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第28話 a present for you

 お話は、あれから数日たった、1年目の10月上旬ごろのこと。

 衣替えも過ぎたというのに、まだじっとりと暑い日が続いていたりする。そして、前回の田村と恵に振り回された記憶もまだ生々しいようなそんな時。



 ゆかりちゃん、一人暮らしでちゃんと毎日ご飯食べてるの?時々うちにも来てちょうだいよ、うちのあやもゆかりちゃんがいると嬉しそうだし。

 なんてことを親友の辻倉あやのお母さんから言われて、辻倉家でご飯をいただくということもちょくちょくあった長瀬ゆかりである。



「聞いたら、ゆかりちゃんちではすごいご馳走だったらしいけど、うちは普通でごめんなさいね」

 先日の長瀬家に招かれた様子は娘から大層聞かされているあやの両親なんかはゆかりがご馳走になりに行くたびにそう言うのだったが、味は悪くなかった。

 普通においしい家庭料理を振舞ってもらえるので、むしろ回数行っている分、ゆかりのほうが大分と得しているみたいな感じもしていた。




 そんなとき、あやの家でちょっとしたホームパーティをやろうという話が持ち上がった。

 ゆかりとあやの両親が交わした、夕食時のこんな会話がきっかけである。


”最近はハロウィンなんかも、日本でお祝いしてるみたいだね?”

”そうですね。コンビニのキャンペーンも最近目にしますし”

”よくわからないでけど、カボチャ被るだけでなにが楽しいんだろう?”

”それにかこつけて、普通にパーティしてるだけみたいなものじゃないの?”

”そのうち、感謝祭とか言い出したりして?”

”って気がついたら10月11月って、行事だらけですよね?普通に日本の秋祭りがあって、ハロウィンに感謝祭って……”


 その話の中で、感謝祭から鶏の丸焼きの話へと話題が移り――。


――おいしいのかな?一度食べてみたいなあ。



 あやのお父さんが放ったそんな一言から、じゃあ、こんどここで鶏の丸焼きを作って食べよう。

 というふうになったことがことの始まりだった。

 ハロウィンと感謝祭の話題から始まったわけだが、別にそういうお祭りごとはいつのまにか、綺麗に吹き飛んで、ただ鶏の丸焼きを食べる会という趣旨だけが残ったわけだ。




 てな訳で、再びあやの家で料理を作る、長瀬ゆかりと辻倉あやであった。

 前にも書いたが、鶏の丸焼きが作れそうな大きさのオーブンは辻倉家にはあってもゆかりの部屋にはないのだ。

 もちろん、あやの両親を交えてのパーティなので、辻倉家でやるほうが都合はいい。



 そんなとき、嬉しそうなのは、あやもそうだが、あやの両親のほうだったりする。

 というのも、あやちゃん一人っ子で、現在親子三人暮らし。彼女のことを改めて説明すると、ひまわりが丘商店街の住宅街側の出入り口近くにこじんまりとした店舗兼住居を構える「辻倉電気店」の一人娘なのである。

 家族3人仲良く暮らしているが、暮らし向きは質素で、家族の人数も少ないというのもあって、賑やかな食卓というのはあんまり経験のないご両親であった。

 お酒も強くなくて、付き合いの飲み会というのもあんまりない、という大人しいお父さん、と、そんな旦那と似たように地味なお母さんだった。

 そこに、一人ゆかりが加わるだけでも、その日の食卓は随分と賑やかになった。

 あやの両親がゆかりを歓迎するのには、そんな意味もあった。

 そして、今回、普段3人の食卓が4人になって、鶏の丸焼きが出る、というだけのことなのだが、そんなささやかなハレの食事を地味に楽しみにしたりしているあやのご両親だった。




「すごい大きさの鶏だね」

 そんなわけだから、あやのお父さん、店に出ていなきゃいけないのに、ちょいちょい台所に顔を出しては調理状況の進行を見に来た。


 電気工事の仕事があったりすることも多いので、昼間は店にいないこともしばしばだか、本日は休日ということもあってか、店は営業しているのだが、お父さんずっとお店にいるのだった。


 前にも、あやと二人でマドレーヌを作った、ここ辻倉家のキッチンは、ダイニングと兼用のスペースである。

 だいたい7,8畳あるかないかというところ。

 

 調理台かわりにダイニングテーブルも使いながら、あやとゆかりの二人が今夜のささやかなパーティ料理作りにいそしんでいた。

 用意したメイン料理の鶏というが、結構な大きさだった。

 まるで本当に七面鳥ぐらいあるようなラージサイズ。

 キッチンを覗きに来たあやのお父さんの顔ぐらいありそうな特大もの。


 そろそろ夕方、店じまいも近くなってきている。そして料理のほうも順調に調理がすすみ、メインの鳥の丸焼きも香ばしい香りとともに、食卓に姿を現したところだった。




「もう、お父さんが来たって邪魔なだけだから、お店のほうへ行っといてよ」

「いやあ、店に居ても、いい匂いがしてくるから気になって気になって……あっ、ゆかりちゃん、この鶏大きいね……いい香りだ……へえ、ローズマリーにタイム、ローリエ、レモンも入ってるの?この鶏おなかパンパンだね?あっご飯詰め込んでるの?、中で肉汁を吸っておいしくなるのか!おいしそうだなあ……」


 ダイニングテーブルで、鶏とともにローストした野菜をドレッシングとあえて一品の準備をしているゆかりを捕まえて、あれこれと料理の質問をしては一人感心している、お父さん。

 ちょっとカワイイと思って、噴出しそうになるゆかりだった。


「他のメニューはどんなの?教えてよ」

「お父さん、それは晩のお楽しみにしておいたら?」

「いやいや、聞きたい、待ちきれない」


 実は、一番テンションが上がっているのがお父さんだったりする。



 あやがキッチンに立って苦笑している。

 というわけで、お父さんお楽しみに今夜の料理なのだが――。


 洗面器ぐらいのガラスボウルに一杯のシーザーサラダ。薄雪みたいにたっぷりと掛かったパルメザンチーズの下には、半熟温泉玉がカラフルな野菜の中に眠っているので、お好きに潰して混ぜるなりご勝手に。

 それから大き目のレミパンを目一杯使って作った、スペイン風オムレツ。卵6つにたっぷりの具材をつぎ込んだから、エアーズロックみたいに分厚い、ちょっとしたホールケーキみたいなの。

 次はレンズ豆とソーセージのトマト煮込み。これも大皿にたっぷり。平らな取り皿にも乗るように汁気はしっかり飛ばしてできあがり。素朴だけど、安心する味。

 もちろん、メインは鶏の丸焼き。しっかりと香辛料を塗りこんでじっくりロースト。鶏の胸肉と皮の間にちょっとバターを挟んで、パサつきがちな部位をモイスチャーにしてしまおうなんて一工夫。

 そして、鶏と一緒にローストした野菜は、ゆでたパスタとあえて、酸味のあるドレッシングを絡めてやっぱり、大皿でドン。

 で、メニューがこれなので、お茶碗にご飯じゃなくて……。

 バケットを1センチぐらいの厚さにスライスしたものを、皿の上に一杯おいて、各自お好きに。

 料理と一緒に食べるもよし、用意してある、アボカドとサワークリーム、二色のディップをお好きに付けて。



 ――というもの。


 つまり全部が大皿料理で、それを一度にテーブルの上に並べてから各自お好きに取り分けてください、というスタイル。


 なぜこうなったか?簡単である。長瀬家のように大きなテーブルはない、だから皿数を多くするわけにはいかない。しかも、キッチンはダイニング兼用の同じ部屋にある。いちいち、一皿一皿コースを作っているわけにもいかないし、そもそも誰がそんなときに作る役目を負うのだ?ということだ。

 あとは、取り皿にフォークとスプーンでもあれば、片手で食べられるものばかりという手軽さ。



「楽しみだなあ。これはもうお店早めに閉めちゃおうかな?」

「お母さんに怒られるよ、お父さん」


 次々と出来上がってくる料理を目の前に子供みたいになっているお父さんを見てあやも笑っていると、店のほうから店番に出ているお母さんの呼ぶ声がキッチンにまで響いてきた。



「ちょっと、お父さん、来てくれる?!」


 声の調子からすると急に仕事でも入ったのだろうか?単に呼び返されたような雰囲気ではないようなその声とともに、お父さん、店のほうへと消えていった。



「お父さん、子供みたいだったね?」

「もう……ゆかりさんちのお父さんみたいにもっとゆったりしてほしいんだけど……」

 最後の盛り付けをしながら、あやが不満そうに口を尖らせていた。


 時間にして、ものの2,3分であろう。

 再び、店のほうから今度はあやを呼びつける母親の声が聞こえてきた。


「あや!ちょっとこっち来なさい!」


 ん?なんだろう急に、やっぱりお母さんなにか急用でもあるみたいな呼び方だけど、怒られるような覚えもないんだけど?


「あっ、私ちょっとお店のほうに行ってきます。ゆかりさん、あとちょっとお願いしますね」


 そう言ってあやも姿を消した。

 他人の家のキッチンに一人取り残されたゆかりである。そしてゆかりにもさっきからお母さんが二人を呼びつけたそこ声がなんとなく切羽詰ったような色合いが感じ取れていた。

 ひょっとしたら仕事がらみのトラブルだろうか?けど、それならあやちゃん関係ないか?ひょっとしたら家族間のトラブルでも持ち上がっているのだろうか?



 心配していても仕方ない。もうそろそろお店を閉めて夕食という時間も迫ってきているので、こっちは出来上がったお料理を盛りつけて準備を済ませてしまおう。


 と思ったが、なんと言っても他人の家である。皿や食器がどこにあるかわからないことだらけだ。


「仕上げにオリーブオイルかけたいけど、どこにあるか分からないわ……」


 放っておくと料理の温度も冷めちゃうし、味の染みもかわるからすぐに取り掛かりたいところ。仕方ない、何の話をしているかわからないけど、ちょっと聞きに行ってみよう。



 ゆかりはキッチンを出て辻倉家の住居廊下へと出た。

 そこからまっすぐ店舗エリアに続く廊下がある。それをゆっくりと気を使いながら歩いてゆく。ひょっとしたら家族でもめてるかもしれないから、そのときはそっと引き換えすつもりで。


 店舗と住居部分を仕切っているのは薄い扉だけだった。障子戸をスッと開けて廊下に出てみると、ボソボソと人の話し声が聞こえてきた。



 聞き耳をたてつつ、静かに廊下をあるいて扉にまで近づいてゆくと話し声の内容も次第に聞き取れるようになった。


「あや、この方なんでしょ?」

「あっ……」

「本当か?この人とお付き合いしているのか?」


 

 聞こえてくるのは意外な会話だった。あれ?あやちゃんにお付き合いしている人?ご両親と一緒にそんな話になっているということは、こっちはマジカレ?


 そう思っていると、お父さんとは違う男の声が聞こえてきた。


「どうも、はじめまして」


 あっ、あやちゃんの彼が来てたの?わたし居ていいのかな?

 ゆかりがそんなことを思っているとその男がこう続けた。


「草壁圭介と申します」


 な、何!!




 なぜここにこの男がこうしているかということを先に説明しておく。

 ただし話ははなはだ単純なことである。

 その日、草壁の部屋のエアコンの調子が悪くなった。まだ、冷房を入れたいと思うこともあれば、そのうち暖房にも必要ということで、そのエアコンの修理の依頼に来たというわけだ。


 あやとは友達でも、その両親とはほとんど初対面の草壁だった。ときおり商店街を通りがかかるときに顔を見ていたりするが、互いに面識はなし。

 そして、修理の依頼を持ち込んだ草壁、明日の夕方ぐらいに来てもらえないでしょうか?という訳で彼は自分の名前、住所、連絡先をそのとき、店先に出ていたあやの母親に告げた。


 それで驚いたのはあやの母親だった。



 覚えておいでだろうか?もう3ヶ月ほど前になるが、草壁があやとともに、彼女のおばあちゃんちに庭掃除のお手伝いに行っていたことを。

 あのとき、草壁のことをあやの彼氏だと勝手に思いこんだおばあちゃん。

 さらに、草壁が調子に乗って彼氏だと口走ったことを。


 あやの両親はこのおばあちゃんから、どうも娘には「草壁」という名前の彼とお付き合いしているらしいという話を聞かされていた。



 そして、この男がのっそりとついに一人で姿を現した。



 まず最初に驚いたのはお母さんである。

 この人か!

 と思った。

 いったい何時になったら紹介するのか?それとももう別れたのかと思ったら、こんなタイミングでの登場である。


 ある意味絶妙だった。

 だから、「ああ!なるほど!」とお母さんは一人合点した。


 つまりこういうことだ。

 そういえば、うちでパーティーみたいなことをしようってことになっているけど、その機会を捕まえて彼を紹介しようって魂胆だったんだ!

 と勝手な想像をふくらました。が偶然にしても、お母さんの想像が事実とぴったり符合してしまった。


 今夜の料理の詳細はお母さんも承知していた。全部大皿料理にして各自取り分けるというスタイルだ。

 理由も聞いていた。が、作っている分量を見ると、ちょっとこのメンバーで食べるには多いような気がしていたのも事実だった。

 そこで、お母さんはこう受け取った――



 ――今日のホームパーティには最初から5人目のゲストが用意されていたのね。そのゲストをすぐに迎え入れられるように、料理は人数の変動にフレキシブルに対応可能な大皿料理。

 量の多さも、男子一人が増えることを見越してのこと。

 そういうことね。まったく、アノ子ったら、素直に連れてきて紹介すれば済むことを、照れてるみたいね――。




 で、目の前の彼についてだどう思ったか?

 まあ、見た目普通だけど、おばあちゃんの言うとおり真面目そうでよさそうな人だし、本人達がいいというのなら別にいいか。

 という訳で、彼氏としての及第点を勝手に頂いた草壁。


 その後、お母さんがお父さんを呼ぶ。

 呼び出されたお父さん、店にやってくると、どっかで見たことありそうな若造が一人ぼんやりと立っていて、その目の前で、お母さんが、税務署の査察にでもあってるみたいな顔して「ちょっと、あなた!来たわよ!」って言っているのだが、最初なんのことか分からない。

「この方が草壁さん!」

 耳打ちされて、ぼおっと突っ立っている、ありふれた大学生風が、噂に聞きし「草壁」だということを知ったお父さん。


”本当か?”

”だって、お名前、そんな人いくらもいないでしょ?”

”なんだって一人で急に……”

”きっと、今日のパーティでお披露目するつもりだったんじゃないの?”

”そういうわけだったのか……あやを呼んでこい!話を聞かないと!”


 ご両親の間でそんなヒソヒソ話に続いて、あやに声がかかった。

 

 呼び出されて店に顔を出したところ、そこになんと草壁が立っているではないか!あやだって驚いた。



 もちろん、驚いていたのは草壁もそうだ。

 ただのエアコンの修理を頼みにきたら、店の人からジロジロ見れて驚いた顔され、そのうち店主夫婦がこっちの顔をチラチラみながら、ヒソヒソやっている。娘さんのただの友達ですが、それで驚いているとは思えない。が、どうも不審げな顔をされる。なんだろうと思ったら、奥からあやまで呼び出されて辻倉家ご一同さまと、電気店の店先で顔合わせとなった。

 なんだろう?これ?


 と思ったところで、ご両親からはあやの彼氏だろ?みたいなふうにことを言われた。


 なるほど!なぜかわからないけど、そういうことでいいんだな。彼氏のふりしておいて欲しいってこの前から言われているので、その打ち合わせどおりに振舞った。

 

 これでいいんでしょ?


 

 という訳だった。

 多分、コイツが悪乗りしすぎだ。



「なんでそんなかしこまった挨拶してるんですかっ!」

「でも、恋人の振りしろって、この前言ったでしょ?」

「あれは田村クンのときだけです!」


 あやの両親にしてみれば、そんなことを目の前でヒソヒソやっている、この二人の様子を見ただけで、二人の関係は確信できた。

 あやと草壁が口論している様子を見ながら、こっちもヒソヒソやっている。


「ねえ、お父さん、間違いないわあの様子」

「そうか……彼氏だったのか……」


 娘ももうお年頃、二十歳もすぎているのだ。彼氏の一人ぐらいできて当たり前、とは思うが一人娘である。お父さんは複雑な表情をしながら目の前で微笑ましい口論をしているカップルの様子を不満げに見つめるしかなかった。



「まあ、草壁さん、そういうことならお上がりになってくださいな」

「そういうことなら仕方ない、まっ、どうぞ」

 お母さんはそういいながら、さっさと店のシャッターを下ろしてしまうし、お父さんもややムッツリと黙り込みながらもスリッパを出してくれた。

 

 言われた草壁、「そういうことなら」という意味が若干よくわからなかったが、その手のことにはとりあえず乗ってみる、というのがコイツの図太いところでもあるし、悪いところでもある。




 あやがポカンとなっているのを尻目に、いけずうずうしくも辻倉家の敷居をまたいだのだった。




「一体、どうなってるの?!」

 こっそりお店での会話を聞いてしまったゆかり。訳がわからないまま、抜き足差し足、こっそりとダイニングキッチンに戻ってきた。もうオリーブオイルとかは、どっかに飛んでいる。

 けど、よくよく考えてみたら、この前の田村との一件がひょっとして、ご両親にも変な形で伝わっているのかもしれない。

 それにしても、あのお調子者、たしかに「お付き合いしている」ってご両親の前で言っちゃってたけど?イヤイヤ多分わたしの聞き間違いね。

 あやちゃんだっているんだから、彼女が事情を説明してその場はおしまいってところか?


 落ち着かない気持ちでそんなことを考えて、ダイニングテーブルに座って辻倉一家が引き上げてくるのを待っていた。



 が、その一家に引き続いて、草壁がのっそり姿を現したのを見たゆかり。


「ええっー!なんでぇ!!」



 ありえないわよっ!なんでサザエさん見てたら、エヴァンゲリオン出てくるの?



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 


「あの……詳しい事情のほうはあとでちゃんとご説明申し上げます」

 申し訳なさそうに、ゆかりの耳元であやが囁いた。

「なによ、それ!」



 親子3人で囲むとちょっと大きいぐらいのダイニングテーブルだったが、こうしてトーストしたバケットがてんこ盛りとなった皿まで含めると6つの大皿が乗っかるとちょっと手狭に感じられる。

 しかもそれを5人で囲むのだ。

 そう思うと、各自とりざらにとって食べるというスタイル、今日の会食にはちょうどピッタリのアイデアだった。

 因みにとりざらは、紙皿である。一杯用意しておいて汚れたら、適当に新しいのに取り替える。後の洗いものの手間も考えての計らい。


 そして、いつもより2人も増えた辻倉家の食卓は、いつも以上に賑やかに。とはいかなかった。最初は。


 なにしろ、今日の会食を一番楽しみにしていたお父さんが、ちょっと不機嫌。そして、ゆかりも怒っているというより、いまだに訳がわからない。かといって、他人の家のダイニングで草壁相手にいつもみたいにヒートアップするわけにもいかないので、大人しく、このお調子者を観察しているしかない。

 あやはというと、これも、裏の事情をこれまた洗いざらい話すというわけにもいかない。田村とのことなんてあんまり親の耳に入れる気にもならないトピックだ。


 よくわからないままに迎え入れられて、思わぬご馳走にありついた草壁と、娘にようやくちゃんと彼氏ができたんだとちょっと安心しているお母さんの二人だけが、明るかった。



「この鶏、メチャクチャおいしいですね!さすが、この二人がつくっただけある」

「あら、草壁さん、ゆかりちゃんとも知り合いなの?」

「ええ、3人でゆかりさんの家でこんな感じの食事会開くことたまにあるんです」

「なーんだ!ずっとそうやってお付き合いがあったのね」

「ええ、まあそんな感じでもう半年ほど」

「あら、そうなの?」


 実はちょっと会話がかみ合ってない。草壁が言う付き合いとは「お友達としての」付き合いだが、お母さんは「恋人としての」付き合いだと思っている。



 ここの長方形のテーブルは、だいたい草壁たちの部屋にあるのと同じぐらいの普通のダイニングテーブルである。あやの両親が並んで座る真向かいに、同じように並んで座らされた草壁とあや。そして、ゆかりはというと、なんでか彼氏のお披露目にいるまったく他人みたいな感じで、一人、ぽつんとお隣さんなしの状況。いろんな意味でポツンだった。

 

 さっそく始まった会食も会話の中心にはいつの間にか草壁がちゃっかり占めていた。


 言いたいことは山ほどあるが、全部後回しだ。ゆかりは、せっかく作った料理を味わう心の余裕もないまま、言葉少なく、フォークで料理をつついていた。



「このまえ、うちのおばあちゃんちに二人で行ったんでしょ?」


 お母さんが放ったその一言でようやく、両親の誤解のみなもとに気づいた二人だった。


 そこで何があったのかは聞かされていないゆかりから感じる無言のプレッシャーを受けながら、二人は顔を見合わせた。


「あのとき……」

「草壁さんが、いい加減な受け答えするから!今頃になってこんなことになってるじゃないですか!」


 またもや、あやと草壁が二人でコソコソやっている。聞いてたら、そればっかりじゃないの?なんか二人だけの秘密のお話があるようで、なんなのかしら?これ?


「どうしよう?このまま彼氏のフリしたほうがいいですか?」

「なんでそうなるんですか?!ちゃんと言ったほうがいいに決まってるでしょ?」


 だから、なんでずっと二人でヒソヒソ、コソコソやっているのよ!仲いいんじゃない!ほら、目の前でお父さんもお母さんも、やっぱりそうか、みたいな目でじっと見られてるっていうのに。


「あれはおばあちゃんが勝手に思い込んでいるだけなの!」

「そうなんです、普通の友達なんです」



 目の前で大慌てしている二人を見て、お母さんはプッと吹き出した。まあ、二人ともなんて初々しい、あやにとってははじめての彼氏みたいだし、彼のほうも照れちゃってる。


「友達、って言っても色々あるものねぇ……。お母さんは、恋人です。みたいな顔で開き直られるより、こうひとのほうが良いかもって思うわ」

 そして、お父さんもついには悪くない感触に変っていた。相変わらず、表情は固かったが、二人の様子を見ると付き合っていると言っても、かなり清い交際を続けているように思えたのだ。

「まっ、なんにしても、分別を持ったお付き合いをお願いするよ」



「ここんちの家系って、基本的に人の話は聞かないの?」

「自分もいい加減なことしといて、失礼なこと言わないでください!」

 両親の目の前でずっとこんな調子でヒソヒソやったあとで、あやに頭を張られる草壁だった。

 その様子が余計に両親に恋人同士という印象を強めるという結果になった。

 そして、一人冷ややかに辻倉一家と草壁のやりとりを見つめるゆかりの顔がどんどん能面みたいにさせもした。



 料理はいずれもプロはだしの出来。

 そして、もう付き合っているとかなんとか、途中でどうでもよくなってきた草壁は普通にニコヤカに食事を楽しんであやの両親ともすっかり打ち解けてしまった。

 それには、こんな事情もあった。


「君なんかは、あれか?」


 まだそのときには草壁とはすっかり打ち解けたわけではないお父さん、すこしぎこちない口調で彼氏との話題を見つけようと口を開いた。


「はい?」

「どんなことして遊んでたの?」

「遊びですか?」

「子供のときだよ。いわゆるファミコン世代ってやつか?」

「いや……ボクはプレステ2です」

「つい最近じゃないかっ!」

「ファミコン世代って言うとお父さんじゃ?」

「私のもうちょと後だな、私なんかは人生ゲームだったなあ」

「あっ、ああいうのやったことあんまりないから、一度やってみたいんですよ」

「するか?」


 こんな会話のあと、食後にさっそく人生ゲーム大会がはじまった。もちろんボードゲームのやつだ。


 なんでもお父さんが小さいときやってたものらしい、初代の人生ゲームがおでましとなった。


 これでお父さんの機嫌が一気に直った。

 もう何十年ぶりの懐かしさ。そして、娘しかいない家庭で男は自分一人という環境に長くいたところへ世代が違うは言え、話のしやすい男がやってきて、一緒になつかしのボードゲームで遊べる。


 微妙にテンションがあがる。

 という訳で、5人で人生ゲームが始まる。

 なんで、私もこんなことしなきゃいけないの?という、不機嫌なゆかりをも巻き込んで。



 5人で結局2ゲーム行って、どちらもお父さんがトップという結果に大喜びしたあとその日のささやかなパーティはお開きとなった。結局草壁とあやがお付き合いをしているのかいないのかうやむやのままに。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 そんなことがあったりする日常の中で草壁は今まで以上に忙しい日々を過ごしていた。

 例のアルバイトである。放課後になると電車にのってバイト先の旅館に行って皿洗いを済ませて家路に着くという日が週に何度かあるようになった。



 彼の働いている旅館というのは、双葉荘という名前の、ひまわりが丘近郊にある中規模旅館だった。

 客室のキャパはおおよそ150名。休みシーズン以外にそのキャパ一杯にまで客が入ることはないのだが、毎日の洗い場の仕事というのはかなりきつい。



 というのも名目は「洗い場担当」となっているが、これには食事の準備のお手伝いというのも加わってくるのだ。

 料理自体は専門の板場の職人が6名ほどいる。もちろん調理が彼らの仕事だが、料理を盛りつける器を洗い場にある食器棚から取り出して、板場と洗い場の間にもうけられている細長いカウンター台に並べて、盛り付けが終わったらそれを番重に詰めて、サービス係のいる各階の配膳室へとリフトで送り出す。ということもしなければならない。

 いわば、調理係と配膳係の間の橋渡し役。

 全部送り終わったあと軽く夕食をとると、客の食べ終わった皿がまた番重に満載になってリフトで送られてくる。それを洗って、皿を食器棚に戻して、掃除して終わり。


 大体10時ぐらいまでは続く。

 なにしろ、温泉旅館の夕飯だ。皿数が一人分、大小あわせて20種類ぐらいは使われる。しかも結構大きくて重いものも多い。

 それが夕食後一斉に洗い場に送られてくる。

 もたもたしていると、洗い場がすぐにゴミ屋敷みたいになった。

 

 これがかなりの重労働なのだった。




 洗い場担当のバイトは草壁を含めて4人。いずれも同年代の男ばかりで、初日からすっかり打ち解けることができた。

 きついバイトというのは、チームワークが肝心だ。

 一応、仕事はソツなくこなす草壁だったので、先輩バイトからもメンバーの一員として快く迎え入れられた。

 だから、体力的にはきつかったが、仕事が終わった後の充実感というのも格別だったりする。

 とにかく仕事終わりの一杯がうまいのだ。ビール、ではなくただの水なのだが。


 ”カーンパーイ!!”と言って、氷水の入ったジョッキを傾けるときに爽快感。いやあ、この一杯の為に生きてるなあ、と思わず言いたくなる。


「草壁クンも、すっかり慣れちゃったよね?」

「皿の場所とかすぐ覚えちゃったし」

「なんと言っても、この洗い場の次期エースだもんな」

「なんですか?その次期エースって?」


 仕事終わり、余計な照明を落として少し薄暗くなった洗い場のテーブルに腰掛けて、氷水を一同で飲んでいると、先輩バイトたちから、ちょっと心配になるようなことを聞かされた。


 なんでも、3人ともそろって近々このバイトをやめるのだそうだ。

「俺はもう大学3年だから、就活本腰いれないといけないし」

「こっちはもう新しいところ探して、近いうちにそっちに行くから」

 あと、家業を継ぐからなんていう人もいたりした。



 慣れたと言っても、あくまで先輩バイトのサポートもあるからのこと。まだこのバイトを3回しか経験していない草壁にとっては大変心細い話だった。

 しかし、そうは言っても……


「ボクだって期間限定で、一応冬休み期間が終わるまでってことなんですけど」


 そのあと、新人ばかりでこの洗い場どうするんだろう?仕事量だけじゃなくて、皿の場所とか料理の準備の一連の流れとか、板場と配膳室との打ち合わせとか、覚えなきゃいけないこと一杯あるのに、コロコロメンバー変って大丈夫なのか?この旅館。


 余計なことまで一人心配していると……。



「それまで、持つかな?」


 先輩バイトの一人がニヤニヤしながら、気になることを言った。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 一方のゆかりはというと、あの食事会の後、あやから詳しい事情を聞かされた。

 まるでいい訳するみたいに、とってつけたような話をされて、ちょっとした疑惑を感じないわけでもなかったが、そこは勘で分かる。

 多分、草壁とあやの二人が裏でこっそり付き合っているような真似はしていないだろうと。



「だから、あれはこの前草壁さんといっしょにおばあちゃんとこ行ったじゃないですか?あのときにおばあちゃんが勝手に勘違いして」

「おばあちゃん、ちょっとボケてたりするの?」

「ゆかりさん、草壁さん以上に失礼なこと言いますね?」

「ご、ごめんなさい」



 という訳で、あやはその翌日、ゆかりのピアノ教室に顔を出すと、さっそく事情を話した。

 だが、聞くと、あのお調子者も悪いわけだ。


「なんで悪乗りして、彼氏だなんて言ったの?」

「よくわかりませんが、たんに悪ふざけみたいですけど」


 ってふざけすぎでしょ?



「その話が回りまわってご両親の耳に入ったと……」

「はい……すみません」

「なんで私に謝らないといけないの?」

「……」

「へ、変な目でジロジロ見ないで!」


 もう!余計な気を使われると、却って妙な気分になってくる。私達だってただの友達だというのに。なんで勝手にそんなふうに言われなきゃいけないんだろう?

 何度も私は彼のこと断ってるっていうのに……。



「けどさ、あやちゃん」

「ん?なんですか?」

「昨日の雰囲気、あれだったらご両親、草壁さんのこと気にいったみたいじゃない?ひょうたんから駒ってわけじゃないけど、この際だから、二人でデートぐらい行って見たら?そうやってゆっくりお話する機会を持ったら、案外と考え方変ったりしないかな?」



「だから、急にそんなふうに話を持ってかないでくださいよっ!」

 ゆかりがこういうとき突拍子もない話をたまに言い出すことは承知していたあやである。けど、そうやってゆかりに突っ込みながらも、こんなことを思っていた。

 おばあちゃんち行ったあと、二人で水族館デートしたこと、多分言わないほうがいいな、と。またややこしいことになりそうだ。



 ピアノ教室でゆっくりお話できる場所というのは、その片隅に置いてある4人がけのソファーセットである。本日もそこでゆかりとあやが生徒がやってくるまでのしばらくの合間を利用して話し込んでいるのだった。


 込み入った話でもない、ただの先日の事情説明。おばあちゃんが勘違いして、草壁が悪乗りしてこうなりました。以上。

 かいつまむとそれだけのことだ。

 

「まったく、彼にも困ったものよね。あっ花瓶のお花変えておかなきゃ……」


 あやと話し込んでいるとそのうち生徒もやってくるかもしれない。子供は気にかけないかもしれないが、親御さんも付き添いで来るときもあるから、部屋の飾りつけもきちんとしておかないと。


 マメに中身を入れ替える花瓶には、造化ではなく生花をいけるのがゆかりの流儀。見る人が見るとやっぱり違いはわかるだろうし。なにしろ子供を熱心に習い事に通わせる親御さん相手だ、そういう細かいところはは気を使いたいポイントだった。



 あやとの雑談のついでに、花の水を変えようとゆかりが花瓶を手に持って立ち上がった。


「もうすぐ生徒さん来るんですか?」

「まだ、ちょっと時間があるから、ゆっくりしていっていいわよ、あやちゃん」

 ガラス製の花瓶を片手にゆかりがそう言って立ち上がった。その様子を見ていたあやが、ポツリと言った。


「彼に前、告白されたんですけど」



 エッ!!!



 ”ガッチャーン!!”



 あやの言葉を聞いて、手にしていた花瓶を思わず落としてしまったゆかり。ガラス製の花瓶が赤い花弁とともに砕け散った。


「あっ大変!ゆかりさん!怪我大丈夫ですか?」


 驚いてあやが立ち上がったところ、ゆかりのほうは呆然とあやを見つめていた。


「……こ、告白……された……の?」

「何、ネコが喋ったみたいな顔してるんですか?私が言ってるのは田村君のことですよ?」

「あ、た、田村クンね。アハハハ、そう、そういえばそんなことあったわよね、アハハハハハ」

「わき腹くすぐられてるみたいな顔して笑ってないで、危ないから割れた花瓶さっさと片付けましょうよ?」



 割れたガラスは特に危険。

 大きな破片を綺麗に掃き集めるのはもちろん、集めた破片の扱いも慎重に。新聞紙で包んで「割れ物注意」の張り紙もしてからゴミに出さないと。

 それから、念入りに掃除機がけ。どこまで飛んでいるかわからないから、相当広い範囲まで慎重に。

 仕上げは、綺麗に雑巾がけ。

 ひと段落するころには、教室が始まる時間も迫ってきている頃だった。


「ご、ごめんね、お掃除の手伝いまでさせて……あやちゃん居てくれて助かった。一人だったら、生徒が来る時間に間に合わなかったかもしれないから」

「ゆかりさん、ボロボロなんで見てられませんよ……それはそうと、田村君の話ですけどね」


 

 あの田村ってコ、真面目そうに見えて実はかなり手癖が悪そうね。なかなかやるわよ、彼。

 そんな話をあやのほうはスナックのミミママ経由で聞いたそうである。


「ゆかりさん、真面目そうだなんて言ってたけど、やっぱり裏あったじゃないですか」

「あやちゃんに振られたあと、私の隣にずうずうしく座ったときにはコッチもびっくりした」

「それで、恵ちゃんにも告白したらしいんですけど、花束持参だったんだって」

「同じことしたの?」

「それだけじゃないんですよ、ゆかりさん。そのあと『僕の気持ちです』っていうセリフまで同じ!」

「いっつも使ってるやり口なんだ!それで、二人から振られたと……」

「そ!なんか今木さんのほうは、花束でぶん殴ったって」

「バチがあたったのね!」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ちょうどその翌日というのが、土曜日。


 草壁のほうはその日の夕方ぐらいまでを競馬場で過ごしていた。

 彼自身は基本的にはギャンブルはしないのだが、同居人の一人がギャンブルでメシを食っている人で、もうひとりもその手のことが好き、ということもあって、この二人から誘われたのだった。


 そこで、人生初めての競馬場、と馬券購入を経験することになった。


 ギャンブルの結果はさんざんなものだったが、その日の彼はいわゆる「ビギナーズラック」というものを経験していた。


 それは――。




 一方の、長瀬ゆかりである。

 割ってしまったあの花瓶にかわる新しいものをその日、物色していた。

 

 なにも同じものを探す必要はないが、やっぱり中に生ける花と違って器のほうは、毎日目にするものだから、値段はともかく、気にいったものが欲しい。

 探そうと思ったら、いろんなメーカーからカタログ取り寄せるなり、ネットで調べてみてもいいんだけど、ありすぎて困ってしまう。


 そんなことを思っていた矢先である。

 意外なところに、良さそうなものが置いてあるのを目にした。


 お隣の古道具屋「宇宙堂」である。おおよそ、ゆかりが気にいりそうなものなどほとんど見当たらないような薄汚れた店のショーウインドウの片隅に、こじゃれたガラス製の花瓶を目にしたゆかり。


 今になって初めて気がついたということは、昨日にでも入荷した、あるいは拾ったものだろうか?



 そこで、店内に入って、草壁の叔父である変人店主、茂夫にこう切り出した。

「すみません、そこのショーケースにある花瓶、見せてもらえませんか?」


「おや、先生、花瓶探してるの?ああ、これね。いいのに目をつけたね。これはいいものだよ」

 ウソばっかり。と思いながらも、そこは突っ込むことはやめて、とにかく手渡されたその花瓶をよく観察してみた。

 小さめのビールジョッキを細長くしたようなガラス製のそれ、良く見てみたら傷もついていない綺麗なものだった。

 この手のものは、価格なんてピンキリだ。

 同じくらいの大きさのもので、ただの大量生産品なら100円ショップででも売っていたりするし、有名メーカー品なら、10万越えなんていうのもある。


 で、このブツだが、多分それほどは高くない。と踏んでみる。ずっしりとした重量感のある手ごたえから言って、数百円とはいかない様子。

 色々と調べてみた感触では、ネット通販で安くて2、3000円、ちょっとお高くても5000円。だが、ここの商品に5000円は出せない。2000円なら、発送料がかからない分、ちょっとお得。

 

 という訳で、値段交渉を試みるゆかりだった。



「これ、いくらするんです?」

「5000円だな。新品同様だし」

 思ったとおりの値段をふっかけてきた。まだ1万とか言わないだけマシか?けど、そうはいかない。


「お隣さんのよしみで」

「それなら、4000円だ。先生だからこの値段なんだよ」

「まだ高いような気がするんですけど」

「本当は4200円って言いたいところを、ぽっきりにしてるんだよ?こっちの商売も考えてくれよ」

「うちのピアノ教室の前を掃き掃除するとき、いっつもオタクの前もついでに掃除してあげてるの、知ってますよね?ここのお店、お掃除サボること多いみたいですけど、結構お店の前が綺麗じゃないですか?」

「……3000円」

「ところでこの花瓶はどこで、えっとなんて言うんでしたっけ?ああ、アレアレ『シ・イ・レ』してきたんですか?」

「……2500円。頼むよ、こっちも生活があるんだから……一体いくらなら買うつもりだ?」

「そうですね、2000円ポッキリなら」

「冗談じゃないよ!最初の金額の半分以下じゃないか。もう半値にしてるんだよ?」

「知ってます?」

「ん?」


 ゆかりはそういうと、通販雑誌を茂夫の目の前に広げて見せた。


「この雑誌にある、そっくりの花瓶が2200円で売っているですけど、同じような値段ならはっきり新品買ったほうがいいですよねえ……」


 お嬢ちゃん、たまたま目に付いて飛び込んできたという顔しておいて、実は、値段交渉のための小道具をちゃっかり用意している。行き当たりばったりの交渉じゃなかったのか……。



 お隣だからというわけで、包装もなにもいらないと言って、2000円を茂夫に押し付けると、ゆかりは花瓶を小脇に抱えて店を飛び出した。




 と、そこに草壁が立っていた。


 彼はその日、とても大きなビギナーズラックを経験していたのだった。

 それは、その競馬場リニューアル1000万人記念入場者となる、というもの。


 記念撮影してもらって、記念品をもらって、そして花束をもらっていた。


「すごいビギナーズラックですね?」

「そのかわり、馬券は散々でした。ところでゆかりさんこそ、こんなところで花瓶なんか抱えてどうしたんですか?」

「今、そこで買ってきたばかりなんです」

「じゃあ、僕の花束あげます」

「いいんですか?」

「僕が持ってても仕方ないし、それにいつもお世話になっているから、ほんの――」



”――僕の気持ちです”



「……ありがとう」



 商店街アーケードの下、行き交うまばらな通行人からチラチラと注目を浴びつつ、ゆかりは草壁から手渡された花束を受け取った。


 だが、草壁には不思議だった。

 そのときゆかりが、まるで1000万人目の入場者、オメデトウございます!っていきなり声をかけられたときの自分みたいな顔をしていたことが。




第28話 おわり

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