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第23話 プラトニック・メモリー

 お話は1年目の9月の頭の頃のこととなる。

 学生服の方々は残念ながら夏休みも終わってしまい新学期となるが、草壁圭介のほうはまだ夏休み期間である。

 因みに言っておくと、草壁とは違う大学に通う、長瀬亮作と辻倉あやの二人もいまだ夏休み中である。


 そして、そんな彼がいつまでたっても実家に帰ろうとしないでいると、ついに実家の母親から帰りの列車の切符が送りつけられてきた。と同時に、ものすごい勢いで怒られた。

 仕方ないので、ちょっとの間だけ帰ることにした。

 期間にして2泊3日。

 帰ってきたと思った息子が、そんなスケジュールでさっさと実家を後にするのをもはや怒る気もなくした両親に見送られて、再びひまわりが丘の住人となった。

 お話はそんなところから始まる。




 その日、草壁は珍しく手土産を持って顔を出したところがあった。

 彼がすっかり常連となったあの喫茶アネモネである。

 考えてみたら、あのマスターにも随分と世話になっているものだから、実家の帰省土産の一つでも持っていくべきだろう、などと殊勝なことを思っていたりする。これでも、それなりに義理堅いのかもしれない。


 因みに、こんかい草壁がお土産を買って来た相手は、アネモネのマスターと辻倉あや、そして、部屋の長瀬亮作とツルイチ、そしてお隣の長瀬ゆかりの5人である。まあ、付き合いの程度から言って妥当だろう。


 

 お土産の包みを下げて、草壁が喫茶アネモネのドアをくぐってみると、いつものごとく、テーブル席は閑散としたものだったが、珍しくカウンター席では、それなりに盛り上がっている様子の明るい声が聞こえていた。


 カウンターに並ぶ、マスターとバイトの辻倉あや。

 そして、その向かいの椅子に並んで腰をかけているのが、スナックmomoのママのミミと……。


「あらぁ。草壁ちゃん久しぶりじゃないの?!こっちばかりじゃなくて、うちのお店にもたまには顔だしなさいよ。さ、さ、ほら、私の隣においで」


 ショットバー「jiro's」のバーテン、オカマのジローだった。



 草壁がマスターに手渡した実家土産は、その後、すぐさま一同が摘むところとなった。

 もちろん、仕事中であるマスターとあやもその輪の中にしっかり混じっている。


 草壁持参のお土産、中身は「栗饅頭」。

 栗の実をかたどった、とんがり頭を卵黄でテカテカさせたその饅頭。大きさも実物の栗の実ほどなので、女性でもポイッと一口サイズの可愛らしさである。

 真ん中に入れてある栗は洋酒で風味付けをし、栗をふんだんに使った餡に包まっている。



「うん!これはなかなか」

「香りもいいし、コーヒーのお供にもぴったりね」



 もはや喫茶店というより、老人ホームの談話室みたいである。


「しかし、びっくりしたけど、草壁クン、実家帰ってたんだ?」

「はい、2泊3日で」

「なんだよ、そのハワイ旅行みたいな日程は。道理で、見ないなんて思いもすることなかったわけだ」

 栗饅頭をポイッと口に放り込みながらマスターが驚いた。


「わかるわ。私の顔た見たくてさっさと帰ってきたんでしょ?」

「なんで、そうなるんですか?ちょっとジローさん、擦り寄ってこないでくださいよ!」

「あっ!草壁クン、ひょっとしてそういう趣味だったの?」

「ママさんまで何言うんですか!」

 いくら面の皮の厚い奴、といっても水商売で毎日のように酔客にもまれている海千山千の前では、結構ジャリ扱いみたいになっているところもある草壁だった。


「けど、やっぱり誰かさんと会いたかったからかい?」

 調子に乗ったマスターまで草壁をおちょくりだす。


「い、いえ……別に……」

 ゆかりと進展もないままに、ゴチャゴチャしているうちに、マスターにもすっかり読まれている様子。

「まさか、草壁ちゃん、この柴漬けが目当てなの?」

「その呼び名やめてもらえませんかっ!?」


 あやがそう声をあげるのだが、ジローさん、草壁の来る前からずっとあやを捕まえて「柴漬け」と呼び続けていた。

 ひょっとしたら、彼女の名前を知らないのかもしれない。




 しばらく、栗饅頭と草壁をつまみに盛り上がっていた一堂だったが、話がひと段落すると、カウンターに座るミミがあやを手招きした。

「あやちゃん、ちょっとこっちいらっしゃい。今日はわたしはあなたにお話があって来たの」

「はい」

 言われてそばにやってきたあやを自分の隣の席に座らせると、ミミとあやが向き合いでこんな話を始めた。


「あなたね、うちでホステスするなんて言っといて、あれから一度来ただけじゃない!」

「私、ホステスなんて、もともとするつもりはないですし」

「あやちゃんのこと待っているお客だっているのよ!そりゃ、学生さんだから、しょっちゅうはこれなくても、もうちょっと顔だしてくれてもいいんじゃないの?」

「はあ……」

「お給金、不満?なんなら上乗せしてあげるわよ」


「人手不足の雇い主あいてに、辞表ちらつかせて賃上げ闘争?この柴漬け、根性悪いわ」

「違います!」

「あんたは黙ってなさい!!」

「ご、ごめんなさい」


 途中であや相手にチャチャを入れたジローだったが、そのオカマバーテンをミミが怖い顔してしかりつけると、ジローさん、急にシュンとなってしまった。

 よくわからないが、どうも、この女嫌いのオカマもミミママには、ちょっと頭が上がらないようだ。


 という訳で、ミミから

「こんどの木曜日はゆかりちゃん来るから、あなたもおいでなさい」

 と言われると、あやのほうも仕方なしに

「はーい」

 としぶしぶ頷くしかなくなった。




 その後、ミミのほうは、目的だったあやとの話をつけたあと、早々に店を去った。

 ジローのほうは、草壁がいるからだと思われるが、ずっと彼の隣座って、手を握ったり、太ももを触ったりを繰り返す。

 あっ、草壁ちゃん、華奢そうに見えて、足の筋肉結構ついてるのね?えっ、陸上してたの?

「はい」

「一度、見せてくれない?」

「もう現役退いてからちょっと経つんで、走りは落ちてると思いますけど」

「走らなくてもいいから、私のためにピッチピチのスパッツを穿いて見せて」

「やですよ!」


 横であやが笑っていた。




 あいもかわらず客の少ない店だった。草壁がマスターに渡したお土産の栗饅頭がなくなると、あれおいしかったね、と一同物足りなさそうだったので、こんどはあやが自分ちに持ち帰るつもりだった自分宛の分を広げて、栗饅頭の追加となった。

 

「あーあ、なんかママの言葉に思わずうなずいたけど、どうしようかなあ」

「あやさん、そんなに嫌なら、はっきり断ったらいいでしょ?」

「嫌、っていうか悩むんですよ」

「何が?」

「今度、何歌おうかって」

「やる気マンマンじゃないかっ!」

「それ、草壁さんの言い方一つじゃないですかっ!本当は行きたいのに行きたくなさそうにわざとしてる人みたいに言わないでくださいよ。誰かさんみたいに」

「誰、それ」

「誰でしょ」

「誰だろうね、ハハハハっ」

「誰でしょうね、フフフ」



 草壁のとなりで、彼とあやがそんなふうに笑っている様子をジッと観察するジロー。見ていると、たまに、あやの手が草壁の肩に何気なく置かれたりしている。

 軽いスキンシップという程度のものだし、それぐらいのことをする女はたまにいる。

 しかし、と、このオカマはちょっとあることに思い当たった。

 で、おもむろに、こうあやに向かって切り出した。



「柴漬けってさあ、あんた処女でしょ?」



 急な言葉に、さっきまで一緒に笑いあっていたあやと草壁がピタッと止まった。カウンターの中のマスターも、ん?って顔であやのほうを見た。さて、あやちゃん、どうでるか?興味はある話題だ。そして、マスターも薄々はソレっぽいと感じていた。


 しかし、言われたあやは、急に目を白黒させて、黙り込むだけだった。

 答えにくい、というより、答えたくない質問だ。


 ジローさんにとってみれば、そんな顔で一瞬凍りついたというだけで、返事は必要なかったようだ。

「いるのよねぇ。一緒にベッドに入るまで、男ってのがどんなものか、考えたこともない、って子」

「どういうことですか?」

 ジローの言葉の意味がわかりかねるあやである。


 すると、ジローはあやの目の前に座っている、隣の草壁を指差して、あやに聞いた。

「例えばさ、隣にいる草壁クン、彼はあなたのことどう思ってるか知ってる?」


「えっ?」

 あやが驚くのも無理はないが、急に自分のことが出てきた草壁も驚いた。


「真面目そうな顔してるけど、毎晩、妄想の中であんたを裸にひんむいて隅から隅までベロベロに嘗め回してるのよ!こういう男は!」


「勝手なこと言うなっ!!」


 隣で顔を真っ赤にしながら、声を荒げる草壁のことは、ジローさん、この際は無視である。

 で、そんな話題をアカラサマに振られて、こっちもちょっと恥ずかしそうにしているあやに向かって、まるで説教するみたいに言った。


「そういうことわかってないでしょ?」



「わかりたくありません!」


 あやはムッとしながら、ジローに背を向けた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「わかってるけど……」


 ちょうどその晩のことである。長瀬ゆかりは自室のリビングで受話器片手にそんなことを呟きながら、口と眉をへの字にまげていた。


 受話器の向こうにいるのは、ゆかりの母である。

 その母から、電話口に出るなり、説教をくらっていた。


「黙ってたら、もう9月じゃないの!」


 兄弟揃って、まるで実家に帰って来るのが嫌みたいにして、ずっとひまわりが丘に居続けていたら、ついに母親からカミナリが落ちたというわけ。


「あなたも亮作も、うちがそんなに嫌?」

「そこまで言わなくてもいいでしょ?」


 ゆかりにしても、実家から何も言ってこないのをいいことに、ちょっと調子に乗りすぎたと反省はしていた。とうとう母からそうやって叱られると、大人しくならざるをえない。


 結局、母からは

「あなたが責任もって、亮作連れて、帰ってきなさい!たまに親に顔見せるぐらいのことは子供として当然でしょ!」


 とまで言われて、渋い顔しながら受話器を置いたのだった。




 という訳で、その後、弟である長瀬亮作を自室に呼び出して二人で帰省についての話し合いを持った。

 間取りだけは草壁たちのすむ307号室と同じだが、お隣の308号室のゆかりの部屋の家具は亮作のものと比べるとグレードがちょっと上である。


 テーブル表面の光沢が全然違う。ツルッツル。普通に顔が映っちゃう。

 その上に、栗饅頭とウーロン茶を置いて、姉弟そろってそんなのをつまみながら話していたりするのだが、口はお互いに重い。



 一体、この姉弟がなぜ揃いもそろって、実家になかなか帰らないのか?というと訳がある。

 つまり帰りたくない、のだ。

 なぜか?

 

 まず弟である長瀬亮作なのだが、実家の会社の3代目社長にはゆくゆくゆかりが婿養子をとる、ということで跡取り問題の一応の決着はついていた。

 しかし、実家の両親は亮作を跡取りにさせることを完全に諦めたわけではないのだ。


 初代社長である創業者、長瀬康二郎には、子が3人あったがいずれも揃って娘だった。そこで長女の登善子の婿を二代目社長として迎え入れたわけだ。つまり、今の社長であり、ゆかりと亮作の父親、長瀬隆のことである。

 そうして、迎えた養子と娘の間にできた待望の長男なのである。

 周囲が期待しないわけがなかった。


 そういうわけだからこそ、当初ゆかりは跡継ぎとか婿養子とかとは無関係に、本人がやりたいと言ったピアニストの道を自由に選ぶことができたのだ。



 それが、不幸にも彼女が不倫の恋に破れたことをきっかけにして、ピアニストを断念。

 そして、跡継ぎをいやがる亮作にかわって自分が3代目となるべく人を婿養子に迎えるということになった。

 詳しくは後に譲るが、だいたい現状はこんなところである。


 つまり、亮作が実家に顔だせば、まだ彼を跡取りにと、諦めていない両親から説教をくらうのは目に見えている。

「あんたが、そうやっていつまでも帰らないから、私が怒られるのよ」

「お姉ちゃんも帰らないのは同じじゃないか!人のこと言えた義理?」



 次にゆかりがなぜ帰りたがらないか?

 簡単なことである。婿養子を取るとは言ってあるが、まだ逃げていたいのだ。



「帰ったら、また家業を継ぐ話、蒸し返されるんだろうなあ……」

「私も、いつお見合い話を持ち出されることやら……」


 そうやって姉弟そろってため息をついている時だった。

「ねえ、お姉ちゃん、いいこと思いついたんだけど」

 亮作が栗饅頭を口に放り込みながら、呟いた。


「実家に帰っても、親子水入らずみたいな状況を作らなければいいんじゃないの?」

「ん?」

「つまり、第三者を間に入れる、ということ」


 亮作の言葉を聞いて、ゆかりも彼の言いたいことが分かった。

「なるほどね、他人がいるところで家の話も簡単にはできないだろうし」


 どうせ帰るしかないわけだから、打てる手はこちらも打っておいて損は無い。泊りがけのお客さん同伴なら、完全にではなくても、一家団欒の空気を薄めることは可能だろう。そうして帰省したという事実だけ作っておいて――。


「連れといっしょに、ドサクサに紛れて、さっさとこっちに帰って来るという」

 亮作は自分のアイデアに満更でもない様子。ちょっと得意そうに笑った。


「実は、僕のほうには、そういうのにうってつけの人材が一人」

「私にも、ちょうどいい人材が一人」



 それでなんとか凌げるかもしれない。ゆかり、栗饅頭の向こうにいる弟を見てニヤリ。

 「越後屋、そちもワルよのぅ……」

 「いえいえ、お代官様にはかないませぬ」


 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 その翌日のことである。

 草壁はルームメイトの長瀬亮作から唐突に釣りに誘われた。

 それまでの亮作との話の中で、実はこのオボッチャンの趣味というのが地味に釣りだということは、ちょくちょく聞いていた。

 しかし、別に草壁は釣りなんか興味がなかったし、経験もあまりなかったので、「あっそう」ぐらいの軽い気持ちで聞き流していたのだ。

 そうしたら、ある日突然のお誘いであった。


 理由は割りと簡単だった。

「もうパチンコやってるお金がない」のだそうだ。どうも負けがこんだのだと。

 暇なので、付き合うことにした草壁。亮作が姉から借りたゆかりのラパンに乗り込んで海までやって来た。

 そして、その車中で、亮作の実家に一緒に帰らないかと誘われて、あっさりオーケーを出す草壁だった。

 彼にしてみれば、一度見てみたかったお金持の家に潜入できるいいチャンスである。普通に興味本位で即答した。



 9月とは言え、陽気は完全に夏なものだから、二人そろって、つばの大きな麦藁帽を被って、首に手ぬぐい巻いたりしていると、どっかの農家の人みたいになった。

 そうして、亮作から借りた釣り竿と折りたたみの椅子を持って、釣り客の並ぶ防波堤の上から釣り糸をたらす草壁。

 一応形だけはやって見たのはいいが、初心者には技術的なことよりも、エサ箱の中で、ウジャウジャうごめく小さな糸虫をつまみあげて、ソレを針に刺すというのが気持ち悪い作業だった。

 しばらく、スパゲティーナポリタンは食いたくない、ってところだ。



「おまえんちって、大きいんだろ?たしか敷地600坪とかって」

「あ、知ってるの?うん、それぐらいあると思う」

「部屋数もたくさんあったりする?」

「ああ、あれなんだっけなあ……14LLDKだったかな?」

「なんだよ、それ。お前今『L』二つ言わなかったか?」

「うん、リビングが二つあってね」

「そうなの?」

「お客さん呼んでパーティーなんかする用の40畳の広間と、普段家族が使う20畳ぐらいのリビングの二つ」


 さよか……。そういうのがあるのが普通みたいにサラッと言うもんだ。


「けどさ、だだっ広いだけだし、正直使いにくいよ。掃除も大変だしね」


 まあ、お金持にはお金持の悩みってのがあるもんだ。



 海岸の突端に突き出た防波堤の上からは、ずっと目の前に広がる大海原が見える。

 波頭は穏やかに揺れているが、海風はそこそこキツイ。なにしろ吹きさらしなのだから。

 日焼け対策として、長袖のシャツを着ている二人にはちょうど良いかもしれない。そのかわり、頭の上の麦藁帽子はしっかりとアゴ紐を縛っておかないと飛ばされそうだった。



「なあ、お前、今まで何人ぐらい付き合ったひといた?」

 釣り針をたらしながら、草壁が何気なくそんなことを亮作に聞いてみた。


 いつまでたっても当たりのこない釣竿をぼんやりとみながら、指折り数える亮作。

「中学のとき一人、高校で2人……こっちでてきて2人……」

「多いな!」


 聞いてみて草壁がびっくりした。おおよそ毎年一人彼女作ってるぐらいな計算だ。


 しかし、このお坊ちゃまがモテナイということはないだろうとは、なんとなくわかる。

 見た目、いかにもな「イケメン」ではない。が、基本的に人当たりは誰に対しても柔らかで、それでいて、性格も温和。多分、女性に対してもそんな感じなんだろう。

 それでいて、ゆかりの実弟なのである。決して不細工ではない。

 しかも、お金持ってる。

 普通に結構モテルようだ。


 が、草壁が知る限りでは、女性関係がそれほど派手とも思えなかった。彼女のうちにお泊り、ということもなさそうだし、もちろん、自分たちの部屋に女の子を引っ張り込むということもしない。

 することはしてるんだろうけど。



「そう?けど、草壁クンはどうなの?なんで、彼女つくらなかったの?そんなにもてないとも思えないけど」


 と、ここで亮作からそんなことを言われて、ちょっと言葉に詰まる草壁だった。

 見た目普通。多分亮作と並べられて、女子にどっちがいいと聞いたら100人中70名ぐらいは亮作を選ぶだろうが、残りは草壁かもしれない。

 

 一つには異性にちょっとオクテだったというもある。


「さあ……なんでだろう?」


 草壁は亮作の質問から逃げるように、ちょっと言葉を詰まらせた。

 そして、青空を見上げた。




 草壁が突然、亮作に付き合った人のことを聞いたのには、実は意図があった。

 彼はしばらく、空を見上げながら黙り込んだあと、なるべく今までの会話の流れから自然とそうなったというような雰囲気を漂わせて、こんな質問をした。


「まあ、お前もそれなりにモテルかもしれないけど、ゆかりさんもモテただろ?」

「ん?お姉ちゃん?さあ……」

 草壁の意図を理解しているかどうかはわからないが、亮作は素っ気無く首を捻っただけだった。


「実家にいるときには彼氏がいたなんて聞かなかったなあ」

 実弟だからと言って、そんなことイチからジュウまで知りはしないだろうが、彼氏を家に連れてきた。なんていうのはなさそうだ。

 そうか、彼女高校生までは、地味だったのだろうか?


「そうなのか。結構もてそうな雰囲気あるんだけどなあ」


「直接聞いてみたら?今までの男性経験は何人かって」


「アダルトビデオのインタビューかよ!」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ちょうどその翌日だった。お昼もとっくに過ぎた夕刻前ぐらいの時間に一人部屋でゴロゴロと草壁がしていると、お隣の長瀬ゆかりから、「あやちゃんも来てるから、うちでお菓子食べませんか?」というお誘いを頂いた。



 もちろん、彼がそんなお誘いを断るわけがない。もとより暇だし。

 いそいそとサンダル履きで、お隣へ顔を出す草壁だった。


「急な誘いでごめんなさい、忙しくなかったですか?」

「ぜんぜん」


 例のフッカフカのスリッパをゆかりからすすめられた草壁。気がつくと、今回は玄関が明るい。

「昼間ですから」

 へえって、思って見ると壁に輝くライトは、草壁たちの部屋のとは違う。乳白色した四角い箱から放たれる光は、玄関を真っ白に光らせていた。こんなのうちの部屋には無い。つまり彼女が特別に設置したのだ。


「安物ですよ」

 近所のインテリアセンターで買ったものだから。というのだ。でも1万円ぐらいはすると思う。


 そして、玄関ドアから中に入った瞬間に感じた、さわやかな芳香にはずっと気づいていたのだが、見ると靴箱の上に飾ってある花からのようだった。

 それは、デルフィニウムとブプレの花を花瓶に生けたものだった。

 カキ氷の上に、ブルーハワイのシロップを掛けて、抹茶を散したみたいな、薄い青と緑の花から、生花どくとくの芳香剤とは違う、フレッシュな香りがした。



 一人暮らしのわりにはいつもこんなふうに部屋を飾ってるのだろうか?

 ゆかりの部屋にはいるたびに、何かがちょっとずつ変っている。

 それだけ、くるたびに新鮮な気がする。




 ところで、なんで急にお菓子食べるために草壁が呼ばれたか?


「昨日、友達の結婚式に呼ばれたんです」

 

 なるほど、亮作があっさりとゆかりのラパンを借りれたのも、彼女がそんな用事で車が空いていたという事情もあったのかもしれない。

 でなければ、海で釣り糸たらす代わりに、近所のため池で、フナでも釣ってることになっていたのかもしれなかった。



「それで、この前草壁さんから頂いたお土産のお礼がわりに、もらったお土産を一緒に食べようかと」

 そう言ったゆかりの言葉のすぐあとに、隣のあやがそのあとをすぐに引き取って。

「けど、本当はこの量を二人で食べたら、カロリーが怖いからなんですけど」


 あ、そうですか。



 見ると、テーブルの上には、大きなフジツボみたいなバームクーヘンがデンと、真ん中に置いてあった。

 ハンドボールのボールを半分に割ったぐらいの大きさはある。確かに2人前ではない。

 

 それだけでなく、カラフルというより、ちょっとポップな色合いのマカロンケーキの詰め合わせまであるのだ。

 普通に食べたら、女子なら4,5人いても持て余すかもしれない。



 いずれも、前日の友人の結婚式でのお土産だそうで、お菓子ばっかりだ。



「ちょっと、食べさしなんですね?」

 草壁の目の前のバームクーヘンだが、確かに、軽く6分の一ほどはもうすでになくなっていた。


「練習まえに、軽く一口食べちゃいました」

 と言うあや。ん?練習?

「そう、ね、練習ね。こんど、踊ってみようかなって」

 ん?踊る?ゆかりの言葉に、さらに草壁の頭のなかに?マークが増える。

 なんのことだろうと思ったが、なんのことはない、実はこんど二人でスナックmomoに出勤するときに、デュエットをするのだそうで、その曲の練習を振りつきでやってたんだと。

 やっぱり、やる気マンマンじゃないか!



「ところで、ゆかりさん、結婚式どうだったんですか?」

 用意の飲み物はミントティー。草壁が席についたときには、氷水のなかをレモンスライスに混じってスペアミントの葉っぱがポットの中でゆらゆら踊っていた。


「式は、普通だったけど、なんかよかった……」

 あやに感想を聞かれたゆかりが、そんなミントティーを一口飲みながら答えた。

 思い出して一人微笑んでいる。


「なにかあったんですか?」

「二人とも、私の音大の先輩なんだけど、卒業後、それぞれの地元の楽団に就職して、しばらく、遠距離恋愛してたの」

「遠距離恋愛を見事に実らせたんですね?なんかいいですね、そういうのって」

「それが、二人とも……」

 あやとそんなふうに話し出したゆかりだったが、ここで、一人で思い出し笑いをしだした。


「なんなんですか?思い出し笑いなんかして?なにが可笑しかったんです?」


「ほら、披露宴の友達の余興みたいなのがあるでしょ?あれで、新郎がわの友人が、インタビューみたいなのをしたの」

「二人に?」

「そう。その質問の中にね……フフッ」

「ずっと一人で笑ってないで、早く続き言ってください」

 

 草壁はずっとマカロンつまみながら黙って聞いているだけだった。これ生地さっくりしてるけど、食感もあっていいなあ。


「その質問の中に、『おふたりのファーストキスは』っていうのがあったんだけど」

「うんうん」

「一体、いつって答えたと思う?」


「出会ったその日とか、言っちゃったりして」

「違うの。なんと『さっき』って」


 ニヤニヤと笑っているゆかりの目の前で一瞬、固まるあや。

 向かいで草壁もマカロン齧る口元からパフの粉をボロボロとこぼしながら止まった。


「まさか、ファーストキスが……」

「そう!式のときのだったんだって!」



 ゆかりの言葉を聞いても、しばらくあやも草壁もなんか感心しているのか、なんなのかよくわからない気持ちでしばらく黙っていた。


「その答えを聞いて、会場がどよめいちゃった。しかもね、二人とも初恋の人同士なんだって」


 そんなことあるもんなんだなあ。

 あやと草壁はしばらく、「へえ、すごい話ですねえ」なんて言っているだけである。

 そのうち、あやがポツリと


「いいなあ……初恋の人とファーストキス、そして結婚なんて……」


 しみじみとした声で呟いた。

「どうしたの、あやちゃん、そのがっかりした顔は?」

 それを見て、ゆかりがクスクス笑うのだが、草壁にはなんの意味かよくわからなかった。なんかあやのファーストキスに関して親友のゆかりは話を聞いているのだろうか?

 まあ、彼女がバージンだったとして、キスまでも経験がないとは限らないだろうし。

 そんなことを草壁が思っていたら。


「笑い事じゃないんです!」

 あやがゆかりにちょっとムキになった。

「ご、ごめんなさい」

 やっぱり、笑いながら、ゆかりが軽く頭を下げたが、草壁にはこの一連の会話の意味がよくわからなくてただただ黙ってバウムクーヘンを食べるだけだった。

 おいしいが、ちょっと甘ったるい。結婚式の引き物菓子だけにね。


「おとぎ話みたいな、プラトニックな恋愛で、いいですね」

 あやとゆかりの盛り上がりは置いといて、草壁もその話を聞いてふと思ったことを口にした。

 見ず知らずのカップルの結婚式なんか大抵の場合、他人にはつまらないものだが、ゆかりの口から聞いたそんなちょっとしたエピソードに、草壁にも感じるものがあったらしい。


 ところが、そんな話を、嬉しげに披露したゆかりが今度は草壁の言葉にちょっと突っかかった。

「そうですか?別にプラトニックだからいいって訳じゃないと思いますけど」


 一連の話の流れに合わせて言った言葉を、話を始めた当人が、真っ向対抗してくるとは、草壁には意外だった。

 まあ、そうですけど。とか言いながら、突然の話の方向転換に草壁が焦っていると。


「前から聞きたかったんですけど、草壁さん、女の子と付き合ったことあるんですか?」

 草壁にとっては、割と重い話なのだが、ゆかりの言葉は軽いジャブのように繰り出した。

 遊び人みたいに思われるのもいやだが、単にモテない奴と思われるのも、男としてはなんか情けない。

 だから、ジャブを交わす代わりに、こっちもパンチを打ってみた。


「そっちはどうなんですか?」

「私にそんな切り返ししても、効く訳ないでしょ!」

 もろに、クロスカウンターを食らう草壁だった。

 

「ふーん、なるほど……」

「何勝手に納得してるんですか?」


 が、今度はゆかりと草壁の会話の裏にある「あること」を知らないあやが、二人のやり取りに微妙な意味不明さを感じてキョトンとなっていた。

「ゆかりさんは、草壁さんの言うことに反対なんですか?」

「そうじゃないの……けど、私の両親には、私と弟の二人の子供がいるけど、それをおかしいなんて誰か言う?そういうこと」


「……まあ、そうですけど……」


 笑顔のゆかりからそうキッパリ言われると、あやのほうは事の白黒がよくわからなくなって、口をつぐんだ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 そして、その翌日の夜である。

 スナックmomoでは、久しぶりにホステスとして顔を出すことになった辻倉あやと、こちらもそんなには顔を出さない長瀬ゆかりのツートップが揃って出勤ということで、早い時間から、お客が入っていた。

 客で埋まったカウンター。そして、店のテーブル席まで満杯というのは、実はこの店では珍しい客入りだった。



 基本的に衣装のほうは、ゆかりは自前。

 そして、あやはお店の奥にしまってあるドレスをママから借りて着用。

「いいわあ。あやちゃん、何着ても似合って。私ももうちょっと若ければ、こういうの着てみたいけど」

「何言ってるの?ママだってまだまだ似合うよ」

「いいのよ。おせじは。三十路も半ばになって、振袖着るようなマネは恥ずかしくて、私はできないわ」



 光沢のある青いホルターネックのロングドレスは、見た目シンプルだが、ちょっと深めに入った足のスリットは、足にそこそこ自信がないと着こなしにくいかもしれない。

 ミミの言うとおり、30過ぎたら、ちょっと躊躇するかも。

 自前の服ということもあって、ゆかりの衣装はいつものごとく、ホステスというより演奏会みたいな衣装である。錫のような鈍い光沢のロンドレスに黒いレースのボレロ。ただ、こちらもホステスみたいに見えなくも無い。



「来るだろうな、と思ったら、あなた、また来たのね」

「はい、面白そうだから」

「お兄ちゃん、こういう店好き?」

「どっち目当てなの?」

「君ぐらいの年で飲み屋のお姉ちゃん目当てで通うって、ちょっと枯れすぎてないか?」

「いやいや、こういうのを純情。っていうんだよ。なっ、まっ、一杯おごるよ」

「あ、すみません」



 

 それやこれやで、スナックは大盛り上がり。

 この店の特徴、かどうかは分からないが、一人でやってくる客も連れ立ってやってくる客も、まったくの見ず知らずというのは少ない様子。

 それだけに、どんな面子だろうと、カウンターもテーブルも一緒に盛り上がったりしているのはここのいいところかもしれない。

 それに、いつぞやのミミの言葉ではないが、悪酔いして他人に絡んだり、やけにでかい声を上げたりする客も少ない。わりと客筋はいい様子。


 カラオケマイク片手に、誰かが店の片隅にあるお立ち台に立った途端。

「よっ、『ブランデーグラス』」みたいなリクエストが、どっかから入ったりすることがあるのを見ると、その人のレパートリーまで客同士で結構通じ合っているみたいだ。


「お兄ちゃんは、あれだな、ヘンに懐かしい歌謡曲ばっかり歌うんだな。「ペガサスの朝」ってホントにあんた二十歳か?」


 そんなことを言われながら草壁が熱唱している間も、ゆかりとあやが、交互にテーブルとカウンターを行ったり来たりしながら、妙に手馴れた客あしらいをしている。

 見ていると、聞き上手、というか客のほうへ話題を振って大人しく聞き耳を立てているのはゆかりの接客の特徴で、あやのほうは、どちらかというと無邪気に自分でも結構喋ってときどき客を突っ込んだりしているという明るく華やかな調子だった。

 そして、ミミはゆかりよりも、あやのほうにくっついて、二人並んでいることが多い。多分場数が違うので、こちらをフォローしているっぽい。

 しかし、見てると結構ミミからは可愛がられている気がする。



「じゃあね、ここで、うちの二人がみなさんのために一曲披露したいって言ってるから、聞いてあげて!」


 草壁の歌が終わったタイミングで、ママの声が威勢よく響いた。


”おっ!待ってました”

 客からの歓声と拍手と口笛と、割り箸で机を叩く音に囲まれた二人が、最初はちょっと照れくさそうにしながらカラオケの前に立った。

 一人用のひな壇では納まりきらないので、それをどけて、モニターの前に並んで立つとすぐにイントロが流れ出す。


「winkの淋しい熱帯魚。俺、これ好きなんだよ!」

「うちの娘が生まれたとき流行ってた曲だ」


 喝采が続くなか、音が鳴ると、二人とも表情からは笑顔が消え、と、同時に互いに寄りかかりながらピタッと立つ姿は、この曲のオリジナルの振りそのものの再現となった。

 まるっきりマジで歌うつもりだ。


 二人の顔は真剣、なのではなくて、まるで人形のような生硬さを漂わせているのは、それだけ歌の世界に没頭しているからだろう。スイッチはすぐに入っていた。



 それを悟ったオーディエンスから上がる歓声も、それまでより一段高く、若干興奮の色を帯びて響いた。

”ヒィヨッ!ホォウッ!”


 

 店の天井より少し低いところに視線をピタッとすえたまま、音程もステップも外すことなく流れるように歌は続いた。

 動くべきところは、きっちりとリズムに乗り、そして、止まるべきところでピタッと揃って止まる。上手というより、ちょっとした迫力すら感じさせる。

 あんまり自然なので、まるでモニターの映像を見ているようだった。

 

 そのうち、客のほうも次第に静かになっていった。間奏でも二人の踊りは乱れることなく続くので、もはや拍手や掛け声を入れることすら忘れてしまっているのだった。



 曲が終わると、一瞬シーンと水を打ったような間が空いた後に、総勢10名ほどしかいない客たちの間から、割れんばかりの拍手。

 感激、というと大げさかもしれないが、その日、そこにいた客たちはみな「今日は、いいものが見れた」と思わせることには成功したのだった。




 というわけで、二人のデュエットは見事に大成功となったわけだが、これでしばらくカラオケに手を伸ばす客がやんでしまった。

 オジサンばかりの酔客にしても、さすがに空気は読んだ。

 二人の曲が一応の区切りみたいにして、やがてテーブル席の団体さんは帰っていった。

 見ると、時計も10時。家庭持ちとしては、いつまでも飲んでいられないようだ。


 カウンターの客のほうは、一人去っていったと思ったら、また新しい客が一人でふらっとやってきたりしている。だいたいこの時間から合流してくるようなのは、他所で飲んだあとに軽く締めみたいにしてやってきたりする。だから、ここにいる客の全員が、その時点ではそこそこ飲んでいるわけだ。



「なに?今日はみんな歌わないの?」

「アレのあとには、ちょっと歌えないよ」

「もう、カラオケは満腹」

「なに?なにがあったの」

「実はさ、このお二人のデュエットがさ……」

「ええっ!聞き逃しちゃったの?俺。もっかい歌ってよ」

「また、今度やるときにきてください。次も新しいネタ仕込んでおきますから」

「マジかよー!締めのラーメン食わずに来たらよかったよ……」



 草壁が見ていると、やっぱり新たな合流者もこの店の常連みたいで、すっかりカウンターの雰囲気も和やかである。

 が、しかし、いい年したオッサン。しかも酒が入ってくると、話というのはそれなりにシモがかった話になる。それはいい。いいが、遠慮というのがない。その内容はというと。


「最近、なかなか勃たなくてさ」

「やっぱり落ちるよな」

「それに早いんだよ」

「若いときのほうが我慢きいたよな?あれなんだろう」

「そんなに勃たないんだったら薬飲んでみたらどうだ?」

「俺、ちょっと糖尿があるからうかつに飲めないんだよ」


 エロトークもここまで枯れてくると、草壁には入る余地なんかなかった。というか、聞こえないふりをしているしかなかったが、酔っ払いというのは、そういうのを見つけるのがうまい。


「おにいちゃんは、毎朝、ギンギンだろ?」


「は、はあ……」


 話の合わない人とのエロトークほどつらいものはない。草壁はなるべく話に関わらないようにしていつものとおりの薄い水割りを舐めるように飲むだけであった。



「お兄ちゃんなんかは、抜かず3発なんて当たり前だろ?」

「昔は、俺もそうだったんだけどなあ」


 実は、そんな話題に困っているのはカウンターの中でゆかりと並んで立っているあやも同じだったりする。

「こういうのがあるから、私、苦手なんです……」

 ゆかりのほうだってどう答えていいかわからないが、ちょっとお姉さんだし、ちょっと経験もある分、余裕の笑顔で軽く頷いている。



「若い子の前でもうちょっとマシな話はないの?」

 ママのミミにしてみれば、そんな話程度なんとも思わないが、隣でエース二人が若干引き気味な様子なので、気をつかって、客のほうを軽くたしなめたりしている。


「そんなこと言ってるけど、あやちゃんも経験の一人や二人はあるんだろ?」

「ほっといてください」

 そういうときに、けっこうマジなふくれっつらをするあやだった。本当にこの手の話題は苦手そうだ。


「あやちゃんはネンネだねぇ」

「彼氏の前では違うんだって」

「ベッドの上では娼婦ってやつか?」

「そりゃあ、カワイイ顔してやることはやってるだろ?普通に」


 そんな話題のダシにされて、あやのほうはどんどんと表情が硬くなっていった。

「いい加減にしなさいよ、あなたたち……」

 ミミも苦笑して聞いているしかない。


 すると、いいかげんオチョクラレ役にも嫌気が差してきたらしいあやが、大真面目な顔で

「恋愛ってプラトニックなものが大事なんじゃないですか!」

 とふくれっつらをした。


 あっ、若いなあ!プラトニックと来たか!それは本音と建前っていうのでさ……。

 カウンターの客たちからの一斉の突っ込みが入る。と、同時に隣でミミもクククッと笑った。


「プラトニックねえ……」

 子供の言うことを聞いているみたいな顔をしているので、それを見たあやとしては、自分の言うことをバカにされたみたいな気持ちになった。

「おかしいですか?」


 あやの問いかけにはすぐに答えずに、カウンターの隅に置いてある自分のグラスを手に取ると、水割りに一口流し込むミミ。やがて、あやをチラッと見て笑うと

「若いっていいわね……そんな夢が見れて……」

 

 そんなミミに向かって客の一人が

「ママだって、枯れたようなこと言う年齢としじゃないでしょ?」

 まだ若いでしょ?と言いたいのと同時に、ちょっとおべっかも入っている。


「でもね、男の現実見ちゃうと、プラトニックなんて真面目な顔で言えないわ」

「ママも男で苦労してるの?」

「惚れたらとことん尽くすんでしょ?」

「だって、それが好きになるってことでしょ?」

「どんな男だ?こんないい女に尽くされるなんて目にあってるのは?」

「今はナシ。当分、恋はいいわ」

「いやいや、ママみたいな女、男はほっとかないから」



 そんなふうに、カウンターの常連客との話のあと、隣に立つあやに向かってミミが言った。


「カラダの関係のない恋愛なんて、なかなか続かないものよ。アイドルに憧れるようなものじゃない?」

 ネンネのあやにちょっと軽くお説教でもしているような言葉だった。

 その言葉を聞いて、「そうなんですか?」とかあやが納得しているのかしてないのか、わからない様子でいると、それまで笑顔のままじっと話を聞いているばかりだったゆかりが口をひらいた。


「そうでしょうか?」


 当初、ミミの言葉に、そうそうママに言っているとおりだよ。好きなら相手の男の胸の中に思い切って飛びこみゃいいんだよ。なんて言っていたカウンターの客たちも一瞬、黙った。なぜなら、ゆかりの言葉は短くて静かだったが、どうも疑問ではなくて、はっきりとミミの言葉を否定するような強い言葉に聞こえたからである。

 私は、そうとは思いません。

 そう、彼女は言っているように聞こえた。



「結ばれることなく別れても、思いが残ることってあると思います」

 俯き加減のまま、静かにそういう彼女の言葉が、信仰告白のように響いた。

 一同が、急にそんな調子になったゆかりを少し驚いた顔で見つめた。

 

 しばらくの沈黙を破ったのは、カウンターの隅で、ずっと黙りっぱなしだった草壁だった。


「結ばれなくても、恋は恋?」


 上目遣いで、ゆかりを探るように見ながら草壁が静かに問いかけた。やはりこちらにも疑問形の中に断定的な響きがした。


「ときどき思い出して、ちょっと笑顔になれたら、それでいいのかも」

 草壁の前で遠い目をしながら、まるでそんな思い出が今胸の中によぎっているかのように、軽く微笑むゆかりだった。


「そういうことあったの?」

「あ、ありませんよ!」

 ミミに突っ込まれたあと、苦笑しながらそう言って手を振るゆかりだった。

 


 

 ゆかりの言葉にちょっと毒気を抜かれたようなカウンター。

 それから、話がエロから、ちょっとずれていった。


「小学校の時、おれの好きなおかずが出ると、隣の女の子が、「これあげる」ってくれるんだよ」

「へえ」

「プリンだったと思うけどさ、それが好きでものすごい勢いで流し込んでたら、隣の子が、「私の半分あげるから一緒に食べよ」って言って」

「ああ、そういえば2人がけの机ってあったなあ……」


「そういえば、俺も思い出した。なんでか知らないけど、隣の席の女の子に休み時間になったら膝枕してもらって寝てたんだよ、あれ、なんでああなったのかなあ……」

「ひやかされなかったのか?」

「それが、そんなのが全然無くてさ」

「子供って、たまにヘンに空気を読むよな」

「で、そのすぐあとにその子どっかに転向しちゃったんだよな」



 その晩、一同は草壁が使い走りで買ってきたプッチンプリンをみんなで食べて、少し早い時間のお開きとなった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「友達?あなたも亮作もそれぞれお連れさんと一緒に帰って来るっていうの?」

「そう。いいでしょ?どちらも日ごろから仲良くさせてもらってお世話にもなってるから」

「いいわよ、そういうことなら連れて帰ってらっしゃい」


 弟亮作と示し合わせたとおり、実家への帰郷に際して、二人とも友人同伴ということを実家の両親に伝えると、受話器の向こうの母は、あっさりと了承してくれた。

 ゆかりは、そんなやりとりを手短に済ませると、部屋の受話器を置いた。


「どうだった?」

 ゆかりの様子をじっと見守っていた亮作が声を掛けると、ゆかりはそちらを振り返って、

「うまくイッタ!」

 とニヤリ。


 よかった、よかった、これで家に帰っても少しは親子水入らずの空気から逃れられるかも……。

 そうして、姉弟がゆかりの部屋のダイニングで顔を見合わせてニヤニヤしていた時。




「なんだ?ゆかりからの電話だろ?何か言ってきたのか?」

 長瀬家の20畳のリビングでは、受話器を置いた妻に向かって、夫の長瀬隆が声をかけた。

「アノ子達、ふたりともお友達つれてくるんですって」

「そうか。それなら、賑やかになるなあ」


 広大な屋敷なのだが、現在はこの家に暮らすのは、この夫婦二人きりである。久しぶりの子供達の帰宅と思ったらさらに客がある。来客としては、非常に小規模なものだが、久しぶりに賑やかになるだろう。などと思った隆である。

 しかし、見ると、目の前で妻のほうはちょっと考え事でもしている様子。

 やがて、妻が口を開いたと思ったら、片笑み浮かべながら、こう呟いた。


「賑やか……大いに結構ですわね……」



「おい!お前、今、ちょっと悪い顔してるぞっ!!」




第23話 おわり


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