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05 花言葉と女神の助言

 セレネが『お母様』と呼ぶのは、ディアナの母です。自分の母のことは、『母様』と呼びます。

 浅い眠りから目覚めて、私は目をこすった。やっぱり、夜じゃないと深くは眠れない。

 外はもう、薄暗かった。もう少しで完全に日が沈みそうだ。隣を見ると、姉様はまだぐっすりと眠っている。……ルナ様が来るまで、まだ時間はあるよね。気持ちよさそうに寝ているし、起こさないでおこう。


 帰り道の約束どおり、私は帰ったらすぐに姉様と一緒に寝た。久しぶりに同じベッドで。とは言っても大きいベッドだから、姉様と二人で寝てもまだまだ余裕がある。


 そういえば小さい頃は、エリクも一緒に同じベッドに寝てたんだよね。遊び疲れた後に、三人で一緒に昼寝するのが楽しみだった覚えがある。

 あ、でも……寝てる間に、いつもエリクに耳を触られて嫌だったな。エリクはいつから、私の耳に触るのが好きになったんだっけ?


「ん……」


 そんなことを考えていると、姉様が身動ぎした。

 しばらくもぞもぞした後、ぼんやりと目を開ける。私を見つめて不思議そうにしてから、はっとした顔になった。


「もう夜!?」

「大丈夫ですよ、姉様。ルナ様はまだ来ていないはずです」


 窓の外を見て、姉様はようやくほっと息をついた。

 もう夜と言ってもいい時間だが、ルナ様はこんな時間には来ない。いつも七時過ぎにやってくるのだ。今はたぶん、六時半ごろ。

 ちなみに、時間の表し方は前の世界と同じだったりする。日本人が作ったゲームだからだろうか。楽だから別にいいけど……何だかちょっと物足りないというか。せっかくのファンタジー世界なんだから、とはちょっぴり思う。


「でも、そろそろ庭園へ向かいますか?」


 ルナ様は綺麗な場所が好きらしく、庭園がお気に入りだ。なので、ルナ様はそこにしか下りてこない。他の場所で会うと機嫌が悪くて、すぐに帰ってしまう。まったく……わがままな神様である。


「あー……うん。だけどその前に、お母様のところに行ってもいい?」


 おずおずと尋ねてくる。

 昼休みのセルジュ先生との会話で、お母様のところへ行きたくなったんだろう。私も久しぶりに行こうかな。


「私も一緒に行っていいですか?」

「もちろんっ。二人で行くの、久しぶりだね!」


 姉様は嬉しそうに笑った。

 そういえば姉様は、いつお母様に会いに行っているんだろうか? 基本的に私と一緒にいるから、お母様に会いに行く時間はあまりないはずなのに。

 ……二人で行くのは、久しぶりだ。私が行くのが久しぶりだから、当たり前のことだが。

 前に二人で行ったのは……確か。



 ――お母様の命日、かな。


     * * *


 お母様が好きだった花を持って、姉様とお墓へ向かった。

 お母様のお墓は、庭園の近くにある。お母様が、そうしてほしいと言ったらしい。

 花を手向けてからでも、ルナ様が来る前に庭園に行けるだろう。エリクもそのときになったら来るだろうし、わざわざ呼びに行かなくてもいいよね。


 なぜエリクもルナ様に会うかと言うと、ルナ様は姉様とエリクがお気に入りなので、どちらかがいないと不機嫌になるからだ。

 だから、ルナ様に会うのは私を含めた三人か、姉様とエリクだけになるんだよね。ルナ様には「いなくてもいいけど、いてもいいわよ」とのお言葉をもらっている。……ワー、ウレシイナ。え、棒読み? 仕方ないと思う。


「そういえば、この花の花言葉って何なんだろうね」


 姉様が持っている花を見つめ、つぶやいた。

 ……答えを知ってはいるけれど、私は「さあ、何でしょうね」と返した。いつかは姉様が自分で調べてしまうかもしれないが、それまでは言わなくてもいいだろう。

 以前この花――アフィクについて、調べてみたことがあった。そのとき知った花言葉の一つに……『こどもの幸福』というのがあって。他にもいくつかあったけど、これだけが深く印象に残った。


「たぶんお母様は、花言葉なんて気にしなかったと思いますよ」

「確かに、この花は可愛いもんね」


 アフィクは、少し鈴蘭に似ている小さな花だ。鈴蘭ほど花びらが……えっと、膨らんで? はいないのだが。白とオレンジの二種類の色があって、お母様が好きだったのはオレンジのほう。だから手向ける花は、オレンジのアフィクだ。

 花を手向ける姉様を、斜め後ろから見る。『こどもの幸福』、なんて。姉様にとっては、皮肉にしかならないだろう。

 目を瞑って手を合わせ、お母様に話しかける。


 お母様。私と姉様は、魔法学院に入りました。……少しでもいいので。姉様を、見守ってください。


 目を開けると、姉様はまだ目を瞑っていた。学院の様子を伝えているのかもしれない。

 しばらくし、姉様がこちらを振り返った。


「ごめんね、待たせちゃって。話すことがいっぱいあったんだ」

「いえ、気にしないでください。学院のことを話していたのでしょう?」

「うん。新しくできた友達のこととか、授業のこととか……」


 姉様は寂しげな目をお墓に向けた後、「そろそろ行こっか?」と言った。その言葉にうなずいて、庭園に向かうことにする。



 庭園には、もうエリクが待っていた。近くには、ルナ様が座る用の椅子が置いてある。


「遅かったね。……ディアナが寝過ごしちゃった?」


 私たちが何をしてきたかは気づいているだろうに、エリクはからかうような口調で言った。

 姉様は少し黙った後、ぷくっと頬を膨らませる。


「そうだけどっ。そんな言い方しないでもいいでしょ」

「あはは、ごめん。ディアナは昔から、僕たちの中で一番よく眠ってたなって思い出して」

「……あのさエリク。私だって本当は、姉様と一緒に寝てたかったんだけど? 耳を触って私を起こしたのは、どこの誰だったっけ?」


 軽く睨むと、にっこりと返される。ますますむっとすると、エリクの手が伸びてきた。はっ、これは!

 そうはさせるか、と姉様の後ろに素早く隠れる。姉様を盾のように使うのは心苦しかったが、許してくれるだろう。

 姉様は私をかばうように立ち、私と一緒にエリクを睨んだ。エリクはそんな私たちを見て、唇をとがらせた。


「けち」


 ……それを可愛いとか思ってしまう私は、何かの病院にでも行ったほうがいいのかもしれない。一体何の病院に行けばいいんだろう。目だろうか。精神だろうか。

 いや、目が悪いに違いない!


 でもやっぱり可愛いんだよね。美少女顔でそれをやるとか……。あれ? 私、エリクの顔が好きなわけじゃないんだけど。こういうふうに思っちゃうってことは、顔が好きってことなんだろうか。顔が好きって、それってつまり、私は女の子が好き?

 いやいや、どんなに美少女に見えたって、エリクは立派な男の子だ。私は普通……のはず。


「セレネ? どうしたの?」

「あ、ごめんなさい。ぼーっとしていただけです」


 姉様が私の顔を心配そうに覗きこんできたので、慌てて返事をした。

 こういう葛藤は、今までに何度もしている。結論はいつも同じなのだが、不安になるとどうしても考えてしまうのだ。

 結局私は、エリクがエリクだから好きなんだよね。エリクのどこが好きかって訊かれると、答えられないけど。


「まだ寝ぼけてるんじゃない?」

「寝ぼけてない! ただ……エリクは、どこからどう見ても美少女だなって思ってただけ」

「……それはどうもありがとう?」


 微妙な顔でお礼を言うエリクに、偉そうにうなずいてみた。

 姉様がちょっと首をかしげる。


「エリクより、セレネのほうが可愛いと思うよ?」

「そんな! エリクや私なんかよりも、姉様のほうがずっと可愛いです!」


 外見だけだったらエリクも姉様に負けないが、内面も合わせたら姉様の圧倒的勝利だ。これは別に、姉様を贔屓しているわけではない。私は客観的に判断したのである。(本当だから!)



「――で、あたしは一体いつまで待ってればいいのかしら?」



 いきなりその場に響いた声に、私はびくっと体を震わせた。おそるおそる声のほうへ目をやると、そこには足を組んで椅子に座る、ルナ様の姿があった。姉様とエリクも、驚いたようにルナ様へ顔を向ける。

 ……やばい、少しお怒りのようだ。ルナ様は神様だからか、気配が全くない。いつからいたんだろうか? 私と姉様はともかく、エリクは気づいたってよかったのに!


「何だか随分楽しそうねぇ。あたしも混ぜてくれない?」


 口調は楽しそうなのに、ルナ様の顔はぶすっとしている。姉様はどう返事をするべきかわからないのか、視線で私に助けを求めてきた。……え、助けを求めるならエリクにしてください。

 この状態のルナ様の機嫌を戻すのは、私にはできない。

 ルナ様は、怖いくらい優しく姉様に話しかけた。


「ねえディアナ。あたしは三人の中で、あんたが一番美しいと思うわよ。文句なしの百点」

「あ、ありがとうございます」


 びくびくしながら、姉様はお礼を言う。姉様も、怒っているルナ様は苦手なのだ。

 ルナ様は私に視線を向けた。反射的に背筋が伸び、直立不動になってしまう。

 私のことをしげしげと眺めた後、ルナ様は感心したように言った。


「八十七点。外見に変化はないけど、中身がちょっと成長したわね。ま、せいぜい頑張りなさい」


 八十七点……。顔を引き攣らせながらも、何とか「ありがとうございます」と口にする。

 今まではずっと八十五点だったのに、どうして二点上がったんだろうか。前の満月から、自分が成長した気はしないのだが。

 というか、ルナ様って外見だけで点数をつけてたわけじゃなかったのか。初めて知った。

 ルナ様はエリクに視線を移すと、満足げに笑った。


「うん、エリクも安定の百点ね。だけど……もうちょっと頑張ったら? 今のままでも面白いからいいけどね」


 エリクは困惑しながらうなずいた。今までは「百点、合格!」としか言われたことがなかったからだろう。そもそも、初めて出会ったときにしか点数をつけられたことはないけど。

 それなのに、いきなりどうしたんだろうか。ゲームが始まったことと何か関係があったり?


「それで? セレネ、あたしに何か用でもあるの?」

「へ?」


 ぽかんとすると、ルナ様は立ち上がった。そして私に近づいてきて……って、痛っ!?


「あんたは真面目な顔か笑顔でいなさい。その顔、見苦しいわ」


 見苦しいって……。

 私はおでこをさすりながら、ルナ様を恨めしげに見上げた。ルナ様は私より背が高いので、顔を見ようとすると自然と見上げる形になるのだ。

 ルナ様は今、私に思い切りデコピンをした。前もされたことがあるが、そのときよりもパワーアップしている。

 どうして気配がないのに、実体はあるんだ? 何だかちょっと納得がいかない。


「で、何の用? 今日は珍しく、あたしと会うことに意欲的だったみたいだけど」

「……どうしてそんなことをご存じなのですか」

「言ったじゃない。暇なときはこの世界の様子を観察してるって」


 ということは、今日は暇だったらしい。暇なとき、と言うわりに、何でも知っているような気がするのだが。……いつが暇じゃないんだか。


「何か言ったかしら?」


 にっこりと笑みを浮かべるルナ様。あう、寒気が。

 何も言ってませんと答えると、「ふーん?」と返される。髪をいじりながらだったので、もう興味がなくなっていたのかもしれない。


「用があるなら言いなさいよ? 久しぶりにあんたと話すのも悪くないわ」


 ……はっきりとした用はない、なんて言えない。だからといって、無理やり用を作り出したところでばれるに決まっている。そうなったらルナ様の機嫌は確実に悪くなるだろう。

 訊きたいことは何か、と言われたら、姉様を幸せにするために何をすればいいのか、ということだけど。自分で考えなさい、と言われるのが落ちだ。私はまだ、ルナ様に認められていないから。


 あまり待たせてはいけない。

 頭を必死に働かせて、何とか言葉をひねり出す。


「ええっと、その……。これからの学院生活について、何か助言をいただけないかと」


 待たせるよりも、何かを訊いてしまったほうがいい。

 そういう思いで口にしたので、ルナ様が答えてくれるなんて少しも期待していなかった。


「あら、あんたがそんなこと言うなんて珍しい。丁度いいわ、今日はそのつもりでここに来たんだもの」


 だから、ルナ様の言葉にとても驚いた。またぽかんとした顔をしていたらしく、ルナ様にデコピンをされてしまう。痛い……。

 驚いたのは姉様とエリクも同じだったようだ。


「ルナ様が、私たちに助言を……?」

「あのルナ様が?」

「ちょっとエリク、『あの』とは何よ『あの』とは。あたしだって気が向けば、神っぽいことやってんだから」


 ルナ様は偉そうに言うが、立派なことは言っていない。気が向けば、だし。神っ()()、だし。

 それにしても、ルナ様が神様であることは知っていたが、ちゃんと仕事をしているなんて知らなかった。やっぱりサボるのにも限度があるのだろうか。

 そんな私の心を読んだのか、ルナ様はキッと睨んでくる。


「セレネ?」

「ま、前から思っていましたが、ルナ様は心が読めるのですか?」


 慌てながら、ルナ様に尋ねる。いつもながら、そうとしか思えないタイミングだ。

 しかしルナ様は、心外そうな顔をする。


「あたしにそんな力はないわよ。セレネがわかりやすいだけ。耳見れば、どんなこと考えてんのか一発でわかるじゃない」

「耳?」


 予想外の言葉に、私は目を瞬いた。思わず耳に手をやると、姉様とエリクが苦笑いしているのが見えた。

 ……もしやこれは。二人とも、気づいていたんじゃないか? え、そうなの?

 だとしたらどうすればいいんだ? 耳は無意識に動いちゃうものだし……それを動かさないなんて不可能だ。不可能を可能にしてみせる、とか格好いいことは言えない。無理なものは無理なのだ。


 はっ。

 私の気持ちによって耳が動くってことは、姉様とエリクに……私がエリクが好きだって、ばれてる?

 どどど、どうしよう! 姉様は優しいから、エリクのことを好きになっても諦めてしまうかもしれない。それにエリクも優しいから、私の気持ちに無理に応えようとするかもしれない。


「猫とかならともかく、兎でここまで耳が動くのも珍しいわよねぇ。大丈夫よ。あんたが心配してることは、この二人には絶対ばれてないから」


 ルナ様はにやにや笑う。

 ……うん? この笑いはもしかしなくともあれか。ルナ様は、私の気持ちに気づいている、と。

 あれ、何でだろう。姉様とエリクにばれるよりも嫌だ。


「え、セレネ、私たちに何か隠してるの?」


 悲しそうな声がして、はっと姉様のほうを見る。


「いえ! 決してそんなことは!」

「……あのね。今まで言ってこなかったけど、セレネの嘘ってすぐわかるんだよ。表情が変わらなくても、耳が慌ててるから」


 そう言われたので、耳を押さえる。自慢じゃないが、前の世界では嘘を吐くのは結構得意だったのに! この世界に生まれて、こんなことで困るなんて。

 うぅ、何で人間に生まれてこなかったんだろう。今までも思ってきたことだが、その中で一番強く思った。


「ごめんなさい」


 しょんぼりしながら謝る。

 姉様に隠し事をするのは辛いが、それでも隠したままでいたい。姉様のため、とはっきり言えたらいいけど、これはたぶん、私に勇気がないからだ。

 エリクに気持ちを伝えて、もし姉様のことが好きだとはっきりと言われてしまったら。

 泣かずにいられる自信がない。そうなったらエリクを困らせてしまうし、姉様だって困るだろう。


「……隠し事は、誰にでもあるもんね」


 姉様は微笑むが、その笑顔は寂しそうだった。


「そうそう、隠し事はあって当たり前なのよ。身近な相手だからこそ言えないこともあるし? だからディアナ、あんまり気にしないことね」


 有り得ないことを聞いた気分。

 ルナ様が、ものすごくまともなことを言って姉様を慰めている……!


「……そうですよね! セレネがちゃんと、私のことを家族だと思ってくれてるからだと思えば嬉しいです!」


 姉様はぱあっと顔を明るくさせた。

 まったく……。姉様は、まだ不安なのか。私はずっと姉様のことを大事な家族だと思っているし、それを伝えてきてもいるのに。単純なくせに、こういうところは頑固なんだよね。


「それじゃあ、僕のことも家族だと思ってくれてるってこと?」


 私はその言葉に黙り込んだ。そして、ぷいっと顔を逸らす。

 エリクは家族のようでいて、家族ではない。それでも大事な人には変わりない、なんて。恥ずかしくて口にはできないのだ。


「ありがとう」


 だが、なぜかそう言われてしまった。


「何も言ってないけど?」

「目は口ほどにものを言う、って言葉あるけど、セレネの場合は目じゃなくて耳だよね」

「うん、セレネの耳は素直だよねー」


 二人とも、何でそんなにこにこしてるの……。

 今度、耳を動かさないようにする訓練でも始めてみようか。そうしたら、こんなふうにぐったりとした気分にはならないはずだ。


「話が一区切りしたとこでっと。そろそろ本題に入ってもいいかしら?」


 ルナ様が小首をかしげた。

 ……不思議だ。どうしてこんなに似合わないんだろう。


「そこ、何考えてるかわかるわよ」


 私を睨んだルナ様は、こほんと咳払いした。


「助言をしにきたって言ったけど。あんたたちに、ってわけじゃなくて、ディアナにだけなの」


 やっぱり。

 ここは現実であっても、ゲームの世界であるんだと改めて思う。

 今までのルナ様を考えれば、認めている人にこそ助言なんてしない。自分が認めている人に助けを求められれば、ほんの少しだけ手を貸してくれる。それがルナ様だ。認めていない人は……私を除いて、そもそも視界に入れようともしない。


「いい、ディアナ。あたしは神として、誰か一人に肩入れするわけにはいかないわ」


 ……もう十分、姉様とエリクを特別扱いしてると思うのだが。しかし、ここで突っ込むわけにはいかないので我慢する。

 真剣な顔で、ルナ様は続ける。


「だからあたしから言えるのは、これだけよ」


 ルナ様はそこで、一呼吸置いた。


「あんたには明日、大切な選択が待ってる。誰を選ぶかによって、あんたの人生は変わるわ。明日の選択の後も、気を抜いちゃ駄目。あんたは日々、いろんなことを選んで生きていくことになる。それによって、死ぬ可能性もあるし幸せになれる可能性もある。……人であるならそれは当たり前のことだけど、ね」


 最後の言葉を言うとき、ルナ様はふっと表情を和らげた。優しい、まさに女神のような笑み。それは初めて見たものだったので、思わずじっと見つめてしまった。


 姉様は、ルナ様の話の意味がよくわかっていないようだった。エリクもわかってない、かな。

 たぶんこれの意味がわかったのは、私だけだろう。

 ……というか、死ぬ可能性もあるの!? 乙女ゲームって、そんな結末も有り得るんだ……。危険な世界だなぁ。


「わかった?」

「……ごめんなさい。よくわかりません」

「まあ、やりたいようにやりなさい。あんたのことだから、最悪なことにはならないでしょ」


 最後の最後でいい加減だ。今までの真剣さはどこへ行ったんだ?


「それじゃ、もう帰るわね。……あ、そうだ」


 ふと思いついたような顔で、ルナ様は私を手招きした。

 何だろうと思いながら近づくと、耳元でささやかれる。


「あんたにできるのは、ただディアナを信じるだけ。でも、ディアナの選択が間違ってると思えば、ちゃんとディアナに言いなさい。きっとあんたは正しい選択ができるから」


 私は、正しい選択ができる?

 それが本当かはわからないが、ルナ様の言葉を……自分を、信じてみようと思った。自分を信じられない人が、他人を信じられるはずがない。姉様のことを信じるために、自分を信じるのだ。


「はい!」


 勢いよくうなずくと、ルナ様はおかしそうに笑って「じゃ、ばいばーい」と手を振った。途端にルナ様の姿は薄くなっていって、そう経たずに消えてしまった。

 あっさりとした別れは、いつものことだ。普段はそれが来るのを心待ちにしていたのに、今日は少し寂しく感じた。

 ルナ様がいた場所をぼんやり見ていると、エリクが口を開いた。


「セレネ、何言われたの?」

「んー……姉様を信じなさい、かな」

「ディアナを? 今日のルナ様は、よくわからないな」


 そうだね、とうなずいて、私は目を瞑った。何かを強く思うときは、これが一番集中できる。

 私にできるのは、姉様を信じること。そのためには、自分を信じる必要がある。正しい『選択肢』を選べる自信はないが、選べると信じるのだ。


 そうすれば……姉様を幸せに、できるよね。






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