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姉様の幸せのために  作者: 藤崎珠里


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23/74

23 体育祭の終了とテストの約束

 男子の長距離走が終わって、女子の長距離走の途中で騎馬戦の招集の放送がかかった。


「あ、行ってくるわね」


 気合満々で入場門に向かうナタリーちゃんを、「頑張ってくださいね!」と見送る。


「私も、そろそろ自分のクラスに戻るねー」


 私を心配そうに見ながらも、姉様は明るい口調でそう言って手を振った。そっか、行っちゃうのか……。寂しいけど、こんな気持ちのまま姉様の傍にいるのも嫌だし、これは頭を冷やすいいチャンスなのかもしれない。


「では、また後で」

「……うん、一緒に帰ろうね」


 はい、とうなずきながら、帰る時間までにはいつもの私に戻ろう、と決心する。姉様だけじゃなく、きっとエリクにも心配かけちゃうし。何か訊かれたって、二人に関することだから答えられない。というより、答えたくないのだ。

 うん、大丈夫。騎馬戦の後は閉会式もあるから、時間は十分にある。大丈夫な、はず。

 長距離走の人たちに視線を戻して……改めて、さっきのエリクのぶっちぎり加減を実感した。女子と男子の違いはあるけど、最早そんなこと関係ない感じだよね。


 長距離走の人たちが皆ゴールし終えて、退場する。

 次はいよいよ、体育祭最後の種目、騎馬戦だ。騎馬戦は女子と男子で分かれて一回戦、二回戦とやる。確か……男子が先だったはず。

 入場してきた騎馬戦の女子の中に、ナタリーちゃんを見つけた。あ、はちまきつけてる。ということは、ナタリーちゃんは騎手なのかな。

 騎馬戦は学年対抗らしく(まあ、他の競技も学年対抗だけど)、男子たちは学年別に三角形になってスタートの合図を待っている。誰か知り合いがいないだろうか、と探してみたが、特にいなかった。いや、うちのクラスの男子は流石に知ってるんだけどね? でも他に誰もいないなら、あの子たちを応援しよう。


 ぱんっと魔法の音が鳴り、男子の騎馬戦が始まる。

 実は私、前の世界では中学でも高校でも騎馬戦がなかった。小学校にはあったけど……やっぱり小学生と高校生だと迫力が違うなぁ。迫力があるからと言って、ただがむしゃらにやってるって感じでもないから、それぞれ作戦のようなものを決めているんだろう。

 あれ? 騎手が落ちてしまった馬が、端っこの邪魔にならないところに退避した。ルール忘れてたけど、そういえばはちまき取られるだけじゃなくて落ちても負けなんだっけ。

 最後は三年生同士の戦いで、Cクラスが勝って終わった。大きな拍手とともに男子は退場門近くへ行き、今度は女子が三角形になってスタートを待つ。

 先ほどの予想どおり、ナタリーちゃんは他の三人が作った馬に乗った。


「ナタリーちゃーん、がんばれー」

「頑張れ!」


 ベラちゃんとマリーちゃんの声援に、慌てて私も「頑張ってください!」と声を出した。

 ぱんっという音が鳴り、女子の騎馬戦が始まる。

 うわあ、すごい。自信満々なナタリーちゃんだったけど、見ていてその自信に納得した。次々に他の騎手のはちまきを取っていくのだ。

 しかし他の騎馬にぶつかられた拍子にぐらっと体が傾いて、私たちは「わっ!」と悲鳴を上げてしまった。こらえたナタリーちゃんは、ぶつかってきた騎手のはちまきを手早く取る。


「こういう競技、ひやっとしちゃうよね」

「そうですよね……。姉様が騎馬戦にならなくて本当によかったです」


 マリーちゃんの言葉にうなずく。

 騎手でも下の馬でも、どちらにしても怪我をすることしか想像できない。……怪我をしなさそうなのって、玉入れと借り物競争くらいなんだよね、やっぱり。だから、そう、姉様が借り物競争だったのはよかったのだ。け、結果はどうあれ! 順位の結果だけで言ったら、一位だしね!

 ……嫉妬しちゃだめだ、私。あれは私が原因なんだから。

 うー、どうやって気持ちに整理をつけるかな。借り物競争が二人三脚の前にあればよかったのに、とか、考えても仕方ないことばかりが頭の中をぐるぐると巡る。


「セーレネちゃん。ほら、面白い顔してないで、ナタリーちゃんの応援応援ー」

「そうそう、こんなときに悩み事なんてするものじゃないよ」


 ……二人にもばれちゃうのか。まあ確かに、体育祭の最中に悩むとか馬鹿らしいよね。それがわかってても、悩まないでいられるかは別の話なんだけど。

 それにしても。

 私は、頬を引き攣らせることしかできなかった。

 これはきっと、慰めてくれてるんだろうけど。


「なんで私はこんなことをされているんでしょうか……」


 ベラちゃんは私の頬をつつきながら片耳をなでていて、もう片方の耳はマリーちゃんにこれでもかというくらいもふもふされていた。

 正直なことを言ってしまうと、気持ちいいんだけどね……! でもぞわぞわ嫌な感じもするし、とりあえずこんな人目のあるところでやってほしくない。

 私の言葉に、「えー?」と頬を緩ませながら二人して首をかしげる。


「だってねー」

「ね」


 ね、ってなんですか!

 もしかしたら、私の気持ちをほぐそうとしているのかもしれないけど、ただ私の耳に触りたいだけの気もする。二人の態度からは、どちらなのか判断がつかなかった。

 ……まあ、ありがたいんだけどね。嫌な感情とかが、どこかに吹き飛んでしまうから。だからってこんなことをされてありがとうと言うのも違うし、されるがままになるしかなかった。でもこの状態だと、ナタリーちゃんの応援すごくやりにくいんだよなぁ。

 ナタリーちゃんは順調に他の人たちのはちまきを取っていき、ついに三年生の騎馬との一騎打ちになった。


「ナタリー、そこ、そこ! あー、惜しい……!」

「ひゃっ、今危なかったぁ……」


 二人の応援にも熱が入っている。私はといえば、ようやく二人から解放されてほっとしてたんだけど。

 ナタリーちゃんに目を向ければ、当たり前かもしれないが今までで一番苦戦しているようだった。……明らかに、ナタリーちゃんのほうが劣勢だ。焦っているのか、何度も自滅しそうになっていた。


「あっ……!」


 誰かの声がしたときにはもう、ナタリーちゃんのはちまきは相手の手の中にあった。三年生は歓声を上げ、一年生は落胆の声を漏らす。

 しかし、体育祭の最後に相応しい戦いに、大きな拍手が巻き起こった。


「なんかナタリーがいいとこ取りした感じだなぁ……」

「ねー、やっぱり騎馬戦ってずるいー」

「確かに、他の競技よりも盛り上がりましたよね。……でもお二人は、会長の応援のほうが盛り上がっていたような気がしますよ?」

「それは当然のことだから」

「そうそう! あれと比べちゃ駄目なのー」


 拍手をしながら、そんな会話をする。

 久しぶりの体育祭だったけど、思っていたより楽しかった。……いや、うん。こんなふうに考えるだけで姉様とエリクのことを思い出しちゃうんだから、今の私はもっと頭を冷やすべきだな。

 騎馬戦の選手たちが退場すると、閉会式を行うので並んでくださいという放送がかかった。

 終わっちゃったなぁ……。こういう行事が終わると、少しさみしく感じる。

 戻ってきたナタリーちゃんと一緒に、私たちはクラスの列に並びにいった。


     *  *  *


 閉会式という名の、学院長のながーいお話が終わり。姉様たちと帰る時間になってしまった。

 まだちょっともやもやは残っているけど、怪我をした私のせい、ということでちゃんと納得できた。閉会式の間に大分頭を冷やすことができたから、長いお話をしてくださった学院長に感謝だ。

 あ、体育祭の結果は、一位と二位が三年生、三位が二年のAクラスというものだった。まあ、一年生が入ってないのは当たり前だよね。でも悔しがっている人が多かったから、やっぱりなんだかんだ言いつつも上位に入りたかったらしい。


「あー、今日はお疲れさん。ってことで、解散だ」


 適当すぎるニルス先生によって、ホームルームがすぐに終わる。Cクラスはセルジュ先生が担任だし、まだ終わってないよなぁ……。

 行ってみる? 迷って怒られそうだから待ってみる? ああでも、怒られるとしたら、捻挫しているのにたくさん歩くかもしれない選択肢を選んだことだろうか。

 少し悩んだが、結局行ってみることにした。流石にもう、Cクラスまでの道を迷ったりしない。……はず。いや、大丈夫だよ。方向音痴はこの変な自信のせいだってわかってはいるけど、今回は本当に自信がある。足ももうそれほど痛くないから、ゆっくり行けば平気なはずだ。

 帰っていく他の子たちを横目で見ながら、Cクラスに向かう。

 えっと、あそこの階段を降りて……右に曲がる。それでちょっと歩けば、ほら、Cクラスに着いた!

 一人で来れた……!

 なんて感動してしまったが、別に感動するほどのことでもなかった。何、この簡単な道。前の私はなんでこんな簡単な道を間違えたんだろうか。


 自分に呆れながら、扉の前まで行く。閉まった扉の向こうからはセルジュ先生の話し声が聞こえてくるので、やっぱりまだホームルームは終わっていないらしい。

 近くの壁にもたれかかって、姉様たちを待つことにした。あう、やっぱりちょっと足痛い。

 ここまで来た私を見て、二人はどんな反応をするだろうか。……当たり前、って顔をされてしまったら、ちょっぴり悲しいのだが。まあ、それはないよね。あ、でも、誰かに送ってもらったんでしょ? とは言われそうな気がする。


「……じゃあ、今日はお疲れ様。早く帰ってゆっくり休んでくれ」


 ……同じ学院の教師だというのに、この違い! ニルス先生適当すぎる。

 セルジュ先生が締めくくる声がした後、椅子ががたがたと鳴る音が聞こえてきた。

 姉様たちと会う前に、最後に一度深呼吸をしておく。

 ガラッと扉が開き、中からCクラスの人たちが出てくる。邪魔にならないところで中を窺うと、姉様とエリクが話しているのが見えた。しかし、周りの人たちの声が大きくて、会話の内容までは聞こえない。……二人して呆れた顔してるんだけど、なんだろう。

 私の話だったらやだな、と思ったところで、エリクが私に気づいた。何か姉様に言うと、姉様は目をまん丸にしてこちらを見る。……私がここにいたら、そんなにおかしいですか?

 二人は私のほうに向かってきた。


「セレネ! どうやってここまで来たの!?」


 ……第一声がそれだと、かなり傷つくんですが。間を空けず、エリクも尋ねてくる。


「また誰かに送ってもらったの?」

「一人で来たけど!」


 思わず勢いよく答えてしまった。

 いくら私が方向音痴だからって、最初に思いつくことがそれなの? すごい、って褒めてくれてもいいのに。

 心の中でぶつぶつ文句を言っていると、しばらくの沈黙の後、いきなり頭をなでられた。


「わぁ、すごい! 頑張ったね!」

「よかったね、セレネ」


 二人とも、なんか満面の笑みなんだけど。あまりの輝かしい笑顔に、ついちょっと後ずさる。

 ……なでる、っていうよりなで回してる感じだ。え、そんなに嬉しかったのかな。

 私も嬉しい……嬉しいんだけど、たったこれだけでこんなに喜ばれてしまうのは、複雑な気分だ。だって、階段降りて一回曲がるだけだよ? 簡単すぎない? ……道の簡単さを説明すると、ますます私の方向音痴さが際立つ。やめておけばよかった。

 一人で落ち込んでいると、エリクがにこっと笑って「で、セレネ?」と少し首をかしげた。


「足は大丈夫なの? というか、大丈夫じゃないよね?」

「だ、大丈夫だから!」


 その笑顔に薄ら寒いものを感じて、思わずぶるっとしてしまう。

 エリクは私の言葉に納得していないようだったが、これ以上言うのは諦めてくれたみたいだ。(ほっ)

 それじゃあ帰るか、という雰囲気になったとき、「あ、まだいたのか」と声をかけられた。私ではなく……姉様と、エリクが。


「よかった、言いたいことがあったんだ」


 声をかけてきたのは、セルジュ先生だった。先生は教室から出てくると、二人の前に立った。


「今日はお疲れ様。うちのクラスじゃ、優勝したのは二人だけだからな。頑張ったな、と言っておきたくて」


 本当にいい先生だな、とのん気に思えたのはほんの一瞬だった。言い終えた先生が……姉様の頭を、ぽんぽん、となでたのだ。


 ……そんなに気安く姉様に触らないでいただけますか!? そもそも、男性教師が女子生徒の頭をなでるのは、普通にまずいですよね? 

 姉様の頭についた桜の花びらを取ったときも思ったが、セルジュ先生はあまり人との近さを気にしないのだろうか。でもですね、こう、やっぱりしかるべき距離感というものがあって、姉様の頭をなでるのはアウトだと思うのです。しかもエリクにもするならともかく、姉様にだけって! 他意がないとしても他意を感じてしまいますが!?

 これが生徒相手ならつい何か言ってしまったかもしれないが、まさか先生に言うわけにもいかない。うぅ、我慢だ私……。

 なでられた姉様は少しの間ぽかんとしていたが、徐々に顔が赤く染まっていった。肌が白いから、少し赤くなっただけでも目立つ。赤い顔の姉様はとてもとても可愛いのだけど、それがセルジュ先生のせいだと思うと……うわあ。


 もしかして、これもイベントなんだろうか。

 ふっと浮かんだ考えが、それ以上ないくらいしっくりきた。

 魔法学の授業でお世話になっているが、セルジュ先生は本当に生徒たちのことをよく見ているいい先生だ。人目があるところで女子生徒の頭をなでれば周りにどう思われるか、絶対思いつくはずだ。……いや、魔法学の授業で()()関わりがないから、絶対とは言えないんだけど。

 そういえば、エリクはどんな反応をしてるんだろう。……嫉妬とか、してたりするかな。

 エリクのほうをちらっと見ると、何とも言えない複雑な表情をしていた。それはもう、見なければよかったと後悔するようなもので。う、つらい。


「……セルジュ先生」


 しかし次の瞬間には普段の表情に戻って、先生を呼ぶ。


「人目のあるところで女子生徒に触るのは控えたほうがいいと、何度も言っていますよね? うちのクラス内だけならまだいいですが、こんなところではやめてください」


 うちのクラス内だけならまだいい……? それはどういうことだろう。

 困惑していると、セルジュ先生は気まずそうに頬をかく。


「あ、ああ……すまない。気をつけているつもりなんだが、つい」

「つい、で先生の立場が悪くなりでもしたらどうするんですか」

「もっと気をつけるようにする」


 真面目な顔でなんだか子供っぽく答える先生に、親近感が湧いた。……え、この親近感って、あれかな。気をつけようと思ってもついつい一人で歩いて迷子になる、あの感じ……? いくら言われても本人に危機感が足りなくて、それを自覚してもいるのに、やっぱりつい、っていう。

 そう思うと、私もすごく申し訳ない気持ちになってきた。いつもごめんね、エリク……。


「いつもすまない。自分だと気づかないから、オリオールが指摘してくれて助かるよ」


 先生もエリクに謝った。

 今のやり取りを見ていたら、姉様の頭をなでたことへの怒りなんてどこかに行ってしまった。姉様だって嫌がっていなかったし、そもそも私に怒る権利なんてありはしないのだ。姉様はむしろ嬉しがっ……駄目だ、それを思うとやっぱりイラッとしてしまう。冷静になれ、私。


「それじゃあ、気をつけて帰ってくれ。また明後日」


 体育祭の次の日は休日となっている。

 先生に挨拶を返して、私たちは帰路についた。姉様の顔はまだ赤く、口元は緩んでいる。いや、可愛いんだよ? すごく。普通のときにこんな顔してたら、私は間違いなく抱きついている。でも原因が原因なだけに、そんな気分にはなれない。

 ご機嫌モードの姉様は、にこにこしていて口を開こうとしなかったので、私は気になったことをエリクに尋ねてみた。


「さっきセルジュ先生と話してたの、どういうこと? セルジュ先生って普段からあんな感じなの?」

「うん、そうだよ」


 エリクは苦笑いした。


「生徒思いのいい先生なんだけどね。男女構わず距離感が近いから、そこがちょっと問題で。うちのクラスの人だったらわかってるからいいけど、他の人の目もあるところであれをやられたらね……」


 ……ということは、イベントとかは関係ないんだろうか。もとからの性格? ちょっとがっかりしてしまったが、そういう悪い面も含めて向き合わなくては。いい先生なのは確かなんだから。姉様に触っても苛つかないようにしないとね。うん、頑張ろう。

 まだにこにこしている姉様に、エリクが呆れ声を出す。


「ディアナ、セルジュ先生のあれは特別な意味なんてないんだよ?」


 それを聞いて、思わずぴくっと耳が動いてしまった。

 特別な意味なんてないのだから誤解しないように、ということなのだろうが、エリクの口から出ると違う感情もあるように感じた。やはり嫉妬、なのだろうか。

 だって、姉様が誤解するとは思えない。今にこにこしているのだって、ただ単に頭をなでられて褒められるということが今までなかったからだろう。

 父様は私たちを愛してくれている。でも、抱きしめたり手を繋いだり……そんな、普通の親子がやるようなことはしないのだ。母様も愛情たっぷりで接してくれるが、触れ合いは少ないような。父様や母様より、使用人や侍女と過ごす時間のほうが多いし。


「特別な意味?」


 案の定、姉様はきょとんとして首をかしげた。エリクが言う『特別な意味』が指すものさえ、わかっていないのだろう。

 ……ほっとしたけど、ここまで純粋だとやっぱり心配だ。学院生活で徐々に、とか悠長なことは言ってられないのかもしれない。姉様の純粋さは美点でもあるけど、知っていて当然のことがわからないと他の人が不快に感じる可能性もある。それでもし姉様が……たとえばヘルガに嫌われでもしたら、後悔してもしきれない。


「姉様、今度また一緒に図書室に行きませんか?」

「え、うん、いいよ」


 唐突な私の言葉に、姉様は戸惑いながらもうなずく。

 実物を見せるのは刺激が強すぎるし、そもそも当てがない。ここは本を読んで学んでもらうのが一番だろう。うーん、何かいい本あったかなぁ……あ、前に読んだ『桜の妖精』とかどうだろう。あのお話は本当にただの恋のお話で、見せてまずいような描写もないし。

 きっと姉様も好きだろう、と考えてから、姉様の本の好みを知らないことに気づいた。姉様は城では絵本くらいしか読んでいなかったし……。私は学院に入ってからちょくちょく図書室に行っているが、姉様は私についてくることはあっても何か読むことは結局していない。

 初めてまともに読む小説としては、『桜の妖精』はきついかも? ちょっと長いし。


「エリク、よさそうな本知らない?」

「恋愛小説、有名どころならいくつか読んだことあるんだけど……。ごめん、よくわからなかったんだよね」

「……恋愛小説って私言ったっけ」

「話の流れからわかるよ」


 ちょっと得意げに笑うエリク。う、流石だ。というか……なんなのその顔、可愛い。姉様もエリクも可愛くて本当嫌になる。ううん、姉様はいいんだけどエリクは嫌だ。

 姉様は、私たちがなぜこんな話をしているのかわからないのか、不安そうな顔をしている。


「あの、よくわからないけど頑張るね!」


 けれどすぐに気合いに溢れた顔になるから可愛い。

 そして姉様は、「そうだ」とつぶやいて私と手を繋ぎ、優しい笑顔を向けてきた。


「私が一番大好きなのは、セレネだよ」


 思わずぽかんとしてしまった。でもじわじわとその言葉の意味がわかってきて、恥ずかしくなる。私がまだ全然気持ちに整理がついてなかったと、思い知ってしまったから。……不意打ちでこんな言葉をくれるなんて、ずるいです姉様。

 私も大好きです! といつものように返せればいいのだけど。それはなんだか合っていないような気がして、結局手をぎゅっと握り返すだけにした。

 姉様はふふっと笑うと、エリクに視線を移した。


「エリクもでしょ?」

「……え?」


 わかっていない様子のエリクに、姉様は首を傾げる。


「あれ、そうだよね? エリクもセレネが一番でしょ?」



 …………姉様っ!?


 うわぁ、なんて残酷な! 鈍感って怖い! 本当に早く恋愛小説とか読ませないと! あ、でもエリクの気持ちに気づかれちゃうのも困る……。

 うーんうーんと考えていると、エリクは曖昧な笑みを浮かべた。


「ね、姉様!」


 エリクが何か言う前に、と慌てて口を開く。


「私も姉様が大好きです! え、えっと、それで十分ですから、ほら、もう他の話しましょう? 明日の過ごし方とか……」


 我ながら話を逸らすのが下手すぎた。

 でも、エリクの返事なんて聞きたくないし。エリクの一番は姉様で、それを姉様に言うわけにはいかないんだから、どんな返事だって嘘に決まってる。嘘でうなずかれたって、私が傷つくだけだ。……すごく勝手な感情なんだろうけど。

 それにたぶん、嘘だってわかってても嬉しくなっちゃうんだろうなぁ、と思って、本当に嫌になる。


「それなら……その、セレネにお願いしたいことがあるんだけど」

「え、なんですか?」


 姉様はためらいがちに答えた。


「勉強教えてほしいんだ。あと一週間でテストでしょ? セレネが勉強してる合間の、ちょっとの時間でいいから」


「……え」


 え、テスト? 定期考査? 一週間?

 わ、すれてた!

 思い出せば、さっき学院長も話してた……! うあー、聞き流してた私の馬鹿! というか体育祭後テストがあるって前もって言われてたじゃん……なんで忘れてたんだろう。

 しかし、やばい。数学とかはともかく、暗記教科を一週間で詰め込めるだろうか。範囲そんなに広くないからいける気はするけど……慢心は駄目だよね。


「すみません、テストがあること忘れてました……。本当に自分の勉強の合間に教えることになってしまうのですが」

「もちろん! 教えてくれるってだけで嬉しいよ。ありがとうセレネ!」

「いえ、教えることで私も理解が深まりますから。あ、エリクにも教えてもらったらどうですか?」

「でもエリク、私よりも席順後ろなんだけど……」


 ……エリク、どんだけ適当に入試受けたの。そして姉様はなぜそれに気づかないのか。城で一緒に授業を受けたりしてたのに。

 エリクは私よりも頭がいいですよ、と言おうとも思ったが、エリクがほんの少し首を横に振るのが見えてやめた。本当なら言っちゃいたいところなんだけどね。試験のことを隠されていたことは、キャロットケーキを作ってもらったことで水に流したし、これ以上うだうだ何か言うわけにもいかないだろう。


「じゃあエリクも一緒に勉強しない?」


 代わりに、という感じで切り出してみる。


「うん、いいよ。あーでも、帰ってからとか休日なら平気なんだけど、昼休みは他の奴に教えるって言っちゃってて……ごめん」

「そ、そっか。それなら姉様、明後日の昼休みから二人で図書室で勉強しませんか!」

「そうだねー。えへへ、楽しみだなぁ。あ、ちゃんと勉強するよ? するけど、楽しみだなー」


 そうはにかむ姉様は、セルジュ先生になでられたときよりも嬉しそうだった。だからなんだか、もういいや、という気持ちになってしまった。

 けどエリクと昼休みに勉強できないのはちょっと残念。

 こう、さ。好きな人と学校の図書室で勉強とか、すごく学生っぽくて憧れたり憧れなかったり……いややっぱり憧れない! 別にエリクと一緒に勉強とかしなくていいし。お互いちゃんとわかってるから、どうせ教え合うとかあんまりないだろうし。それに帰ってからなら平気って言ってくれたもんね。

 うん、期待なんてしてなかったし! これっぽっちも!


「ごめんね、本当。テスト前に一回キャロットケーキ作るから」


 申し訳なさそうなエリクの顔に、むかっとする。


「全然ショックじゃないから、謝らなくていいよ。というか、なんでもキャロットケーキ作れば許すって思ってるでしょ! 何かあるたびに作ってたらキャロットケーキの価値が下がるし、そもそもテスト前にそんなことしてる暇あったら勉強しないと!」


 勢いのままに叫べば、エリクと姉様は顔を見合わせる。そして、同時に噴き出した。

 ……なんですかねもう、その反応! 私特におかしいことを口にした覚えはないんですが! あ、キャロットケーキの価値が下げる、ってところ……? エリクのキャロットケーキはおいしいし、価値が下がるなんてないから?

 姉様がちょっと笑いをこらえながら言う。


「次のテストのときは、三人で一緒に勉強しようね」

「うん、次はどれだけ教えてって頼まれても断るから」


 そんな二人に、私は唸り声を上げることしかできなくて。

 結局しばらくしてから、「エリク、友達付き合いは大事にしないと駄目だよ」と返事をしたのだった。


 ……でも楽しみ。










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