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影女 最終頁


「今読んだ話が真実でしょ、秋川さん」


 男の声で私はハッと目を覚ました。

 足下から酷く冷たいものを感じて恐る恐る目を向けると、そこには乱れた長い髪の間から顔のない頭が覗き、不思議とアイツが私を睨みつけているような気がした。


「ひっ……!」


 恐怖で身体の力が抜けてしまい、私はその場に座り込んでしまう。


「い、いや!来ないでよ……!」


 這いつくばった姿でこの化け物は震える腕を伸ばして、私の足を掴もうとする。


「いやだってば!気持ち悪い、気持ち悪いのよお!」


 私はその腕を蹴り飛ばし、身を守る為に必死で足をバタつかせて、蹴りつづけた。


 「いやぁ。秋川さんも、負けず劣らず怖いですね」


 暢気に見物している男。

 私はそんな鬼畜な男に泣きながらもありったけの怒りを込めて罵った。


「この馬鹿!クズ!アンタ、何のんびり観てるのよ!信じらんない!いいから助けなさいよお」

「大丈夫ですよ。今の彼女には秋川さんを襲うほどの力はないですから。だってさっき、彼女の本を破いちゃいましたから」


 そう言って男は私の名前が書かれたのとは別の、黒ずんだ汚い本を見せてきた。本の表紙にはやっと読みとれるような消えかかった字で、哀川景子、と書かれていた。


「景子…!?」

「そう。哀川景子さんの本です」


 男はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。もう可愛らしいとは言えない心底楽しんでいるようなその笑顔に、私は目の前の化け物よりも恐いと感じた。


「もうわかってるんでしょう。床に這いつくばってるものが何なのか」

「な、何って……。景子が黒魔術で呼び出した化け物でしょう……?」

「あんたも心底嘘つきだなあ。本当はわかってるんでしょう、それが」


「哀川景子だって」


 男は表情をいっさい変えずに、今日も良い天気ですね、と言うのと変わらないぐらいにさらっと言ってのけた。


「嘘よ……!どう見たって人間じゃないじゃない!真っ黒い人型の塊よ、影女よ!……あ」


 私はさっきの男の話を思い出した。そう。男が読みあげた本に書かれている、本当の話を。


「そうですよ。影女は妖怪でも化け物でもない、あんたが付けた哀川景子のあだ名ですよ」


 景子の景の字にさんづくりを足して、影。だから影女。


「で、でもアンタが最初に言ったのよ!影女は妖怪だって。アンタ、あの時から知っていて私に嘘をついたのね!」

「嘘はついてないですよ。影女という妖怪も本当にいますしね。たまたま偶然あんたに憑いてる生霊のあだ名と、妖怪の名前が同じだったんで紹介しただけですよ。それに、お祓いできるって言ったじゃないですか。妖怪だったらお祓いなんて生易しいものじゃダメですよ。退治しなきゃ」

「ちょ、ちょっと待って!生霊ってどういうことよ」


 その他にもいろいろ言ってやりたいこがあったが、生霊と言う言葉が気にかかる。


「そのままの意味ですよ。生きている人間が、恨みから魂だけを外に飛ばしている状態ですね。この哀川景子さんの本を読むかぎり、始めはただあんたに謝りたくて、いつもあんたの様子を窺っていた見たいですけどね。その思いが強すぎたのか、だんだんどこにいても生霊を飛ばしてあんたを見張るようになってしまったようですよ」

「最悪!私がどれだけ気持ち悪い思いをしたと思ってるのよ!景子のくせに、景子のくせに、景子のくせに……!」


 影女の正体が景子だって言うのならばもう怖くない。あんな生霊だなんて、根暗な景子にはピッタリなやり方だ。

 私は今までの仕返しとばかりに、目の前の黒くて気持ち悪い景子の生霊を蹴り続ける。


「うわあ……。本当に怖い人ですね、秋川さんは。そもそも、あんたがあんな卑劣なことをしたから、全てを知った哀川さんに憑かれちゃったんでしょう」

「うるさいわね!景子が悪いんじゃない。地味で自分一人じゃビビって何もできないくせに、課長に好かれるなんて。課長は私が狙ってたのに……。だいたい、いつもアンタの世話焼いてやったのは誰だと思ってるのよ!」


 さっきまでは不気味な呻き声を発していたコイツも、今は小さく丸まるような体勢で、ピクリともしない。


「ふん!さっさと景子の身体の中にでも戻りなさいよ。そうしたらアンタを徹底的に追いつめて、会社なんて辞めさせてやるんだから!」

「まあまあ、落ち着いてくださいよ」


 のんびりと男が割って入ってくる。


「そろそろ本題に入ってもいいですか?この秋川さん本ですが、税込みで五千二百五十円になります。この値段はかなり安いですよ」

「はあ?そんな薄汚い本が五千円?そんな価値全くないわよ」


 幾分か余裕ができてきた私は、この商売男に騙されないよう突っぱねた。


「いらないわ。だいたい、自分のことが書いてある本なんて、気持ち悪いじゃない」


 すると、あんなに私に本を買わせようとしていたのに、その言葉を聞くと男はあっさりと引き下がった。


「わかりました。あんたがこの本をいらないというのなら、予約していたお客さんに売りますかね」

「予約していた客?」


 気になって、誰が予約したのか訊いてみると、男は意外な名前を口にした。


「哀川景子さんですよ」

「え。景子もこの店に来たの?」

「ええ。今から一週間ぐらい前ですかね。彼女も自分の本は買わずに、あんたの本が欲しいと言ってきたので予約してもらったんです。こういう本は基本、本人優先で売ることにしてるんで、本人がいらないと言った時にかぎり、それを欲しいと言った人間に売るようにしてるんですよ」


 男がどうぞ、とそれを差し出すと、次の瞬間全く動かなかったはず景子の生霊が勢い良く起き上がり、ひったくるように本を取り上げて宝物を守るように腕の中に抱きかかえた。


「ちょっと、景子になんか売らないでよ!気持ち悪いじゃない。それにそいつ生霊で、景子の魂みたいなもんなんでしょう?渡したって意味ないじゃない。返してよ!」


 私の本があること事態も不気味なのに、それが他の人間、ましてや景子に渡るなんて全く良い気持ちはしない。私は男に抗議したのだが、男は我が侭を言わないでください、と今度は私が突っぱねられた。


「だから散々言ったでしょう?あんたに買ってもらわないとって。それをあんたがはっきりいらないと言ったんだ。それなら買ってくれる人に売りますよ。それと一つ注意しておきますが、本とあんたは運命共同体ですから」

「は?」


 わけがわからないと首を捻ったけれど、なんだか嫌な予感がする……。


「さっきも見たでしょう?俺が哀川景子さんの本を少し破いたら、彼女、苦しそうにしてたじゃないですか。つまり本とそれに書かれた人間は繋がっているってことです」

「え……!」


 その言葉に私は頭が真っ白になった。それって、あの本を完全に破いてしまったら、そこに書かれていた人間は死んでしまうということではないのか……!そんな重要な物を私のことを恨んでいる奴が手にしたとしたら……。考えるだけでも恐ろしい!

 私は男に掴みかかって、泣きながら助けを求めた。


「ちょっと!何でそんな大事なことを早く言わないのよ!買う。買うから、お願いだから取り返してよ!いくらだって払うからあ!」

「だから無理ですって。だって哀川さん、前金置いてっちゃったから。いや、俺は後でいいって言ったんですよ。なのにメグミちゃんは絶対買わないだろうから、て」

「そんなのどうだっていいいから!お願いだから、本取り返しなさいよお!ひっ……!」


 腹に冷たいものを感じて恐る恐る目をやれば、景子の生霊が私の腹に腕をまわして抱きついていた。


「きゃああ!痛い、痛いってばあ!やめて、離れてよお」


 ぐいっと力強く引っ張られたかと思うと、生霊は暴れる私を抱きかかえてあの真っ暗な出入り口目指し、ズルズルと私を運んでいく。


「あ。そうだもう一つ言っておきますけど、それは哀川景子さんの生霊じゃないですよ」

「は?」

「哀川景子さんの、死霊です。なんか数時間前に線路に飛び込んで、死霊になったみたいですよ」

「嘘!」

「だから気をつけてください。きっとあんたが連れて行かれる場所はここではない、別の世界でしょうから」


 その時、耳元で景子の声がした。


『メグミちゃんのせいだから。自業自得よ』


 私は叫んだ。力の限り声をだして、男に助けを求める。


「お願い助けて!私は悪くない。悪くないのよおお!」


 視界が闇に包まれる。

 私がこの世の最後に見たものは、あの人懐っこい笑顔で頭を下げる小さな本屋の店主の顔だった。


「お買い上げ、ありがとうございました」


















影女 終



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