影女 五頁目
「なんで!?なんでアイツがここに来てるのよ!」
さっき通って来たあの扉のない真っ暗な入り口から、一本、黒い足がぬうっとこちらへ入って来た。
女性の形をした真っ黒な物体は、影というにはあまりにも黒い気がする。
私は揺れる部屋の中を必死で逃げ出した。
「なんで、なんでよ?店の前にいるんじゃなかったの?どうしてアイツがここまで来てるのよお!」
影女は迷わず私を追って来た。棚からどさどさ落ちてくる本なんてなんのそのといった風で、必死で避けながら走っている私はあっと言う間に追いつかれてしまった。
「きゃああ!離して、離してよお!」
驚くほど冷たい手が私の右手首を掴んで離さない。その力は骨が折れてしまうのではないかと思うほど、力強いものだ。
「いたい!痛いってば!誰か、誰か助けて!」
するとその時、ビリっと紙を裂くような音が聞こえたかと思うと、影女は不気味な叫び声をあげながら胸を抑えるようにして倒れ込んだ。それと同時に激しかった揺れも治まった。
「大丈夫ですか、秋川さん」
声のする方へ振り返ると、のんびりと男がこちらへ向かってやって来る。見れば手にはもう一冊、さっきのとは別の本を持っていた。
「何が大丈夫ですか、よ!アンタ言ったわよね、実害はないって。何が実害はない、よ!大有りじゃない。コイツ私に襲いかかって来たのよ!この嘘つき!」
「酷いなあ。俺は嘘なんてついてないですよ。影女はこっちを見ているだけで、実害はないんですよ」
「ふざけないでよ!」
人が襲われたっていうのに、コイツはまだ人を馬鹿にしたようなことを言うのか!
「アンタ見てなかったの?コイツは私を追いかけ回して、手首を掴んだのよ!見なさいよ、この手首。手の痕が残っちゃったじゃない!」
私は右手首を男の顔に押し付けるように見せ、怒りをぶつけてやる。
「いいですか、秋川さん。俺は嘘をついていない。むしろ嘘をついたのはあんたの方だ。俺は二回もそれは本当か、と訊いたんですよ?そのチャンスを無駄にしたのはあんただ」
「は?何いってんのよ、アンタ」
男はおもむろに私の名前が書かれた方の本を開いた。
「これが最後だ。あの話は本当ですか?」
私は少し躊躇いながらも、ゆっくりに頷いた。
「ならば一つあんたに本を読んであげますよ。ああ、そうだ。別の質問を一つ」
男の言葉とともに、開かれていた本の頁が風もないのに勝手に勢いよくバラバラと捲られる。
「影女、という言葉に聞き覚えはありませんか?」
その質問を聞くと同時に、私の意識は遠のいていった。