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第24話 家付き娘

 前回の続き、というわけで、草壁圭介と辻倉あやの二人が長瀬家へ招待されることとなったところからお話が始まる。

 ところで、ようやくこうして9月になって実家へと帰ることになった長瀬ゆかりと弟の亮作だったのだが、実家のほうからは、あれほど帰省を催促しておいて、いざ帰るというと、

「じゃあ、こんどの土曜日にいらっしゃい」

 というように、なぜか日にちの指定を受けた。

「あなたたちだけじゃなくてお客さんもいるって言うんだったら、準備も必要でしょ」

 と言われて、なるほど、とも思ったが、そんなに準備がいるほどのゲストを連れてゆくわけでもない、とも思ったりした。

 が、そう言う、実家の母の指示通りの帰省となったわけである。




 ところで帰省のほうなのだが、長瀬ゆかりと辻倉あやの女子二人組と、長瀬亮作と草壁圭介の男子二人組は別々の新幹線での移動となった。

 理由は簡単。

「お姉ちゃんたちは、色々と見て回るとか言ってるけど、草壁クン、朝早く起きるの面倒でしょ?」

 亮作がそんなことを言うものだから、お寝坊さん男子組は夕刻前ぐらいの実家到着という予定を立てた。

 草壁とルームシェアリングを始めたころの、律儀な早起きの習慣はいまやすっかり影を潜めてしまった亮作だった。




「それにしても、すごい家でしたね……」

 朝早くに家を出た女子組は、昼前に一足お先の到着となり、そこでゆかりの母、長瀬登善子との対面を果たしたあやだったが、話に聞いていたとおりの大きさに、最初は「うわぁ、すごい」しか言葉がなかった。

 しかし直後、地元を色々と案内してあげるというゆかりに手をとられるまま、手荷物を自分用のゲストルームに置くとさっそく、長瀬家を後にした。

 おうちの探検は、あとでいいでしょ?明るいうちに、色々と案内してあげるから。


 というわけで、ゆかりの母、登善子の車、プリウスに乗ってお出かけドライブとなった、二人だった。


「けど、車は普通なんですね?お母さんの車っていうからわたしベンツとかを想像してましたけど」

「なんで、国産車乗ったらダメなのよ」

「すみません、勝手なイメージです」

「だって、お母さん普段、スーパーに買い物に行ったりするときに乗るから、使い勝手が最優先よ」

「スーパーに買い物に行くんですか?」

「いくわよ!うち、お手伝いさん常駐とかしてないから、家事は普通にお母さんがするし」

「あ、そうなんですか?」



 ゆかりの運転するプリウスは、山肌を縫うように続く山道を進む。

「いいところですね」

「まあ、観光するところはいろいろとあるわねえ」

 杉木立の並ぶ山道脇をキョロキョロとみまわすあや。

「うちの両親とも、地元出身だから、遠くに里帰りってなくて、お店も、盆と正月に数日休むぐらいだから、一家で旅行もあんまりなかったんですよね」


 聞いてみたら海外旅行はおろか、2泊以上の旅行を家族でしたことがないというあやだった。

 今まででもっとも遠くへ行ったのが、女子高時代の修学旅行で行った沖縄。

「自営業って、お休み融通がもっとききそうだけど」

「うちみたいな寂れた商店街の電気店なんて、のんびりしてたら、すぐに干上がっちゃいます」

 ゆかりのとなりであやはそう言ってちょっと自嘲気味に笑った。商売の話となったら、いつも難しい顔をする両親を目の前に見ている彼女である。同じ屋根の下で商売をしているわけで、帳簿をみなくてもだいたいのところは想像がつくのだ。




 二人が最初に向かったのはとあるお寺。

 二重の屋根を大きく張り出した山門の向こうに六角形の立派なお堂の見えるそのお寺。

定義山じょうぎざんっていうんだけど、知ってた?」

「私は初耳です」

 大きな寺なのは分かる。お寺の境内が大きいとか建物が立派という以前に、大型観光バスが何台もとまれる広大なパーキングスペースを見れば。そこから続く境内に至る参道には団体さんや、家族連れまで大勢の観光客で賑わっている。


 いちおうお寺さんに来たということで、中に入って仏様でもおがんでゆきますか?

 山門を抜けた正面に見えた建物、立派なのだが、実はその奥にもっと大きい本堂があったりする。

 日本武道館を小型にしたみたいな堂々たるお堂の前で、観光客に混じって常香炉の屋根の下で立ち込めるお香の煙を浴びてみたりはしたものの、ゆかりがここに連れてきた一番の理由は、仏様よりもおいしいもの。


「三角あぶらあげが名物なんだけど」

「あっ!仙台で油揚げの有名な場所ってなんかどっかのテレビで見たことある!」

「ま、ここはそれが有名でね。あと玉こん」

「食べたい!」


 揚げたてのあおげさんは、香ばしくて中がふんわり。串だんごみたいなのが4つ連なった玉こんも、歯ざわり良くて、味がしみておいしい。



 本当はお寺のお参りもきちんとしたいのだけど、そろそろお昼もいい時間。

「食事はいいところ連れてってあげる」

 というので、さっそくゆかりのナビにまかせて、ふたりが向かった先は、とある料理屋。



 山奥から一気に海沿いにまでやってきたと思ったら、案内されたのが、「えっここが料理屋?」って思うようなたたずまい。

 車どおりも少ない幹線道路から一歩奥まったところで、両隣を雀荘と喫茶店に挟まれながら白木のまぶしい引き戸が見えるものの、店の名前だけ書いた小さな看板が植え込みに隠れるようにしてちょこんと立っているだけなので、それがなんのお店かよくわからない。


 さらに営業中かどうかもよくわからない。


「こういうところって案外高かったりするんですよね?」

「それがここは、割と値段もお値打ちなの」


 というゆかりの案内で中に入ると、店の女将さんらしい人から「あら、長瀬さんところのお嬢さん」なんて言われているところを見ると、顔見知り?あるいは常連さん?


「私は、2、3回来たことがあるだけだけど、お父さんがときどき会社の人たちとくるらしいの」


 驚いたのは、中は料亭とか割烹というより、はっきりいって「食堂」っていう雰囲気。

 カウンターの向こうの料理人は大将含めて、3人。大将と中年と若いのが一人。

 二人は、カウンターの後ろにある座敷に座ったのだが、テーブルの上にポットがあって、お茶は飲みたければご自分でどうぞって感じにプラスチックの湯のみがその脇に積んであったりする。

 箸も、牛丼屋みたいなプラスチック箸が箸立てに無造作に突っ込んである。


「雰囲気はすごく大衆的でしょ?」

 ゆかりの言葉どおり、すごく普通の食堂。けど、昼の時間にはちょっと遅めの来店だったが、カウンターにも座敷にも客の姿は多い。


「ここは、観光客相手というより、地元のリピーターがメインみたいなところだから」



 オーダーは私がしていい?おすすめがあるから。というゆかりの言葉にまかせると、やがてやってきたのが、

 一言でいうと、つみれ団子。

「これは、普通売り物にしないような小さな魚なんかをね、こまかく叩いてなめろうみたいにしたのを丸めて素揚げにしたんだけど、そういう魚を使うから、骨なんか入っててもやわらかく食べれるの」

「おいしい!身がフワフワ!何、この食感は?」

「でしょ?お魚の味がしっかりしてるのよ」


 それから、小さな巻貝の塩茹でしたものなのだが。

「イソモノとか言うけど、これもあんまり市場なんかで見ないけどおいしいでしょ?」

 見た目サザエを小さくしたみたいな小指の先ほどの貝。味のほうもサザエを小さく凝縮したみたいな旨み。ワタにも雑味が少なくてそのまま磯の香りを楽しみながらパクパク食べれちゃう。


「お刺身盛り合わせ、みたいなのも悪くは無いけど、ここでなきゃって言うのが、地味においしいの。それを食べてもらいたくて」


 ということで、次に出てくるのが、アジの干物だったりする。

 お店のおばあちゃんがつくる干物。干物つくって60年っていうおばあちゃん手作りの干物はただ乾いているってだけじゃない。そのまま食べてもふんわりしっとりしていて、甘味があって、臭みがない。

 それから、あおさ汁。これがおいしい、汁の具じゃなくて、たっぷりのアオサに汁をちょっとかけて食べるみたいな感覚。


「もう全部おいしい!全部おいしい!」

「あやちゃん、メイン食べる前に、おなかいっぱいにならないでね」

「メインってなんですか?」


 実はカレーだったりする。

「カレーですか?」

 って意外な感じがした。が出てきたのを見てさらに驚き。

「うわっ、すごい!イセエビの存在感!」

 イセエビ丸々一匹がトッピングに乗っているのだが。トッピングよりも、そのルーこそが一番のポイント。

「ん?わ?なんだろう?このあまーくてコクのあるカレー。それでいて、全然しつこくない」

「それね、そのイセエビのミソを大量に入れて作ったカレーなの。魚介の旨みたっぷり、っていうここでしか作れない、ぜいたく品。多分、それ都内とかで作ったら、松阪牛使うより高いだろうってもの」



 というわけで、このお店、地元ではそこそこ名の通った店らしい。

「観光地でいかにもな大きな看板出しているところも悪くないけど、やっぱりそういうところって、メニューとかも普通って感じの店が多いから」

「ふーん」

「とりあえず平均点、みたいな。お値段も結構するけど、地元の人間が通うようなところじゃないし。うちのお父さんがね、会社の人たちと気楽に飲めるいい店ってことで、時々通ってるから、それで私も知ってるの」


「社長なのに、以外と庶民派ですね」

「あやちゃん、絶対、うちのこと勘違いしてる。気楽な飲み会に、フランス料理のフルコースなんか行ったりしないわよ、普通」

「そんなもんですか?」

「うち程度の会社の社長なんてそんなものだから」

「今、若干、庶民派アピールしてませんか?」

「庶民だから」

「あの家住んでて、その言葉はないと思いますけど」




 そして、その後、女子二人組みは、青葉山城の伊達政宗公の銅像前で記念写真を撮ったあと、松島めぐりの観光遊覧船へ乗り込んだ。




 一方の草壁たち、男子組である。

「なあ、なんでゆかりさんたちは、観光するんだ?」

「見所は色々あるから」

「俺はなしか?」

「二人で、観光地回って面白い?」

「……そうかもしれないが、明日どうするんだ?俺、見知らぬ土地につれてかれて、放置か?」

「明日は釣り行こうよ!」

「またそれかよ」


 そんなことを長瀬亮作と話しながら、歩く草壁であった。

 これから、興味津々、長瀬家へおじゃまということになるわけだが、最寄の駅というのについてから亮作が「ここから、歩いて、20分以上はある」と言ったときにはちょっと驚いた。


 そんなに距離があるのか?お出迎えは?

「わるわけないよ。今、家にはうちの母親一人なんだし」



 やがて、ガーデンスペースもゆったりととってあるお上品な一戸建てが立ち並ぶ住宅街をテクテクと、若干の上り勾配の道を歩いてちょうど20分ほどたった頃。

「もうすぐだから」

 と言われて、曲がり角を一歩まがると、石垣の上に立つ白い漆喰塀がずーっと続いているのがいきなり目に入ってきた。


「おい。この塀ってもしかして?」

「うん、これがうち」


 見ると先のほうで瓦屋根ののっかった大きな門が見えるのだが、そこに行くまでに、道路を挟んでお向かいに見える、それなりの大きさの一戸建てが5つならんでいる。

 つまりその幅だけで、そこそこの一戸建ての5倍以上はあるということだ。


 3メートルぐらいありそうなその高い漆喰塀の向こうがどうなっているのかは、ここからは良く見えない。庭の真ん中あたりに大きな木が1本生えていて、その向こうに2階屋根の鈍色の瓦が見えてるだけだった。


 閑静な普通の住宅街の一番奥にそんなものがあるとは。

 って感じの家である。


「すっげえなあ……」

「ここ高級住宅街ってわけでもないから、余計にうち目立つんだよね」



 そう、高級住宅街に豪邸なら普通。しかし、ここは高級とはちょっと言いがたい、上品な住宅街である。そこに桁違いの豪邸だった。

 なんでネコカフェにトラがいるんだよ!みたいな話である。



 やがて亮作の後ろについて、銀黒瓦の乗った大きな屋根を戴く幅4メートルほどある数奇屋門をくぐってみると、中はおどろくぐらいにシンプルである。


 母屋に続く石畳を、脇の植え込みを見ながらてくてく歩いていると、広大な庭はただ芝生が広がっているだけだったりする。

 母屋の前にだけ、クリーム色の石畳をモザイク調に敷き詰めたテラスが見えるが、芝生以外に目に付くのはそれぐらいのもの。

 もちろん、そのテラスだって、申し訳程度のものじゃなくて、テーブルを並べたらそこだけでちょっとしたパーティの一つも開けそうなものではあるが。


 池とか立派な庭石とか、石灯籠があったりとか獅子脅しがカコーンと鳴ってるとか、そんな飾りはなし。

 ただその庭の真ん中に、邸宅のシンボルツリーのようにして1本の樹が芝生に囲まれながら大きな葉を茂らせている。因みに樫の木だという。




 そして母屋なのだが、純和風というより、和風モダンの落ち着いた印象のでっかい建物。

 そういえばこんな建物、以前どっかでみたなあ、って思ってよくよく考えてみたら、近所に最近できた老人養護施設に思い当たった。要は個人宅にはちょっと見えないような大きさである。

 ライトグレーの壁をした2階建て。部屋数13LLDK、だったか12、だったか、14だったか?


 かつて長瀬康二郎が存命の頃は、ビジネス、プライベートを問わず客を招いてホームパーティーを催すこともたびたびあったが、2代目、長瀬隆は、公私の区別をはっきりつけたがる性格。

 ビジネスの話がメインとなるような接待は外で。

 自宅に呼ぶのは、どちらかというとプライベートなお付き合い。


 広大な邸宅といっても、現在、この邸宅に住むのは、婿養子となった2代目社長の長瀬隆とその妻登善子の二人だけなのであった。



 もともと、人を呼ぶことを想定して建てられたこの家、客がいないとなると、ただただ、広いだけの手入れに手間のかかるものであった。



 仕方ないので、毎週2度、掃除専門の家政婦が二人やってきて、屋敷の掃除をしている。

 住み込みの家政婦というのは置いていない。家族のプライベート空間に他人が常駐しているというのは、雇い主側も気を使うのはもちろんだが、家族の数も多くは無いので、そんなものを必要とするほどの仕事が屋敷の清掃意外にはそもそもない。


 何度となく、家を小さくしようという話は持ち上がったのだが、そんなことをすれば、「あそこの会社、経営状態が悪いのか?」と勘ぐられるかもしれない。

 ということで、ゆかりと亮作が家を出た今、夫婦二人が我慢してこの馬鹿でかい邸宅に住んでいた。

 贅沢な話だが。




 でかいわりには、軽く動く観音開きの玄関ドアを潜り抜けると、目に飛び込んでくるのは、そこだけで12、3畳ぐらいはありそうな玄関ホール。

 壁脇のシューズボックスは白木の飾り格子を施した高さが天井まである大きなもの。おそらく家族の靴なんかはみんな入れてあるようで、玄関の土間には、つっかけの一つもない。フロアは薄い栗色をした大理石張り。

 なんかもう、個人宅じゃなくて、高級料亭にでも来た気分だった。



「ようこそいらっしゃいませ、いつも亮作がお世話になってます。母の長瀬登善子と申します」

 出迎えにやってきたのが、草壁には初対面のゆかりの母親。


 女性相手にうかつに年齢は聞けないが、えっ、この人本当に40超えてるの?と普通に思う。

 20代は言い過ぎでも、かなり綺麗な30代。

 そういえば、この人の妹の長瀬文子も若いといえば若かったが、あっちはどうも安ホステスっぽい軽さがあるのだが、こっちは品がある。

 長くて豊かな髪を、きちんと後ろでたばねて綺麗に分けた額の下、うっすらとお化粧をほどこした目元の、クリクリしたところなんか、ゆかりそっくりだ。

 いや、ゆかりがこの目とそっくりというべきだろうが。


 ぽっちゃりというわけではないが、ふっくらとした頬の口元をキュッと結びながら微笑んでいると、自然な感じで口角があがって愛嬌のある若々しい顔に見えた。

 20歳の草壁が隣に並んでちょっと照れちゃうぐらいに。


 普通のスナックだと思って入ったところに、こんな人がカウンターでにっこり笑っていたら、多分帰ったほうがいい。なぜなら予算が一桁は確実に違うところだろうから。



 素っ気無い白のカットソー姿がよく似合う。こんなお屋敷バックに背負ってると思うと余計に素敵。首元でさり気なく揺れているネックレスには小さな飴細工みたいなデザインしたトップがついている。多分、高いだろう。


「何もかもが桁違いなのでびっくりしました」

「そんなに驚かないでも大したものじゃないわよ。実は全部安物」

「本当ですか?そのネックレスもメッキじゃなくて銀なんでしょ?」

「残念。これは全部プラチナ」

「やっぱり、そう来ますか……高そうですね?デザインも綺麗だし」

「あなた、その年の男の子の割りにそんなことわかるの?でも、値段は教えてあげません。ヒントはティファニー」



 気になってあとで草壁が調べたら150万円なり。

 それはともかく、初対面のときからゆかりのお母さんといきなりそんな会話を交わしていたりする草壁だった。登善子が気さくというのもあったが、草壁もそういうところで人の懐にすぐ入ったりする。




 ちょうどその頃。女子組はというと――。


「キャー!これおもしろいけど、ちょっと怖い!」


 海風の吹き付ける松島観光遊覧船のデッキの上では、あやとゆかりが船内の売店で購入したエサを使って、船を包むように併走するカモメの餌付けに歓声を上げていた。


 カモメをこれほど間近に見れるなんて珍しい機会。

 船が岸壁を離れるとすぐに、まるで従者のように、律儀に近づいてきた。相手がカラスとかだったら結構おっかないかもしれないが、つぶらな目をしたカモメがじっとこっちをもの欲しそうに見ながらついてくるとカワイイ。


 大抵のやつは、船を追いかけるようにしてついてきて、やっとこさ客の手からエサをつまんでゆくのだが、たまに厚かましいやつがいて、平気な顔してデッキの手すりに止まって悠然とスナック菓子を次から次へと与えられるままに飲み込んだりするのがいる。



「今日は、楽しかった!」

「喜んでくれてよかった。あやちゃん連れてきたかいがあった」

「それにしても、里帰り、遅くないですか?お盆とかには帰らなかったんでしょ?」

「うん。まあ。それで、とうとうお母さんから怒られて、今やっとみたいな、ね」


 船も遊覧コースの半ばに達するころになると、団体さんらしい年寄りたちの群れが、一斉にデッキの手すりによってきた。

 二人は、手すり際を彼らに譲ると、デッキ中央に据えられたベンチに腰掛けて、目の前でカモメの餌付けに興じる団体客の様子を見ていた。


 互いに近くに座っているせいで潮風に舞い上がる二人の髪が空中でもつれそうになるのを二人とも、忙しげに手で直す。

 良く晴れた洋上には、甲高いカモメの鳴き声が短く響いていた。


「なんとなく帰る気になれなくて」

「親不孝なこと言いますよね?」

「家が嫌じゃなくて、帰ったらお見合い話があるかもなんて……」


 あやもゆかりがゆくゆく婿養子を取るという話はこれまでの中で聞かされていたので知っていた。

 そして、そんな話をするときのゆかりはどうも乗り気じゃなさそうなことも。


「まさか、もうせっつかれているとか?」


 直しても直して乱れる髪の毛にまるであきれたような顔をしながら、軽く笑って首をふるゆかり。


「まだ、具体的にはなにも……けど、うっかりすると期限きられそうで……いずれ決断するにしても、そんな期限ちらつかされながら、暮らしていたくないじゃない?」


 あやにとって見れば、他人の家の事情。と言ってしまえばそれまでだが、ゆかりが結婚するということは当然こちらに帰ってしまう。つまり親友との別れを意味する。そういう意味では心配しているところがあった。

 ゆかりからなにか深い事情でも聞けないかと思って、つい思わず、隣で彼女の様子を探るように見つめていた。


「家を継ぐのが嫌なんですか?

「そうじゃないの。ただ、まだのんびりしていたいだけ」


 そんなふうに笑って軽く否定するゆかり。そのとき、あやにはある連想が頭の中によぎったが、冷やかしみたいになるような言葉は慎んだ。多分、そんな質問に本心では多分答えてもらえそうにないだろうし。

 だから、その代わりにこう聞いた。

「許婚みたいな人が、もう決まってる?」

「親には、この人といっしょになってくれるならって言う人がいて……わたしも、適当にお茶濁してるから、まわりもその人といっしょになるんだろうな、って期待してるみたい」


 聞いていると、仕方ないのでその人と一緒になってもいい、とでも言いたげな言葉だった。内容といい話し方といい。

 どうして、自分の意思で決めちゃダメなんだろう?

 他人の結婚なのだが、そんなことをチラッと思うあやだった。まあ、ゆかりさんの本命というのが別にいるとして、背負ってるものが背負ってるものだけに、誰かを連れてっても簡単に両親が首を縦にふるとは思えないけど。



「もし、別に好きな人ができたとして、その人と一緒になるという選択肢はないんですか?」


 あやの言葉を黙って聞いているゆかり。やがて洋上を飛ぶカモメたちをまぶしそうに見ながら言った。


「私だけ、自分勝手にしあわせにはなれないの……」




 さて一方の草壁である。

 さっそく、屋敷の中に通された。

 玄関の大理石張りのタタキを一段上がると、そこからは光沢のまぶしいオーク材の床板を敷いた廊下。それをまっすぐ15メートル以上歩きながら亮作が

「草壁クン、この前言ったでしょ?40畳のメインホールはここ」

 と右手の壁を指して言う。

「さっきの玄関すぐの部屋が応接室で、あとこの並びはトイレとか洗面所とかお風呂とか物置とか」

 左側に並ぶ扉を指してそう言われてもよくわからない、だって全部扉は閉まっていて中が見えないのだから。言っている亮作にしてみれば当たり前のことかも知れないが、初めてのものにはどこがどこやら。


 それはそうと、歩いて気がついたのは、この屋敷、モノがない。

 ない、というと語弊があるだろう。廊下には飾りの小さな絵画が壁にあるぐらいで、電話台だとかゴミ箱みたいなものの姿は見えない。まるで竣工後の屋敷引渡し直後みたいになんにも見当たらない。

 おそらく、モノは隠されているに違いない。


 そして廊下をまっすぐ行くと、突き当たりはちょっとしたホールとなっていて、上り階段と目の前に扉が3つ並んでいる。


「この一番右の部屋が、リビング。草壁クン、荷物置いたら、この部屋に下りてきてね」

 ちなみに、そのプライベートリビングの隣が食堂、その隣がキッチンである。



「じゃあ、お二階に案内しますね。草壁さん、あなたのお部屋そこに取ってますから」


 登善子に導かれ、3人そろって階段を登った。幅は自分たちが住んでいるマンションの階段と変らないぐらい。大型家具だってゆっくりと搬入できるだろう。階段は、途中で小さな踊り場を挟んでコの字型に連なっていた。それだけ一階の天井高があるというわけだ。

 その踊り場の窓は庭に面している。覗くと、庭のど真ん中に立つ、差し渡し1メートル以上はあろうかというあの樫の木が、緑鮮やかな芝生の上に大きな木陰を落としている様子もよく見えた。あらためて見ると立派なものだった。


 2階はほぼ長方形の形をしている。そこに5つの部屋と、風呂と洗面所とトイレ。

 階段を登ったすぐに隣にあるのが亮作の部屋。草壁が案内されたのは、階段を挟んでその向かい。

 登ってすぐ目に入るのが、壁際に並ぶ部屋々々に囲まれた見た目部屋みたいなのが2階中央にあるのだが、これはウォークインクローゼットだとか。それだけで6畳あるという。



「本当に質素な部屋で、おはずかしいけど、ゆっくり寛いでいってね」

 通された部屋というのが8畳ほどの大きさ。そこに、セミダブルのベッドと小さな机なんかがあるのだが、質素といえば質素。豪華なお部屋じゃない。一泊1万円ぐらいのビジネスホテルの部屋みたいなものだ。

 しかし、そんなものが来客用にいつも空けてあるというのは充分に普通じゃないのだが。




 どうでもいい話だけど付け加えておくと、実は家族の居室というのは、母屋1階にあって、2階はすべて基本的にはゲストルームなのだった。

 ちょうど草壁が通された一階の廊下を通って、階段を登らずに左に曲がるとそこで突き当たって、最初の廊下と平行して走るようにこれまた長い廊下があるのだ。

 夫婦の寝室、書斎、家族の私室から仏間まで、長瀬家のプライベートエリアがそこに連なっている。で、最初は亮作もその中の一室をあてがわれていたが、実はこのエリアは北向きでちょっと日当たりが悪い。

 40畳のメインホールと、20畳のプライベートリビング。それとやはり来客をもてなすための和室などに屋敷のもっとも日当たりのいい部分を割り振ったためそうなった。

 その後、ゲストのために空けておいた2階の部屋もあまり使わなくなった頃、二階の部屋の中で東と南に開けたもっとも明るい部屋を彼が自分の部屋として使うようになって、現在に至っている。


 本当にどうでもいい話であるが。



「デカイデカイとは聞いてたが、とんでもないところに来ちゃったなあ……」


 庭に南面するサッシ窓のソバに立った草壁から思わずため息が出た。サッシの向こうは小さなバルコニーになっているので、ちょっとそこに出てみた。幅は1メートルもあるかどうかという、狭いところだった。

 このバルコニーはぐるっと屋敷2階を囲むように続いている様子。

 仕切りらしいものがないから、隣の亮作の部屋までちょっと歩いたら行けるわけだ。別に行ってみたくもないが。

 目の前にはあの庭の樫の木の葉叢の広がっているのが見えた。

 庭の芝生はここから見るとやや横長の長方形に広がっている。中央の樫の木も立派な樹木なのだが、芝生もテニスコートの2つぐらい入りそうなものだから、その木がまったく窮屈そうに見えないのがすごい。



 住宅街の最も奥深くにあって、ここから見ると目の前の家々の瓦屋根をいろんな意味で見下ろしているみたいな邸宅だった。

 うまいこと近所づきあいしないと、絶対近隣住民から嫉妬を買うな。

 つまらないことを考えたりした。



 荷物置いたら、1階のリビングに下りてと言われていたが、初めての家だし興味津々でとりあえず、自分の部屋の中をあちこち見てみたりする。

 小さなテレビをつけると、初めて目にするローカルCMにでくわしたりするのも楽しかった。

 ベッドの寝心地は、普通。壁の作りつけの棚の中に埋まるようにして、小さな冷蔵庫があったりして、まるっきりビジネスホテルの一室にいるようだ。中を見たら、ちゃんとお茶やらミネラルウォーターやドリンクが十数本よく冷やされていた。

 スキがねえなあ。


 そうこうしていると、扉の向こうで人の声がする。いずれも聞いたような女性の声ばかり。

 このタイミングで女子組も仙台観光を終えて帰宅となったようだ。



 それから、草壁は言われたとおり、部屋を出るとリビングへと顔を出すことにした。

 本当は色々と見てみたかったが、今やってきたばかりの他人の家を勝手に見て回ることもできないので、二階にある最新式ウォシュレット搭載したトイレと、その隣ある、ガラス張りした風呂を覗いて、この浴槽でかいなあ、身長177センチの自分が浴槽の中で寝れる、とかヘンなところに感心しただけでおとなしく下りていった。



 しかし、清潔感があるといっても生活感があんまりないものだから、旅館やホテルというより、学校にでもいるみたいな気がしてくる。

 気になって壁を触ってみたら、多分これクロスを張っているんじゃなくて、塗り壁だ。継ぎ目がないし、叩くとカンカン音がする。

 見た限り、建築コストに妥協したという要素が全然見当たらない。こんな家を建てるような人がそんなこと細かく考えないのだろう。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 そんなこんなで一階ホールに降り立って、亮作から言われたとおりに、向かって一番右手にある、やけに幅のある薄灰色した扉のバーハンドルを開けて中に入ってみた。



「遅かったね。絶対どっかうろちょろしているに違いないってみんなで言ってたんだけど」

 2階のプチ探検をしていた分、ちょっと遅くなった草壁だった。すでに、女子組の二人と登善子も部屋のソファーについて、みんなにお茶を淹れているところである。

 見ると、ゆかりのとなりでちょっと目を丸くしながら、キョロキョロしているあやは若干まだ寛ぎきれない様子だった。


 そうかもしれない。

 20畳という広さよりも、部屋がご立派。

 多分、大人が肩車しても手の届きそうにないような高い天井には太い梁材が数本わたしてあって、そこから間接照明のやわらかい光を降り注がせている。

 壁は基本的に薄いクリーム色した色合い。しかし、壁面中央に樹皮みたいな模様の石をくみ上げているところがあって、それが作りつけのテレビ台である。

 石組みの棚の中に、プレーヤーが置かれているのは見た目、ちょっとワイルド。けど重厚。

 で、その上に80インチっていう大きさの液晶テレビが置いてあるのだが、それがこじんまりと見える。


 なぜなら、部屋の中央にあるソファーというのがデカイ。

 縫い目の様子からしてゆったり5人はかけられるのを挟んで、その半分ぐらいの大きさをしたのが両脇に「コ」の字をなして置いてある。さしあたり合計11人ぐらいは座れそうだ。

 そのソファーは少しくすんだベージュっぽい色をしていて、背もたれは案外と低い。そのために、腕を背もたれにまわしてくつろぐにはとても楽。

 座り心地が、いい。

 腰を下ろして、沈み過ぎないし、かと言ってクッションが張りすぎて硬いということもない。

 低反発素材に近いがあれよりやわらかく、適度に反発もある。ちょっとふくよかな人の膝の上にでも乗っている心地。



「あんまりキョロキョロしてないで、お茶でもどうぞ。もうすぐお父さんが帰って来るから、そうしたら夕食にしますから、お茶だけにしときましょう」

「お父さん、土曜日なのに仕事?」

「ゴルフの練習。来週、コースを回るから、体慣らしとかないとって」


 最初遠慮して、ソファーの端に腰を下ろそうとしたら、登善子から、こっちいらっしゃいと言われて、あやと並んで80インチモニターと対面するように、ど真ん中に座らされた草壁であった。


 ようやくここで対面となったゆかりのほうをチラッと見ると、草壁が始めての豪邸にちょっと戸惑っているみたいな様子をちょっと可笑しそうに見ていた。

 目が会うと、クククッと笑う。

「おかしいですか?」

「まるっきり借りてきたネコ」

「けど、草壁さん、あなた遅かったけど何やってたの?本当にうちの探検でもしてたの?」

「探検ってほどのことはできなかったです。2階のお風呂が見てみたら大きかったので、ちょっとその中で寝転んでました」

「ホントにやってたの!面白い人ね。亮作から聞いてたけど」

「ちょっと、待て、お前いったいご両親に俺のことなんて言ってんだ」

「ん?さっきの言葉どおりだよ」



 リビングでのことを話し出すとキリがないのだが、一つ、こんなことがあった。


 ちょうどそんなふうに、ゆかりの母親と話をしていると、一人の女性がリビングにやってきた。

 ん?たしかこのお屋敷には現在ゆかりの両親ふたりだけで住んでいて、住み込みのお手伝いさんなんかいないはずだけど、だれだろう?このエプロン姿の上品な感じの女性は?

 とか思っていたら、ゆかりや亮作と親しげに挨拶を交わしだした。とくにゆかりのほうとは「一人暮らしでもちゃんとお料理してる?」「自炊もいいけど、たまには誰かのために作ってあげないと、腕オチちゃうよ」なんて、にこやかに喋っている。

 聞けば、この家でホームパーティなんかを催すときに、料理の手伝いに来てくれるという、地元の料理研究家だそうで。そういえば、ゆかりさん、そんな人の存在を以前、チラッと言っていたなあ。


「お口にあうかどうか分かりませんが、お若いお客さんだし、肩肘ばらないメニューにしてますから、どうぞごゆっくりと楽しんでいってください。じゃあ、私、キッチンに戻りますね」

「もうすぐお父さんが帰って来るから、それを迎えたら私もすぐ行きますから」

 簡単な挨拶の後、登善子の言葉を背に受けながら、その人はリビングを後にした。


 へえ。そんな人の作ったものが出るの?どんな夕食なんだろう。



 どうでもいいことだらけみたいなのだが、これまた付け加えておくと、このゆかりのお母さん、とても律儀で古風なところのある人らしく、旦那が仕事の時はもちろんのこと、遊びに出かけるときだって、いつも門のところまでお見送りをし、そして帰って来る時間になると夫を門の前で待っているのだった。


 この話は実は草壁はずっと後に知ったのだが、それを聞かされてちょっと驚いた。




 というわけで、やがてゆかりのお父さんの帰宅ということに相成った。

 時刻にして5時をちょっとすぎた頃だ。まだ夕暮れ時というには随分と明るい空の色が、リビングの南向きの大きな窓にかかったレースのカーテン越しに透けて見えていた。

 もちろん、室内は冷房が快適に効いているわけだが、屋敷全体にいきわたっている清潔感のせいか、よけいにそんな景色も涼しく感じられた。



「こんにちわー。いや、こんばんわーだったかな?どうも!」

 妻を背中に連れて、現当主の2代目社長、長瀬隆が、そんな軽い調子でリビングに姿を現した。



 パッと見て、とても意外な気がしたのは、「社長」とか「お金持」とかいう言葉になんとなくゴージャスなイメージばかりを連想していたせいかもしれない。恰幅がありそうとか金ぴかな格好していそうとか思っていた。

 ところが、部屋にやって来た隆の風貌は、一言でいうと「華奢」だった。

 背格好は痩せ型で、肩幅も狭い。それでいて、身長は草壁よりちょっと低いぐらいってところだから、見た目なかり長細い。

 休日とは言っても、櫛目もきれいになで上げて整髪した髪は、とてもつややか。

 企業のトップというよりも、絵筆でも握らせたほうが様になるような、とても物腰も風貌もやわらかな人だった。

 ややのっぺりした面立ちなんかは、そういえば亮作は父親似だと思わせるところがあった。



 途端に慌てるように立ち上がって、そばにまで挨拶にやってきたあや。ついでに草壁もそれに見習って後ろをついて言って、「は、始めまして!」なんて、ちょっとしどろもどろっぽくなってしまっていた。


「ハイハイ、堅苦しい挨拶は抜き。ほら、ほら、二人とも席に戻った戻った。結婚の挨拶に着たんじゃないんだから」

 隆のほうは、わざと困ったような笑顔を浮かべて、ふたりをソファーへとまるで追い立てるように戻して、自分も、彼らの隣に「お隣失礼しますよ。今日は疲れたよ。さっきまで2時間もクラブ振りっぱなし。どう?顔ちょっと焼けてない?あっ、初対面だからわからないか!アハハハ。あっ、お母さん、私にもお茶頂戴。これ熱いの?冷たい麦茶のほうがいいわ、うん、ありがとう」


 気さくなお人柄の様子。



 それまで登善子の居た場所に、やはり草壁とあやをソファーの真ん中に据えるようにして座ると、すぐとなりの草壁とあやに向かって、笑顔のまま深々と頭をさげた。


「私ここの当主の、長瀬隆と申します。滞在中は我が家のように思って寛いでいってください」


 物腰もまことに低い。



「今日はどっかに行ったの?定義山?ああ!アゲ食べた?そう。君は?亮作。お前、彼のこと普段なんて呼んでるの?あっそう。じゃあ、草壁クンは?何、さっき来たばっかり?亮作、お前お客つれてきて、なにしてるんだ?明日釣りにゆくって。他には?……呆れたやつだな。ゆかり。お前は彼女のことなんて普段呼んでるんだ。あ、そうか。やっぱり、初対面で、ちゃん付けは狎れ狎れしいか。いい?そう。あやちゃん、何泊するつもり?……もっと居たら?部屋一杯空いてるし。え、草壁クンは学校あるんじゃないの?なんだよ、不満そうな顔するなよ、君も厚かましいところあるな。僕があやちゃんに言ったら、すぐに自分は?って指差すんだもんな、シレッとした顔して」



 草壁のすぐとなりで、すっかり寛いだ様子になって楽しげな隆である。この手の客あしらいは慣れているのかもしれない。まだ固いゲストに適当に話しを振りながら、ニコニコしている。

 着ているものも、白地に水色のストライプの入ったポロシャツにグレーのスラックスという、気構えのない普通の部屋着だった。

 が、隣にいると、微かに洗濯洗剤の香りがしたということは、帰宅してから、おそらく新しい服に着替えてやってきたのだろう。

 そうして、ホスト役を隆にゆずると登善子のほうは、いつの間にかリビングから姿を消していた。




 やがて、一同はリビングとなりの食事室に通された。横文字で言えば「ダイニングルーム」というのだろうが、ここ長瀬家では、この部屋をみなが「食事室」と呼んでいる。食堂でもダイニングでもない。


 シンプルな部屋だった。つくりだけは。

 東に面した側に大きな窓があるが、その中央にはみょうにでかいテーブルがデンと据えてある。



 ウォルナットの無垢材から切り出した超大型のダイニングテーブルは、短辺には一人掛けだが、長辺には5人が並んで掛けられる大きさ。つまり12人がけ。なぜわかるかというと、その数だけの椅子がちゃんと並べてあるから。

 木材から、製作を依頼する職人まで、亡き先代当主の長瀬康二郎がこだわった逸品とのこと。

 がっしりとした太い足と、分厚い天板、華美な装飾がほどこしてあるというわけでない重厚なこのテーブルは先代の人柄を偲ばせる。

 力自慢の業者が4人がかりでやっとこさ運び入れたらしい。



 その上に、少し黒めのオレンジ色をしたテーブルクロスがかけてある。カボチャの実みたいな色だ。


 セッティングされているのを見て、綺麗とは思ったが、果たしてそれが正式な洋食のものだとか和食の様式だとかはよくわからなかった。


「いや、そんな堅苦しいものじゃないよ。多分、これ和食に近いと思うけど、うちの家内のアドリブだろうね」


 あやが感心して聞いたのを受けて隆が笑った。


 各自の前にはベージュ色したマットが敷いてあって、一番手前に箸置きをマクラにして塗り橋が横になっている、こういうところは和風。が、右手にフォークとスプーンが縦に並んでいるのはちょっと洋風。が見るかぎりナイフがない。基本はお箸でどうぞ、ということで、完全な和洋折衷の長瀬登善子のオリジナルセッティングのようだ。

 それとマットの上に小さな白い丸皿があったりする。


「それはね、多分だけど、パン皿だよ」

 なるほど、テーブル中央の薄桃色したハナミズキと白バラの生けてある花瓶のとなりには、バターロールらしきパンを満載した籐細工のバスケットが置いてある。




 と、ここで、奥さんがお隣のキッチンに繋がっているドアを開けて、エプロン姿のまま顔を出してきた。そして、旦那とヒソヒソ話を始めた。

「遅くなるんですって。なんか電車乗り損ねたとかで」

「仕方ないな、お客さんも料理も待たせるわけにいかないからこっちはもう始めればいいだろう」


 そこで、気がついたことがある。

 パーティーの参加人数分セッティングしてある食器の数についてだ。長瀬家の4人とゲストの草壁、あや、これだけなら6人のはずが、なぜか7つ用意してある。



「じゃあ、ごめんなさい。あの、この席は一つ空けておいてもらえます?じゃあ、こっちからあやちゃんと草壁クンね」


 短辺に用意されているのは当主である隆の席なのはいい。そして、そこから見てすぐ右手に妻が座って、その隣にゆかりと亮作。

 それに対面するように反対側にあやと草壁が並んだのだが、隆のすぐ左の席が一つ空けられての着座となった。



 あやと草壁が顔を見合わせて、「誰が来るのだろう?」とか思っていると、目の前でゆかりが、時折、不機嫌なときにみせる、あの無表情な能面みたいな顔をしている。

 いつもほどアカラサマではないのだが、彼女が発する独特の空気を何度も味わったものには「アレだ」と分かる雰囲気を確かにしていた。



 そして各人が席につくと、一旦キッチンに戻った登善子が、ステンレスでできた妙にでかいキッチンワゴンを押しながら再び現れた。


「まずは、アミューズ。今日の料理はフレンチとかイタリアンとかよくわからないものだから、みなさん全部お箸でどうぞ。もし使うんでしたら、横のスプーンやフォークをお好みで」



 大学ノートをもう一回りか二周りぐらい大きくしたような、真っ白な四角いお皿のうえに乗っかった前菜の登場。

 それを各人の前に置いていると、隆が立ち上がって、クーラーの中に冷やしていたワインを開けて、奥さんの後に続くようにして、ゲストのワイングラスに注いでゆく。


”あやちゃん、ワインはどう?あんまり飲んだこと無い?これ?なんだろう。私もワイン詳しくないから”

”草壁クン、お酒飲むの?うちで亮作とは?……あ、ごくまれに?あっそう。お口にあうかわからないけど”

”ゆかり、お前にワイン注ぐなんてのも、あんまりないからね。普段飲むの?あんまり。あっそ。ん?草壁クン、笑ってるけど”

”亮作。お前もそういう年になったんだから、いつか二人でゆっくり飲みに行くか?なんで遠慮するんだ?”




「考えてみたら、こうやってお客さんを迎えての食事会をうちで開くなんて、本当に久しぶりだな。ゆかりがうちに居た頃が最後だったかな?」

「そうですね。まあ、ごゆっくりと召し上がってくださいな。まだ次のお料理の準備もあるし」


 ホストである長瀬夫婦のニコヤカな笑顔とともに始まった食事会であった。

 草壁のほうはどれぐらいのペースで食べていいのかよくわからないものだから、目の前のホスト一家のペースに合わせてチョボチョボと目の前のアミューズに手を伸ばして、舐めるようにしてワインを口に運んだ。



 目の前に置かれた皿の上には、数種類の前菜類が彩りよく並べられている。彩りが綺麗というのは、それだけ使っている材料が豊富ってことだ。

 盛り付けられている品自体はいずれも箸でつまみやすく食べやすいように、上品な一口大にまとめてある。

大き目の皿の余白を生かした盛り付けは、遠目で見ると雪の上でカラフルな衣装をした小人たちが遊んでいるみたいに見えた。


 そんなアミューズに箸を伸ばすと、さり気なく登善子の説明が入る。聞いても半分よくわからないものだったが。


「それは、ロックフォールチーズと干しイチゴの生ハムロール」

「よこに散してある、黒いのはなんですか?」

「それはただの黒コショウ。お好みで付けてみて」



 甘さと塩辛さのハーモニー。チーズの風味の濃厚です。お酒のアテにもぴったり。チータラとは存在する次元が違う。


「こっちが、乾燥ポルチーニ茸と枝豆の豆腐白和え。ゆずミソであえてチッコリーに乗せてみたもの」

 あっさりというより旨みがあります。チッコリーの爽やかさにつつまれてグッドマッチです。


「この黄色いレモンゼリーみたいなのなんですか?」

「草壁クンね、もうちょっと言い方ないの?それはシメジと車エビのサフラン寄せ」

「これもそばにかかっている黒い粒々ってコショウですか?」

「それはトリュフを細かくして散したもの。それもお好みで付けて食べてね」


「このタコの薄切りの上に乗ってる赤と黄のちっちゃいのなんですか?見た目もビーズみたいですごく綺麗」

「それは、パプリカのピクルスを小さく刻んだものを、赤ワインビネガーのソースのジュレを作ってそこに混ぜ込んだもの。ピクルスは簡単だから、おうちで作ってみたら?いざという時の料理の彩りにすごく役立つわよ」

「お母さん、すごいお料理上手ですね!」

「私はただのアマチュア。さっきの先生の全面的なバックアップあってこそだから」

「けど、ゆかりさんがとっても料理上手な理由がわかりました」



 こんな料理をサラッと出されて、草壁の隣であやのテンションが妙に上がっていた。彼女、もともと料理好きらしいし。そして、そんなことを話ながら、ゆかりの母親ともすっかり打ち解けた様子。



 ディナーというには少し早めに始まった食事会だが、気がつけば、外はすっかり夕暮れ時となっていた。

 外の様子など気にする余裕を持たせない、ホスト夫婦の気遣いとお料理のクオリティー。

 しかし、お酒の量はあまりすすまなかった。

 なにより、初めてのお呼ばれである。いつものようにグビグビ飲むわけにもいかない。見れば、正面の亮作とゆかりも、話に適当に入ってくるのだが、普段はあんまり飲みませんという顔をシレッとしている。

 この様子では、日常の二人の素の姿を知らないな。そして、バレたら若干やばそうだ。

 というわけで、草壁もお酒のほうはあえてペースを落とした。



 アミューズの次にやってきたのが、パスタ料理だった。

 これも、前菜を少し早めに一人食べ終わった登善子が、しばらくキッチンに篭ったと思ったら、奥さん直々のサービスとなった。


 パスタは、ワタリガニのリングイネパスタ、ディルとイタリアンパセリを添えて。だそうで、たっぷりのカニの身を、トマトベースのクリーミーなソースで絡めたもの。飾りに実をとったあとのワタリガニが乗っかっていたりする。


「このソースおいしい!」

「クリーミー!」

「生クリームをたっぷり使ってみたの。若い人向けだから、トマトベースでアッサリというよりそっちのほうがいいかなって先生と話をして決めたのよ」


「うん、いいよ。これ、そこらのレストランよりよっぽど出来がいい。あ、あやちゃん、このお皿にそこのパン乗っけてくれる?」

「あっ、はい、どうぞ、このバターもですよね」

「なに?あなた、お給仕をゲストの人になんか頼んで、私よりあやちゃんのほうがいいの?」

「僕も、パン、ほしい!」

「あのな、草壁クン、君は目の前にあるから、自分でトングで挟んで皿に乗っけたらいいだろ?」

「いいわ、じゃあ、草壁クンには私がしてあげます……バターは一個でいい?……はいどうぞ」

「しょうがない奴だな、というか馴染むの早いな君は……ん?ゆかり、お前、何一人で受けてるんだ?そんなに面白いか?」



 バスケットに入っているバケットはいわゆるバターロール。子供のコブシほどのものが積んである。

「まさか、これも自家製?」

「さすがにそこまではできないわ」

 しかし、ホテルベーカリーの直営店のものだと。ただし、横に添えてあったバターは普通の市販品のキューブだったりする。


「ちゃんとしたレストランだったら、バターポットに入ってたりするけど、まあ朝食バイキングみたいになっているのはホームパーティらしいご愛嬌だね。それに、こんなタイミングでパンにソース塗ったくって食べたりするものじゃないだろうけど、このソース、うまいから、いいよね?」


 隆がそうやって、パスタのソースをやけに丁寧にちぎったパンに塗りたくって食べるものだから、皆がそれをまねしたりした。

 多分、テーブルマナーに慣れない若者組に気を使っている。と、同時にさり気なく、外でのマナーのレクチャーなんかもしたりしている。



 例によって例のごとく、奥さんは、一足さきにパスタを片付けると、次のお料理のサービス係。こんな若造相手のパーティだというのに、まったく恐れ入ってしまう。


「お次は、軽くサラダね。この次がメインになるから」



 濃紺の唐草模様した縁取りの、大きな白い丸皿に乗せられて出てきたものは、鶏ハムとマリネしたマグロの夏野菜サラダ、ビーツとバジルの二色のソースを添えて。


「飾りつけがメチャクチャカラフルで綺麗」

「お褒めの言葉は私じゃなくて、先生におっしゃってあげて。けど、簡単なことなのよ。単にソースを垂らすんじゃなくて、ちょっとスプーンの背中でスッと撫でるだけで、動き出るでしょ?カフェラテアートみたいなもの」



「それにしても、彼、まだ来ないの?」

「さっき携帯に連絡入れたけど、切れちゃってて、よくわからないのよ」

「困った奴だな」


 サラダをつつきながらも、時折、長瀬夫婦の間ではこんな会話が交わされていた。チラッとそれを耳に挟んだ草壁だったが、そのたびに、目の前のゆかりが微妙な雰囲気を出して、黙り込んだ。



 外もすっかり暗くなっていた。もちろん、料理と会話の合間になってようやく気づくだけであった。部屋のどこかに時計ぐらいはあるだろうが、初めての場所だからよくわからない。それに、こんなところで時間を気にしているなんて失礼にあたりそうで、うっかりできはしない。



 というわけで、ついにお料理もメインの運びとなる様子。

 ここまで、洋風の進行だったので、メインと言ったら魚と肉料理がお皿に載って出てくるもんだとばかり思っていた。

 ところが、さあ、いよいよメインディッシュにしましょうか、と言いながら立ち上がった登善子は隣のゆかりに声をかけた。


「ちょっと、ゆかり、手伝って」

「えっ?私?」


 二人が抱えて食事室に運び入れたのはステンレス製の頑丈な机みたいなもの。

 いや、机なんかじゃない。大きさは小学校の教室にあるような先生が立つ教壇をちょっと幅を広くしたようなそれ。

 真ん中に大きな鉄板がある。

 つまり、これ鉄板焼器なのである。全身ステンレス製でキャスターつきという無骨な見てくれは間違いなく、業務用である。

 多分、これに暖簾と屋根があったら、ヤキソバの屋台を開くことができるだろう。もちろんこのうちの人たちはそんなことはしないだろうが。



「これでお魚料理とお肉料理をここで調理してしまうから」

「久しぶりに見たな、その鉄板、お母さん焼くんだ……」

「ゆかりもちょっと手伝いなさいよ。一人じゃ大変だし」

「私、これ使ったことあんまりないんだけど」


 この鉄板焼き台の登場に、ゲストの二人は、ちょっと面白そう、どんな料理が出てくるんだろう?ぐらいの感じでぼんやり眺めていたのだが、長瀬家ご一同には、なんだか特別な意味があるらしく、みながニヤニヤしだした。



「これ、亡くなったお義父さんがうちでパーティやるときにいつも持ち出してきたんだよ」


 そうなのである。亡き、長瀬康二郎のパーティの時のお得意芸だったらしい。




 この家の建設間もないころというのは、まだまだ会社が大きく成長しつつあった時代であった。

 当初小さかった会社組織が大きくなっていく途上で、幹部たちだけでなく、最初の頃は社員たちを自宅に招くこともあったらしい。


「おじいちゃんは、お客さん好きだったから」


 で、そのとき、長瀬康二郎みずからが、鉄板の前に立って客に料理を振舞ったとか。


「鍋奉行ならぬ、鉄板奉行だよ。3、40とか言う人数が揃っておなじもの食べると言っても、鍋じゃあ限りがあるし、自らゲストに腕を振るいたいというつもりだったみたいだね」


「料理得意な方だったんですか?」


「それが、全然。いわゆる『男子、厨房に入るべからず』って育て方された人だったからね。お義父さんは」

「鉄板焼きなら、焼くだけいいから、楽だって思ったらしいわね。けど、お父さん、鉄板焼きの前日は材料の買出しとか自分で行ったりすることもあったから、自分も面白かったのよ」

「それはいいが腕はかなり怪しかったな。お肉とかだったらいいんだよ、生でも食べれるようなのを用意しかたから」

「そうそう。あなた覚えてます?お父さんがお好み焼き作って」

「生焼けだったのか?あれ、誰のやつだったっけ?」

「今の常務さん。『うまいだろ?昨日ちゃんと練習したんだ』って言われて、生だとも言えずに微妙な顔して食べてたの、今でも覚えてるわ」



 やがて会社も大きくなるとさすがに、社員を呼んでのパーティなど、この家で行えなくなっていった。

 時に幹部社員だけを集めてのパーティを開くこともあったが、会社として組織を整備する上で家族経営的な風潮は控えるようになり、幹部社員へのそういう待遇も姿を消した。


 それでも康二郎存命中は、公私に渡って付き合いのある人を呼んでの会食はたびたびあったそうだ。

 以前にも書いたとおり、現当主は、その点ややドライかもしれない。


 しかし、隆には彼なりの言い分がある。

 接待と言っても、取引先の会社の人間を社長が直々に接待ということになれば、そこはプロの料理にはかなわないわけで、しかも相手も相当なグルメ、ということになれば、まずチョイスするのは、きちんとしたレストランとなるのである。


 そんなわけで、現在、この家に招待される人間といえば、年に一度の幹部との新年会、と、完全なプライベートな友人、というものだったが、そんなにしょっちゅうパーティなど開くことも少なくなった。


 ごくまれに、ビジネス相手とも家族ぐるみで親しくなり、招待をしたりされたりということもなくはないが、そういうことは年に一度もあることではなかった。



「メインホールでお義父さんが使っていたのはこれよりもっとデカイやつなんだよ」


 えっ、もっとでかいのがあるの?




 てわけで、長瀬家食事室では、鉄板焼きが始まることとなった。

 母娘で並んで焼き台の前に並んだのだが、台が大きいから二人並んでも楽に作業はできそう。

 この家の常として、余計なものは目につかないようにすべて収納されているのはここも同じだが、それにしても長方形の部屋には小さなテレビが壁から掛かっていたりするのと、部屋の隅のコーナーテーブルの上に花の生けてある花瓶が目立たなく置いてある以外は、なんにも無いような部屋だった。


 一同が腰掛ける馬鹿でかい12人がけのテーブルを真ん中に置き、さらにこんな鉄板焼き台を、出入り口近くに置いても、室内のスペースは充分ゆったりしていた。



「ゆかり、あなたはお野菜を見ておいて、私はこのホタテとサーモンを焼くから。こらっ、あんまり触らない!香ばしい匂いがするまでじっとしてたらいいから」


 母のほうは、朱色した身をテカテカ光らせた、寿司屋のカウンターにでも並んでいそうな大きさのサーモンをサクのまま鉄板に乗せると、手早く塩と胡椒をふって、丸蓋でパッと被せる。

 それから、大人の手のひらほどのデカイホタテも同じように鉄板に並べると、こちらも手早く塩と胡椒を振る。


 途中で汚れた鉄板を軽く拭いたり、隣の娘が担当している野菜の焼き加減を一言二言会話を交わしながら確認。

 しばし、焼き加減のタイミングを待つようにじっとしたあと、脇のワゴンの上に用意のイカの切り身をこれまたすばやく鉄板の上に並べて、塩コショウ。


 一連の動作は流れるように自然。


「慣れてますよね。まるで毎日やってるみたい」

「そんなわけないでしょ?これ出してくるのなんかどれぐらい振りか。もう良く覚えてないわ」


 ダイニングテーブルの向こう、4メートルほど向こうの鉄板だというのに、すでに香ばしい匂いがこちらにまで漂ってきた。


「サーモンは生でも大丈夫なものだから、タタキ感覚で、表面サッと火を通すだけにしときますから」


 そういいながら、二股のコックフォークと小さ目のクッキングナイフを使って、シャッシャとサーモンを鉄板の上で切り分けてゆく。

 エプロン姿のままだと普通の主婦みたいだが、こうして鉄板の前で早業のナイフ捌きを見せていると、立派な鉄板焼きやの女将みたい。この人への褒め言葉としては微妙だろうが。


 やがて、切り分けた一口大のサーモンを、黒い長皿の上に人数分のっけると、用意しておいた針みたいに角のたった香菜の千切りをふわっと乗せて。

「じゃあ、ゆかり、これお客さんのところへ持っていって」


 というわけで、お母さんいわく「サーモンのタタキ、香菜とアメリケーヌソースもどき」


「なんですか、その『もどき』って」

「エビじゃなくて、さっきのワタリガニのミソを使って作ったソースだから」



 なんてことを言いながら、火の通ったホタテをこれまた鉄板の上で器用に身と貝柱とワタを取り外す。要らないワタは捨ててしまい、ヒモは適当に大きさに切って、卵巣はさっと持ち替えた両手コテを使って鉄板の上でみじん切りにするみたいにして潰してしまう。ここに、用意のソースをちょっと掛けるとホタテのソースの出来上がり。で、これに火の通った野菜とイカを混ぜ合わせて、白ワインかけてフランベさせたら、魚介の2皿目完成。


「これに料理名なんてつけても仕方ないけど、ホタテとイカの野菜グリル。ホタテの卵巣のソース。かしら?」



 レモンとオリーブオイルのソースがとてもさわやか。

 けど、ちょっと量は少なめかな?と思っていたら。


「この次のために控え目にね。お二人ともお肉、スキでしょ?そちらを本当のメインにいってもらいますから」



 その言葉どおり、いよいよ真打登場。


「山形牛のロースステーキ!」


 一枚一枚和紙に包まれているそのブツ。一人150グラムはこれまで食べたコース料理のことを考えるとちょっと多いかもと、草壁ですら思った。

 余計な筋や油はキチンとトリムされているので、お肉の角が立っている。一面に万遍なく広がるサシはどの部分も柔らかさの保障つき。



 これはもう小細工ナシのほうが上手いに決まっている。

 熱した油の上で、小さな玉のような油が弾けると、数メートル離れた鉄板から立ち込める、香ばしいお肉のにおいがただよってきた。



 隣に娘を控えさせながらも、お肉には一切人の手を借りることなく、6枚の肉を流れ作業でサッサと焼いてゆく。こういうところは、見たこと無いが実父の長瀬康二郎ゆずりかもしれない。

 ただし、腕前はおそらくこちらのほうが上だと思われる。


 というわけで、メインは「山形牛のロースステーキ。アルザスの岩塩とワサビテリヤキソース添え」




 楽しく、美味でもあったディナーパーティーもそのメイン料理が終わるころには、気がつけば外もとっぷり暮れていた。



 そんなとんでもないタイミングで長瀬家を訪れた人間があった。

 ディナーが始まってからずっと、隆のすぐ左手、そしてあやのとなりでもあるその椅子の前にセッティングされたまま誰も着くことなかったその席の招待者である。


「ほんっとうにすみません。乗る電車を完全に間違えちゃいまして、すぐに気がついたらよかったんですけど、乗ると同時に寝ちゃいまして。もう偉い目にあいましたよ」


 そういいながら、食事室に通された人間――ほかならぬ、藤阪公司だった。


「あっ!草壁クン!あっそれと、いつか会ったよね?あなたとも」

「えっ、初対面じゃなかったの?公ちゃん」

「二人とも知ってまして、へえ……若いお客さんもいるっていうから誰かと思ったら驚きだよ」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ちょうどこれからデザートでも、というところでの登場だった。


 因みにデザートは市販品。

 草壁たち一同からのお土産がフルーツゼリー詰め合わせがデザートとなったのだ。なぜこうなったかというと、あらかじめゆかりと実家の母とで打ち合わせがしてあったそうで、デザートまでこちらで用意するより、お土産という形で簡単にしちゃいましょうというふうに。

 これまでに掛けてある手間とお金を考えると、そこは手抜きとか妥協でのことではなく、ゲストにもホスト役の一部を担わせたってところ。



「私もこの年になると、もうコース料理なんてのに最後までお付き合いするのは、正直言ってしんどいんだよ」

「そんなことおっしゃるようなお年じゃないと思いますけど」

「いや、もともとそんなに食べるほうじゃないしね」

「とてもスマートですけど、体型維持の秘訣とかあるんですか?」

「あるよ」

「なんですか?」

「社長をやることだよ」

「?」

「苦労の連続で太ってる暇がないから」



 なんて言いながら一同がゼリーをチマチマと食べているその中で、大遅刻した藤阪が、残っていたあの山形牛とそのほかの料理を適当に乗っけて登善子がアドリブで作ってくれた、特製ステーキ丼を「うまい!このお肉、やっぱ佐賀牛は違いますね」とか言いながら無心に掻き込んでいた。




 デザートも簡単に済ますと、一同は再びリビングに戻って、ティータイムというか談笑タイム。

 用意の飲み物はホットコーヒー。やっぱりお金持ちの家のコーヒーは違うのかな?と思ったが違いは良く分からなかった。

 けど、あきらかにインスタントとは違う風味。この場でこの家の人がそんなものは用意しないだろうが。



 例のでっかいソファーの前のテーブルっていうのが、これまたデカイわけだが、さっきの鉄板焼き台ぐらいあるマーブルテーブルは、牛乳の上にイチゴシロップを掛けて軽くまぜた見たいな色合い。

 その上に、チョコやドライフルーツ、クッキー、ナッツなんかが皿の上に用意されていたりするが


「残念だけど、これも全部買って来たものよ。わたし、そんなに万能主婦じゃないから」


 登善子が笑ったが、いずれも高そう。



「しかし、君もあんなものお土産に持ってくるためにあっちこっち走り回ってたなんていうけど、そんなことするぐらいだったら、もっと早く来たら良かったじゃないか」

「せっかくだから、インパクトのあるものを持っていこうと思いまして」



 このたびはリビングソファーの短いほうへ腰をおろした隆だった。そうして、草壁、あや、そして藤阪を真ん中の長いソファーへと導いたあと、湯気のたつコーヒーカップ片手に、足を組んでやや浅めに腰掛けている。

すっかりリラックスしている様子。


 正面ソファーの端近く、左手に隆の姿を見るように座る藤阪のほうも、大遅刻してきたなんてことをちっとも感じさせない寛いだ雰囲気である。

 ココアパウダーのついたガナッシュを指でつまんで、ヒョイパクっと、口に放り込んだあと、ソファーとソファーの間に置いてあるサイドテーブルの下に手を伸ばすとティッシュを引っ張り出して、キュッと指先を拭き、後ろにある屑篭にポイッ。そんなところにそんなものがあるなんて知らない草壁にしてみたら、この人そんなのがどこにあるか知ってるぐらい、このうちに出入りしているのか?と驚かされた。



 ソファーの並びとしては、藤阪の隣、といってもゆったりと間を開けて草壁とあやが座り、そのとなりが登善子。ゆかりと亮作は、隆と対面するようにサイドソファーに腰掛けている。

 ゲスト3人を長瀬家の4人が挟んでいる状態。



「草壁クン、お菓子、なにか他に欲しいものある?冷たいアイスクリームとかのほうがよかったかしら?」

「いえ、これで充分。もうお料理食べ過ぎて、そんなに入りません」

「そう?遠慮しないでね」


 登善子からそんなふうに声を掛けられている草壁だった。

 急に様子が変ったというわけではなかったが、藤阪登場あたりから、彼の口数が若干少なくなってしまっていた。



 その空気は隆のほうにも伝わっていたのかもしれない。が、そのとき、隆がこんなことを言い出したのは、草壁に気を使ったからだとはちょっと言いがたい。


「亮作と同い年なんだってね、草壁クン。大学はうちの息子と同じ?」

「い、いえ……学校は別です」


 息子のルームメイトがどんな人間なのかぐらい、当の息子から聞いているとは思うのだが、そんな質問を急に草壁に振ってくる隆だった。

 お隣の藤阪の出身である一流大学とは明らかに一段おちる大学ブランドを、小さな声で呟くしかない草壁だった。


「そういえば、ご実家のご両親はなにをなさっているの?」


 今度は奥さんのほうからの痛い質問。

 世間的に答えられないような商売じゃないが、この面子の中でそれを聞かれると口が重くなるのを感じるのはしょうがないことかもしれない。




「ねえ、アンタ……」

 目の前で草壁が明らかに微妙に気まずそうにして、質問攻めにあっているのを見たゆかりが隣の亮作に小さく耳打ちした。


「ん?」

「お父さんもお母さんもちょっと失礼よ。話を別の方向に振って!」

「振って、って急にそんなこと言われても!」


 並んで掛ける姉弟二人がヒソヒソとやっている。

 その間も、まるで草壁を長瀬夫婦と藤阪で挟み込んで、なぶりものにするような質問が次々と飛び交っていた。

 卒業したらどうするおつもり?おうちって大きいの?どのあたりにお住まいなの?


「とにかく何でもいいから、別の話をしなさいよ!」


 ゆかりが怒るものだから、仕方ないということで亮作が口を開いた。


「公ちゃん、最近出世したんだってね」

 亮作の発したその一言で、一応草壁への質問攻勢がやんだ。

 と、同時に、草壁をまったくそっちのけに藤阪との会話が弾んだ。


「おっ、ほんとかい?」

「いや、ただ、ちょっと部下みたいなものが三人ついたっていう……」

「すばらしい!入社2年目だったけ?」

「まだまだひよっこです」

「そんなことないでしょ?確か本村さんところのご子息さんも、それぐらいになるのに3年かかったって、あの方のお父様が言ってらっしゃったし」

「これは、相当のやり手と見たよ!公司君」

「いいえ。もう、毎日上司に絞られてばっかりで」

「それは将来有望と思われている証拠だよ」



 そして、今度は会話の蚊帳の外に追い払われた草壁はコーヒーカップ片手に黙り込んでいるしかなかった。ちょっと離れて隣にすわるあやから「あ、このドライフルーツおいしい。チーズといっしょに食べるとすごく合いますよ」とか気を使われている始末。



 草壁のそんな様子に気づいていないのかもしれないが、隆のほうはすっかり斜向かいに座る藤阪のほうへ身を乗り出して話しに夢中になっている。

「しかし、そうなると、今の会社から離れられなくなるかな?」


 そして藤阪のほうも、隆一人を相手にするかのように身を乗り出しながら、ジッと目を見てきっぱりとこう言いきった。


「今の会社に愛着はあります。でも小さくまとまりたくはないですね。違う天地で自分を試したいという思いもあります」



「いいねえ。結構結構!」

「公ちゃんは、昔っからそういうところあったものねえ」

「やっぱりトップというのはそういう意気込みを滲ませているぐらいのほうがいいのかもしれないよ」

 広いリビングの中で、長瀬夫婦と藤阪の笑い声だけが高らかに響いた。

 と、そのとき


「痛っ!」

 と小さな声が洩れた。



 どっちに話持ってってんのよ!!

 亮作が隣のゆかりに頭を張られていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ところで、談笑タイムの途中のことである。

「ちょっと、あやちゃんと草壁クンにいいもの用意してあるのよ」

 と言われて、二人が別々に別室へと連れて行かれた。なんだろうと思ったら浴衣を着せられた。

 ゲスト、それも外国からのゲストのときには部屋着、兼寝巻き代わりにあてがうことがあるらしい。


「浴衣のゲストさんも、久しぶりだね。もう2、3年ぶりだけど、やっぱり涼しげでいいもんだ」


「それじゃあ、浴衣のお二人ができあがったところで、公ちゃんのお土産でちょっと遊んでみましょうか?」


 その夜、大遅刻してきた藤阪が大きな紙袋に入れてもってきたのが、花火だった。



 リビングに篭っているとよくわからなかったが、そのリビングの前面はモザイク模様をした石張りのテラスが、メインホール前からずっと続いているのだった。

 4人がけの丸いテーブルセットを置いても幅の余裕は随分ゆったりとってある。天気さえよければ、そのテラスでゲストともにお茶を飲んだりすることもできるというわけだ。

 そして、その向こうに芝生がゆったりと広がり、例の樫の大木も暗闇の中で立っていた。


「けど、藤阪君、いくらなんでもロケット花火はやりすぎだよ」

「そうよ、お隣のうちに飛び込んで火事でも起こしたらどうするつもり?」


 そんなことを言いながら、長瀬夫婦と藤阪の3人が盛り上がっている。もちろん、ゆかり亮作、あや草壁たちも、いっしょに混じっているのだが、夜空に硝煙の薄明かりとともに響くのはホスト夫婦の声がもっとも大きかった。



 と、そんなときである。


「こんな花火をするなんて、本当に久しぶり。今日は久々のことばかりで、楽しかったよ」

 そういいながら、敷石の上にしゃがみこんでいた隆がおもむろに立ち上がると、まるで打ち合わせでもしてたように、登善子のほうも腰掛けていたガーデンテーブルから立ち上がる。


「私達はこれぐらいで、ちょっとお暇します。ゆかり、あとのこと頼んだわね。お風呂の用意もしてあるから、適当なところで切り上げて、お客さんを湯にご案内してあげて。くれぐれも火には注意してね」


 そうして、草壁と並んで石畳の上にしゃがみこんで、登善子をぼんやりと見上げる亮作の目のまえに立った。


「亮作。あなた、ちょっといらっしゃい……」

 静かだが、今までに聞いたこと無いような凄みのある威厳の篭った言葉だった。相手に否とは決して言わせないという気迫が篭っている。

 そして、つい今しがた、最後の燃えカスの火の玉を地面に落とした線香花火を持つ亮作の手をムンズと掴んで、彼を立ち上がらせた。


 息をのんだまま、目の玉をひんむいている亮作は、なすすべもなくそのまま母に手をひっぱられて、両親とともに屋敷の中へと消えていった。



 リビングのサッシにゆれるレースのカーテンの中へと、まるで屠殺場へひっぱられてゆく家畜みたいになって消えてゆく亮作。

 屋敷の中へと消えるまえに、後ろを振り返った亮作の最後の言葉はこうだった。


「草壁クン。助けて……」



 無理だよ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 いい加減なところで花火大会も終わった。庭のテラスに残っていたのは、ゆかりと藤阪、そしてあやと草壁の4人である。

 そこで、藤阪は翌日の予定をゆかりに聞いた。ゆかりが友達を色々と案内するつもり、と答えたところ、「それなら、みんなで楽しく観光地めぐりでもしようよ」と、草壁のほうも見ながら言ったが、草壁は「僕は亮作君と約束があるから」と断った。


 それならということで、藤阪はゆかりとあやを連れて明日遊びに行くという約束をかなり強引にとりつけたあと、一人で実家へと帰っていった。




 これまたどうでもいい話だが、花火大会のあとお風呂へと案内されたことをちょっと触れておく。

 実は、夕方草壁がでかいなあと感心して湯船の中で寝転んでいたのは、あれはサブの風呂場なのである。

 いわば、招いたゲストが気が向いたら深夜や早朝にでもいつでも勝手に使ってもらえるように用意してある風呂。

 それとは別に一階のあの階段のあるホールに面して設けられてあるのが、このうちのメインの風呂で、そのとき草壁が案内されたのはそっちである。



 基本、一人で浸かるものだと思われるその風呂場。なぜなら、シャワーも鏡も一つしかないのだから。

 しかし、入ろうと思えば、3、4人ぐらい並んでゆったりと体が洗えそうな広さの黒御影石張りお洗い場に、でっかい白木のヒノキ風呂がある。

 浴槽の広さがどれぐらいと数字では言いにくいが、白木の湯船の縁を足湯みたいにして、大人が囲んでみて10人以上は多分楽々座れる。

 幼稚園児ぐらいだったら、泳いで遊べるだろう。


 入った正面が大きなガラス張りになっていて、あの芝生の庭とは反対側に向いたそこからは、母屋に囲まれたパティオの植栽がライトアップされて夜の闇に浮かびあがっているのが見えた。


 湯量と湯温の調整のボタンをポチッと押すと、壁に設けてある、やはりヒノキでできた四角い湯口から、滝みたいにお湯がコンコンと流れ出す。


 いちいち感心しすぎて、風呂でのぼせそうになった。

 疲れ癒すどころか、いろいろありすぎて、却ってしんどいわ。




 その晩、草壁圭介は、あてがわれた部屋のベッドの中で眠れない夜をすごしていた。



 楽しかったディナー。そして、それから急に雲行きのかわった食後のティータイム。

 そこには、長瀬家の両親の意向というのが、よそ者の目にもヒシヒシと伝わるものがあった。


 そうなのだ。

 同じ客と言っても、藤阪の扱いは一つ上の特別なものだった。

 席だって、隆のすぐ左手に用意されていた。

 大遅刻をやらかした、ボケゲストのために、その席はずっと空けられたままだった。

 その隣にあやと自分の順序には大して意味はないとしても、大遅刻をしたにもかかわらず、当主である隆のすぐ左手の席が、藤阪のためにずっととってあったことにはちゃんと意味があるのだろう。


 食事が終わってからもそうだった。

 コーヒーカップ片手に、藤阪と話している様子は、自分と話しているときとは違う打ち解け方をしていた。

 足を組んでみたり、背もたれの上に肘をついてその上に首を預けながら、まるで友達と話しているような様子。




 あのリビングでは、こんなこともあった。

「せっかく話も弾んだところだし、ちょっと軽く飲むか」

 隆はそういって取り出したのは、ウイスキーだった

「シングルモルトの18年ものだ。こういうときだから、開けてしまおう」

 なんて言いながら、ウイスキーを開けると、離れたところでちょこんとコーヒーを飲んでいたゆかりを自分の隣に手招きした。

「おまえ、ちょっとお父さんのために水割り作ってくれよ」

 そうして、自分の座っている場所をちょっとずらして、娘を隣に座らせると、ちょうど、自分と藤阪がゆかっりを挟むようにして座った。



 余談だが、お嬢様、このときやけに手馴れた様子で水割りを作るものだから

「おまえ、随分なれた手つきだな?普段ウイスキー飲むのか?」

 と言われてゆかりが目を白黒させていたりした。


 まあ、それはそうと、見ているとなぜそんなふうに急に酒なんか出してきたかは、気がついた。

 つまりは藤阪の隣へ誘ったにすぎない。それが本音のようだ。


 やがて、隆は藤阪とゆかりを相手にするように話をした。奥さんがそれ以外の人間と話しているのは、隆のフォローであり、あくまで本当に招きたかったのは向こうだということは、なんとなく空気が読める。



 乗り込む電車を間違えたとか言いながら、平気な顔して、長瀬夫婦の前でステーキ丼をかっ込んでいられるのも、食事会に呼ばれて、花火を手土産に買って来るという変化球を平気な顔で投げれるのも、この家との長い付き合いから生まれた、狎れだろう。そこから、話が花を咲くところを見ても、少なくともご両親の意向というのは、いやでも分かるものがあった。

 そして、当の藤阪もその空気の中で自然と自分の居場所を見つけて寛いでいる。

 互いに何度も顔を合わせているという以上に、まるでもう家族の一員みたいな様子が漂っているようにも見えた。



 そして、今日、ゆかりの実家を訪れて、改めて彼女が背負っているものの大きさも感じた。




 こちらは大学2流で、実家はしがない個人商店。

 向こうは、おっちょこちょいだが、一流大学出て、親も隆のビジネス相手でもある取引先の偉いさんらしい。一流企業に勤めて、出世も仕事も順調な、ナイスガイ



 眠れないままにベッドから立ち上がって、庭を見下ろす草壁だった。

 目の前には、あの樫の木が庭のガーデンライトの薄い明かりの中で浮かび上がって見えた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 翌日の朝は早かった。


 奥さんからは「お客さんは、好きにお休みになっていてください。朝はご飯がいい?それともトースト?簡単なものしか用意できないけど、なにかご要望があったら……」


 と、ちょうど前の晩のリビングでコーヒーを飲んでいるときに聞かれたが、そのとき、なぜかゆかりが母の話を途中で割って入ってきて


「朝はみんな一緒でいいでしょ?あやちゃんも草壁さんも朝早いから、ねえ、そうしましょ」


 強引にそんなことを言うのだった。


「お客さんにまで、うちの朝のお付き合いさせることはないだろ?」

「私たち、明日早くでる予定だし、草壁さんも釣りだったら朝早いんでしょ?そのほうが時間も都合がいいから」


 そのとき、ゆかりが草壁たちをそうやって強引に長瀬一家の朝食の場にまで引き入れたのは、親子水入らずの空気をなんとか薄めようという策略だったのか、それとも……。



 なにはともあれ、というわけで、草壁とあやの二人も翌日の朝、再び一家とともに食卓を囲む運びとなった。




 実はこの長瀬一家には長年の習慣というのがあった。もちろんどの家にも多かれ少なかれそういうものはあるだろう。

 まず、朝食に関してなのだが

「毎朝、午前7時になったら、一家揃って朝食をとる」

 というもの。


 これは、盆だろうが正月だろうが関係なし。隆のほうは商用で家を離れていることも無いわけではないが、とにかく家にいるかぎり、一家の朝食は揃ってとるというのが決まっていた。


 このことに関して、前の晩にゆかりから注意を受けていた。

「揃って朝食って言っても、7時に食事室に顔を出すんじゃなくて、その15分ぐらい前にはちゃんと着替えてリビングに顔を出して置いてくださいね。ご飯食べてから身支度するんじゃなくて、うちは身支度を整えてから朝食ですから」


 顔を洗って、髪を整えて、着替えも済ます。歯磨きは食後でもいいとして、うがいぐらいはしておくように。

 学生時代は、制服着用。もちろん父はカッターシャツにネクタイをきちんと締めているのだそうで。

 食事が終わったら、歯を磨いて、そのまま出かけられるようにしておかないとダメなんだそうだ。


 昨日と打って変わって、長瀬家の随分と几帳面な一面が垣間見えてきた。


 言われたとおり、着替えと身支度を済ませてだいたい6時40分ぐらいにあのリビングに顔を出したところ、すでに隆も亮作も、あのでっかいソファーに座っていた。


「おはよう。君も早起きなんだね。いいことだ」

 朝のニュース番組を映し出す80インチモニターの正面に座った隆が広げた新聞をちょっと下げて、昨日とはうってかわった簡単な挨拶をした。昨日はゲスト扱いをしたが、本日は当主たるべく、いつものところにいつものように収まっている様子だ。

 テーブルの上には隆の手にしている以外の朝刊が4紙、きちんと4つ折に畳んでならんでいた。



 やがて、リビングに顔を出した登善子から「朝のお支度できましたから、どうぞ」と声がかかると、まるでそのタイミングに合わせるかのようにして、テレビの時報が7時を知らせた。



 ところで長瀬家の朝食風景である。

 特徴を言うと、まず、静か。

 其の部屋に一応テレビはあるのだが、食事時間中には一切そいうものはつけない。静かな中で家族が、ポソポソと話しながら、静かに朝食をとる

 そして、質素。

 その朝は、ご飯にお味噌汁、具は茄子と薄アゲの刻んだものにネギを乗せたもの。そして、白いお皿にはアジの干物。これに小鉢としてジュンサイときゅうりの酢の物。あとお漬物が小皿に数きれのっているだけ。以上。


 ご飯を食べるアテになるおかずと言ったら、アジの干物ぐらい。事実上一汁一菜。箸休め的な小鉢の酢の物を一品と数えても一汁二菜だ。

 テーブルの上の飾りも、テーブルクロスや花が消えて、各自の前に涼しげな籐細工のマットが敷いてある程度。

 目の前にある、調味料の入れ物も多分百円ショップで普通に売っていそうな安っぽいものだった。



 冷房も切ってある食事室は、かわりに窓を大きく開け放してある。

 まだ朝とは言っても暑い時期だった。微かにレースのカーテンがゆれ、そよ風にのって屋敷の外で響く乗用車のエンジン音が小さく聞こえていた。


「今日はどこか行くの?」

「ええ、公ちゃんと出かけます。あやちゃんと一緒に」

「亮作は、釣りだったか?」

「うん」


 妙に静かな雰囲気なのだが、よそ者なはずなのに、あまり息苦しさを感じない不思議。

 むしろ、まるで早朝ミサにでも参列したようなすがすがしい気分がした。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 そうして、午前中から長瀬家をあとにした男子組と女子組。

 女子組は、藤阪からのお誘いうけて、彼の車にのって仙台観光。

 男子組は、近くの海で釣り。



 藤阪の案内、はいいのだが、ゆかりが前日あやと二人ですでに観光はいくつか済ませたということを話してなかったものだから、ちょっとおかしなことになってしまった。

 なぜ言わなかったかというと、藤阪が相手に有無を言わさず、独り決めにしたからでもあるが、ゆかりだってずっと黙っていたのも事実だった。


 それで、どうなったか?


 前日と行き先がもののみごとに被った。


 お揚げを食べて、青葉城見て、お昼たべて、松島めぐりの遊覧船。


 それはいいが、お昼に藤阪が連れて行ったのは、普通の料理屋だった。いわゆる観光客相手の小奇麗なお店で、お値段もそこそこするのだが……。

 テーブルについて、「なんでも好きなもの頼んで良いよ。お刺身盛り合わせする?昨日の夜はなんかお肉がメインだったみたいだから、今日は海のものたっぷり食べたらいいんじゃない」

 一人張り切っている藤阪。


 だが、女子二人はそんな彼を目の前にして、微妙な顔をするばかりだった。やがて、あやがクスクス笑いながらゆかりにコソッと耳打ちする。


「ここって、『とりあえず平均点』なお店なんでしょ?」

「あやちゃん、ここで笑うってあなた性格悪いわよ」


 目の前で可笑しそうに笑っている女子の二人の姿を不思議そうな顔をしてみているだけの藤阪だった。



 その後、遊覧船にゆられて……。

「ここのカモメっていうのが、また可愛いんだよ。エサ買ってきたから、二人ともどうぞ」


 何にも知らない藤阪からカモメのエサをもらいながら、とうとう大笑いとなるあや。


「そういうギャグだったりして!」

「だから、笑うのやめなさいって!」


 まあ、昨日の今日の話としても、おもしろいものだから3人ならんでカモメの餌付けを楽しむことにした。

 ところで、このときの藤阪なのだが、実はサンダル履きでやってきていた。

 3人ならんでカモメに餌付けをしている最中である。

 なんとなく、藤阪がサンダルを履いた片足を上げて、デッキの上で足をゆらゆら揺らしていると、一羽のカモメがそれを加えてどっかに行ってしまった。


 「あっ、俺のサンダル返せーっ!!」



 船の上では、団体客の年寄りたちから一斉湧き上がった笑い声とともに、藤阪の声が高らかに海に響いた。




「お前、昨日の晩、親に呼ばれてどうだったの?」

「うん?まあ、言われたよ、お前も婿とともに会社に入れって」

「やっぱり、その話だったのか?」

「他に考えられないしね」

「で、お前、なんて言ったの?」

「断ったさ。もうその話蒸し返すのはやめてほしいよ。お姉ちゃんが婿をとるってことで話ついてるんだから」


 一方の男子組は、いつぞやのようにおそろいみたいな麦藁帽子を被って、岸壁で釣り糸をたらしていた。


 その日も釣果は、それまでさんざんだった。

 釣り好きでない草壁だって、釣れないとつまらない。同じような竿に同じようなエサをつけて並んで釣り糸をたらしてるだけっていうのに、亮作には時折小魚のヒットがあるにもかかわらず草壁の竿はピクリとも動かなかった。

 何度も、エサついているのかな?としてみたり、もうちょっといきのいいのに変えるかと思って新しいエサに付け替えても、竿の先はピクリともしなかった。



 そして、釣り糸をたれながら、亮作から前日両親と膝を突き合わせてどのような話があったかということを聞かされていた。

 それなりに重い話だった。


「おじいちゃんはさ、健康が取り得って人だったんだよ」

 亮作が静かに言った。


「そのおじいちゃんがね、周りの人から元気ですね。と言われたら、決まって言ってた口癖があったんだ」



――当たり前だ、立派な3代目の姿を見るまで、私は死ねんよ――



「昨日も、父親の書斎に通されたら、机の上にはおじいちゃんの遺影だよ。いやみったらしい」

 よっぽど気にいらなかったんだろう、普段穏やかなお坊ちゃんの顔がキツク目を吊り上げていた。


「『おまえのことをずっと待っていた、おじいちゃんに申し訳ないとか思わないのか?』とかなんとか……」


「で、おまえなんて答えたの?」

「しばらく黙って聞いてた」

「それで逃げれたのか?」

「最後に言ってやった」

「なんて?」


「無理に継がせようっていうんなら、二人目を覚悟しといてね、って」


 隣で聞いている、長瀬家とは無関係の草壁が思わずギョッとするような言葉だった。

 二人目、とは、姉のゆかりに続いて、という意味だろう。

 つまり、そんなことするぐらいだったら、死ぬということだ。



 釣り人の姿のあまりない岸壁だった。こんなに日が高くてはあまり釣れないのかもしれない。

 亮作の言葉を聞いて、草壁はなんと言っていいのかわからず、だまって釣り糸をたらすだけだった。


 そうして、しばらくじっとしていたのだが、やがて草壁の竿に当たりがあった。


「おっ、ようやく来た!しかも、これ、かなり重い……」

「すごいしなり方、草壁クン、それ相当でかいよ。焦らずに合わせてね。糸切らしたらもったいない!」


 石でもひっかけたようなその手ごたえだったが、リールをゆっくり巻くと少しづつ、巻き上がってくるのはわかった、しかもずっと手ごたえは変らずに重い。


「よし、もうすぐ!」


 やがて水面に獲物の影らしきものがゆらゆらと浮き上がって見えてきた。


「あれえ?案外小さくない?」

 隣でタモを持ちながら水面を眺める亮作が不思議そうな声をだす。たしかに、50センチオーバーあるんじゃないかと思ったら、その半分ぐらいしか見えない。


 それを引き上げると、なんと、サンダル。



「サンダル……」

 針先のかかっているそれを不思議そうに見つめる草壁。

「ある意味すごいよ、普通そんなもの掛からないから」

 半笑いを浮かべた亮作が、タモを地面に置くと、再び自分の竿の前に座った。


 ところが、草壁のほうは、針先にぶら下がるそのサンダルをじっと見つめたまましばらく動かなかった。


「草壁クンさ、残念なのはわかるけど、そんなゴミさっさと捨てちゃいなよ」



 そう亮作に言われても草壁はしばらく固まったようにそのままの姿勢で釣り糸の先の獲物を見つめているのだった。

 中底に大きくマジックで「藤阪公司」と書かれたそのサンダルを。




第24話 おわり

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