18 気づかないふりと魔力量
五月ももう半ばとなった。つまりは、体育祭まであと二週間もないということ。
最初に比べ、二人三脚もそれなりにできるようになってきたんじゃないかな、と思う。とは言っても、やっぱり結構転びかけちゃうんだけど。
うさ俺様と体をくっつけて走るのには慣れてきたし、体育祭まで練習を続ければ、一位は無理でも三、四位くらいにはなれる気がする。ちなみに、一回の二人三脚で走るのは七人だ。……ビリには、なりたくないなぁ。一位を目指していたというのに、随分と弱気になってしまっている。
「フィーランドさん、行きますよ。せーのっ!」
流石にせーの、の段階で失敗することはなくなった。
一歩踏み出すごとに、いっちにっ、いっちにっ、と声を上げる。……私だけだけど! 恥ずかしいのか知らないが、うさ俺様は掛け声を出してくれない。どうして声を出さないのかと訊いたら、「心の中で出している」と返された。それって意味あるの。
「……きゃっ」
余計なことを考えていたせいか、うさ俺様より脚を上げるのが一テンポ遅れてしまった。転びかけたところを、うさ俺様がぐっと引っ張って助けてくれる。
いつものパターンだ。私が転びかけ、うさ俺様が助ける。どうしてうさ俺様が転ばないのかとても疑問なのだが。……体の大きさが違うからだろうか?
まあ、そのおかげで、転びかけはしても実際に転んだことはない。他の子たちは膝を擦りむいたりしているのに、私たちは怪我一つない。しいて言うのなら、うさ俺様に引っ張られるところが痛いくらいだ。
「すみません、ありがとうございます」
これに対して返事がないのもいつも通りである。しかしうさ俺様の耳がぴくっと反応してるから、もしかしたら照れているだけなのかもと思ったり。……私の勝手な想像だから、本人に確かめる勇気はないけどね! あ、返事するのが面倒なのかも。……そっちの可能性のほうが高い気がする。(がっくし)
そんなやり取りをしていた私たちの傍を、とある二人が猛スピードで駆け抜けていった。
……相変わらずすごいなぁ、ヘルガとフェリクスさん。息がぴったりだ。
「私たちも、ヘルガとフェリクスさんに負けないように頑張りましょうね」
そう言って微笑みかけると、うさ俺様は「……ああ」とうなずいてくれた。
まあ、頑張ってもあの二人には追いつけないかな、とちょっぴり思ったり。二人三脚のスピードじゃないよ。なんと言うか……一心同体ならぬ、一体同心?
「では、もう一度行きましょう。せーの、ぉっ!?」
久しぶりにせーのの段階で転びかけてしまった。
……本番で転ばなきゃいいんだよね、うん。私の腕をつかんでる、呆れたようなうさ俺様の視線なんて気にしないし。
「俺様にもっと合わせろ。転んでいるのはお前だけだろう」
「……はい」
事実なんだけど。事実なんだけど! 少しだけ理不尽だと感じてしまうのは私が悪いのだろうか。……違うことを考えちゃう私が悪いか。
内心むすっとしながらも、もう一度走り出すべく、「せーのっ」と声を出したのだった。
* * *
「――もう嫌! 気持ち悪い、チャラい、うざい!」
ヘルガは日の丸弁当に箸を思いっきりぶっさした。
ヘルガさん、チャラいとかうざいとか言う子だったんですね……。普段の口調から、そういう言葉が出てくるなんて予想できなかった。
とりあえずそれは駄目じゃないかなぁ、とおそるおそる口を開く。
「ヘ、ヘルガ……それは行儀が悪いと思うのですが……」
「……そうね。落ち着かなきゃ。ごめんなさい」
素直に謝ってくるのが逆に怖い。目が、目が据わってるよ!
がっと大量の白米を箸でつかみ、口に放り込むヘルガ。……そういえばこの国、箸があったんだなぁ。城の食事に和食っぽいものが出たとき、確かに箸は出てきたけど。だけどそれは城だからであって、一般的に箸は使われないものだと思っていた。
日の丸弁当といい、箸といい……ヘルガはもしかして、東のほうの国に憧れがあったりするのだろうか。
「ヘルガ、最近毎日こんな感じなんだ」
姉様が困ったように微笑む。
最近はマリーちゃんたちと食堂に行ったりしていたので、ヘルガと会うのは久しぶりなんだけど……。これが毎日って、何があったんだろう。
そんな疑問が顔に出ていたのか、ヘルガが憎々しげに言葉を放つ。
「あいつよあいつ! フェリクス・カアン!」
「……二人三脚ですか? すごく息が合っているようでしたが」
「そう! 悔しいことにそうなのよ! 走ってる最中は別にいいの。問題は、それ以外の時間よ。二人三脚で一緒になったからって、休み時間に話しかけてこないでって感じ。ああいうチャラチャラした人、大っ嫌いなの」
そういえば、フェリクスさんもCクラスなんだっけ。思い出すと同時に、慌てて周囲を確認する。フェリクスさんは……いない、か。流石にヘルガも、本人がいる前でこんなこと言えないよね。……言えない、よね? なんだかヘルガなら、本人がいようがいるまいが気にしなさそうな気はするけど。
フェリクスさんとは、前に中庭で一緒にお弁当を食べたし……。もしかしたら、また中庭にいるのかもしれない。
そんなことを考えている間にも、ヘルガの愚痴は続く。
「大体、ヘルガちゃんって何よ。気持ち悪いわよ。普通にアウアーでいいじゃない。カワイイとか言われても嬉しくなんかないし。言われ慣れてないだけだし。嘘吐けないって知ってるだけだし! こう、ドキッとしちゃうのはそういう運命っていうか。わたしの意思じゃないもの。そう、ないのよ。わたしの意志なんて全く関係ないに違いないわ。大っ嫌いなんだから」
後半は、どこか自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
……そうか、ドキッとするのか。だけど嫌いな感じの人が相手だから、認めたくないんだな。なのに運命とは言っちゃうって。
まだぶつぶつ言っているヘルガが微笑ましく感じて、ふふっと笑いが漏れる。その途端、キッと睨まれた。もともと少しきつい印象の目だから、結構怖い。(ぶるぶる)
「何よセレネ。何か言いたいことでもあるの?」
「い、いえ?」
「……セレネとヘルガって似てるよねー」
のん気な姉様の声に、二人一緒に固まる。
え、私ここまで素直じゃないの? 大っ嫌いとか言ったことないんだけど……。この前は頑張って、す、好きって言ったし。
「わたし、セレネみたいに可愛くないわ」
どこか拗ねたようなヘルガの頭を、姉様がぽんぽんとなでる。
「ヘルガもかわいいよ? もっと自信持ってほしいな」
「……そう言われても」
「だいじょうぶ!」
「何が大丈夫なのよ」
口調は雑だが、ヘルガはふっと笑みをこぼした。それは、ほっとしたようにも見える笑みで。少しだけ、違和感を覚えた。
しかし、その違和感の正体はわからなくて、気のせいかとすぐに忘れてしまった。
「でもヘルガって、フェリクスくんのことが好きなの?」
……主に、姉様の発言のせいで。
姉様の言葉を聞いたヘルガは、たちまち顔を真っ赤にさせた。
「有り得ないわよ! だってまだ、出会ってから二ヶ月も経ってないのよ? しかも嫌いな人を、どうやって好きになるって言うの」
「そっかー」
「あ、信じてないわね? でも本当なんだから。……ドキッとかするの、恋愛感情じゃないわよ? 昔から男慣れしてないから、ちょっと近寄るだけでもかなり心拍数上がるの」
「ふふっ、それは傍にいればわかるよ」
姉様とヘルガの会話を聞きながら、仲がいいなぁ、としみじみ感じる。姉様と私は、エリクのほかには同年代の友人がいなかった。姉様が五歳になったときの誕生日パーティー(五歳、というのは、この世界での特別な年齢らしい)で、同い年くらいの子供を連れてきていた貴族もいたが、特に何か話したりはしなかったし。
だから学院に入る前は、前世の記憶がある私はともかく、姉様にちゃんと友達ができるのか少し不安だったのだ。その不安が杞憂に終わって良かった。……私の方が友達作るの遅かったしなぁ。
「セーレネ、早くお弁当食べないと、私がそのにんじん食べちゃうよ?」
いつの間にかお弁当を食べる手が止まっていたようで、姉様が私を見ていたずらっぽく笑う。
「それは嫌です!」
とにかくにんじんだけは死守しなくては! と慌ててにんじんを口に運ぶ私を見て、姉様とヘルガはくすくすと笑った。
二人ともお弁当をほとんど食べていて、少ししか食べていないのは私だけだった。二人よりも話している時間が短かったはずなのに。そんなに考え事をしていた時間が長かっただろうか?
ヘルガが最後の一口を口に放り込んで、お弁当の蓋をしめた。ごくん、と飲み込んでから、また口を開く。
「そういえば、今日セルジュ先生に告白した子がいるらしいわよ」
「え……」
「それは……すごいですね」
生徒が先生に告白するって、すごく勇気がいりそうなことなんだけど。振られたあとにセルジュ先生の授業受けるの、きつくないか?
話題を出したヘルガは、眉をひそめて口を右手で押さえた。え、その反応って、もしかしてセルジュ先生は告白に応えたとか? ないよね? だって、攻略対象にこんな序盤で恋人ができるなんて。
……ううん、攻略対象、とかは関係ない。人の行動は、その人自身の意思によるものなんだから。
まあ、もし仮にセルジュ先生がオーケーしたのだとしたら……ちょっと引く。いや、かなり。十も離れた子供相手に何してんだと思わなくもない。
……姉様がセルジュ先生に告白して断られたら、姉様に何してんですかと思うんだろうけどね。(自分勝手なのはわかってます)
「……セルジュ先生、断ったんだよね?」
ヘルガの反応に私と同じように不安になったのか、姉様はおそるおそる尋ねる。
「それはもちろん」
「そ、そうだよね」
姉様と一緒に、私もほっとする。
よかった。この世界ではあまり問題にならないのだけど、やっぱり前の世界の常識がある分、そういうのに抵抗はあるから。大人同士の十歳差ならともかく、高校生と大人とか、下手すれば犯罪だよね。清い付き合いなら平気、なのかもしれないが。
「だとしたら、なんでそんな顔してるの?」
姉様の不思議そうな声に、ヘルガの顔が明らかに強張る。
「……またフェリクス・カアンのことを思い出しただけよ。ああもう、腹立つ!」
不自然な間。だけどその間に姉様は気づかず……いや、おそらく気づいていないふりをして、苦笑いを浮かべた。
「思い出さなければいいんじゃない?」
「無理。最近頭の中があいつでいっぱいだから、否が応でも思い出しちゃうもの」
眉を上げるヘルガに、それってやっぱり好きなんじゃ、と言いかけたがやめておく。ますます怒るのが目に見えているし。
だけど……私と似ているらしいヘルガに、少しくらい素直になってもらいたくて、ついぽろっと言ってしまった。
「好きの反対って、無関心なんですよね」
「……は?」
「嫌いは好きに一番ちか……ひっ、ごめんなさい、すみません!」
眼光だけで人が殺せそうなんだけど! やっぱり、ヘルガにこういうことは言っちゃいけないんだね。
……でもさ、よく言うじゃん。嫌いは好きに一番近い感情だって。フェリクスさんのことを好きだということを、認めなくちゃいけないときは結構早く来ると思うんだ。
考えていることが顔(もしかしたら耳かもしれないが)に出ていたのか、また睨まれる。
「……な、何でしょう?」
「嫌いだから。絶対好きじゃないから。そんな馬鹿なこと、たとえ思っても口に出さないで。……本当に、嫌いなの」
ヘルガの声は、震えていた。
フェリクスさんが関わると、ヘルガは情緒不安定になるようだ。恋する女の子は大変だな、と一瞬思って、すぐにその考えを振り払う。
この感じは、そんな可愛いものじゃない。もっと深い……恐れ? 悲しみ? 苦しみ?
それがわかるほど、私はヘルガと親しくない。
もう一度「ごめんなさい」と言った声は、自分でもびっくりするほど小さく、弱々しかった。
泣きそうなヘルガを姉様と見つめながら、そういえば今日は満月だなとぼんやり思い出す。
ルナ様に訊いたら、ヘルガのこの態度の理由もわかるだろうか。いや……これは、訊くべきことじゃないか。ヘルガが自分から話し出すのを、待たなきゃいけない。
それほど親しくないと言っても、やっぱりヘルガは友人で。その悩みを聞けるくらいに早く仲良くなりたいと、強く思った。
* * *
姉様と城の庭園に向かっていると、その手前でエリクと会った。とは言っても、一緒に学院から帰ってきてから、まだ三時間ほどしか経っていないので、特に何の挨拶もしない。「エリク」と呼びかけると、彼はにこりと笑って私たちと一緒に歩き出した。
「前回もそうだったけど、今回もルナ様に会うのに積極的なんだね」
「……別にいいでしょ」
「うん、悪いなんて言ってないよ」
にこにこ笑っているエリクから、ぷいっと顔を背けてやった。その様子を見てくすっと笑いながら、姉様が言う。
「セレネがルナ様と仲良くなってくれて、嬉しいな」
「いえ、仲良くなったわけではありません」
「だって、今までは私が誘わないとルナ様に会いにいかなかったでしょ?」
「まあ、そうですが……」
理由を尋ねられても困るので、口ごもってしまった。
ルナ様が、姉様を幸せにするためのヒントをくれるかもしれないから。そんな理由を言ってしまったら、きっと姉様は怒るんだろうな。
悪い人、いや、悪い神様ではないということはわかっている。けれど、そういうことではないのだ。何と言うか、ルナ様とは合わないというか。姉様に関しての用がない限り、会いたくないというか。
「……あ、姉様、もうルナ様がいらっしゃっているようですよ」
口ごもったついでに庭園に置いてあるルナ様用の椅子を見れば、すでにそこにはルナ様が足を組んで座っていた。座るときルナ様はいつも足を組んでいるが、体が歪んだりしないのだろうか。
三人でルナ様のもとへ行くが、こちらに気づいているだろうに何も言ってこない。心なしかげっそりしているようだし……もしかして、疲れてる?
「ルナ様?」
姉様が心配そうに名前を呼べば、ルナ様は深いため息をついた。
「……悪いわね。ちょっと疲れてんのよ」
そう言った後、ルナ様は自身の頬を両手でぱちん、と叩いた。結構痛そうな音なんだけど、平気かな。
ルナ様は何度か目をしばしば瞬かせると、立ち上がって首を傾け、ぽきっと音を鳴らした。神様も首や肩が凝ったりするんだな、と少し意外に思う。
「ああ、今のはあたしの気分よ、気分。実際は鳴ってないけど、そう聞こえるようにしただけよ」
……それは、能力の無駄遣いなんじゃ?
「さてと。それであんたたち、最近の様子はどうなの?」
「え?」
姉様と一緒に、私も首をかしげる。見れば、エリクも不思議そうな顔をしていた。にも関わらず、ルナ様はなぜそんな反応をされるかわからないのか、「は?」と眉をひそめる。
「何よ、あたしとそんな話したくないってわけ?」
「い、いえっ! ただ、ルナ様は私たちのことを何でも知ってたので……」
「暇なときにしかこの世界は覗いてないって、前に言ったじゃない」
ふん、とルナ様は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「疲れてるって言ったでしょ? ここ最近、忙しかったのよ。今、第零世界は大混乱中」
ルナ様はまた、ため息をこぼした。
第零世界、とは、神様方がいる世界のことだと以前ルナ様が話していた。
その第零世界が大混乱? それは、相当まずいことが起こったということなんじゃ……。
「あんたたちが気にしても仕方ないことだから、何も訊かないでね。時空神が勝手にやったことが発覚しただけ」
時空神、というのもよくわからなくて、私たちは曖昧にうなずく。月の女神と時空神だと、時空神のほうが偉そうなんだけど……様をつけなくてもいいものなんだろうか。
「……変なとこで人が好すぎんのよねぇ。そのせいであたしたちが振り回されることがよくあるのよ」
その口調は、呆れてはいるものの、その時空神様とやらを嫌ってはいないように聞こえた。むしろ親しみのようなものを感じて、ちょっとだけ意外に思う。
ルナ様とはもう何年もの付き合いだが、私はもちろん姉様やエリクにさえ心を許していないはずだ。いつも気安く感じるが、それはきっとルナ様の生来の性格なんだろう。
そのルナ様と親しい神様、というのに少し興味はわいたが、あまり深く突っ込めばルナ様の機嫌を損ねてしまうので、我慢することにした。
「まあ、今日……というか、しばらくあんたたちとのんびり話せるような時間はないから、手早く用を済ませるわね」
用、という言葉に、またしても私たちは首をかしげた。
ルナ様が目的を持って会いにくることは、滅多にない。前回が例外であり、続けて今回も、というのは……うん、今までになかった気がする。
ルナ様は姉様をじっと見つめ、わずかに落胆の表情を浮かべてから、私に視線を移した。
「……あんたは、そろそろいいかしらね」
そうつぶやくと、「来なさい」と私を手招きした。
何をされるんだろう。ルナ様がこんなことを言うなんて、嫌な予感しかしないのだが。
怪しがっているとルナ様の目がだんだん物騒になってきたので、慌てて近づく。
こつん、とルナ様は私と額をあわせた。
「――――」
……なんだろう、この言葉。
聞いたことのないはずの、しかしどこか懐かしい言葉。それを言って、ルナ様は額を離す。体がふわり、と軽くなった気がした。
「あんたの抑えてた魔力、ちょっとだけ解放しといたわ」
「……え?」
軽く放たれた、思いもよらなかった言葉に一瞬呆けてしまった。視界の端で姉様がぽかんとし、エリクが怪訝そうな顔をしているのが見える。
抑えてた、魔力? それは一体どういうことだろう。
「あんたたちは両方魔力量がとてつもなく多かった。特にディアナがね。生まれてくる前に慌てて抑え込んだけど、普通と言ってもいいくらいに抑えられたのはセレネだけ」
――魔力量が多いのは、
「セレネに比べても、ディアナの魔力量は多かったわ。抑えた今でもすごい量だけど、本来の……うーんと、何分の一かわかんないくらいに抑えてんのよ? それでも。それ以上抑えたら、ディアナのほうが耐えられないし、諦めるしかなかった。そのまま生まれてきてたら魔力が暴走して、下手したら世界がぼんっよ」
姉様だけではなかった?
「あ、解放したって言っても、セレネの今の状態はまだまだ本来とは程遠いから。これからどんどん解放してくわね。ディアナは……そうね、来月あたりにでも解放し始めようかしら」
……別に、おかしなことでもなかったはずだ。私と姉様は、母親が違うとは言え、血がつながっているのだから。父様だって、普段魔法を使うことはあまりないが、魔力量は普通の人よりも多いと聞いている。
だから、全然おかしくない。
なら……ルナ様の言葉に、どうしてこんなに動揺しているんだろう。
「……セレネ、大丈夫?」
はっと気づけば、姉様は心配そうに私の顔を覗きこんでいた。
「だ、大丈夫です。ちょっと……魔力が戻ったせいか、ぼんやりしてしまって」
「そっか……。顔色すごい悪いし、今日は早く寝たほうがいいんじゃない? というか、寝なくちゃ。ね?」
「……はい」
微笑んだつもりだったが、上手く笑えていたか自信がない。
そんな私たちをちらっと見ただけで、ルナ様は「それじゃあ、もう帰るわね」とすぐに帰ってしまった。うぅ、結局何も聞けていない。
「セレネ、帰ろ? 大丈夫? 歩ける?」
それほど体調が悪いように見えるのだろうか。
もう一度大丈夫です、と返事をしようとしたとき、いきなり腕をぐいっと引かれ、気付いた時にはエリクの腕の中だった。いや……エリクの腕の、上? というべき?
……え、うわ、え、ちょっ!?
「ななななな、なんっ、何!?」
「何って、うーんと、お姫様抱っこ?」
至近距離でにっこりと笑うエリクに一瞬見惚れ、って、そうじゃない!
「お、下ろして!」
「倒れそうで見てられないし」
「じゃあ、せめておんぶにして!」
「……やだ」
一瞬の沈黙の間に悩んだみたいだけど、だったら何でそっちの結論を出すかな!
姉様に、助けてください、と視線で訴えてみたが、姉様はなぜかすたすた歩き出してしまった。鼻歌は非常に可愛らしいんですが、明らかに不自然です! 気づいているのに何で無視するんですか……。
お姫様抱っことか、無理。エリクの顔が近いし、何より、エリクの腕がね? こう、太ももと腰の辺りにあるわけで。ものすっごく恥ずかしいんだけど!
エリクも姉様に続いて歩き出す。……エリクの歩みと共に身体に振動が来て、とてもとても変な感じ。おんぶでもそれは同じなんだろうけど、顔を見られない分おんぶのほうがずっとましだ。
とりあえず、真っ赤になっているであろう顔を両手で覆っておく。すぐ近くで、エリクがふっと笑みを漏らした音が聞こえた。どうしよう、耳も塞ぎたい。でも耳を塞ぐとなると、顔を覆っている手を離さなくてはいけない。
……よし、落ち着こう。落ち着けば顔の熱だって収まるはずだ。
「ほら、首に手を回して? 絶対に落としたりしないけど、そのほうが安定するしさ」
にやにやしてる。声だけでもにやにやしてる。
馬鹿と大声で言ってやりたかったが、それさえもエリクをにやにやさせるだけだろう。なら私にできることは、ただエリクを無視することのみ。そう、無視すればいい。私は今、喋る乗り物に運ばれているだけなんだ。
「セレネ?」
名前を呼ばれても無視だ、無視。
「だめだよエリク、そこまで意地悪しちゃ。セレネが拗ねちゃってるでしょ?」
「あー……うん、みたいだね。やりすぎたみたい」
エリクは苦笑する。……姉様、どうせならもっと前に助け舟を出していただきたかった……っ。遅いです!
心の中で文句を言いながら、そっと顔から手を離す。熱はちょっと収まってきたし、もう大丈夫だろう。もしまだ赤いとしても、やりすぎたと自分でも言ったエリクが、更に何か言うはずがない。
「……もう普通に歩けるから、下ろしてよ」
先ほどまでの動揺は、お姫様抱っこによる衝撃で消え去っていた。これを狙ってやっているのだから……ああもう、むかつく。天然だったらそれはそれでむかつくんだけどさ。
「やだ。セレネがお姫様抱っこさせてくれることなんて、もうないだろうし」
「今だって、させてあげてるわけじゃないんだけど」
「本当に嫌なら、無理やりにでも下りてるはずだしね」
「……わかった、下りろって遠回しに言ってるんだよね」
「あ、無理やり下りるのは危ないからやめて」
……無理やりお姫様抱っこした人のセリフじゃないよね、それ!
そう思いながらも、しぶしぶ大人しくする。若干ふてくされてしまうのは仕方ない。エリクが悪い。……姉様、微笑みながら頭をなでられたってそう簡単に機嫌は直しませんから。
近くにあるエリクの顔を見ないように、頑張って視線と意識を前方にだけ向けていると、「あのさ」とエリクが声を発した。
「大丈夫だよ」
それは、私自身が気づいていないことでさえも、見透かしていそうな声だった。
なぜか視界がにじみ、心はほっと緩んで。
これ以上何も気づかれたくなくて、私はただひたすら前だけを見た。