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姉様の幸せのために  作者: 藤崎珠里


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27 嘘くさい言葉と口論

 テストの結果は、全教科平均超えという満足できるものだった。ちらほら九十点台もあったので嬉しい。ただ、ノーヴェ語のテストが平均ぎりぎりだったので……次回はもうちょっと頑張らなくちゃなぁ。

 まあ、そんな感じで私は全然問題なかったのだけど。


 いつものように一緒に帰ろうとCクラスへ向かったら、姉様とエリクがこちらに見えてくるのが見えた。姉様はとぼとぼと歩いていて、エリクがそれを呆れたように支えていたから、何かあったなとは思いはしたんだけどね……。


「うぅ、追試だ……」


 がっくりとうなだれた姉様は、少し涙目だった。全教科赤点ぎりぎりだった姉様が、魔法学のテストでついに赤点を取ってしまったらしい。

 姉様の隣のエリクが困った顔で私に言う。


「赤点くらいでそんなに落ち込むことないよ、って言ったんだけどね」

「エリク、それはたぶん嫌味っぽく聞こえるよ……」

「……本当だ」


 なんていう会話を聞いて、姉様はますます落ち込んでしまったようだった。


「なんでよりによって、セルジュ先生の教科で赤点取っちゃったんだろう」


 はあ、と深いため息をつく姉様。ああ確かに、担任の先生の教科で赤点はちょっと気まずいよね……。追試のときもセルジュ先生が来るのだろうし、ここまで落ち込むのも当然だろう。


「二人を待たせることにもなっちゃうし、ほんとごめんね……」

「それは全然構いませんよ。追試ってどこでやるんですか?」

「第二理科室……」

「あそこですか……」


 私もあの教室でノーヴェ語の小テストを受けたんだよね。小テストとか追試は全てあの教室でやるんだろうか。少し暗い第二理科室で、先生と二人っきりでテストを受けるのつらいんだよなぁ。

 ……先生と、二人っきり?

 もしかして、まさか。ないよね、と思いながらも、おそるおそる訊いてみる。


「追試って、他にも受ける方はいますよね?」

「ううん、いないみたいなの……。だから余計ショックで……」

「……セルジュ先生と二人きりということですか? 追試って何分あるんでしたっけ?」

「え、うん、えっと、三十分だよ」


 三十分間、姉様とセルジュ先生が二人きり。……かなり、かなーり不安ではあるが、教師である限り何か変なことをすることはないだろう。いや、攻略対象だけど、そこはまあ、うん。……乙女ゲームって、教師をどうやって攻略するの? 甘いイベントとかにも限界があるよね?

 追試で何かイベントが起きたり、はないだろう。追試中は先生だって姉様の邪魔をできないはずだし……でもやっぱり不安なものは不安なのだ。いくら不安だからって、追試に行くのを止めることなんてできないけどね。

 考えるほどに、不安が募っていく。私、三十分も平静でいられるかなあ。


「しかも今日は……」


 姉様がぼそりとつぶやいた。途切れた言葉の先は、「ルナ様に会う日なのに」だろうか。


『ディアナは……そうね、来月あたりにでも解放し始めようかしら』


 前の満月の夜に聞いた言葉が蘇る。

 私が魔力を解放されてから、一ヶ月が経った。来月、つまりは今日、姉様の魔力は解放されるのだ。解放される魔力は少しだけだとしても、それに対する姉様の不安は大きなものだろう。魔力を解放されたときの私の動揺を知っているから、尚更。

 でも私だって、どんどん魔力を解放させると言われているのだ。正直不安はある。……姉様の不安を少しでも減らしたくて、表面上は何とも思っていないように振る舞ってはいるけど。


 姉様は近くの教室をちらっと覗き込んで、時間を確認した。


「あ、もうちょっとで時間だから、行ってくるね! 二人はどこで待ってる?」

「じゃあ中庭にでもいるよ。三十分経ったら迎えに行くから、一人では行動しないようにね」


 うん! と元気よく返事をして、早足で行ってしまった。

 ……あれ? 私、もしかしてエリクと二人っきり? 姉様とセルジュ先生が二人っきりで、私とエリクも二人っきりで。……そんな状況で平静でいられるわけないよ!? え、え、今大分叫び声上げたい気分なんだけどどうしよう。ぎゃー!

 心の中での絶叫を終え、いやいや落ち着こう、と小さく深呼吸をする。まだエリクと二人っきりになると決まったわけではないのだ。姉様とセルジュ先生が二人っきりになるのは確定だとしても、中庭には他の人がいる可能性がある。


「あ、エリク、護衛として近くにいなくていいの!?」

「セルジュ先生なら大丈夫。……流石に担任の先生にまで王女だっていうことを隠すのは、いざというときに危険だしね。学院長も信用のある人を担任に選んでくれたみたい」

「そうなの!?」


 衝撃の事実だった。いや、まあ、学院長なら知っているとは思っていたけど、まさか担任の先生まで知ってるなんて。

 ……でも、ということは。


「じゃあニルス先生も?」


 あんなに適当な人なのに、と思いつつ訊いてみれば、こともなげに「そうだよ」と言われる。

 ニルス先生、もしかして結構すごい人だったり……?

 ともかく、これで中庭に行くのを断る理由がなくなってしまった。耳がしょぼんとなってしまった気がして、慌てて元に戻す。


「行こうか」

「う、うん!」


 声が上ずってしまったが、エリクは気にしない様子で歩き出す。

 実は私、エリクと二人だけという状況に慣れていない。姉様も含めた三人でいることが多いのだ。もちろん、エリクと二人だけになることもなくはないのだが……や、やっぱり緊張する。(嬉しいんだけどさ!)

 とにかく耳を動かさないようにしようと、耳に力を入れてからエリクを追いかけた。自然としかめっつらになってしまうが、エリクといるときの私はこんなものだと思う。……それはそれでどうなのかとは思うけど。


「そんなに心配?」

「へっ?」

「ディアナとセルジュ先生が二人っきりって聞いたとき、すごい顔してたから。というか今もしてるしさ」


 ……そんなにすごい顔だろうか。

 ぺたぺたと顔にさわりながら返事をする。


「だって、姉様と二人っきりだよ? 先生って立場を忘れちゃうこともあるでしょ」

「もっとセルジュ先生を信用してもいいと思うけど」


 苦笑と一緒に放たれた言葉に、一瞬だけ思考が止まった。

 セルジュ先生を信用していない、わけではない。生徒思いのいい先生だし、姉様だって慕っているように見える。普通の先生が相手だったら、私だってこんなに心配にならないだろう。

 心配になるのは、セルジュ先生が『攻略対象』であり、姉様を好きになる可能性があるから。

 ちゃんとその人のことを見て、知って、判断しなければいけないのはわかっている。けれどやっぱり、『攻略対象』というのを知っていると、たとえここがゲームの世界ではなかったとしても警戒してしまうのだ。

 ……もっと私から歩み寄ったほうがいいんだろうか。


「信用してるよ」


 少し間を空けて返したその言葉は、自分でもびっくりするくらい嘘くさかった。


「担任じゃないからそこまでよく知らないけど、魔法学の授業のときだけでもいい先生だってわかるし。先生って立場を忘れるとかはないと思う」


 言いわけのように続けると、さっき言ったこととは真逆のことを言ってしまった。

 でもたぶん、私の本音は今言ったほうなのだろう。ゲームのことなんか何も知らない私なら、先生を警戒なんてするはずがない。

 エリクが不意に笑みを漏らした。


「顔、更にすごいことになってるよ」

「……そう言いながら耳さわるな!」

「あはは、ごめん」


 まったく悪びれずに、エリクは手を引っ込めた。

 それ以上文句を言う気にもできず、ただ小さくため息をつく。


「……ありがと」


 エリクは聞こえなかったふりをしてくれた。……こういうところもむかつくのだ、もう。


     *  *  *


 中庭の桜は、もうすっかり緑色に変わっていた。

 来年また桜が咲くのが楽しみだな、と思っていると、桜の木近くのテーブルに先客がいることに気づく。いても不思議ではないのだが、予想していなかった人物だったので驚いた。それは向こうも同じようで、彼はほんの少し眉をひそめた。分厚い本を読んでいるのだが、何か勉強しているのだろうか。


「……こんにちは」


 しかし、挨拶をしないわけにもいかない。私に続けて、エリクも普通に挨拶をする。そして相手――狐も、嫌々ながらも「こんにちは」と返してくれた。

 でも、誰かいてくれて助かった。狐のことだから私たちの会話に加わることはないだろうけど、それでもそこにいるだけで嬉しい。

 なんて思っていたのに、だ。

 狐は無言で本を閉じると、椅子から立ち上がってしまった。


「え、行ってしまうのですか?」


 思わず問いを零せば、怪訝そうな目を返される。


「……何かご用でも?」

「いえ、別にそういうわけではないのですが……」


 ここにいていただけませんか、と頼むのは図々しいよなぁ。そもそもそういう言葉は誤解を生みそうな気がする。媚を売っていると思われるのは嫌だ。

 うー、なんで狐以外にいないの。他にも人がいれば、あっさり見送れるのに。

 何か理由を、と頭を猛スピードで回転させる。


「えっと、その、魔法実技で同じグループなのですし、交流を深めるのもいいかなぁ、と……」

「……『魔法実技の授業以外で特に関わろうとは思いません』。貴女はそう言っていませんでしたか?」

「う、言いました」


 くっ、記憶力いいな!


「セレネ、先輩も勉強していたんだし、あんまり引き止めちゃ駄目だよ」

「わかってるけど……だって、エリクと二人だけなんて、久しぶり、だから」


 もにょもにょと声が小さくなってしまう。ああもう、絶対顔赤い。なんで正直に言ったんだ、私。これを言うくらいなら、エリクと二人きりという状況を耐えたほうが絶対よかった。

 ……エリクも狐も何も言わないんだけど。わ、私、そこまで変なこと言ってないよね!? 何か反応をください!

 ちらちらと様子を窺っていれば、二人はほぼ同時にため息をついた。どちらも呆れからのため息のように感じたが、そこに含まれている感情は微妙に違うような気がする。


「……そうだね、確かに久しぶりだったね」


 再びため息をつきそうなエリクに、狐が続く。


「では私はお邪魔でしょう。さようなら」


 冷たい視線とともに、あっさりとそう言われた。そんな冷たい目で見られる理由がまったくわからないんですが!

 エリクは狐に一言謝ってから「さようなら」と返した。引き止めてくれないの!? と一瞬思ったが、考えてみればエリクには狐を引き止める理由なんてないのだ。

 ふん、と鼻を鳴らし、去ろうとする狐の背に声を上げる。


「あ、あの! 二十分くらいで構いませんから、お話しませんか!?」

「そんな大声を出さなくとも聞こえています」


 狐の耳が、不機嫌そうにぴくぴくと動いた。ふさふさしっぽも揺れる。……これは相当機嫌を損ねてしまったか。

 いや、うん。私のお願いは図々しいことこの上なかった。これ以上引き止めたって迷惑になるだけだろう。今もうすでに迷惑だろうけど。

 少し冷静になったら申し訳なくなってきて、大人しく頭を下げる。


「お時間を取らせてしまい、すみません」

「……二十分ということはもしや、貴女のお姉さんは追試ですか」

「……それが何か」


 生徒会長だし、定期テストの追試のそれぞれの日時を把握しているのかもしれないけど。わざわざ確認してくる必要はないはずだ。自然と声のトーンが下がる私に、狐はふっと笑う。


「いえ、別に」


 ……完っ全に馬鹿にしているように聞こえるのは気のせいですかね! 最近は狐にイラッとすることはなくなってきてたのに、今のは大分イラッとした。

 狐はAクラスだし、それに生徒会長だし、確かに成績はすごくいいんだろうけど。だからって、姉様の努力を知りもせずに馬鹿にするなんて許せない。……頑張りすぎて徹夜しようとしていたから、慌てて止めたんだけどね。徹夜の勉強は効率が悪い。それなら六時間くらいはちゃんと寝て、朝早く起きて勉強したほうがいいと思っている。

 結果、姉様の赤点は魔法学一つに留まったのだ。……正直、数学とかも赤点取るんじゃないかと心配していたのだが。余裕とは言えないけれど、ちゃんと赤点回避できたのは本当にすごいと思う。


「……少しは、私の性格を理解してくださったと思っていたのですが」

「理解したいと思ってしたわけではありませんが、まあそれなりには。どうしました、貴女のお姉さんを馬鹿にしたようにでも聞こえましたか?」

「ああ、自覚があるのですか?」

「いいえ。そう聞こえたなら、貴女自身が無意識にそう思っているということでは?」

「っありえません!」

「むきになるということはそういうことでしょう?」

「姉様の努力も知らないで……!」


 カッとなった私の肩を、エリクが押さえた。


「セレネ、そこまでにしておこう。先輩も言いすぎです」


 エリクの静かな声に、少しだけ冷静になる。それは向こうも同じだったらしく、申し訳なさそうな表情をした。……申し訳なさそう、と言っても、じっくりよく見てようやく気づく程度だが。

 私が口を開く前に、狐がぽつりと小さく言う。


「すみません」


 え、とぽかんとしている間に、狐は「失礼します」と足早に去っていった。それを見送ってから、エリクに名前を呼ばれてはっとする。

 今まで、狐から謝罪の言葉を聞いたことがあっただろうか。あの狐が、自分のほうが悪いと認めた……?

 でも今回の口論の原因は私だ。本来なら先に謝るのは私でなくてはいけなかった……って私、謝ってないんじゃない!?


「ごめんエリク、ちょっと狐に謝ってくる!」

「狐? というか、まさか一人で行く気?」


 慌てて走り出そうとしたら、エリクに腕を掴まれた。あまり力は強くなかったが、ぐいっとなって少し痛い。

 不満げな私を見て、エリクは呆れた顔をした。


「僕も行くよ。迷っちゃったら大変だしさ」


 ……これくらいで迷ったりしないから! と言い返せないのがすごく悔しい。

 うなずくかどうか逡巡したのはほんの一瞬で、結局エリクと一緒に行くことにした。謝りにいくのに他の人を連れて行くのはどうかと思うけど……その後戻ってこれなかったら問題だ。いや、戻ってこれるとは思うんだけどね? こういうことに関しては、自分を信用しちゃ駄目だろうから。


 狐を見失ってはいけないので、今度こそ走り出す。

 やっぱり私、姉様のことを言われてしまうと弱いなぁ……。もっと耐えるようにしなくちゃ。しかも今回は私が先に狐の機嫌を損ねてしまったようだったし。なんであんなに機嫌悪くなったのかわからないんだけど、もしかして勉強邪魔されたから怒ったんだろうか。あの容姿、身分だから、近づきたいという意味に聞こえる発言にも敏感だろうし……はあ、引き止めなければよかった。

 校舎内に入っていたものの狐との距離はそれほどなく、すぐに追いつくことができた。走ってくる足音に反応してか振り向いた狐は、少しだけ驚いたような顔をする。そして眉をひそめ、口を開いた。


「廊下は走らないように」

「……そこですか」

「仮にも貴族がみっともないですよ」


 う、確かに。

 しかし、こんな話をしに追ってきたわけではないのだ。

 すうっと息を吸う。隣のエリクが小さく苦笑する気配が伝わってきた。……だって狐に謝るのって、なんだか緊張するんだから仕方ないじゃん。

 そんなふうに心の中で文句を言ってから、狐の目を真っ直ぐに見る。


「申し訳ありませんでした」


 は、とぽかんとした狐の顔は見ものだった。

 うんうん、私もさっきこんな間抜けな顔を見せてしまったのだし、狐のを見せてもらえないのなんて不公平だよね。ああ、この顔マリーちゃんたちに見てもらいたい。あの三人なら絶対大興奮するだろう。


「謝り忘れていたので」

「……そのためだけに追いかけてきたのですか」


 驚いているような、困惑しているような。そんな微妙な表情につい笑いそうになりながらうなずく。


「はい。私に非があるうえ、貴方が謝ってくださったのに謝らないなんておかしいですから。……なんて理由をつけてはいるものの、ただ単に謝りたかっただけです。すみませんでした」

「いえ、こちらこそ……」


 歯切れ悪く、「すみませんでした」と口にする狐。

 それに対して、私はにっこりと作り笑いを浮かべた。


「でも、姉様のことを馬鹿にするのは許しませんからね?」

「……まあ、気をつけますよ。貴女が勝手に勘違いするのはどうにもできませんが」

「ふふっ、勘違いさせないようにお気をつけください」


 お互いに調子が戻ってきた。……狐との会話はむかつくことが多いけど、案外私、楽しんでいるのかもしれないな。むかつくけど。私自身に言われたことだったら好意的に解釈することだってできるしね。

 さて、そろそろ追試も終わったころだろうか。ちらっとエリクに目をやればうなずかれた。見える位置に時計はないが、今から理科室に向かえばたぶん丁度いいくらいだ。


「では失礼します」


 ぺこりと頭を下げ、エリクと共に理科室へ向かう。

 ……何だかすごくやりきった感じ。ほっと息をつくと、エリクが私をじっと見つめているのに気づいた。


「どうしたの?」


 少し戸惑いながら訊くと、「いや」と首を振られる。


「ただ……うん」

「うんって何」

「なんでもないよ。それより、セレネってもしかしてシャルル先輩のこと狐って呼んでるの?」


 話題を逸らされてしまった。

 抗議の意味を込めて唇を尖らせながらも、一応質問には答える。


「心の中でだけだよ。ちゃんと実際には会長って呼んでるからね。エリクのほうこそ、あの人のことシャルル先輩って呼んでたんだ?」

「まあ、そうだけど」


 自然と会話が途切れる。いや、不自然と言うべきなのかもしれない。

 あれ、私エリクと二人のときって何話してたっけ……それさえわからなくなって、頭の中がぐしゃぐしゃになる。

 こっそり横目でエリクの顔を窺うが、不機嫌そうには見えない。だとしたらこの沈黙の気まずさは何なんだろう。私が緊張してるからそう思うだけ?


 結局理科室に着くまで、沈黙は続いたのだった。







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