフミコを見て、親類のゆかりと亮作だけでなく、一緒に居合わせた草壁も言葉を失ってしまっている。

 彼らは知らされなかったが、事実は最初フミコもこちらで正月を過ごすというつもりだったらしい。その話を聞いたゆかりの母、長瀬登善子から「だったら、あなたも一人じゃさびしいだろうし、アノ子達にもお節ぐらい食べさせてあげたいから、いいの見繕ってお節注文しておいてよ」と頼まれたのだった。

 その後、気まぐれな本人は急に旅行に行きたくなりお節の約束と5万円の送金をすっぽかして出かけてしまった。

 帰ってきて急に思い出した。お金を受け取っておいて知らん振りもできないので、とりいそいでお節持参でやってきたのだった。



 が、フミコはそんなことまったくお構いなしに話を続けた。

 そして、実は本当の驚愕は、このあとに待っていた。


「けど、もうお節なんて売ってないでしょ?」

「まあ、そうでしょうね」

「だから、わたし、自分で作ってみたのよ」


「ええっ!!!」



 フミコの言葉を聞いて、ゆかりと亮作の姉弟が揃って叫んだ。

 ものすごく、驚いたようだ。

 その瞬間の驚きというのは、他人である草壁にはわからなかったが、やがて、フミコの持ってきた重箱をジッと見つめながら、ゆかりと亮作がこんなことをコソコソと言い合っているのが聞こえてきた。


「フミコ叔母さんって料理したっけ?」

「うううん。わたし、聞いたことない」


 そうなの?と草壁もその話を聞いて驚いた。

 一人楽しげなのは、フミコである。


「なにしろ5万円って言ったら相当な金額でしょ?山海の珍味をこれだけ使って料理できるなんて、そうはないだろうから、いい経験だと思って、面白そうだし、ちょっとがんばってみることにしたの」


 微妙に背筋が凍りそうなことを平気な顔で言い切った。が、一人楽しそうにそんなことを言うフミコの本音を端的に言うとこういうことだ――5万円の材料費で何か作るなんて遊びが楽しそうだから、料理の経験はないけど、とりあえずやってみた――ということである。

 


 そして。

 銅像の除幕式みたいにもったいぶりながら、重箱を包んでいた風呂敷を広げたあと、

「さあ、どうぞ、召し上がれ。お姉さんのおせち料理にはちょっとかなわないかもしれないけど、叔母さんもがんばって作ってみたんだから」


 と言って開いたお重の中身が問題だ。


「……」


 中身を見て、フミコ以外の3人が固まった。

 思わず「これ、どこかで落っことしたんですか?」とマジに聞きそうになったが、一緒に中身を見ているフミコの顔から笑顔が消えないところを見ると、そんなトラブルに見舞われたわけではなさそうだ。



「やっぱり、お節といったら、お煮しめでしょ?あんまり生ものは日持ちもしないだろうし」

 見ると、ほとんどすべての食材には火が通してはいる。

「ちょっと一口召し上がってみてよ」

 

 そういわれて、食べたら、これが、みごとにまずい。

 味が全部薄っぺら。よく聞いてみたら、ダシなんか使わずにだいたいがショウユかウスターソースで適当に煮込んだだけなのである。

「だって、せっかくいい材料を使うんだから、余計な味付けはせずに、食材本来の味を楽しめるようにしたかったから」

 って言うが、アワビもカニも牛肉もすべてそのやり方で適当に煮込んだだけ。

 そして、適当に煮込んだ後に、旨味をすっかりすったショウユ汁のほうは全部すてて、出がらしになった食材を適当に切ってから、独自のレシピに基づいた、臭みのあるソースをしっかり掛けて、高級食材の面目をすっかり潰してから盛り付け。

 一個5000円のアワビがきっと泣いている。



「数の子もちゃんと塩抜きしてあるから、ちょうどおいしいと思うわ。私だってそれぐらいの知識はあるのよ」

 それはいいのだ。

 しかし、塩漬けの数の子は塩抜きする。この中途半端な知識が、彼女を恐るべき暴挙へと駆り立てた。

 ちなみに、せっかちな性分であるフミコは、塩抜きをするときに、お湯でグラグラと煮込むらしい。そのほうが時間短縮になるだろうし、塩もしっかり抜けるだろうという、独自の料理理論を披瀝してくれた。

「ちゃんと、だから、これも塩抜きして、おしょうゆで煮込んだのよ」

 そういって、フミコが重箱の隅の小鉢の上にてんこ盛りになっているものを指差した。

 そして、それを見たゆかりからの質問に、彼女がこの物体の正体をこともなげに言い放ったとき、おそらく、庶民草壁だけでなく、ブルジョア長瀬姉弟すら、言葉を失った。


「おばさん、これ、なんなんですか?」


「それ、キャビアよ。それもロシア産のやつ。高かったわよ。材料費の半分ぐらいこれで飛んじゃったもん」


 

 味はいずれも、塩辛すぎるか、薄味すぎるかのどちらか。

 醤油以外につかったらしい調味料の配合がめちゃくちゃで、火の通し方がいい加減なので、あるものはこげてて苦かったり、生臭かったりと、まちまち。

 

 3人が死にそうな顔で、お重のお節をつまんだ。いずれも吐きそうな味ばかりだ。


 そして、3段重箱の一番したの箱の中で、まるでアラ入れの中みたいにして散乱しているタラバガニのバラバラ死体が、ちょっとにおうだけで鼻がかゆくなりそうなあの甲殻類特有の腐敗臭を放っているのを確認した3人は、静かに重箱をかさね直すと、こうフミコに言った。



「おばさん、お気持ちありがとう。お節はツルイチさんが帰ってきてからみんなで食べることにしますから、ちょっと置いといていいですか?」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 その後、フミコが初詣に行きたいと言い出したので、3人もお節地獄から抜け出すいいきっかけとばかりに、一緒に神社にでかけることにした。


 

 放っておくと、この叔母さん、自分の行きたい神社に適当に行こうとするかもしれないので、今回はゆかりが双葉荘に戻る都合を盾にとって、歩いてゆける近所のところで手軽にすませることにした一行4人。



 あの松木神社ほどじゃないが、こちらも立派な鳥居の向こうには、神様のおわします本殿以外にもおみくじや絵馬を売る社殿を抱えたちょっとした神社である。

 3が日を過ぎているせいで、初詣の参拝客は少なく、静かだった。


「なんか、貧相な神社ね。せっかく初詣するんだから、にぎやかなところに行きたかったわ。叔母さんは」

 そこの神様が聞いてたら腹をたてそうなことを、それも境内を歩きながら平気言うフミコだった。

 草壁以下、3人は、聞こえないふりして本殿へと歩いた。



 新春早々二度目となる初詣をすることとなった草壁。

 そんな彼が、二度の参拝に際して神様にお願いしていたことがあった。

 それは


 ”ゆかりさんと二人でデートに行きたい”

 というもの。

 わりと奮発して二度とも100円玉を放り込んだ。



 みみっちいというより、神様があきれる様な内容の願いだが、本人いたって真面目に願をかけていた。

 


 それはおいておくとして、今回の一行も参拝を済ますとフミコの口から

「それじゃあ、ちょっとおみくじでも引いて今年一年の運試しでも……」

 信心とかではなく、宝くじ感覚で軽くそんな言葉が出掛かったとき、すかさず、ゆかりがその言葉をさえぎるように

「絵馬にしましょうよ!」

 そう提案した。

 このメンバーに混じる、もうおみくじは引かないと心に決めた人のフォローなのかなんなのか?


「どうして?」

「おみくじと違って絵馬には吉凶関係ないじゃないですか」

「悪いクジが出たらいやだから、おみくじ引かないなんて、そんな臆病なこと言っちゃってどうするの?まだ若いくせに」


 この叔母さん、いったんこうしたいって言い出すとなかなか言うことを変えない。

 そんなわがままな叔母の性分を知り抜いているゆかり、叔母の言葉を無視するようにして、さっと社務所脇の小さな売店で絵馬を4枚を買うと、そこのペン立てにささっていたサインペンを借り受けて戻ってきた。


「さ、おばさんも何か願い事を書いてください」



 押し付けるようにフミコに絵馬とペンを渡すと、さすがにこのわがまま叔母もおとなしくそれを受け取った。


「ゆかりちゃんね、こんなところでリスクを取ることを恐れているようじゃ、企業経営なんてできないわよ」

 おみくじひとつで、随分大げさなことを言うフミコ。しかし、横で聞いていた草壁は一瞬、肝が冷えるような思いがした。

 誰がそうなるかはわからないが、将来ゆかりを射止める旦那は、当然、企業のトップとなるべく人材でなければならない。

 こんなところで、彼女とデートしたい、なんて暢気な願いごとをしていていいのだろうか?とても心もとないような気分になりながら、それでも草壁は絵馬に願い事を認めた。




 かくして書きあがった4人の願い事であるが――


”交通安全、無病息災  長瀬ゆかり”


”四暗刻、大三元  長瀬亮作”


”いい男と結婚できますように  長瀬文子”


 と3人がそれぞれの思惑を秘めた絵馬を書き上げたあと、最後の草壁が絵馬に書いた願いごとはやっぱり


”ゆかりさんと、二人でデートに行きたい  草壁圭介”


 企業経営とかは、やっぱりのこの男には関係ないらしい。

 そして、そんな草壁の書いた絵馬をちらっと見たゆかりがあきれたような声をあげた


「あっ!なんてお願い書いてるんですか!」

「いいじゃないですか」

 絵馬掛けの前で、ゆかりと草壁がちょっと言い合っている間にも、文子と亮作はさっさと絵馬を掛けてしまった。


「もうちょっとまともなお願いを書いたらどうですか?」

「僕にとったら神頼みでもしたくなるような真剣なお願いですから」

「神様が怒ると思いますけど」

「ちゃんと賽銭も張り込んでるんで、怒られるようなことはないと思います」

「100円のどこが、張り込んでるっていうの?」

「見てたんですか?」



 そんなことを言い合いながら、ちょっと遅れて草壁とゆかりも絵馬を無事に掛け終わり、それじゃあ帰りましょうか?となったときである。



 ちょうど、神社の鳥居をくぐった直後。

「私、ちょっとお手洗いに寄るわ。あなたたち、先に帰ってていいわよ」

 そう言って、フミコが再び神社境内に戻っていった。


 ま、子供じゃないし、向こうがそういうなら別に待っていることもないかと思って、残った草壁、ゆかり、亮作が揃って歩き出したそのとき。


 ゆかりはふと、足を止めた。

 彼女の中でちょっと、あることが気になった。


 叔母さん、まさか!


 

 ゆかりは、さっとフミコの後を追うようにして境内に戻って行った。

 見ると、フミコはトイレに行くと言っておいて、やっぱり、売店の前を通って、手水場の裏手に建っている絵馬掛けのほうへ歩いているじゃないか。

 

 やっぱり、叔母さんの詮索好きの悪い癖が出た!



 突然、走り出したゆかりの背中を草壁と亮作が驚きながら見ていると、じきに、フミコの背中においついたゆかりが、フミコが手を伸ばそうとした一枚の絵馬をさっとそれより先に絵馬掛けから奪い取った。



 そして、絵馬掛の前では、叔母と姪のこんな会話が。


「どうしたの、ゆかりちゃん血相変えて走ってきて」

「叔母さんこそ、人様の願いごとを勝手に覗こうなんてしちゃいけませんよ!」


 ゆかりは、草壁が妙なお願いごとを書いていたあの絵馬を手に怖い顔で叔母を睨み付けた。


「いいじゃないの、見るぐらい。なんかあなたが面白そうなこと書いているみたいなこと言ってたから叔母さん気になるでしょ?」

「だから、そんなもの見るもんじゃありません」

「見られて悪いことが書いてあるの?」



 そんなふうに叔母と姪が言い合っているところに、草壁と亮作も少し遅れてやってきた。

 ゆかりの手にある絵馬が自分のものだととっさに気づいた草壁、それほど隠す必要のあることか?と思ったが、あんまり自分たちのことを人に誤解されたくないというゆかりの気持ちも一応はわからないわけじゃない。

 しかし、困った人だよなあ。

 なんて思っていたら、何も知らない弟の亮作のほうは、ゆかりが何を隠しているのか興味津々。


 目の前の叔母に注意をそらして、こっちには油断している姉のそばにそっと近づいて、彼女の手から絵馬を奪い取った。


「なになに?何が書いてあるの?」


 このヤロー、普段おっとりしているくせに、たまに洒落にならないことする!

 さらに亮作の後ろから近づいた草壁が、その自分の絵馬を亮作の手から奪い返した。


「俺の願い事、勝手に見るなよ」

「えっ、それ草壁クンのなの?」

「そうだよ」



 いつの間にか絵馬掛の前で、草壁とゆかりの二人組みがフミコ、亮作の二人組みと対峙するような形になってしばらく問答が続いた。


「なんなのさ?お姉ちゃんたち、そんなに見られちゃ悪いようなことが書いてあるの?」

「人様の絵馬を勝手に覗くような子に育てた覚えはありません」

「僕だって、お姉ちゃんに育ててもらった覚えはないよ!」

「ゆかりちゃん、そんなこと言いながら彼のお願いごとみてたじゃないの?」

「見てません。私は親戚として、よその人の願い事を勝手に見ようとする叔母さんが恥ずかしいだけです」

「何、無茶苦茶なこと言ってるのよ。草壁クン、そんなに変なお願いごとをしたの?」

「いえ、普通のことですよ」

「じゃあ、見せてくれたっていいじゃないの」

「僕、字下手だから、人に書いたもの見せたくないんです」

「草壁クン、字、上手じゃなかったっけ?」




 参拝客が少ないからいいものの、絵馬を買った人が迷惑しそうなところで変な言い合いが続いたあと、ゆかりが隣の草壁にそっとささやいた。


「だから、そんなお願い駄目だって言ったんです」

 説教される覚えはないのが、草壁だ。一度ぐらいデートしてくれたったバチがあたらないと思うがそっちがあんまり頑なだから、こうなったんじゃないかと思っている。

「そうは言いますけど、僕にとっては隠すようなことじゃないんですが」

 

 ぽつりと草壁そう言うと、急にムキな顔でゆかりが草壁に噛み付いた。


「草壁さんだって知ってるでしょ?私が、スナックで歌って踊ったのがバレただけであの騒ぎなのよ?もし男の人と変な噂なんか立ったら、私実家に連れ戻されるかもしれないのよ!」


 怖い目でゆかりに睨まれると草壁も言葉を失った。

 確かに彼女の言う危険はある。なにしろ、目の前にはなんでも喋る叔母さんが控えている。どんな噂を立てるかわかったもんじゃない。


「……わかりましたよ。……書き換えればいいんでしょ……」

 草壁も折れるより他なかった。


 

 そして。


「お姉ちゃん絶対あれ、見てるじゃないか」

「ホント人には散々言っといて」


 亮作とフミコの視線から逃れるようにして離れたゆかりと草壁が、並んで草壁の絵馬を添削しだした。

 何が書いてあるのかわからない叔母と甥は、不満そうにその様子を離れたところで見守るしかなかった。



”デート、なんて文句は消して”

”名前もぼかして書いてください”


 ゆかりからの指導の元、やがて絵馬の書き直しが終わると、その願い事を見た草壁が残念そうな顔でこういった。


「なんか、もうこれ、近隣住人と揉め事かかえてる人みたいな願いごとになりましたね?」

「仕方ないでしょ?」


 そして二人で揃って絵馬掛の前まで行くと、草壁が再びを絵馬を掛ける様子をすぐとなりでゆかりはおとなしく見つめていた。

 



 さすがのフミコももはや覗く気も失ったため、その後おとなしく一行は神社を後にした。


 

 ところで、肝心の絵馬であるが、草壁があきれたのも無理はない。

 ゆかりの駄目だしをイヤというほど食らったあと、黒塗りだらけになったその絵馬の裏には、消し跡のわずかな隙間に小さくこんな願いごとが書かれていただけなのだから。



”おとなりさんと、うまくいきますように  ひまわりが丘の一住人”




第40話 おわり

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