33 望む答えと決意の阻害
何度目かになる、魔法実技の授業。今日の課題は、あのチェンランを倒して毛玉を十五個集めることだった。……毛玉? と思うかもしれないが、毛玉なのだ。白くてふわふわの。……しっぽの毛なのかなぁ。そう思うとちょっと罪悪感が湧くが、おそらくこれもゲームではアイテム扱いなのだろう。
マロングと同様に、倒すと毎回毛玉を落とすわけではない。すばしっこいしすぐに逃げてしまうから、私たちは少し手間取っていた。
とはいえ、それはあくまでも『少し』だった。
「なんだか最近、みんな息が合ってきた気がする!」
十四個目の毛玉を回収していると、姉様がきらきらとした瞳で言った。可愛い。
今日で魔法実技の授業は……確か九回目? 週一でそれだけやってくれば、だんだんと連携が上手く取れていくのは当然のことだ。
誰か一人が突っ走って、一人で課題を終わらせてしまうなんてことはもちろんない。姉様以外だったら、きっとやろうと思えばできてしまうんだろうけど。
あ、でも、姉様は今日二匹のチェンランを倒していた。訓練の成果か、『火の大玉』だけでなく『火の玉』の扱いも上手くなっているし。……姉様が使っているのは、大抵『風の玉』なんだけどね。たぶん、というか絶対、私に気を遣っているんだと思う。私から離れた位置では『フ・バーロ』も使っているから。
私が使うのはほとんど『フ・バーロ』だし、そんなに気を遣わなくて平気なんだけどなぁ……。
「そうだね。今日の課題はもっと時間かかると思ってた」
腰のベルトについている鞘に剣をしまいつつ、エリクがうなずく。
エリクの言葉に、狐がふんと鼻で笑った。
「このメンバーなら当然でしょう」
「……シャルル」
「なんですか。というよりミミル、先輩を呼び捨てにするのはやめなさい」
不思議さんはこてんと首をかしげて、また「シャルル」と狐の名前を呼んだ。……この二人、去年も魔法実技のグループが同じだったらしく、結構仲がいいんだよね。不思議さんが狐のことをシャルルと呼び、そして狐に訂正される、というのをもう何度も聞いている。
狐は諦めたようにため息をついた。
「何が言いたいんですか」
「……シャルルがいるから」
眉を寄せ、そして何かに気づいたのか、狐は不思議さんからふいっと目を逸らした。
「ああ、なんとなくわかりました。ですが、私の力だけではありません。まあ私が主力となっているのは確かでしょうけどね」
……狐の言葉で、私も不思議さんが言おうとしたことがなんとなくわかった。たぶん今の言葉は、照れ隠しなんだろうな、ということも。
狐ってやっぱり、案外わかりやすいよなぁ。
私の生暖かい目に気づいたのか、狐が不機嫌そうに鼻を鳴らす。しかしそれだけで何も言ってこなかったので、たぶんそういうことなんだろう。
まあ実際、私たちの連携が上手くいっているのは狐が上手くフォローしてくれているからだったりもする。……あ、駄目だ、そう思うと悔しい。狐に対する感情は大分変わってきたはずなのに、まだこういうふうに悔しくなるのか。
ともかく、不思議さんが言いたかった、というかたぶん本人にとっては『言った』のはそれだ。
「……あの、ラベー先輩!」
急に聞こえた姉様の大きな声に、びっくりする。姉様自身もそれほど大きな声を出すつもりはなかったのか、あたふたしているのが可愛かった。
狐はそんな姉様を見ても、「何ですか」と低い声で訊いただけだった。こんなに可愛い姉様を見てもその反応なんですか、と少しむっとしてしまう。
姉様は視線をさまよわせて、一瞬私のほうを向いた。よくわからないがそれで勇気を得たのか、真っ直ぐと狐を見上げた。
「いつもありがとうございます!」
「……はい?」
「私はただ、みんなの息が合ってきたことに喜んでいただけなんですが、考えてみればそれはきっとラベー先輩のおかげだろうな、って」
「今ミミルに言ったとおり、私の力だけではありません」
少し戸惑いながら、それでも無愛想に狐は答える。
「……ミミル先輩も、セレネもエリクも、みんなそれに気づいていたのに、私一人何も考えずに喜んでいたんです」
「あの二人がいるのなら、貴女はそのくらいで丁度いいのでは」
「それじゃ駄目なんです!」
遮るようにして、姉様が叫ぶ。
そして深呼吸をしてから、静かに問いかけた。
「私は、役に立っていますか」
思わず開きかけた口は、姉様の視線によって閉じるしかなかった。
その質問は確かに、狐にしか訊けないものだ。狐に視線を戻す姉様を見ながら、そう思う。私とエリクは客観的に見れていないだろうし、不思議さんに訊いたって首をかしげられるだけだろう。
ようやく姉様の話をちゃんと聞く気になったらしく、狐は姉様の目を見返した。
「……少なくとも、授業中にそんな個人的な話をするのはどうかと思いますが」
「うっ……そ、それは、ごめんなさい。訊くなら今しかないと思ったんです」
しょぼんとした姉様は、もう一度「すみません」と謝った。
「授業中、というか、魔物もいる外でこんな話をするなんて、危ないですよね。また今度違うときに訊いてもいいですか?」
「……まあ、すぐに済む話ですから今答えます。教室に来られても迷惑ですから」
もっと他に言い様があるんじゃないですかね! これを思ったのは何度目だろう。
ああもう、姉様が怯んじゃってるし、エリクも眉ひそめてるし……。不思議さんは我関せず、というふうに辺りをぼんやりと見ていた。
姉様と狐を、はらはらとしながら見守る。狐がもし、姉様がただ傷つくだけの答えを返したらどうしよう。冷静でいられる自信がない。
「正直、貴女は戦力的にはいてもいなくても変わらないでしょう」
狐は淡々と言い放った。
そう言われることを、姉様も覚悟していたのかもしれない。拳をぎゅっと握りながら、姉様はうつむく。それに対し、狐は「ですが」と続ける。
「まあ、ここ最近は何体かの魔物を倒していますし、役に立っていないというわけでもありません」
「……え?」
「それにあの二人も、貴女がいるからあそこまでの力を出しているのでしょうし」
「え、えっと、それは」
「ここまで言ってもまだ理解できないのですか?」
ふん、と狐はそれ以上何も言うことなく、姉様から視線を外した。そしてやや離れたところにいたチェンランに、見事『フ・バーロ』を命中させる。毛玉は落ちなかった。
姉様は呆然としたまま、それを見つめていた。
……狐も、もっとわかりやすく言ってくれればいいのに。ついふっと笑ってしまった。
「……違う」
ぽつり、と姉様がつぶやく。狐の耳がぴくりと動いた。
「それって結局、やっぱり私は役に立ってないです」
狐は姉様を静かに見つめた。
「望む答えとは違いましたか」
「望むとかそういうものじゃなくて、だってそれだと私、セレネたちに守られるだけの足手まといですよね」
「……そう思いたいのなら、そう思っていればいいでしょう。私に訊く意味があったとは思えませんね」
「……すみません。わざわざ時間を取らせてしまって」
強張った顔で、姉様は頭を下げた。
うぅ、姉様のほっぺたをつついて、力を抜かせたい。こんなに硬い表情は、姉様には似合わないから。だけど今そんなことをしたって、姉様に気を遣わせてしまうだけだろう。何事もなかったように、毛玉を集めることに専念するのがいい、のかな。集めるといっても、あと一つなのだが。
ほっぺたをつつくのは無理でも、少し声をかけるくらいはしておきたい。けど、何を言えばいいだろうか。
言葉に迷っている間に、皆はチェンラン探しに戻ってしまった。……うん、どうせあと一個なんだし。三、四匹も倒せばきっと手に入るだろう。姉様とは授業が終わった後にゆっくりと話をしよう。
――そう思った瞬間だった。
「ひゃっ!?」
姉様がいる地面が、急に勢いよく盛り上がった。バランスを崩した姉様は、その上から倒れるように落ちる。
「姉様!?」
何が起こったのかわからないまま、姉様に駆け寄る。エリクが上手く抱きとめてくれて、目に見える怪我はしていないようだった。
……なんでこの時間に、これがいるの。
地面から現れた魔物を見上げながら、冷や汗が流れるのを感じた。
「グラニア……」
三メートルは優にあるその魔物は、グラニアというモグラ型の魔物だった。モグラと同じように視力はものすごく悪いが、鼻は利く。もし戦うのだとしたら、まずは嗅覚を潰すのが有効だ。
けれどグラニアは、こちらから刺激しなければ攻撃してこない。そして、もしも攻撃対象と認識されたら、私たちに敵う相手ではないのだ。みんなそれをわかっているのだろう、身動ぎもせずにグラニアを見上げている。狐は厳しい顔をしているし、何かあればすぐ動くつもりだろう。
……えっと、それからなんだっけ。魔物学の授業で習ったことを思い出していく。
そうだ、この魔物は本来なら夜にしか地上に出てこない。昼の目撃情報もあるにはあるが、極めて稀だったはずだ。その『極めて稀』なことに出くわしてしまったということ、だろうか。
グラニアを凝視しながら、私たちは息を潜める。においで私たちの存在に気づいてはいるだろうが、刺激しなければいいのだ。
グラニアは、大きなミミズの魔物……オリゴエタをむしゃむしゃと食べていた。オリゴエタの、耳鳴りのような声が耳に痛い。あまり見ていたくなくて、私は二体から目を逸らした。どちらも、特にグラニアはデフォルメしたような可愛さを持っているので、余計に。
姉様は気分が悪そうに口元を押さえていて、エリクはそんな姉様の耳をそっと塞いだ。
グラニアは、オリゴエタを追って地上まで出てきたんだろう。食べ終わったら、きっとそのまま地下に戻っていくはずだ。
グラニアは土魔法が得意で、モグラのように地下にトンネルを掘って暮らしている。しかし、あの巨体だから、穴も相当大きなものになる。グラニアは必要最低限のトンネルだけを残して、あとは土魔法で埋めてしまうらしい。そうじゃなかったら、すぐ地面が陥没してしまうし。
あまり外に出てこないこともあって、グラニアについてわかっていることは確かこのくらいだったはず。
かなりの時間が経ったように感じたが、おそらくほんの数分のことだったのだろう。
食事を終えたグラニアは、満足したのか地下へと戻っていった。グラニアの魔法によって、周辺の地面も元に戻る。
そこでようやく、ほっと息をついた。けれど安心してもいられないのだった、と慌てて姉様の顔を覗きこむ。
「姉様、大丈夫ですか!? どこかお怪我は!?」
「え、えへへ、だいじょうぶ。エリクも、助けてくれてありがとう」
引き攣った笑顔で、姉様はエリクから体を離した。しかし、その顔は一瞬わずかに歪んだ。すぐに姉様はふにゃりと笑ったが、それで隠せると思っているのだろうか。
……右足、かな。
「姉様、右足を出してください」
「へ? いや、大丈夫だよ。なんともないから」
「念のためです」
そうきっぱりと言ってしゃがめば、姉様は困った顔で右足を出してくれた。足首を手で軽くつかむと、「っ」と抑えた声が聞こえた。
……やっぱり。あんなに急に地面が盛り上がったら、足を挫くのも当たり前だ。
このくらいの怪我なら、手当てをすればすぐに治るだろう。
うー……でも、さ。やっちゃいけないことだとはわかってはいるが、眉をぎゅっと寄せた姉様を見ると、その痛みをすぐになくしてあげたいと思ってしまった。
無詠唱で使えば、ばれないだろうか。魔力の動きをできるだけ小さくして、『治癒の光』を――
「セレネ」
姉様とエリクから、同時に名前を呼ばれた。びくっと体を反応させて、おそるおそる二人の様子を窺う。
……ばれ、た?
「気づかないわけないでしょ」
エリクが呆れつつ、しかし険しい顔で近づいてきた。
「私でさえ気づきますよ」
「……おれも」
狐は馬鹿にしたように、不思議さんはいつもどおりの無表情で。……まだ魔法の準備さえしていなかったのに、そんなにわかりやすかっただろうか。
皆に気圧されるようにそろりと後ろに少し下がれば、エリクに逃すものかと腕を掴まれた。
「セレネ」
もう一度はっきりと名前を呼ばれる。自分の耳がしょげるのがわかった。
私が使おうとしたのは、『治癒の光』。治癒魔法の基礎となる魔法だ。
姉様の怪我は、おそらくただの捻挫である。こんな怪我に治癒魔法を使うなんて、到底許されることではない。そうわかっていても、姉様が痛みに苦しむのは嫌なのだ。なんて、勝手な思いなのは重々承知なのだが。
突然の魔物に動揺したから、なんて言いわけにもならないだろう。
「だめだよ、セレネ」
姉様に優しくたしなめられる。こちらを気遣うような口調に、余計にいたたまれなくなった。
「……すみません。エリクも、ごめん」
「セレネはディアナを大事にしすぎだよ」
エリクが言うことじゃないでしょ、という言葉は飲み込む。ここでそんな茶化すようなことを言っては、ますます呆れられるだけだ。
素直にまた、「ごめん」と謝る。今のは絶対的に私が悪かった。そもそも治癒魔法が禁止されているのは、かけられた人間の体の能力が低下するからだ。治癒魔法をかけられるたびに、怪我の治りは遅くなるし、免疫力なんかも低下する。……私はそれを、姉様にしようとしていたのだ。
しょぼんとする私に、姉様がにっこりと微笑みかけた。
「だいじょーぶ、これくらい何ともないよ」
「……でもやっぱり、痛いですよね。近くにいたのに、何もできなくてすみません」
「謝る必要なんてないからね?」
姉様はそう言ってくださるが、何もできなかったのは事実だ。そこも含めて、反省すべきだろう。
咄嗟のことに反応できないようじゃ、まだまだだなぁ……。
なんて考えていたら、姉様が言いづらそうに続けた。
「あのさ、セレネ。前私が言ったこと、覚えてる?」
「前……?」
「うん。セレネが兎になっちゃった日に言ったこと」
なんだろう、と思ったのは一瞬だった。
あの日のことが、鮮やかに頭に蘇る。涙で瞳を濡らして、ふわりと笑って、姉様は言ったのだ。
――強く、なるから。セレネを守れるようになるから。
忘れるわけがない。あんなに嬉しかった言葉を、どうして忘れられるだろうか。
でも。記憶には確かに残っていたのに、たびたび思い出してもいたのに、どうして私は変わらなかったんだろう。
姉様は強くなろうと、変わろうと努力していた。私もそれを知っていて、それなのに、無意識に止めようとしてしまったんだ。姉様の決意に、嬉しさで泣きそうになったはずだったのに。
……ああ、駄目だな。
守られるよりも守りたい。姉様が傷つくところなんて見たくない。
そういう思いを、私は捨てられなかった。捨て切れなかった、ではない。ほんの少しも、捨てられなかったのだ。
ただの捻挫にさえ、思わず治癒魔法を使ってしまいそうになるくらいには。
言葉に詰まって、姉様を見つめる。エリクは口を出さないことに決めたのか、少し離れて私たちのほうをじっと見ていた。狐も不思議さんも、何も言わない。
「覚えてるんだよね?」
「……はい」
小さくうなずきながら、搾り出すように声を出す。
有り得ないことだが、もしも覚えていなかったのだとしたら、私の行動だって別におかしなものではない。私にとって、姉様は一番大切な存在なのだから。
だけど私は、ちゃんと覚えていた。覚えていた上で、姉様の決意を無下にするようなことをしたのだ。
「私はセレネを守れるようになりたいの。こんな怪我を我慢できないようじゃ、セレネを守るとか絶対無理だもん」
ねえ、セレネ。
姉様がゆっくりと、私の名を呼んだ。
「強くならせて?」
そう言って、姉様は困ったように微笑んだ。
……姉様に、そんなことを言わせてしまった。
ずどんと、何か重いものが全身を覆う。姉様がこう言うのは、私が姉様の強さへの妨げになっているからだ。私が、姉様を困らせている。
私は姉様の気持ちを全然理解できていなかったのかもしれない。ううん、理解してなかったんだ。
私たちはお互いがお互いを守ることに固執していて、守られるだけなのは嫌で。……これも違う、かな。固執しているのは、私だけだ。私は、姉様のことを考えていたのではなくて、姉様を守ることを考えていた。
守り、守られる。それがきっと、一番いい関係なのに。
「……はい。すみませんでした」
「だから、謝らなくていいんだってば」
苦笑する姉様に、情けない顔を返すことしかできなかった。
「私は別に、どんなことからもセレネを守れるようになりたい、とかは思ってないんだよ。それはやっぱり無理だもん。だけど、全部をそうやって諦めたくないから、強くなりたいの。守られることが嫌なんじゃなくて、守られるだけなのが嫌だから」
さっきの私の考えが読まれたようで、少しびくっとする。
そんな私の頭を、姉様が優しくなでた。
「こっちこそ、ごめんね。セレネの気持ちもわかってるつもりなんだけど、わがまま言っちゃって」
「……私のほうがわがままでした。いえ、欲張りでした。姉様に強くなっていただきたいのに、ちょっとのことからも守りたいと思ってしまいました」
「ふふ、ありがとう。でもこれくらいは本当へっちゃらだからね。エリクも助けてくれたし」
正直に言うと、だから悔しいのだ。私は何もできなかったのに、エリクはちゃっかり姉様を助けてて。完全に八つ当たりなんだけど、でもさ……!
つい恨めしげな視線をエリクに送れば、私の気持ちを察したのだろう。
「単に、僕のほうがディアナの近くにいたからだよ。それに一応、僕はこれでも男だからね? これくらいできなきゃ」
「……うぅ。そうだけどさ。いや、その、えっと……ありがとう」
私のお礼に、エリクは軽く微笑んで答えた。
「さて、お話は済みましたか?」
狐が話の切れ目を見計らって、口を開いた。
……そうだよね、ここには狐と不思議さんもいるんだよね。今のやり取りをずっと見られていたかと思うと……うわぁ、自分が情けなくなる。やめよう。
「すみません、お待たせしました。あと一個ですし、すぐに済ませてしまいましょう。姉様はあまり動かないでくださいね」
魔法で氷を出しつつ、そう答える。それをハンカチで包み、姉様に足首を冷やしてもらう。
集めなくてはいけない毛玉はあと一つ。ここで帰ったら、姉様は自分を責めてしまうだろう。毛玉集めは続行したほうがいい。
早く保健室に行きたいし、できるだけ急ぐけど。帰るまでに悪化したら嫌だから、転移石を使わせてもらおう。
そして私たちはほんの数分で最後の毛玉を手に入れて、転移石によって学院へ戻ったのだった。




